NO.61のひとりごとへ
 
平成20年7月25日(金)
〜 NO.60 近鉄と赤福と食の安全 〜
 今日は午後から出張で飛島村に出かけました。
 行きは名古屋駅からあおなみ線に乗って金城ふ頭駅経由で出かけましたが、保安検査後は近鉄蟹江駅へ送ってもらい帰りは近鉄で名古屋駅経由で戻ってきました。

 ところでこの「近鉄・名古屋駅構内」は、名古屋市内で私の最も好きな場所の一つです。
 その理由は、この近鉄名古屋駅は名古屋市内では珍しく旅情あふれる駅であるからです。

 ざっとその理由を挙げると
(1) 近鉄名古屋駅は終着駅であり、ホームが行き止まりになっている。
(2) この駅に売っている駅弁、おみやげがJRや名鉄と違って地方ものが多い。
(3) ホームの奥から特急が出発するときに流れるメロディー(「ウェストミンスターの鐘」+「ドナウ河のさざなみ」という曲らしいですが・・・)。これが特にいいんだなあ〜。ホント旅情を誘いますね〜。
ということで、どこか旅に出かけたわけでもないのですが、ついつい「赤福(ご存じ”伊勢名物”ですね)」を買いたくなってしまいました(パブロフの犬と同じでしょうか?)。

 「赤福」といえば、つい10日ほど前に長島温泉に出かけたときに買って帰ってきてみんなで食べようとしたのですが、不覚にも疲れて横になってウトウトしているうちに、子どもたちにほぼ食べ尽くされてしまいました。今日はそのためのリターンマッチです。

おなじみ「赤福のパッケージ」

ピンクの包装紙の下はこんな感じ。ヘラも付いています

さらに開けると木の薄い上紙がかぶっています

いよいよ赤福登場!8個入り700円!

赤福争奪戦のスタート前のにらみ合い!

 例の食品の安全の問題で一時は大きくたたかれた「赤福」ですが、「赤福」ファンというのは実に多いですね。赤福を嫌いという人は聞いたことがありません。

 赤福のあの独特のうまさは、何というか、あんこが「こしあん」なのだけれど、あのしっとり感じが実にいいですね。そして付属の木のヘラを使って食べるというところがさらに情緒的、味わいを高めるのではないでしょうか。品の良さを感じますね。

 さて予想通り、夕食後は赤福を見た瞬間、子どもたちが寄ってきて赤福争奪戦が始まりました。

 私は前回のリターンマッチで、今回は何とか最低でも3個は食べようと気合いを入れてはいたものの、じゃんけんで子どもたちに負け、結局食べられたのは2個でした・・・。残念

 それにしても食の安全について不安視される昨今ですが、人気者の「赤福」。これからも昔ながらの製法を守って消費者のハートをつかみ続けて欲しいですね。
平成20年5月1日(木)
〜 NO.59 オヤジの至福 〜
 先月19日で長男・かずたかも12歳になりました。
 つまり、私も父親として12年が経過したことになります。

 子どもが小さいうち、特に赤ん坊の時にはやることなすことがかわいいですが、次第に大きくなってくると意志が芽生え、ある程度の年齢になると会話ができるようになります。子どもたちも大きくなってくるので、自分たちの一方的な意志を伝えるだけでなく、親からの意志も自分の中で受け止めたり、考えたりするようになります。

 簡単に言えば、意思疎通がだんだん高度化していきます。互いに、だんだんレベルの高い会話ができるようになってくるわけです。もちろん、こういうように成長していくのは親子だけでは成り立たず、子どもたちの生活圏、つまり小学校や友達の付き合い、学童保育所など複数の場を通して成長が繰り返されていきます。

 たぶんよその家でも同じなのでしょうが、子どもが成長していくのは親として非常に楽しみであります。
 親としては「こういうように育って欲しい」という願望は、みなさんそれぞれ必ずあるかと思いますが、私のその一つにいろんなことに興味を持って欲しいということがあります。
 その中でも、子どもたちに習慣づけをして欲しいことに読書があります。学校の図書館などで本を読むことは非常に大事なことであります。子どものうち、読書が習慣づけられていないと、大人になって非常に苦労します。

 そういうこともあって、私は子どもたちが小さな時から身の回りに本を置く、若しくは本を買い与えて読書を習慣づけるようにさせてきました。本にかかるお金はわが家ではたぶん一般家庭の平均値よりかなり多いと思います。

 今日は、月に1回の小学4年生、小学6年生の発売日です。
 もちろん私が買って、家に持って帰ってきますが、子どもたちは「待ってました!」といわんばかりに、本をむさぼりついて読み出しました。もちろんご飯などそっちのけ!本を読むことを習慣化したせいでしょうか。こういう子どもたちの姿を見ているとオヤジとして”至福”を感じますね〜!
平成20年3月31日(月)
〜 NO.58 3月末で無くなったもの(08年版) 〜
 好評の「3月末で無くなったもの」シリーズが3年ぶりに復活です。

 身近なものでいえば、私の職場の関係では、今日まで休日等と夜間の非常配備の呼び出しが本日で終了。これで、いつ呼び出しがあるかわからない、夜中の電話からしばらくは解放されそうです。

 そして替わりに、明日からは当直制度がスタートします。
 防災関係の初動体制を整えるには、当直制(宿直&日直)の方が立ち上がりが早いというものです。年間約11〜12回程度ですの、大体月1回くらいでしょうか。まあ、個人的には予定が立てやすいのでこちらの方がいいですね。


今日で学童保育所も退所。みんなに寄せ書きをしてもらいました。5年間お世話になりました。
 さて、家族の関係でいくと、長女・ゆかこが(1)公文学習塾(2)東海スポーツのサッカー教室(3)日曜日に行っていた絵画教室を辞めます。4月からは4年生。学校での部活を楽しみにしているので、平日の習い事は辞めたかったようです。

 また、長男・かずたかは(1)学童保育所(2)日曜日に行っていた絵画教室を辞めます。

 特に学童保育所は、他の親御さんからも退所については引き留めがありましたが、親子共々の諸般の事情にてかずたかは6年生を待たずして退所することになりました。5年間本当にお世話になりました。(長女・ゆかこは学童保育所を継続します)

 本日は、お別れ遠足ということで学童の子どもたちとお昼に出かけてお弁当を食べたようです。帰りには、子どもたちの寄せ書きの色紙も頂きました。みなさんありがとうございました。

 少しずつですが、子どもたちも大きくなって親の手から離れる準備を始めていることがわかります。少しずつですが自立していってくれると親としては嬉しいものです。

 最後に親としては、私-学童保育所の役員から、妻-子ども会の役員からもうすぐ手が離れそうです。
平成20年3月23日(日)
〜 NO.57 ニコーと笑ってビール3本 〜
 先週の水曜日のことです(19日)。
 この日は水曜日には珍しく、昼から降り始めた雨が夕方になっても止まず水曜日の名城公園の練習会を中止にしました。特異日というのがありますが、ここ1年くらいは、水曜日の夜はほとんど雨が降ったためしが無く、まさに「特異曜日」でした。

 練習会も中止になったので、珍しく、水曜日にそのまま帰宅しようかと思いきや、急遽、次年度のスケジュールの打ち合わせを3人でもしようということになり、練習会後に出かける「おにぎりの里(=通称「おにぎり屋」:桜通交差点角)で、一杯交えて打ち合わせをすることにしました。
 ちなみにこの店は、自販機でビール等を買って、食べたいもは自販機でチケットを買って注文するというスタイルの店。朝から晩まで開いています。朝食時、昼食時は、本当にうどんやそばなどを食べに来る人でしょうね。一応、店の名前の通り「おにぎり」もたくさん置いてあります。席もカウンター席だけ。非常に敷居の低い店でしょう。

 話を戻しましょう。
 いつもなら少なくとも午後8時過ぎにしか来ない面々が、午後6時前に集合。廻りの客層もいつもと違いますね。

 打ち合わせを初めて、約10分。
 「おや?」と思ったら、そこにはわが妻の職場の元上司で、結婚式にも来てくれたM岡さんが入ってきたではないですか!この店ではいろんな人に遭遇しますが、こういうパターンは初めてです。
 思わずニコッと笑って「こんにちは!」と・・・。先方さん、誰かとこの店で待ち合わせのようです。

 ところがしばらくすると、自販機で”キリン一番搾り”を3本(それも500ml)を差し入れてくれました!もちろん「どうもありがとうございます!」ですね。
 ちなみに、家に帰ってこの話を妻にし、「明日お礼をしておいてね」と頼んでおきました。

 次の日に、妻から「目があったらニコーて笑ってくれたので嬉しかった」そうです。まさかこの「ニコー」がビール3本に化けるとは・・・。当たり前ですが、愛想はいい方がやはりいいようですね。
平成19年12月27日(木)
〜 NO.55 静かな朝 〜
 毎日、通勤で歩く千種台中学校周辺の道。
 歩道一杯に我が物顔で歩くA高校生も冬休みとあって、駅からすれ違う学生の数もちらほら。すがすがしいですね〜!毎日こうであって欲しいなあー。あー、気持ちがいいです!(しばらくは・・・)
平成19年12月23日(日)
〜 NO.54 加齢による体力低下は10年で2%? 〜
 私も40歳を過ぎてはや5年が経過しました。時間が経つのは速いものだとつくづく思いますね。

 今回のテーマは「加齢」と「体力低下」です。
 加齢による体力低下が始まっているのは40歳頃ではなくもっと早くから始まっているようです。しかしながら実感するのは個人差があるものの、私の場合は40歳頃からでした。
 ただし実感するのは、日常生活よりも走ること、つまりランニングによるタイムの落ち込みです。

 しかしながら曲者(くせもの)なのが、「加齢による体力低下」なのか「仕事や私事による忙しさによる練習不足」なのかが混同されていて、そのウエイトの判断が難しいところです。

 この謎を解決するコラムが「トライアスロンJAPAN」誌の2008年1月号に掲載されていました。タイトルは「『年をとると体力は低下する』のウソ・ホント」です。61ページに掲載されています。

 コメントとを要約すると
 (1)適切にトレーニングを行うことができれば、加齢によって低下する体力は10年で2%
 (2)体力の低下は生理的な現象であること以上に、ライフスタイルや生活習慣に依存する。
 (3)年々体力が低下したとしてもその原因には加齢そのものの影響は4分の1しか関与していない。

 (4)練習の強度や量を維持さえすれば、パフォーマンスを維持できるか、低下したとしても最小限に抑えられる
などです。ひと言でいえば、「もうトシだから・・・」という言い訳は通用しないということ。

 さあ、年をとっても練習しましょう!
平成19年9月30日(日)
〜 NO.53 伯母の葬儀と従兄弟との再会 〜

従兄弟(左)と私 (蒲郡市五井町にて)
 「9月25日(火)に伯母(私の母親の兄嫁)が亡くなった」と翌26日(水)の出勤間際に電話かがかかってきました。以前から糖尿病で体調がよくなく、介護を受けていると聞いていていました。今年のお盆に、母と子どもたちを連れて、母の在所に行ってきましたが、そこには伯母はいなく入院中でした。

 今回亡くなったのは、母の兄嫁にあたる伯母です。
 母の実家の跡を継いでいる兄の家(母の在所)ですので、私も小さい頃から何度と訪れていたので、伯父伯母ともよく可愛がってもらいました。まあ、子どもにとって見れば小遣いを貰いに行ったようなものです。その伯父も、数年前に他界。今回伯母も他界で、本当に寂しくなってしまいました。

 27日(木)に葬儀に出かけてきましたが、一昨年になくなった父方の伯母の葬儀以来。母方の親戚が多く来ていましたが、久しぶりに従兄弟(いとこ)に会いました。この従兄弟は、私の2つ年下なので比較的年も近く話が合います。久しぶりに近況を語ったところ、子どもは小学校1年生と2年生でうちの子どもたちと年も近く、また遊ぼうということで別れました。

 20代〜30代の頃は冠婚葬祭といえば、ほとんど結婚式でしたが、最近は法事や葬式の頻度が高くなってきました。今まで可愛がってもらってきた伯父、伯母、叔父、叔母が亡くなるのは寂しいことですが、こういう機会に従兄弟と再会するのも悪くはないなと思いました。
平成19年8月20日(月)
〜 NO.52 猛暑と持病 〜
 7月は雨も多く、ここ数年の夏では比較的涼しく過ごしやすく「今年は暑くならない?」と思いきや、8月になってからはご存じの通り猛暑日(最高気温が35以上の日)が続く。
 今から13年前の’94年(平成6年)も、今年のような猛暑が続いたほか、渇水で日本中が困った年だ。この中部地方も渇水で困った年だった。

 この’94年という年は、自分にとってひとつの持病をいただいた年だ。
 当時は、仕事で主に企業廻りをしていたのであるが、夏風邪が治らない。体もだるく、鼻水が止まらない。妻には「おかしいから耳鼻咽喉科に行ったら?」といわれ、当時、義母(妻の母)の通っていた名古屋駅そばの耳鼻咽喉科に出かける。そこで待っていたのは「ちくのーしょーですよ。レントゲンで見るとこのあたりが真っ白で相当腫れていますよ」と診断された。そう「ちくのーしょー」とは「蓄膿症(以下「蓄膿」という。)」のことだ。副鼻腔炎ともいうらしい。

 蓄膿とは、「鼻腔の周囲の副鼻腔という粘膜で裏打ちされた空洞が存在し、急性、アレルギー性の副鼻腔炎が長引き、膿汁の副鼻腔内の貯留、炎症性の粘膜肥厚、骨格などにより副鼻腔に膿が溜まりやすいなどが原因で慢性的に炎症がおきているもの」らしい。
 もう少し簡単に言えば、ちょうど鼻のの左右の目の下あたりのところに副鼻腔という空間があり、そこに膿が溜まるのである。蓄膿になると、頭が痛くなったり、肩がこったり、歯が痛くなったり、もちろん鼻から黄色いレモン色の鼻汁がたっぷり出てくる。倦怠感もひどい。

 ’94年以来、疲労が溜まると蓄膿が現れる。特に冬場が厄介だ。
 もともと風邪をひくと鼻と喉がやられることが多かったので、鼻が詰まるようなことがあれば必ずと言っていいほど蓄膿が「こんにちは」と顔を出す。有り難くない友達だ。顔を出せば、速攻で耳鼻咽喉科に行って薬をもらうしかない。

 8月16日(多治見で40.9℃を記録した日)に、午前・午後で3件完成検査に出かけたせいか、今日は朝から左の鼻が痛い。やばい、蓄膿の前兆だ。歳をとってきたせいか何事も疲労の回復が遅く、この悪友が手ぐすねを引いて待っている。有り難くないが、生涯この友達と付き合っていかなければならいようだ。
平成19年8月17日(金)
〜 NO.51 沖縄考 〜

岩波書店/1,800円
 昭和59年9月に大学生時代に初めて沖縄を訪れて以来、
  A平成4年のトライアスロン宮古島大会
  B平成9年の家族旅行
  C平成18年の家族旅行
と4度訪れている。沖縄は、北海道と並んで日本の中ではいわゆる「日本離れ」した感じがあるので、旅行は非常に楽しい。透きとおった海の色、ゴーヤチャンプル、パイナップル畑、ちんすこう、ステーキハウス、海ぶどう・・・。食べ物の名前がたくさん出てくるのは、自分の知識の無さを暴露してしまうようで恥ずかしいが、沖縄でなければ楽しむことのできないものはたくさんある。
 また、沖縄というのは、のんびりとしたところであり(これは事実だ)、また、長寿社会であるというイメージがある。

 先月、ある方と飲み会の席で「沖縄料理はおいしいですね。こういうものを食べると長生きできるんですかね」とお話をしていたところ、「加藤さん。沖縄は長寿社会といわれているけれど、そうでなくなってきているんですよ。いい本があるので紹介しましょう」ということで、その本の抜粋をいただいたが、この中にはかなり深刻な内容が書かれていた。中途半端に情報を仕入れたくなかったので、本屋に本を注文し読むことにした(右写真)。この本を読んで感じたのは、やはり沖縄は日本ではなくて「琉球王国」として歩んできた方が幸せであったかもしれないということだ。

 沖縄がそもそも日本離れしているのは、その沖縄の位置と歴史に大きな関係がある。沖縄の歴史は「琉球」の歴史といってもよい。

 「琉球」とはもともと中国から与えられた呼称で、かつては台湾島を小琉球、沖縄島を大琉球と呼んでいた。
 沖縄本島では、三山時代といわれる有力者の抗争を経て、1429年に尚巴志(しょうはし)王が南山を滅ぼし三山を統一を果たし、明皇帝の認証を得て、自らを琉球王国と公称する独立国となった。
 「琉球王国」の呼称は1429年から1879年までの約450年用いられた。「琉球王国」は東シナ海に位置することから、朝鮮・中国・日本・東南アジア諸国・スペイン等の国との中継貿易によって栄えた。

 琉球王国は建国の経緯から明(のちに清)を宗主国としていたが、1609年に薩摩藩の侵略を受けて日中両属となった後、1872〜79年にかけての琉球処分(琉球藩設置から、廃藩置県までの一連の流れのこと)により、完全に日本に併合された。

 太平洋戦争の末期の1945年4月、米軍は55万人の兵力で沖縄本島の読谷村から上陸し、すさまじい砲撃と空襲を加え進攻してきた。圧倒的なアメリカ軍の力の前に、首里城地下を本部にした日本軍との間で壮絶な地上戦が行われ、沖縄県民も沖縄防衛隊を配置、多くの一般人も戦闘に参加し、日本軍と共に亡くなっている。
 実質的な沖縄戦は7月4日に終了し、9月7日に降伏文書が取り交わされた。沖縄戦における合計戦死者数は約20万人とされ、うち約12万人が沖縄県民、アメリカ軍は死者・行方不明者を合わせ1万2千人であった。

 第二次世界大戦後、アメリカ合衆国はこれまでの歴史的経緯と政治的理由から、沖縄県を中心とする旧琉球王国領を日本とは分離し、琉球政府を置いて軍政をしいた。アメリカ側には一時期、「琉球国」として日本からの分離独立を目指す意図もみられたが、県民の強い意向により、1953年に奄美諸島、次いで1972年に残る全域が「沖縄県」として日本帰属を回復し、現在に至っているという歴史がある。

 沖縄は今では平和になったが、相変わらず米軍基地が置かれ米軍との間でのトラブルも絶えない。過去の歴史を見ても、沖縄は外部から戦禍に巻き込まれやすいところに位置していると言っていい。特に太平洋戦争では、日本の端に位置することから、日本を代表して民間人までが戦争に巻き込まれ犠牲になった感が否めない。
 また、現在の「沖縄」は、47都道府県のうちのひとつであるが、首都東京からみれば日本の端に位置することには間違いない。経済的な面、物流の面では非常に不利な位置にあると言っていいかもしれない。県民所得の低さ、失業率の高さがそれを物語る。

 15世紀の中旬に尚巴志(しょうはし)王が南山を滅ぼし三山を統一を果たし、琉球王国として独立したものの、約200年間、中継貿易により栄え平和ボケしたために、武力を整えることをしなかったため、日本(薩摩藩)に攻められてしまったのであろう。あのとき頑張って、薩摩藩の侵略を跳ね返していたら未だに「琉球王国」として別の道を歩んでいたかもしれない。太平洋戦争による犠牲者もなく、東アジアの独立国としてまた東アジアのほぼ中央という立地条件を生かし、また違った道を歩んでいたかもしれない。
平成19年8月4日(土)
〜 NO.49 参議院議員選挙と安倍首相 〜
 7月29日の参議院議員選挙の結果については、既にご存じの通りである。私が思っていた以上に自民党の大敗だったと思う。平和ボケしている日本国民も、自分がかけている年金については非常に関心が高かったということだ。
 年金問題をはじめとする安倍首相の対応のまずさに「NO!」を突きつけたと言っていい。

 あれだけの惨敗にもかかわらず、退陣しない安倍首相の鈍感さには敬意を表する。
 彼の対応のまずさにより、今回の選挙で落選した自民党議員も相当いるはずだ。落選議員のホンネは、「首相の対応が良ければオレは落選しなかった」と思っているに違いない。衆議院議員選挙までは、まだしばらく時期があるが、万が一、来月あたりに衆議院解散→総選挙をすることになれば、政権がひっくり返ることは間違いない。それだけに、今回の選挙における首相の惨敗の責任は非常に重い。いまさらいうまでもない。

 あまり自分の職場の話しをしたくないが、わが職場でも同様のことがいえる。
 最近、非常に申請者からの苦情が多い。種種の申請にかかる決裁が遅いことに対してである。私の裁量の範囲で出来ることも限られている。このあたりの情報が、上司に的確に伝わっていないせいか非常に鈍感である。「親の気持ち子知らず」という諺があるが、「部下の気持ち上司知らず」といったところだ。わが職場の運営についても選挙をして有権者の審判を仰いで欲しいところだ。
平成19年7月12日(木)
〜 NO.48 雨の日に配達される新聞 〜
 「カラ梅雨?」と思われた今年の梅雨ですが、ここ数日は雨続きでどうもカラ梅雨ではなさそうですね。
 梅雨時の悩み事といえば、外出時に衣類が濡れることや洗濯ものが乾きにくいことがありますね。

 この時期職業としてたいへんなのが、新聞配達です。
 日本は新聞を各家庭に配達するという制度があるので、雨の日の新聞配達はたいへんですね。私が、蒲郡市の実家に住んでいる頃には、雨の日の新聞はたいてい新聞の隅の方が濡れていたり、場合によっては時々破れていました。

 ところが結婚して名古屋市千種区の千種台界隈に引っ越してきてから15年。わが家では一貫して中日新聞を購読していますが、その配達は中日新聞・自由ヶ丘専売店「澤木新聞店」さんにお願いしています。
 朝刊の配達は午前5時頃、夕刊の配達も午後4時半頃で早く新聞を見たい私には配達が早くて助かっています。

 もうひとつ澤木新聞店さんから新聞を配達し始めて感じたのは、雨の日には必ず新聞がビニール袋に包まれていることです。機械を使ってラッピングの作業をしているのでしょうが、配達する数が膨大なので想像するとたいへんです。
 しかも新聞が、新聞屋さんに到着する時間が決まっているので、前日から準備というわけにもいきません。時間との勝負になります。

 雨の日のこの新聞のラッピング・サービスを見ていると気持ちが和んできますね(天気の読み間違えで、時々、雨でもないのにラッピングされてくるときがあります。「はずれた〜」という声が澤木さんの方から聞こえてくるような・・・)。
平成19年7月3日(火)
〜 NO.47 基幹バス 〜

名古屋市営の基幹バス
 今日は、午後から子どもの授業参観のため休暇をとった。仕事は午前中で終わりだ。
 授業参観は、13時45分からなのであわてて帰ることもない。久しぶりに、地下鉄に乗らずに基幹バスに乗って帰宅した。

 基幹バスのうち、基幹2号は名古屋市交通局と名鉄バスが共同運行する路線だ。
 名古屋市交通局は「栄−引山・四軒家」と「名古屋駅−光ヶ丘・猪高車庫」の路線を、名鉄バスは「名鉄BC−長久手車庫・菱野団地・三軒家・赤津など」の路線を持つ。乗客数が多く、朝夕は専用レーンを持つ路線だ。
 わたしが毎日乗っている地下鉄名城線の自由ヶ丘駅が平成15年12月13日に開業する前までは、毎日お世話になったモノだ。ところが、地下鉄が開業したことにより名古屋駅−自由ヶ丘・猪高車庫(現在は「名古屋駅−光ヶ丘・猪高車庫」)の運転本数は1時間あたり6本から3本に激減した。
 わたしの自宅から最寄りのバス停は「希望ヶ丘4丁目」であり通勤先の最寄りのバス停「市役所」まで約20分であるが、朝夕は渋滞に巻き込まれなかなか定時運行が出来ていない。地下鉄は「自由ヶ丘−市役所」間の所要時間16分。毎日定時運行。遅れることは余程のことがない限りない。

 地下鉄は、時間も早く定時運行である反面、ひとつだけ残念なことがある。それは景色が見えないことだ。
 毎日バスに乗って通っていた頃は、バスからの車窓で四季の移り変わりや、バスの運行路線から「新しくあんなところに店が出来たね」ということが楽しめた。

 急ぐことがなければ、のんびりと(でもないけれど)バスからの車窓も楽しい。約20分、今日は小旅行をした気分になりました。
平成19年6月18日(月)
〜 NO.46 上司 〜
 わたしの職場に、4月から新規採用のY田さんが入ってきたお話しは、平成19年4月2日付けNews NO.272「新採クン」でしました。約2ヶ月間経過しましたが、若いせいか何事も吸収しようという姿勢がよく、わたしからは十分に合格点が出すことが出来ます。こういう新採のY田さんばかりであれば、職場の雰囲気も良くなり過ごしやすくなることは間違いないのですが、そうならないのが現実です。

 以前にも話しをしたかと思いますが、わが職場とお隣の名古屋市役所とは仕事のスタイルが180°異なっているといわれています。名古屋市役所はいわゆるボトムアップ型。下からの意見を反映させるスタイル。
 反対にわが職場の県庁は、トップダウン型。上層部の意向を反映させるタイプの職場といわれています。どちらも一長一短があるのでどちらがよいとは一概に言うことは出来ませんが、事案にあわせてどちらのスタイルをとっていくのがよいか考えるのがいいでしょう。

 いずれのタイプにおいても、仕事を旨く運ぶためのキーマンに上司の存在があります。
 「上司が悪いから、雰囲気が悪い」という話しは良く聞きますが、「部下が悪いので雰囲気が悪い」という話しは聞いたことはありません。それだけ、上司が部下に対して発する影響が大きいということに他なりません。

 わたしも、新人Y田さんにとっては上司になるので、彼に対する影響力が大きいという自覚を持たなければなりません。彼に対して十分に上司として接しているかと、胸を張って断言は出来ませんが少なくともいろいろ気は遣っています。少なくとも、今の職場は彼のふるさとになるわけですから、スタートラインとしていい思い出にして欲しいですし、気持ちよく仕事をして欲しいと思っています。

 で、わたしの上司といえば・・・。たまには、その手の本でも読んで欲しいですね。切実に・・・。
平成19年6月11日(火)
〜 NO.45 パイレーツ桑田 〜
 新聞・テレビ等で既に報道されているとおりであるが、元巨人の桑田真澄がメジャーデビューした。39歳のその年齢からオールド・ルーキーと称賛されているようだ(これまでは36歳の藪、小宮山、斎籐隆らが最年長デビューだったが今回これを更新!)。巨人を退団し、メジャー挑戦。本人は修行と言っていたから本心で野球が好きなのであろう。

 わたしも高校1年生で夏の甲子園に清原と一緒に出場していた頃から桑田を知っている。よくよく考えれば20年以上も前にさかのぼる。「当時はすごい奴が現れた!」と思った。巨人時代の活躍についてはあらためて説明する必要もない。ただし、王・長島らのような華やかさは彼にはない。どちらかといえば地味な部類にはいるといえる。しかしながら、巨人ファンでもないわたしでも、当時から桑田は一目をおいていた。クロウトうけするピッチングに対してだ。また、そのピッチングが憎らしいほど好きだった。

 試合の前半はのらりくらりと投げる省エネ投法。要所では150キロ近い速球で空振りの三振に打ち取る。終盤の8回、9回になればなるほどスピードが増していく。手のつけれられないピッチャーだった。今のピッチャーでいえば、黒田(広島カープ)が似ている。先発すると「今日は勝てない」というイメージを植え付けてしまうようなタイプのピッチャーだった。

 しかし、昨日のテレビを見る限り全盛期の桑田の面影はない。
 全盛期に比べ、体、腕ともしなりが全くない。球速も最高で140キロ程度のようだ。それでも、対ヤンキースで2イニングでロドリゲスのホームラン1本に押さえたということは、メジャーでもコントロールさえよければそこそこ何とかなるという証明をしたということかもしれない。確かに、桑田は昔からコントロールは良かった。

 ピッチャーはバッターと違って、自分の体を削りながらボールを投げている。消耗品なのである。桑田とて「勤続」疲労には勝てなかったのだ。しかしいつまでもチャレンジしていくスピリッツは素晴らしい。松坂がメジャーデビューして騒がれるのとは違った意味で桑田には頑張って欲しい。桑田には「あいつが頑張っているから自分も頑張ろう」という勇気をもらった気がする。
平成19年5月28日(月)
〜 NO.44 ツバメ 〜
 今朝方、子どもたちと一緒に出勤するときに、毎日通るクリーニング屋の前で「父ちゃん。ここにツバメの巣があるんだよ!」と教えてもらいました。
 なるほど、ツバメの巣があります。雨風を避けられる場所にひっそりと作ったのでしょうが、泥公害で、店主が段ボール箱で泥よけが作られていました。

 巣の中には、既に卵からかえった雛が数羽、親鳥がかえってくるのを待ちわびて「ピィピィ」鳴いていました。

 春の風物詩ともいえる「ツバメ」。
 巣を作っても、たいていはこのように保護されることが多いですね。
 しかし、これが鳩だったら、カラスだったらどうでしょうか(カラスはこんなところに巣は作らないでしょうけど)。う〜ん・・・。ツバメはとっても「えこ贔屓(ひいき)」してもらっているような・・・。うらやましい限り!たまにはツバメと入れ替わって過ごしたいような気がするのは私だけでしょうか。
平成19年3月18日(日)
〜 NO.43 理系離れと法令遵守 〜
 一昨日、次年度の職場の内示(下っ端の方のみ)がありました。次年度も引き続き、高圧ガスの仕事を担当させていただきます。よろしくお願いいたします。

 さて、何ヶ月前か忘れましたが、高校生の理系志望離れが進んでいるという報道がありました。センター試験の後くらいですかね。志望大学の調査か何かのことだったと思います。
 (いい加減な記憶でスミマセンが、)その報道によりますと理系離れが加速している理由に、医者などはその労働環境の悪さ、特に開業医ではなく勤務医のことでしょうね。また、事務系の職場に比べて残業時間の多さなどが指摘されていました。

 私が思うのは、理系企業、問題点を簡単にするために「製造業」と考えていただいてもらって結構ですが、そういう企業が今の世の中で、非常にやりにくくなってきているような気がします。
 その原因の一つが「コンプライアンス」を和訳したといわれている「法令遵守(新聞等では「法令順守」と書いてあります)」です。ライブドア事件や村上ファンド事件など、一部理系企業でない企業の「コンプライアンス」も取り上げられていますが、大半は理系企業の案件が多いと思います。(今年の1月に「『法令遵守』が日本を滅ぼす」という興味深い本(写真)も出版されています。)

 三菱自動車のリコール事件、不二家の賞味期限切れ事件、パロマ、リンナイ、ハーマン、松下などの燃焼器具メーカの一酸化炭素中毒事故など。ちょっと前では雪印乳業の食中毒事件というのももありましたね。

 社会を賑わせる事件というのは毎日のように発生しているわけですが、その中でも製造業に対しての風当たりは特に厳しいように感じます。一般消費者に対して、生産したモノが製造者の手を離れて使用や消費されるのですから、どんな使い方をされるかわからないので、メーカーとしてもいろんなことを考えないといけないでしょうが、そういうことに対しても限界はあります。

 二週間前にスーパーで買ったほうれん草が傷んでていても、誰も文句いいませんよね(売るときに傷んでいれば話は別)。ところが、20年以上使っている湯沸かし器が一酸化炭素中毒になると大問題。100年使っていても文句いわれるんですかね?最初から、「湯沸かし器の使用期限は10年です。それ以上は保証しません」とか言っちゃえばね、消費者も「そーかあ〜。湯沸かし器の消費期限は10年だからそれ以上は使えないんだー」とね思ったりしてね。

 世の中の人も、何かトラブルがあると「法令守っていないんじゃない?」というように思う風潮があるみたいですね。もちろん法令を守らないより守っていた方がいいに決まっていますが、守っていれば絶対大丈夫かと言えばそんなことはありません。パロマさんだって、法令に対して違反していることは(今のところ)無かったはずです。ただ、企業として「法令は守って来たのだから問題はない」というような、社会の求めるニーズから外れた発言がウケが悪かったのだと思います。

 どちらにせよ、私たちの身の回りにあるモノは製造業の会社から作られてくるモノばかりです。少なくともモノはね。しかし消費者が過剰にいろんなことを言うから、法令も厳しくなって製造業の会社も保証だの何だのって、製品を本来製造する部分以外のところでコストがかかりすぎるようになってきています。このままで行くと国内から特殊な分野をのぞいて、製造業が無くなってしまいかねません。

 パロマやリンナイの製品における一酸化炭素中毒の大半は、消費者の換気不足若しくは換気方法の誤りです。新聞などはすべて製品に欠陥があったと言わんばかりの書き方ですけどね。世の中が便利すぎると、その原理原則が見えなくなってくるのも非常に心配です。

 私も理系人間の一人として、子どもには理系の人間になって欲しいと思って、最近、私が小学生の時に愛読していた「科学」と「学習」を購入しました。息子も大変興味深く、付録で実験などをして楽しんでいます。日本の製造業が空洞化しないように、わが家ではその芽を育てているところです。
平成19年3月9日(金)
〜 NO.42 昇華と消化 〜
 ここ数日寒いですが、今年は概ね暖冬でしたね。
 暖冬が続くと、雪が少ないということで、夏場に向け渇水の心配があるそうです。

 昨日、某テレビ局の「報道ステーション」を見ていたところ、関東の水瓶である「矢木沢ダム(群馬県にあるようです)」のまわりは、例年ならば豪雪のはずが、ところどころ地肌が見えていました。現在の貯水率は58%とかで、これから雪解け水で貯水量が増えていくはずなのですが、今年は非常に雪が少なく心配だそうです。

 そこで気象庁が、このダムの周辺で強制的に雪(雨?)を降らせる実験をしていました。30kgほどのドライアイスを、飛行機から雨雲の中に散布するというものです。こうすれば、雨雲の中でドライアイスが「消化・蒸発」して雨雲を刺激して雪(雨?)を降らすことができるというのです。

 「消化」?
 レポートしているアナウンサーは「しょうか」といっていましたが、テロップでは「消化」と出ています。「ドライアイスを消化するってどういうこと?」
 高校で化学をちゃんと勉強した人ならすぐにわかりますよね。ここは「消化」ではなく「昇華」が正解。ドライアイスやナフタリン(防虫剤)のように「固体→気体」、若しくは、「固体→気体」に相変化することを昇華といいます。

 半分、眠たかったので、「そのうち誰かテレビ局に抗議の電話でもするだろう」と思っていましたが、案の定10分ほどしてテレビで訂正が入りました。世の中には、お金を払っていちいち抗議の電話(たぶん)をわざわざしてくる人がいるんですね。正義の味方?

 それにしてもホントは「消化」よりも「消火」の方が、まだマシだったなあ。
 なぜならば、ドライアイスならぬ二酸化炭素(炭酸ガス)は、ビルなどの消火剤に使われているんですよ!余談ですが・・・。
平成18年12月22日(金)
〜 NO.41 判断力 〜
 一昨日の12月20日(水)、この日は午前/午後ともに出張で、自宅をややゆっくり出かけた日です。最寄り駅・自由ヶ丘から本山を経由して名古屋駅に向かう予定でした。

 偶然にも地下鉄・自由ヶ丘駅ホームで近所の名古屋市役所のMさん(女性)とお会いしたので列車が来るまで雑談をしていました。大きな荷物を持っていたので「どこへ行かれるの?」と尋ねると、「これから上京。国へ予算折衝に出かける」とのこと。名古屋駅で他の方と待ち合わせをしているとのことでした。

 9時17分、乗車予定の名城線・右回りの列車がホームに入ってきました。
 乗車するやいなや、「ただいま日比野駅で人身事故が発生しました。名城線全線運転を見合わせています」とアナウンスが・・・。列車はホームに停車したままです。
 この「人身事故」という言葉がクセもの。
 地下鉄ですので「人身事故」といえば、列車と接触か飛び込み自殺、またはホームからの転落などでしょう。具体的なことを知らせる必要がないかもしれませんが、乗客としてはいつ運転再開されるかが気になるところです。
 私も名駅から1kmほど離れたところのビルに検査で10時までに行かねばなりません。それどころか、先ほど話をしていたMさんも「新幹線が9時58分。いつまで停まるのかしら・・・」と、とても不安げ。刻一刻と迫ってくる状況にどうするか決めなければいけません。

 「タクシーで本山に一緒に行きましょう!」と私が提案しました。
 Mさんも大きな荷物を持っていそいそと改札口へUターンです。「私が先に外に出てタクシー押さえておきますよ」と。しかしながらそういうときに限って、地下鉄自由ヶ丘駅のロータリーにタクシーが1台も止まっていません。流しをつかまえるしかありません。

 そこへ1台のタクシーが通りがかりました。
 すぐさま停めて、Mさんと一緒に乗り込もうとしますが、他にも焦っている女性が2名(20代と50代くらい)ほどみえました。「本山に行きますが一緒に乗りませんか」と私がお誘い。理由はわかりませんが、皆さんそれぞれ時間に猶予がなさそうです。50代の女性は「私は星ヶ丘」と言っていましたが、とりあえず急いでいるもの同士タクシーに同乗です。途中道路工事が3カ所もありみんなイライラです。

 9時30分ころ、無事本山駅前に到着です。
 東山線に乗り換え名古屋駅には9時48分に到着しました。Mさんも何とか新幹線には間に合うような時間でした。久しぶりに即断を迫られるような出来事でした。(人身事故は自殺のようで、長時間列車が止まっていたようです。自殺された方のご冥福を祈ります)

 ところでタクシー代はどうしたのって?ご想像にお任せしま〜す!
 
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