第24回おたる運河ロードレース大会 参戦記
 国盗りのために4度目の北海道遠征です。
 北海道の大会といえば、雪の関係もあり5月〜10月に開催が集中しています。早めに何とかしたかったこともあり、今年は6月に開催されているこの大会を国盗り用の大会として選びました。
 小樽市は、新千歳空港からもJRで快速・エアポートが30分おきに出ているので、利便性としてはいいところです。それも考慮し、今回この大会を選定しました。

 大会前日、名古屋を出発するときは雨でしたが、北海道は逆に晴れ。しかしながら大会当日は、逆に小樽はほぼ一日雨で、名古屋は晴れ。日本は長いですね。
 小樽は観光地でもあり、人気スポットの小樽運河も各部のコースに組み込まれています。「観光客が押し寄せてくる前に・・・」ということでしょうか、スタート時間が9時〜9時25分と早い時間でしたね。

 レースの方は序盤から、まずまずの位置に付けて走っていましたが、中盤からやや息切れ。終盤に数人に抜かれるものの17分35秒と平凡なタイムながら年代別で優勝。これえ手こずっていた北海道の国盗りもようやく完了しました。とりあえずホッとしているところであります。

 
●大会名 第24回おたる運河ロードレース大会
●開催日 平成24年6月17日(日)
●コース
 /大会要項

 /プログラム
色内ふ頭公園発着(詳細地図)(北海道小樽市)

大会要項

プログラム


コースマップ

コースガイドはこちら
それぞれクリックすると拡大します
●天 候 曇りのち雨、17℃くらい
●参加賞 トートバッグ、スポーツドリンク(ペットボトル)、豚汁
笹かまぼこ・ちくわ(遠来賞)
●結 果 17分35秒(総合6位、5km :男子50歳以上  優勝)
●表 彰 賞状、メダル
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
【6月16日(土)/1日目】
徒歩 自宅 5:22 自由ヶ丘駅 5:33
地下鉄 自由ヶ丘 5:40 堀田 5:56 (名城線)
徒歩 地下鉄堀田駅 5:56 名鉄堀田駅 6:04
名鉄 堀田 6:06 神宮前 6:08 (名鉄本線)
神宮前 6:10 中部国際空港 6:32 (常滑線)
飛行機 名古屋(中部) 7:20 札幌(新千歳) 9:05 (スカイマーク761便)
JR 新千歳空港 9:34 小樽 10:46 (エアポート95号)
【小樽グリーンホテル/荷物預け】
JR 小樽 11:21 余市 11:49 (函館本線)
ニッカウヰスキー・余市蒸溜所/見学〜昼食】
路線バス 余市駅前 13:51 小樽駅前 14:26 (北海道中央バス)
【小樽グリーンホテル/チェックイン〜コース試走】
【小樽グリーンホテル/宿泊】
【6月17日(日)/2日目】
徒歩 ホテル 7:22 小樽駅前 7:26
送迎バス 小樽駅前 7:32 会場 7:39 (主催者手配)
【第24回おたる運河ロードレース大会/5km−9時25分スタート】
徒歩 会場 10:48 湯の花・手宮殿 11:18
小樽天然温泉・湯の花 手宮殿/入浴・休憩】
送迎バス 湯の花・手宮殿 16:45 小樽駅前 16:55 (温泉無料バス)
  JR 小樽 17:34 新千歳空港 18:46 (函館本線)
飛行機 札幌(新千歳) 20:20 名古屋(中部) 22:06 (スカイマーク・770便)
( 20:10 ) ( 22:00 )
名鉄 中部国際空港 22:47 金山 23:19 (常滑線)
地下鉄 金山 23:30 自由ヶ丘 23:54 (名城線)
徒歩 自由ヶ丘駅 23:54 自宅 0:04
※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
 
参加料 3,000円  
地下鉄(名古屋市営) 260円 (自由ヶ丘〜堀田)
260円 (金山〜自由ヶ丘)
名鉄 730円 (堀田〜中部国際空港)
790円 (中部国際空港〜金山)
350円 (ミューチケット)
飛行機 17,800円 (中部〜新千歳)
10,000円 (新千歳〜中部)
JR 3,480円 (新千歳空港〜小樽/往復)
350円 (小樽〜余市)
路線バス 420円 (余市駅前〜小樽駅前)
宿泊 3,500円 (小樽グリーンホテル/素泊まり)
入浴料 600円 小樽天然温泉・湯の花 手宮殿
工場見学 0円 ニッカウヰスキー・余市蒸溜所
送迎バス 0円 (小樽駅前〜会場/主催者無料送迎バス)
0円 (温泉〜小樽駅前/温泉無料送迎バス)
合 計 41,540円  
●種目、参加者(申込人数、★は加藤が参加した部門)及び各部門の優勝者(5km男子50歳以上は3位まで)
【ハーフマラソン−9時00分スタート】
区分 申込者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
男子35歳未満 286人 斎藤 良介 27 千葉県 東京メトロRC 1゜13’18”
男子35歳〜50歳未満 490人 佐々木 寛 38 小樽市 作.AC北海道 1゜14’49”
男子50歳以上 522人 林 多喜夫 53 江別市 酪農学園AC 1゜20’57”
女子一般 215人 太田 尚子 42 苫小牧市 作.AC北海道 1゜23’45”
【10km−9時10分スタート】
区分 申込者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
男子35歳未満 224人 原田 翼 20 札幌市 小樽商科大学3年 34’00”
男子35歳〜50歳未満 226人 笹村 孝行 35 札幌市 R.Nuts 34’11”
子50歳以上 307人 宮本 眞二 55 札幌市 北海道マラソンクラブ 35’05”
女子35歳未満 127人 山崎 七愛 27 札幌市 北大医歯薬 40’53”
女子35歳〜50歳未満 112人 河野 真理子 44 札幌市 TアスリートC 43’16”
女子50歳以上 95人 乙二 加津子 53 札幌市   40’43”
【5km−9時25分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所  所属 記録
男子35歳未満 135人 工藤 雄大 21 札幌市 小樽商大3年 16’18”
男子35歳〜50歳未満 88人 岡本 光洋 37 岩内町 アトックス 17’33”
★男子50歳以上 88人 加藤 一郎 50 愛知県 名古屋市役所走友会 17’35”
川浪 貢 55 岩見沢市  かわなみ耳鼻科 18’18”
宮本 敏 52 旭川市 チームTM 20’40”
男子中学生 23人 岡林 匠 14 岩見沢市 岩見沢市立光陵中 18’10”
女子35歳未満 106人 源 亜香里 28 小樽市 北海道銀行 小樽支店 21’14”
女子35歳〜50歳未満 63人 本田 佳子 44 札幌市 道マラソンク 20’42”
女子50歳以上 36人 土肥 章子 54 札幌市   21’21”
女子中学生 8人 中山 由菜 13 札幌市 札幌市立栄中2年 21’34”
【2.5km−9時20分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所  所属 記録
男子小学生(3〜6年) 54人 工藤 吏晟 11 札幌市 あいの里西小学校5年 8’26”
男子60歳以上 16人 中澤 重道 65 千歳市 千歳若葉走友会 8’44”
女子小学生 36人 有田 華七 11 札幌市 もみじの森小学校6年
 team A.C
8’57”
女子60歳以上 7人 前田 豊子 64 余市町 余市マラソンクラブ 10’15”
総合計 3,264人  

スカイマーク
 今日は中部国際空港を午前7時20分に発つ新千歳空港行きのスカイマーク761便で北海道に向かう。搭乗手続きを出発20分前までに行わなければならないので、名鉄・中部国際空港駅には、少なくとも午前6時50分頃には到着していないといけない。逆算するとわが家を出発するのが午前5時20分。名古屋市内でも、限られた人しかこの便に乗れないかもしれない。

 さて初めて利用するスカイマーク。大手旅行代理店のエイチ・アイ・エス社長・澤田秀雄らの出資により平成8年11月に設立された。いわゆる規制緩和による新規参入航空会社の第一号だ。当時は「スカイマークエアライン」という社名だったが、平成18年10月より略称で使用していた「スカイマーク」に社名変更し現在に至っている。

 新聞でも「機内での苦情は一切受け付けません」とPRしていたせいか、新千歳空港に到着するまでの間、機内では大きなトラブルはなかったようだ。
 キャビンアテンダントも上着は会社指定の黒(紺?)のポロシャツ(袖にスカイマークのロゴ有り)、下は黒のスカート、黒のストッキング、黒のヒール。ポロシャツを除けば、他社のキャビンアテンダントと何ら変わらないではないか。
 この便の乗客たちは、大きなサービスを望んでいないように見えるし、望まないからスカイマークを選んだかもしれない。チェックイン、荷物の預け入れ、約1時間半のフライトといずれも簡素なものであったが、価格を考えればこういう商売でもよいだろう。中部国際空港からは、那覇便も出ているので沖縄に行く際も利用してみようと思う。

中部国際空港のスカイマークのカウンター。対面は荷物の預入程度で、発券作業は各自が機械を使って行う。

午前7時20分の札幌(新千歳)行きは、セントレアの朝イチの便でしょうか。

これがスカイマークの機体。往路、復路共にボーイング737−800。座席数も177で窮屈な感じはなかった。

スカイマークの社員は、上半身がポロシャツなどのラフなスタイルが多かった。キャビンアテンダントも同じ。(新千歳空港の荷物受取場所にて)

小樽市


JR小樽駅。明治36年に開業。現在の駅舎は3代目で昭和9年に改築されたもの。観光地に相応しい立派な造りですね。
 今回この小樽にやってくるのは4回目。
 一番最初は大学生の時(昭和59年/1984年)。3年生の乗船実習において、大学校の練習船「こじま」で小樽港に入港している。今から28年前のことだ。
 当時は、北海道にやってくることだけで嬉しく、小樽の街の散策よりも同期の連中と、夜札幌に出かけているので小樽そのものは自分の中では単なる寄港地だった。小樽港から小樽駅への坂道は記憶にあるが、あとのことはあまり覚えていない。

 2回目は、平成13年(2001年)の9月3日。
 この時は、子どもたちも未就学だったので、祖父母3人も連れて合計7人で北海道旅行にやってきている。ツアーバスでの立ち寄り場所の一つがこの小樽だった。小樽での滞在時間が3時間(フリータイム)ほどあったので、祖父母は石原裕次郎記念館へ、親子は小樽市総合博物館(当時は「小樽交通記念館」)へ出かけている。もちろん運河沿いでのショッピングも楽しんだが、最初に来たときとは大きく印象が異なり、小樽が偉大な観光地であることを知った。

JR小樽駅から見た小樽駅前。駅前の坂を下っていけば、奥に見える日本海までわずかに800mほど。坂のある街は旅情をかきたてる。
 そして、3回目が一昨年の「余市味覚マラソン」における滞在。
 そして4回目が今回。今回は小樽を目的地にやってきたのではあるが大会当日の天候が悪く、予定していた小樽市内の観光をキャンセル。まだまだ小樽市内を十分に堪能していないので、5回目は老後のために楽しみを取っておこう。

小樽交通記念館にやってきました。現在は小樽市総合博物館と名前が変わっています。(平成13年9月3日)

ラッセル車は北海道ならではですね。子どもたちもまだ5歳と3歳でした。(平成13年9月3日)

機関車の運転手になった気分。(平成13年9月3日)

北海道の鉄道はこの小樽から始まっています。私もカミさんも39歳の頃。(平成13年9月3日)

祖父母は石原裕次郎記念館へ出かけていきました。(写真は今は亡き義父)(平成13年9月3日)

等身大だそうです。左は実母、右は義母です。(平成13年9月3日)

タクシーからみた11年前の小樽市内。今回はこの運河沿いの道路もコースになっており実際に走りました。(平成13年9月3日)

少し時間があったので北一硝子へいきました。子どもたちがガラス細工を壊さないかヒヤヒヤしていました。長女・夕香子は疲れて歩きません。(平成13年9月3日)

「ニッカウイスキー・余市蒸溜所」
 一昨年、余市味覚マラソンにやって来た際に、時間の都合で見学できなかったのが「ニッカウイスキー・余市蒸溜所」。今回は飛行機の便も早く小樽での滞在時間に余裕があったので、心の奥にひかかっていたこのニッカウイスキー・余市蒸溜所の見学のために余市へ足をのばす。

 余市は小樽からJRで30分弱。余市といえば、このニッカウイスキーの前身である「大日本果汁株式会社」からわかるように、この街は北海道有数の果物の産地である。梨、ぶどう、リンゴ、桃、イチゴ、さくらんぼ、プラム、ブルーベリー、ハスカップ、プルーン・・・と、私が一昨年参加した「余市味覚マラソン」のネーミングからわかるように相当な種類のフルーツの収穫ができる。そのため、「余市ワイン」のブランドとしてのワインもこの街から販売されている。ちなみにニッカウイスキーの「ニッカ」は、前身の大日本果汁社の略称「日果(にっか)」の片仮名書きが現在の社名となっている。

 さて、このニッカウイスキー・余市蒸溜所。JR余市駅から徒歩で2分ほどのところにある。
 レンガ造りの正門は、余市駅の正面から見通すことができる立派な洋風な建築物。平成17年12月10日にこの正門を始め9棟が国の登録有形文化財となっている。ここで働いている人は大変だろうが、こういう歴史的建築物は残しておかなければならない。

JR余市駅から徒歩で2分ほどのところにある「ニッカウイスキー・余市蒸溜所」。ニッカウイスキーの創業の地。平成17年にこの正門を始め9棟が登録有形文化財に指定されている。
 このニッカウイスキー・余市蒸溜所は、寿屋(現在のサントリーホールディングス)でウイスキー製造に従事していた竹鶴政孝が、「この地(余市)の気候がスコットランドの気候に似ているとしてこの地を選び、資本を集めて1934年に創業したという。創業以来80年近く経過したこの工場の建物物は、登録有形文化財になってはいるが、蒸留所内の設備は今もなお使われている。

 工場内の広さは約4万坪。建屋と建屋の間隔も広くゆったりとした感じがいい。工場内の建屋の多くは、ウィスキーはの貯蔵庫。騒音もなく所内は静けさが漂う。

 今回はちょうど正午からのガイドツアーに間に合ったので、迷うことなく参加する。
ガイドしていただいたのは和田さんというこの蒸留所の専属ガイドさん。安めぐみ似の美人でにこやかな印象は、このツアーに参加した人々からも非常に心象がよかったようだ。ゆったりとした説明で聞いている方としても大変分かりやすかった。

 所内のレイアウトからもウイスキーの製造工程がわかりやすい。
 原料の麦芽の乾燥から粉砕、糖化、発酵、蒸留、貯蔵に至るまでの工程が非常に分かりやすい。
 以前、サントリーの白州工場(山梨県)の見学も以前したことがあるが、真剣に製造行程を理解しようとするならば、ニッカウイスキー・余市蒸溜所の方がいいかもしれない。

 蒸溜所の規模はサントリーの白州工場よりも小さいものの、小ぢんまりとしたツアーでガイドさんも美人で明るく、個人的には非常に楽しめた工場見学であった。

左下は「登録有形文化財」の証のプレート。どこかの県庁にも同じものがあったような・・・。

今回のガイドツアーをつとめていただいたのは、美人ガイドの和田さん

ツアーに参加したのは30人くらいでしょうか。

こちらは蒸溜棟です。

醗酵液をこのポットスチルにより熱し香味成分やアルコールを取り出します。

このポットスチルの熱源は石炭。職人が時々、石炭をくべるために回ってくるそうです。

醗酵棟の前で説明するガイドの和田さん

蒸溜所内は北海道らしい雰囲気ですね。

こちらは貯蔵庫。見るからに年代を物語っています。

無数の樽が並んでいますね。

こちらはウイスキー博物館。

樽の作り方の説明もあります。

ウイスキーの色は、樽の木の色。時間が経つと徐々に茶色くなっていくそうです。

創業から6年後の昭和15年に最初に出荷されたウィスキー。コルク栓のため、少しずつ蒸発しているので瓶の中身が少しずつ減っている。

ニッカ会館。2階がお楽しみの試飲場です。

和田さんのガイドツアーもここまで。ありがとうございました。人気者でたくさん拍手をもらっていました。

試飲会場では3種類のウイスキーが試飲できました。

お土産にウイスキー入りのキャラメルを購入したら、このハイボール1缶をおまけでいただきました。儲からない商売ですね。
 それからニッカウイスキーの経営について。
 昔からこの会社は、こだわりの製品作りをしている。しかしそのこだわりは、経営にとっては間違いなく足かせとなっている。例えば、こんなことが過去にあった。

 ウイスキーは製造開始から出荷まで数年かかる。
 そのため、最初期は余市周辺の特産品であったリンゴを原料に、リンゴジュース、リンゴワイン、リンゴゼリーなどを製造・販売していた。しかし、創業者竹鶴の品質へのこだわりはリンゴジュースにも及び、高価な果汁100%ジュースしか出荷しなかったためあまり売れなかったという。

 また、第二次大戦後、同業他社から相次いで低質の三級ウイスキーが発売される。しかしながら品質にこだわり、低価格商品を投入しなかったニッカウイスキーは経営が苦しくなる。
 当時の筆頭株主の加賀証券社長の加賀正太郎は、経営上の理由から再三、三級の発売を要求。昭和25年、昭和26年に低質の三級ウイスキーを発売するものの、原酒を当時の税法の制限いっぱいの5%ぎりぎりまで入れ、また着色料も粗悪品ではなく、わざわざ砂糖を原料に自社生産したカラメルを使用したという。


7月17日に届いたハガキです。ますます和田さんのファンになってしまいました。
 昭和29年に加賀正太郎が死期に近いことを考慮し、朝日麦酒(現:アサヒグループホールディングス)に保有全株式を売却。この時点で朝日麦酒は過半数の株を持つことになり、ニッカは朝日麦酒グループ入りする。
 そして平成13年、かつてから関係の深かったアサヒビールがニッカの全株式を取得。完全子会社化し、ニッカは完全にアサヒビールグループの一員となっている。

 この工場の生産設備を見ていると、大量に商品を売るための設備ではなく、こだわりの製品作りのための設備といってもいいだろう。アサヒビールの一員でなければ、この工場は持ちこたえられないとは思うが、こういうこだわりのある工場も今の時代にあっては面白い存在だと思う。

(追記)
 7月17日(火)にニッカウヰスキーの和田さんから直筆のハガキ(右)をいただきましたアンケートに回答した人に一枚ずつ丁寧にハガキを書いている姿が思い浮かびます機会があったら、また行ってみたいです今回の小樽遠征が、とても想い出深いものになりました。

ジャンプ王国余市
 一昨年、この余市に来たときに時間の都合で見学できなかった施設がもう一つある。 JR余市駅に隣接する「エルプラザ(余市観光物産センター)」の2階の「ジャンプ王国余市展示ホール」だ。

 それほど広い場所ではないのであまり期待はしていなかったが、余市を代表とするジャンパー札幌オリンピック(1972年)の金メダリスト・笠谷幸生(余市郡仁木町出身−余市高校)や、長野オリンピック(1998年)の同じく金メダリスト・船木和喜(余市町出身)に関するものの展示物に期待していった。
 全国的な知名度で云えば間違いなくこの二人は突出しているものの、余市町の中では何人かのジャンプの選手と同じように取り扱われていたのは意外だった。

 私の同年代の人からすれば、スキーのジャンプで真っ先に思い浮かべるのはやはり「日の丸飛行隊」の活躍だ。地元日本での開催の札幌オリンピックでの、金メダル・笠谷、銀メダル金野、銅メダルの青地の日本人ジャンパーの表彰台独占は、当時小学生の私にとっても感動的だった。小学校でも階段から飛ぶジャンプごっこが流行っていたのは云うまでもない。みんなで「かさや〜ジャンプ!」と言いながら、階段を2段、3段、4段とどんどん高いところからジャンプをして飛ぶのは楽しかった。

 そうか、よく考えれば今年は札幌オリンピックから40年目。もうそんなになるのか・・・。この笠谷の活躍を思い出したときだけ、私は小学生に戻った気分だった。

余市駅前に控え目に「ジャンプ王国余市展示ホール」の案内があります。

エルプラザ(余市観光物産センター)の2階にやはり控え目にありました。見学者は私一人。

余市町でのジャンプの始まりの説明書き

こちらは札幌オリンピック金メダリスト笠谷幸生の使用していたジャンプスーツと板。小学生のヒーローでしたね。

長野オリンピックやリレハンメルオリンピックで活躍選手の展示物。

こちらは長野オリンピック金メダリストの船木和喜の使用していたもの。一世風靡しましたね。

コース紹介(コースガイド) こちらを参照して下さい。

4度目の正直
 「本州は雨でも北海道だけは・・・」と頑張っていた天気も、今朝8時頃からポツリポツリと降りだす。スタートするまではこの降り具合は変わらず、道路を湿らす程度。レースには影響を与えるような降り方ではなかった。

会場の色内埠頭公園の入口にはコースマップが掲示されていた。

大会当日の受付の様子。部門別に手際がよかったですね。

こちらは300円での手荷物預かり。有料の割に雨に濡れたりとかで評判はいまひとつの模様・

出店は3店ほどありましたが、雨が降り出してからは客足はサッパリの感じでした。

他の道内の大会のパンフレットが置かれていました。

ちょっと変わった感じの「水飲場」。この日は大会の後半雨が降り出し気温が下がったこともあり、利用者はほとんど見かけませんでした。
選手たちの大半は曇天の下、シートを敷いてスタート備えていましたが、午前8時半頃からポツリポツリ、午前10時頃からは雨脚が強くなり退却した人たちが多かったのではないでしょうか。近くに体育館などの施設があるといいんですが・・・。
 9時ちょうどには、この大会のメイン種目のハーフマラソンがスタート。以降、9時10分に10kmが、9時20分には2.5kmが、そして私の出場する5kmはこの日最後の9時25分スタート。各種目ともスタート時間が早いのは、小樽運河沿いの観光地を走るため、観光客が大量に押し寄せて来る時間帯をはずすための配慮かもしれない。

 今回も最前列を確保。スタートのロスがなくストレスなくレースに入ることができる。9時25分ちょうどに号砲が響く。

9時ちょうどにスタートするハーフマラソンの部門の選手たち。

9時ちょうどに一斉スタート!

ハーフマラソンだけで1,500人がエントリー.。後方は大渋滞。

巡視船「しれとこ」の横を走るランナーたち。この岸壁もコースの一部。

遠くに小樽の市街地が見えます。この時の雨はポツリポツリでした。
 スタート直後は、中学生や冷やかしの選手が前を走るがすぐに後退して、自分を含めた若いが選手が先頭グループを作る。最初の1kmは3分16秒。このペースで先頭を走ることが出切るのは珍しい。
自分自身もこのペースで最後まで走りきればそれなりのタイムが期待できるが、最近は1kmを走るのが精一杯だ。
 ペースが落ち出すと後方から一人の選手に抜かれ総合で4位に後退。前の人はいずれもナンバーカードが5000番代なので一番若い35歳未満のカテゴリーの選手たちだ。
2kmを6分51秒で通過。この1kmは3分35秒を要している。時間が早いせいか、沿道に観光客の姿はほとんど無い。

本日のタイム(参考)
距離 SPLIT LAP
1km 3’16” 3’16”
2km 6’51” 3’35”
4km 14’11” 7’20”
ゴール 17’35” 3’24”
 5km部門は、この先「こだま交通」というタクシー会社のビルの先の交差点を左折する。右折左折を数回繰り返すとハーフマラソンのコースに戻るため25分前にスタートしているハーフマラソンの選手たちと一緒に走る。合流したあたりが3km地点のようだが距離表示はない。距離表示はハーフマラソンと10kmのみで5kmコース用はない。
 小樽の埠頭で4km(正確には10kmコースの9km地点)を迎える。14分11秒で通過。この2kmが7分20秒(3分40秒/km)。徐々にペースが落ちて入るもののここからが踏ん張りどころ。

 旭橋を越える前に一人の選手に抜かれたが、これまた5000番代の若い選手。ゴールの色内埠頭公園はすぐ目の前だ。ハーフマラソンの選手らはそのまま直進するが、5kmの選手は右折しゴールへ向かう。
 残り150mほどだろうか、後ろから足音が大きくなる。今の時点でゴールに向かうのは5kmの選手のみ。ゴールまで100mほど。これ以上抜かれる訳にはいかない。頭ではそう思うものの脚がついていかず、この選手(35歳以上50歳未満)にも抜かれたが総合6位、年代別では優勝することができ念願の北海道での国盗り(38都道府県目)を達成することができた。

ハーフマラソン部門のランナーは、後半雨に相当濡れて大変でした。

こちらはゴールを目指す10km、5km部門のランナー

ゴール前は応援が多いですね。

写真撮影用にゴールアーチの反対側にも文字が欲しかったですね。

この日は雨で少々寒かったので、豚汁は人気でした。前年の味噌汁からグレードアップしたそうです。豚汁を配っているのは、地元のおばちゃん達でしたが、後方で自衛隊第11特科連隊の方たちが黙々と自衛隊の炊き出し用の装備を使用して豚汁を大量に作っていました。ありがとうございます。

これがその豚汁。白味噌仕立てで美味しかったのでもう一杯(計2杯)いただきました。

こちらは遠来賞でいただいた地元企業「かま栄」の笹カマボコとチーズ入りのちくわ。道外参加者全員がいただくことができました。
 表彰式の時に、地元北海道のランナーで2位に入賞された川浪さんとお話しする機会があった。
 川浪さんは、毎年この大会に出場しているそうであるが、この大会は雨降りになることが多いという。「他の時期に開催できないの?」と尋ねると、「北海道は雪国だからマラソン大会を開催することができるのが、概ね5〜10月。気候的には6月は悪くないんですけどね。でもなぜかこの大会は雨が多い。今年も雨が降った。」と笑って話される。北海道のようなおおらかな感じの人だった。

本日の戦利品

副賞はありませんでしたが、念願の北海道の優勝!国盗り完了まで残りは9府県だ〜!