第32回南木曽町・妻籠健康マラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
自分が走るのは初めて 冒頭に説明したようにこの大会にやってきたのは7年ぶり。ただし、走ったのはカミさんと子どもたちだったので、自分自身はノーエントリー。いつか出場しようしようと思いながら7年も経ってしまったのだなと思う。 メイン会場は南木曽会館。スタートは南木曽総合グランドと変化はないものの、7年前より参加者が著しく多くなったせいか、駐車場がこの南木曽グランドから1.7kmほど離れた天白公園に変更されている。この天白公園に自動車を停めて、シャトルバスに乗り換えて会場にやってくるということだ。主催者には余分な負担が増えてしまったことになる。 また、小学生向けの3kmコースもスタート場所が妻籠宿に変更となっている。もともと、歴史的な街並みが保存されている妻籠宿を走るのが目的なので、コース設定としては非常にいいことだと思う。しかしながらそのために、メイン会場から妻籠宿までシャトルバスによる移動が増えたことになり、こちらも主催者の負担が増えることになる。サービスがよくなるのはありがたいが、費用負担が増え大会が中止になるのが一番困る。最後は、参加料の値上げで選手に負担をしてもらうのがよいだろう。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照して下さい。 2日連続優勝へ悪戦苦闘
昨日、大会終了後に帰宅してから、行きつけの店で1時間ほどマッサージをしてもらう。張りは少なかったようではあるが、体の奥の疲労はなかなかすぐには取れない。そして大会当日・・・。 前日のスタートが正午と遅かったが、この日の自分の出場する6kmのスタート時間は午前9時。昨日のスタートからすれば、21時間後となる計算だ。 会場に到着してからはコースの下見をした以外は念入りにストレッチをして体の柔軟性を何とか作るように心掛けた。思っていたよりは何とかなりそうな感じ。平坦なコースなら、それなりに誤魔化せるかもしれないが、今日は昨日と同様に起伏のあるコース。登り坂をうまく乗り切れるかがポイントとなるはずだ。 スタート10分ほど前にスタート地点の南木曽総合グランドへ向かう。6kmのエントリーは365人なので、スタート場所は比較的ゆったりとした感じが漂う。(ただし、10時10分スタートの10kmは800人以上のエントリーでスタート場所はギュウギュウだった) 午前9時、まだ少し肌寒さが残る中、スタートする。 このコースは南木曽総合グランドの横から出発し、細い道を左へ右へと直角に2度ほど曲がる。また、最初の1kmくらいまでは、急峻な坂が続くというランナー泣かせのコースだ。 スタートラインに並ぶ選手というのは、当然勝負や記録にこだわる選手なので、このような狭いコースというのはバトルがあるので、接触による転倒の危険性が伴う。参加者も増えてきたので、主催者としてもグランドを周回させるなどして、一般道に入るまでに選手を分散させる方法を考えないといけないだろうと思う。
さて、私の方といえば、最前列に並べたおかげで序盤から先頭グループで走ることができた。細くて急峻な道を登り、国道19号線下のガードを抜けてどんどん坂を登っていく。決して速いペースではないが、あまりにも急峻な坂ですぐに脚がパンパンになる。この6kmコースの特徴としては、最初の1kmと4km〜5kmにかけての登り坂を上手に走ることができるかがポイントになるであろう。 ついていかなければと思いつつも、体が動かずに先頭グループからずるずる遅れ出す。しかしながら、私と同じくらいのペースで走る中学生らしき選手が2人ほどいたので、彼らを利用してペースメイクしていく。 妻籠宿に近づくにつれコースが下りだしてからは、徐々にペースが落ち着いてきた。脚の張りも幾分か緩んだ感じだった。 妻籠宿にはいると、3.2kmに出場する小学生の選手の親たちだろうか、急に応援が多くなる。また妻籠宿を歩く観光客たちも珍しそうに見ている。自動車が走るようなコースではないので、交通規制をする必要はないであろう。東京マラソンのようにビル群の中を走るのもいいかもしれないが、このような歴史的価値のある宿場町の街並みを走るのも悪くない。いや、むしろ楽しいと言えるだろう。 ちょうどこの辺りまで、並走していた選手が前を走り出す。こちらは前日の疲れもあるし、まだ後半の登りも控えているので無理せず先に行かせる。 4kmあたりから始まる登り坂では、ペースが明らかに落ちてきている選手を少しだけ抜いていく。こちらも一杯一杯であるが、みな苦しいところだ。朝方コースの下見をしたので、登り坂の続き具合も分かっているので、登りきるまではとにかく粘ることとする。ここを登りきれば、後はほぼ下り坂になる。 私は50歳代になったのであるが、まだ40代後半のTPACのH選手をこの登り坂で抜いていく。3月の「かかみがはらシティマラソン」では私の方が先着している。力のある選手だが、最近は調子が悪いのか。 下り坂に入って途中に給水所があった。コップを2つとり、一つは飲み、もう一つは体にかける。気温はそれほど高くはないが、体はオーバーヒート状態だった。 残り1kmを切り下り坂がきつくなる。先ほど抜いていったHさんが再び抜き返してくる。本来であれば、最後までバトルをしながらゴールを目指すべきであるのであるが、昨日の疲労も抜けず、またHさんとも年代(カテゴリー)が違うので、最後の下り坂は無理せずイーブンで下っていくことにした。登りも急だっったが、下りもあらためて走ると急な下り坂。脚がもつれて転倒する選手も出るかもしれない。 ゴールタイムは23分48秒。スタート時に「一番前に並ぶのは目標タイムが24分以内の選手ですよ」という主催者側のアナウンスには辛うじて応えることができた。 6kmのコースは一部周回コースであり、今日の支給されたナンバーカードが1枚で胸にしか付けてないので、私より前を走っている同年代の選手がいるかどうかが分からない。記録証発行所に行って記録証をもらう。恐る恐る見ると、「50歳代 第1位」と書かれている。ほっと安堵。こうして苦しみながらも何とか目標の2日連続の優勝を達成することができた。
故障から復帰して2年ぶりのレースという。「無理せずにゆっくり入ってください」とアドバイスをする。彼女のこの日のエントリーは10km。終わってからメールをいただいたが、後半はペースを上げて走れ、さらに年代別で入賞したと報告をもらった。嬉しいお土産ですね。 本日の戦利品
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