第21回国立公園十和田湖畔周回ひめますマラソン大会 参戦記
 先週に引き続き2週連続の東北遠征です。
 しかしながら南東北の福島県と青森県と接する秋田県までとでは、名古屋からの距離はほぼ倍近くありました。おかげさまでトラック運転手よろしく長距離ドライブを楽しむことができましたと言いたいところですが、「往きはよいよい、帰りは・・・大変!」。眠くて3度も仮眠をしながら帰ってきました。長距離トラック運転手にはなれないと悟りましたね。

 さて、レースの方ですが秋田県への参戦は今回が初めてです。
 秋田県はそもそも大会数が少ないので、大会選びにも苦労しました。遠いこともあるのでなるべく1回で勝ちたいところです。体調は先週同様決していいとは言えませんでしたが、今回は出走メンバーに恵まれたみたいですね。
 おかげさまで24県目の国盗りを達成!ようやく過半数を超えることができました。ありがとうございました。

 それにしても秋田県というのは名古屋から陸路を経由していくとホントに遠いですね。

●大会名 第21回国立公園十和田湖畔周回ひめますマラソン大会
●開催日 平成21年6月21日(日)
●コース
 /大会要項
 /プログラム
大川岱公園発着(秋田県鹿角郡小坂町) (地図

大会要項

プログラム

コースマップ
いずれもクリックすると拡大します
●天 候 くもり、気温23℃
●参加賞 帽子(キャップ)、ハーブダージリンティー(ペットボトル)、SOYJOY、ひめます汁、スポーツドリンク(コップ)
●結 果 18分15秒(5km:一般男子45〜49歳 優勝、総合第5位)
●表彰 賞状、メダル
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
(往路) 自宅6:20〜名古屋IC〜(東名・中央道)〜神坂PA(休憩)〜(中央道・長野道・上信越道・北陸道)〜米山SA(昼食・給油)〜(北陸道・磐越道・東北道)〜長者原SA(休憩・給油)〜(東北道)〜紫波SA(休憩)〜(東北道)〜小坂IC〜国民宿舎十和田湖温泉19:17(入浴)〜和井内駐車場20:20(泊)
(復路) 和井内駐車場6:30〜発荷峠(トイレ・写真撮影)〜大川岱会場駐車場7:00
  【第21回 国立公園十和田湖畔周回ひめますマラソン 5km 10時20分スタート】
大川岱会場駐車場12:32〜とわだこ賑山亭12:55〜(入浴)〜とわだこ賑山亭13:24〜小坂町公園14:25〜(昼寝)〜小坂町公園16:00〜小坂鉱山事務所/康楽館(見学)〜小坂IC〜(東北道)〜花輪SA(夕食)〜(東北道)〜志波姫PA(休憩)〜(東北道)〜吾妻PA(仮眠)〜(東北道・磐越道)〜磐梯SA(給油)〜(磐越道)〜上川PA(仮眠)〜(磐越道・北陸道)〜米山SA(朝食)〜(北陸道・上信越道・長野道)〜梓川SA(休憩・給油)〜(長野道・中央道)〜阿智PA(仮眠)〜(中央道・東名)〜名古屋IC〜自宅12:00
●費用
参加料 3,000円  
燃 料 17,899円   2,145(km)/14.5(リットル/km)×121(円/リットル)
高速料金 2,000円  ( ETC割引/名古屋〜小坂:1,000円)
 ( ETC割引/小坂〜名古屋:1,000円)
入浴料 900円  (国民宿舎 十和田湖温泉500円/とわだこ賑山亭400円)
昼食 1,500円  (ひめます塩焼定食)
見学 300円  (小坂鉱山事務所)
合 計 25,599円  
●種目及び参加者(申込人数、★は加藤が参加した部門)
距離   参加者数 スタート時間
年齢区分 男子 女子
20km   30歳未満 15名 6名 10時00分
30〜34歳 18名 4名
35〜39歳 22名 1名
40〜44歳 15名 4名
45〜49歳 18名 1名
50〜54歳 19名 4名
55〜59歳 24名 3名
60〜64歳 10名 4名
65〜69歳 12名 0名
70歳以上 10名 1名
10km   高校生 0名 1名
30歳未満 23名 7名
30〜34歳 12名 4名
35〜39歳 20名 4名
40〜44歳 18名 5名
45〜49歳 16名 5名
50〜54歳 21名 8名
55〜59歳 30名 6名
60〜64歳 24名 7名
65〜69歳 17名 0名
70歳以上 13名 0名
7km   ノルディックウォーク 2名 10時20分
5km    中学生 4名 6名
30歳未満 15名 12名
30〜34歳 8名 9名
35〜39歳 15名 3名
40〜44歳 4名 6名
45〜49歳 8名 4名
  50〜54歳 13名 4名
55〜59歳 9名 3名
60〜64歳 8名 4名
65〜69歳 7名 2名
70歳以上 14名 2名
3km   小学生 28名 31名
    合  計 657名  
●各距離 上位5名成績(7kmノルディックウォークを除く。)
距離 順位 氏名
区分 都市名 所属クラブ タイム
20km 高橋 進 38 男子35〜39歳 青森県 チーム りー坊 1゜10’08”
円舘和馬 25 男子30歳未満 青森県   1゜11’26”
西舘直貴 24 男子30歳未満 岩手県 一戸町陸協 1゜15’53”
佐藤 進 40 男子40〜44歳 能代市 動楽ランナーズ 1゜17’02”
伊藤 敦 23 男子30歳未満 秋田市   1゜17’23”
10km 高畑政弘 37 男子35〜39歳 鹿角市 角館消防署 34’30”
廉内清正 34 男子30〜34歳 秋田市   34’57”
佐藤大祐 26 男子30歳未満 大館市 比内一路 35’12”
畠山一則 48 男子45〜49歳 大館市 大館消防署 35’19”
高松朋宏 38 男子35〜39歳 大館市   38’08”
5km 柳田 剛 28 男子30歳未満 青森県 海自大湊 15’50”
小野隼太 14 男子中学生 岩手県 黒石野中学校 16’56”
佐藤 真 29 男子30歳未満 青森県 陸上自衛隊青森 17’02”
堀内雄太 26 男子30歳未満 能代市 ダイニチ 18’08”
加藤一郎 47 男子45〜49歳 愛知県 名古屋市役所走友会 18’15”
3km 才村流成 12 男子小学生 秋田市 秋田市立旭川小 10’14”
佐々木彩乃 11 女子小学生 潟上市 豊川小学校 10’50”
佐藤大雅 12 男子小学生 秋田市 チームサトウ 10’53”
伊藤和紀 11 男子小学生 大館市 扇田小学校 10’54”
高畑弘也 11 男子小学生 鹿角市 鹿角市立花輪小学校 11’06”

先週に続き2週連続東北遠征
 先週に引き続いての東北遠征です。
 冬の間、一面を雪で覆われてしまう東北地方におけるマラソン大会は、5月から10月頃に集中しています。秋口は、中部地方でも多くの大会が開催されますし、7・8月は東北地方といえどもあまり走るのに適したコンディションにはなりません。昨年出場した「酒田砂丘マラソン(山形県酒田市)」がそうでしたね。「トライアスロンやってるから暑いの大丈夫じゃないの?」と言われますが、決して平気ではありません。そりゃあー暑いより涼しい方が気持ちがいいに決まっています。
 ということで、東北地方に出かけるのはどうしても5月・6月に集中してしまいます。

 それにしても2週連続しての遠出というのは非常に慌ただしいですね。
 前週、帰ってきてから「荷物の整理」−週の中間「仕事/練習」−週末は「出かける準備」とあっという間に一週間が過ぎていきます。20代、30代の前半に比べると明らかに疲労の回復が遅いことがわかりますね。今回は遠距離ドライブということもあって、出かけるのもややブルーな感じでしたが・・・。

 とはいえ、一度出かけてしまえば「どんな大会だろう」「コースは起伏あるかな?」「勝てるだろうか」など不安もある反面、付近の名所の見物もしたいし・・・。ひと言で言えば欲張りであります。

 それにしても今回の片道1,000kmの自動車での移動は想像以上にハードでした。走っても走ってもたどり着かない。そんな感じ。
 2年間限定とはいえETC土・日割引を利用すると、名古屋IC−小坂IC(秋田県)の高速料金が「19,300円→1,000円(片道)」になります。往復の燃料代を加えても、秋田県への往復交通費が、ほぼ2万円で済んでしまいます。エコとは言えないですが、ちょっと利用しない手はないでしょう。

 朝6時過ぎに名古屋ICに入り、夕方6時過ぎに高速道路を出るまで、12時間あまりを高速道路上で過ごしました。
 景色の移り変わり素晴らしかったですね。中央自動車道から長野道、上信越道では山あいを登ったり下ったり、また右へ左へとうねうねと走ります。妙高高原あたりでは、山の上の方に雪渓も見えました。
 そして上信越道を終えると日本海が目の前に現れます。そしてしばらくは米どころの新潟平野の田んぼの中を走り続けます。
 今度は磐越道に入ると、再び山あいをアップダウン。途中でダムの放水なども高速道路からみることができます。
 郡山で東北道に入ると、一気に交通量が増えます。東北自動車道は、東京〜仙台の幹線道ですね。
 そして仙台を超えると交通量が激減。にもかかわらず東北自動車道は、ずっと片側2車線のままです。もうすぐ終点の小坂というあたりでは、本当にがらがらでした。人口密度の違いを垣間見たような気がします。

 また景色と同様に気候の変化も激しかったですね。
 天気も晴れたり雨が降ったり、気温も新潟あたりでは32℃まで上昇したものの盛岡では17℃まで下がるし、日本の広さをまさに体感したと言えるでしょう。

 それにしても、この”1,000円”のために高速道路から降りられないというのはちょっと辛かったですね。

東北自動車道・紫波SAにて。休憩していたところ偶然にも上野→青森をはしる弘南バスの「青森上野号」が停まっていました。このバスは、3週間後の北海道遠征の歳に、私がちょうど利用する予定のものです。上野→青森を昼間約10時間かけて走ります。

東北自動車道の花輪付近。夕闇迫る時間帯でしたが走っている車はほとんどありませんでした。山と山の間に道路を造ったような感じでした。

こちらは朝方の磐越自動車道にて。会津の山あいの町にて、霧の合間から山が顔を出していました。非常に幻想的な景色でしたね。

9年ぶりの秋田県。実質は25年ぶり?

発荷峠展望台からみた十和田湖。樹海を抜けて突然現れるこの景色をみると誰もが「うわ〜!」と言いたくなるような絶景でした。
 秋田県を訪れるのは、9年前ぶりです。
 とはいえそれは一瞬のこと。青森県主体とした子ども向けのツアーに参加しバスで廻る際に、弘前方面から東北自動車道で南下し十和田湖を訪れる際に、秋田県小坂町側から樹海ラインをバスが登り、発荷峠(はっかとうげ)展望台で休憩をした時以来です。この発荷峠展望台は、十和田湖を見渡せることができる展望台の中でも最も美しい景色が眺められると言われているところで、ツアー主催者側もここから景色を見せたかったのでしょう。

 当時はここを青森県だと思いこんでいましたが、今回マイカーであらためて走ってみて秋田県であるということがわかりました(どちらでもいい?)。したがって、秋田県を訪れたのはこの時以来です。当時、4歳だった長男・かずたかは13歳に、2歳だった長女・ゆかこは11歳になりました。

 また、一番最初に秋田県に足を運んだのは、大学生時代まで遡ります。
 大学3年生(昭和59年)の時、乗船実習で秋田に入港した時以来です。つまり25年前。当時から秋田県というのは遠い存在でした。

今回9年ぶりにやってきた発荷峠展望台。正面に見えるのは土産物屋です。

当時、ここで2人の子どもたちは、おじいちゃんにソフトクリームを買ってもらっていました。残念ながら当時のその写真はありませんでした。

ここからの6枚の写真は9年前の写真。青森まで飛行機、そこからはツアーバスで廻りました。

当時、子の口から休屋まで遊覧船に乗りました。

左から私の母、妻の母(義母)、長男・かずたか

こちらは左から、長男・かずたか、長女・ゆかこ、そして今は亡き妻の父(義父)です。

当時はお金に余裕があったので、私が旅行代金を全額払って義父母らも連れて7人で出かけました。

遊覧船からは、十和田湖のシンボル「
乙女の像」も見えました。乙女の像とは、高村光太郎作のブロンズ製の裸婦像で、昭和28年に国立公園指定15周年を記念して御前ヶ浜に立てられたものです。光太郎曰く「原始林の圧力に堪えて 立つなら幾千年も立ってろ」の思いが込められているという。台石は智恵子夫人の生地福島県産の黒御影石出てきている。

「ひめます」とは

会場そばにそびえ立つ「十和田ふるさとセンター」。食事や土産物を購入できるほかに、十和田湖にひめますを定着させた和井内貞行についての功績がここに記されています。
 大会名となっている「ひめます」。
 この「ひめます」とは、紅鮭(ベニサケ)の仲間のようです。

 鮭はご存じのように、産卵となると海から川を遡上し生まれ故郷に戻ってくると言われていますが、ひめますは、もともと同じような行動を取っていたものが海に戻れなくなり、そこに住み着いたもののようです。原産は阿寒湖で陸封型というようです。
 明治になって、和井内貞行が十和田湖への移植を成功させたのは有名なことらしく(私は知りませんでした)、現在はこのほか、北海道の支笏湖や洞爺湖、福島県の沼沢沼、奥日光の湯の湖や中禅寺湖、箱根の芦ノ湖、富士五湖の西湖にも移殖されているそうです。
 ひめますの棲息場所の適水温が10〜13℃のため、水温が上昇しやすい浅い湖には棲息できず、北日本や山上湖などに棲息が限定されるようですね。


これが「ひめます塩焼き定食」。身がピンク色なのが見えますよね。1500円ナリ〜!
 大会会場のすぐ近くに「十和田ふるさとセンター」という施設がありますが、そこには十和田湖にこの「ひめます」を定着させるのに尽力を注いだ和井内貞行についての功績が記されています。
 27歳から初めていろんな魚を放流してひめますにたどり着くまで20年かかっています。十和田湖のことを語るには、ひめますと和井内貞行については外すことができないでしょう。

 せっかく十和田湖に来たので、実際にこのひめますを食べてみました。
 まずは参加賞のひとつの「ひめます汁引換券」を持って大会会場のすぐそばの配布場所へ・・・。
 ここでは、あらかじめお椀にひめますが2分の1匹入れたものが積み上げられています。そこへ引換券を持ってきた人が来る度に味噌汁を継ぎ足します。
 味噌汁は椎茸の入った「椎茸汁」。ひめますは汁に入ると皮がぺろりとむけて食べやすい状態になりましたが、味噌汁に入ってしまうと、今ひとつ味がよくわからないですね。やはり淡水魚を食べるならば塩焼きがベストですね。

 ということで大会終了後、すぐそばの十和田ふるさとセンターでお金を払って「ひめます塩焼定食(1,500円)」を、再度食べることにしました。

 そして待つこと15分・・・。
 期待のひめますが一匹出てきました。体長は25cmほどでしょうか。このひめます、身が鮭のように「紅色」でした。とはいえ、淡水に住む魚。舌触りは川魚独特の身の柔らかさがありました。確かに美味しいことは美味しいですが、やはり1,500円は「ちょっと値段が高いなあ」という感じでした。

 食べ終わって、レジでお金を払うときにおばちゃんに「どうでしたか?」と聞かれました。「いや〜、美味しかったですよ。十和田湖で養殖しているんですか?」と尋ねると、「養殖ではありません。自由に泳いでいるんですよ」と。さらに「ひめますでもプランクトンを食べるものは身がピンク色ですけど、ワカサギを食べるものもいてそういうひめますは身が白いですね。塩焼きもいいけど刺身もいいですよ。なかなか取れなくて貴重な魚なんですよ」と。ひめますはやはり「幻の魚」のようですね。次に来たときは刺身定食を食べさせていただきます。レクチャーありがとうございました。

参加賞のひとつとして主催者が用意していた「ひめます汁」。会場そばの道路で配布していました。引換券と交換です。

お椀の中には、「ひめます」が半キレ入っています。これに椎茸が入った味噌汁を加えます。

これがひめます汁。こちらの身は”白色”でした。

ひめますの塩焼きと思いきや、イワナとヤマメの塩焼き。こちらは有料でしたので見るだけ。

小刻みなアップダウンのあるコース

コースのほとんどがこんな感じ
 さて、いよいよ本題の大会について。
 十和田湖は、青森県の湖というイメージが強いが、実際には東側の概ね半分が青森県、また西側の概ね半分が秋田県である。
 十和田湖の遊覧船の乗場が”休屋”、”子の口”にあること、十和田湖のシンボル「乙女の像」も青森県側。また、十和田湖とセットの観光コースとなっている奥入瀬渓谷も青森県であることもあり、そういう錯覚を起こすのであろう。

 ではなぜ西の秋田県側が、あまり観光が盛んではないのか?
 これは行ってみてわかったのですが、湖畔の道路が、和井内交差点から休屋まで(ここは実は秋田県)は概ね平坦で、湖のそばを走るところが多く観光客を青森県側に行かせるマジックがあります。
 それに対して、西の秋田県側は意外と小刻みにアップダウンを繰り返す道路。また、木立の間を湖畔道路が走るために景色は今ひとつ(のような気がします)。

 さて、大会のコースといえば、その木立の間を走る湖畔道路。
 今回のように、朝方雨が降っていてスタート時間には晴れてしまった場合にも、直射日光が当たるところが少なく比較的快適に走れます。ただしアップダウンは厳しいですね。

スタート前
 大会は10時ちょうどに「20kmの部」と「10kmの部」、10時10分に「5kmの部」と「3kmの部」がスタートする。
 20kmの部は、十和田プリンスホテル前から南側へ、10kmの部はショップオオモリ前から北へ走り出す。つまりお互いに背中合わせのような形で、別々の方向へ走り出すという設定だ。10分後にスタートする5kmの部と3kmの部も同じ。

20kmの部のスタートは十和田プリンスホテル前

10kmの部のスタートはショップオオモリ前
 私はといえば、20kmの部のスタートを見送ってからゆっくりとスタート地点に行く。
 今回の5kmは総勢約150人。混雑することなくスタートができるのが嬉しい。

 「ピストルは後方で鳴ります」と係員。5kmと3kmと同時にスタートさせるための苦肉の策のようだ。
 朝会場に来たときは、小雨だったのであるが、スタート時になるとすっかり雨も上がり太陽もしっかり顔を出している。先週の大会といい、雨上がりのあとは道路から「もわっ」としてくるのがたまらなく辛い。

レース開始

10時ちょうどにスタートした10km部門の選手たち
 係員のいうように、スタートのピストルは選手の後方から聞こえてくる。
 最前列の左側からスタートするが、往年の頃のようなスタートダッシュはしない(できない?)。
 一人が大きく飛び出し、その後ろに3人ほどが付いていく。私は、さらにその次だ。

 下見をして分かったのであるが、5kmといえども思った以上にコースに起伏があるということだ。
 前半は、概ね登り基調、折り返し後半は下り基調となるので、こういう場合は前半にやや多めにエネルギーを投入する。

 1kmほど走ると、前の3人の集団の一人が早々と脱落してくる。どうやら彼は、最初だけ頑張る”ニセランナー”のようだった。

 一人パスして、スキがあれば前のランナーを捕まえることを考えていたが、差は広がる一方。それどころか後方からも一人のランナーにパスされる。長旅の影響と、最後の調整ができなかったことが影響したのか、今日は(今日も?)いっこうに調子があがらない。

 十和田ホテル(スタート場所の「十和田プリンスホテル」とは違うホテル)を過ぎ、折り返し地点よりかなり手前で先頭ランナーとすれ違う。ここまでずっと先頭を独走している。見た感じ、トラックならば余裕で15分台で走るような雰囲気だ。

 さきほど後方から抜かれた選手との差はそれほどもなく折り返す。ゴールまでには何とか抜き返して一矢を報いたいところだ。
 折り返し場所は、坂の途中の何の変哲もないところ。折り返し後は向きを変えて下っていくが、しばらくすると再び上り坂となる。今年は、仕事が忙しくアップダウンのあるコースでの練習が不足しているので、わずか5kmという短さでも結構堪える。すぐ前の選手との差は、縮まるどころかむしろここで開いてしまった。それよりも前を走る3人は、影も形も見えない。残り1kmくらいからはほぼゴールまで下り基調となるがいっこうにペースが上がらないままゴール。総合で5位でフィニッシュ。年代別の参加者が少なく、こちらは余裕で勝利したものの、レースの出来としては非常に出来の悪いものであった。とはいえ、負けたのはいずれも30歳未満の選手ばかり。まあ、今日はとりあえずヨシとするか・・・。

ゴール付近の様子

本日の心拍数の推移。クリックすると拡大します。

温泉三昧?

夕方遅くにたどり着いた国民宿舎十和田湖温泉。「日帰り入浴できます!」という割には、非常にショボイ大浴場だった。
 昨日は、長旅の疲れを癒すために、日帰り入浴できる「国民宿舎十和田湖温泉」で入浴した。残念ながら、こちらは青森県側。いわゆる十和田湖の中心地である休屋にある。日帰り入浴料金は500円。
 日帰り入浴できると宣伝するので、さぞかし素晴らしい”大浴場!”を期待する。フロントで500円払い、場所を訊くと、すぐ左に曲がった先にあるという。なるほど「大浴場」の看板がある。

 「500円払ったのだから」と期待して行ってみると、そこにはちっちゃな浴槽がひとつポツリ。5〜6人入れば満員になってしまうような代物。これにはちょっとがっかりだった。天然温泉かもしれませんが、スーパー銭湯の方がまだいいですね。

 さて、大会後の入浴はどこにしようかと悩んでいたところ、前出の「十和田ふるさとセンター」に、「ハイウェイ日帰り温泉天国サービスキャンペーン」という冊子がある。見ると秋田県北地域の日帰り入浴料が割引になるらしい。NEXCO東日本のキャンペーンのようだ。まさに「渡りに船!」

 こうして大会後に立ち寄ったのは「とわだこ賑山亭(しんざんてい)」。
 こちらは昨日の国民宿舎と違いいわゆる民間のホテル。昨日のような小浴場(?)ではあるまい。また、この冊子の「日帰り入浴券」を渡せば、入浴料が500円→400円となる。

 ちょうど行ったのが午後1時過ぎで、ホテルとしては一番閑散としている時間帯。
 フロントで呼んでもなかなか誰も現れないのでちょっと焦ったが、入ってみると浴場としては決して広くはないものの、昨日の国民宿舎十和田湖温泉よりもはるかに素晴らしい天然温泉&浴場であった。

こちらは今回大会後に立ち寄った「とわだこ賑山亭」。場所は、休屋の湖畔からは少し離れたところにあります。

「立ち寄り入浴OK」の表示も「グゥー!」

これが浴場。決して大きくはないですが、昨日の国民宿舎十和田湖温泉に比べると一回り大きなものでした。

こちらは洗い場。午後1時の日帰り入浴ですから、誰もいません。

訪れてみたかった小坂町
 先ほども述べたが、十和田湖の西側半分は秋田県。今回の大会の主たる会場は秋田県鹿角郡小坂町であるが、小坂町の市街地は、十和田湖畔の会場から樹海ラインを下ること25kmほど南西にある。

 小坂町は今でこそ静かな町であるが、19世紀初頭に小坂鉱山が発見され、当時は金・銀の採掘で栄えた町である。明治時代には銅・亜鉛の採掘も行なわれ、小坂鉱山事務所を始めとして多数の近代建築が建てられ、町は大いに栄えた。第2次世界大戦後は、鉱山資源が枯渇し、町は一頃よりも衰退し現在に至っている。まさに栄枯盛衰を体感した町である。当時は人口が3万人ともあった町であったが、現在は人口6,000人強の小さな町である。

 9年前に青森旅行で、小坂ICから十和田湖に行く際にこの町を通過したが、バスから見る車窓に「多数の幟」が見えた。まるで相撲のどこかの場所のようである。
 もちろん下調べもしたが、小坂町がこのような歴史のある町であるということを知ったのは最近であった。

 今回訪れてみたのは、旧小坂鉱山事務所
 時間の関係でここしか訪れることができなかったが、当時の洋風建築がそのまま残されているのは素晴らしいですね。

旧小坂鉱山事務所の前の通り。観光用に整備されていますね。右に見える白い建物は、旧聖園(みその)マリア園「天使館」

こちらが旧小坂鉱山事務所。東洋一の銅山といわれた小坂鉱山の中心施設として建築されたもの。

「今日も小坂駅に到着した技術者夫妻がやってきました」

これは正面から見たところ
室内の様子の一部

こちらは旧小坂鉱山事務所のすぐ向かいにある「天使館」。天使館は、小坂町で最初に建設された幼児教育施設。

明治のお雇い外国人以来、小坂にはなじみ深いキリスト教に基づき、鉱山従業員の子どもたちに建設されたもの。「今日も子どもたちを迎えるシスターの姿が・・・」


康楽館前に並ぶ多数の幟。9年前にツアーバスからチラリと見えたのは、この幟だった。当時は不思議だったのであるが、今となってはなるほどと思う。
 このほかに訪れてみたかったのが、康楽館
 こちらは残念ながら時間切れで、内部の鑑賞はできなかったが、小坂鉱山の厚生施設として誕生したという経緯がある。

 康楽館の柿落し(こけらおとし)は明治43年8月16日。大阪歌舞伎の尾上松鶴一座により幕を開けて以来、歌舞伎や新劇、映画など盛んに上演・上映してきたが、建物の老朽化と機能の低下、さらにカラーテレビの普及により昭和45年に一般の興行は中止され、ほとんど使用されなくなったが、昭和61年、小坂町の人々の情熱により見事に甦り、現存する日本最古の芝居小屋として新たな歴史を刻み始めたという歴史がある。もちろん、現存する日本最古の芝居小屋である。
 4月から11月末までほぼ毎日、人口わずか6,000人強の街で常設講演を続けているのはすごいことであると感心するばかりだった。

こちらが康楽館。旧小坂鉱山事務所と並ぶ小坂町の観光地だ。

正面からはそれなりに化粧をしているが、横に廻ると明治時代の面影がしっかり出ている。

今日の戦利品

表彰の区分も多く、戦利品は少なかったですね。