第27回 塩飽本島マイペースマラソン大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昨年の酒田砂丘マラソン(山形県酒田市)以来、久々の夜行バスによる0泊3日の遠征。 今回は、香川県丸亀市に出かけるため、夜行バスは名古屋からの出発となる。それも丸亀まで直通バスがあるというのは非常にありがたいこと。 さてさて、香川県を訪れるのはこれで3回目。 最初は高校2年生の時の修学旅行。屋島、栗林公園などを訪れましたね。昭和54年の11月頃のことだから、ちょうど今から30年前。そのあとは、大学に入ってから中四国インカレで香川へ。大学1年か2年の時。どちらか忘れましたが、それ以来約25年近くは香川県を訪れていないことになります。 過去2回とも高松市付近しか訪れていないので、丸亀市にやってくるのも初めてならば、そこからフェリーで塩飽諸島の本島に渡るのも初めてです。小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」の歌が似合いそうな島でしょうか?
塩飽本島(しわくほんじま)へ 丸亀駅から北へ徒歩10分ほどのところに丸亀港があります。 ここからは、主に塩飽(しわく)諸島へのフェリーの発着場になっています。今回私が乗ったのは、丸亀港を7時40分に出発し本島港に8時15分に到着する早朝の便です。 すべての種目のスタート時間が午後0時過ぎということもあり、この船で本島に向かうランナーは数名ほどしか見かけませんでした。
港のそばには、今大会の記念碑がありました。第15回大会にロス五輪出場の増田明美さんを招待した時に建てられたようです。さほど目立つような感じではありませんでしたが、内容を読むとこの大会がこの島の人たちの中では大きなイベントのひとつであることがうかがえました。こういう碑を見ると何となく嬉しくなりますね。
9.5kmコースは高低差40m。14.5kmコースは高低差が50m 写真を撮ったり、ゆっくり歩いていっても会場の本島中学校には8時25分に到着してしまった。14.5kmの部門のスタートが一番早く午後0時10分。私の出場する9.5kmの部が午後0時15分のスタート。まるで福岡国際マラソンのようなエリートレースのようなスタート時間だ。 このようなスタート時間の設定は、本土からのアクセスを考慮したことだろうと思うが、遠方から参加する私のようなものには非常にありがたい設定だ。 しかしながらスタート時間が遅い分、会場準備が始まるのも遅い。 受付開始は9時40分から。ちょうど私が本島中学校に向かう途中で、受付用のテントを組み立てだしたところだった。中学校の中も同じような感じで、まだまだ準備はこれからといったところ。 予定通り、スタートまで時間があるので、控室になっている体育館に荷物を置いて、コースの下見をする事にした。9.5km程度なら1時間ほどで十分終わる。戻ってきてもまだ10時前になる計算だ。 ちょっと長いですが、以下がコースの紹介です。 この大会については、ネットでもいろいろ検索しましたが、あまりコースの紹介なるものがなかったのでご参考までに。
塩飽諸島は歴史ある島 塩飽(しわく)諸島は、今回訪れた本島(一周約16km)を中心に、広島、手島など大小28の島々の総称です。 「しわく」の名前は、古くからの島の浜辺で生産された製塩の”塩焼く”、または狭い備讃瀬戸の潮が大小の島影にぶつかりあって、複雑に渦巻いて流れる”潮湧く”の転化ともいわれています。 また、この辺りにはかつて塩飽水軍と呼ばれる海の男たちがいたそうです。 鎌倉から室町の時代にかけて、玄界灘を渡り、中国、カンボジアなどへ交易を求めていたそうで、当時は和冦、のちには水軍と呼ばれるようになりました。 この塩飽水軍が有名になったのは信長の時代。 信長の石山本願寺攻めに味方して、堺港に出入りする特権を得て、秀吉の島津攻め、北条攻め、朝鮮出兵の海上輸送の功労として、これにたずさわった650人に対して、塩飽の島に1250石の領地が与えられました。 以降、塩飽諸島は650人の船方衆の共有財産としてその中から選ばれた4人の年寄りによって交代で政治が行われるようになったという経緯があります。これが塩飽勤番所であります。 また幕末の万延元年(1860年)、日米修好通商条約の批准書を交換すべく太平洋を横断した咸臨丸の水夫は、50名中35名を塩飽の島民が占めたということでも有名であります。 スタート前に、Bコースを1周してもまだ時間があったので、スタート前にこの塩飽勤番所の見学もしてきました。本来なら入場料200円を払うところですが、この日はランナーにはこの施設が開放され、無料で見学をすることが出来ました。(ありがたや〜!)
ほぼ終始リードするレース展開 さて、本島に上陸して3時間半ほどが経過し、ようやくスタート時間が迫る。 島1周のコースの下見を兼ねたウォーミングアップも、体が冷めてしまい、12時くらいから再びウォーミングアップをする。
私が出場する島約半周のBコース(9.5km)の参加者は179名と、Aコースに比べると若干少ない。しかしながら島半周のBコースでも十分、この本島を楽しむことが出来る。 Aコースのランナーを見送り5分後の12時15分にBコースの選手はスタートした。 高校生をはじめ4〜5名のランナーが先頭グループを形成する。しばらく様子を見ながらこの集団の後方に位置する。 事前調査では、「参加人数の割にはレベルが比較的高い」というネット情報もあったので少し構えていたが、思ったほどペースが上がらない。1kmあたりの看板が見えるところでは前に出る。 このあたりから5分前にスタートした14.5kmのランナーが入り交じり走りづらくなる。年代の異なるランナーが一人だけ併走してくる。 さきほど下見をしたばかりで記憶が新鮮。自分のイメージ通りに走れるのが気持ちがいい。力の入れどころもバッチリだ。 笠島の集落を越えると、これからアップダウンが始まる。 峠を二つほど超えて屋釜海水浴場を通り過ぎる頃には、併走しているランナーも徐々に離れだした。もうひと山越えれば大きな峠もなく乗り切れるはず。ここが頑張りどころと思い攻め続ける。 ただし5km通過が16分12秒。下見の時にも、「ちょっと距離が短いのでは?」と思ったが、今の実力コースのアップダウンを考慮しても”500m”は短いのではという感じだ。 海岸線沿いの最後のアップダウンではAコースの選手を追走する目標とし頑張る。 そして坂を下りきったところでのAコース、Bコースの分岐点あたりでは、Bコースの2位の選手との距離は、足音が消えるくらいまでに開いた。ここから先は、原付の先導でひたひたと走ることになる。
下り坂を利用してペースを上げることにした。 海岸線に出て左折するところでチラリと後方を確認する。 途中まで併走していたランナーと異なるランナーが迫ってきているではないか。ここまで久しぶりに先頭をキープ。ゴールまで譲るわけにはいかない。残り1kmの看板が見えたあたりからペースをさらにあげる、沿道の応援してくれる人の拍手の間隔が少し開いたようだ。つまり、後続との間隔が開いたということである。 残り500mを切った頃から、遠くに天理教の建物が見えだした。 あの下あたりが、先ほどスタートした本島中学校だ。ここからが最後の頑張りどころ。 グランドに入り、鋭角に左に曲がるとそこには先ほどスタートしたときのアーチが見える。 スタートしてから32分37秒後にスターと地点に戻ってきた。 香川県は初参加、そしてその大会で初優勝。遠征は、必ず勝てるものとは限らない。それだけに優勝するときは、どんな大会であっても格別だ。国盗りも目出たく「21」府県となった。今年はこれで岡山、大阪、香川と4戦して3勝。この勢いでどんどん勝ち続けていきたいものである。
お弁当付きの大会 この大会は、最近の大会でありがちなチャンピオンチップやトルソータグなどによる自動計測を行っていない。また、ナンバーカードも、最近では多くなった紙のものではなく布のままだ。味わいが残っていると言ってもいい。 またこの大会の嬉しいことのひとつに、参加料金2500円の中に弁当が含まれているということがある。スタート時間が正午を過ぎていること、会場のそばには食堂やコンビニなどの食事をとる施設がないための配慮であろう。 しかしながらこの弁当は、思った以上に良いものだった。 本土の丸亀市内から運んできたものであるようであるが、そんなことはどうでもいい。選手たちにはたいへん満足できるものであった。こういう大会は、自治体が開催しているものが多いのであるが、この大会は地元本島の自治会が主催と全国的に見ても珍しい。それだけにこういうところにも小回りがきいた配慮があって良い大会であると思う。
香川県といえば讃岐うどん。このあといつ食べられるかわからないので、ここで食べてみることにする。名古屋のうどんと違ってやはりコシがある。椎茸の甘煮のトッピングがちょっとかわっていたが、美味しくいただきました。
帰りのフェリーはまさに難民船 往きの船は早い時間に乗ったおかげで空いていたものの、帰りは皆が一斉に港に向かう。島民を除けば、残りの人は四国本土(香川県)か本州本土(岡山県)に戻ることになる。フェリーの本数からも、また参加者名簿からも大半が四国に戻るようだ。 私も14時15分の便で四国に渡ろうと、本島中学校を14時ちょうどに出て本島港にやってきたのであるが、本島港の前には凄まじいばかりの行列!14時15分発の便は、フェリーではなく客席しかない小型艇だ。 たぶん乗れないだろうと思っていたが、予想通り見事に積み残された。その後の14時45分のフェリーを待つ。しかし、14時45分発のフェリーも客室では全く座れず、ブリッジの上の上部甲板にブルーシートを敷き丸亀港までの35分を過ごした。 今日は見事なくらいに晴れ上がり、このように寝ころんでいても気持ちがいい。 ちょっと難民ぽかったけれども、参加者の大半がこの船で本土に戻っていった。外から塩飽諸島を眺めたり、瀬戸大橋を眺めたりで、選手同士で非常に一体感があった時間でもあった。
本日の戦利品
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