第19回 くまとりロードレース 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
腰痛もようやく回復へ 今回の出場を最終的に決めたのは前日の2月28日(土)。 1月中旬の練習で痛めた腰の状態も、別大マラソン以降は休みを多く取り入れたためかなり回復。(別大マラソン前後は、膝を曲げて靴下を履くのも大変であったくらいの重症だった) 練習の本格的再開が2月23日(月)なので、今大会に向けて準備が出来ているとは言えないが、現在の腰の回復状況、走レベルの確認のためにも出場することとした。 大阪府で一番人口の多い熊取町 さて、今回出場した熊取町は人口約45,000人の町。大阪府で一番人口の多い町らしい。 大阪府で一番人口の少ない市が阪南市で約56,000人。何とか市のメンツを保っている。 ちなみに愛知県では、弥富市が約43,000人。三好町約59,000人、長久手町約51,000人と弥富市よりも人口が明らかに多い町も存在する(ちなみに三好町は市制施行の準備中)。 また、熊取町の地場産業といえば「タオル業」。 今回の大会の参加賞もTシャツとタオルの選択。Tシャツは、生地やデザインによって着ることもあれば着ないこともあるので、個人的にはタオルのが嬉しい。 熊取町のタオル業の歴史は、隣接する泉佐野市の白木綿業者、里井円治郎氏が明治18年に輸入タオルを解織して、その製織法の研究に着手ことからスタートしている。 2年後の明治20年に筬(おさ)のテリモーションを利用して輸奈(パイル)をつくる「打出機」によるタオル製織に成功した。 熊取町においても明治26年頃タオルの生産が開始されている。 明治33年には、全国で初めてジャガード機を使用した紋タオルが生産され、泉州地域としては、100年の歴史を持つ国内有数の産業として発展してきた歴史がある。
会場は大阪体育大学 今回の大会会場は、JR熊取駅から主催者のバスで10分ほどの大阪体育大学。 大阪体育大学の出身で有名人の筆頭といえば、巨人→オリオールズへ移籍した上原浩治がいる。 また、この大阪体育大学は学校法人浪商学園が経営している。 浪商(高校)といえば、大阪では野球の名門。元中日ドラゴンズ→ロッテで活躍した牛島さんも浪商の出身だ。ただし調べてみたところ、大阪体育大学も浪商高校もこの熊取町に移転してきたのが平成元年。牛島さんが在籍していた浪商高校は、当時は大阪市内にあったようだ。
くまとりモーターとは関係なかった熊取町 知らない人はごめんなさい。飛ばして読んでもらって結構です。 大学生時代に電気工学で「くまとりモーター」を勉強したことがある。正式には、「隈取磁極型誘導電動機」といいます。簡単に言うと、扇風機などに使っている、構造が非常にシンプルな単層交流モータのことです。そのときのこの”くまとり”と同じ町名がここ”熊取町”で使われています。 「くまとりモーター」の発祥の地かと思いきや、モーターの方の”くまとり”は漢字で書くと「隈取」らしい。全く関係ありませんでした。(チャンチャン!) アップダウンの激しいコース 今回も早めに会場入りしてウォーミングアップを兼ねてコースの下見をしてきました。 コースマップを見ていただくとわかりますが、会場が標高104m。そこから青池というところに下ってここが標高83m(↓21m)。その後、雨山城跡付近が標高109m(↑26m)、さらに5kmと10kmの分岐点付近が標高128m(↑19m)とこのコースマップで見るだけでも高低差の最高が45mにもなります。たった5kmで・・・。力の入れどころ、我慢のしどころを考えなければ行けないコースです。
5kmは高校生が中心 10kmの部のスタートが10時10分。その10分後に5kmの部がスタートする。 5kmの部には、地元大体大附属浪商高校(旧浪商)がずらりと並ぶ。そのほか高校駅伝大阪代表の常連校の清風高校も来ている。 10時20分にピストルが鳴る。 大阪体育大学のトラックを1周してから競技場外へ出るが、最初の1周目で私の前にいるのはぱっと見ほとんどが高校生。今日はアップダウンの激しいコースでもあるので、無理してついていかないことにする。 競技場を出てからの下り坂では一人40歳以上の部門の選手がついてくるが、かなり息づかいが荒そうだ。今回もナンバーカードが一枚しか支給されず胸側に装着しているので、後ろから見ると年代の区分がつかない。 3kmの折り返し付近の前くらいから10分前にスタートした10kmの部門の選手に追いつく。 こうなると、年代の区分どころか誰が10km部門か5km部門かどうかもわからなくなる。 さきほど下見をしたばっかりなので、上り坂の始まり、またその長さも心得たのでここから阪和自動車道の下をくぐるまでは頑張らねばと思う。それにしても10km部門のせんしゅが相当数いるので、抜いていくのも一苦労だ。 阪和自動車道の下をくぐって、下り坂になり10km部門と5km部門とコースが分かれるところにやってきた。左折して再び阪和自動車道の下をくぐりゴールに向かうが、前に走るランナーがかなり遠くにいる。100m以上は離れているようだ。コースも右に左に曲がっているので、その選手も見え隠れする。ちょっと離れすぎたか・・・。 そして、残り1kmくらいの交差点に戻ってくると今度は5分後にスタートした中学生男女の3kmの部門の選手たちと合流する。再びぐちゃぐちゃ・・・。 最後に大阪体育大学構内の上り坂を登っていくだけの余力を残しておいたが、ここからはいよいよエンジンをかけていく。しかし、この中学生たちを避けながら走るのも大変! 競技場がもうすぐ見えてくるあたりで後方から5km−40歳未満の選手に一人抜かれたがもうすぐゴールだ。最後はトラックを回らずそのままゴールのアーチへ。総合で12位、年代別では嬉しい大阪府初優勝となった。 国盗り「20」大台達成! 今回の大阪府での優勝で国盗りもようやく20の大台に乗りました。 狙いはじめたのは、3年ほど前の「第19回今治シティマラソン2005」から。愛媛県のこの大会の優勝で国盗りが「12」。それからコツコツ貯めて今回でようやく「20」。まだあと27都道府県残っています。 時間も手間ひまもかかる作業で、なおかつ、必ず優勝できるとは限らないこの目標。もう少し早くからはじめていれば・・・、と思うときもありますが、優勝したときは嬉しいですね。 本日の戦利品 本日は、地元の特産品の副賞も特にありませんでしたが、いただいたメダルの形が四角形でちょっと珍しいものでした。
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