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平成16年4月27日(火)
〜 NO.20 5月8日と蒲郡プリンスホテル 〜
 4月当初のドタバタも一段落して、最近は平常時の生活が戻りつつあります(決して仕事が暇になったという意味ではありあせん。むしろ帰宅時間は遅くなっていく一方ですが・・・)。
 気がつけば、4月も残すところ今日を入れてあと4日。もう5月がそこまでやってきています。

 5月といえば、わが家にはイベントが3つあります。一番賑やかなのが、下の娘のゆかこの誕生日。これは18日。6歳の誕生日も盛大に行うことになるでしょう。
 それに引き替え、年々影が薄くなるのが5月8日と5月10日のイベントです。
 5月10日は、私の?回目の誕生日で(来て欲しくない!)こちらはホントにどうでもよくなってきて、その2日前の5月8日は実は結婚記念日なのです。
 今年の5月8日はは、平成5年に「挙式&披露宴」を行ってから11回目の記念日となります(もうそんなに経つんだよなぁ〜)。
 その11年前の「挙式&披露宴」はどこで行ったかといえば、私の出身の愛知県蒲郡市にある「蒲郡プリンスホテル(通称:蒲プリ)」なのです。

 「えっ、蒲プリでしたの?すごーい!」という人が多いですが、実際にはその費用は決してメチャ高いことはありません。むしろ、その料理とか格式からすればリーズナブルというのが正解ともいえます。
 今では、ホテルのある山の麓のあたりに宴会場なるものができてしまいましたが、当時はホテルの一階を挙式場、二階を披露宴会場として使っていました。その披露宴会場ですがとても狭いもので、「コ」の字に配列した長机にお互いに向き合って食事をする形式で、最高に詰めても70人弱しか入れない狭い会場でした。
 式の当日、「新郎新婦は、食事なんか悠長にしてられないんだぞ!」という助言(?)を無視して、ホテルの料理を二人ともきれいさっぱり平らげてしまいました。
 というのも、いわゆる結婚式場とは違ってその料理はやはりとてもおいしいからでした(お世辞抜きで)。終わってからも「やっぱり蒲プリってとってもよかったね」と披露宴の出席者の多くの方々からお褒めの言葉をいただいております。

 あれから11年。今では二児の父、母になって夫婦の時間が少なくなってしまいましたが、毎年4月の中旬になると必ず蒲郡プリンスホテルから手紙が来ます。
Congratulations
On Your Wedding Anniversary
11回目のご結婚記念日おめでとうございます。
この5月8日という思い出深い日を私ども一同、心からお祝い申し上げます。
ご家族のいく久しいお幸せをお祈り申しあげます。
蒲郡プリンスホテル
 てなメッセージカードとともに6月30日までの「シャンパンサービス券」が一緒について来ます(使ったことはありませんが・・・)。
 こうして、忘れそうになる結婚記念日を必ず思い出させてくれるのが、蒲郡プリンスホテルなのです。「子は鎹(かすがい)」といいますが、我が夫婦にとっては「蒲プリのアニバーサリー・カード」が鎹かもしれません。
 ところで、離婚した人のところにもこのカードはいくんでしょうか???
平成16年4月24日(土)
〜 NO.19 土曜保育とおたまじゃくし 〜
 今日は、かずたかの通っている学童の土曜保育の日です。指導員+親で、今回は当番が加藤家に廻ってきたので父親の私がチビ4人(かずたかも含む)をしたがえて、鹿子公園〜名古屋市動物愛護センター〜平和公園・メタセコイア広場と遊んできました(写真左は、メタセコイア広場での昼食風景)。
 
 昼食後は、サッカーをしたり遊具で遊んだりしていましたが、帰りがけに猫ヶ洞池を一周してオタマジャクシを探しながら帰ることにしました。
  「ホントにオタマジャクシがいるかな?」とやや不安ながらオタマジャクシの繁殖場所といわれるマル秘場所に行ってみると、やっぱりいるわいるわ!まさにつかみ取り状態です(右下の写真の水面下の黒いものがオタマジャクシ)。
 で、持っていたペットボトルやビニール袋で、わいわいがやがやしながらすくってとりました。
 子供たちにとってはこれが今日一番楽しかったようで、最後に意気揚々として学童に戻ってきました。
平成16年4月23日(金)
〜 NO.18 授業参観 〜
 今日は、長男かずたかの学校で授業参観があったので、加藤家を代表して父親である私が授業参観をしてきました。
 4月から小学校2年生となり、昨年と比べると学校生活にも慣れていろんな意味で学校に溶け込んでいる様子がうかがえました。

 今日の授業は、算数の「たし算とひき算」で「13+4=」というくらいの問題を解いていました。
 かずたかは、公文に通っているせいでこのくらいの問題は簡単に解けます。ですから、先生に当てられても平気です。
 「ハーイ、ハーイ!」がうるさいので、今日は本読みに指名されました。元気がよくていいことです。本も上手に読めました。

 ここまでは、とてもよくて親である自分もニンマリしていたのですが、そのあと、この時間中はもう当てられることがないと判断したのでしょうか。緊張の糸がぷつりと切れて、なんと!寝てしまったのです。
 昨日のTVゲームで遅くまで遊んだことも影響したのでしょう。

 早くも、小学校2年生で授業中に寝てしまったのですから、この先思いやられます。授業が終わってから、本人にいろいろと注意しました(先生はあまり注意しないんですね)。
 堂々しているといえば聞こえはいいですが、ちょっとしょんぼりとして授業参観から帰ってきた父でした。
平成16年4月21日(水)
〜 NO.17 「ヌ・デレバ」と「ボストンマラソン」と「アテネオリンピック」 〜
 昨日の中日新聞(夕刊)に、「ボストンマラソン ケニア勢 アベックV 男子チェリガト 女子ヌデレバ」という記事の掲載がありました。
 ボストンマラソンは今年で第108回を迎えた伝統のあるフルマラソンです。毎年4月の第3月曜日に開催されます。
 「ボストンマラソン」を調べてみると
  「1896年4月、アテネで開かれた第1回オリンピック、世界で初めてのマラソン競走をスタンドで観戦したボストン・アスレチック協会会長のウィルソン氏は、深い感銘を受け、翌年、米国独立記念「愛国の日」の行事としてボストンマラソンを開催したのがボストンマラソンの始まり。数々の名勝負、名場面を生み出してきた最も伝統ある大会」とあります。

 日本では、山田敬蔵さんが第57回大会(昭和28年)で優勝。その時の優勝タイム2時間18分51秒は当時の世界最高記録でした(山田敬蔵 : 日本人2人目のボストンマラソン優勝者。前年のヘルシンキ・オリンピックのマラソンにも出場。その時の優勝者は、人間機関車で有名なザトペック)。
 その他(といっては失礼ですが)、日本人では第55回大会で、田中茂樹、第59回で浜村秀雄、第69回大会で重松森雄、第70回大会で君原健二、第73回大会で采谷義秋、第85回大会・第91回大会では瀬古利彦が優勝しています。ボストンマラソンの優勝者とは一流である証明でもあるわけです。

 しかしながら、今年はオリンピックイヤー。この時期に、ケニアの女子マラソン代表である「キャサリン・ヌ・デレバ」が出場してくるとは驚きでした。オリンピックまであとわずか4ヶ月程度で出場してくるのですから本当に驚きです!

 名古屋国際女子マラソンを走るとオリンピックまで約5ヶ月。疲労を回復し、再度練習を開始すると準備期間が無くなるという理由で名古屋を走らず、国内選考で漏れたのは記憶に新しいことです。日本では、超一流選手がマラソンの準備期間に6ヶ月は要するというのが一般的な見解です。
 しかしながら、外国では賞金稼ぎで3ヶ月、場合によっては2ヶ月のインターバルでマラソンに出場してくる選手も珍しくはありません。
 ヌ・デレバは、昨年の世界選手権では、最後に「野口みずき」をぶっちぎって優勝した実力者であり、ラドクリフ(イギリス)が破るまでの女子マラソンの前世界最高記録保持者であるわけですからそのタフネスさはなかなかのものです。

 今回のボストンマラソンの優勝が「吉」と出るか「凶」と出るか、高橋尚子のいないアテネオリンピックですがこういう見所もあると思います。
平成16年4月19日(月)
〜 NO.16 8歳になりました 〜
 平成8年生まれの長男”かずたか”も今日で8歳になりました。
 何といっても、かずたかは加藤家の第一子であます。夫婦共々どんな子供が生まれてくるのだろうとワクワクしていました。
 8年前の4月19日は、かずたかの誕生日であるとともに、わが夫婦が「人間がほ乳類であり動物である」ということを再度認識することになった日でもあります。

 話を戻しましょう。
 予定日を過ぎて、もうそろそろかなと思っていた19日の未明、ちょっとやばそうだということで夜中の3時半過ぎに自宅から国立名古屋病院まで車に乗ってきました。すぐに手続きをして出産を待ちました。
 午前7時45分。おぎゃーと言ったのかどうか、私は聞いていませんでしたが無事にかずたかが誕生したのです。
 いまでこそ、ちょっと”おでぶちゃん”になっているかずたかですが、生まれたときは身長50cm、体重3334gのいわゆる標準の赤ん坊でした。
 この日は少し寒い日で、病院の廊下で待っていた私は風邪をひいてしまいました。そのあと、私の咳コンコンがかずたかにうつって、みんなに怒られてしまったというエピソードがあります。
 8年前の今日は、かずたかが生まれた日であり、私が父になった記念すべき日でもあります。
平成16年4月13日(火)
〜 NO.15 逆上がりが出来るようになりました 〜
 最近、娘の通っている保育園の年長クラスでは”逆上がり”が流行っているようです。
 体を動かすことが好きなので、毎日みんなと競ってやっているようです。

 とうとう数日前、保育園の鉄棒の高さが違う三段すべてで「出来るようになったよ!」と家で自慢げに話をしていました。
 それならば!ということで実際の演技を朝、保育園に送っていったときに見させてもらいました。

 その出来ですが、親が思っていた以上に上手でした。
 最初のスタンディングも腰が入ってきれいですし、まわり方もスピードこそありませんがきれいにくるんと回っていました。

 今は、側転の練習をしているとかで、また出来るようになったらご披露したいと思います。

平成16年3月31日(水)
〜 NO.14 愛知製鋼陸上競技部監督に中山竹通が就任! 〜
 本日の中日新聞朝刊などに”あの”マラソンで活躍した中山竹通が愛知製鋼(愛知県東海市)の陸上競技部の監督に4月1日付で就任するという記事が掲載されました。

 現在彼は大阪産業大付高(’95〜)と大阪産業大学(’96〜)の監督を兼務していますが、どちらも目立った成績は出していません。
 というのも、彼の指導方針がいきなり都大路(全国高校駅伝の開催場所の京都のこと)を目指すようなものでなく、学生らと一緒に走ることを楽しみながら練習をしているためで、都大路を目指せるような能力の高い選手の勧誘もしていないからです。

 愛知製鋼は元日の全日本実業団対抗駅伝に21回出場している県内でもトップクラスの実業団ですが、今年は5年連続出場を逃したということで、陸上競技部の強化に乗り出したようです。
 県内での実力でいえば、トヨタ自動車アラコ愛三工業。ちょっと開いて愛知製鋼という順です。ただし、元日の全日本実業団駅伝(いわゆる「ニューイヤー駅伝」)に出場するためには中部地区で予選会を勝ち抜かなければならないので、三重県のNTN桑名八千代工業、静岡県のスズキ本田技研浜松などと中部の出場枠「7(昨年実績。年によって変動あり)」を目指して競り合いが続くことでしょう(青字は、’04の中部地区の出場チーム)。昨年の予選会は、7位の八千代工業(4時間13分11秒)と19秒差の8位(4時間13分30秒)でした。
 中山が愛知製鋼の監督に就任してどのように変わっていくのか、みんなで注目していきましょう。

    愛知製鋼の陸上競技部のHPはこちら → http://www.aichi-steel.co.jp/rikujyo/tfhp.htm

 なお、中山竹通に関しては、「挑戦 炎のランナー中山竹通の生き方・走り方」という本が出ていますので紹介しておきます。
平成16年3月29日(月)
〜 NO.13 公文で2科目まとめて進級しました 〜
 兄の公文通いに影響され公文に通い出したゆかこですが、3月に入って「算数部門」と「国語部門」の2部門ともに進級になり、教材進級賞(写真の表彰状のようなモノ)をいただきました。
 いつもは、あまり嬉しそうに公文に行っていないゆかこですが、今日はちょっと自慢そうに見せてくれました。
 算数は「3A」 → 「2A」、 国語は「2A」 → 「AT」に進級です。ちなみに、進度としては年齢よりも若干早めのようです。

 公文といえば、かつてCMに出演していた将棋の羽生善治さんでおなじみですが、その良さは類似の勉強法で「百ます計算」で有名な陰山英男さん(現 尾道市立土堂小学校長)がその良さを証明しています。
 繰り返し繰り返し、反復練習することにより子供に基礎学力が付いていくことを彼の著書の中で紹介しています。わたしもこの意見には賛成です。公文に行くのを嫌がっていた時期もありましたが、とにかく継続することが大切なので今後も何があっても行かせるつもりです。

 ちなみに陰山英男さんのHPはこちらです。 → http://www2.nkansai.ne.jp/sch/hpkage/

 参考までに、中学校までの公文の進度表を掲載しておきます。高校以降も別途あります
教材 算数・数学の内容 国語の内容 相当学年
8A うたカード、漢字カード 幼児

小1
7A かずかぞえへの導入、10までのまるのかず ひらがなことばカード、ことばあつめ
6A 30までのすうじの読み、20までのまるのかず ひらがな文(二語文・三語文)の読み
5A 100までのすうじの読み いろいろな文、ひらがな文の読み(30字程度の文章)
4A すうじの練習 ひらがなのなぞり書き、語彙力(名詞)、ひらがな文の読み(50字程度の文章)
3A たし算の導入 ひらがなの見写し書き、語彙力(形容詞・動詞)、ひらがな文の読み(70字程度の文章)
2A たし算・ひき算の初歩(暗算) 五十音表、助詞の学習、ひらがな文の読み(100字程度の文章)
A たし算、ひき算(暗算) カタカナ、教育漢字(書き順のまとめ)、基本文型、100〜150字程度の文章の読み 小1
B たし算、ひき算(筆算) 教育漢字(音と訓のまとめ)、主語、述語、修飾語、150〜200字程度の文章の読み 小2
C 九九、基本的なかけ算・わり算 教育漢字(熟語のまとめ)、文の成分、文末表現、200〜250字程度の文章の読み 小3
D かけ算、わり算、約分 教育漢字(部首のまとめ)、複雑な一文、パラグラフ、300字程度の文章読解 小4
E 分数(加減乗除)、分数と小数 教育漢字(同音異義語のまとめ)、接頭語、パラグラフのつながり、400字程度の文章読解 小5
F 分数(四則混合)、Xの値、文章題、小数 教育漢字(慣用句のまとめ)、指示語、パラフレーズ、縮約、500字程度の文章読解 小6
G 正負の数、代数、式の計算、方程式 常用漢字、縮約練習、総合読解(800字程度の文章) 中1
H 連立方程式、単項式、多項式、因数分解 常用漢字、縮約練習、総合読解(1,200字程度の文章) 中2
I 平方根、2次方程式、不等式、1次関数、2次関数、三平方の定理 常用漢字、縮約練習、総合読解(1,500字程度の文章) 中3
平成16年3月27日(土
〜 NO.12 ご苦労様でした。大先輩・花井さんの送別会 〜
 昨日、名古屋市内の某所で花井さんの送別会を行いました。
 今回は、比較的年齢層の低い集まりで女性も3名参加。いつもはこわ〜い顔をしている花井さんも目尻が緩みっぱなしでした。

 花井さんは、昭和42年に本県に採用され商工部工業課時代から連続18年高圧ガスの担当をされてきました。
 その後昭和63年から1年、平成6年から3年、平成14年から1年で通算して23年。在職期間が37年ですので、約3分の2を高圧ガスに関する仕事に携わってきた名実ともに「ミスター」です。
 自分は花井さんと一緒に仕事をした期間はわずか2年でしたが、厳しさ、やさしさ、ポリシーを兼ね備えた尊敬できる人物です。たぶん、上司にしたい人ランキングをしたら必ず上位に入ること間違いなしです。

 本当に37年間ありがとうございました。
 また、4月からもちょくちょく顔を出してカツを入れてやってください!お元気で!
平成16年3月24日(水)
〜 NO.11 日比野賞中日豊橋マラソンで好記録が出ない謎? 〜
 先日の日曜日に、第22回中日豊橋ハーフマラソンに参加しました。詳細については、参戦記に書いたとおりです。
 ハーフマラソンは、あくまでフルマラソンの前座的な位置づけで、やはり大会のメインはフルマラソンである「日比野賞中日豊橋マラソン」です。

 こちらは、今回で第52回を数える歴史的な大会です。
 最古のマラソンといわれるびわ湖毎日マラソンが第59回、旧朝日マラソン時代から数えて福岡国際マラソンが第57回、若手の登竜門といわれる別府大分毎日マラソンが第53回と回数だけみればその古さがよく分かります。
 また、大会名の冠となっている「日比野賞」とはプログラムには次のように記されています。

 ”健康は走ること”をモットーに生涯を走りつづけ、その独特の走法を世界にとどろかせた、「マラソン王」日比野寛(ゆたか)氏は、慶応2年(1866)11月3日、愛知県中島郡大里村に生まれた。愛知県中学校(のちの愛知一中)、一高を経て、明治28年東大法科卒業後、農商務省勤務4年ののち文部省に移り、明治32年母校愛知一中の校長となった。独特の教育方法は愛知県下だけでなく全国的にその名を知られていた。(中略)とくに昭和10年、68歳で海を越えて朝鮮釜山−平壌−雄基間を走破するなど指導と実践を壮者をしのぐ元気を見せた。
 昭和25年(1950)4月2日、脳出血で死去、83歳。
 中日マラソン大会では、郷土の生んだ日比野寛マラソン王の遺徳をしのび、第9回大会から日比野賞を制定、優秀選手に贈っている。なお愛知一中会では、戦時供出された日比野先生の銅像を再建せよとの声が高まり昭和41年3月21日、本大会当日、東海地区陸上競技界のホームグラウンドともいうべき瑞穂陸上競技場の正面に片岡静観氏作の銅像を建立した。

 
その歴史的な日比野賞中日豊橋マラソンも、ここ数年は記録面でいえば低調です。
 特に本年は、いわゆる実業団の選手が出場していないため、優勝タイムも2時間27分台になってしまいました。
 平成4年の第40回記念大会の優勝者「レックス・ウィルソン(バルセロナオリンピックのニュージーランド代表選手)」の2時間14分46秒(大会最高記録)のタイムは別格にしても、2時間20分〜2時間25分くらいが通常の優勝タイムです。
 また、一昔前ならば、2時間30分を切っていても10位にすら入れないこともありましたが、今年の10位の選手のタイムが2時間35分23秒ですから、優勝タイムのみならず上位の選手のタイムが低調であることがわかります。
 では、日曜日の気象条件が厳しかったのでしょうか?
 午前10時のスタート時の気温が12度。毎年吹き狂う風に悩まされる中日豊橋マラソンのコースにしては、風も穏やかで例年に比べると気象条件は恵まれていたと思います。

 そこで、この大会で好記録が出ない(出にくい)原因を考えてみました。
(1)3月は気温が高い日と、低い日があり、本大会が行われる3月20日前後は気温が読めにくく、20度くらいになると体感的には25度以上となりマラソンには向かないコンディションとなることが多い。
(2)マラソンでタイムに最も大きな影響が出る要因の「風」であるが、このコースは朝方は風が弱いが、昼になるにつれ強風が吹き荒れるコースになるためタイムが出にくい。
(3)コースの標高差は概ね30mであるが、途中でアップダウンがあり、意外とリズミカルに走れない。
(4)参加者が少なく、集団がばらけるため風の影響を受けやすい。
(5)参加者が少なく、集団がばらけるためひとりで走ることが多くなるとペースがつかみにくい。
(6)コースの大半は、係員以外に応援の人がいなく、頑張る気力が涌きにくい。
(7)歴史のある大会のわりに盛り上がりに欠ける。例えばオリンピックに出たような現役のメジャー選手を招待して、一緒に走ってみようという気になる大会作りがない(今は単に陸協役員が「走らせてやっているんだぞ」という雰囲気)。

 理由をあげればきりがないかもしれませんが、「記録が出ない → 不人気 → 選手が集まらない →記録が出ない」という悪循環になっているようです。
 今回のエントリーが158人。スタートしたのがわずか133名ですから、福岡、東京、びわ湖の3大国際マラソンなみの少人数です(国際大会は、参加資格が厳しいので当たり前ですが・・・)。
 自分自身も何度か日比野賞中日豊橋マラソンに出場しましたが、このコースでのベストタイムが2時間38分台ですから、満足できるタイムが出たとはいえないと思います。

 では、どうすれば同じ練習をしても「好タイムが出る条件」になるのか?
 それは簡単です。上の(1)〜(7)の逆の大会を狙って参加すればいいのです。つまり
(1)気温が10度前後であること(12月〜2月まで)
(2)風が吹きにくいコース、風が吹きにくい時期を選ぶ(春一番などは高温の突風で最悪です)
(3)高低差の小さな大会
(4)自分の狙っているタイムと同じような参加者が多い大会
(5)沿道の応援の多い大会
(6)招待選手(当然一流選手)の多い大会
ということになります。

 これらの条件が比較的合う大会としては、河口湖マラソン(11月、山梨県)、防府読売マラソン(12月、山口県)、別府大分毎日マラソン(2月、大分県)などがあります。

 やはり、マラソンは記録狙いです。記録の出やすいところに行って走るのが一番です。という話を昨日の昼休み、名城公園で名古屋市役所の佐藤くんと話をしました。

 結論!
 参加標準記録(フル3時間00分、ハーフ1時間20分)のある人は、是非とも防府読売マラソンに行きましょう!
平成16年3月20日(土)
〜 NO.10 村上巧くん やって来る 〜
 わが家に、息子かずたかの同級生の村上巧(むらかみたくみ)くんが初めてやって来ました。時任三郎似のいい男です(7歳ですが・・・)。
 先月一緒に遊ぼうという約束が一度流れてしまい、その時はちょっとしょんぼりしたかずたかでしたが、今日はとても嬉しそうでした。

 前から「村上くんが来たらポケモン・コロシアムで遊ぶ!」といっていたとおり、ゲームキューブで遊んでいました。
 ところが、長時間ゲームをやっていたので途中でかずたかが寝てしまい、村上くんが「かとうくんのお父さん!かとうくんねー、寝ちゃったよ〜」と連絡に来てくれました(ゴメン!)。

 ゲームが終わると次はバトル合戦。普通の子なら逃げていきますが、そこは村上くん。さすが一年生です。
 うちのかずたかが体重約47kgに対し24kgとほぼ半分ながら、バトルでは互角に戦います。妹のゆかこが、保育園でも一番大きいので村上くんとあまり身長差はないですが、強さはなかなかのモノでした。
 
 それから村上くんはお菓子よく食べました。
 バームクーヘンが好きとかで、今日は持参してきました。他に、加藤家で用意した「すっぱムーチョ」「おにぎりせんべい」「ベビースターラーメン」「アイスクリーム」など次々に平らげやせの大食いぶりを見事に発揮してくれました。

 ほかにハム太郎のカルタなどをして、わが家に約4時間滞在してくれました。
 坊主頭のかずたかに対して、ロン毛の村上くん。どの辺で気が合うのかオジサンはよく分かりませんが、いつまでも仲良く遊んでやってくださいね。



平成16年3月15日(月)
〜 NO.9 アテネオリンピック・マラソン代表の選考について 〜
 本日マラソンの日本代表が日本陸連の理事会、評議会で決定されました。
 男子は、国近(SB食品、福岡優勝)、油谷(中国電力、世界選手権2大会連続入賞)、諏訪(日清食品、福岡2位)が、女子は野口(グローバリー、世界選手権2位)、坂本(天満屋、大阪優勝)、土佐(三井住友海上、名古屋優勝)が選考されました。
 今回は男女とも選考が難航されると予想されましたが、選考の結果について個人的に、少々びっくりしました。

 というのも日本陸連と考え方が違うのでしょうが、個人的には
    男子 : 国近、油谷、小島(旭化成)、補欠−大崎
    女子 ; 野口、坂本、土佐、補欠−高橋
と考えていました。
 女子は予想通りでしたが「補欠の千葉」が、男子の「選考の諏訪」が予想外でした。

 「オリンピックでメダルまたは入賞を狙える選手」ということで、各大会で日本人1位になった選手よりも最終的にはタイムで早い選手が優先されたようです。

 結果的に
 (1)世界選手権で日本人1位でメダルを獲得した選手 → 野口(当初から内定)
 (2)世界選手権で2大会連続入賞 → 油谷
 (3)国内選考会で優勝した選手 → 国近、坂本、土佐
 (4)国内選考会のタイムでいい選手 → 諏訪、(高岡、千葉?)
という順で選考されたような気がします。

 (1)(2)(3)は納得できるにしても、(4)は結果的に天候に左右される部分が多いにもかかわらず、選考時にはそのあたりのことは加味されずに決まったような気がします。
 特に、高橋が女子の補欠にも入れなかったこと。
 男子では、大崎(NTT西日本大阪、東京2位)、小島(旭化成、びわ湖2位)も各選考レースで日本人1位にもかかわらず補欠に高岡(鐘紡、福岡3位)が入ったことからスピードを優先した内容となったことがわかります。

 このメンバーでオリンピックのメダルやメダルがとれるかはわかりません。選ばれたみなさんは選ばれなかった選手たちの分も含めて頑張って欲しいと思います。
 また、マスコミ各社も選ばれた選手たちに、プレッシャーをかけすぎないようによろしくお願いいたします。
平成16年3月11日(木)
〜 NO.8 自分のマラソン完走タイム予想 〜
 昨日会議の合間を縫って、本屋さんで「基礎数学」の本(写真左)を買ってきました。
 大学を出て以来、数学を活用して仕事をしたことはほとんどありません。せっかく覚えたことがきれいさっぱり忘れてしまっています。

 今回、この本を購入した理由は、今回のタイトルどおり「自分のマラソン完走タイム予想」をするためです。
 「数学の難しい式なんか使わなくても・・・」と思うかもしれませんが、逆に使えば1秒単位程度でも予測が可能です。

 「そんなこと出来るの?」と思われるかもしれませんが、これは立派な裏付けがあるからです。実際にそのタイムが出るかどうかはどうかは別にして、そのタイムが出る可能性があるという指標を示すものです。

 今度の日曜日には「名古屋国際女子マラソン」、来週の日曜日には「日比野賞中日豊橋マラソン」と県内で男女のフルマラソン大会が連続して行われます。この2つの大会には、「自分のマラソン完走タイム予想」が少し間に合いそうもないですが、出来次第、「ランニング」のコンテンツの中で発表したいと思います。お楽しみに・・・。

 それまでに、みなさん十分な練習をしておいて下さい。
平成16年3月8日(月)
〜 NO.7 城本徳満さんのからの電話 〜
 「りりーん」。午後9時55分。こんな遅くに誰だろう?
  K : 「はい、かとうです。」
  S : 「ああ、あのーシロモトですけども・・・。」
  K : 「えーっ!シロモトさん?」
 そう。トライアスロンをやっている人間で、城本さん(別名「チャンコさん」)を知らない人はモグリであるといってもいいほど、トライアスロンの黎明期から活躍している人である。現在も選手生活を送る傍ら大阪狭山市で自身の店「トライアスロンショップ シロモト」を経営している。

 城本さんの店の一番の売れ筋は、いうまでもなくウェットスーツである。ほかの店で買ったあと、城本さんのショップのウェットスーツを着ると、その製品の性能の高さがとてもよく分かる。
 特に素晴らしいのは、生地の柔らかさでありストレスを感じさせない。
 柔らかいという点だけ見れば、他のショップでも過去から売られているが、強度がなくすぐ破れてしまう。
 城本さんの製品は、そのあたりを見事に改良して強度もしっかり出している。

 さらに素晴らしいのは城本さんのたゆまないアイデアである。
 セパレートタイプのウェットスーツを発表し、この世界でみなをあっといわせたこともあった。
 ITU規格もクリアし、オリンピックでの使用ももちろんOK。トップアスリートの9割以上が使用している(と思われる)ことからも、その良さがわかると思う。


 ひわさうみがめトライアスロンの参戦記にも書いたが、最初に徳島に向かおうとして和歌山でフェリーに乗る寸前に大会が中止になった。そのまま名古屋に引き返すのも何だからということで、城本さんのショップへ足を運んで、せっかくだからということでそのままウェットスーツの採寸をしてもらい購入した。

 長良川大会には間に合って着用して泳ぐ。泳いでみるととても気持ちよく泳げ、上がってきた時のタイムも予想より1分はよかった。ここまではよかった。しかし、泳いだあと腕が疲労してウェットスーツがうまく脱げない。見かねた係の人が少し手伝ってくれたが、これからのシーズンにむけて気になることの一つになっていた。

 ところがである。今月号のトライアスロンジャパン(2004・4月号)の城本さんのショップの広告を見ると、なんと、「オレが去年買ったウェットスーツにファスナーが付いてるやんか!」とびっくり!!!
 あわてて、先週城本さんのところに「昨年買ったウェットスーツにファスナーをつける改造できますか〜?」とメールを入れておいたのである。
 すると、その返事が今日の電話である。

 実は、城本さんとは1時間くらい電話をしていた。というより98%くらいは、城本さんが話をしていたのであるが・・・。城本さんに一度会ったことがある人ならわかるが、ホント話し好きな人である。イヤミがなくて面白い。でも電話代大丈夫ですか?

 自分個人としては、城本さんの話し好きで面白いという点よりも、お客さんを大切にする姿勢がとっても好きである。トライアスロンの商品をトライアスリートの立場から見て自ら設計、自らテスト、自ら評価している点が素晴らしい。これは出来そうで意外にも実践できているメーカは少ない。

 城本さんのような個人企業が、これだけのことをしていくのはなかなかたいへんである。製品にかかる開発費用はバカにならないからだ。城本さんの全盛期の試合でのパフォーマンスが、そのまま商品開発に注がれているといって良いと思う。

 で、改造に関する回答は、
  「もちろんオーケーですよー!」
ということであった。

 昨年から、この脱ぎやすさの問題を抱えていろいろと試行錯誤を繰り返していたようである。今回発表したのは、自分なりに満足いくものが出来たために新製品として発表したということだそうだ。

 何度も
  「去年製品化できなくてすんまへんでした」
と謝られていたが、こちらとしてはたいへん恐縮してしまった。ウェットスーツが進化している最中のことだからやむを得ないと思う。

 ちなみに、ツーピースタイプのものでフロントファスナータイプへの変更は1着5,000円。ロングジョンとフルウェットなら5,000円×2=10,000円となるそうだ(税別、送料別)。

 なお、宮古島大会でさらに開発中の新製品の披露をしたいと語っていた(加藤には教えてくれたが・・・)。
  「その内容だけは、HPで書かんといて」
と念を押されたので、マル秘とさせて頂く。電話の内容からすると、自分としても興味のそそられるものであった。ホントに城本さん、トライアスリートの心理を良く読んでおられる。

 くれぐれも倒産だけはしないようにお願いします。少しは儲けて下さいね。
平成16年3月6日(土)
〜 NO.6 長嶋茂雄さんとトライアスロン 〜
 昨日の朝刊の一面に「長島さん脳卒中で倒れる!」という記事が掲載されていました(その後、夕刊で脳梗塞と発表しなおし)。
 「長島さんって68歳なんだぁー!」と思ってしまいました。フツーの家なら、いいおじいちゃんです。サラリーマンだった人なら、とっくに会社を退職して、時々孫に小遣いをやるのを楽しみとしている若めのおじいさんですよね(妻の父は、長島さんと同い年らしく、まさにこういう生活をしている)。

 さて、長島さんの野球に関することについては、いろんなところで言い尽くされているのであえてここでは論じませんが、長島さんとトライアスロンの関わりについて少しお話ししたいと思います。「えっ、関係あるの?」と思われる方がいるかもしれませんが、それがあるんですねー。「あのミスターがトライアスリートだった?」。早とちりしないように。人の話は最後まで聞きましょう・・・。

 長島さんといえば、あの明るいキャラでありまた野球での実績抜群でいろんなところで引っ張りだこ。巨人の監督(一次:1975年〜1980年、二次1993年〜2001年)をしていない時などは、その宣伝効果を狙って各界からラブコールがあったと思われますが、1985年に日本トライアスロン連盟の初代会長に就任されたのが長嶋茂雄さんでした。

 当時、トライアスロン界には国内団体が2団体ありました。
 一つはトライアスロンを商業ベースで発展させていこうという「日本トライアスロン連盟(以下「連盟」という)」という団体。
 もう一つは、各地域のクラブ・トライアスリートから自然発生的にできた各地区のトライアスロン協会の上位団体である「日本トライアスロン協会(以下「協会」という)」という団体、の2つがありました。
 この2つの団体はとても仲が悪く、どちらも日本を代表するトライアスロンの窓口であるといっていました。

 連盟は、長島さんが会長をするくらいですから、スポンサーがたくさん付いていたお金のある団体です。「営利目的でトライスロンの競技の側面を見ていない」と協会側関係者からは揶揄されてもいましたが、悲しいかな、その協会側はピュアで立ち上がってきただけにお金には乏しい団体でした(いつも赤字だったらしい)。

 その後、トライアスロンがオリンピックの正式種目になるということが決まり、日本から選手を派遣するにも国内に窓口が二つあると良くないということで、この中の悪い2つの団体が紆余曲折を経て、平成6年4月に統合されて日本トライアスロン連合となり今日に至っているのです。

 かつてその連盟が主催していた大会に、天草国際トライアスロン(熊本県本渡市)があり、私も平成3年、平成4年と2回ほど長島さんが会長をつとめている頃に出場していました。当時の天草大会は、世界選手権選手派遣選考を兼ねていて、日本のトップアスリートが集う大会でとても賑やかでした。

 古い記憶であまり定かではないのですが、自分の出場したこの2回ともスターターをつとめたのが会長の長島さんで、2回のうち1回は前日のカーボパーティーから参加されていました。
 この天草大会1985年に第1回が始まり、当時私が出場したのがそれぞれ第7回、第8回大会で、今年の6月の大会が第20回の記念大会になります。
 また、この歴史のある天草大会は、オリンピックディスタンス(51.5km:Swim1.5km、Bike40km、Run10km)の日本の発祥の地であるという側面があるのです。

 ちなみに天草大会のメイン会場の本渡海水浴場からほどなく離れたところに広瀬公園といスポーツ施設のある公園があります。長島さんがこの天草に何度も足を運び、天草(本渡市)を有名にしたという功績でしょうか、ここにある広瀬公園野球場は、なんと「長嶋茂雄球場」と命名されているのです。クイズ番組の問題に出てきそうなネタですが・・・。
(サイトはこちらにあります) 
  http://www.citydo.com/prf/kumamoto/area_amakusa/kenbun/kanko/hondo001.html

 こうして、日本のトライアスロンの初期の頃、普及活動に貢献したのは長島さんなのです。かつて、トライアスロンの実況放送をしている時にゲストで出てきて、ちんぷんかんぷんなことをお話ししていた長島さんではありますが、早く一日も病状が回復して、テレビでトライアスロンのお話しをまたして欲しいと思います。
平成16年3月3日(水)
〜 NO.5 ひなまつり 〜
 今日で我が家も5回目のひな祭りです。先月の下旬からあわててひな人形を出しました。
 3段の小さなものですが、家の2階のそのまた上の屋根裏部屋から引っ張り出すので、男の自分としては結構手間で面倒な作業です。年に数日のために重労働を強いられるので、自分にとっては結構憂鬱な季節です。

 ところでひなまつりにケーキを食べる習慣というのは、いつ頃から始まったのでしょうか?
 今回わが家にあらわれたケーキ(写真左上)は、三越・星ヶ丘店の「クラーク シーゲル」というケーキ屋さんのもので、値段は何と3,500円(税別)。クリームは軽めで、おいしくいただきました。

 さてさて、自分が小さい時のお話しです。
 わが実家ではケーキを丸ごと1個買ってもらう習慣がありませんでした。子供の誕生日でも、必ず買ってくるのはショートケーキかシュークリーム。ひどい時には和菓子です。
 父が洋菓子があまり好きでなかったため、母が気を遣っていたためと思われます。
 小さい時から、一度でいいからケーキを丸ごと1個ひとりで全部食べることが小さい時からの夢でした(実際に食べたことはありませんが・・・)。
 ですから、人形を出すことは嫌いですが、ひな祭りのケーキを食べることに関しては自分の中では楽しい行事という位置づけになっています。

 さて、このひな祭り。終われば人形の後片づけが待っています。出すのも面倒ですが、片づける方はもっと面倒でホント気が乗りません。
 30過ぎて独身でいる女の子のいい訳の一つに、「小さい時に3月3日にひな人形を片づけなかったから・・・。」というのがあります。毎年、同じネタのこの話がこの時期、あちこちで飛び交います。自分の独身のせいを人形のせいにされるひな人形たちって、この時期とっても気の毒!
 ゆかこには、ちゃんとお嫁に行ってもらうので、これからちゃんと片づけます。大きくなってからいい訳をさせないようにするために・・・。 
平成16年2月26日(木)
〜 NO.4 マニフェスト公開! 〜
 今年も早いもので、まもなく2ヶ月が過ぎようとしています。
 最近歳をとったせいか、時のたつのが速く感じます。一年などあっという間。最近は時間が惜しくてしょうがありません。とはいえ、人間誰でも平等に24時間しかもらえません。
 で、ボーッと一年が過ぎるのを防止するために今年は元旦に「’04 お父さんのマニフェスト」を作成してみました。当然マニフェストといえば公約。初公開です!(たいしたことが書いてないですが・・・)
 (1)本年中に、マラソン・トライアスロン・高圧ガスをテーマにしたHPを立ち上げる。(成功!)
 (2)天草国際トライアスロン(熊本県)でエイジ別優勝!(6月の大会です)
 (3)長良川国際トライアスロン(岐阜県)で愛知県勢第1位(昨年は2位でした)
 (4)フルマラソン2時間30分台(これが一番たいへん!)
 (5)トラック5000mで16分ひと桁秒(これまたたいへん!)

とまあ、欲張って5つも作ってみたのですが、何とか(1)のHPは気合いを入れたせいで、当初の予定の3月1日から半月あまり早い2月15日に開設できました。
 「高圧ガスの受験対策」の中にも書いてありますが、他人に宣言することによって自分を追い込んでいく手法は自分自身に厳しくなり手が抜きにくくなります。さらに、宣言することによって、周りの人から応援をしてもらうとことがエネルギーに変換されるので、皆さんにもお勧めです。
 トライアスロンやランニングを15年以上もしていると、毎年毎年、継続していくための動機付けを作るのがたいへんです。マンネリ化しないように工夫していかなければいけません。それが出来なくなると、きっと「足を洗う」ということになるのでしょう。今年は、この動機付けがなかなかなく、「マニフェストによる宣言!」によって自分を追い込んでみることとしてみました。
 さて来年は、愛知万博のサブイベントとして、トライアスロンの世界選手権が蒲郡で開催されます。実は、この大会のエイジグループでの出場を密かに狙っています。詳細な選考基準はまだ出ていませんが、どんな形でも対応できるように今年も主要大会を転戦していく予定です。
 マニフェストの(2)(3)は、まあそのための大事な大会です。今年も歳がいなくオジサンパワー全開でかっとびますので、応援をよろしくお願いいたします。
  平成16年2月24日(火)
   〜 NO.3 高圧ガス製造保安責任者試免状・甲種化学が届きました。 〜
 待ちに待った「高圧ガス製造保安責任者試験・甲種化学」の免状が、高圧ガス保安協会から届きました。これまでに、第一種冷凍機械、甲種機械の2種類の免状の交付を受けているので、これで3つ目です。3つの試験の中では一番苦労して取得した割には3個目の免状なのであまり実感はありません。長男は大事にするけれど、次男、三男は・・・。と同じようなものでしょうか。
 免状の現物の画像は、管理人の過去の戦績にアップしてあります。
 ここで気づかれた方はなかなか「ツー」なのですが、今回の免状はどういうわけか経済産業大臣の印が実際に朱肉を使って押してあります。過去2回は印の刷り込みで、「あまり重みがないなぁ〜」と思っていたので、今回だけはちょっぴり重みのある免状が手に入ったのが嬉しかったですね。
  平成16年2月21日(土)
   〜 NO.2 ゆかこスイミングで進級!
 
 毎週土曜日は、下のチビ”ゆかこ”のスイミング(東邦スイミング)の日です(兄は金曜日に行っている)。昨年の10月から通い出しました。
 で、本日進級テストがありめでたく合格しました(ニコニコ)。いままで一番下の「グッピー」というクラスでしたが、来週からは「ローチ」に進級です(兄はその上の「トラウト」というクラス)。家に戻ってきてこの合格証を嬉しそうに見せてくれました。
 ここで東邦スイミングを少し紹介します。場所は、東邦高校の中にあります。
 東邦高校といえば、野球などでもおなじみですが、水泳でも”あの”千葉智雄くんの出身校だけあってそのレベルもなかなかです。
 クラスは、下からグッピー、ローチ、トラウト、カープ、サーモン、ブルーフィン、ドルフィン、シャーク、ホエール、ネッシー、選手・育成とあり魚の名前にちなんでネーミングされています(おいしそうなのもある)。
 で、それぞれのクラスに泳力基準が設けられています。それだけに上達の速い子はすぐに進級、遅い子はなかなか上がれません。子供のうちから厳しい世界です。
 自分が水泳が苦手なので、水泳だけは小さいうちからやっておかなければということで子供たちにも行かせています(もちろん子供の意志優先です)。将来はオリンピック選手、それとも・・・と期待するのは親バカでしょうか?
  平成16年2月15日(日)   
〜 NO.1 根羽村に雪遊びに行って来ました。
 
今日は家族で長野県の根羽村(ねばむら)に行って来ました。
 といっても愛知県の最高峰・茶臼山のすぐ裏(北側)の過疎の村です。先月の地下鉄のスタンプラリーの時に、名古屋市の施設「エコパル名古屋」で、ゆきこが目ざとくチラシを見つけたのがきっかけでした。
 根羽村主催で、往復交通費・昼食代込みで3,500円(幼児は無料)。バス1台を貸切ってのツアーでした。
 参加者が37人(幼児がうちのゆかこを入れて2人いた)で村としては完全に赤字と思われるツアーでした。

 内容は、名古屋駅8時30分集合。グリーンロードから足助の町を抜けひたすら国道153号線を北東へ。11時過ぎに根羽村の村営の施設に到着しました。早速昼食です。
 その昼食、村の人の手作りで「五目御飯とけんちん汁」。これが実にうまかった。自分の口にはピッタリの味。かずたかもうまいうまいとたいらげてしまいました。

 その後ここで着替えて、雪遊び会場へ。どこへ行くのかと思いきや、何と茶臼山。「えっ、ここって愛知県じゃないの?」というところ。スキー場のリフトもすぐ向こうに見えています。県境が微妙なところですが、まあ許しましょう。
 きょうのメニューは、かまくら作りとソリ遊びで本当に幼児〜小学校の低学年向けでした。
 かずたかは、かまくらの穴がうまく掘れずにいじけ気味。ゆかこは、最初ぐずっていましたが、母とソリで遊んでいるうちにニコニコではしゃいでいました。
 遊んでいる時間が2時間少々。バスに揺られている時間の方が長いツアーでした。