第6回 わかさあじさいマラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ゲストはエリック・ワイナイナ 昨年の第5回大会は新型インフルエンザの影響で中止。今年は宮崎県で口蹄疫の関係で多くの大会が中止になっている。いわゆる、台風などの天災と違い、新型インフルエンザ、口蹄疫などの危機管理の面から大会の開催の可否を決定するのは非常に難しい。昨年は主催も相当悩んだことだろう。 今年は昨年ことを思えばこの地方は平穏無事といってもいいだろう。昨年この大会が中止となっただけに2年ぶりに無事開催されることは主催者も選手もありがたいと感じたことだろう。 今回のゲストは、昨年に引き続きエリック・ワイナイナ。 ケニア出身でオリンピックでは2大会連続メダルを獲得している。平成5年〜平成18年まで日本ではコニカミノルタに所属していた。さすがに日本に15年以上も滞在しているので日本語も上手だ。 私は過去に、平成16年11月に愛知県豊川市で開催された「トヨカワシティマラソン」、平成18年9月に岩手県盛岡市で開催された「啄木の里ふれあいマラソン」の2大会で会っているので、彼に会うのは今回で3回目となる。 わが家の子どもたちは、彼のマラソンランナーとしての過去の実績は知らない。子どもたちは彼のことをランナーではなく、テレビ番組「逃走中」に出てくるタレントとして認識しているようだ。 何はともあれ、有名人のサインが欲しいみたいで長男・かずたかは中2となって勉強しなくてはいけなくなってきたので留守番をすることになったが、長女・ゆかこは喜んで行くことになった。
大会会場 今回のメイン会場は、若狭町立野木小学校。会場には、バルーンが上げられて遠くからも目印となっているが、会場近くには駐車場が無く、会場付近の路上や田んぼの中の道も駐車場になっていた。町内にイベントを開催するときに多くの車を受け入れるだけの施設がないのだろう。苦肉の策のようだ。 この大会には初めてやってきたが会場は賑やかでいい。スポーツグッズ販売ブースの他、地元特産品のブースなど参加者が2,000人強の大会としてはブースが多いような気がする。 またレース後にいただいた「豚汁」も美味しかった。ただ少々時期はずれな気もするが・・・。 最後までわからなかったのが大会名にかぶっている「あじさい」。沿道には咲き誇っているところも見られず、参加者からも「何であじさいなんだろうね」という声も聞こえてきた。表彰台の前に10個程度の鉢植えさえ並べられなければ、最後まであいじさいを見ることがなかったかもしれない。
コース紹介 今回のレースのコースは非常にシンプル。スタート場所は、野木小学校のグランド横となるが、ゴールは小学校のグランド。最初と最後は少々異なるが、残りは走る距離の概ね半分の地点で折り返すコース。スタートしてから気持ち上り勾配となるが、ほとんど気にならない。平坦で高速コースといえるだろう。ただし、6月のこの時期に記録を狙うのは少々難しいかもしれない。
レース この大会のスタート時間は各種目とも早い。 ハーフマラソンが9時ちょうど、私の出場した5kmが一番遅くそれでも9時35分。遠方からの参加者にとっては、早起きするか前泊するかしなければならないが、時期も時期なので暑くなる前にスタートする方が嬉しい。 さて、この大会のメインは、900人ほどがエントリーしているハーフマラソン。スターターは、今日のゲストランナーのエリックワイナイナだ。 ワイナイナはオリンピック2大会連続のメダリストではあるが、高くとまっている感じは全くなく、友だち感覚の選手だ。日本語も話せるのでランナーの中では人気がある。 今回、このハーフマラソンであるがスタート直後に信じられない光景を目にした。 スタートのピストルと同時に最前列の選手が飛び出すのは普段見られる光景。市民マラソンとなると中段以降はのろのろとゆっくり走り出す。これが一般的なもの。 今回もこんな感じになるだろうと思いきや、中段以降の選手たちはスターターのワイナイナに寄ってきて、タッチをしている。「まあ、走るついでだから」と思ってみていたが、ランナーの多くが走り去った後、ワイナイナの前には何と行列ができているではないか。「おいおい、ピストルは鳴っているぞ」。タイムを気にしないランナーがこれほどいるとは思いもしなかった。
さて、9時35分に私の出場する5kmがはじまる。 こちらはハーフマラソンほどの人数はいないものの、中学生を中心に400人近くがエントリーしている。毎度のことであるが、距離が短いのでスタート直後の混雑を上手に抜け出さなければならない。 約200人ほどの中学生が大挙して前の方に構えるが、私もその中に入れてもらいこの混雑から抜け出すことにする。 ピストルが鳴ると同時に、列が一斉に動き出すが、その間をすり抜けてスタートする。100m先の最初のコーナーも混雑することなく公道へ。スタートダッシュはうまく決まる。ここまでは予定通り。1kmの通過が3分09秒。このあたりも予定通り。この先練習不足がどこで露呈してくるか。 2kmもすると後続から数人の選手がやってきて追いつかれ、そして追い抜いていく。というより一気に私のペースが落ちたことが原因だろう。脚が一気に重くなる。
5月から6月上旬は忙しかった。 毎週のように東京出張。法事、運動会の参観、家庭教師の依頼、宿直も2回。またこの間に3大会の出場。まとまった練習時間がほとんどとれていない。ツケはすぐにやってくる。(言い訳ばかりしても仕方がないが・・・) 前半はまだ我慢ができたのであるが、後半は完全に脚がぴたりと止まる。終盤だろうか、同じ年代の選手に抜かれたのは(ナンバーカードが前に一枚しか付いていないので、選手の年代がわからない)。最初の1kmを3分09秒で入った割に後半がガタガタになったため、結局5kmで17分25秒も要してしまった。 平坦で走りやすかったコースだけに、きっちり練習しておければもう少し優勝争いに絡めたかもしれない。優勝できなかったのは自分に力がないということだが、チャンスがあっただけにもったいないことをしたと思う。
アフターレースは長浜市へ 名古屋から福井方面へ行くときに9割方経路として通るのが北陸自動車道。米原経由なので滋賀県を必ず通ることになる。その時には長浜、木之本などを通るが、ここは’92〜’94年に出場したアイアンマン・ジャパン・インびわ湖のコースの主要部分だ。’92年は独身最後の年だったが、’93,’94年は結婚してからの出場。妻・ゆきことハワイを目指し戦った主戦場でもある。 現在、アイアンマン・ジャパンは、会場を長崎県五島市に移しているが、それまでは滋賀県をあげての行事であった。名古屋からも比較的近く、4月、5月などはわざわざ自転車でコースの試走にもたびたび出かけていた。 当時のコースは、松原水泳場をスタートし彦根プリンスホテルまで3.9kmを泳ぐ。その後バイクでびわ湖の湖岸北上し、さらに余呉湖を一周。柳ヶ瀬という福井県の県境近くまで北上し、それから折り返し南下木ノ本付近から山の中に入り金居原で折り返し、その後伊吹へ向かう。近江長岡あたりまで南下し再び北上し、湖岸の奥びわスポーツの森まで自転車を180.2km漕ぐ。その後は田んぼの中の道など、日陰の少ないところを走りながらゴールの長浜城豊公園を目指す。もちろんランニングで42.195km。これが全行程226.3kmの内訳だ。 松原水泳場をスタートするのが午前6時30分。起床は概ね3時30分。当時のトップクラスでもゴールまで8時間20〜30分を要すので、早くてもゴールは午後3時前。私の場合は10時間程度なので午後4時半頃のゴールだった。本当に長い長い1日だった。 雑誌でも、テレビでも日本で一番メジャーな大会として当時は取り上げられていた花形の大会だった。参加することが誇りであり、また一年の総決算的な大会でもあった。 ただし、参加するのは相当な期間、相当な練習量がなければ戦えない。 現在ではあまりの忙しさに、フルトライアスロンどころか51.5kmのオリンピック・ディスタンスという距離の大会すらなかなか満足に出場するだけの練習ができていない。 子どもたちの手が離れ、仕事もヒマになるようなことがあれば、再びアイアンマンにチャレンジしようと思う。 前置きは長くなったが、今日は何となく長浜に行ってみたくなった。 長女・ゆかこの生まれる前のことなので、本人は「ふ〜んそれがどうしたの?」と素っ気ない返事だったが、私としては大まじめ。16年ぶりに訪れた、奥びわスポーツの森や長浜城豊公園は懐かしかった。 奥びわスポーツの森は、バイク→ランのトランジションの場所。構造が簡単だけにすぐに当時のことを思い出す。そしてゴールの長浜城・豊公園は特設スタジオのような作りだったので、「このあたりだったかな・・・」と少し歩いたが、しばらくすると見つかった。公園の駐車場がゴールだったのだ。今日は車も多いし、おまけにバスまで停まっている。これが普段の姿なのであろうが、ここに16年ぶりに帰ってくるだけで今日は満足だった。
今日の戦利品
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