第26回カッパハーフマラソン 参戦記
 トライアスロンでは、これまで2度ほど訪れたことのある宮城県ですが、ランニング関係では、今回、初めて訪れることになりました。宮城県もいろいろな大会がありますが、開催時期、種目、カテゴリーなどを考慮して、今回参加した「カッパハーフマラソン」を国盗りの目標大会に決めました。
 会場の登米市登米町を訪れるのはもちろん初めて。杜の都・仙台から70〜80kmほど離れていますが、ハーフマラソンのコースは記録が出やすいらしく、今シーズン3本目のハーフマラソンになりますが、どのくらいの記録が出るのかという楽しみもあり、11月のメインレースという位置づけにしてきました。


 大会前日に訪れた登米市登米町は静かそのもの。「本当に明日この地に2,500人ものランナーがやってくるのであろうか」と思わせる雰囲気でしたが、大会当日になると「どこから人がうじゃうじゃ現れるの?」といわんばかりの多くのランナーでごった返していました。
 私の出場したハーフマラソンは、エントリーだけでも1,000人近い数で、若干ですが久しぶりにスタートに手こずりました。コースは、ところどころにアップダウンがあるものの、リズムを大きく変えるような起伏ではなく、いわゆるアクセントのようなアップダウンで、むしろ心地よさを感じたランナーもいたことでしょう。
 国盗りの方ですが、スタートから同じカテゴリーの選手に大きく先行をを許し、その差を詰めていくどころかどんどん離されてしまい。ゴールでは約2分差の完敗でした。しかしながら、ハーフマラソンとしてはシーズンベストが出て、12月下旬のフルマラソンに向けて少しばかりですが、弾みになった大会でした。

 
●大会名 第26回カッパハーフマラソン
●開催日 平成23年11月27日(日)
●コース
 /大会要項

 /プログラム
登米市登米総合体育館前発着(宮城県登米市) →詳細地図

大会要項

プログラム

コースマップ(概略)


コースガイドはこちら
  
ハーフマラソンコース詳細               スタートゴール詳細
それぞれクリックすると拡大します
●天 候 晴、10℃
●参加賞 タオル、巾着袋、アクエリアス(コップ/完走後)、みそ汁(完走後)
●結 果 1時間17分49秒
(21.0975km : 総合第23位、45歳以上男子 第2位)

距離 スプリット ラップ
5km 18分01秒 18分01秒
10km 36分31秒 18分30秒
15km 55分09秒 18分38秒
20km 1時間13分53秒 18分44秒
ゴール 1時間17分49秒 3分56秒
●表 彰 賞状、盾、瓦せんべい、醤油
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
  【11月25日(金)/1日目】
徒歩 自宅 20:21 自由ヶ丘駅 20:32
地下鉄 自由ヶ丘 20:33 本山 20:35 (名城線)
20:31 20:33
本山 20:41 名古屋 20:57 (東山線)
夜行バス 名古屋駅西口 21:30 仙台駅東口 7:19 (Willer Express)
7:30
【11月26日(土)/2日目】
レンタカー 仙台駅 8:11 登米総合体育館 14:20 (石巻市、女川町、南三陸町経由)
【コース下見/試走】
レンタカー 登米総合体育館 16:35 ホテル 16:40
【ホテル望遠閣 泊】
【11月27日(日)/3日目】
レンタカー ホテル 7:39 会場駐車場 7:49
送迎バス 会場駐車場 7:54 会場 7:59
【第26回カッパハーフマラソン/21.0975km−9時30分スタート】
送迎バス 会場 13:33 会場駐車場 13:38
レンタカー 会場駐車場 14:08 みやぎの明治村 14:13
  【みやぎ明治村 散策】
レンタカー みやぎの明治村 15:00 長沼温泉 15:40
【長沼温泉・ヴィーナスの湯 入浴】
レンタカー 長沼温泉 16:25 仙台駅 18:47
夜行バス 仙台駅東口 21:30 7:48 (Willer Express)
7:50
【11月28日(月)/4日目】
地下鉄 8:12 自由ヶ丘 8:31 (名城線)
徒歩 自由ヶ丘駅 8:31 自宅 8:45
※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
 
参加料 3,000円  
地下鉄(名古屋市営) 520円 (自由ヶ丘〜名古屋/栄〜自由ヶ丘)
夜行バス 8,700円 (名古屋駅〜仙台駅/Willer Express)
同上 7,900円 (仙台駅〜栄/Willer Express)
宿泊 6,000円 (ホテル望遠閣)
レンタカー 9,430円 (駅レンタカー/48時間)
燃料 2,419円 (17.79リットル×136円)
入館料 200円 (登米懐古館)
入浴料 400円 (長沼温泉 ヴィーナスの湯/2時間割)
合 計 38,569円  
●種目、参加者(申込人数、★は加藤が参加した部門)及び各部門の優勝者(ハーフマラソン45歳以上男子は6位まで)
【21.0975km−9時30分スタート】
区分 申込者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
登録者男子 241人 星 智 31 仙台市 せんだんの丘 1゜09’04”
登録者女子 22人 高橋 美紀 38 仙台市 仙台鉄人会 1゜22’55”
高校生以上〜29歳男子 93人 船水 大也 21 青森県 八戸工業大学スキー部 1゜12’46”
30歳〜44歳男子 251人 佐々木 公太 30 秋田県 横手市消防署 1゜15’04”
★45歳以上男子 277人 石川 一幸 47 山形県 山形市役所 1゜15’54”
加藤 一郎 49 愛知県 名古屋市役所走友会 1゜17’49”
山田 雅也 46 青森県   1゜17’49”
菅原 勲 48 東京都 仙台SMC 1゜21’20”
長井 克巳 48 栗原市   1゜22’41”
佐藤 好史 52 仙台市 仙台住吉台走友会 1゜22’50”
高校生以上〜39歳女子 59人 佐藤 由貴 37 青森県 八戸市BT協会 1゜21’03”
40歳以上女子 50人 佐藤 千佳子 48 岩沼市   1゜39’02”
【10km−10時25分スタート】
区分 申込者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
登録者男子 40人 菅井 拓也 27 大崎市 YKKAP東北 32’16”
登録者女子 18人 亀井 優子 30 岩手県 胆沢南走会 39’13”
高校生以上〜39歳男子 178人 伊藤 修一 36 仙台市 宮城地方協力本部 33’05”
40歳〜49歳男子 120人 安田 光博 40 登米市 おおさきRC 34’49”
50歳〜59歳男子 110人 岩井 裕二 52 石巻市 万石浦MC 35’29”
60歳以上男子 95人 相馬 清次 61 栗原市 瀬峰走友会 38’14”
高校生以上〜39歳女子 91人 佐藤 由希 27 迫町 ウィルランズ 38’37”
40歳以上女子 72人 小林 美和子 40 仙台市 DATEANGELS 42’27”
【5km−10時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
高校生以上〜39歳男子 69人 大橋 真弥 18 石巻市 石巻高校陸上部 15’38”
40歳〜49歳男子 56人 今井 兼人 41 名取市 たんぽぽRC 16’48”
50歳〜59歳男子 30人 今野 君雄 58 美里町 鹿島台商業高校教員 18’53”
60歳以上男子 51人 志太 博 63 仙台市   19’53”
高校生以上〜39歳女子 59人 池田 絵里 25 仙台市   21’01”
40歳以上女子 83人 堤 佳子 40 仙台市 レオクラブ仙台 18’44”
【3km−10時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
中学生男子 78人 佐々木 虎一朗 14 登米市 豊里中学校 9’27”
中学生女子 27人 丹野 文花 13 仙台市 仙台市立八軒中学校 11’07”
【2km−10時05分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
小学生男子(1〜2年生) 54人 三浦 健瑠 登米市 米山Jr陸上 8’12”
小学生女子(1〜2年生) 39人 齋藤 みこと 岩手県 住田町立有住小学校 9’49”
小学生男子(3〜4年生) 78人 伊藤 千馨 村田町 村田小学校 7’16”
小学生女子(3〜4年生) 77人 佐藤 葵 10 岩手県 一関市室根東小学校 7’38”
小学生男子(5〜6年生) 79人 松尾 鴻雅 12 青森県 蛯沢小学校 6’47”
小学生女子(5〜6年生) 72人 佐藤 響 12 岩手県 一関市室根東小学校 7’04”
親子ペア 58組 大澤哲也・琉欧 39
・6
青森県   9’10”
総合計 2,685人  

石巻市、女川町、南三陸町

今回、仙台で借りたレンタカー(ホンダ・ライフ)
 大会前日の土曜日、名古屋から乗ってきた夜行バスはほぼ定刻通りに仙台駅東口に到着した。
 当初は、仙台から直接路線バスに乗り替え、大会会場の登米市に行く計画であったが、東日本大震災から8ヶ月が経過し、被災地を訪れて何か自分に出来ることはないか考えるために、仙台でレンタカーを借り、被災地の街を訪れてから登米市に行くことにした。

 レンタカーでまわるルートとしては、南から石巻市、南三陸町、気仙沼市の順を考えていたが、石巻市を訪れそこで見た光景だけでも余りの惨状であったため、予定を変更し石巻市、女川町、南三陸町を訪れ、時間の関係で気仙沼市まで行くのは中止とした。

 今回、被災地の町々を廻って感じたことは、内陸部の津波の無かったところでは私が見た限り、大きな被害はあまり目立たなかったものの、海岸に近いところにやってくると津波にやられた建物があちこちに散らばっていた。家屋などの形があるのはまだいい方で、基礎だけ残して跡形もないものも無数に見られた。


重油タンクでしょうか、道路と道路の間の緩衝地帯に放置されていました。
 保育園、小学校、中学校などの鉄筋コンクリート作りの建物は流されずに残っていたものの、その内部は無残なもの。使えそうな雰囲気は全くなく、被災した学校の校庭は瓦礫置場、被災していない学校の校庭は仮設住宅が立ち並んでいるという有様だ。
 道路はうねり、路肩は崩れ落ち、港は沈下し護岸は崩れ、瓦礫や潰れた自動車は山のように積み上げられ、まさに廃墟とはこのことか。
 大地震がやってくるまでは、田舎ながらも楽しく過ごしていただろうこの地の人たちの幸せを、津波が一気に飲み込んでいった。

 海ではカモメやウミネコが何事もなかったようにプカプカ遊んでいる。「自分達の巣は壊れたらまた作ればいいんだよ。人間たちは丈夫なものを作ったと思っているかもしれないけれど、自然の前ではこんなものさ」とあざ笑っているように…。

 被災地のシンボルとなった南三陸町役場や公立志津川病院も見てきた。無残。本当に無惨。なすすべがないとはこのことか…。南三陸町役場の防災総合庁舎には祭壇があり、線香が焚かれていたのでお参りをしてきた。本当にご冥福を祈るばかりだ。
 被災したガソリンスタンドが3軒ほど営業していたものの、この街が以前のような街に本当に戻ることが出来るのであろうか。

 また、たまたま通り掛かった石巻市の道路から見える空地は、火葬が出来ずに、土葬されていた遺体の安置所だった(地元紙・河北新報の情報によると、旧「上釜ふれあい広場」というところらしい)。テレビなどでは見たことがあったが、実物をみると、同じ日本の中での信じられない光景であり、信じがたい事実であった。

 今日は被災地のどこに行ってもため息しかでなかった。よそ者の自分でさえショッキングな光景だから、被災地の人たちの心情は凄まじいこと極まりないことだろう。

 今日一日での走行距離は200km弱。今日一番驚いたのは、この津波の被害がとても広範囲なこと。宮城県の北側(それも気仙沼市は見ていない)しか見ていないにもかかわらず、これだけの大被害。岩手県や福島県の海岸線は全く見ていない。台風などの自然災害はとても怖いものであるが、津波は最大級の驚異。亡くなった人のご冥福を祈るとともに、これから自分達は何をすべきか本当に考えさせられた。被災地のレポートは、また別途します。

高台から見た女川町の中心部

横倒しとなった4階建ての建物(女川町内)

海岸から相当離れたところに打ち上げられた船舶(南三陸町内)

公園は瓦礫置き場(南三陸町内)

南三陸町防災対策庁舎

プレハブで営業をしていたコンビニ(南三陸町内)

登米市(とめし)登米町(とよままち)
 今回訪れた宮城県登米市(とめし)は、人口約8万3,000人。宮城県の北東部に位置する。
 平成17年4月に旧登米郡8町(迫町、登米町、南方町、東和町、中田町、豊里町、米山町、石越町)と本吉郡津山町が合併して現在に至っている。

 このうち今回の大会会場となったのは、旧登米郡登米町(とよままち)。現在の登米市登米町である。
 私も当初混乱したが、市の名前は「登米市」と書いて「とめし」と読み、町の名前「登米町」は「とよままち」と読むそうだ。
 調べたところとよま」の語源としては、続日本紀に遠山村と記され、後の登米村と認められる史実があることから、遠山が「とよま」の語源とされているという。
 とよまの原音はアイヌ語の「トイオマ(食べられる土のあるところの意)」であり、登米町一帯はアイヌが食べたと思われるアルカリ性の白い岩石が多く発掘されている。
 また、明治初めの郡区町村編制のときに簡易な読み方として「とめ」が郡名に採用されたため、郡名は「とめ」町名は「とよま」と読むようになったとある。

 この地は古くから宮城県北部の中心地だった。
 仙台藩時代は城下町として栄え、明治の一時期は水沢県庁が置かれていたこともある。この登米が栄えていたのか?その理由は、北上川を利用した水運にあった。昭和初期まで蒸気船が北上川をひっきりなしに行き交い、荷物は東京まで運ばれていた。当時は陸路よりも水上交通が最速の手段だったという。

 現在は静かな街になったものの、当時の繁栄ぶりを偲ばせる建築物がたくさんある。
 登米町は、「みやぎの明治村」をキャッチフレーズに、教育資料館(旧登米高等尋常小学校校舎・重要文化財)、警察資料館(旧登米警察署庁舎・宮城県指定有形文化財)、登米懐古館、水沢県庁記念館(旧水沢県庁庁舎)、伝統芸能伝承館 森舞台、武家屋敷 春蘭亭、登米歴史民俗資料館などを観光資源として多くの観光客が訪れている。

 今回大会終了後に、少しの時間であるがこれらの施設のいくつかを散策したが、愛知県にある明治村と違い、歴史上の施設をその場でそのまま保存している。岐阜県恵那市にある大正村のような保存の仕方だ。この地のこれだけ多くの施設が保存されていることから、かつては行政、文化の中心地であったことが大変よくうかがえた。

「みやぎの明治村」の案内看板

水沢県庁記念館(旧水沢県庁舎)
「人民調所」。明治22年から昭和33年まで裁判所として使われていたそうです。(水沢県庁内)
武家屋敷通り。一部が東日本大震災で壊れ修復中でした。

だんご屋のようです。

こちらは民家でしょうか?

「みやぎ北上商工会登米支所」と看板が出ていました。いずれも武家屋敷通りの建築物です。

消防団の倉庫でしょうか。

懐古館へ向かう途中に発見

こちらは「懐古館」。館内には伊達家ゆかりの鎧甲などの武具、絵画等が展示してある。

この懐古館にある展示物の多くは、この街の出身で元日本鋼管社長、東北開発会社初代総裁などを歴任した渡辺政人(名誉町民)が私財をはたいて買い戻したものだそうだ。

教育資料館のそばにありました。

教育資料館(旧登米高等尋常小学校校舎、重要文化財)。明治21年に建てられた、当時の洋風学校建築を代表とする建築物。2階のバルコニーが特徴的。

油麩丼とはっと汁
 どこの地方にも郷土料理があるが、この地方の郷土料理の代表的なものが「はっと汁」と「油麩丼」だという。共に初めて聞く名前。会場そばに、「つか勇」さんという食堂があったので、大会前日の夕食にと食べに出かけた。

 この「つか勇」さんであるが、大正11年に塚本商店として始めてもうすぐ創業から90年となる老舗食堂。店内にはB−1グランプリに出品の大きなポスターも貼られていた。
 午後の7時頃店にはいるが、店内には客は私一人。メニューを見て、はっと汁と油麩丼の両方を頼みたいが、その量が気になる。食べ過ぎて、明日のレースに差し支えては意味がない。

 店のオバチャンに「このセットメニューの量はどのくらいですか?」と尋ねると、何と実物の椀を持ってきて説明してくれるではないか。ならば、このメニューの最初にある「Aセット(1,000円)をお願いします」と注文する。

大正11年創業の「つか勇食堂」

店内は一般的な大衆食堂

B−1グランプリに出店したポスターが貼ってありました。

これがメニュー。写真入りでわかりやすいですね。

 ここで「油麩丼」と「はっと汁」を紹介する。

 まずは「油麩丼」の「油麩」について。
 登米地方では昔、お盆に精進料理を食す風習があった。その精進料理でタンパク源としてグルテンを油で揚げ、こくをもたせた油麩が誕生したといわれている。なお、登米では油麩と呼んでいるが、その他では仙台麩と呼んでいるらしい。
 なお油麩丼は、肉を食べられない人のためにカツ丼あるいは親子丼の代わりとして提供し始めたのが最初とされ、その後は登米町の一般家庭にも浸透していった。
 カツ丼のカツの代わりに油麩を使うところ以外は基本的にカツ丼と作り方が同じであるが、油麩がカツより水分を多く吸収するため、だし汁を多めに使用する必要があるという。

 次に「はっと汁」。
 「はっと」とは、主に東北地方に伝わる郷土料理。 小麦粉に水を加えて良く練り、熟成させて薄く延ばした生地を茹で上げる小麦粉料理の一種。 荏胡麻や大豆、枝豆などでつくった餡を餅のように絡めた食べ方や、各地方独自の野菜や肉を入れたけんちん汁風にうどんの代用として加えた食べ方などがある。
 なまえの「はっと」であるが、あまりの美味しさに何杯もおかわりしてしまうために、殿様が御法度にしたという説などがあるが定かではない。
 「はっと汁」であるが、醤油仕立ての汁物に地域ならではの食材とはっとを加えた料理で、その土地毎に調理法が異なる。この登米町では、具に特産の油麩を入れている。

 実際に見ての通り、油麩丼もはっと汁もどちらも名物の油麩が輪切りにされて入っている。食べたインパクトは薄いものの、家庭料理として頻度高く食べるには美味しい料理には間違いないと感じた。
 なお、「油麩丼の会」なるサイトもあるので、詳しくはそちらをご覧下さい。

油麩丼(左)とミニはっと汁(右)。ともに柔らかく歯ごたえがないといえばそれまでであるが、肉が嫌いな人にとってはカツ丼の代わりに美味しく食べられるだろう。

コース紹介(コースガイド)
こちらを参照して下さい。

カッパハーフマラソン
 この大会は、珍しく地名が付いていない大会である。名前を聞いただけで、どこで開催されているかフツーはわからない。

 大会要項を見ると、この大会は昭和61年11月に「第1回みやぎ北上連邦カッパマラソン」として開催されている。その後、第10回大会(平成7年)から大会名に「ハーフマラソン」が加わり、り第19回大会(平成16年)まで続いた。
 平成17年に、このみやぎ北上連邦を構成している「登米町、中田町、東和町、津山町」の4町を含む9町が合併して登米市になったため、第20回大会は、「祝登米市誕生第20回記念カッパハーフマラソンとなり、翌年からは「第○○回カッパハーフマラソン」となり、現在に至っている。
 
 もともとは「みやぎ北上連邦」の大会であって、そこのマスコットが伝説の生き物のカッパなのだ。会場ではMCがそのあたりの経緯を説明していたようであるが、遠方からやってくる私のようなものは知らないので、大会要項にも少しばかりは掲載しておいた方が良さそうだ。

復調気味のレース
 大会前日の26日(土)、仙台では初氷で宮城県内は日中も気温が上がらず寒い一日だった。
 大会前日に試走をした時は風も強く、「明日もこんな感じだと大変だなあ」と思っていたが、大会当日の早朝は冷え込んだものの、この日は風もほとんど無く、走るにはこの上ないコンディションに変わってくれた。

 この大会のハーフマラソンのコースは微妙にアップダウンがあるものの、タイムに大きく影響するようなものではない。川沿いを走るという意味では、地元・愛知県の犬山ハーフマラソンのコースに近いかもしれない。
 今回のカッパハーフマラソンのハーフと10kmのコースは日本陸連の公認コースでもあり、陸連登録者ならば記録も公認してもらえるため、参加標準記録が必要な大会への参加資格も狙える。今回は宮城県の国盗りが目的なので一般男子45才以上でエントリーしたのだった。


立派なゲートです。しかしながらハーフマラソンのスタート場所はこの先約100m、ゴールはこのゲートの手前です。不思議ですね。
 9時15分にはメイン会場の体育館前に集合。そこからスタート地点まで係員の後に付いてゆっくり歩いて移動する。公認大会なので、陸連登録者でエントリーした選手が前、一般参加の選手はその後ろに並ばされる。

 9
30分にピストルがなり、1,000人弱の隊が動き出す。私の目の前にいるランナーは陸連登録者の選手ばかりであるが、、その後方の選手たちの動きは鈍く、モタモタしている感じ。登録者といえども記録を狙う気配のない人たちだ。隊の中央から抜くのは困難なので、右側から少しずつ抜いていく。抜きながら前方を確認し、自分と同じカテゴリーの人がいないかチェックする。

 1kmほど走ると選手もバラけ走りやすくなってきた。私から見て30mほど前に一人、自分と同じカテゴリーの選手がいる(こういうときに視力が良いと助かる)。この選手が最初だけ飛ばしているのか、それとも本当に速い選手なのか見極めなければならない。今日の目的は宮城県の国盗りではあるものの、自分より相当速い選手に無理に付いていって、その結果オーバーペースになってまともなタイムすら出ずにボロ負けするわけにはいかない。

 ハーフマラソンのコースは、スタートしてから少し北上し、ループ上に回り、2.5kmほどでいったんスタート地点に戻り、それから北上川を右手に見ながら遡るというコースだ。前半の2.5kmは距離調整といった感もある。


往路は北上川を右手に眺めながら走ります。
 今日の目標タイムは1時間18分台。5kmあたり1840秒程度のペース。ところが5kmの通過が18分01秒。予定より30秒以上も早いではないか。スタートのもたつきもあるので、実質は17分台だろう。体感的には特に速いという感じもなかったので今日はこの感覚で行くことにする。

 5km付近では、自分と同じようなペースで走っていた選手が二人いたが、彼らはペースを少しずつ上げて、徐々に自分から離れていく。いや、むしろ自分のペースが単に落ちただけかもしれない。代わって後方から二人ほどの選手が追い上げて追い付いてくる。結果からすれば、今日はこの二人の選手とゴール近くまで並走することになったのであった。

 10kmの通過タイムは3631秒。この5km1830秒とほぼ予定通り。11.7〜8km辺りで折り返すが、数えたところ全体で24番目。前を走る同じカテゴリーの選手とはかなり離れてしまい、今日の国盗りは難しくなってきたので、タイムだけはキープしようと心がけた。


ハーフマラソンの折り返し地点。スタートしてから11.7〜11.8kmあたり。

道路にペイントがしっかりしてあります。
 15kmの通過は55分09秒。この5km18分38秒と疲労とやや吹き出した向かい風のせいかビミョーにタイムが落ちている。前を走る選手との距離はかなり離れてしまってはいるが、3人でペースを維持しながら頑張っているという感じだ。

 17kmを過ぎると5kmコースの選手が折り返し地点をUターンし、ハーフマラソンの選手と同じようにゴールを目指している。こちらもややペースが落ち気味だったので、ちょうど彼らが自分のペースメーカとなり、落ちかけていたペースを上げるのに役立った(感謝!)。

 20kmの通過は1時間13分53秒(この大会では「20km地点」の距離表示がないが、前日の試走で残り1km地点から逆算して推定した場所)。この5kmは1844秒。ペースが少しずつ落ち気味ではあるが、残りわずかに1km。これからが最後の踏ん張りどころだ。

 並走していた選手の一人は既に脱落。私と同じカテゴリーの選手とラスト1km位争うことになった。このような展開になればロングスパートしようと決めていたので、残り1kmから最後の力を出してペースアップをする。久しぶりにガンガン走った。最後だけは…。

 昨日の夕方、ひっそりとしていた登米市登米町内も、ゴールが近くなるにつれ多くの応援の人がいる。選手の家族やチームメイトだろう。ガソリンスタンドのある交差点を右折するとゴールが見えてくる。時間1749秒。宮城県の国盗りは達成できなかったものの、同タイムながら併走していた選手よりわずかに先着し、何とか一般男子45才以上の位だけは確保した。(位は時間1554秒)

 今回は宮城県の国盗りは達成できなかったが、タイム的には当初の目標を少し上回り、まずまず練習の成果がでて調子が上向きになってきたことを確認できる大会であった。

ゴールする選手たち

熱気のあった大会
 人口約8万3,000人の登米市。大会会場のある旧登米町は、合併前の人口が約5,700人の小さな街だ。
 しかしながら、今日のこの大会にはエントリーした選手が約2,700人。また、この会場でカッパハーフマラソンに並行して行われていた「とよま産業まつり」というイベントがあったが、これを目当てに会場にやってきた観光客を含めると、この会場にいた人口は明らかに町の人口以上の人だったのではないか。

 海に面していないので、この旧登米町は東日本大震災時に津波の被害には受けていないものの、町内では震度6強の揺れを観測し、観光施設も多く被害を受けている。開会式で選手宣誓をした女性も、今回の震災の被災者の一人だという。
 個人的には東北の人は寡黙で我慢強いという印象がある。
 しかしながら、この大会では、日頃の我慢を発散するように明るく走り、また会場も驚くほどみなさんが明るかった。仮設住宅で生活している人にとっては、まだまだ走っている場合じゃないという方も多いのであろうが、「いつまでも沈んでいても仕方がない。」とか「俺の家も流されたけど、何とかなるさ」というような会話が会場のあちこちで聞こえていた。何とバイタリティーのあることだろう!

 大会終了後には、私もこの「とよま産業まつり」に参加させてもらったが、本当に賑やかで楽しかった。
 特に、「カッパ巻き100mに挑戦」は面白かった。MCの号令にあわせてカッパ巻きを作るというもの。作ってからは10秒ほど一斉に持ち上げて、その成功を確認するというイベントだ。終了後には、そのカッパ巻きが切られて見物客にも振る舞われ、私も一部をいただく。
 シソ巻きのおにぎりも併せていただいたが、目の前のこういうイベントで作られたばかりのできたてのホヤホヤの成果物は最高だった。

 来年再び登米にやってくる保証はないが、いつかはまた出場した大会であり、とよま産業まつりは楽しみたいイベントであると思う。東北のみなさん、頑張って下さい!

会場には駐車場がないので、、会場から離れた空き地が駐車場の指定場所。

ここから会場までは、多くのシャトルバスが何往復もしていました。

会場の南側でバスを降りて登米総合体育館へ向かいます。

これがメイン会場の登米総合体育館「とよま蔵ジアム」。人口規模の割に新しくとても立派な体育館です。

受付は車のガレージでしょうか。

開会式の選手宣誓。選手宣誓をした選手も今回の東日本大震災の被災者だそうです。

見ての通り、体育館内は所狭しと選手が一杯です。

体育館の外では味噌汁サービスがあります。

完走後にいただくと嬉しいですね。

中味にはもちろん油麩が入ってます。

ランナー向けのショップも数軒ブースを開いていました。

完走後はその場で記録証の発行。

ゴール後に飲み物が支給されます。お疲れ様です。

とよま産業まつりには家族連れがたくさん来ていました。

こちらはクレープの移動販売車。

お面や・・・

綿菓子は子どもに人気ですね。まさにお祭り。

はっと汁の販売ブース

こちらは「あぶらふ丼」の販売ブース。地元の名物ですね。

野菜の即売の他に・・・

リンゴの試食もあります。美味しくて、ここでリンゴを買って名古屋へ持ち帰りました。

一番人気は「とよま牛」の試食。すごい行列です(私は諦めましたが・・・)

一番のイベントは100mのカッパ巻きにチャレンジです。

カタカナの「ロ」の字にしたテーブルで、一斉にカッパ巻きを作ります。
 
10秒数え、繋がっていることを確認します。成功です!

こんな感じ。一体感があっていいイベントです。

成功した後は、スタッフが包丁を持って順番に切って、観客に配りました。

左が100mのカッパ巻きの一部。右はシソのおにぎりです。どちらも美味しくいただきました。シソのおにぎりは初めて食べましたが、美味しかったですね。

中央に積んであるのは、バナナのケース。各部門の優勝者の賞品です。すごっ!

登米市の西部に位置する「長沼」。ハスの繁殖地で有名。夕日がきれいでした。

長沼の湖畔にある「長沼温泉・ヴィーナスの湯」。同じ登米市内ですが、登米町からは1時間ほどかかりました。仙台へ戻る途中、ここで汗を流しサッパリしました。

本日の戦利品

今回もいろいろといただきました。箱の中味は、登米銘菓の「瓦せんべい」と「しょう油」でした。