第29回山日YSB富士吉田火祭りロードレース 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
山梨県は日帰り圏 今年3月から2年間限定で始まった土日祝日限定の高速道路ETC割引−1,000円で乗り放題のおかげで、遠出する際にも自家用車を選択する機会が明らかに増えた。相当遠いところでも、燃料代を考慮しても、公共交通機関より安くなる現象が多く発生している。 私の中では、山梨県は以前は「1泊してのんびり圏内」であったが、いまでは「日帰り圏内」に変わっている。 日帰りであれば、家族で出かけても交通費は同じ。ということで、今回も2人の子どもたちを連れて会場へ出かけました(妻・ゆきこは、今日が社会保険労務士の試験の本番です)。 5000人を超えるビッグレース 今大会は参加者が5,000人を超えるビッグレース。会場の冨士北麓公園には、この5,000人分の駐車場が無く、近くの施設を借りてそこからシャトルバスを運行している。 私が割り当てをうけたのが「冨士パインズパーク」というところ。それほど大きな駐車場がある場所では無かったが、入口では係員が事前配布された駐車券を持たない車を追い払っている。 シャトルバスに乗って会場までは7分ほどだった。 途中からジョギングしている人が増えてきたので「もしやコース?」と思いコースマップを見ると、ちょうど私が走る予定の5kmのコースをバスが走っている。雑誌かネットの紹介記事で「ハ−フマラソンと10kmはコースは起伏があるものの、5kmは平坦」と書いてあったが、バスから見ても決して平坦ではない。「話が違う・・・」。そう思ってもあとの祭り。
会場にバスが到着し、まずは受付をしなければならないが、人も多く、またブースも多く受付場所がなかなか見つからない。ぐるぐると歩き回った。競技場のメインスタンドのすぐ下にあった。正面玄関から入って競技場内のすぐ左側といった方がわかりやすい。次回からは覚えておこう。 さすがに5,000人の規模の大会だけあって会場は非常に賑やかだ。また、人人人である。 東名高速道路・御殿場ICを降りてから、東冨士道路に入るまでの国道138号線で渋滞があり(いつものこと?)、会場への到着が少し遅れたため、めぼしいところは全て陣取られている。仕方がないのでスタート地点に近い、フィールド内に陣取ることにした。 しかしながら、標高1,035mにあるこの陸上競技場にもかかわらず、気温はぐんぐん上昇。主催者から発表されたのは「気温28℃」だった。 9時50分にハーフマラソンの部門のスタートを見送り、自分の準備をする。 5kmは短時間で決着が付く種目なので、スタートの出遅れは許されない。5kmといえども600名を超える参加者がいる。そのためスタート時の位置取りが重要となる。 今回、10kmのスタートが10時10分。そして5kmが10時20分のため、10kmの出場者のすぐ後ろで待ち構えた。スタートの位置取りはこれでOKだ。
「血祭りロードレース」or「死祭りロードレース」? 10時20分に5kmはスタートする。予想通りペースが速い。 スタート場所で私のすぐ横に私と同じ年代の選手がいた。注意はしていたが、スタートしてから競技場を1周し、競技場の正面横の中央広場あたりでは、すでに20mほど先行されている。 一昨日は、終日東京で会議。終わってからは、懇親会・・・。また昨日は、長女・ゆかこの通っている学童保育所のバザーの関係で、昼から焼きそばを焼くなど、この2日間はなかなか練習が順調ではない。早めに寝たものの、体調面ではレースモードにはなりきっていない。弱気になっているわけではないが、今日の体調からすると5kmでは逆転できるような展開にはなりそうもない。 さてその後であるが、公園内から一般道路に出たところで坂が待ち構える。7〜8%もあるような急坂ではないが、3〜5%ほどはあるだろう。スピードがは”ガクッ”と落ちる。後続の選手にもここでどんどん抜かれる。直前のスピード練習もできなかったせいか、走りに全く切れがない。今日は我慢の走りに徹するしかない。
左折してからは道路はほぼ直線状に伸びているが、緩やかな起伏が数回現われる。体調が悪い日は、起伏のあるコースはあまりありがたくない。 折り返し手前からは少し下り坂。ようやく半分・・・。今日はいつになっても調子が上向いてこない。苦しい展開だ。 その折り返しからしばらくすると後続から同じ年代の選手に一人抜かれる。付いていくにも、今日はこれ以上ペースが上がらず、ずるずると離れていってしまう。今日はこのペースを維持するので精一杯だ。 後半はこの選手を目標にするものの、ずるずる離れてしまった。後半はほぼ単独走となり競技場へ向かう。
18分36秒。ゴール後記録証をもらうが、年代別で第4位。スタートから全く見えないところにもう一人いた。昨年に続き今回も山梨県のハードルを超えられなかった。 大矢さん 表彰式で声を掛けていただいた東京都の大矢さん、ありがとうございました。 大矢さんは今大会で私とおなじ5kmレースに出場され5位入賞です。走暦はまだ3年ながらめざましい活躍ですね。このサイトの読者だそうですが、同じようにこのサイトを見ている全国の読者の皆さん。会場でお会いしたら声かけしてくださいね。本日はおめでとうございます。
大会の裏舞台 さすが5000人規模のビッグレース。ブースも多く会場は非常に賑わっていましたね。会場界隈で見かけたものをピックアップしてみました。
富士山レーダードーム館 子どもたちは、父のレースよりも終わってからの観光を楽しみにしている。 終わってから河口湖周辺の観光を予定していたが、今大会の参加賞に「富士山レーダードーム館」の招待券があり、大会会場からさほど遠くないことがわかったので行ってみることにした。富士山の頂上に気象観測用のレーダーが設置されていたことは、われわれの年代の者にとっては周知のことだ。 今では人工衛星から日本周辺の画像が当たり前のように送られており、台風の位置などが簡単にわかるが、昭和33年の狩野川台風、昭和34年の伊勢湾台風と2年続けて1000人以上の死者・行方不明者を出した当時は人工衛星など無く、台風の位置を測定するのが困難な時代。 そこで富士山山頂に気象観測施設を設置すれば、レーダー探知半径が広がり、南方洋上から接近してくる台風を早期に発見できるようになるという発想が生まれた。 昭和38年に富士山山頂への気象レーダー建設に着手したものの、工事は困難を極める。標高3,776mという史上例のない高地での大規模工事、そして乱気流 が渦巻く世界有数の危険空域・富士山頂への巨大ドームの空輸・・・。関係者の情熱と使命感は次々と起こる問題や難作業を克服し富士山レーダーを完成へと導く。 昭和39年9月、ついに念願の富士山レーダーが完成。翌昭和40年3月からは本格的な運用を開始し、「台風監視の砦(とりで)」として日本の空を休みなく見つめ続けてきました。台風をいち早く察知し、天気予報や災害防止にその威力を発揮した富士山レーダーは、気象観測技術の発達とともに台風監視の役割を気象衛星や新気象レーダーに引き継ぎ,平成11年11月、35年間の観測業務の幕を静かに閉じた。そして現在は富士山山頂から降ろされ、今から8年前の平成13年にこの富士吉田の地に来ている。 私には、私と歳が近いこの「富士山レーダー」には愛着がある。おなじ年代を生きていた仲間のような気がする。 が、子どもたちはこの富士山レーダードームにはさほど興味はなさそうだ。クイズをしたり、館内のゲームを楽しんだり。楽しんだのは親父の方か? 河口湖周辺で観光 富士吉田を後にして河口湖へ移動する。 富士吉田でもう少し遊んでもよかったが、昨年6月にも訪れた河口湖に行く。 子どもたちも大きくなり、少しずつであるが遊び方を変えていかなければならないかもしれない。今回、河口湖でどう遊ぶか検討したが、やはり創作もの又は体験ものを一つ入れることにした。見るだけ、食べるだけの観光は年寄り観光。子どもはそうであってはならない。 最初に訪れたのは「体験工房クラフトパーク」。 ボトルアート、サンドブラスト、そばうちなど8種類の体験プログラムが用意されている。どのプログラムも予約制となっているが、大会終了から移動時間などが不明だったので、事前の予約無しで行ってみた。 比較的短時間でできる「ジェルキャンドル」が空いていた。子どもたちにも相談してみたところOKだった。 子どもたちもこの「ジェルキャンドル」は初めての体験だ。 ジェルキャンドルとは、グラスの中に色砂と貝殻などの小物を並べそこに透明なロウを流し込むもの。もちろん、火をつければキャンドルとして使用できるが、どちらかといえば、部屋の飾り物としての色合いが強い。 係員からの説明を受けたあと、子どもたちはピンセットを使って小さな貝殻などを並べているが悪戦苦闘のようだ。15分ほどかかり、形となったので係員に預ける。この後、透明なロウを流し固める作業をするので出来上がりまで1時間以上時間を要するとのこと。
その間に、すぐそばの「河口湖 猿まわし劇場」に行くことにした。 この河口湖 猿まわし劇場は、昨年の九州旅行で訪れた「阿蘇 猿まわし劇場」の姉妹劇場で、株式会社むらさきが経営している正真正銘の”周防猿まわし”だ。ここは、今から7年前の平成14年に一度家族旅行でやってきている。 猿まわしは、大人から子どもまで楽しむことができるレジャーだ。 30分ほどの講演だったが、笑いあり驚きあり(涙はないが・・・)。 身長の何倍もあるハードルをジャンプしたり、玉乗りをしながら坂を上ったり降りたり、物干し竿のような竹馬に乗ったりと猿のその能力に驚きながらも、また、人間のようにコントをするなど本当に猿をよくしつけてあった。 また昨年阿蘇で会った「ビッグとバナナ」のコンビに、再びここで会うことができた。一年ぶりの再会。子どもたちもよく覚えている。 ここでは猿まわしのほかに、ダーツのゲームをはじめ縁日のようにスナック販売の売店やみやげ物を販売する売店も設けられており、猿まわし以外にも総合的に楽しめるようになっている。子どもたちも楽しかったようだ。
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