第31回千曲川ロードレース大会 参戦記

 国盗りは既に済んでいる長野県の遠征です。
 夏場のこの時期には、ロードレースの大会数がぐっと減ります。レース勘を養っておくためにも、月に1回程度は大会に出場しておくべきだと思います。今回の遠征は、そういう中で近県でありながら涼しそうなこの大会を選びました。

 長野県でも南部の南信地方は、愛知県に隣接しているので、名古屋から高速道路を利用すれば1時間程度で到着することができますが、今回でかけた千曲市は長野県では比較的北部に位置する都市で、名古屋から自動車で3時間以上かかる所です。長野県は南北に長いですね。
 今回はスタート時間が午前8時と早く、前泊するのかどうか迷いましたが、前日の夜(19〜22時)に学習塾に行く長女が同行するというので、前泊せずに夜中に出発することにしました。

 
 この大会の参加者は比較的少人数ですが、競技志向が強い大会であり、上位に入るには苦戦することが予想されました。
 午前8時に15km部門、10km部門の参加者全員が同時に一斉スタート。佐久長聖高校の学生を中心として前方には多くの選手が走り去り、同年代の選手が何人いるかもよくわかりません。折り返し地点もなく自分の順位確認もできずに走り続け、そしてゴールするという何ともボヤーンとしたレースでした。
 今回は年代別順位も10位と久々の二桁。残り2kmから同年代の選手2人に抜かれ、終わってみればこの選手らによって入賞圏内を外すことになったのですが、走りの感触は7月上旬に比べればよくなってきた感じで、走りそのものはまだまだですが、少しばかり練習の手応えが出てきたレースでした。

 レース後は、わが娘を連れてきたこともあり、「現地で何か体験ものを・・・」と、大会側からもらったパンフレットで急遽観光先を検討。市内にステンドグラスの製作の体験ができるという施設があることがわかり、急遽、電話でお願いしました。結果はOK。私も娘もステンドグラスの製作は初体験でしたが、思っていた以上に手間暇がかかりました。しかしながら、いざやってみると「ステンドグラスってこうやって作るんだね」ということがわかり、なかなか面白いものでした。
 また、実家の蒲郡市の花火大会が夕方からあることもあり、その後は高速道路を一路南下。そして帰宅と、なかなか慌ただしい一日でした。

 

●大会名 第31回千曲川ロードレース大会
●開催日 平成23年7月31日(日)
●コース
 /大会要項
 /プログラム
戸倉体育館発着(地図)(長野県千曲市) 

大会要項

プログラム

コースマップ

コースガイドはこちら
いずれもクリックすると拡大します
●天 候 晴れ、気温22℃くらい
●参加賞 Tシャツ、あんずジュース、温泉無料入浴券
●結 果 36分45秒(10km:男子40〜49歳 第10位、総合第42位)
●表彰 なし
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
(往路) 自宅2:39〜名古屋IC〜(東名、中央道、長野道)〜梓川SA(休憩)〜(長野道、上信越道)〜更埴IC〜(一般道)〜会場5:51
(復路) 会場8:55〜(一般道)〜戸倉観世温泉(入浴)〜酒造コレクション(見学)〜アートグラス工房(ステンドグラス製作体験)〜昼食(更級そば)〜姨捨駅スイッチバック見学〜姨捨スマートIC〜(長野道)〜梓川SA(休憩)〜(長野道、中央道、東海環状道、伊勢湾道、東名)〜岡崎IC〜(一般道)〜蒲郡市実家(夕食、花火見学)〜(一般道)〜岡崎IC〜(東名高速)〜名古屋IC〜自宅23:38
●費用
参加料 3,000円  
燃 料 7,689円   641.6(km)/12.1(km/リットル)×145(円/リットル)
高速料金 6,600円
 ( ETC割引/名古屋〜更埴 2,950円)
 ( ETC割引/姨捨〜岡崎 3,150円)
 ( ETC割引/岡崎〜名古屋 500円)
入浴料 0円  (無料入浴券)
合 計 17,289円  
●種目、参加者数(申込人数) 及び 各部優勝者。10km 男子(40〜49歳)は10位まで (★は加藤が参加した部門
  すべての記録はこちら
【15km−8時00分スタート
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
一般男女(高校生以上) 191人 伊藤 育生 34 千葉県 清掃MAN 46’36”
【10km−8時00分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢  住所 所属 記録
男子(高校生) 35人 池田 生成 16 佐久市 佐久長聖高等学校 30’45”
男子(18〜39歳) 53人 中村 文彦 34 群馬県 利根中央病院 32’45”
★男子(40〜49歳) 73人 桜井 史 40 静岡県 御殿場市小野園 34’05”
中沢 義忠 44 長野市 長野市陸協 34’14”
武井 隆 44 長野市 高沢産業タスコ 35’00”
秋山 喜徳 42 埼玉県 圓明流 35’21”
駒村 勉 42 千葉県 千葉夷駄天AC 35’41”
高橋 俊幸 41 神奈川県 栗平エリナーズ 36’05”
加藤 金市 42 静岡県 RC細江 36’16”
三上 剛正 43 東京都   36’22”
小池 経夫 41 長野市   36’36”
10 加藤 一郎 49 愛知県 名古屋市役所走友会 36’45”
男子(50〜59歳) 80人 久保田 英之 53 静岡県 TOMOEGAWA 36’49”
男子(60歳以上) 59人 中村 保雄 62 山梨県 富士五湖MC 40’25”
女子(高校生以上) 51人 高田 花林 16 千曲市 上田西高等学校 39’17”
総合計 542人  

歴史ある早朝マラソン
 初参加したこの大会であるが、大会プログラムの見開きの最初のページに「千曲川ロードレースのあゆみ」と称し、この大会の歴史が掲載されている。面白いのがこの大会の起こりだ。
 「昭和51年 海野社長杯ロードレースとして発足 海野鉄筋工業所社長 海野竹雄氏のご好意により地元戸倉町及び近隣の長距離選手の競技力向上をめざし起伏のある周回コース16kmで開催。」とある。つまり、地元の一企業のポケットマネーでスタートしたのがこの大会の起こりということだ。

 さらに「昭和55年 参加者が県内まで広がり多数となり、町並びに体育協会と協議し、会場・コースを変え全国規模の大会を模索。」 そして「昭和56年 第1回千曲川ロードレース大会開催 主催、戸倉町・戸倉町教育委員会・戸倉町体育協会 (中略) 一般の部16km・高校の部10km・女子の部10km・壮年の部10kmとし、全国規模の大会として開催。」とされ、一企業の大会から町が主催とする大会に変わっているが、最初の「長距離選手の競技力向上を目指し」という精神は今も残っているようだ。

 今回で第31回を数えるこの大会ではあるが、第25回大会までは招待選手を呼んでいる。第1回と第20回には中山竹通さんを、その他第10回にはジョセフ・オツオリ(山梨学院大学=当時)など、そうそうたる選手が並ぶ。

 最近の地方大会では、ジョギングの部を作るなどして参加者を増やそうとしている大会が多い。どこも参加者が肥大化する傾向にある中、この大会は「そういう軟弱なことはしないぞ。この大会は硬派の大会ですよ」という雰囲気が珍しい。まわりに流されずにこのような一貫した方向性で続ける大会が、一つくらいあってもいいかなとも思う。

受付場所は、戸倉体育館の玄関前

参加者の多くは、地元長野県のランナーであるが、駐車場には、群馬県、埼玉県、神奈川県、静岡県などの県外の車のナンバーも多くあった。

開会式に並ぶ選手たち。左側のオレンジのユニフォームは佐久長聖高校の選手たち。注目されるので、その分、礼儀も正しい。

主催者の挨拶の後は、競技説明についての注意事項。大会存続のためにも、走路については右側通行をする場所などがあるので守るように説明があった。


コース紹介(コースガイド)→
こちらを参照してください。

レースは惨敗だったが・・・

会場に到着してから、スタートまで2時間ほどあり退屈しているわが娘。
 会場には、午前6時前に到着した。受付をして早速コースの下見に出かける。
 10kmのうち約半分の5kmほどを下見したが、ほぼ平坦であり途中からは千曲川沿いの自転車道を走る走りやすいコースだった。

 この日の早朝8時の気温は体感で22〜23℃。この時期にはありがたいばかりの気温だ。
 前日の雨のせいで、戸倉体育館に隣接するグランドがぬかるみ、グランド内に予定していたスタートとゴールが使用できなくなり、スタート位置は体育館前の公道へ、ゴール位置はグランド横の駐車場の片隅と変更になった。
 歴史のある大会で、時々こうなるのであろうか、主催者側も参加者側も焦る様子はない。距離も公認ではないので、アバウトでいいのであろう。

 話は変わるが、この大会において面白いのは、コースは15kmと10kmの2種類のみでありながらスタートは午前8時に一斉にスタートするというもの。大会要項を見ると「10km グランドから直接コースへ」と説明があるのに対し「15km グランドを2周してからコースへ」とされているので、スタート直後の混雑はここで少し分ける予定なのであろう、今回は公道からのスタートなので参加者が500人程度とはいえ、スタート直後の混雑はちょっと混雑するだろう。


スタートは15kmと10kmと合わせての一斉スタート。500人がスタートする割には、道幅は少々狭い。5分でもスター時間を分けられないのであろうか?
 午前8時に一斉スタートする。
 競技志向の比較的強い大会と言うこともあり、佐久長聖高校の学生を中心に早いペースでレースが進む。プログラムには22人の佐久長聖高校の名前が連なっていたが、先頭集団はまばゆいばかりのオレンジ色の佐久長聖高校の学生だ。

 この大会は前半距離表示がないので、自分のペースがよくわからない。昨年ハートレートモニターが壊れたため現在はストップウォッチのみで走っているので、自分の心拍数もわからない。
 気温が22℃程度とはいえ夏場の大会、オーバーペースになると後半が相当きつくなるのでやや抑え気味に走る。

 この大会のコースはスタートしてから千曲川にかかる万葉橋を渡りさらに右折。その後は千曲川を右手に、左側には戸倉上山田温泉の温泉街を見ながら走る風光明媚なコースだ。
 序盤は余裕があったものの、徐々に体温が上がり暑く感じ出す。後半のこともあるので、前半だけでも少し余裕を持たせて走りたかったが、2kmも走ると後ろから同年代の選手が抜いていったりするので、完全に自分のペースで走りきっているわけには行かなかった。


ゴールは36分45秒。距離があやしいので、タイムの精度もあやしいが、思っていたよりはまずまず走れた。
 5kmの看板が見えてくる。16分42秒で通過。今の自分の実力からするとこの看板の位置はかなりあやしい。
 その後、ほどなく15km部門は右へ、10km部門は左へ進路を取りようやくコースが分かれる。10kmコースはここからスタート地点へ戻るような形となる。
 自転車道から一般道に戻ると、コース上は車がそのまま走っている。早朝とはいえ、この一般道は生活道路なので完全な規制ができないのであろう。しかしながら相変わらずコース平坦なので走りやすい。
 しばらく走ると「15kmコース 残り5km」の看板が現れる。私と同様に「おやっ?」と思われたランナーも多いだろう。15kmも10kmも残りの5kmは同じ、だけど先ほどの「5km」の看板は何だった?

 残り2kmほどで往路に走ってきたコースに合流するが、主催者が最初に説明していたように歩道を走る。
 またその先には給水所があり、コップとスポンジを取る。この辺りで同年代の選手に一人、更に残り1km当たりでもう一人同年代の選手に抜かれる。4〜6月の練習不足が大きく響いているせいか、後半のスタミナがなく無抵抗に抜かれてしまう。「追いつかねば」と気持ちは前に、されど脚は動かず・・・。
 再び万葉橋を渡り、ゴールの戸倉体育館が見えてくるが、先ほど抜かれた選手との差は徐々に広がる。

 ゴールには、同行したわが娘が待っていた。最近買ったばかりのカメラでゴール写真を撮影してもらう。タイムは36分45秒。種目別順位は10位と久々の二桁順位となってしまった。
 総合では42位。つまり私の前には41人の選手がいたわけであるが、内訳は高校生が25人、18〜39歳の選手が7人、40〜49歳の選手が9人。18〜39歳の選手のよりも40〜49歳の選手の方が多い逆転現象が発生していた。最近の40歳代は強い!来年は50歳になるが、もう一度参加しようと思う。

 また、今回は久しぶりに10kmを完走。後半ややスタミナ切れではあったものの、何とか無事完走。このまま、徐々に練習が軌道に乗っていけば、秋以降には何とか少しずつ走力が戻ってくるようなゴール後の感触だった。

千曲川と戸倉上山田温泉郷
 私より年上の人ならば、千曲川といえば「五木ひろし」の名曲「千曲川」を思い出すだろう。最近は、この手の地方をテーマとした演歌が減ったような気がする。
 今大会のコース沿いには、戸倉(とぐら)上山田温泉の開湯100年の記念碑をはじめとして観光地らしく多くの碑が立っていた。中には、この五木ひろしの千曲川の曲が流れているものもあり、観光地らしさを感じさせる。

戸倉上山田温泉を開湯した坂井量之助の碑。上総掘りで約9.1メートルの掘削により温泉を得る。源泉は48.9℃。浴槽は間口7間半、奥行き3間だった。1893年(明治26年)のことだった。

こちらは、開湯100年の碑。1993年(平成5年)のことであった。

 この戸倉上山田温泉であるが、ウイキペディアによると「戸倉村には江戸期には北国街道の宿場があったが、1888年(明治21年)に信越線が開通すると戸倉村には停車場ができなかった。隣村の坂城は停車場が設けられて旅客や集荷で賑わうのに対し、戸倉の衰退に危機感を感じた戸長の坂井量之助によって温泉掘削が発案された。もともと千曲川の河川敷に湧き湯があることが知られており、1893年(明治26年)に戸倉温泉が掘られた。」とある。この街では、坂井量之助という人物のおかげで、温泉ができ繁栄にいたっているわけだ。

 また、この温泉は千曲川の流れに沿うように約50軒のホテル・旅館が存在する。総勢150名の芸妓が在籍しているとされ、射的場のある温泉街を形成している。湯治よりも遊興的雰囲気の強い温泉街であるので、昼中は閑散とした感じだ。昼間も人が賑わうように、文化的な要素をこの温泉にも取り入れるといいだろう。

 今回、大会の参加賞の一つとして無料入浴券をいただいたので帰りに立ち寄ったが、無料入浴券で入ることができるのが会場そばの「万葉調音波温泉」と「戸倉観世温泉」の2軒。万葉調音波温泉は4時〜23時、戸倉観世温泉は5時〜22時まで入浴ができるが、いずれも地元の人向けにあるようだ。
 今回立ち寄ったのはこのうち「戸倉観世温泉」で、浴室内にはシャンプーやボディーシャンプーが無く、わが娘はこのような温泉に入ったのは初めて少々驚いていた。まさに汗を流すだけという感じであるが、同じ温泉地である別府でも珍しくはない。
 戸倉上山田温泉も、全国的には珍しい「源泉かけ流し」。今回は、時間の都合もあり温泉巡りなどできなかったが、露天風呂のある立ち寄り湯などもあるので、温泉巡りをするのも楽しいかもしれない。

無料入浴券を利用して今回立ち寄ったのが「戸倉観世温泉」。温泉と名はついているものの、中にはいると昔の銭湯の雰囲気。スーパー銭湯に慣れた娘にとっては、シャンプーもボディーシャンプーもなかったのは驚きだった。

ステンドグラス製作初体験
 当初は、アフターレースでそば打ち体験を予定していたが、金曜日に電話予約をしようとしたところ既に満員とのこと。仕方がないので、当日現地で何をするかを決めようと考えていたが、大会事務局からプログラムと一緒にいただいた千曲のパンフレットを調べ、娘が「ステンドグラスの製作体験がいい」というので、そうすることにした。
 パンフレットによると、場所は「酒造コレクション」という施設の中にある。
 行ってみたところ、確かに酒造コレクションのうち「大正蔵」の一部を借りているみたいであるが、ここは出張サービスの場所のようで、普段は戸倉上山田温泉の中で仕事をしているようだ。
 連絡は別途、携帯電話にしてくれと書いてあったので、そちらへ電話する。「来てもらえれば行う」とのこと。せっかく、戸倉駅近くまでやってきたのであるが、再び温泉へ戻る。

これが酒造コレクション。国道18号線に沿って昔の面影を残しているかやぶき屋根の母屋は、現在残っている中の最古のもの。宝暦10年(1760年)7月の大火で焼けた後建て直したもので、230年以上の歳月をへているという。

せっかく来たので、そばあんみつを注文

塩昆布を含め、美味しいとお気に入りの様子だった。

アイスクリームの表面のツブは、そばの実。その他に寒天などの中にもそばが入っていた。

 酒造コレクションの受付にいた女性にステンドグラスの体験場所をきいて移動する。「ホテル亀屋本店」のすぐそばですよ」という。なるほど、見ればすぐわかる店構えだ。おまけに隣は、更級そばの店屋。娘も「お父さん、お昼はここでそばを食べよう」と話がすぐにまとまった。

 ステンドグラスの体験をしたのは、「アートグラス工房」。ここの主は、ステンドグラス作家の山崎一彦さんだ。電話をしたときに出られた本人で、私たちがなかなかやってこないので、道に迷っているとでも心配したのであろう。わざわざ向こうから電話をかけてきたのだった(あんみつを食べていたのですみません)。山崎さんのことは、FM長野の「千曲市浪漫紀行」でも紹介されている。

 日曜日の昼間にもかかわらず、店内には特に客もなく、到着を待っていてくれた。体験を終えた後、昼食をとった隣の更級そばの店も同じ。昼間はいつも閑散としているのであろうか。戸倉上山田温泉街には、もう少し活気が欲しいと思う。

 話を戻す。
 ステンドグラスの体験はこうだった。まず最初に作るものを決める。これは、店屋で最初にセットされたものからチョイスすればいい。ピースの数が多いと、作るのが大変なので、最初は簡単なものでいいだろう。今回、私が娘に「犬でも作ったら」というので12ピースの犬にしたが、かなり時間を要した。以下は、ステンドグラスの作成手順の概要。
(1) 各々のピースの表面及び側面を拭く。
(2) そのピースの側面に、幅5mmほどの銅テープを巻いていく。ピースの表面、裏面には側面からはみ出した部分はそれぞれ折り曲げて戻す。
(3) ピースの表面、裏面の部分の銅のしわは、プラスチックの工具を使い少しずつ伸ばす。これをすべてのピースにおいて行う。
(4) 次に、ピースを並べてハンダごてを使い、仮付けをする。
(5) 仮付けが終わり形が整ったら、ピースとピースをハンダで盛ってつなぐ。つなぎ目は、蒲鉾のような形に盛るとかっこうがよい。
(6) ピースの縁は、逆に蒲鉾のように盛るのではなく、ハンダを薄く延ばす。
(7) これを表面に続き、裏面についても行う。
(8) ここで一旦ハンダ付けが終わった作品を水洗いする。
(9) 次に、ハンダの付いた部分に酸化剤を塗る。酸化剤を塗ると表面がハンダのシルバーの色から黒色に変わる。
(10) うちわを使い、酸化剤を乾かす。乾き出すと表面に白い粉が析出してくる。
(11) 表面、裏面ともにワックスを塗ると出来上がり
 
 最初は「1時間ほどで・・・」とお願いしていたのであるが、山崎さんの面倒見の良さや温泉の話をはじめ佐久長聖高校の話などいろんな話題に話が展開し、結局1時間位で終わるつもりがが2時間半ほど要することになった。私も手付きがいいと褒めていただいた(ありがとうございます)。せっかくなので、きれいに作ろうと思い、ゆっくりやっていたら、あっという間に時間が経過してしまったものだ。

 作品の出来映えは親子共々満足のいくものだった。と同時に、あのきれいなステンドグラスの製作とは、こんなに手間暇のかかるものと初めて知らされた。気の長くなるような作業の繰り返しだ。いろんな体験ものがあるが、間違いなくなかなか面白い体験ものの一つだと思う。機会と時間があれば、一度やってみられたらよいと思う。山崎さん、大変お世話になりました。

ここがステンドグラス工房。戸倉上山田温泉の中にあります。

ピースに銅テープを巻いていきます。

すべてのピースに銅テープを巻いたら次に、ハンダごてでハンダを溶かし、ピースをくっつけていきます。

ハンダの凸凹したところは、山崎さんに少し修正していただきました。

ここでいったん水洗いをします。

今度は、ハンダの面に酸化剤を塗っていきます。

工房には、素敵なガラス細工がたくさん置いてあります。もちろん売り物ばかり・・・。

工房のうち、ステンドグラス教室の部屋はこんな感じ。

最後にワックス掛けをして出来上がり

できた作品です。

家に帰って、自分の部屋の机の横の壁に掛けました。

更級そば
 ステンドグラスの製作体験を終えて、最初にわが娘と約束したとおりすぐ隣の「更級(さらしな)そば」のそば屋に行く。こちらもアートグラス工房と同様、お昼時にもかかわらず閑散としていたが、最初に決めたとおり何が何でもそばを食べることにする。

 そばの食べ方というと、ざるそばを思い出す方が多いが、この店ではあえてざるそばではなく、つゆいりのそばを頼むことにした。この店ではそれを「更級そば」といっている。娘は「冷」を、私は天ぷら入りの「温」を注文する。

 ほかに客もいなく、明らかに地元民でないとわかる私たちに、店主である年配の女性はひとりごとのように話をする。「この辺りの店屋でも、標高800mの高原で採れた地元のそば粉を使っているのはこの店くらいなんですよ」と。この辺りの他の店に入ったわけではないので、そのことについて比較するすべも、調べるすべもない。
 しかし、注文してきてから15分ほどして出てきた「更級そば」の麺は細く、しなやかな感じだった。太くてねずみ色をした麺を想像していたが、見事に裏切られた。
 食べてみると、柔らかくて、ざるそばのような歯ごたえはないが、これはこれでまたおいしい。麺の色といい、食感といい、そば粉の割合が恐らく少ないのであろう。この店のそばが「更級そば」の代表格かどうかはわからないが、もう何軒かで食べ比べをしてみたいとも思う。

娘が頼んだ「更級そば(冷)」

私が注文した「天ぷら入り更級そば(温)」。残念ながら天ぷらに隠れてそばがあまり見えません。

姨捨駅のスイッチバック


姨捨駅・駅舎
 夜は夜で、実家のある蒲郡市で花火大会がある。せっかく来たので、もう少しゆっくり観光したいところであるが、今日に限っていえば急いで戻らねばならない。ここから実家の蒲郡市まで250km以上の距離がある。
 今朝方は更埴ICで降りたが、帰りは姨捨(おばすて)スマートICから高速道路に乗ることにする。
 今朝も当初は姨捨スマートICで降りる予定であったが、姨捨スマートICは姨捨SAに設けられた簡易型のICのため営業時間が6時〜22時となっている。今朝方姨捨を通過したのが午前5時40分頃、6時のオープンまで待っていてもよかったが、会場の到着が遅くなるので会場駐車場も一杯になってくるし、コースの下見もできなくなるので、少々遠くなるが更埴ICで高速道路を降りたわけである。

 帰りは、大会会場の最寄りのICである姨捨スマートICから乗車する。
 戸倉上山田温泉街からは、この姨捨スマートICを利用しようとする場合、しばらくは千曲川沿いに道路を北上するが、ある交差点を左折するとそこからはかなりの急勾配を登ることになる。
 相当登ったなあと感じる頃、JR東日本・篠ノ井線の姨捨駅が見えてくる。

 姨捨駅は標高551mの山の中腹に位置し、全国でも数少ないスイッチバック方式を擁する駅。
 この駅ののホームから見下ろす善光寺平は絶景として知られ、根室本線の狩勝峠(現在はルート変更により廃止)、肥薩線の矢岳駅と共に日本三大車窓の1つに数えられる。
 姨捨地区からの景観は上高地や天竜峡、寝覚の床、光前寺庭園と並び長野県下にある国指定の名勝5ヶ所のうちの一つになっている。また日本経済新聞社の2007年アンケート「足を延ばして訪れて見たい駅」の全国第2位にランクされているなど魅力的な駅でもある。

 わざわざ立ち寄る予定でもなかったが、近くに来たのでちょっと覗いていくことにした。列車は、1時間に1本もやってこないにもかかわらず、駅舎の廻りにはオートバイや自動車などが数台停まっている。ほとんどが県外ナンバーだ。
 わが娘にこの駅の珍しさを教えてみたが、スイッチバックをなかなか理解できずに不思議そうな顔をしていた。
姨捨駅の北側から撮影。私が撮影した場所は、線路が無く手前で行き止まりとなっている。

蒲郡の花火大会
 姨捨スマートICから長野道に乗り、中央道、東海環状道などを経由し東名・岡崎ICで下車。午後5時過ぎには実家の蒲郡市に到着した。今日は、午後7時30分から蒲郡まつりのメインイベントの花火大会が開催される。


7月26日は、実母の誕生日。先に蒲郡入りをしていた長男・かずたかと合流。5日遅れでしたが、蒲郡駅前のうなぎ屋で誕生祝いをしました。
 この地方でも花火大会はあちこちで開催されるので、花火大会自体はさほど珍しくもない。打ち上げ花火の数では、圧倒する花火大会はたくさんあるものの、蒲郡の花火は太平洋側では珍しい3尺玉(90cm)の打ち上げ花火を上げることで有名だ。
 3年ほど前から、子どもたちを連れて見に来るようになったが、打ち上げ場所が実家から近く、子どもたちにとっては祖母の家から徒歩で見に行けるのが楽しいようだ。加えてお祭りには切っても切れない、夜店がたくさん出ているのが楽しい。こうして、子どもたちは1年に1度の蒲郡の花火大会を楽しみにしているので、昨年同様、遠方に出かけていても、夕方には蒲郡に頑張って向かうことになるわけだ。

 今年の蒲郡の花火大会の時間帯の降水確率は50%。心配された天候であったが、みんなの日頃の心がけがいいせいか、一滴の雨も降ることなく開催された。昨年の人手は16万人。これは蒲郡市の人口のほぼ倍に匹敵する(どうやって数えたのだろう・・・)。今年も昨年同様の賑わいがあった感じがする。

 花火大会を見る度にいつも思うが、花火が上がるところは平和なところ。毎年花火を見ることができるというのは、平和が続いている証拠。子どもたちにとって嬉しい夜店も、同じく平和の象徴といえるだろう。今年も、蒲郡の花火大会を見ることができたのも間違いなく平和であったということだ。

写真だから小さく見えるけれど、打ち上げ場所が遠いだけ。これが三尺玉。爆音が響きわたりますが、その大きさには圧倒されます。

 花火大会は21時で終了。実家で休憩し、名古屋に戻ったのは日付が変わる少し前だった。こうして慌ただしい一日が終わった。