第4回もとみやロードレース大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
本宮市とは 冒頭で述べたとおり、本宮市は平成19年1月1日に旧安達郡本宮町と白沢村が合併してできた福島県では一番新しい市です。人口は約3万1千人強です。 ところがこの本宮市。鞄圏m経済新報社(東京都中央区)がまとめた2010年の「全都市住みよさランキング」で、本宮市は全国総合26位となり、北海道・東北ブロックで2位となっています。ちなみに第1位が、何とわが愛知県のみよし市。同じく第2位がこれまた愛知県の日進市。第3位が千葉県成田市とのこと。これらを見てみると大都市の近くの自然のあるベッドタウンが上位に来ている感じですかね。 確かに本宮市は、東北自動車道・本宮ICはあるし、市内には幹線道の国道4号線も走っています。またJR東北本線の本宮駅から大都市・郡山駅まではわずか15分と至便。 また市内には阿武隈川が北流し、東部には、阿武隈山系の岩角山、高松山、岳山などの山並みや丘陵地、農地が広がり、西部には安達太良山から連なる大名倉山などを有し、水と緑の豊かな自然に恵まれていると言っていいでしょう。 須賀川市の「円谷幸吉メモリアルホール」に立ち寄り 本宮市について事前に調べていったのですが、”これ”といった観光地が無く、どこかで観光をしようと考えていたところ、郡山市の南に位置する須賀川市に行ってみようと考えた。 福島県は、藤田敦史(富士通)、佐藤敦之(中国電力)、今井正人(トヨタ自動車九州)、柏原竜二(東洋大)など、現役の一流選手を多く輩出している。 が、何といっても一番有名なのは「円谷幸吉」ではないだろうか。須賀川とは、この円谷幸吉の故郷である。 いまさら円谷幸吉のことを説明するまでもないと思うが、簡単に説明すれば自国開催の東京オリンピック(1964年)の陸上競技で、唯一の「銅メダル」を獲得したこと、またその後のメキシコオリンピック(1968年)で嘱望されたにもかかわらず、故障で走れなくなってしまい、27歳の短い生涯を自らの手で絶っている。 彼の書いた遺書が、また涙を誘う。親、兄弟、親戚あてにお礼を書き述べているが、非常にきれいにまとめてある。私も彼のことを書いた本を読んだことがあるが、非常に礼儀正しく、彼のことを悪く言うものはいなかったようだ。練習の時も脱いだ服をきちんと整えるなど、性格も几帳面だったようである。あれだけの偉業をなし得たにもかかわらず、最後は自殺というで生涯を閉じてしまったのは残念でならない。 円谷幸吉の偉業については、生家脇に「円谷幸吉記念館」として2006年10月まで、実兄が管理していたが高齢化したために閉館。その後は須賀川アリーナへ移設し、「円谷幸吉メモリアルホール」として開業。シューズやメダルなどが展示されている。
館内の見学者は、私一人。入場は無料であるが、ノートに氏名の記帳を依頼される。それと引き替えのような感じで、この記念館のパンフレットをもらう。 東京オリンピックで使用していたシューズや獲得した銅メダル。支給されていたブレザーなどの展示品は撮影禁止となっていたので残念ながら撮影できなかった。 シューズやウエアなどは、当時としては最高峰のものを使用したのだったのだろうが、今見ると「よくぞこんなシューズやウエアであのタイムで走ったと・・・」というような粗末なものである。 彼の偉業を見れば見るほど彼の忍耐強さがよく理解できる。東京オリンピックで獲得したのは銅メダルだったけれど、偉業を考えれば金メダルとまったくひけをとらないものだと思う。マジメで責任感が強かったことが彼にとっては非常に重たかったと思う。仮定のことになるが、彼が生きていて後進の育成に手を貸していればまた、今の陸上競技の世界もまた変わっていたかもしれない。 コース案内 メイン会場のしらさわグリーンパーク野球場を発着とする、1km〜10kmまで5種類のコースが用意されています。そのうちの3km、5km、10kmコースは同じコース上を往復します。野球場を出てしばらくすると250mほどの下りがあります。帰りはここを登ることになりますが、それ以外の部分は緩いアップダウンのあるのが特徴。難易度が決して高いコースではないのですが、開催時期が時期だけに当日もみな暑さで苦戦していました。
4度目の福島県入りで国盗り達成 大会前日の土曜日は、名古屋は雨が降っていたようであるが、ここ福島県中部は晴れて気温も30℃ほどになっていた。夕方になり、ようやく雨が降り出し「明日は雨か・・・。でもこの時期少しくらい雨が降っていた方が走りやすいだろう」という予想をしていたが、早朝降っていた雨も上がり、スタート時間には曇りで非常に蒸し暑いコンディションになっていた。 今日走るのは5km。夏場は同じ距離でも気温が高い分だけ体に負担がかかるので、なるべく長い距離を走らないようにしている。とはいえ、距離が短くなるだけスピードは出さなければならない。 さて、この大会は今年で4回目。市制を施行したのが平成19年1月なので、それから始まった行事なのだろう。 メイン大会会場の「しらさわグリーンパーク野球場」は、旧白沢村時代の平成6年に完成している。合併当時の白沢村の人口は約9,000人。何を思ってこれだけ維持費のかかりそうな野球場を作ったのかはよくわからない。現在では、ネーミングライツで東北楽天イーグルスが命名権を持ち、「楽天イーグルスグリーンパーク本宮」と呼んでいる。
さて、今回走る5kmは今日もこの日の最終種目。中学生男子+男子は40歳以上で構成されている珍しい組み合わせだ。(高校生〜39歳以下の男子がいないということ) 前半は中学生がリードするが、後半は落ちていく中学生を一人ずつ拾いながらレースを進めていくことが目に浮かぶ。 9時55分。号砲ともに7人ほどの中学生が飛び出して走る。40歳以上の選手はその中にはいない。坂を下り500mほどのところで2人ほど抜く。また1km地点を過ぎたあたりでは、さらに数人を抜き去り、前には2人の中学生となった。
1.5kmあたりでもう一人抜き去り、前を走るのはただ一人。距離がだんだん近くなるのでおそらくどこかで抜き去ることになるだろう予感がする。 2.5km地点でUターン。8分15秒。下りの分だけ少しペースが速いが、気にせず走る。 しかしながら今日は蒸し暑い。体はずっしりと重い感じだ。折り返して後続を確認すると、距離が短い分だけ後ろには列ができている。決して余裕があるわけではない。むしろ、最後の上り坂250mをどうすべきか、ペースが落ちてきたことを後続の選手に見破られたのか、残り1kmで中学生が一人抜いていく。残念ながら、今日も粘るだけの余裕がない。自分のペースを守っていくだけである。 しかしながら最後の登り坂にはいると、自分にほとんど余力がないことがわかった。脚はほぼ棒になった状態。ペースはガタガタ。最後のこの250mの登り坂で後続から抜かれなかったのが不思議なくらいだった。平坦になったところでギアチェンジ。残りは200mペースアップする。 野球場に入ったくらいで、後ろからまた一人やってくる。また中学生か?誰かわからないが、ここまで来たらこれ以上抜かれるわけにはいかない。芝生のやや走りにくい中でラストスパートをかける。ゴールはほぼ同着。これまた中学生だった。そしてわずか2秒後に一般男子40歳以上の選手がゴール。本当に辛くも逃げ切ったといえるレースだった。
JR本宮駅前の山本家さん 今回ありがたいことに遠来賞をいただいた。 といっても一番遠くから来ている人は、北は北海道、南(西)は熊本県なので、一番遠くからではないのであるが、それなりに遠くからやってきた私を含めた10人の人には「潟mジリ遠来賞」と称して、ミズノ製の折りたたみ傘と本宮市内で使える飲食券1,000円分をいただいた。 傘は、現在使用しているものが壊れたらありがたく使わせて貰うとして、飲食券は使用期限が7月31日なので、来月こちらにやってくる用事もないので、事実上使用期限は本日中だった。 飲食券と一緒に「本宮二業組合加盟店 もとみや飲食店 ガイドマップ」が入っていたので、昼ごはんをどこで食べようか思案した結果、「とりあえず福島県の国盗りも成功したのだか、鰻でも食べるか」ということで決断し、JR本宮駅前の「うなぎ専門店 山本家」に行くことにした。 ナビの電話検索で場所はすぐにわかった。 店の前にやってくると主が店から出てくる。駐車場所を教えてもらって車を置いて店に入る。日曜日のお昼時にもかかわらず客は「0」だった。とりたててこの店がまずいわけではないだろう。地方都市の駅前の現実だろう。 しかしながら店主と女将は話し好きのようだ。「ロードレースの帰りかね。どこから来た?」と会話をする。「そーかあ、名古屋かー!(驚いた様子で)。」さらに「(橋本)康子さんは走ったかね?」と。橋本康子とは、本日のゲストランナーで、2007年の名古屋国際女子マラソンで優勝し、翌年の世界選手権にマラソン日本代表で出場している。この小さな町の出身でこの町では誰もが知っている有名人のようだ。 「あの時は、この町から康子さんをみんなで見送っただよ」と昨日のように話をする。 そうこうしているうちに注文したうな重(並)ができてくる。焼け具合の色がいい。食べてみると身もやわらかくうまい!今日の昼ごはんは鰻で大正解!ありがたく食事券1,000円を使い、1,400円のうな重をわずか400円でいただいた。ごちそうさまでした!
本日の戦利品
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