第29回奥秩父三峰山マラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秩父という街
翌週に行われた会議で都内に住む知人に「先日秩父に行ってきたんですけれど、遠いですね〜」というと「秩父!あそこは群馬とか山梨の県境だからね〜。そりゃあ東京からでも遠いですよ・・・。」と。 なるほど、東京の人でもハイキングに行くのならともかく、そうでもなければちょっと敬遠するようなところだとは思わなかった。名古屋から岐阜(市)は近いものの、岐阜は岐阜でも岐阜県の神岡などはほぼ富山県に近い。こういう感覚なのだろうか。 行き方もろくすっぽわかっていなかった私は、ネットの駅探の指示通り西武池袋発6時01分の飯能行き準急に乗る。日曜日の朝にもかかわらず電車の座席はほぼ埋まっている。名古屋界隈では見かけられない光景。こんな朝早くからみんなどこへ行く? 飯能からはさらに西武秩父線に乗り換えて西武秩父に向かう。飯能を出てしばらくすると単線になり、秘境へ向かう鉄道の様相がにじみ出てきた。山間を走る飯田線の雰囲気と何ら変わりがない。
こうして池袋から約2時間揺られて西武秩父に到着した。 西武秩父線は、この先どんどん山奥に入っていくような感じだったので「西武秩父駅って、恐ろしい山奥の無人駅?駅前には商店の一つもないの?」と想像を巡らせていたが、終点の一つ前の横瀬あたりからは逆に開けてきたので、頭の中は「?。山奥に街があるの?」と非常に不思議な感じだった。 秩父市は、人口約7万人弱の埼玉県の西部に位置する都市だ。 秩父といえば思い出すのが「秩父セメント」。平成6年に小野田セメントが秩父セメントを合併し”秩父小野田セメント”に改称。さらに平成10年に日本セメントと合併し”太平洋セメント”となっている。 秩父市の隣街の横瀬町には「宇部三菱セメント」の横瀬工場が見える。こちらは業界第2位の販売量のようであるが、この秩父界隈は武甲山を中心にセメントの原料である石灰の産出が豊富なのであろう。 奥秩父三峰山マラソン大会 西武秩父駅から主催者の用意したバスに乗ること約45分。スタート場所の二瀬駐車場にやってきた。すでに直接ここまで自動車で来た人々も多くいるようで、日頃は静かであろう二瀬駐車場もまさにごった返すような人の集まりであった。 二瀬ダムは、荒川の最上流に位置するダムで、昭和27年から建設が始まり昭和36年に完成している。二瀬ダムによりせき止められてできた人造湖が秩父湖である。 今回のスタート場所はこの二瀬ダムの手前にある駐車場だ。海抜はすでに550m。4kmコースはここから60mほど昇るが、10kmコースはこの駐車場から500mほど登り、海抜1,044mまで上がることになる。 平成14年の朝日新聞埼玉版の記事によると、大東文化大学の青葉昌幸部長いわく「箱根駅伝の山登りの適性を見るのには奥秩父三峰山マラソンが一番」とのこと。箱根駅伝の5区に比べると、距離はおよそ半分、標高差で約3分の2。コースも舗装路のヘアピンカーブが多く、「箱根の山登り」のミニチア版といえる。ここ7〜8年は新1年生の登竜門のようであるが、過去には4年生も走っているらしい。今年も大東文化大学から13名の選手が招待されている。 また、旧大滝村が秩父市と合併するまでの平成16年の第25回大会までは4月開催であったが、平成17年の第26回大会から現在の6月開催になっている。平成15年の大会は4月にもかかわらず積雪があったため中止となっている。少人数の大会ではあるが、いろんな変遷があって面白い大会であると思う。
スタートまではバタバタ 会場に到着したのは9時過ぎ。スタートが10時ちょうどなので結構慌ただしい。 受付をすませ、早速ナンバーカードをユニフォームにつける。更衣室らしきものも見あたらないので、他の人同様、歩道に荷物を置いてさっさと行う。今日は曇りであるからいいものの、雨が降ると雨宿りする場所がほとんど無いのが難点だ。 また、駐車場のトイレで用を足そうと並んだが、結構な列だ。ざっと10人ほどはいる。参加者が約500人で仮設のトイレ無し。この人数を裁くのにはちょっと無理があると思っていたところ、主催者らしき人が「こちらにもトイレがありますよ〜!」の声。早速ついていく。休憩所の奥の方にトイレがあった。早速使わせてもらう。(たすかった〜!) わずかな時間を利用して、ウォーミングアップとコースの下見を行った。 今回出場するのは4kmの部。主催者によると高低差が約60m。登りの練習をほとんどしていないので、こちらで十分。下見をした1kmくらいの区間は登りも緩く問題なし。ただし途中から勾配がきつくなることは間違いないだろう。 9時40分には、バスに荷物を預けなければならないのでさっさと荷物をまとめバスに乗せる。荷物は、主催者が用意した透明な大きな袋にマジックで自分の「ナンバー」と「氏名」を記入するルールだ。 スタート前には神主さんらしき人がやってきて、今日のレースの無事を祈祷している。富士登山駅伝でもあったが、まさに山岳信仰の象徴である。 こうしてスタートまでの約1時間はあっという間に過ぎていった。 全員一斉スタート! この大会の面白いところの一つに全員一斉スタートがある。部門は10kmと4kmしかないのであるが、この両方ともが10時に一斉スタートする。全部門のスタートが同時で行われるというのは、恐らく全国的にも珍しいのではないだろうか。 さて、そのスタート地点には500名弱の選手が一斉に集まる。前の方を陣取るのは、大東文化大学の学生をはじめ、千葉方面から遠征をしてきた松戸高校、柏高校の学生が多い。 10時に一斉スタート! スタートして約100mで右折。そこにはトンネルがいきなり待ちかまえている。さらにトンネルの中で道路が二つに分かれている非常に珍しいコースだ。いきなりトンネルにはいると目が慣れていないせいで、足下がやや気になる。高校生たちは、そんなことお構いなしにガンガン走っていく。 10kmの部はナンバーカードがグリーン、4kmの部はナンバーカードがオレンジ色だ。同時スタートにもかかわらず前方を走る選手は、グリーンのナンバーカードの選手が多い。 自分の参加しているのは4kmの部。とりあえず、4kmの部門の選手を視野に入れながら走っていく。ダムの上を走りながら前方を確認するが、私と同じ年代の選手はとりあえず前方にいないようである。 ダムを超えてからは右折していよいよ山道に入っていく。 最初の1kmはほとんど起伏もなく3分20秒程度で通過していく。どこから登りに入るのであろうか。ちょっとドキドキする。 2kmくらいまではやや登り気味になるが、この程度であれば特に山登りを得意とする選手の持ち場ではなく、一般のロード選手の持ち場の感じだ。
苦戦する登り
が、予想通りこのあといよいよ登りが始まった。前を走っていた元気な高校生も何人かがペースダウンして落ちてくる。老兵はここから若者を一人斬り二人斬りと進んでいくといいたいところであるが、こちらも余裕無し。この先のたった2kmが異常に長く感じる。 1kmごとに距離表示があるが、感覚的にちょっと合っていないような気がする(他の選手もそういう意見だった)。3kmからはさらに登りがきつくなり、いよいよ練習不足が露呈してくる。しかしながら、同年代の選手はここまで前方にはいない。埼玉県まで遠征してここから逆転されるわけにもいかない。必死で登り、ひたすらゴールがやってくるのを待つ。ゴール前で再び高校生らに2人ほど抜かれるが、総合第5位、年代別では苦しみながらも優勝をすることができた。4kmと短い距離ではあったものの、非常に苦戦をした大会でありました。
アットホームな感じの閉会式。遠来賞もいただきました 4kmの部は、閉会式会場の三峰山駐車場までバスで送ってもらいました。 10kmの部の選手でまだ一生懸命に走っている選手も何人かいましたね。 三峰山駐車場は、海抜1,000m強。スタート地点も涼しかったのですが、三峰山駐車場もさすがに涼しかったですね。夏はきっと気持ちのいいところなのでしょう。 頂上では、主催者と地元秩父の「光の村学園」との共同作業で豚汁が作られ、参加者に配られていた。涼しいところで食べるとさらにおいしく感じるものでしたね。 さて、ここまで登ってくると、特定の選手以外は主催者のバスに乗らなければ下山することができないので、閉会式はほぼ全員強制的に参加という感じです。
しかしながら、閉会式では招待参加の大東文化大学の学生たち一人一人から意気込みを聞くなど、選手同士が近いような感じも見受けられました。この辺りが、手作りの大会らしくていいところです。 また、4kmの壮年男子の部の表彰では一番高いところに上がらせていただきましたが、そのあとの特別賞で遠来賞の発表で再び名前を呼ばれ、会場からは「おおっ」との声(さっき優勝した奴だぁ〜)。みなさんよく見ていていますね。 今回の遠征は、思ったよりも非常に楽しい大会だったなあという印象が残りました。いろいろといただいたものもあるし。既製の大会にちょっと飽きた方には面白い大会だと思います。
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