01 私の取り組み事例(その1) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
始まりは名岐駅伝の出場資格が取れないことだった 平成11年2月6日の別府大分毎日マラソンで2時間30分46秒で走りましたが、この記録を出すまでの取り組みを説明します。 わが某県庁クラブでは、チームの目標を冬場の名岐駅伝競走の出場ということで過去から取り組んできました。 しかしながら、交通事情の悪化で参加チーム数の枠が狭められ、平成4年2月2日の本戦出場を最後に予選会の通過が難しくなってきました。 その後の予選会の成績は、
現在もそうですが、予選会の通過枠が6チーム(概ね前年上位15チーム+予選会通過6チーム。昔は前年上位20チーム+予選会通過10チームだった)です。 年によって第6位の通過タイムは変動しますが、概ね2時間8〜9分程度です。にもかかわらず、わがクラブは毎年確実に自力が落ちていました。新人もほとんど入ってこないので、「名岐駅伝の出場」をクラブの目標としてこれ以上継続して行くのは難しいと判断しました。 自分の中でのモチベーションを下げないために、モチベーション作りをしました。名岐駅伝競走に変わるそれが「名古屋男子30キロロードレース」の出場でした。 この大会は、名古屋国際女子マラソンと併設の大会で、テレビではほとんど取り上げられませんが、マラソンへの登竜門としてクロウとウケする大会でした。
自分にどの種目の適正があるのかわからなかったので、とりあえず手当たり次第に資格取得のために参加しました。 名古屋男子30キロロードレースの参加に照準 平成5年の秋〜6年の前半は、これまでのランナー人生の中で、最もスピードに磨きがかかっていた時代でした。
再挑戦失敗。そしてこの年で「名古屋男子30キロロードレース大会」は無くなった 暑い夏が過ぎ、再度秋から挑戦です。
平成7年3月に向けて最後のステップとして平成6年の年度末に寝耳に水の情報がありました。 それは、「名古屋男子30キロ」は、平成7年3月の開催で終了。それ以降は11月の名古屋20キロロードレースと統合するというということです。うーん、まいった!何とか最後となる平成7年3月のこの大会に参加しなければいけません。1月15日の県ロードレースが最後のトライアルです。 そして、参加標準記録突破の運命をかけた最後の大会である「’95県ロードレース(庄内緑地公園で開催。今はこの大会はない)」は、最悪の天候でした。翌週に豊橋の10マイルがあるのですが、豊橋は風が強く気象条件が望めないので捨てて、平坦な庄内緑地で10キロ31分台を目指すよう一本に絞っていました。 大雪に引導を渡された ところが朝起きるとどうでしょう。何と一面銀世界です!雪で各地の成人式が大混乱した年です。 家から会場の庄内緑地公園に行くのにも車を何とか走らせ、たどり着きました。会場にはほとんど人はいません。それもそのはず。この大雪でメインの庄内緑地公園のトラックも一面銀世界です。 このとき初めて走るのに「風」以外にも「積雪」という大敵があるということを知りました。 愛知陸協の役員さんたちが、開催するかどうか相談しています。 結局、除雪をするのに少し時間がかかるので、スタート時間を遅らせるという措置で大会を開催することにしました。 ところが除雪をするといっても、役員さんの数は知れています。いつまでたっても競技場のトラックは除雪されません。結局、除雪してきたのはトラックから出て周回なるコース上のかなり積もったところだけでした。トラック内は、スタート場所だけ除雪です。そこ以外レーンは一切除雪なしです。 とても寒い日だったので、ランシャツの替わりに初めてTシャツを着て走りました。未だに公認大会でTシャツを着て走ったのはこの大会だけです。 未だに覚えてるのは、スタート直後競技場を1周するときの足音。普通なら土を蹴る「ザッ、ザッ」という音なのですが、このときばかりはふかふかの雪を踏みつける「キュッ、キュッ」という音でした。もうこれではまともに走るどころではありません。 競技場外でも、庄内緑地公園の一周約2.3kmの周回コース上には、散歩をした人の轍(わだち)があるだけです。ランナーも雪の上で足をすべらせるわけにはいかないので、この狭い轍の上だけを走ります。後ろにつくと抜くに抜かせません。 また、走っているときにコース上に犬の散歩をしている人がいて、さすがにその人を追い抜いていくときには轍からはずれて追い越していきました。 走っている途中でも雪がどんどん降ってきて、走れば走るほど体が冷えて来るという最悪の天候でした。結果は狙っていた31分台どころか33分も後半の最悪のタイムでした。 こうして、2年がかりで臨んだ名古屋男子30キロロードレースも参加することなく開催が終了してしまいました。こうして、次の目標を探すことになってしまいました。 |