第24回南部町緑水湖健康マラソン大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今回の移動は公共交通機関 今回遠征は、鳥取県でも西部に位置する西伯郡南部町。幸いなことに名古屋からは山陰方面へは、松江駅を経由し出雲市行きの中国ジェイアールバスの運行する夜行バス「出雲・松江ドリーム名古屋号」が出ている。一旦、島根県に脚を踏み入れてから、少し戻ってくるような形となるが、この方法が一番リーズナブルだ。 名古屋から松江までこの夜行バスに乗るのは5年ぶり。交替運転手も乗せずに、途中で運転手が仮眠する形で終点の出雲市まで走る。観光客なのか帰省の客なのかわからないが、往路復路ともにかなりの席が埋まっていた。 松江から米子まではJR山陰本線を利用するが、米子駅から会場まで、米子駅から入浴のために訪れた皆生(かいけ)温泉まではいずれも日の丸自動車(バス)の路線バスを利用する。 地方へ行けば、鉄道網があまり発達していないので主要な交通機関は必然とバスになる。今回、米子駅〜緑水園の往復に日の丸自動車の上長田・大木屋線の路線バスを利用したが、一日に走るのはわずかに6往復。利用した時間帯がちょうど良かったので長時間待たされることもなかったが、乗り遅れたりするようなことがあればその後のスケジュールに支障をきたす。自動車があれば問題ないが、公共交通機関しか利用できない地方の人は、時間に余裕をもって生活しないと大変なことになるということだろうか。
南部町と緑水湖 私が調べたところ南部町というところは日本に4箇所存在している。 北から順に、青森県三戸郡南部町(人口約2万人)、山梨県南巨摩郡南部町(人口約9,000人)、和歌山県日高郡南部町(現みなべ町)(人口約1万4,000人)そして今回訪れた鳥取県西伯郡南部町(人口約1万2,000人)である。日本に4箇所もあるということからこの「南部」という地名は、それほど珍しいものであるとは言えないであろう。 とはいうものの、この鳥取県の南部町は平成16年10月1日に、旧西伯郡西伯(さいはく)町と旧西伯郡会見(あいみ)町が合併して現在の南部町が誕生している。突拍子もなく「南部」という町名が付いているように見えるが、これは西伯郡南部の旧11か村(天津村・大国村・法勝寺村・上長田村・東長田村・手間村・賀野村(以上現南部町)・幡郷村(現南部町および伯耆町)・尚徳村・五千石村・成実村(以上現米子市)を南部地域と呼称してきたことが由来だそうだ。市町村合併には、合併後の街の名前でもめることが多いが、この「南部町」というネーミングは、ちょっと地方色の薄い名前になってしまったような気がする。 さて、今回の会場は大会のネーミングにもなっている「緑水湖」のそばのレークサイドアリーナ。この緑水湖というのは、賀祥(かしょう)ダムによって堰き止められて出来た人工湖だ。調べたところ、賀祥ダムは日野川水系法勝寺川上流にあり、「洪水調節」「流水の正常な機能の維持」「上水道用水の供給」を目的とする多目的ダムで、平成元年3月に完成している。賀祥ダム建設による緑水湖の誕生で、”水と緑に囲まれた癒しの里”をキャッチフレーズに「南さいはく自然休養村」を中心とするダム周辺整備が行われている。 緑水湖のネーミングは、ダムが出来た当初からあったかどうかはわからないが、大会当日私が見る限り、単に湖の水の色がなぜか「緑色」だったのでそのように付けられたのではないかと思った次第である。 なお、開会式の時に主催者の挨拶の中で、この大会の始まった経緯を説明していたが、「賀祥ダムの建設によって湖底に沈む集落が発生するので、その想いを残すために『湖底マラソン(?)』として始まったもの」と説明をしていた。なるほど、ダムの竣工が平成元年3月なので、その前年の昭和63年に大会が開催されていれば今年で24回目となる。計算は確かに合う。 主催者の説明を聞かなければ、風光明媚なダムの周りの走る爽やかな大会だったということで終わってしまったかもしれないが、きっかけを聞いて少々重たいものを感じてしまった次第である。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照して下さい。 鳥取県の国盗り達成! 今回のコースは緑水湖というダム湖の廻りを走る爽やかなコース。紅葉には少し早いが、10月もこのコースを走る時期としては悪くはない。 午前8時過ぎに会場に到着。スタートまで2時間以上あるので、ウォーミングアップも兼ねて試走をする。湖畔のまわりというとアップダウンが付きものであるが、思いのほか平坦なコース。日陰も多く、今日は気持ちよく走れそうだ。 ただし10月に入って今日は3週連続の遠征の最後の週の大会。脚の張りも残り、終盤は苦しめられることになる。
さていざスタートをしてみると、ガンガン飛ばして行く選手も特に見あたらない。500mほどで先頭に立つ。今日は5kmなので序盤からペースが速い。「やや飛ばし過ぎかな?」というペースでも距離が短いので、まあ何とかなる。 1.4km地点(と書かれている)に5kmコースの唯一の折り返し地点がある。もちろんここはトップでUターンする。序盤はいい感じだ。最後までこの調子で頑張ろうと思った。折り返してから、後続の選手たちとすれ違うが、道路が狭いのでみな最短距離を走ろうとしているので、道路一杯に選手が広がっている。中央線もないような道路なので仕方がないが、避けるのは意外と疲れる。 最初に渡ってきた橋の入口まで戻ってきた。しかし、ここから先が意外に大変だった。 10時30分に既にスタートした5kmの後ろの方の選手、10時32分にスタートした10kmの後ろの選手、さらに10時40分にスタートした3.3kmの選手らが次々と目の前に現れ、走路上にに立ちはだかる。今回ゴールするまでかなり多くの選手が現れたが、すべて自分と違う部門の選手たちだ。これらの選手を上手に追い抜いていくのには相当骨が折れた。 突然進路を変える選手(特に子供に多い)がいると、ぶつかりそうになるのでブレーキをかけスピードを落としたりする。アップダウンの少ないコースであるが、スピードの上げ下げは意外とたくさんあった。 5kmの中間点(と書かれた表示)の通過が7分48秒。かなり距離表示があやしい。 5kmコースには、折り返しの1.4km、中間点と残り1kmの3ヶ所。公認コースでもないので、まあ適当だと思って走ればいい。
中間点を過ぎてからはビミョーにコースが下っている。賀祥ダムからスタート地点すぐ横のゴールまでが少し上りになっていることを考えれば至極当然。それにしても前を走るランナーを避けながら走るのは本当に疲れる。彼らは最短コースの位置取りをしながら走るので、こちらは逆に大回りとなる。スタート時間について一考をして欲しいところだ。 残り1kmを切り賀祥ダムの突堤に出る。選手が多過ぎて、振り返っても同年代の選手がどこにいるのかわからない。ここまできたらあとは逃げ切るしかない。 賀祥ダムの突堤を渡り国道180号線に出る。ここからゴールまでは、主催者側の指示で歩道を走るコースとなっている。ここまでややハイペースて゛走ってきたことに加え勾配が緩いとはいえ登り坂。おまけに向かい風になった。最後の試練。ここまできて抜かれるわけにはいかない。前を走る他の部門のランナーを目標に粘る。 ゴールのグランドが見えてきた。「E」のゲートを通過する。17分46秒。 先週、先々週とハーフマラソンを走ったが、今週は今週でスピードレース。疲労の体感具合も異なるが、何とか走りを切り替え優勝だけはすることが出来た。距離が正確なら褒められたタイムではないが、何とか三度目の正直で鳥取県の国盗りを達成することができたことは素直に嬉しかった。
皆生温泉 大会終了後、一旦路線バスで米子駅に戻り、昼食を摂ったあとに路線バスで皆生(かいけ)温泉に向かう。 皆生温泉は、米子市内にある山陰地方では最大級の温泉。 もとは明治23年に地元の漁師が海中に温泉が湧いているのを発見している。しかしながら、湧き出ていたのが海中の海の底からなので、そのため当時では利用の術もなく放置されていた。 その後の明治33年、やはり漁師らが今度は海岸の浅瀬で湧き出ている温泉を発見。砂浜に穴を掘って利用していたものの、波打ち際の温泉では利用にも限界があった。 大正11年、有本松太郎により、不毛の海浜の地を拓いて一大温泉郷を開発し、地方発展を図るという遠大な構想により温泉地として開発し、現在の温泉街へと発展。戦後は団体客が多く訪れるようになり、今日に見られるような温泉街に発達。昭和56年には日本で最初のトライアスロンがこの皆生温泉を中心に開催され、日本トライアスロンの発祥の地としても有名である。 私がこの皆生にやってくるのは今回で3回目。最初にやってきたのは平成9年7月、前述の皆生トライアスロンに出場するため。2回目は平成20年10月に連休を利用して鳥取県の家族旅行兼マラソン大会に参加するために立ち寄ったもの。これまでの2回は皆生温泉にゆっくりつかることもなく立ち寄っただけであったが、今回は時間もたっぷりあったので、日帰り入浴が出来る「皆生温泉おーゆランド」で汗を流しくつろぐことにした。 この”おーゆランド”の大人の入浴料はわずか350円。施設も新しく、スーパー銭湯並みの風呂や休憩施設を持ちながらこの料金には驚いた。これは、この”おーゆランド”が公衆浴場という位置づけであることによるもののようだ。気をつけなければならないのはサイトにも開催されているとおり
今回初めて皆生温泉でゆっくりくつろぐことが出来たが、日帰り温泉で入浴できるこの「おーゆランド」は間違いなくオススメの日帰り温泉だ。
本日の戦利品
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