第23回酒田砂丘マラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
酒田といえば北前船、最上川、酒田大火 酒田を訪れるのも今回で3回目。 日程的に市内をのんびりと観光する日程を組んでないため、いま一つ酒田に関して理解が少ないかもしれないが、酒田のことについては徐々に知識が増えていると思う。
特に西回り航路が整備されると、酒田は港町として栄えるようになり、その繁栄ぶりは「西の堺、東の酒田」ともいわれ、奥州屈指の港町となっている。現在も山形県唯一の重要港として指定されていることから、今も昔も港町であることには変わりない。 また俳人の松尾芭蕉も奥の細道で山形県を訪れている。 松尾場所がこの山形県で詠んだ有名な俳句に「閑さや岩にしみ入蝉の声」(山形県・立石寺)、「五月雨をあつめて早し最上川」(山形県・大石田町)などがあり、この最上川の河口は酒田市内に位置する。 今回酒田駅から会場の東北公益大学までの道中でバスの車窓からこの雄大な最上川を眺めさせてもらったが、街の中にこのような川が存在するというのは市民としても誇りに思うのではないだろうか。 また昭和51年10月、市の中心部の映画館から出火し、22.5haを焼失した酒田大火は有名だ。当時私は14歳。いまだにかすかにこの大火の記憶がある。 1,767棟が焼失し、被害総額は約405億円にも上るといわれている。死者1名、被災者約3,300名の大火事 であったが、今回、市の中心部も訪れたが、もはや大火の爪痕はなかった。 近場ならともかく、わざわざ旅費をはたいて遠出するのであれば、あらかじめ遠征先の予備知識を頭に入れて大会に行くのも、大会出場の楽しみの一つであり、アフターレースを充実させるのにはいいことだと思う。 今年の酒田は池田久美子、酒田南高校
陸上競技ファンなら「イケクミ」の愛称で知られている池田久美子はご存じだろう。 酒田市出身の池田久美子は、8月の北京オリンピックに女子走り幅跳びの日本代表で出場する。昨年(平成17年)の中日ドラゴンズのナゴヤドームの開幕ゲーム、対ヤクルト戦で始球式をつとめたのは記憶にあるだろう。ちなみに始球式時のユニフォームの背番号は「7m」(日本人女子初の7mジャンパーを目指してという意味)。 また、酒田南高校は山形県代表として3年ぶり8回目の甲子園出場を果たす。また、男子駅伝チームも昨年の都大路へ出場。こちらは2年連続4回目の出場。私立高校らしくスポーツ活動が活発のようだ。 ただし今回、酒田市内には10時間ほど滞在したが、これらの話題に市民が大騒ぎしている雰囲気はなかった。お年寄りが目立った関係もあろうか。静かに応援しているような。 得意の夜行バス
今回も旅費の節約で、往復とも夜行バス。0泊3日の荒旅行だ。 3月以降、夜行バスを利用するのはこれで4回目。「寝られる?」とか「疲れない?」と聞かれることが多いのであるが、正直に言えば「よく寝られない」しまた「疲れる」のである。 だからといってそれが走るためのパフォーマンスに大きく影響するかといえば、10km程度までであればさほど感じない。むしろ走るためのパフォーマンスに大きく影響するのは、事前の練習での仕上がり具合や練習の疲労の抜け具合であり、睡眠の不足については食事の摂り方よりも影響は少ないと考える。ビッグな大会になればなるほど、夜一睡も出来ずに朝をむかえたという話しをよく聞く。それでも優勝している選手がいるわけだから、その事実が私の考えを代弁してくれていると思う。 大リーグの野球選手などは、試合が終わってから何千キロもバスや飛行機で移動する。スポーツ選手というのは、そのくらいのタフさがないと勝てないということだろう。 どこに出かけるのも夜行バスが一番安いとはいわないが、新幹線が走っていないような地方都市に出かける場合は、かなりの確率で夜行バスが安いようだ。 涼しくなかった酒田 名古屋は梅雨明けしてから連日35℃を超える猛暑日が続く。名古屋のみならず東海地方は連日、どこかの都市が最高気温ランキングに顔を覗かせる。 この地から北上すれば、この暑さからわずかな期間だけでも開放される期待を込めて酒田に乗り込んだのであるが、そのわずかな幸せも酒田に到着して2時間ほどで砕かれた。 さすがに午前7時頃は「やっぱり東北。涼しいね〜」と思いきや、酒田市内を走る循環バスに乗って会場に到着した頃にはすでに30℃オーバー!午前9時には主催者側から、「ただいま気温が32℃です。今後も上昇する見込みです。熱中症になりやすいので水分補給を十分してください。また、体調の悪い人は勇気を持ってやめてください」と繰り返しアナウンス・・・。 コースの下見を兼ねて少しばかりウォーミングアップに出かけたが、非常にゆっくりでも汗がタラタラ・・・。5kmくらいは下見をしようと思ったのであるが、とてもじゃないけれどレースまでもたない。 再び会場に戻って、ストレッチなどに時間を費やした。 コースの途中には田んぼもあり湿度も高い感じ。「山形まで来てこの気温、この湿度とは・・・。」運がいいとしか言いようがない?
調整ミス? 10時ちょうどに「小学生・2kmの部」がスタートしたのを皮切りに、「1.5km親子の部」、「中学生・3kmの部」と続々スタートしていく。距離としては短いが、朝からの暑さにどのランナーもまいっているようだった。10時30分には、いよいよ自分の出場種目の「10kmの部」がスタートする。 昨年のこの大会の記録については調べておいたのであるが、45歳以上の部門については驚くようなタイムではなかった。むしろ警戒するのは、新たにこの部門に参入してくるランナーだ。ただし山形方面のランナーに対する知識がほとんどないので、今日は特定のランナーをマークするのではなく、自分のパフォーマンスを発揮することだけを考える。
10時30分、300名を超えるランナーが一斉にスタートする。 東北公益大学のグランドの1コーナーと2コーナーのちょうどその間くらいがスタート場所だ。250mほど走ってから、4コーナー手前の坂を少し登りグランド外へ出て行く。 10名ほどのランナーが私の前にいるが、ナンバーカードが一枚しか配布されていないので(背中にナンバーカードが付けられていない)、私の同年代のランナーが何人いるのかはわからないが、頭髪や雰囲気などから推測すると一人だけがいるような感じだ。 とりあえずこのランナーをマークして走るものの、どういうわけか今日はたいしてスピードを出していないにもかかわらず呼吸が苦しい。まるで標高1,000m以上の高地を走っているような感じだ。ハートレートモニターを見るが心拍数もたいして上がっていない。明らかに事前の調整ミスだ。暑い日が続くので疲労がたまりすぎないように、軽めに仕上げてきてしまったせいだろう。 競技場の周りを一周半してから本格的に一般道に出て行く。さきほど下見をしたところであるが、湿度の高い田んぼの中は辛い。 3kmほど走ると松林の中の上り坂に出る。幾分か涼しくなったもののピッチは上がらず、相変わらず本調子とはほど遠い内容だ。ここまでにも後続のランナーに3人ほど抜かれる。今日はいったいどうなることやら・・・。 給水で生き返る
登り切ったところには、首を長くして待ち望んでいた給水所がようやく現れた。まさに「命の水」。プラスチック製のコップを二つ取り、一つは背中へ、もう一つは口へ含むが余った水は頭からかぶる。 気温の高い日には、十分に給水して脱水症状を防ぐことのほか、体温を下げないとパフォーマンスが下がってしまう。細かい説明は省略するが、汗以外にも体温を強制的に下げてやることがパフォーマンスの低下を防ぐ効果がある。 水をかけることによって、特に体温を下げる効果がある箇所は、頭と背中だ。今日のような気温の高い日には、この2つの箇所を集中的に冷やすことによってパフォーマンスの著しい低下を防ぐことが出来る。 今回これをまさに実践し生き返る。 給水所の水が、これまたよく冷えていて、体も非常に「シャキッ!」とした。バイパスをまたがる道路を越えると今度は下り坂。気分も変わったので、ここから追い上げを開始する気になる。 ようやく正気になって、さきほど私を抜いていったランナーたちをよーく見てみると、誰もが決して余裕のある走りをしているようには見えない。 スタートしてから18分ほど経過しているので時間的にもうすぐ折り返しだろう。この大会には距離表示が全くないので、距離については勘で走るしかない。 「東北エプソン」という看板を右手に折れると折り返し地点だった。これまでにすれ違ったランナーは約18人。同年代以上のナンバーカードのランナーは4人(実際には勘違いで3人だったようですが・・・)ほど前にいる。思っていた以上の人数だ。この人数が今日の苦戦状態を物語っている。
折り返し地点からすぐさま一人抜き、さらに追撃態勢を固める。ようやくエンジンがかかってきた感じだ。 再びバイパスに近いところまでやってくる。ここからは先ほど下ってきたところを再び登ることになる。 バイパス上の給水所くらいでまた一人を抜き、同年代と思われるランナーとも30mほどの距離まで接近してきた。150mほど前にもう一人同年代のランナーがいるようであるが、ゴールまでの距離もあと3kmもないので詰めるのはやや厳しい状況だ。 バイパスをまたぎ左折すると、今度は先ほどの松林の間の坂を下ることになる。 下りきって少し行くと、再び田んぼの間だ。ようやくここで前の同年代のランナーを捕らえる。ここからは追いついてこられないように、一気にスピードアップして突き放す。 さらに80mほど前にもう一人同年代のランナーがいるが残りあと1kmくらい。さらにスピードアップするが、もはや追いつく距離ではなかった。 ようやくエンジンがかかってきたところであるが、すでにゴールは目の前だ。スタートした場所のグランドを約半周してゴールする。速報の記録証をもらうと年代別4位と思っていたのが3位に。優勝できなかった無念さは残るが、ちょっぴり嬉しい誤算だった。 メロン食べ放題 この大会の特徴に「ゴール後メロン食べ放題」がある。 この地方の特産品には、米処の「庄内米」のほかに「メロン」があるそうだ。ゴールした選手には、完走賞として「メロン一玉」が渡されるほかに、会場では細かく切ったメロンがふるまわれる。ここぞとばかりにいやしながらもたくさん食べさせていただいたが、非常においしかった。 コースロケーションは今ひとつではあったが、参加費用3,000円での参加賞(Tシャツ)と完走賞(メロン一玉)はコストパフォーマンスとしては高いのではないのでしょうか。 夏場の数少ないロードレースの一つ。思ったより暑かったものの大会の運営は非常によかったように感じるレースでした。
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