第27回焼津みなとマラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
8年ぶりのエントリー この大会に出場するのは8年ぶり4回目となる。 最初に出場したのが平成2年の第5回大会。22年も前からこの大会に出場していることになる。最初に出場した第5回大会、第10回大会(平成7年)ともに天候が悪く、「焼津=雨」と思っていたのであるが、第19回大会(平成16年)そして今年の第27回大会ともに好天となったため焼津のイメージが変わってきた。 雨が降るとこの大会の厄介なのが更衣場所だ。 最初に出場した第5回大会、第10回大会では、魚市場内の屋根の下くらいしか雨をしのぐところがなく、魚の激しい臭いのするところで待機するのはなかなか苦痛だった(しばらくすると慣れてはきますが・・・)。しかしながら今年は好天。選手の多くは露天にシートを敷いてこの大会を楽しんでいる。いまや9,000人規模の大会となったので、会場のキャパとしては少々小さいような気もする。 なお、この大会のコースであるが最初に出場した頃と比べると、何度かモデルチェンジしている。しかしながらいつの時代においても共通でいえるのは、ほぼフラットなコースのために高速でレースを展開できること。記録を狙うのであれば焼津はオススメだ。静岡駿府マラソンといい、静岡には記録の狙いやすい大会が2つもあるというのはうらやましい限りだ。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照して下さい。 入賞逃がすも10kmのシーズン・ベスト 来月10日で生まれてから半世紀。50歳をいよいよ迎える。 40歳代最後の10kmロードレースとなるはずだった3月4日の静岡駿府マラソンの結果がふがいないものであったので、大会終了後に急遽エントリーしたのがこの焼津みなとマラソンである。 焼津みなとマラソンは過去3回エントリーしているが、ハーフマラソンのコースの高低差が6m程度(10kmは3m程度)と平坦で走りやすいコースとなっている。ただし、過去3回出場したうちの2回は雨、残りの1回は晴れたものの4月上旬としては気温の高い日であり、自分の中ではこの大会の評価がコース◎、天候△という印象だった。 しかしながら今日の焼津みなとマラソンに限っていえば、コース◎、天候も◎だった。昨日まで吹いていた厳しい風もほぼやみ、当日の気温も11℃程度と走るのには絶好のコンディション。まさに言い訳の出来ないものとなった。
今回は、コースをイメージするために前日に試走をした。そのため、焼津市内で前泊をしたため、大会当日の朝は比較的ゆったりすることが出来た。しかしながら会場へやってきてびっくり!エントリーが9,000人を超えるマンモス大会に成長したため、着替えやストレッチなどをする適当な場所がなかなか見つからなかった。もう少し早く出てくればよかったと少々反省・・・。 軽くウォーミングアップをして、スタート10分前くらいにスタート場所に行くが、スタートラインには恐ろしいばかりの人だかりで、前列に並ぶ余裕など微塵もなかった。これではまともなスタートが出来ず、「40歳代最後の10kmロードレースの好記録も夢物語か。何のために追試のエントリーをしたのか・・・」と諦めかけていた。 ところが突然「陸連登録者は前に来て並んでくださーい!」と係員の神の声。「何?ホント?」、これぞまさに天の声。最悪の事態から一転し、最高の状態になったのであった。 後ろから人をかき分けかき分け前に進んでくると、そこには30人ほどの選手しかいなかった。実際には陸連登録者はもっといるのであろうが、私のようにずうずうしく前に来ないだけかもしれない。しかし今日は記録を狙うためにやってきたのであるから、遠慮無く前に並ばせてもらう。遠慮がちな人が多い中、最前列というロスタイムゼロの最高のポジションとなった。
スタートしてから気持ちよく加速し、先頭グループを走る。全盛期のような走りのキレは無くなってはいるが、スタート直後から白い目で見られるようなドタドタ走りではない。それなりに、グループに入ってレースを進める。思ったよりもみんなスロースタートのような感じだった。どちらかというとポジティブスプリット(前半型)の私だからそう思ったかもしれない。 最初の1kmは3分18秒。風邪をひいて体調が悪い割にはまずまずの入り。最後までこのペースでいければ、33分台でゴールできることになるが、このペースは最初だけ。徐々にペースを下げ、前半は17分30秒くらいでいけたらと考えていた。 体調があまりよくないこともあるが3kmを過ぎてからの直線で体が重く感じる。沿道の観客は増えてきて声援は多くなるが、ペースは下がる一方だった。
今日の目的は40歳代最後の10kmロードで好タイムを出すことであって、優勝を狙ってバトルすることではない。そう割り切って集団から離脱しても無理に集団を追うことはしなかった。 後半は淡々と走るような形となってそしてゴール。タイムは35分46秒。先月の静岡駿府マラソンのふがいないタイムを1分ほど上回り、最低目標の35分台だけはクリアすることが出来た。 40歳代では年代別9位で入賞には届かなかったが、50歳代でこのタイムが維持できれば、この日のメンバーであれば優勝できることになる。来年もこのタイムを維持し、優勝を狙っていこうと誓うことになった。
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