第31回千曲川ロードレース大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
歴史ある早朝マラソン 初参加したこの大会であるが、大会プログラムの見開きの最初のページに「千曲川ロードレースのあゆみ」と称し、この大会の歴史が掲載されている。面白いのがこの大会の起こりだ。 「昭和51年 海野社長杯ロードレースとして発足 海野鉄筋工業所社長 海野竹雄氏のご好意により地元戸倉町及び近隣の長距離選手の競技力向上をめざし起伏のある周回コース16kmで開催。」とある。つまり、地元の一企業のポケットマネーでスタートしたのがこの大会の起こりということだ。 さらに「昭和55年 参加者が県内まで広がり多数となり、町並びに体育協会と協議し、会場・コースを変え全国規模の大会を模索。」 そして「昭和56年 第1回千曲川ロードレース大会開催 主催、戸倉町・戸倉町教育委員会・戸倉町体育協会 (中略) 一般の部16km・高校の部10km・女子の部10km・壮年の部10kmとし、全国規模の大会として開催。」とされ、一企業の大会から町が主催とする大会に変わっているが、最初の「長距離選手の競技力向上を目指し」という精神は今も残っているようだ。 今回で第31回を数えるこの大会ではあるが、第25回大会までは招待選手を呼んでいる。第1回と第20回には中山竹通さんを、その他第10回にはジョセフ・オツオリ(山梨学院大学=当時)など、そうそうたる選手が並ぶ。 最近の地方大会では、ジョギングの部を作るなどして参加者を増やそうとしている大会が多い。どこも参加者が肥大化する傾向にある中、この大会は「そういう軟弱なことはしないぞ。この大会は硬派の大会ですよ」という雰囲気が珍しい。まわりに流されずにこのような一貫した方向性で続ける大会が、一つくらいあってもいいかなとも思う。
コース紹介(コースガイド)→こちらを参照してください。 レースは惨敗だったが・・・
10kmのうち約半分の5kmほどを下見したが、ほぼ平坦であり途中からは千曲川沿いの自転車道を走る走りやすいコースだった。 この日の早朝8時の気温は体感で22〜23℃。この時期にはありがたいばかりの気温だ。 前日の雨のせいで、戸倉体育館に隣接するグランドがぬかるみ、グランド内に予定していたスタートとゴールが使用できなくなり、スタート位置は体育館前の公道へ、ゴール位置はグランド横の駐車場の片隅と変更になった。 歴史のある大会で、時々こうなるのであろうか、主催者側も参加者側も焦る様子はない。距離も公認ではないので、アバウトでいいのであろう。 話は変わるが、この大会において面白いのは、コースは15kmと10kmの2種類のみでありながらスタートは午前8時に一斉にスタートするというもの。大会要項を見ると「10km グランドから直接コースへ」と説明があるのに対し「15km グランドを2周してからコースへ」とされているので、スタート直後の混雑はここで少し分ける予定なのであろう、今回は公道からのスタートなので参加者が500人程度とはいえ、スタート直後の混雑はちょっと混雑するだろう。
競技志向の比較的強い大会と言うこともあり、佐久長聖高校の学生を中心に早いペースでレースが進む。プログラムには22人の佐久長聖高校の名前が連なっていたが、先頭集団はまばゆいばかりのオレンジ色の佐久長聖高校の学生だ。 この大会は前半距離表示がないので、自分のペースがよくわからない。昨年ハートレートモニターが壊れたため現在はストップウォッチのみで走っているので、自分の心拍数もわからない。 気温が22℃程度とはいえ夏場の大会、オーバーペースになると後半が相当きつくなるのでやや抑え気味に走る。 この大会のコースはスタートしてから千曲川にかかる万葉橋を渡りさらに右折。その後は千曲川を右手に、左側には戸倉上山田温泉の温泉街を見ながら走る風光明媚なコースだ。 序盤は余裕があったものの、徐々に体温が上がり暑く感じ出す。後半のこともあるので、前半だけでも少し余裕を持たせて走りたかったが、2kmも走ると後ろから同年代の選手が抜いていったりするので、完全に自分のペースで走りきっているわけには行かなかった。
その後、ほどなく15km部門は右へ、10km部門は左へ進路を取りようやくコースが分かれる。10kmコースはここからスタート地点へ戻るような形となる。 自転車道から一般道に戻ると、コース上は車がそのまま走っている。早朝とはいえ、この一般道は生活道路なので完全な規制ができないのであろう。しかしながら相変わらずコース平坦なので走りやすい。 しばらく走ると「15kmコース 残り5km」の看板が現れる。私と同様に「おやっ?」と思われたランナーも多いだろう。15kmも10kmも残りの5kmは同じ、だけど先ほどの「5km」の看板は何だった? 残り2kmほどで往路に走ってきたコースに合流するが、主催者が最初に説明していたように歩道を走る。 またその先には給水所があり、コップとスポンジを取る。この辺りで同年代の選手に一人、更に残り1km当たりでもう一人同年代の選手に抜かれる。4〜6月の練習不足が大きく響いているせいか、後半のスタミナがなく無抵抗に抜かれてしまう。「追いつかねば」と気持ちは前に、されど脚は動かず・・・。 再び万葉橋を渡り、ゴールの戸倉体育館が見えてくるが、先ほど抜かれた選手との差は徐々に広がる。 ゴールには、同行したわが娘が待っていた。最近買ったばかりのカメラでゴール写真を撮影してもらう。タイムは36分45秒。種目別順位は10位と久々の二桁順位となってしまった。 総合では42位。つまり私の前には41人の選手がいたわけであるが、内訳は高校生が25人、18〜39歳の選手が7人、40〜49歳の選手が9人。18〜39歳の選手のよりも40〜49歳の選手の方が多い逆転現象が発生していた。最近の40歳代は強い!来年は50歳になるが、もう一度参加しようと思う。 また、今回は久しぶりに10kmを完走。後半ややスタミナ切れではあったものの、何とか無事完走。このまま、徐々に練習が軌道に乗っていけば、秋以降には何とか少しずつ走力が戻ってくるようなゴール後の感触だった。 千曲川と戸倉上山田温泉郷 私より年上の人ならば、千曲川といえば「五木ひろし」の名曲「千曲川」を思い出すだろう。最近は、この手の地方をテーマとした演歌が減ったような気がする。 今大会のコース沿いには、戸倉(とぐら)上山田温泉の開湯100年の記念碑をはじめとして観光地らしく多くの碑が立っていた。中には、この五木ひろしの千曲川の曲が流れているものもあり、観光地らしさを感じさせる。
この戸倉上山田温泉であるが、ウイキペディアによると「戸倉村には江戸期には北国街道の宿場があったが、1888年(明治21年)に信越線が開通すると戸倉村には停車場ができなかった。隣村の坂城は停車場が設けられて旅客や集荷で賑わうのに対し、戸倉の衰退に危機感を感じた戸長の坂井量之助によって温泉掘削が発案された。もともと千曲川の河川敷に湧き湯があることが知られており、1893年(明治26年)に戸倉温泉が掘られた。」とある。この街では、坂井量之助という人物のおかげで、温泉ができ繁栄にいたっているわけだ。 また、この温泉は千曲川の流れに沿うように約50軒のホテル・旅館が存在する。総勢150名の芸妓が在籍しているとされ、射的場のある温泉街を形成している。湯治よりも遊興的雰囲気の強い温泉街であるので、昼中は閑散とした感じだ。昼間も人が賑わうように、文化的な要素をこの温泉にも取り入れるといいだろう。 今回、大会の参加賞の一つとして無料入浴券をいただいたので帰りに立ち寄ったが、無料入浴券で入ることができるのが会場そばの「万葉調音波温泉」と「戸倉観世温泉」の2軒。万葉調音波温泉は4時〜23時、戸倉観世温泉は5時〜22時まで入浴ができるが、いずれも地元の人向けにあるようだ。 今回立ち寄ったのはこのうち「戸倉観世温泉」で、浴室内にはシャンプーやボディーシャンプーが無く、わが娘はこのような温泉に入ったのは初めて少々驚いていた。まさに汗を流すだけという感じであるが、同じ温泉地である別府でも珍しくはない。 戸倉上山田温泉も、全国的には珍しい「源泉かけ流し」。今回は、時間の都合もあり温泉巡りなどできなかったが、露天風呂のある立ち寄り湯などもあるので、温泉巡りをするのも楽しいかもしれない。
ステンドグラス製作初体験 当初は、アフターレースでそば打ち体験を予定していたが、金曜日に電話予約をしようとしたところ既に満員とのこと。仕方がないので、当日現地で何をするかを決めようと考えていたが、大会事務局からプログラムと一緒にいただいた千曲のパンフレットを調べ、娘が「ステンドグラスの製作体験がいい」というので、そうすることにした。 パンフレットによると、場所は「酒造コレクション」という施設の中にある。 行ってみたところ、確かに酒造コレクションのうち「大正蔵」の一部を借りているみたいであるが、ここは出張サービスの場所のようで、普段は戸倉上山田温泉の中で仕事をしているようだ。 連絡は別途、携帯電話にしてくれと書いてあったので、そちらへ電話する。「来てもらえれば行う」とのこと。せっかく、戸倉駅近くまでやってきたのであるが、再び温泉へ戻る。
酒造コレクションの受付にいた女性にステンドグラスの体験場所をきいて移動する。「ホテル亀屋本店」のすぐそばですよ」という。なるほど、見ればすぐわかる店構えだ。おまけに隣は、更級そばの店屋。娘も「お父さん、お昼はここでそばを食べよう」と話がすぐにまとまった。 ステンドグラスの体験をしたのは、「アートグラス工房」。ここの主は、ステンドグラス作家の山崎一彦さんだ。電話をしたときに出られた本人で、私たちがなかなかやってこないので、道に迷っているとでも心配したのであろう。わざわざ向こうから電話をかけてきたのだった(あんみつを食べていたのですみません)。山崎さんのことは、FM長野の「千曲市浪漫紀行」でも紹介されている。 日曜日の昼間にもかかわらず、店内には特に客もなく、到着を待っていてくれた。体験を終えた後、昼食をとった隣の更級そばの店も同じ。昼間はいつも閑散としているのであろうか。戸倉上山田温泉街には、もう少し活気が欲しいと思う。 話を戻す。 ステンドグラスの体験はこうだった。まず最初に作るものを決める。これは、店屋で最初にセットされたものからチョイスすればいい。ピースの数が多いと、作るのが大変なので、最初は簡単なものでいいだろう。今回、私が娘に「犬でも作ったら」というので12ピースの犬にしたが、かなり時間を要した。以下は、ステンドグラスの作成手順の概要。
最初は「1時間ほどで・・・」とお願いしていたのであるが、山崎さんの面倒見の良さや温泉の話をはじめ佐久長聖高校の話などいろんな話題に話が展開し、結局1時間位で終わるつもりがが2時間半ほど要することになった。私も手付きがいいと褒めていただいた(ありがとうございます)。せっかくなので、きれいに作ろうと思い、ゆっくりやっていたら、あっという間に時間が経過してしまったものだ。 作品の出来映えは親子共々満足のいくものだった。と同時に、あのきれいなステンドグラスの製作とは、こんなに手間暇のかかるものと初めて知らされた。気の長くなるような作業の繰り返しだ。いろんな体験ものがあるが、間違いなくなかなか面白い体験ものの一つだと思う。機会と時間があれば、一度やってみられたらよいと思う。山崎さん、大変お世話になりました。
更級そば ステンドグラスの製作体験を終えて、最初にわが娘と約束したとおりすぐ隣の「更級(さらしな)そば」のそば屋に行く。こちらもアートグラス工房と同様、お昼時にもかかわらず閑散としていたが、最初に決めたとおり何が何でもそばを食べることにする。 そばの食べ方というと、ざるそばを思い出す方が多いが、この店ではあえてざるそばではなく、つゆいりのそばを頼むことにした。この店ではそれを「更級そば」といっている。娘は「冷」を、私は天ぷら入りの「温」を注文する。 ほかに客もいなく、明らかに地元民でないとわかる私たちに、店主である年配の女性はひとりごとのように話をする。「この辺りの店屋でも、標高800mの高原で採れた地元のそば粉を使っているのはこの店くらいなんですよ」と。この辺りの他の店に入ったわけではないので、そのことについて比較するすべも、調べるすべもない。 しかし、注文してきてから15分ほどして出てきた「更級そば」の麺は細く、しなやかな感じだった。太くてねずみ色をした麺を想像していたが、見事に裏切られた。 食べてみると、柔らかくて、ざるそばのような歯ごたえはないが、これはこれでまたおいしい。麺の色といい、食感といい、そば粉の割合が恐らく少ないのであろう。この店のそばが「更級そば」の代表格かどうかはわからないが、もう何軒かで食べ比べをしてみたいとも思う。
姨捨駅のスイッチバック
今朝方は更埴ICで降りたが、帰りは姨捨(おばすて)スマートICから高速道路に乗ることにする。 今朝も当初は姨捨スマートICで降りる予定であったが、姨捨スマートICは姨捨SAに設けられた簡易型のICのため営業時間が6時〜22時となっている。今朝方姨捨を通過したのが午前5時40分頃、6時のオープンまで待っていてもよかったが、会場の到着が遅くなるので会場駐車場も一杯になってくるし、コースの下見もできなくなるので、少々遠くなるが更埴ICで高速道路を降りたわけである。 帰りは、大会会場の最寄りのICである姨捨スマートICから乗車する。 戸倉上山田温泉街からは、この姨捨スマートICを利用しようとする場合、しばらくは千曲川沿いに道路を北上するが、ある交差点を左折するとそこからはかなりの急勾配を登ることになる。 相当登ったなあと感じる頃、JR東日本・篠ノ井線の姨捨駅が見えてくる。 姨捨駅は標高551mの山の中腹に位置し、全国でも数少ないスイッチバック方式を擁する駅。 この駅ののホームから見下ろす善光寺平は絶景として知られ、根室本線の狩勝峠(現在はルート変更により廃止)、肥薩線の矢岳駅と共に日本三大車窓の1つに数えられる。 姨捨地区からの景観は上高地や天竜峡、寝覚の床、光前寺庭園と並び長野県下にある国指定の名勝5ヶ所のうちの一つになっている。また日本経済新聞社の2007年アンケート「足を延ばして訪れて見たい駅」の全国第2位にランクされているなど魅力的な駅でもある。 わざわざ立ち寄る予定でもなかったが、近くに来たのでちょっと覗いていくことにした。列車は、1時間に1本もやってこないにもかかわらず、駅舎の廻りにはオートバイや自動車などが数台停まっている。ほとんどが県外ナンバーだ。 わが娘にこの駅の珍しさを教えてみたが、スイッチバックをなかなか理解できずに不思議そうな顔をしていた。
蒲郡の花火大会 姨捨スマートICから長野道に乗り、中央道、東海環状道などを経由し東名・岡崎ICで下車。午後5時過ぎには実家の蒲郡市に到着した。今日は、午後7時30分から蒲郡まつりのメインイベントの花火大会が開催される。
3年ほど前から、子どもたちを連れて見に来るようになったが、打ち上げ場所が実家から近く、子どもたちにとっては祖母の家から徒歩で見に行けるのが楽しいようだ。加えてお祭りには切っても切れない、夜店がたくさん出ているのが楽しい。こうして、子どもたちは1年に1度の蒲郡の花火大会を楽しみにしているので、昨年同様、遠方に出かけていても、夕方には蒲郡に頑張って向かうことになるわけだ。 今年の蒲郡の花火大会の時間帯の降水確率は50%。心配された天候であったが、みんなの日頃の心がけがいいせいか、一滴の雨も降ることなく開催された。昨年の人手は16万人。これは蒲郡市の人口のほぼ倍に匹敵する(どうやって数えたのだろう・・・)。今年も昨年同様の賑わいがあった感じがする。 花火大会を見る度にいつも思うが、花火が上がるところは平和なところ。毎年花火を見ることができるというのは、平和が続いている証拠。子どもたちにとって嬉しい夜店も、同じく平和の象徴といえるだろう。今年も、蒲郡の花火大会を見ることができたのも間違いなく平和であったということだ。
花火大会は21時で終了。実家で休憩し、名古屋に戻ったのは日付が変わる少し前だった。こうして慌ただしい一日が終わった。 |