第6回 湯ノ岱温泉マラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
東日本大震災以降初めて被災地県を通過 3月11日の東日本大震災以降、わが職場からも被災地支援ということで多くの職員が宮城県庁や、多賀城市に派遣されている。私も「そろそろ順番が・・・」と思っていたものの、被災地に派遣されることもなく今日に至っている。 ということで、今回バスの車中からではあるが、震災以降、被災地県を初めて通過した。東京・上野から乗った弘南バスは、青森を目指し東北自動車道を一路北上する。東北自動車道は内陸部を走行し、津波被害を受けた沿岸部は通らないので、津波の被害を受けたところは見えない。 しかしながら、福島県に入った頃から東北自動車道のあちこちに地震の爪痕が見られた。路肩での割れが私の見た被害の大半であるが、本線車道の修理が優先され、路肩はカラーコーンが立てられたまま、補修がされずに放置されている。本線車道を走っていても、継目をガタンガタンと大きく音を立てて走るときもある。この段差も補修したのであろうが、完全ではなさそうだ。 2年前も東京・上野から乗ったこの弘南バスのスカイ号(2年前は「青森上野号」という名前だった)。上野駅前を午前10時に出て、終点の青森駅前には20時50分に到着するダイヤだ。実に11時間近くを走る。 このバスの車内にはトイレが付いているが、終点・青森駅前までの間に何度も休憩する。 佐野SA(栃木県)で12分(11:13〜11:25)、那須高原SA(栃木県)では昼食休憩で32分(12:33〜13:05)、国見SA(福島県)で13分(14:32〜14:45)、紫波SA(岩手県)で12分(16:58〜17:10)そして下車地の一つ弘前BTで9分(19:11〜19:20)。この日は青森駅前に20時23分に到着。ダイヤよりも27分早く到着した。が、乗客はわずかに12人。最初に上野駅前を出発してからは、他では乗車扱いをしないので、これらの乗客がみな青森まで乗っていくことになる。 車内では指定席であるが、出発間際に運転手が「自由に座って良い」と乗客に指示をしている。何とものんびりしたものだ。 12人のうち、弘前BTまで乗車した客が8人、終点青森駅前まで乗車した客はわずかに4人だった。片道5000円の運賃に対して、運転手は2人。燃料代、高速代、運転手の人件費のことを考えると、どう見ても採算があわないような気がする。東北の人たちは、安い賃金で働いているのであろう。 この路線を乗ったのは2回目であるが、こののんびりした空気のバス路線をいつまでも無くさないで欲しいと思うのは私だけだろうか。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照して下さい。 練習不足で惨敗 一昨年のこの大会では、同じ国盗り仲間の原田さん(埼玉県)とバトル。序盤は付いていくものの途中から離され北海道の国盗りは失敗。今回はあれから2年経過。どうしてもこの大会で”国盗り”というわけではないが、おそらく2度と行くことの無いだろうと思っていた上ノ国町に何となく行ってみたくなった。 北海道とはいえ2年前と変わらずこの日も暑かった。名古屋に比べれば若干涼しいのではあるが、こと「走る」というにはあまり向いていない天候である。2年経ってとうとう49歳。今回挑戦するカテゴリーの中では一番不利な年齢になってしまった。おまけに練習が出来ていないと、勝てない言い訳を探すには苦労しない状況だった。 私が出場した5kmのスタート時間は11時10分。この日も10時ちょうどにスタートした10km部門のランナーが全員ゴールしていないので、今年もスタート時間が遅くなる。日なたにいるとどんどん汗が出てくるので、スタートしそうになるまで日陰で過ごすことにする。結局スタート時間は15分ほど遅くなった。 三内丸山遺跡 おさない食堂 |