第6回 わかさあじさいマラソン 参戦記
 昨年は新型インフルエンザの流行を警戒しての大会中止。このまま一度も出ることがなければ、この大会が良い大会なのかどうかがわかりませんよね。ということで昨年に引き続き申込みをしました。

 さて、福井県は名古屋からは200km以内なので、高速道路を利用すれば比較的近いところなので、これまでも何度も訪れています。今回訪れた若狭町は、平成17年3月に
三方郡三方町と遠敷郡上中町を合併して誕生した新しい町です。合併時に三方上中郡という郡を新設している珍しい合併の仕方です。大会は、今回で6回目ですが、町同士の合併を機会にはじまった大会のようですね。

 大会の方ですが「あじさい」と名前が付く割には、沿道にはあじさいを見ることもなく、表彰式の表彰台の廻りに鉢植えのあじさいが少し飾られていただけでした。6月に入っても雨が少なく、この付近で見られるあじさいの見頃はもう少し後なのでしょうか。
 昨年に引き続き、ゲストランナーはエリック・ワイナイナ。1996年のアトランタオリンピックでマラソン・銅メダル、2000年のシドニーオリンピックではマラソン・銀メダル、2004年のアテネオリンピックではマラソン・第7位と2大会連続のメダリスト。3大会連続の入賞者として知られていますが、わが家の子どもたちはテレビ番組「逃走中」に出てくるタレントとして知っています。今回の遠征に同行しなかった長男・かずたかからは「サイン貰ってきて」というので、サインを貰ってきましたが、喜んでいたのは子どもたちでしたね。

 
●大会名 第6回わかさあじさいマラソン
●開催日 平成22年6月6日(日)
●コース
 /大会要項
 /プログラム
若狭町立野木小学校(地図)発着(福井県三方上中郡若狭町)

大会要項

プログラム

コースマップ

高低差
いずれもクリックすると拡大します 
●天 候 晴れ、気温20℃くらい
●参加賞 Tシャツ、豚汁、瓜割の水(抽選券)、パレアの湯入浴割引券、野菜ジュース(伊藤園)
●結 果 17分25秒(5km:男子40歳以上 第2位、総合第6位)
●表彰 賞状、トロフィー、シューズバッグ
●過去の戦績
H 22.5.31 第5回大会 大会中止 (47歳)
●交通手段等
(往路) 自宅5:46〜名古屋IC〜(東名・名神・北陸道)〜敦賀IC〜(一般道)〜会場近くに路駐7:52〜(徒歩)〜会場8:05
  【第6回 わかさあじさいマラソン 5km 9時35分スタート】
(復路) 会場11:29〜路上駐車場所11:39〜(一般道)〜(昼食)〜みかた温泉きらら(入浴)〜敦賀IC〜(北陸)〜木之本IC〜(一般道)〜奥びわスポーツの森〜長浜城・豊公園〜海洋堂フィギュアミュージアム〜(一般道)〜長浜IC〜(北陸道・名神・東名高速)〜名古屋IC〜自宅18:26
●費用
参加料 2,000円  
燃 料 4,390円   371.5(km)/11.0(リットル/km)×130(円/リットル)
高速料金 2,400円
 ( ETC割引/名古屋〜敦賀 1,000円)
 ( ETC割引/敦賀〜木之本 400円)
 ( ETC割引/長浜〜名古屋 1,000円)
入浴料 600円  (みかた温泉きららの湯)
入場料 800円  (海洋堂ミュージアム)
駐車料 100円  (長浜市内)
合 計 10,290円  
●種目、参加者数(申込人数) 及び 各部優勝者(5km40歳以上男子は6位まで) (★は加藤が参加した部門)
【ハーフマラソン−9時00分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 都道府県 所属 記録
一般男子(高校以上) 763人 飯田 幸希 愛知県    1゜14’50”
一般女子(高校以上) 143人 三浦 彩花 京都府   1゜29’40”
【10km−9時05分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 都道府県 所属 記録
一般男子(高校以上) 333人 有田 昌史 京都府   33’25”
一般女子(高校以上) 94人 塚本 和美 滋賀県 チームサンタ 39’55”
【5km−9時35分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 都道府県 所属 記録
39歳以下男子 49人 中井 芳聡 京都府   16’29”
40歳以上男子 79人 山本 淳史 京都府   17’04”
加藤 一郎 愛知県 名古屋市役所走友会 17’25”
柿原 貴次 京都府   17’28”
木下 誠 大阪府   18’20”
内田 武史 大阪府 パナソニック電工 18’30”
野 芳映 敦賀市 気比の松原a.c 18’38”
一般女子 58人 西 初美 若狭町 玉置46B.C 23’26”
中学男子 204人 大矢 滉樹 敦賀市 気比中学校 16’53”
【3km−9時15分スタート】
30歳以上男子 50人 蔭地 和成 愛知県   9’50”
一般女子(高校以上) 42人 薮上 恵 敦賀市   12’47”
中学女子 192人 岩瀬 翔子 三重県 上野AC 10’59”
小学男子(4年以上) 74人 松本 直樹 京都府    10’50”
小学女子(4年以上) 55人 安井 悠 京都府   11’28”
【2km−9時10分スタート】
50歳以上男子 27人 柿原 貴次 京都府   6’33”
親子ファミリー 129組 野原大地・ジョバンニ・ムニッキ 美浜町 美浜南小学校 7’48”
総合計 2,426人  

ゲストはエリック・ワイナイナ
 昨年の第5回大会は新型インフルエンザの影響で中止。今年は宮崎県で口蹄疫の関係で多くの大会が中止になっている。いわゆる、台風などの天災と違い、新型インフルエンザ、口蹄疫などの危機管理の面から大会の開催の可否を決定するのは非常に難しい。昨年は主催も相当悩んだことだろう。
 今年は昨年ことを思えばこの地方は平穏無事といってもいいだろう。昨年この大会が中止となっただけに2年ぶりに無事開催されることは主催者も選手もありがたいと感じたことだろう。

 今回のゲストは、昨年に引き続きエリック・ワイナイナ。
 ケニア出身でオリンピックでは2大会連続メダルを獲得している。平成5年〜平成18年まで日本ではコニカミノルタに所属していた。さすがに日本に15年以上も滞在しているので日本語も上手だ。
 私は過去に、平成16年11月に愛知県豊川市で開催された「トヨカワシティマラソン」、平成18年9月に岩手県盛岡市で開催された「啄木の里ふれあいマラソン」の2大会で会っているので、彼に会うのは今回で3回目となる。

 わが家の子どもたちは、彼のマラソンランナーとしての過去の実績は知らない。子どもたちは彼のことをランナーではなく、テレビ番組「逃走中」に出てくるタレントとして認識しているようだ。
 何はともあれ、有名人のサインが欲しいみたいで長男・かずたかは中2となって勉強しなくてはいけなくなってきたので留守番をすることになったが、長女・ゆかこは喜んで行くことになった。

「”逃走中”見ましたよ〜」と、わが娘。

「あの人たち足速いんだよ〜」とワイナイナ。

サービス精神たっぷりでニコニコ感じがよかったですね。

大会会場
 今回のメイン会場は、若狭町立野木小学校。会場には、バルーンが上げられて遠くからも目印となっているが、会場近くには駐車場が無く、会場付近の路上や田んぼの中の道も駐車場になっていた。町内にイベントを開催するときに多くの車を受け入れるだけの施設がないのだろう。苦肉の策のようだ。

 この大会には初めてやってきたが会場は賑やかでいい。スポーツグッズ販売ブースの他、地元特産品のブースなど参加者が2,000人強の大会としてはブースが多いような気がする。
 またレース後にいただいた「豚汁」も美味しかった。ただ少々時期はずれな気もするが・・・。

 最後までわからなかったのが大会名にかぶっている「あじさい」。沿道には咲き誇っているところも見られず、参加者からも「何であじさいなんだろうね」という声も聞こえてきた。表彰台の前に10個程度の鉢植えさえ並べられなければ、最後まであいじさいを見ることがなかったかもしれない。

会場付近の道路は、写真のように路駐だらけ。もちろん係員の誘導によるものです。

会場の野木小学校。フェンスには「わかさあじさいマラソン」の文字看板が付けられていました。
会場ではスポーツ用品のブースが3店舗。パン、おにぎりやアイスクリームを販売するブースの他に、地元の特産品を売るブースもあり賑やかでした。わたしも今回、ソックス4足とランニングパンツを購入しました。

こちらは選手受付

こちらは開会式の様子

中央の赤いウエアがエリック・ワイナイナ

わが娘が嬉しそうに引っ張っていたのは・・・、

空に浮かんだバルーン。引っ張りすぎないようね。

こちらは抽選会会場。引換券と交換で1回引けます。「米5kgを狙うぞ〜!」

ジャーン!はずれ!もらったものは参加賞の若狭の名水でした。

こちらは同じく引換券と交換でもらえる「豚汁コーナー」。豚汁が余っていたみたいで「家族の方にもどうぞ・・・」といわれたので、長女・ゆかこの分もあわせて2杯いただきました

こちらがその豚汁。時期外れの感はありますが、具が多く食べてみると美味しかったです。

コース紹介
 今回のレースのコースは非常にシンプル。スタート場所は、野木小学校のグランド横となるが、ゴールは小学校のグランド。最初と最後は少々異なるが、残りは走る距離の概ね半分の地点で折り返すコース。スタートしてから気持ち上り勾配となるが、ほとんど気にならない。平坦で高速コースといえるだろう。ただし、6月のこの時期に記録を狙うのは少々難しいかもしれない。

スタート場所は野木小学校のすぐ東。全種目ここからスタートします。

スタートして100mほどして左折し、一般公道に出ます。

ここからひたすら東へ向かいます。ずっとこんな感じの景色が続きます。

2kmくらいのところに最初の給水所。5km、10km、ハーフマラソンの部門の選手が利用できます。

ここが5kmの折り返し地点。

道路にははっきりと印が付けてあります。福井県の大会のコースは、みな同じようにコースにはっきりとマーキングしてありますね。

折り返してしばらくすると5kmの中間点。折り返し地点は2.4kmくらいでしょうか。

しばらくすると、また給水地点。道路の反対側に見えるのは最初の給水地点です。

この大会は、1kmごとにはっきりと看板が出されています。

同じく残り1km。

最後は小学校のフェンスを右に見ながらゴールを目指します。

野木小学校の南西角を右折し・・・、

さらに50mほどで右折し・・・、

ようやくゴールが見えてきました。

グランドの南側にゴールがあります。

レース
 この大会のスタート時間は各種目とも早い。
 ハーフマラソンが9時ちょうど、私の出場した5kmが一番遅くそれでも9時35分。遠方からの参加者にとっては、早起きするか前泊するかしなければならないが、時期も時期なので暑くなる前にスタートする方が嬉しい。

 さて、この大会のメインは、900人ほどがエントリーしているハーフマラソン。スターターは、今日のゲストランナーのエリックワイナイナだ。
 ワイナイナはオリンピック2大会連続のメダリストではあるが、高くとまっている感じは全くなく、友だち感覚の選手だ。日本語も話せるのでランナーの中では人気がある。

 今回、このハーフマラソンであるがスタート直後に信じられない光景を目にした。
 スタートのピストルと同時に最前列の選手が飛び出すのは普段見られる光景。市民マラソンとなると中段以降はのろのろとゆっくり走り出す。これが一般的なもの。
 今回もこんな感じになるだろうと思いきや、中段以降の選手たちはスターターのワイナイナに寄ってきて、タッチをしている。「まあ、走るついでだから」と思ってみていたが、ランナーの多くが走り去った後、ワイナイナの前には何と行列ができているではないか。「おいおい、ピストルは鳴っているぞ」。タイムを気にしないランナーがこれほどいるとは思いもしなかった。

9時ちょうどにスタートするハーフマラソンの部門の選手たち

スターターはワイナイナ

ピストルと同時に一斉スタート!かと思いきや・・・、

何と後ろの選手は走らずワイナイナのところに寄ってタッチしています。

何と最後はご覧のように行列ができている始末。もうスタートのピストルは鳴ってますよ〜!
 
 さて、9時35分に私の出場する5kmがはじまる。
 こちらはハーフマラソンほどの人数はいないものの、中学生を中心に400人近くがエントリーしている。毎度のことであるが、距離が短いのでスタート直後の混雑を上手に抜け出さなければならない。
 約200人ほどの中学生が大挙して前の方に構えるが、私もその中に入れてもらいこの混雑から抜け出すことにする。
 ピストルが鳴ると同時に、列が一斉に動き出すが、その間をすり抜けてスタートする。100m先の最初のコーナーも混雑することなく公道へ。スタートダッシュはうまく決まる。ここまでは予定通り。1kmの通過が3分09秒。このあたりも予定通り。この先練習不足がどこで露呈してくるか。

 2kmもすると後続から数人の選手がやってきて追いつかれ、そして追い抜いていく。というより一気に私のペースが落ちたことが原因だろう。脚が一気に重くなる。

スタート直後。中学生らと一緒にバトルをすり抜けスタート(中央の赤いランシャツが私)。長女・ゆかこ撮影

 5月から6月上旬は忙しかった。
 毎週のように東京出張。法事、運動会の参観、家庭教師の依頼、宿直も2回。またこの間に3大会の出場。まとまった練習時間がほとんどとれていない。ツケはすぐにやってくる。(言い訳ばかりしても仕方がないが・・・)

 前半はまだ我慢ができたのであるが、後半は完全に脚がぴたりと止まる。終盤だろうか、同じ年代の選手に抜かれたのは(ナンバーカードが前に一枚しか付いていないので、選手の年代がわからない)。最初の1kmを3分09秒で入った割に後半がガタガタになったため、結局5kmで17分25秒も要してしまった。
 平坦で走りやすかったコースだけに、きっちり練習しておければもう少し優勝争いに絡めたかもしれない。優勝できなかったのは自分に力がないということだが、チャンスがあっただけにもったいないことをしたと思う。

タイムは悪かったもののとりあえず40歳以上男子で2位で賞状をいただきました。

ワイナイナとも握手。ケニアと日本の友好が芽生えた?

アフターレースは長浜市へ
 名古屋から福井方面へ行くときに9割方経路として通るのが北陸自動車道。米原経由なので滋賀県を必ず通ることになる。その時には長浜、木之本などを通るが、ここは’92〜’94年に出場したアイアンマン・ジャパン・インびわ湖のコースの主要部分だ。’92年は独身最後の年だったが、’93,’94年は結婚してからの出場。妻・ゆきことハワイを目指し戦った主戦場でもある。

 現在、アイアンマン・ジャパンは、会場を長崎県五島市に移しているが、それまでは滋賀県をあげての行事であった。名古屋からも比較的近く、4月、5月などはわざわざ自転車でコースの試走にもたびたび出かけていた。
 当時のコースは、松原水泳場をスタートし彦根プリンスホテルまで3.9kmを泳ぐ。その後バイクでびわ湖の湖岸北上し、さらに余呉湖を一周。柳ヶ瀬という福井県の県境近くまで北上し、それから折り返し南下木ノ本付近から山の中に入り金居原で折り返し、その後伊吹へ向かう。近江長岡あたりまで南下し再び北上し、湖岸の奥びわスポーツの森まで自転車を180.2km漕ぐ。その後は田んぼの中の道など、日陰の少ないところを走りながらゴールの長浜城豊公園を目指す。もちろんランニングで42.195km。これが全行程226.3kmの内訳だ。
 松原水泳場をスタートするのが午前6時30分。起床は概ね3時30分。当時のトップクラスでもゴールまで8時間20〜30分を要すので、早くてもゴールは午後3時前。私の場合は10時間程度なので午後4時半頃のゴールだった。本当に長い長い1日だった。
 雑誌でも、テレビでも日本で一番メジャーな大会として当時は取り上げられていた花形の大会だった。参加することが誇りであり、また一年の総決算的な大会でもあった。

 ただし、参加するのは相当な期間、相当な練習量がなければ戦えない。
 現在ではあまりの忙しさに、フルトライアスロンどころか51.5kmのオリンピック・ディスタンスという距離の大会すらなかなか満足に出場するだけの練習ができていない。
 子どもたちの手が離れ、仕事もヒマになるようなことがあれば、再びアイアンマンにチャレンジしようと思う。

 前置きは長くなったが、今日は何となく長浜に行ってみたくなった。
 長女・ゆかこの生まれる前のことなので、本人は「ふ〜んそれがどうしたの?」と素っ気ない返事だったが、私としては大まじめ。16年ぶりに訪れた、奥びわスポーツの森や長浜城豊公園は懐かしかった。
 奥びわスポーツの森は、バイク→ランのトランジションの場所。構造が簡単だけにすぐに当時のことを思い出す。そしてゴールの長浜城・豊公園は特設スタジオのような作りだったので、「このあたりだったかな・・・」と少し歩いたが、しばらくすると見つかった。公園の駐車場がゴールだったのだ。今日は車も多いし、おまけにバスまで停まっている。これが普段の姿なのであろうが、ここに16年ぶりに帰ってくるだけで今日は満足だった。
  わたし 「おーい、ちょっと来い。写真撮るぞー!」 
  ゆかこ 「えーっ、どうしてトイレの横で写真撮るの」
  わたし 「いいから、いいから。ここは父ちゃんの思い出の場所なんだから」
  ゆかこ 「ふ〜ん。変なの。」

奥びわスポーツの森。アイアンマン・ジャパン・イン・びわ湖開催当時は、バイク→ランのトランジションの場所だった。

後方に見えるのは復元された長浜城。豊(ほう)公園は、かつての豊臣秀吉が住んでいた。山内一豊も住んでいた。

こちらはゴールへのビクトリーロード。当時は、撮影場所から100mほど向こうから左の駐車場へ入っていくレイアウトだった。

この辺りが、当時のアイアンマン・ジャパン・イン・びわ湖のゴール。この日は車が停まっているだけで、まさに「強者どもが夢のあと」の雰囲気だった。

’92(平成4年)の大会のゴール。多くの観客がいて、ゴールすることはそれだけでも華だった。またこの年と’94年の2回はハワイ・アイアンマンへの出場する権利を獲得した。

右は駐車場横ただのトイレではあるが・・・、

2人ゴール後に記念撮影をしてもらった思い出深い場所である。この写真は、私のお気に入りの写真のひとつ。

今日の戦利品


今日の戦利品は賞状一枚と少なめでした。でも・・・(詳細は↓)。また、サイン色紙は副賞でなく、家から持参したものに書いてもらったものです。

なぜか大会終了の3日後に郵便で送られてきたトロフィー