第26回やまひこリバーラインマラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三度目の正直の大分県 大分県には、平成8年に別大マラソンに初出場してから非常に足を運ぶようになった。知人もいることもあるが第二の故郷のような気がする。別府温泉など、古きよき日本の面影が大分県にはあると思う。 さて、大分県には別大マラソンで12回(今年は欠場)エントリーしているが、国盗りを意識して大分県に行きだしたのは昨年からだ。5月の「日本一山香エビネマラソン大会(杵築市)」、12月の「千歳ひょうたん健康マラソン大会(豊後大野市)」と連続して国盗り失敗。大分県は比較的マラソン大会の開催が多い県なので、暖かくなって大会回数が減る前に何とか国盗りを達成したかった。 3月中にいくつか大会があったが、アクセスの悪いところが多い。その中で比較的アクセスがよかったのが、今回参加した「やまひこリバーラインマラソン大会」だ。「やまひこ」とは、このあたりを流れる山国川の「やま」と福岡県と境界を分けあう英彦山(ひこさん:1200m)の「ひこ」の文字を取って「やまひこ」というそうだ。 名古屋から夜行バスで中津まで移動。中津からレンタカーを借りれば、スタート時間には間に合うと見込んでのエントリー。今回も往復夜行バスでの強行軍。慣れればどうってことはない。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照して下さい。 小規模レース 今日の大分県地方は雨。中津に早朝、夜行バスで到着したときには曇っていたが、レンタカーに乗った頃からちょうど雨が降り出した。大会会場に到着してもその雨脚はさほど変わらない。久しぶりに雨中のレースとなってしまった。年間に何度もあちこち出かけていれば、いつかは雨のレースになる。
さて、この大会のコースは、耶馬溪サイクリングロードを使用するコースだ。 かつては大分交通・耶馬溪線(開業当時は耶馬溪鉄道)が走っていたところで、廃線跡をサイクリングロードにしたもの。さすがに鉄道が通っていたところなので急勾配はなく走りやすそうなコースだ。 9時30分に10km部門、9時40分に3km部門がスタートし、私の参加する5kmは10時ちょうどにスタートする。今回5kmとしたのは、中津でレンタカーを午前8時にしか借りられなかったからだ。 前日、「8時にすぐに出発したいのでよろしく」とオリックスレンタカーに電話でお願いしていたものの、中津から35kmほど離れた会場に頑張って走っても、8時45分程度にしか到着出来ないだろう。ウォーミングアップの時間を考慮しても10kmのスタート時間の9時30分までに準備出来るかは微妙。よって今回は10時スタートの5kmを選択したのである。 さて、9時30分にスタートした10kmもスタートに並んだのは50〜60人程度。参加者が少なく練習会の雰囲気。自分が参加した5kmも似通った人数。スタートの混乱もなさそうだ。今日のスターターは、松野明美さん。小柄(身長148cm)なので、なかなか目立たない。 10時にピストルが鳴り、5km部門の選手がスタートする。 スタート直後に先頭にたつと、しばらくは後ろから聞こえていた足音も1kmもしないうちになくなり、走っていて聞こえるのは自分の足音だけになる。先導する自転車もオートバイもないので、自分でペースを作っていかなければならない。一人タイムトライアルの雰囲気になってきた。 前半はやや下り勾配。折り返しが8分41秒。下り基調なのに遅い! 折り返してからは上り勾配となるが、気合いを入れないとズルズルペースが落ちそう。しかし後続とは大きく離れているので、何とか今回の国盗りはいけそうな感じだ。折り返してからは9時30分にスタートした10km部門のランナーを少しずつ抜きながらゴールを目指す。 ゴールタイムは17分52秒と全く冴えないものだったが、何とか三度目の正直で大分県の国盗りを達成することができた。
松野明美さんの講演会 松野明美さんといえば、’87年の全日本実業団対抗女子駅伝の4区(10km)で12人のごぼう抜きで全国区デビュー。150cmに満たない小柄な体で、次から次へと前を走る選手を抜いていく颯爽とした姿にみなが釘付けになったことは昨日のことのようだ。 ’88年のソウル五輪では10,000mに出場。予選9位で残念ながら決勝に進めなかったが、その時の記録は当時の日本記録だった。 そして'92年の大阪国際女子マラソンで松野さんは注目を浴びる。 しかしながらこの日の主役は初マラソンの一般参加の20歳・小鴨由水(ダイハツ)だった。171センチの堂々とした体格で終始トップグループを走り、2時間26分26秒のタイムで優勝。これは当時の世界10位に相当する記録で、初マラソン世界最高(2時間27分2秒)を塗り替え、有森裕子の日本最高(2時間28分1秒)をも更新した。この優勝で小鴨の代表入りがかなり有望となり、松野さんも2時間27分2秒と好タイムの2位で有力候補となった。 また、前年の東京国際女子を制した谷川真理が3月の名古屋国際女子にエントリーするものの2時間31分台の記録で2位となり候補から脱落。 こうして内定者は、前年の世界選手権2位の山下佐知子(京セラ)のみとなり、残る2枠を有森、小鴨、松野の3人で争うことになった。 大阪国際女子で優勝した小鴨はほぼ当確。有森と松野さんの争いと見られた。 世界陸上4位の有森と大阪国際女子2位の松野さん。暑さに強い有森に分があると思われ、日本陸連もその方向へ傾いているという話が漏れてきたこともあったのか、代表が決まる前の3月26日、松野さんは故郷の熊本で異例の記者会見を開き「出たらメダルを取れると思ってますので、選んでください」と強烈に訴える。しかし、陸連が出した結果は有森だった。 松野さんは10,000メートルに選ばれる可能性もあることから補欠にも選ばれず、谷川が補欠に選ばれた。本番では有森が銀メダル、山下は4位、体調を崩していた小鴨は29位という結果だった。 結果からすれば、有森裕子が銀メダルを獲得したことから、有森裕子を選んだことについての批判は少なくなったが、私は松野さんに走って欲しかった。あの小さな体から出てくる爆発的なエネルギー、練習の虫ならばきっと結果を出せるだろうと。 しかし、世の中には「たら」「れば」は厳禁だ。これも人生。自分もいろんなところで選考漏れにかかったことが多いだけに松野さんの悔しい気持ちはよくわかる。 現在は、2児の母となったが、次男がダウン症で苦労している。 しかしながら、考え方を変えて人生を楽しんでいるそうだ。山あり谷あり。松野さんは楽しそうに話をするが、彼女の話を聞けば聞くほど、この人もとても苦労している人だと感じた。テレビで見る彼女とは、また違った彼女の本当の姿を見たような気がする。 耶馬溪 この日、大分県内ではこの大会以外に竹田市で「岡の里名水マラソン大会」が開催されていた。竹田市は「荒城の月」で有名な滝廉太郎がこの曲の構想をした街として有名である。 しかしながら、今回参加した「やまひこリバーラインマラソン大会」を開催する中津市内には、かつてから気になっていた「耶馬溪」があった。高校生の頃から、この「耶馬溪」という不思議な地名のところに行ってみたかった。 耶馬溪とは、・・・。実際に行ってみると本耶馬渓、裏耶馬溪、深耶馬溪 本日の戦利品
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