第31回軽米町ロード・レース大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
九戸郡軽米町(かるまいまち) 今回の遠征先は岩手県九戸郡軽米町。3週間前に遠征した同じ岩手県の一関市は岩手県の南部に位置し宮城県と接しているが、逆にこの軽米町は岩手県の北端で青森県と接している。 名古屋から仙台へは夜行バス、仙台から盛岡へは高速バス、盛岡から金田一温泉(二戸市)へはIGRいわて銀河鉄道、金田一温泉からこの軽米町へはJR東北バスに乗り継いでやってきたが、仙台からでも乗り換え待ちの時間を含めて6時間以上を費やした。わかってはいたが、なかなか遠いところだ。
今回はこのような交通事情なので、大会前日に宿泊をする。 宿泊したのは大会会場の軽米町役場にほど近い「大清水旅館」さん。ロングヘアーの御主人と、感じの良い奥さんとで旅館を経営をされている。お二人とも40歳前後だろうか。中学生のお子さんと一回り年の離れた1歳くらいのお子さんがいる。軽米町は観光地ではないので、日頃から宿泊されるのは土木工事などで町内に長期滞在される方が多いとのこと。 この大会は岩手県内と青森県南部の選手の参加が多く、遠方から来て宿泊している選手は皆無で、今回大会参加者で宿泊したのは私だけだった。とはいえ、この旅館では何の不都合もなく過ごせたのはよかった。
例えば「軽米町は岩手県の北部であまり東日本大震災の影響が無かったようですね」と尋ねると、「揺れの大きさでいえば、十勝沖地震の方が大きかったですよ。ただ、東日本大震災の時は、揺れがいつまでたっても続くので気持ち悪かった」とか。棚からものが落ちたりはしたものの、この町内では大きな被害は無かったようだ。ただし岩手県や青森県の沿岸部にすむ知人で被害に遭われた方はいるようで、そのことには気の毒そうに話をされていた。 また、このあたりは岩手県の北部にあたるので、経済圏としては県境を跨いで青森県八戸市の経済圏内になるという。そういえば、今大会のスポンサーで「かもめちくわ」を参加賞として提供していただいているマルヨ水産(株)は青森県八戸市の会社だ。 例えば軽米町内にも県立病院はあるものの、そこで診きられない患者さんは二戸市の県立病院で、さらにそこでも診きられない場合は青森県八戸市の病院へ行くという。 奥さんとの会話の中では八戸の話しはよく出てくるものの、県庁所在地である盛岡市の話しはほとんど出てこなかったことから、どこを向いて生活しているかがよくわかる。 また軽米町中心街にはコンビニが無いそうだ。確かにコンビニっぽい店はあるが、セブンイレブンやローソンなどのチェーン店のコンビニは無い。しかしながら、別に買い物をするのであるならばスーパーに行けばいいし、コンビニの方が値段は高いので、無理してコンビニに行かなくてもいいと思う。町内には23時まで開いているスーパーもあるという。それで十分ではないか。奥さんも「別になくてもね〜」とあっけらかん。不便だと思っているのは都会からやってきた人間だけで、ここに住んでいる人たちはそう思っていない。 時間の流れ方はゆったりしていて、そういうペースで過ごしている人たちは全然あくせくとしていない。日本の国土のうち、都心部に住む人間はせいぜい2〜3割だろう。それ以外の地域に住んでいる人たちは、ここの人たちと同じように暮らしていることだろう。 2日ほど軽米町に滞在したが、何でもかんでも都会のモノサシで計る必要は無いのではないかと感じてしまう。地方の町はこういうのんびりさがあって心が癒されるので、私はこういうところへ出かけるのが大好きだ。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照して下さい。 岩手県の国盗り達成! 岩手県は今回で6回目の遠征となる。どこの町に行ってものんびりとした感じ。これまで岩手県内で遠征に出掛けた町は、いずれもお気に入りで、また来たいと思わせる町ばかりだ。日本的な風景もさることながら、人柄がいいというところに特徴がある。 福島県の会津地方も日本人の故郷的な感じがして大好きなのであるが、岩手県も何度か脚を運ぶうちに、ここも日本人が忘れかけているようなことが、忘れられずに残っている雰囲気が漂っていてとっても好きになった。今では福島県、大分県などと並んで私のお気に入りの県である。 しかしながらこと遠征に限ると、岩手県は遠征費用がかさむのが最大の難点。今回は概算で3万5,000円程度で見積もったが、そうそういつでも気楽にやって来ることが出来る訳ではない。 3週間前に一関にやって来ているが、自分のレースに向けての調子が上がってこないので、もうひとレース日程に組み込んだのが今回の軽米町ロードレースだ。3週間のインターバルで再び岩手県にやってきたので、今回はなんとしても国盗りを達成したいところだった。
この大会は、9時45分に小学生・中学生の3km部門がスタート。10km部門と5km部門は10時15分に同時スタートするという変則的なタイムスケジュールだ。とはいえ、10kmのエントリーが91人、5kmでのエントリーが143人と合わせて234人なので同時スタートもうなずける。 今回は前から2列目に並ばせてもらう。今回、地元の軽米町陸上競技協会も主催しているので、スタート前の整列もスタート位置から20mほど後方に下げて並ばせるなど、陸連規則に準じてきちんとしている。スタート15秒前にスタート位置まで移動させるが、完全に体が静止しないうちにピストルが鳴ってしまった。やや不意打ちを食らった感じだった。
スタート直後、自分の前に並んだ選手がスタートダッシュしないので、100mほどブロックされたような感じで後方を走る。選手がバラけ出した頃から隙をついてようやく前に出る。 昨日から今日にかけて宿泊した大清水旅館の前もコースになっている。 「女将さんいるかなあ?」と思って右側を見ると、大清水旅館の隣の薬局の前で、大清水旅館の女将さんがいるのを発見!応援してくれるので、こちらも応えるように手をあげる。 1kmの通過は3分20秒。いい感じの入りだが最後までこのペースで持つか? この頃には選手が完全にバラけ、私の前には12〜13人の選手がいた。このうち5km部門の選手は何人いることだろうか。 1kmを過ぎるとこれまで平坦であった道路が少しずつ登り出す。復路は逆に下るので、何とか前半である程度貯金をしたいところだ。 2kmの通過が6分59秒。この1kmは3分39秒も要している。 折り返し地点に近づくと、一人二人と折り返してきている5km部門のランナーとすれ違う。数えたところ、私は4番目で折り返している。順位だけみれれば、前半は健闘していると言えたかもしれない。 しかしながら後半に入ると、私のペースが上がらないと察したのか、後続のランナーに次々と抜かれ出す。ただし同年代のいなかったのは救いであった。 3kmの通過が10分40秒。この1kmのタイムはさらに遅くなり3分41秒もかかっている。そして4kmの通過が14分17秒。この1kmのタイムは3分37秒とわずかであるがペースが上がる。再び軽米町の中心街に戻ってきた。 昭和橋の交差点を左折し、昨日買い物をしたたけさわストアの前、そして大清水旅館の前を再び通ると、往路と同じ場所に大清水旅館の女将さんが待っていた。今度は携帯電話のカメラでこちらを狙っているのがよくわかる。 苦しいながらも、往復2回の応援に応えるためにもう一度右手を上げる。2日間、本当にお世話になりました。いろいろとお世話をしてくれた女将さんのためにも、これ以上抜かれるわけにはいかない。
最後の力を振り絞りゴールへ駆け込む。タイムは17分57秒。まったく情けないタイムである。また着順カードは11番。後半だけで7人に抜かれたことになる。 この大会は、流行のチップによる自動計測システムを採用していないので集計が終わるまで、自分が年代別で優勝したどうかがかわからず、少々やきもきした。 11時30分過ぎから始まった抽選会の途中で、記録の集計ができたと放送が入る。おそるおそる記録が貼り出されている場所へ見に行く。5km男子50〜59歳の一番上に自分の名前を見つけることができたときはさすがにホッとした。6度目のチャレンジで、ようやく岩手県の国盗りにピリオドを打つことができたのだ。
しかしながら2位の選手とのタイム差はわずかに12秒。自分が本調子でないことを差し引いても、決して楽な戦いではなかった。 というのもこの大会はの名前は「ロードレース」。××市民マラソンのようなネーミングでないのは、軽米町陸上競技協会が主催していることにある。 走路員等の係員は、みな左腕に黄色の腕章をしている。そこには「青森ー東京 東日本縦断駅伝競走大会」と書かれている。平成14年をもって廃止されてしまったいわゆる「青東駅伝」のことだ。東日本の都道府県の対抗駅伝で青森から東京までの700kmを超える距離を延々とタスキを繋いでいく。コースなどの詳細は知らないが、国道4号線を南下していくのであれば、この軽米町も通っていく。この駅伝に憧れ、県代表を夢見るとなれば、自ずと練習にも力が入る。だから岩手県は強い選手が多いのであろう。「気がつくのが遅い!」と言われるかもしれないが、そう思うと岩手県は強い選手が多く、国盗りに手こずったのも何となくうなずける。 大会要項には「二戸管内の選手については、10kmの部に限り、一関・盛岡間駅伝競走大会の選考も兼ねる。」とある。青東駅伝が無くなっても、この大会は県内で開催される駅伝の選考会を兼ねているのだ。代表ともなれば、それは地方の誇りだろう。駅伝は、地方の活性化には非常に果たす役割が大きいと思う。それだけに今日のロードレースから、青東駅伝は何とかして復活すべきではないかとふと思った次第である。
本日の戦利品
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