第60回記念別府大分毎日マラソン大会 欠場記
 今回で12回目の出場となるはずだった別府大分毎日マラソン大会でしたが、残念ながら今回は欠場しました。
 というのもどこか故障をしたわけではなく、愚息(中2)のあまりの成績の悪さに昨年12月からほぼ毎日、一緒に勉強をしているせいで、自分の練習時間は激減・・・。これではとてもフルマラソンを走るだけの体づくりができません。

 10月下旬に今大会のエントリーを既に済ませ、宿泊や往復の交通手段も既に手配済み。キャンセルする手続きをするのも面倒でしたので、今回は割り切って「一緒に行く人たちの応援をしよう」と考え、12月中旬には、早々に出場しない意志を固めました。長い人生、別大マラソンの1回くらいの欠場なんてどうってことありません。家族のことの方がもちろん優先です。

 いつもはスタートラインに立ち、その日のレースをイメージし別府市民、大分市民のみなさんの声援を受けて走るのが楽しみでしたが、今回は初めて逆の立場でレースを見ることが出来ました。給水やタイム計測などの非常に大人数の裏方さんの作業の様子も拝見しました。こういう人たちがいて、初めて大会が成立するのですね。過去11回のこの大会に出場させてもらったことをたいへん感謝します。

 
 さて、今回一緒に行った3人の仲間たちですが、各々目標タイムを持ちながら走りましたが、残念ながら3人ともそれぞれの目標タイムには届きませんでした。長い人生まだまだ先があります。今回の反省を活かして、来年は私を含め4人でいい記録を出したいと思ったこの大会でした。
 
●大会名 第60回記念別府大分毎日マラソン大会
●開催日 平成23年2月6日(日) 12時00分スタート
●コース
/大会要項
/プログラム
大分市高崎山・うみたまご〜大分市営陸上競技場(地図)、折返地点は別府市亀川バイパス

大会要項

プログラム

コースマップ
 それぞれクリックすると拡大します
●天 候   晴れ、10.4℃
●参加賞 Tシャツ、ミネラルウォーター、温泉無料入浴券、フグ雑炊(300食限定)、とり天(100食限定)、牛乳パック
●結 果 42.195km−欠場
●表 彰 なし
●過去の戦績
H22.2.7 第59回大会 2時間46分59秒 336位 (47歳)
H21.2.1 第58回大会 30km棄権 (46歳)
H20.2.3 第57回大会 2時間43分50秒 214位 (45歳)
H19.2.4 第56回大会 32km棄権 (44歳)
H18.2.5 第55回記念大会 2時間43分11秒 149位 (43歳)
H14.2.3 第51回大会 25km棄権 (39歳)
H13.2.4 第50回記念大会 2時間44分40秒 251位 (38歳)
H12.2.6 第49回大会 2時間30分46秒 61位 (37歳)
H10.2.1 第47回大会 2時間32分54秒 81位 (35歳)
H 9.2.2 第46回大会 2時間36分58秒 57位 (34歳)
H 8.2.4 第45回大会 31km棄権 (33歳)
●交通手段等
【2月4日(金)/1日目】
徒歩 自宅 18:55 自由ヶ丘駅 19:05
地下鉄 自由ヶ丘 19:08 本山 19:10 (名城線)
本山 19:13 名古屋 19:29 (東山線)
夜行バス 名鉄BC 20:10 別府北浜 7:25
【2月5日(土)/2日目】
徒歩 別府北浜 7:25 亀の井ホテル/JOYFUL 7:35
(朝食/レンタカーにてコース下見/練習/入浴/昼食/チェックイン/受付・ランナーの広場)
(ホテルスター 泊)
【2月6日(日)/3日目】
徒歩 ホテル 8:45 別府北浜 8:55
  主催者バス 別府北浜 9:00 →  スタート会場   9:15  
【12時00分スタート 第60回記念別府大分毎日マラソン大会  欠場】
主催者バス ゴール会場 15:55 別府駅西口 16:25
(入浴/懇親会)
(ホテルスター 泊)
【2月7日(月)/4日目】
徒歩 ホテル 8:20 別府駅前 8:22
路線バス 別府駅前 8:40 大分空港 9:28
飛行機 大分 10:50 名古屋(中部) 12:00 (ANA1852便)
名鉄 中部国際空港 12:17 金山 12:49
地下鉄 金山 12:55 自由ヶ丘 13:20 (名城線)
徒歩 自由ヶ丘 13:20 自宅 13:30

●費用
参加料 5,000円  
夜行バス 11,000円 (名鉄BC〜別府北浜)
地下鉄 520円 (自由ヶ丘〜名古屋/金山〜自由ヶ丘)
レンタカー 4,050円 (駅レンタカー)
燃料 725円 (4.8リットル)
駐車場 400円 (マリンパレス)
温泉入浴 490円 (SamaSama)
0円 (不老泉/無料券)
宿泊 8,000円 (ホテルスター/2泊)
路線バス 1,450円 (別府駅前〜大分空港)
飛行機 12,700円 (大分〜名古屋(中部)/特割)
名鉄 790円 (中部国際空港〜金山)
中村さんご負担 ▲2,000円 (レンタカー代)
合 計 43,125円

●上位成績及び愛知県勢の成績(エントリーリストはこちら、全成績はこちら
【男子】
アハメド・バダイ 37 モロッコ 2゜10’14”
ダニエル・ジェンガ 34 ヤクルト 東京 2゜10’24”
前田 和浩 29 九電工 福岡 2゜10’29”
アルン・ジョロゲ 22 小森コーポレーション 東京 2゜11’43”
藤田 敦史 34 富士通 千葉 2゜12’26”
森脇 佑紀 26 JFEスチール 広島 2゜12’34”
下重 正樹 27 コニカミノルタ 東京 2゜13’07”
ジェフリー・ハント 28 オーストラリア 2゜13’14”
瀬戸口 賢一郎 30 旭化成 宮崎 2゜15’01”
10 鬼塚 智徳 30 九電工 福岡 2゜16’52”

  42 松井 良弘 20 日本福祉大学 愛知 2゜30’35”
86 澤原 雄一 35 庄内RT 愛知 2゜36’38”
88 水谷 聡 34 名古屋市役所走友会 愛知 2゜36’41”
101 平尾 一朗 45 岡崎クラブ 愛知 2゜37’47”
124 西岡 正嘉 37 愛知 2゜39’20”
209 蔭地 和成 35 菊里クラブ 愛知 2゜42’33”
246 安田 雅人 35 天白川走友会 愛知 2゜44’02”
273 今村 公治 31 愛知 2゜45’32”
299 窪田 勝治 35 めっちゃええちーむ 愛知 2゜46’16”
328 松井 正仁 41 eA愛知 愛知 2゜47’08”
339 葉山 豪 37 セカンドウインド 愛知 2゜47’17”
345 宮地 淳行 48 ネバーギブアップRC 愛知 2゜47’30”
346 井上 謙二 48 eA愛知 愛知 2゜47’32”
401 岡野 伸哉 32 名城ARC 愛知 2゜48’38”
447 小島 利浩 31 愛知陸協 愛知 2゜49’54”
547 杉山 宗義 42 愛知 2゜53’31”
558 藤城 健 50 愛知 2゜53’50”
562 宮地 克典 40 庄内RT 愛知 2゜53’55”
581 志村 俊人 50 天白川走友会 愛知 2゜54’34”
597 伊藤 直樹 38 あいち健康の森走遊会 愛知 2゜54’58”
664 冨田 博司 38 愛知陸協 愛知 2゜56’46”
677 寺元 丈司 45 eA東京 愛知 2゜57’02”
680 長坂 雅彦 47 eA愛知 愛知 2゜57’07”
691 山本 鎮 48 セカンドウインドAC 愛知 2゜57’20”
714 稲垣 竹彦 46 愛知陸協 愛知 2゜57’50”
720 近藤 信男 48 天白川走友会 愛知 2゜57’56”
740 藤本 英幸 44 堤クラブ 愛知 2゜58’17”
831 杉山 和徳 45 キラアスリートクラブ 愛知 2゜59’44”
841 水野 修一 56 ネバーギブアップRC 愛知 3゜00’19”
856 水草 武久 45 庄内RT 愛知 3゜01’19”
861 井上正俊 43 愛知陸上競技協会 愛知 3゜01’41”
866 成田 裕一 29 JR東海 愛知 3゜01’56”
879 松本 義夫 43 愛知陸協 愛知 3゜02’19”
884 中村 和史 50 eA愛知 愛知 3゜02’28”
909 光村 泰宏 55 チームスー 愛知 3゜03’09”
919 石川 清明 60 あいち健康の森走遊会 愛知 3゜03’53”
933 中村 和貴 41 館倶楽部 愛知 3゜04’17”
935 野中 俊樹 39 愛知 3゜04’21”
942 山中 晋太郎 37 あいち健康の森走遊会 愛知 3゜04’30”
961 山田 敏雄 44 愛知 3゜05’21”
967 大形 剛 50 名古屋市消防局 愛知 3゜05’33”
987 藤田 義夫 49 eA愛知 愛知 3゜06’13”
992 冨田 雅義 46 庄内RT 愛知 3゜06’21”
999 根釜 勝美 35 愛知 3゜06’43”
1023 山村 勝美 46 愛知 3゜07’57”
1028 安田 遊 26 刈谷クラブ 愛知 3゜08’15”
1091 岩川 太 47 愛知陸上競技協会 愛知 3゜10’22”
1092 福田 博史 22 日本福祉大学 愛知 3゜10’23”
1098 河村 聡 23 愛知 3゜10’44”
1110 飯田 和也 57 愛知 3゜11’12”
1125 窪田 英紀 45 eA千葉 愛知 3゜11’49”
1128 鈴木 朗 62 愛知 3゜11’59”
1236 藤田 勝美 48 あいち健康の森走遊会 愛知 3゜14’56”
1244 石濱 勝久 44 愛知 3゜15’17”
1258 平松 敬人 40 あいち健康の森走遊会 愛知 3゜15’49”
1272 野末 洋 47 庄内RT 愛知 3゜16’26”
1296 河原 義高 59 菊里クラブ 愛知 3゜17’32”
1329 金 世保 47 愛知 3゜18’30”
1336 松井 敏和 61 愛知 3゜18’49”
1352 安本 太一 44 愛知陸協 愛知 3゜19’22”
1379 因 純一 41 セカンドウインドAC 愛知 3゜21’02”
1413 大原 久明 愛知 3゜22’22”
1420 宮地 計二 51 愛知 3゜22’46”
1422 春日 慎二 50 愛知 3゜22’47”
1423 中村 憲章 37 天白川走友会 愛知 3゜22’51”
1432 服部 隆充 38 愛知 3゜23’04”
1439 大河内 建次 36 愛知陸協 愛知 3゜23’28”
1451 安部 満正 50 愛知 3゜23’53”
1452 真野 陽次 愛知 3゜23’57”
1454 岩田 行弘 35 愛知陸協 愛知 3゜24’06”
1459 村本 隆之 39 蒲郡クラブ 愛知 3゜24’15”
1495 坪井 正人 愛知 3゜26’14”
1537 上村 亮 34 愛知 3゜28’39”
1538 臼井 信夫 57 あいち健康の森走遊会 愛知 3゜28’40”
1540 鈴鹿 俊二 51 あいち健康の森走遊会 愛知 3゜28’42”
1564 槙島 龍平 53 eA愛知 愛知 3゜29’23”
1567 篠崎 英典 37 愛知 3゜29’29”
1572 佐藤 忠高 40 愛知 3゜29’40”
1611 常世田 智明 愛知 3゜33’46”

【女子】
望月 千幸 24 キヤノンアスリートクラブ九州 大分 2゜39’57”
河野 千香 27 福岡陸上競技協会 福岡 2゜53’11”
江崎 由佳 29 九電工 福岡 2゜53’19”
落合 尚美 30 東京 2゜53’34”
田辺 美代 36 AC・KITA 千葉 2゜55’46”
山崎 広美 39 福岡 2゜56’18”
金子 美雪 33 AC・KITA 東京 2゜56’52”
宇都宮 尚代 42 別府マラソンクラブ 大分 2゜58’56”
大八木 和佳子 32 パナソニック電工 京都 2゜59’24”
10 夏目 富子 37 ハノハノ陸上部 北海道 3゜00’33”

35 原 美奈子 50 愛知マスターズ 愛知 3゜16’34”

【DNF/DNS】
(DNF)
マゾード・クロビス 42 天白川走友会 愛知
冨田 一郎 40 あいち健康の森 愛知
牧田 豊秀 39 庄内RT 愛知
本庄 俊和 46 愛知県庁クラブ 愛知
横井 敬一 46 天白川走友会 愛知
高須 隆一 46 天白川走友会 愛知
小川 博史 45 天白川走友会 愛知

(DNS)
佐藤 雅彦 25 名古屋大学 愛知
加藤 一郎 48 名古屋市役所走友会 愛知
西條 由夫 40 eA愛知 愛知
青戸 敦子 42 さかえクリニック 愛知
嶋田 富美子 41 愛知陸協 愛知
脇田 吉浩 41 天白川走友会 愛知
吉川 浩 45 愛知
斎藤 幸一 33 愛知

申込者数 2,206
加者数 1,939名
       (完走者数 男子1,616名、女子91名)
       (途中棄権 男子
  192名、女子34名)
 ※ DNF・・・Did Not Finish  DNS・・・Did Not Start の略

欠場まで
 かつての参加資格が2時間40分時代には、大会要項が発表されるのが11月下旬で申し込み〆切は正月明けだった。200〜300人くらいしか申し込まない(申し込めない?)頃は、事務局の作業も少なくこれでよかったのであろうが、第60回記念のおかげかそれとも市民マラソン化への第一歩かわからないが、今大会は大きく門戸を広げているために大会要項の発表そしてエントリーの時期も一ヶ月ほど早まっている。

 そして今回、この大会にエントリーしたのは10月25日。
 今回で12回目のエントリーとなる。今年は60回の記念大会であるが、特段、力むこともなく大会に臨もうと考えていた。

 しかしながら今年はなぜかいろいろと忙しい。自分の練習に充てる時間が著しく減っていた。別大に対しての準備がやや遅れていたところに、12月の中学校の保護者会で出場をあきらめることになった。決定的な出来事だった(→詳細はこちら)。

 家族のことはやはり優先せざるを得ない。長い人生、こういうことがあるのは当然だ。
 今回に限っていえば、欠場に対しての未練は全くなかった。

第1回大会と池中康夫
 今回で60回を迎えるこの別大マラソン。第1回大会は昭和27年1月20日に開催されている。
 当時は、別府駅前をスタートし大分市の白木を折り返す35kmのコースで開催されている。ちなみに当時の名称は現在と違い「別府マラソン」だった。
 一昨年までの大分市営陸上競技場を出発し、別府観光港を折り返すコースであれば「大分→別府」なので別大マラソンではなく「大別マラソン」というべきだろうが、第1回のコースが「別府→大分」だったこともあり現在までのように「別大マラソン」と呼ばれるようになったという。

 どうでもいいことであるが、別府起点による「別大マラソン」呼称説は、個人的には怪しいと思う。むしろ単に「大別」よりも「別大」の方が語呂がいいだけだったのではないかと思う。
 コースの多くを走る国道10号線は、通称「別大国道」と呼ばれているし、この地にある不動産屋で「別大興産」というのもある。「大別○○」というものは、聞いたことがない。

 話を戻そう。
 この記念すべき第1回大会の優勝者は浜村秀雄(秋穂陸協→協和発酵、丸久、ユニクロ)だ。当時無名選手だった浜村は、この第1回別府マラソンでの優勝を皮切りに、昭和28年の朝日マラソン(現福岡国際マラソン)、昭和29年の毎日マラソン(現びわ湖毎日マラソン)で優勝し、一気にその名を轟かせる。
 その後の昭和30年のボストンマラソンでは当時世界歴代2位の2時間18分22秒を記録し優勝。昭和31年のメルボルン五輪にも出場(16位)している。

 さて、この記念すべき第1回大会が行われた経緯は、現在この大会の大分県勢の最上位者に与えられている「池中杯」の名前となっている”池中康夫”を抜きには語られない。池中康夫とは、大分県中津市出身の戦前のマラソン選手のことだ。

 池中康夫は昭和11年4月、当時東洋大学に所属していた頃、東京・明治神宮外苑競技場を発着点として開催されたベルリン五輪マラソン代表候補挑戦競技会において、2時間26分44秒の当時の世界最高記録で優勝しベルリン五輪代表候補とされた。
 しかし、弟が大病に冒され、池中が大量の献血をしなければならなくなり、昭和11年5月に行われたベルリン五輪最終選考会では途中棄権となった。
 また、ベルリン五輪の次に開催されることになった昭和15年の東京五輪選考会では、危なげない走りで再度マラソン代表の座を射止めたが、日中戦争の影響で東京五輪が開催権返上、そして代替開催となるはずだったヘルシンキ五輪も第二次世界大戦の勃発により中止となり、オリンピックには出場できないまま、現役を引退した「幻の五輪代表」でもある。
 なお、箱根駅伝においても東洋大学初登場から合計6回出場を果たしている。山登りの5区で区間賞を獲得し、同チームの黎明期の名ランナーとして知られている。

 この池中康夫が戦後日本陸連コーチとなり、昭和27年、13人のヘルシンキ五輪候補選手が別府で合宿を行っていた。この合宿を機に「九州に定着したマラソン大会を持ちたい」と池中は考えていたようである。連日のトレーニングでフルマラソンは難しいだろうと考え、第1回は35kmの記録会として合宿の最終日に開催されている。その時の優勝者が浜村秀雄だったのである。

幾多の名勝負と高速コース
 私の手元には「別府大分毎日マラソン50年史」がある。これは、10年前の第50回大会後に発売されたものだ。別大マラソンの歴史を知るには、この本が一番だ。
 またこの本には第1回から第50回までの完走したランナーの記録も掲載されている。
 私も途中棄権した第45回大会を除き、第46回(2時間36分58秒/57位)、第47回(2時間32分54秒/81位)、第49回(2時間30分46秒=自己ベスト/61位)、第50回(2時間44分40秒/251位)の4回ほどこの本の中に名前を連ねている。歴史あるこの大会の記念誌に永久に名前が刻まれているのは大変嬉しいことでもある。

これが「別府大分毎日マラソン大会50年史」。毎日新聞西部本社が平成13年12月に発行したもの。

8ページ(右)には、ゴールの大分市営陸上競技場が、9ページ(左)には第1回大会から第32回大会まで発着点であった別府市街地の写真が掲載されている。

10ページ(右)は第50回記念大会の優勝者・西田隆雄(SB食品)の写真、11ページ(左)は第48回、第49回大会の写真。

12ページ(右)は第47回大会で史上最年少サブテンランナーとなり優勝した清水昭(杵築東芝)の写真、13ページの左上は第43回大会の優勝者・中富肇(NEC)の写真。第43回大会は、終始先頭を走っていたカスティーヨとゲメチェ(いずれもエチオピア)がコース手前で折り返したため失格となり、中富がタナボタ優勝となった珍レース

20ページ(右)は別府駅前をスタートする風景(第14回大会)、21ページ(左上)は第15回大会の先頭集団、(左下)は、スタート地点が別府観光港に変わった第17回大会の様子。

28ページ(右下)は第30回大会の40キロ地点で競り合う宗兄弟(旭化成)。29ページは、大会中のアクシデント集。先頭集団での転倒(第18回大会宇佐美彰朗)、広島庫夫の虫垂炎(第4回大会)、佐々木精一郎の腹痛(第17回大会)、踏切で列車に阻まれる選手たち(第6回大会)など

懐かし風景。32ページ(右)は、西大分駅前を力走する選手たち(第1回大会)、33ページ(左)は別大国道を走る選手たち。上が第3回大会、下が第4回大会

38ページ(右)はテレビの実況中継(第16回大会)と、高校生の給水ボランティア(第16回大会)。39ページ(左)は、完走し喜び合うろうあ仲間(左上)、女性初参加の小幡キヨ子さんは2時間48分52秒でゴール(左ページの右下)。第30回大会は男子より1分遅れて女子公認レースが開催。村本みのるさんが男子500人を次々と抜き去り女子に本最高記録を達成(左ページの左下)。

第1回大会から第50回記念大会までのランナーの記録が掲載されている。

こちらは第49回大会での私の記録。恐らく生涯最高記録になるだろう2時間30分46秒のタイムはこの別大マラソンでのもの

 近年の別大マラソンは、市民マラソン大会の台頭やオリンピック選考会から外れるなどしているために、その地位はやや低下気味ではあるものの、60回を数えるこの大会抜きには日本のマラソンの歴史を語ることは出来ない。過去には、名勝負、好記録続出で世界から注目を浴びることも多かった。
 第12回大会(昭和38年)では、寺澤徹(クラレ)が2時間15分15秒8の当時世界最高記録で優勝。寺澤は第12回から第15回まで何と4連覇を果たす。メキシコ五輪のマラソン銀メダリスト君原健二(新日鐵)も第16回、第19回、第20回、第22回と4度の優勝。

 第27回大会(昭和53年)では宗茂(旭化成)が2時間9分5秒6で優勝。この記録は日本人で初の2時間10分を切る記録だった。
 第34回大会8昭和60年)は、世界の谷口こと谷口浩美(旭化成)のデビュー戦。2時間13分16秒で見事に優勝を飾っている。
 第40回大会(平成3年)では、初マラソンの森下広一(旭化成)と中山竹通(ダイエー)の新旧交代劇。肩を叩かれ「ここで行け」というシーンは昨日のことのようだ。
 第43回大会は、先頭を走る2選手が折り返し地点を間違え失格となる珍事。
 私が初出場だった第45回(平成8年)の優勝はゲルト・タイス(南アフリカ)で2時間08分30秒。この記録は現在までのこの大会記録。
 第47回大会(平成10年)では、清水昭(杵築東芝)が21歳の最年少サブテン(2時間9分11秒)ランナーとなり優勝など本当に数々の歴史を刻んできている。

ランナーの広場

大会の裏側

懇親会