第24回 壱岐の島新春マラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
腰痛からの出発 今回はどうしても前日までに会場入りしないとスタート時間には間に合わないので、逆算すると出発は金曜日の夜になる。もちろん昼中は通常通りの勤務である。 2月の別大マラソンに向け50km走などを行い、疲労はかなりピーク。そこへ朝出勤しようと、家を出た際に姿勢を少し変えた途端に腰に激痛が走る。昨年1月にも痛めた箇所と同じぎっくり腰である。大会を2日後に控え、暗雲が立ちこめる。 幸い、重度のぎっくり腰ではなかったので、仕事を終えて帰宅してからはゴムベルトを腰に巻いて元に戻そうとしたり、腰のあたりで筋肉が硬直しているところには、セルフマッサージを施すなどとりあえず自分でできる範囲のことをして何とか間に合わせた。もちろん、大会当日に全て回復していたわけではないが・・・。 思い出のどんたく号 さて、今回壱岐へ船で行くためのルートは2つ。博多から郷ノ浦・芦辺へ行く方法と、唐津(佐賀県)から印通寺(いんどうじ)へ行く方法のいずれか。壱岐が長崎県に属しているにもかかわらず、長崎県からは長崎空港からの空路が繋がっているだけだ。 以上のことから、2つの海路(航路)のうち、博多港から壱岐へ向かうのが一番アクセスがよい。となれば、名古屋からは博多(福岡市)へ向かうのが先決となる。 今回、久しぶりに利用したのが名古屋-福岡を名鉄・西鉄の共同運行している夜行バス「どんたく号」だ。「どんたく」とは毎年5月の連休中に行われる福岡市民のまつり「博多どんたく」からネーミングしている。
この「どんたく号」。一番最初に乗ったのは、かれこれ今から18年以上も前の平成3年8月だ。当時は、福岡県で開催されていた「玄海トライアスロン」という大会に参加するために利用している。現在のように、栄(オアシス21)を経由することもなく、名鉄バスセンターから直行していたと思う。 当時、出発前にわざわざ名鉄バスセンターまで差し入れを持ってきたのが、今のカミさん。バスの中で差し入れのパンやジュースを食べたり飲んだりした記憶がある。(そのあたりが交際のきっかけかもしれない・・・) また当時は今ほどうるさくなかったので、この夜行バスに自転車を輪行(分解して袋詰め)にし積んでいっている。ほかにも唐津10マイルロードレースに出場する際にも、この夜行バス「どんたく号」を利用していた。 今でこそ、名古屋から博多(福岡)へは飛行機も安くなり、新幹線も本数が増えたので夜行バスを利用することは減ったのであるが、遠征の際に私の足となって活躍してもらった第一号はこの「どんたく号」であることは間違いない。私にとっては、いろんな意味で思い出のあるバスだ。 一ヶ月ぶりの博多の街 さて、早朝博多の街に着いたが、博多港からフェリーが出発するのが午前10時。博多駅交通センターから博多港まで直線距離にして2km少々。ゆっくり歩いても十分に間に合う。 ということで、先月6日の福岡国際マラソンに出場して以来、約一ヶ月ぶりにやってきたこの博多の街であるが、過去5回、走って通りすぎるだけだったこの博多の街を、ゆっくり歩いてみることにした。 とはいえ、22km地点付近の博多駅前から25km地点手前まで、ほぼ北にのびる「大博(たいはく)通り」を歩道から眺めるだけはあるが、感じる風景は大きく違っていた。 マラソン大会当日は、完全交通規制のため、この大博通りにはランナーしかいないが、1年に一度の福岡国際マラソンの開催される日以外は、ごくごくフツーに自動車が行き交う通りである。これが普通なのだろう。私が過去5回走ったときが異常なのである。 ほぼ前しか見ずに走っていたので、大博通り=「広い道」「ヤシの木」というイメージしかなかったが、途中には由緒ありそうな「博多小学校」なるものもあるほか、大博通りと交差する道路も案外広いことがよくわかった。やはり目線が変わるといろいろなものが見えてくるということかもしれない。
壱岐の島 初上陸 博多港から2時間20分ほどで、フェリーは壱岐の郷ノ浦港に入港した。 天候は晴れ。シケると大荒れとなる玄界灘ではあるが、この日は概ね凪ぎだったようだ。 この日の博多港には、明らかに明日の「壱岐の島新春マラソン大会」に参加する面々と、明後日の成人式に出席するために里帰りをする若者でごった返していた。平常時がどの程度の混み具合か、初めて乗る航路なのでわからないが、乗船する列に並ぶ常連客の口からは「何で今日はこんなに人が多いの?」「ああ、そうかぁ。明日、新春マラソンがあるかね。成人式もあるねえ」というような会話が聞こえてくる。どうやらいつもはずっと空いているようだ。
今日は、芦辺の民宿「明るい農村」さんに、事前に到着時刻を伝えておいたので、郷ノ浦港に出迎えに来てくれていた。A4サイズほどの紙に「明るい農村」と書いた紙をおばちゃんが持っていた。 今乗ってきたフェリーの写真を撮影したかったので少し待たせてしまったが、すでに「明るい農村」さんの送迎ワゴンには一人の先客が座っていた。挨拶をすませ、自己紹介をすると福岡市から来られた井出さんという。年齢も私よりほぼ一回りほど多いそうだ。大濠公園を本拠地に練習しているとのこと。私も福岡国際マラソンで5回ほど大濠公園からスタートしていることなどをお話しした。 郷ノ浦港から「明るい農村」さんへ到着するまでの約30分ほどの間、おばちゃんと3人で壱岐のこと、明日の大会のことなど話をしているうちにあっという間に到着してしまった。 民宿「明るい農村」 今回宿泊した民宿「明るい農村」さんであるが、芦辺港から車で5分ほどの高台にある。港からのアクセスという面ではやや難があるが、民宿は若夫婦の経営(若奥さん美人ですよ)。農業はさきほど港まで迎えに来てくれたおばさん夫婦が行っているようだ。自宅を含め、民宿の敷地だけでも1000坪ほどあるらしい。とにかく広大な敷地。「田舎だからですよ」と若旦那は謙遜していたが、名古屋であれば間違いなく億万長者。このほかに、畑もあるのだから恐ろしいばかりの土地のオーナーだ。
先ほど紹介したが、まず第一に食材が素晴らしい。魚貝類は、知人等から仕入れるのであろうが、野菜関係は間違いなく自家製。これは新鮮でよかった。食べていて歯ごたえがある。 高級牛の”壱岐牛”のたたきまで付いて、1泊2食で何と7,350円。 また、港から宿、宿から大会会場までの送迎と何から何までお世話になりました。 コース紹介 大会前日の昼過ぎに壱岐の到着したので、午後からJOGを兼ねてコースの下見をしてきた。メイン会場付近は、明日の準備で大忙し。他に立ち寄ったスーパーなどでも、明日の大会に向けて盛り上げようとした雰囲気が感じられましたね。
当日 午前6時起床。朝食は午前7時からというので、昨日ご一緒だった福岡市の井出さんを誘う。 それにしても九州の夜明けは、名古屋に比べると遅い。30分程度日の出が違うのだろうか。午前7時でもまだ薄暗い。 朝食時に、「明るい農村」の若女将と出発時間を打ち合わせ。第一便は8時30分に出発することとなった。ただし、ワゴンには9名乗れないので、東京から来たご夫妻は、第2便の出発でよいという。 福岡市の井出さんと、佐世保市から来られた宮坂さん、それと親子3人で参加された方(名前は?)がハーフマラソンに出場、私が10km、東京からのご夫妻は5km出場とそれぞれ出場種目が異なる。 「明るい農村」さんから、山を駆け下るようにして5分ほどで会場に到着した。 昨日も港まで送迎してもらったおばちゃんが今日も運転手。どう見ても60歳は軽く超えているおばちゃんが、マニュアルのワゴン車を運転しているというのは、島ながらのたくましさを感じる。 そのおばちゃんともここでお別れ。2日間お世話になりました。いつまでも元気で! さて、昨日までは飾り付けなどの準備で大忙しだった会場であるが、今日は選手でにぎわっている。 今回はエントリーした選手は、1,400名弱。地方の大会では、決して少ない数ではない。子どももあちこちで見られ、高齢化が進む島の中でも明るい雰囲気であった。 昨日は無かったと思うが、ふれあい広場には2階建ての立体駐車場があるが、その1階部分に店屋が何軒か出ている。スポーツショップはないが、こういう店が多いというのは子どもが集まってくるという裏返しでもある。過疎地でもやはり大会は賑やかな方がいい。
レース
この大会ではスタートする度に、花火が打ち上げられ(空砲)スタートが知らされる。大きな大会では見られる光景であるが、このように各種目がスタートする度に花火が打ち上げられるのは珍しい。 さて、10時20分に私の種目10kmはスタート。昨日と打って変わって無風に近い好コンディション。曇り空のためやや肌寒い。 今日の目的はとにかく、年代別で優勝。タイムは度外視してでも勝つことを優先する。ハーフマラソンの参加者が約280名、10kmの参加者が約120名と少人数ではあるが、強者がいる可能性はある。特に遠征しているので、その地域の事情はよく知らない。まずは、自分の力を全て出すことが最優先される。
昨年39歳以下で33分07秒で優勝している樋口さんがエントリーしているので、3人のうち1人は恐らく彼だろう。今の自分とはちょっとレベルが違うので追いかけない。私は、この3人より少し遅れて4番目だ。 1kmの通過タイムは3分20秒。無理せず走っているのでこんなものか。 3人のうち2人が、既に遅れだしている。しばらくは彼らに少しずつ近づきペースを刻んでいった方がよさそうだ。 2km、3kmと走るうちに徐々に彼らに近づいている。私のペースといえば3分30秒/km。決して速くはない。彼らが遅いようだ。谷江川を2度目に超えるあたりで、とうとう彼らに追いついた。 ここから5kmくらいまでは、3人で一緒に走っていく。先頭は私。残りの二人はどう見ても高校生だ。まあ仕方がない、今日は前を走ろう。
先ほどまで3人で走っていたが、このうち一人が後退し、足音と息づかいが聞こえなくなっていた。残りの一人は頑張って付いてくる。「おっ、粘るな」。同年代の選手ではないので、こちらも焦りはない。 400〜500mほど続く坂を登り終え、今度は下りにはいるが先から付いてきている選手が前に出る様子もない。下りが決して得意な私ではないが、その私よりも前に出ないということはあまり余裕がないという証拠。息づかいを聞いていても相当荒い感じだった。 7kmを過ぎ、下り坂も緩くなってきたので少しペースを上げる。 彼も頑張って付いてきたが、この辺りから少しずつ離れだしたようで、息づかいがだんだん聞こえなくなっていた。前にいるのは、スタートから先頭を走り続けている選手のみであるが、影も形も見えない。私の目の前を走っているのは、20分ほど前にスタートしたハーフマラソンのペースの遅い選手のみだ。 9kmを過ぎゴールが近づいてくると応援も増えてきた。 昨日は強風の吹き荒れていた芦辺大橋も今日は風も静かだ。橋を渡り終えて右折すればそこはゴール。1位とは大差となったが、この歳で総合2位。もちろん年代別では優勝し、28県目の国盗りが達成できた。(よかったよかった)
高齢者表彰
いくつくらいの人だろうと思ってみていたが、最高齢は83歳の女性。そして男性は82歳の同年齢で3人いたが、そのうちの一人はその人のご亭主。残りの人たちも往きのフェリーで見かけたような気がする。いつもは、あまり高齢者の表彰のことなど気にかけもしなかったが、自分がだんだん歳を重ねてくると、「あの歳まで元気で走っていることができるのだろうか」と考えさせられてしまう。 83歳といえば、私の実家の母と同じ歳。 わが母親は目立った病気もなく一応元気であるが、もはや杖が手放せない。あのおばあちゃんのように5kmを走ってくるなんてとても無理。そう思うと、83歳でもこういう大会に出てこられるというのは素晴らしいことだ。今回は高齢者表彰されたみなさんに拍手させていただきました。 今日の戦利品 島内の参加者が多いせいか、副賞に地元の特産品とかは特にありませんでした。いただいた盾はなかなか大きいものでした。 西日本新聞のサイトに掲載されました 参戦記を作成するために新聞記事を調べていましたが、西日本新聞のサイトに次のような記事が掲載されていました。「大会新記録」まで書かれると、ちょっとくすぐったいですね。 |