第27回 塩飽本島マイペースマラソン大会 参戦記
 久しぶりにフェリーで離島に渡り、海岸線を走るマラソン大会に参加しました。
 今回訪れた塩飽(しわく)諸島の中でも中心的な「本島(ほんじま)」は、一周約16kmの小さな島です。しかしながら島を一周する道路もほぼ整備されており、愛知県にある離島のひとつの佐久島よりも過疎ではありませんでした。
 フェリーの本数からも、またフェリーの大きさからも、本土との交流が佐久島に比べればずっと盛んなところのようでした。

 参加者名簿に記載された参加者は、合計593名の小さな大会でしたが、会場の本島中学校は生徒数が10名にも満たない小さな中学校。グランドもとっても小さなグランドで、600名近くの参加者はむしろグランドからあふれんばかりの賑やかさで、島の中の一大イベントであることをうかがわせました。

 今回は島を約半周するBコースに出場しましたが、途中10分前にスタートしたAコースの選手たちと合流し一緒に走りったため、少人数で走っている実感はありませんでした。Aコースとの分岐点からは単独で首位となったためスピードを維持するのが大変でしたが、久々のトップであったため最後の1kmくらいはスピードアップし何とか総合優勝で香川県の国盗りに花を添えることが出来ました。

 
 
●大会名 第27回 塩飽本島マイペースマラソン大会
●開催日 平成21年3月15日(日)
●コース
 /大会要項

 /プログラム
丸亀市立本島中学校発着(香川県丸亀市) →詳細地図

コースマップ(Aコース)

コースマップ(Bコース)

コースマップ(Cコース)

コースマップ
(会場内)

大会要項

プログラム
それぞれクリックすると拡大します
●天 候 晴れ、14℃くらい
●参加賞 タオル、弁当、「塩飽勤番所跡」・「笠島まち並保存センター」の無料開放
●結 果 32分36秒(9.5km) (一般男子45歳以上・優勝、総合第1位)
●表 彰 賞状、メダル、トロフィー
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
【3月14日(土)/1日目】
徒歩 自宅 21:52 自由ヶ丘駅 22:06
地下鉄 自由ヶ丘 22:07 本山 22:09 (名城線)
本山 22:14 名古屋 22:29 (東山線)
夜行バス 名鉄バスセンター 23:10 丸亀駅前 6:55 (実際には6:38到着)
【3月15日(日)/2日目】
徒歩 丸亀駅前 6:38 丸亀港 6:58
フェリー 丸亀港 7:40 本島港 8:15
徒歩 本島港 8:15 会場 8:25
【12時15分スタート 第27回 塩飽本島マイペースマラソン大会 9.5kmの部】
徒歩 会場 14:00 本島港 14:05
フェリー 本島港 14:45 丸亀港 15:15
徒歩 丸亀港15:15〜うちわの港ミュージアム〜丸亀ぽかぽか温泉(入浴/夕食)16:55
徒歩 丸亀ぽかぽか温泉 19:12 ぽかぽか温泉前 19:15
路線バス ぽかぽか温泉前 19:30 丸亀駅前 20:15
夜行バス 丸亀駅前 22:25 名鉄バスセンター 6:10 (実際には5:55到着)
【3月16日(月)/3日目】
地下鉄 名古屋 6:07 本山 6:21 (東山線)
本山 6:33 自由ヶ丘 6:35 (名城線)
徒歩 自由ヶ丘駅 6:35 自宅 6:50
●費用
参加料 2,500円  
地下鉄 520円 (自由ヶ丘〜名古屋/往復)
夜行バス 12.200円 (名鉄BC〜丸亀駅前/往復)
フェリー(本島汽船) 1,010円 (丸亀港〜本島港/往復)
入浴 550円
路線バス 200円 (ぽかぽか温泉前〜丸亀駅前)
合 計 16,980円  
●種目及び参加者(申込人数、★は加藤が参加した部門)
距離   区 分 参加者 スタート時間
14.5km   男子 高校生〜34歳 71名 12時10分
男子 35歳〜44歳 54名
男子 45歳以上 83名
女子 総合 43名
9.5km   男子 高校生〜34歳 39名 12時15分
男子 35歳〜44歳 34名
男子 45歳以上 59名
  女子 総合 47名
3.5km   男子 小学生低学年(1〜3年) 23名 12時23分
男子 小学生高学年(4〜6年) 28名
女子 小学生低学年(1〜3年) 16名
女子 小学生高学年(4〜6年) 25名
オープン参加 71名
  合  計 593名  
●上位成績(14.5km、9.5kmの各部3位までの入賞者のみ−未発表。後日発表します。)
【14.5km】
男子 高校生〜34歳
男子 35歳〜44歳
男子 45歳以上
女子 総合
【9.5km】
男子 高校生〜34歳
男子 35歳〜44歳
男子 45歳以上
加藤一郎 46 愛知県 名古屋市役所走友会 32’36”
女子 総合
久々の0泊3日の強行軍
 昨年の酒田砂丘マラソン(山形県酒田市)以来、久々の夜行バスによる0泊3日の遠征。
 今回は、香川県丸亀市に出かけるため、夜行バスは名古屋からの出発となる。それも丸亀まで直通バスがあるというのは非常にありがたいこと。

 さてさて、香川県を訪れるのはこれで3回目。
 最初は高校2年生の時の修学旅行。屋島、栗林公園などを訪れましたね。昭和54年の11月頃のことだから、ちょうど今から30年前。そのあとは、大学に入ってから中四国インカレで香川へ。大学1年か2年の時。どちらか忘れましたが、それ以来約25年近くは香川県を訪れていないことになります。

 過去2回とも高松市付近しか訪れていないので、丸亀市にやってくるのも初めてならば、そこからフェリーで塩飽諸島の本島に渡るのも初めてです。小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」の歌が似合いそうな島でしょうか?

名鉄バスセンターを23時10分に出発した夜行バスは、午前6時38分に丸亀駅前に到着。名古屋から乗ってきたのは名鉄バスと共同運行の四国高速バスの車両。

早朝のJR丸亀駅前。この日はとてもいい天気でした。

塩飽本島(しわくほんじま)へ
 丸亀駅から北へ徒歩10分ほどのところに丸亀港があります。
 ここからは、主に塩飽(しわく)諸島へのフェリーの発着場になっています。今回私が乗ったのは、丸亀港を7時40分に出発し本島港に8時15分に到着する早朝の便です。
 すべての種目のスタート時間が午後0時過ぎということもあり、この船で本島に向かうランナーは数名ほどしか見かけませんでした。

丸亀港。ここが塩飽諸島への玄関

本島行きフェリー。片道35分を頻繁に往復しています。

本島行きフェリーの船内。比較的新しく就航した船でしょうか。きれいでした。

デッキで外にいると船をずっと追いかけて飛んで遊んでいたカモメが3匹ほどいました。いたずらっ子ですね。

船内から見た本四架橋。塩飽諸島の一部の島に橋が架かるようになりました。そういえば今月の20日から通行料が2年間限定で1000円になりますね。

間もなく本島港(灯台の奥)に入港

本島港に到着。まもなく下船が開始されるところ。
 本島まではわずか35分で到着。
 港のそばには、今大会の記念碑がありました。第15回大会にロス五輪出場の増田明美さんを招待した時に建てられたようです。さほど目立つような感じではありませんでしたが、内容を読むとこの大会がこの島の人たちの中では大きなイベントのひとつであることがうかがえました。こういう碑を見ると何となく嬉しくなりますね。

本島港から会場の本島中学へ向かう道路。車はほとんど走っていません。

第15回大会(平成9年)に増田明美さんを招待し、記念碑が建てられた。クリックすると拡大します。

9.5kmコースは高低差40m。14.5kmコースは高低差が50m
 写真を撮ったり、ゆっくり歩いていっても会場の本島中学校には8時25分に到着してしまった。14.5kmの部門のスタートが一番早く午後0時10分。私の出場する9.5kmの部が午後0時15分のスタート。まるで福岡国際マラソンのようなエリートレースのようなスタート時間だ。
 このようなスタート時間の設定は、本土からのアクセスを考慮したことだろうと思うが、遠方から参加する私のようなものには非常にありがたい設定だ。

 しかしながらスタート時間が遅い分、会場準備が始まるのも遅い。
 受付開始は9時40分から。ちょうど私が本島中学校に向かう途中で、受付用のテントを組み立てだしたところだった。中学校の中も同じような感じで、まだまだ準備はこれからといったところ。
 予定通り、スタートまで時間があるので、控室になっている体育館に荷物を置いて、コースの下見をする事にした。9.5km程度なら1時間ほどで十分終わる。戻ってきてもまだ10時前になる計算だ。

 ちょっと長いですが、以下がコースの紹介です。
 この大会については、ネットでもいろいろ検索しましたが、あまりコースの紹介なるものがなかったのでご参考までに。

会場の本島中学校

小学校のような校庭がスタート場所。ここから100mほど走って郊外に出たところを左折。

左折すると島内を一周する道路へ。この辺りは片側一車線のみで狭いですね。

500mほどで塩飽勤番所(左側)に出ます。

これが塩飽勤番所跡。江戸時代、島の政治の中心地。大名による統治ではなく、島人たちの代表(人名:にんみょう)により統治されていた。

塩飽勤番所跡を超えてすぐにコースが分かれます。A・Bコースは右へ行きます。

A・Bコースは海岸線へ。本四架橋(瀬戸大橋)が見えます。 

甲生という集落で1kmの表示がありました。ちょっと1kmに満たないような気がしましたが・・・。

細い道を走り抜けると再びCコースと合流。ここを右折

片側1車線、両側2車線の道路は非常に広々しています。ここでも本四架橋がきれいに見えました。

が、1.5kmくらいから最初の上り坂が始まります。それほど長くもなくしばらくして下り坂へ。

笠島集落の入口でCコースは左折していきます。A・Bコースはそのまま直進。

島のほぼ北東です。向こうに見えるのは向島。丸亀市に属する無人島のようです。

2.5kmくらいから再び上り坂が始まりました。

登り切ったところからは東の方に再び本四架橋(瀬戸大橋)が見えてきました。

まだまだ登りがあります。Bコースの難所のひとつですね。

頂上まで登り詰めると、正面に屋釜海水浴場が見えてきます。

これが屋釜海水浴場。波の静かそうな海水浴場ですね。

屋釜海水浴場を過ぎると5km地点(ちょっと短い感じ)。ここから再び上り坂が始まります。給水も設けられています。

恐らくBコースで一番海抜の高いところではないでしょうか。たぶん海抜40mとはこの辺りでしょうか。

登り切ると下り坂が(当たり前)。島一周の道路の工事中ですかねコースは急に狭くなり下りながら右折します。

さらに急坂を下り左折して海岸線へ。

ここは左折(A・Bコースとも)

するとようやくA・Bコースの分岐点が現れてきました。Bコースはこの先を左折します。(大浦)

大浦から小阪へ、島を南北に走る道路を一気に南下します。

細い小川に沿って走りますが、この辺りは平坦。あまり集落はありません。

南北に走る道路で唯一のアップダウン。勾配も高さもそれほどではありませんが終盤ですので、ちょっとしたことでもきつく感じます。

再び海岸線に出ます。Bコースは左折。Aコースが右側から合流してきます。(小阪)

A・Bコースを後方(西側)に見たところ。Aコースは、あの左端の坂を下ってくるのでしょうか。ということはそれだけ登るということ。

漁港にはたくさんの蛸壺(?)を見つけました。

ここから先は平坦です。このあと「あと500m」の表示もあります。

ゴールの本島中学校(フェンスの奥)が見えてきました。

ゴールするときは南側の門から入ります。

グランドを半周してゴールします。最後はやや鋭角に曲がります。

ABCコースの共通のゴールです。

コースの下見を終えた頃には、受付が本島中学校前で始まっていました。これは参加賞を配布するテント。受付はその奥のイスと机の並んでいるところです。

塩飽諸島は歴史ある島

 塩飽(しわく)諸島は、今回訪れた本島(一周約16km)を中心に、広島、手島など大小28の島々の総称です。
 「しわく」の名前は、古くからの島の浜辺で生産された製塩の”塩焼く”、または狭い備讃瀬戸の潮が大小の島影にぶつかりあって、複雑に渦巻いて流れる”潮湧く”の転化ともいわれています。

 また、この辺りにはかつて塩飽水軍と呼ばれる海の男たちがいたそうです。
 鎌倉から室町の時代にかけて、玄界灘を渡り、中国、カンボジアなどへ交易を求めていたそうで、当時は和冦、のちには水軍と呼ばれるようになりました。

 この塩飽水軍が有名になったのは信長の時代。
 信長の石山本願寺攻めに味方して、堺港に出入りする特権を得て、秀吉の島津攻め、北条攻め、朝鮮出兵の海上輸送の功労として、これにたずさわった650人に対して、塩飽の島に1250石の領地が与えられました。
 以降、塩飽諸島は650人の船方衆の共有財産としてその中から選ばれた4人の年寄りによって交代で政治が行われるようになったという経緯があります。これが塩飽勤番所であります。

 また幕末の万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准書を交換すべく太平洋を横断した咸臨丸の水夫は、50名中35名を塩飽の島民が占めたということでも有名であります。

 スタート前に、Bコースを1周してもまだ時間があったので、スタート前にこの塩飽勤番所の見学もしてきました。本来なら入場料200円を払うところですが、この日はランナーにはこの施設が開放され、無料で見学をすることが出来ました。(ありがたや〜!)

これが島の政治をつかさどっていたところ

入ってすぐ右手に塩飽勤番所の説明書きがあります。

化石も出土されるようでした。

織田信長からの朱印状などが展示されています

ほぼ終始リードするレース展開
 さて、本島に上陸して3時間半ほどが経過し、ようやくスタート時間が迫る。
 島1周のコースの下見を兼ねたウォーミングアップも、体が冷めてしまい、12時くらいから再びウォーミングアップをする。


今日の心拍数の変化。アップダウンがあるコースなので安定していませんね。クリックすると拡大します。
 島1周のAコース(14.5km)の参加者が251名。「せっかく来たのだから島1周を走ろう」と思う人が多いのであろうか。
 私が出場する島約半周のBコース(9.5km)の参加者は179名と、Aコースに比べると若干少ない。しかしながら島半周のBコースでも十分、この本島を楽しむことが出来る。

 Aコースのランナーを見送り5分後の12時15分にBコースの選手はスタートした。
 高校生をはじめ4〜5名のランナーが先頭グループを形成する。しばらく様子を見ながらこの集団の後方に位置する。

 事前調査では、「参加人数の割にはレベルが比較的高い」というネット情報もあったので少し構えていたが、思ったほどペースが上がらない。1kmあたりの看板が見えるところでは前に出る。
 このあたりから5分前にスタートした14.5kmのランナーが入り交じり走りづらくなる。年代の異なるランナーが一人だけ併走してくる。

 さきほど下見をしたばかりで記憶が新鮮。自分のイメージ通りに走れるのが気持ちがいい。力の入れどころもバッチリだ。

 笠島の集落を越えると、これからアップダウンが始まる。
 峠を二つほど超えて屋釜海水浴場を通り過ぎる頃には、併走しているランナーも徐々に離れだした。もうひと山越えれば大きな峠もなく乗り切れるはず。ここが頑張りどころと思い攻め続ける。

 ただし5km通過が16分12秒。下見の時にも、「ちょっと距離が短いのでは?」と思ったが、今の実力コースのアップダウンを考慮しても”500m”は短いのではという感じだ。

 海岸線沿いの最後のアップダウンではAコースの選手を追走する目標とし頑張る。
 そして坂を下りきったところでのAコース、Bコースの分岐点あたりでは、Bコースの2位の選手との距離は、足音が消えるくらいまでに開いた。ここから先は、原付の先導でひたひたと走ることになる。


香川県の優勝で、国盗りも「21」府県となった。
 しかし、先ほどの最後の峠で頑張りすぎたせいか、ちょっと疲労感が出てきた。あと2kmの看板では、どうも後続から近づいてくる気配が感じられる。
 下り坂を利用してペースを上げることにした。

 海岸線に出て左折するところでチラリと後方を確認する。
 途中まで併走していたランナーと異なるランナーが迫ってきているではないか。ここまで久しぶりに先頭をキープ。ゴールまで譲るわけにはいかない。残り1kmの看板が見えたあたりからペースをさらにあげる、沿道の応援してくれる人の拍手の間隔が少し開いたようだ。つまり、後続との間隔が開いたということである。

 残り500mを切った頃から、遠くに天理教の建物が見えだした。
 あの下あたりが、先ほどスタートした本島中学校だ。ここからが最後の頑張りどころ。

 グランドに入り、鋭角に左に曲がるとそこには先ほどスタートしたときのアーチが見える。
 スタートしてから32分37秒後にスターと地点に戻ってきた。

 香川県は初参加、そしてその大会で初優勝。遠征は、必ず勝てるものとは限らない。それだけに優勝するときは、どんな大会であっても格別だ。国盗りも目出たく「21」府県となった。今年はこれで岡山、大阪、香川と4戦して3勝。この勢いでどんどん勝ち続けていきたいものである。

ゴールするランナーたち

ゴール後は、一人ずつの名前の入った完走証が渡される。

お弁当付きの大会
 この大会は、最近の大会でありがちなチャンピオンチップやトルソータグなどによる自動計測を行っていない。また、ナンバーカードも、最近では多くなった紙のものではなく布のままだ。味わいが残っていると言ってもいい。

 またこの大会の嬉しいことのひとつに、参加料金2500円の中に弁当が含まれているということがある。スタート時間が正午を過ぎていること、会場のそばには食堂やコンビニなどの食事をとる施設がないための配慮であろう。

 しかしながらこの弁当は、思った以上に良いものだった。
 本土の丸亀市内から運んできたものであるようであるが、そんなことはどうでもいい。選手たちにはたいへん満足できるものであった。こういう大会は、自治体が開催しているものが多いのであるが、この大会は地元本島の自治会が主催と全国的に見ても珍しい。それだけにこういうところにも小回りがきいた配慮があって良い大会であると思う。

参加料に含まれる弁当のパッケージ

中身はこんな感じ。揚げ物がほとんどなく、市販でも500〜700円ほどはするのではないでしょうか。
 また会場内では、うどんを250円で販売していた。
 香川県といえば讃岐うどん。このあといつ食べられるかわからないので、ここで食べてみることにする。名古屋のうどんと違ってやはりコシがある。椎茸の甘煮のトッピングがちょっとかわっていたが、美味しくいただきました。

うどんを販売していたブース

これが250円のうどん。美味しかったですよ。

帰りのフェリーはまさに難民船
 往きの船は早い時間に乗ったおかげで空いていたものの、帰りは皆が一斉に港に向かう。島民を除けば、残りの人は四国本土(香川県)か本州本土(岡山県)に戻ることになる。フェリーの本数からも、また参加者名簿からも大半が四国に戻るようだ。

 私も14時15分の便で四国に渡ろうと、本島中学校を14時ちょうどに出て本島港にやってきたのであるが、本島港の前には凄まじいばかりの行列!14時15分発の便は、フェリーではなく客席しかない小型艇だ。
 たぶん乗れないだろうと思っていたが、予想通り見事に積み残された。その後の14時45分のフェリーを待つ。しかし、14時45分発のフェリーも客室では全く座れず、ブリッジの上の上部甲板にブルーシートを敷き丸亀港までの35分を過ごした。

 今日は見事なくらいに晴れ上がり、このように寝ころんでいても気持ちがいい。
 ちょっと難民ぽかったけれども、参加者の大半がこの船で本土に戻っていった。外から塩飽諸島を眺めたり、瀬戸大橋を眺めたりで、選手同士で非常に一体感があった時間でもあった。

本島港で帰りのフェリーに乗ろうと並ぶ選手たち

14時45分発のフェリーに乗り込んでいきます。

私が乗り込んでも、まだ次々と選手がやってきます。

ブリッジ上の上部後半にも多くの人たちがどんどんやってきます。

本島港を出港。甲板上で弁当を食べる人も目立ちました。(私もです)

丸亀港には定時で到着。こんなに多くの人が下船することは滅多にないでしょうね。

本日の戦利品

副賞も特になく、至ってシンプルでした