第24回 壱岐の島新春マラソン大会 参戦記
 長崎県は離島の非常に多いところで、行政から見ると離島対策が重要な課題であるところです。
 主な離島が、対馬、壱岐、五島列島、平戸諸島でこれらを含めて有人の島は55ほどあるそうです。
 このうち私が行ったことのあるのは「対馬」のみ。それも、27年ほど前の学生時代に乗船実習で立ち寄った1回のみです。この時の印象としては、韓国の放送もテレビで映るし、実習中に何と密漁船に出くわすなど、「やはり国境に近いところだなあ」というものでした。

 今回は訪れたのは、比較的福岡市から近い壱岐の島。名古屋方面からの観光では、壱岐・対馬とひとくくりにされることが多いですね。
 壱岐の島は、今から700年以上前、元寇で島がほぼ壊滅状態になったといわれ、対馬と同様、国境に近い場所ではありますが、対馬に比べればかなり福岡寄りに位置していることもあり、今回実際に行ってみたところ、対馬ほどは「国境が近い」という印象はありませんでした。

 壱岐市は平成16年3月に、旧壱岐郡の4町の郷ノ浦町・勝本町・芦辺町・石田町が合併した一島一市の街。人口は現在29,000人あまり(壱岐市発足時は34,000人程度)。
 西日本新聞によりますと、今回の1,322名の参加者のうち壱岐市外の参加者が289名。つまり島内の参加者が1,033名(78%)であり、壱岐市の参加者のウエイトの非常高い大会であります。
 この島でも過疎化が急速に進んでいるようですが、今大会の会場では小中学生の姿が多く目立ち、子どもたちが元気に走っている姿を見るとこちらも元気が出てきます。


 観光もする時間もほとんど無かったのですが、民宿での交流など楽しい思いをして帰ってくることができました。

 
 
●大会名 第24回 壱岐の島新春マラソン大会
●開催日 平成22年1月10日(日)
●コース
 /大会要項

 /プログラム
長崎県壱岐市ふれあい広場発着(長崎県壱岐市) →詳細地図

大会要項

プログラム

コースマップ(ハーフマラソン)

コースマップ(10km)

高低差
それぞれクリックすると拡大します
●天 候 くもり、7℃くらい
●参加賞 Tシャツ、豚汁、ぜんざい、アクエリアス(缶)
●結 果 35分55秒(10km) (総合第2位、男子40〜49歳 優勝)
●表 彰 賞状2枚、盾
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
【1月8日(金)/1日目】
徒歩 自宅 20:16 自由ヶ丘駅 20:25
地下鉄 自由ヶ丘 20:26 20:46 (名城線)
夜行バス 栄(オアシス21) 21:15 博多駅交通センター 7:41 (西鉄バス/どんたく号)
(7:50
【1月9日(土)/2日目】
徒歩 博多駅交通センター 7:41 博多港 8:41
  フェリー 博多 10:00 郷ノ浦 12:20 (九州郵船)
  宿泊先送迎 郷ノ浦港 12:30 「明るい農村」 12:55
  【昼食〜コース下見〜宿泊「明るい農村」】
  【1月10日(日)/3日目】
宿泊先送迎 「明るい農村」 8:30 会場 8:35
【10時20分スタート 第24回 壱岐の島新春マラソン大会 10kmの部】
徒歩 会場 12:45 芦辺港 14:00 (昼食〜土産物購入)
ジェットフォイル 芦辺 14:15 博多 15:20 (九州郵船)
  徒歩 博多港 15:20 博多駅交通センター 20:10 (入浴〜夕食)
夜行バス 博多駅交通センター 20:45 7:18 (名鉄バス/どんたく号)
(7:30
【1月11日(月)/4日目】
地下鉄 7:28 自由ヶ丘 7:47 (名城線)
徒歩 自由ヶ丘駅 7:47 自宅 7:59
    ※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
参加料 3,000円  
地下鉄 460円 (自由ヶ丘〜栄/往復)
夜行バス 19,000円 (栄〜博多駅交通センター/往復)
フェリー 2,400円 (博多〜郷ノ浦)
ジェットフォイル 4,900円 (芦辺〜博多)
宿泊 7,980円 (民宿「明るい農村」/ビール1本含む。)
入浴  700円 (波葉の湯)
合 計 38,440円  
●種目、参加者(申込人数、★は加藤が参加した部門)及び各部門の優勝者
【ハーフマラソン−10時00分スタート】
区分 申込者数 優勝者氏名 所属 記録
男子39歳以下 141人 重田 一成 九築工業(株) 1゜10’02”
男子40歳代 34人 倉掛 俊一  
1゜14’10”
男子50歳以上 64人 坂井 一夫 さかい整形外科医院
1゜20’01”
女子 39人 江崎 由佳 マヌコーヒー 1゜23’48”
【10km−10時20分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 所属 記録
男子39歳以下 48人 樋口 貴英 壱岐陸協 33’12”
★男子40歳代 20人 加藤 一郎 名古屋市役所走友会 35’55”
男子50歳以上 21人 松本 博   39’15”
女子 30人 伴 明美 かすやドーム 44’17”
【5km−中学生男子10時10分、一般男女10時25分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 所属 記録
中学生男子 209人 雨海 光毅 勝本中学校 15’57”
男子29歳以下 35人 福井 和矢 壱岐高校
16’39”
男子30歳代 41人 林 大雄 老健壱岐 17’14”
男子40歳代 29人 小森 研一 壱岐辰興局 18’29”
男子50歳代 42人 小山田 由弘 京王重機整備(株) 18’32”
男子60歳代 19人 鈴木 鑛満 熊本走ろう会 21’05”
男子70歳以上 16 川原 忠雄   21’48”
女子29歳以下 13人 松本 美樹   21’22”
女子30歳代 38人 浅野 明子   22’48”
女子40歳代 19人 白石 保美 瀬戸小学校 24’36”
女子50歳以上 25人 深津 明美 あっくんず 22’00”
【3km−10時05分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 所属 記録
中学生女子 168人 中上 葵 石田中学校 11’12”
【2km−12時00分から10分ごとにスタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 所属 記録
小学5年生男子 70人 山口 祐介 盈科小学校 7’14”
小学5年生女子 42人 永尾 葵 田河小学校
7’27”
小学6年生男子 103人 篠ア 翔太 勝本小学校
7’02”
小学6年生女子 50人 中上 和花 篠栗JRC
7’21”
総合計 1,322人  

腰痛からの出発
 今回はどうしても前日までに会場入りしないとスタート時間には間に合わないので、逆算すると出発は金曜日の夜になる。もちろん昼中は通常通りの勤務である。
 2月の別大マラソンに向け50km走などを行い、疲労はかなりピーク。そこへ朝出勤しようと、家を出た際に姿勢を少し変えた途端に腰に激痛が走る。昨年1月にも痛めた箇所と同じぎっくり腰である。大会を2日後に控え、暗雲が立ちこめる。

 幸い、重度のぎっくり腰ではなかったので、仕事を終えて帰宅してからはゴムベルトを腰に巻いて元に戻そうとしたり、腰のあたりで筋肉が硬直しているところには、セルフマッサージを施すなどとりあえず自分でできる範囲のことをして何とか間に合わせた。もちろん、大会当日に全て回復していたわけではないが・・・。

思い出のどんたく号
 さて、今回壱岐へ船で行くためのルートは2つ。博多から郷ノ浦・芦辺へ行く方法と、唐津(佐賀県)から印通寺(いんどうじ)へ行く方法のいずれか。壱岐が長崎県に属しているにもかかわらず、長崎県からは長崎空港からの空路が繋がっているだけだ。

 以上のことから、2つの海路(航路)のうち、博多港から壱岐へ向かうのが一番アクセスがよい。となれば、名古屋からは博多(福岡市)へ向かうのが先決となる。

 今回、久しぶりに利用したのが名古屋-福岡を名鉄・西鉄の共同運行している夜行バス「どんたく号」だ。「どんたく」とは毎年5月の連休中に行われる福岡市民のまつり「博多どんたく」からネーミングしている。

往きに乗ったの「どんたく号」。こちらは西鉄バスにて運行していた(博多駅交通センターにて)

復路に乗った「どんたく号」。こちらは名鉄バスにて運行(新名神・土山SAにて)

 この「どんたく号」。一番最初に乗ったのは、かれこれ今から18年以上も前の平成3年8月だ。当時は、福岡県で開催されていた「玄海トライアスロン」という大会に参加するために利用している。現在のように、栄(オアシス21)を経由することもなく、名鉄バスセンターから直行していたと思う。

 当時、出発前にわざわざ名鉄バスセンターまで差し入れを持ってきたのが、今のカミさん。バスの中で差し入れのパンやジュースを食べたり飲んだりした記憶がある。(そのあたりが交際のきっかけかもしれない・・・)

 また当時は今ほどうるさくなかったので、この夜行バスに自転車を輪行(分解して袋詰め)にし積んでいっている。ほかにも唐津10マイルロードレースに出場する際にも、この夜行バス「どんたく号」を利用していた。

 今でこそ、名古屋から博多(福岡)へは飛行機も安くなり、新幹線も本数が増えたので夜行バスを利用することは減ったのであるが、遠征の際に私の足となって活躍してもらった第一号はこの「どんたく号」であることは間違いない。私にとっては、いろんな意味で思い出のあるバスだ。

一ヶ月ぶりの博多の街
 さて、早朝博多の街に着いたが、博多港からフェリーが出発するのが午前10時。博多駅交通センターから博多港まで直線距離にして2km少々。ゆっくり歩いても十分に間に合う。

 ということで、先月6日の福岡国際マラソンに出場して以来、約一ヶ月ぶりにやってきたこの博多の街であるが、過去5回、走って通りすぎるだけだったこの博多の街を、ゆっくり歩いてみることにした。
 とはいえ、22km地点付近の博多駅前から25km地点手前まで、ほぼ北にのびる「大博(たいはく)通り」を歩道から眺めるだけはあるが、感じる風景は大きく違っていた。

 マラソン大会当日は、完全交通規制のため、この大博通りにはランナーしかいないが、1年に一度の福岡国際マラソンの開催される日以外は、ごくごくフツーに自動車が行き交う通りである。これが普通なのだろう。私が過去5回走ったときが異常なのである。
 ほぼ前しか見ずに走っていたので、大博通り=「広い道」「ヤシの木」というイメージしかなかったが、途中には由緒ありそうな「博多小学校」なるものもあるほか、大博通りと交差する道路も案外広いことがよくわかった。やはり目線が変わるといろいろなものが見えてくるということかもしれない。

早朝到着した博多駅交通センター。福岡から各地へは、ここのほか天神からも多くのバスが出ている。

先月、福岡国際マラソン参加時に宿泊した、博多駅前にある「コンフォートホテル博多」

「大博通り」の看板

大博通りの名前の由来は、歴史のある博多の町の大通りということの模様。1587年(天正15年)、戦火で荒廃した博多の町を復興するため豊臣秀吉による区画整理事業「太閤町割り」の端緒として、最初に縄張りがなされた一小路(いちしょうじ)が拡張され現在の大博通りとなったらしい。

中央にはヤシが植えられ、夜間にはライトアップされる。

大博通りではないが、大博通りの一番北に位置する福岡サンパレスの西側には、福岡国際センターがある。11月の大相撲九州場所の開催場所でも有名。

壱岐の島 初上陸
 博多港から2時間20分ほどで、フェリーは壱岐の郷ノ浦港に入港した。
 天候は晴れ。シケると大荒れとなる玄界灘ではあるが、この日は概ね凪ぎだったようだ。

 この日の博多港には、明らかに明日の「壱岐の島新春マラソン大会」に参加する面々と、明後日の成人式に出席するために里帰りをする若者でごった返していた。平常時がどの程度の混み具合か、初めて乗る航路なのでわからないが、乗船する列に並ぶ常連客の口からは「何で今日はこんなに人が多いの?」「ああ、そうかぁ。明日、新春マラソンがあるかね。成人式もあるねえ」というような会話が聞こえてくる。どうやらいつもはずっと空いているようだ。

博多港。都心に近い立地を活かしたウォーターフロント開発の中心施設として、レストラン等を併設した複合旅客ターミナル「ベイサイドプレイス」がある。後方は博多ポートタワー。

壱岐・対馬・五島列島方面の乗場

フェリー内の2等船室。寝転がる場もないほどの混雑ではなかったが、普段に比べれば乗客はかなり多かったようだ。

郷ノ浦港に到着した「フェリーちくし」。この後対馬方面に向け出港していった。

こちらは芦辺港フェリーターミナル

芦辺港のジェットフォイル乗り場は、少し離れた別のところにある。

帰りに乗船したジェットフォイル「ヴィーナス」。玄界灘を80km/hの速度で走っても揺れもなく快適そのものでした。

これがジェットフォイル「ヴィーナス」の船内。ボーイング社製なので、座席も船室内も飛行機の雰囲気。
 郷ノ浦港で下船し、待合室の外に出ると、ホテル、旅館、家族などそれぞれの出迎えの人たちが大挙して待っている。どこかで見たことがある風景だと考えると、かつて、新潟港から佐渡島へ渡ったときにも同じだ。港からの交通手段が貧弱な地方に見られる光景だ。

 今日は、芦辺の民宿「明るい農村」さんに、事前に到着時刻を伝えておいたので、郷ノ浦港に出迎えに来てくれていた。A4サイズほどの紙に「明るい農村」と書いた紙をおばちゃんが持っていた。

 今乗ってきたフェリーの写真を撮影したかったので少し待たせてしまったが、すでに「明るい農村」さんの送迎ワゴンには一人の先客が座っていた。挨拶をすませ、自己紹介をすると福岡市から来られた井出さんという。年齢も私よりほぼ一回りほど多いそうだ。大濠公園を本拠地に練習しているとのこと。私も福岡国際マラソンで5回ほど大濠公園からスタートしていることなどをお話しした。
 郷ノ浦港から「明るい農村」さんへ到着するまでの約30分ほどの間、おばちゃんと3人で壱岐のこと、明日の大会のことなど話をしているうちにあっという間に到着してしまった。

民宿「明るい農村」
 今回宿泊した民宿「明るい農村」さんであるが、芦辺港から車で5分ほどの高台にある。港からのアクセスという面ではやや難があるが、民宿は若夫婦の経営(若奥さん美人ですよ)。農業はさきほど港まで迎えに来てくれたおばさん夫婦が行っているようだ。自宅を含め、民宿の敷地だけでも1000坪ほどあるらしい。とにかく広大な敷地。「田舎だからですよ」と若旦那は謙遜していたが、名古屋であれば間違いなく億万長者。このほかに、畑もあるのだから恐ろしいばかりの土地のオーナーだ。

入口の看板。ちょっと控え目

こちらが食事をする側の方。道路の向かって左側

こちらは宿泊施設。部屋だけで10以上ありました。大きな民宿ですね。

夜の食事。左のせいろの中味はイカシューマイ。そのすぐ右は、サザエの壺焼き。その右の赤いものは壱岐牛のたたき。焼魚は、うーん、聞いたけれど忘れました。美味しかったですね。このほかにも、お吸い物等がまだありますぞー!

大会当日、午前7時からの朝食。ランナーとその家族9名でいただきました。

8時30分に「明るい農村」さんから会場まで送っていただきました。いろいろお世話になりました。
 民宿には久しぶりに泊まったが、この「明るい農村」さんは間違いなく、お値打ちな宿だった。
 先ほど紹介したが、まず第一に食材が素晴らしい。魚貝類は、知人等から仕入れるのであろうが、野菜関係は間違いなく自家製。これは新鮮でよかった。食べていて歯ごたえがある。
 高級牛の”壱岐牛”のたたきまで付いて、1泊2食で何と7,350円。
 また、港から宿、宿から大会会場までの送迎と何から何までお世話になりました。

コース紹介
 大会前日の昼過ぎに壱岐の到着したので、午後からJOGを兼ねてコースの下見をしてきた。メイン会場付近は、明日の準備で大忙し。他に立ち寄ったスーパーなどでも、明日の大会に向けて盛り上げようとした雰囲気が感じられましたね。
大会会場のある芦辺地区で唯一の大型商業施設「ダイエー」の入口付近には、昨年度までの大会の写真が飾られていました。この写真は、個人の方が数名で撮影されたもののようで、自由に持ち帰ることができていました。 

そのダイエーの入口には、モスバーガーがありました。島内ではおしゃれな店屋ですね。大会終了後のお昼はすごい人だかりでした。

入口の黒板にも「明日は新春マラソン。選手のみなさん頑張って下さいね!」との応援メッセージが!

大会会場の壱岐市ふれあい広場

通常は、野球や陸上競技などの多目的広場のようです。

ゴールは、チップで計測できるように準備中です。

ゴールのさらに奥の方には、野球のベンチが・・・。プリンターが3機置かれています。明日の大会の日には、ここが成績証の発行場所になるようです。

5kmの部のスタート位置。ふれあい広場の入口に向かいます。

5kmの部よりも少し入口に近いところにハーフマラソンの部のスタート場所があります。地面には書いてはないですが、10kmの部はハーフマラソンの部と同じスタート場所です。

ふれあい広場の入口を出て公道に出たところで、ハーフマラソン、10km、5kmの部は左折(赤矢印)します。3km、2kmの部のはそのまま直進(水色矢印)。

曲がるとすぐに芦辺大橋を超えます。大会前日はすごい風でしたが、当日はおさまってグッド・コンディションでした。

これが芦辺大橋を横から見たところ

橋を越え左側に福祉施設「つばさ」が見えますが、道なりに右の方へ走っていきます。

写真ではわかりませんが、左手には「ダイエー」。右奥には芦辺港が見えてきます。

道なりに走っていくと「1km」の看板があります。道路上にもペイントで書かれています。コースは左の方へ道なりに走りますが、コースをぐるっと走ってくると右の方から再びここに現れます。10kmの部の9km地点でもあるわけです。

偶然試走をしているグループに出会ったのでしばらく一緒に走りました。

椿山神社というらしいです。一生懸命走っているときっと気がつかないでしょう。

立て看板を設営している人たちに会いました。ご苦労様です。

2km地点が現れる前に、5kmの部のコースは左折します。先ほどの試走していた集団は、5kmコースを通って戻ってしまいました。

2km地点の看板。道路のペイントと距離表示が若干ずれていますが・・・。

野菜と果物の無人販売施設。ミカンは残っていましたが、野菜は空っぽ。壱岐の島でもこういう売り方をしているんですね。

谷江川にかかる谷江橋を超える400mほどで「当田交差点」。ここを右折します。島では珍しい信号機でした。

交差点の北西角に「壱岐陶業」という会社があるのですぐわかります。

少し行ったところに3kmの表示が・・・。ただし、看板はありません。

道なりに走っていくと再び谷江川を超え、左の方に道は曲がっていきます。

南東の方から延びてくる道路と交わります。そのまま道なりに進みます。

この辺りは民家のほとんど無いところ

谷江川を左手に見ながら走っていくと三叉路の少し手前に5kmの表示があります。ここは看板も一緒にありました。

この三叉路を右折。正面には小さく方向を現す表示看板があります。

先ほどの三叉路曲がると、このコースで初めて急坂が現れます。距離にして400〜500mほどでしょうか。勾配は4〜5%程度でしょうか。間違いなく、ガタッとスピードが落ちるところです。

坂の頂上付近。対向車はほとんど走っていません。

少し下ると遠くに箱崎中学校が見えます。

下っている途中で6km地点の表示が見えます(看板なし)

これが箱崎中学校。手前はテニスコート。その奥がグランドのようです。全校生徒は何人くらいでしょうか?

入口にあった看板。年季が入ってますね。

箱崎中学校からさらに400mほどで7kmの表示。この辺りも緩く下っています。(看板ナシ)

瀬戸小学校付近から民家などが見え始めました。コースは直進です。

写真左側に見える「かわぞえストア」の前を鋭角に右に曲がります。

看板が小さいので、係員がいないと見落としそうな感じです。

大左右川にかかる桜木橋という橋を越え、すぐに左折します。

この辺りは民家が多いですね。そのまま直進

先ほどの桜木橋から100mほどで8km地点。(看板ナシ)

左手に漁船が多く見えてきます。イカ釣り船のような感じです。少し坂を登りますが・・・

坂の途中で三叉路を右折し下っていきます。

民家の間を抜けていくと、最初に走ってきたコースに戻ります。ゴールは左方向ですので左折。

左折すると9km地点。(看板ナシ)

芦辺港を左に見ながらひたすらゴールへ向かいます。

一生懸命走っていると気がつかないものを見つけました。5年前の第19回大会に「野口みずき」さんを招待したときの記念植樹のようです。

芦辺大橋方面へ左折します。

少しばかり芦辺大橋をのぼり・・・

その先にゴールの壱岐市ふれあい広場が見えてきました。

ハーフマラソンの部は左折(水色矢印)します。10kmの部は右折(赤矢印)しゴールへ向かいます。

スタートした場所のすぐ横がゴールとなります。

当日
 午前6時起床。朝食は午前7時からというので、昨日ご一緒だった福岡市の井出さんを誘う。
 それにしても九州の夜明けは、名古屋に比べると遅い。30分程度日の出が違うのだろうか。午前7時でもまだ薄暗い。

 朝食時に、「明るい農村」の若女将と出発時間を打ち合わせ。第一便は8時30分に出発することとなった。ただし、ワゴンには9名乗れないので、東京から来たご夫妻は、第2便の出発でよいという。
 福岡市の井出さんと、佐世保市から来られた宮坂さん、それと親子3人で参加された方(名前は?)がハーフマラソンに出場、私が10km、東京からのご夫妻は5km出場とそれぞれ出場種目が異なる。

 「明るい農村」さんから、山を駆け下るようにして5分ほどで会場に到着した。
 昨日も港まで送迎してもらったおばちゃんが今日も運転手。どう見ても60歳は軽く超えているおばちゃんが、マニュアルのワゴン車を運転しているというのは、島ながらのたくましさを感じる。
 そのおばちゃんともここでお別れ。2日間お世話になりました。いつまでも元気で!

 さて、昨日までは飾り付けなどの準備で大忙しだった会場であるが、今日は選手でにぎわっている。
 今回はエントリーした選手は、1,400名弱。地方の大会では、決して少ない数ではない。子どももあちこちで見られ、高齢化が進む島の中でも明るい雰囲気であった。

 昨日は無かったと思うが、ふれあい広場には2階建ての立体駐車場があるが、その1階部分に店屋が何軒か出ている。スポーツショップはないが、こういう店が多いというのは子どもが集まってくるという裏返しでもある。過疎地でもやはり大会は賑やかな方がいい。

受付場所。カテゴリーが多く、係員は大忙し

ふれあい広場の1階に出ている店屋。これはガチャポン。まさしく子ども向け。

フライドポテト、たこ焼き、焼き鳥屋などお祭りと同じですね。レース後のビールをと思いましたが、車が主たる交通手段の壱岐では、ビールは置いてませんでした。残念!

レース後は、このラーメン屋でラーメンを食べました。出張販売ですが、本格的ラーメンで美味しかったですね。

ゴールもエアで膨らませたアーチが立てられていました。

みなさん好きな場所に陣取っています。

開会式

開会式の後での体操

こちらは子どもたちが集まって準備運動です。

会場横のコースでもウォーミングアップしている子どもたちが多く見られました。
今年の3月14日に、壱岐市立一支国博物館がオープンしますが、これらは壱岐のゆるキャラ。左が「海都(かいと)くん」、右が「はるのちゃん」というそうです。他に人面石というキャラもいるようですが・・・。

レース

約280名が出場したハーフマラソンのスタート。起伏のあるコースで優勝タイムが1時間10分02秒はなかなか。
 10時ちょうどにメインのハーフマラソンの部がスタート。10時05分に中学生女子の3km、10時10分に中学生男子の5kmと5分おきに次々とスタート。私の出場する10kmは10時20分にスタートする。
 この大会ではスタートする度に、花火が打ち上げられ(空砲)スタートが知らされる。大きな大会では見られる光景であるが、このように各種目がスタートする度に花火が打ち上げられるのは珍しい。

 さて、10時20分に私の種目10kmはスタート。昨日と打って変わって無風に近い好コンディション。曇り空のためやや肌寒い。
 今日の目的はとにかく、年代別で優勝。タイムは度外視してでも勝つことを優先する。ハーフマラソンの参加者が約280名、10kmの参加者が約120名と少人数ではあるが、強者がいる可能性はある。特に遠征しているので、その地域の事情はよく知らない。まずは、自分の力を全て出すことが最優先される。


ゴールする選手たち
 スタートして、3人ほどが勢いよく飛び出していく。
 昨年39歳以下で33分07秒で優勝している樋口さんがエントリーしているので、3人のうち1人は恐らく彼だろう。今の自分とはちょっとレベルが違うので追いかけない。私は、この3人より少し遅れて4番目だ。
 
 1kmの通過タイムは3分20秒。無理せず走っているのでこんなものか。
 3人のうち2人が、既に遅れだしている。しばらくは彼らに少しずつ近づきペースを刻んでいった方がよさそうだ。
 2km、3kmと走るうちに徐々に彼らに近づいている。私のペースといえば3分30秒/km。決して速くはない。彼らが遅いようだ。谷江川を2度目に超えるあたりで、とうとう彼らに追いついた。
 ここから5kmくらいまでは、3人で一緒に走っていく。先頭は私。残りの二人はどう見ても高校生だ。まあ仕方がない、今日は前を走ろう。


心拍数の推移。5km過ぎの坂で心拍数が上昇、下りで再び下がっているのがよくわかります。クリックすると拡大します。
 5kmを過ぎてこのコース一番の難所の坂に差し掛かる。
 先ほどまで3人で走っていたが、このうち一人が後退し、足音と息づかいが聞こえなくなっていた。残りの一人は頑張って付いてくる。「おっ、粘るな」。同年代の選手ではないので、こちらも焦りはない。
 400〜500mほど続く坂を登り終え、今度は下りにはいるが先から付いてきている選手が前に出る様子もない。下りが決して得意な私ではないが、その私よりも前に出ないということはあまり余裕がないという証拠。息づかいを聞いていても相当荒い感じだった。

 7kmを過ぎ、下り坂も緩くなってきたので少しペースを上げる。
 彼も頑張って付いてきたが、この辺りから少しずつ離れだしたようで、息づかいがだんだん聞こえなくなっていた。前にいるのは、スタートから先頭を走り続けている選手のみであるが、影も形も見えない。私の目の前を走っているのは、20分ほど前にスタートしたハーフマラソンのペースの遅い選手のみだ。

 9kmを過ぎゴールが近づいてくると応援も増えてきた。
 昨日は強風の吹き荒れていた芦辺大橋も今日は風も静かだ。橋を渡り終えて右折すればそこはゴール。1位とは大差となったが、この歳で総合2位。もちろん年代別では優勝し、28県目の国盗りが達成できた。(よかったよかった)

ゴール後には選手たちにぜんざいが振る舞われる。

九州地方では、白玉が定番なのでしょうか。餅ではなくとも美味しかったです。

また、豚汁も同様に振る舞われました。ひとつの大会でぜんざいと豚汁と両方振る舞われるのは珍しいですね。

こちらも具がたくさんで非常に美味しいものでした。


高齢者表彰

高齢者表彰と遠来者表彰。最高齢は右端の女性で83歳しゃきっとしていますね。左端の男性は千葉から出場の選手で遠来者賞を受賞していました。
 さて話は変わるが、入賞者の表彰式が始まる前に高齢者の表彰が行われた。
 いくつくらいの人だろうと思ってみていたが、最高齢は83歳の女性。そして男性は82歳の同年齢で3人いたが、そのうちの一人はその人のご亭主。残りの人たちも往きのフェリーで見かけたような気がする。いつもは、あまり高齢者の表彰のことなど気にかけもしなかったが、自分がだんだん歳を重ねてくると、「あの歳まで元気で走っていることができるのだろうか」と考えさせられてしまう。

 83歳といえば、私の実家の母と同じ歳。
 わが母親は目立った病気もなく一応元気であるが、もはや杖が手放せない。あのおばあちゃんのように5kmを走ってくるなんてとても無理。そう思うと、83歳でもこういう大会に出てこられるというのは素晴らしいことだ。今回は高齢者表彰されたみなさんに拍手させていただきました。

今日の戦利品
 島内の参加者が多いせいか、副賞に地元の特産品とかは特にありませんでした。いただいた盾はなかなか大きいものでした。

西日本新聞のサイトに掲載されました

 参戦記を作成するために新聞記事を調べていましたが、西日本新聞のサイトに次のような記事が掲載されていました。「大会新記録」まで書かれると、ちょっとくすぐったいですね。