第61回別府大分毎日マラソン大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●費用
●上位成績)
2年ぶりのスタートラインへ 昨年のこの大会はエントリーしたものの、当時中学校2年生だった長男の勉強の指導をしていたことにより、自分自身の練習時間の確保が出来なくなり欠場している。 昨年は沿道から移動しながら応援をしていたものの、別大マラソンのコースを走るのは今回2年ぶりとなる。 現在「国盗り」と称し、全国47都道府県を走り、その各都道府県において年代別優勝を含む優勝を目指して行脚しているところであるが、1年に一度くらいはマラソンをきちっと走ろうと、ほぼ毎年秋口から走り込みの量を増やしながらこの大会に備えている。 今から16年前の第45回大会(平成8年)に初めて出場したときは33歳。仕事も現在とは比べものにならないくらいほど暇な職場であったし、結婚はしていたもののまだ長男の生まれる前で、今思えば当時は時間的に相当余裕があった。 40歳前後から仕事量がどんどん増えて、加速度的に自由時間が削られている。 職場では山ほどの決裁を処理しながら、高圧ガスの許可申請も山ほど処理している。あまりにも忙しいので、最近は検査にはほとんど出かけることはないが、それでも帰宅時間は遅いことが多い。夜に練習時間を確保することはほぼ困難なので、ほとんど朝練と昼錬というパターンで何とか凌いでいる。平日ももう少し練習をしたいが、どうしても週末にまとめて行いがちになる。そういう状態にさらに追い打ちがかかる。 1月26日(木)、27日(金)と茨城県つくば市へ全国的な会議があり出かけた。その会議の出席者に風邪をひいている人が多く、金曜日の帰宅途中から喉が痛み出す。出張土産に風邪をもらってしまったようだ。 1月28日(土)は医者に行ったものの体調が悪く練習が出来ず、翌日の29日(日)も一日練習は休み。もともと、計画通りに練習が出来ていないところに大会一週間前にダウンし、もはや赤信号・・・。「ここままでいくと2年連続欠場?」と、ちらりと頭をよぎったが何とか最後の一週間で出来ることをしようと、本来なら練習量を減らすところをほぼ横ばい程度にし、大会当日を迎えることになった。 脚の異常な軽さはなく、スタミナは落ちている感じはなかったが、疲労が残り回復していないことは明らかであった。この状態でどんなタイムが出るのだろうか。そもそもこんな状態で完走すら危ういのではないか。不安は無かったものの、結果については皆目予想が付かない状態でスタートラインに着くことになった。
大会前日 昨年は夜行バスで一緒にやってきた走友のNさんが、1月に東京に転勤となってしまった。来年あたりにさらにベトナムに異動になるようで、そうなると日本国内で走ることが出来るのもわずかな時間しか残されていない。東京へ異動になっても、マイコースを探しながら練習を続けられる意気込みがすごい(私も見習わなければ・・・)。昨年のこの大会と、昨年の11月のいびがわマラソンと2回連続してサブスリーを逃していることもあり、この大会にかける意気込みはとにかくすごい。 一足早く別府に到着した私は、先に予約していたレンタカーを借りて大分空港に向かう。もちろんNさんを迎えに行くためだ。 別府から国東半島に位置する大分空港まで約40km。旧大分空港は、別大マラソンのゴール大分市営陸上競技場のそばの大洲総合運動公園の場所にあったという。至便ではないか。 旧大分空港から現大分空港へは、沿岸への工業地帯造成の障害となったために国東半島に移転したということらしい。旧大分空港の跡地は、国から大分県に公園用地として払いさげられ、大洲総合運動公園として生まれ変わっている。なるほど、大洲運動総合公園を地図で見ると北西の方から南東へ長く延びているではないか。 話を戻す。 かつては大分市の中心部からわずか15分ほどで行くことができた大分空港が、国東半島へ移転したおかげでアクセスが非常に悪い。何度か利用はしているが、別府からでも40kmも離れているとは思わなかった。 Nさんは、羽田を始発の大分行きの便に搭乗し、8時30分頃にはすでに大分空港へ到着していた。私はといえば、午前8時にレンタカーを借りて空港へ向かうものの、途中の道路が混雑していたこともあり50分ほどかかってしまい、Nさんを待たせてしまった。 それでも久しぶりに会うNさんは嬉しそうで、この大会にかける意気込みはすごかった。異動になってからも週末は、必ず愛知県の自宅に戻られる。受験生を抱えているだけにその気持ちは痛いほどわかる。異動で落ち着かないはずなのに、バイタリティーがとにかくすごい。
大会前のコースの下見は必須。再び別府へ戻るルートを通りながらNさんと一緒に車窓からコースを下見し、イメージトレーニングをする。このコースに限らず、フルマラソンの勝負は終盤。30kmで半分、35kmから勝負が始まるという感覚で走らなければならない。 Nさんは、昨年の反省を活かそうと終盤のイメージをしっかりしているようだった。 一通りコースの下見をした後、大分市営陸上競技場からコース最後の6kmほどを軽くジョグして走ることにした。これは昨年と同様の調整方法だ。私は2年ぶりとなるが、無事にゴールまでたどり着けるだろうかと考えながら走る。かたやNさんは、しっかりとコースを体に含むようにしながら走っている。きっといい記録が出るに違いない。
大会当日 昨年同様、宿泊した「ホテルスター」で朝食を摂り、8時45分にホテルを出発する。このホテルにも、マラソンに出場のために宿泊している選手が多く、また朝食がバイキング形式ではないため、ご飯をおかわりをする選手が多く、食堂のオバチャンがご飯が足りなくなってきて困っていた。
大分県庁の知人のUさんから話は聞いていたが、今年はいよいよ大分市生石と別府市東別府を結ぶ通称「別大国道(国道10号、7キロ)」の6車線化事業が完了し、最後に残っていた高崎山周辺区間(500メートル)の工事が2月1日に完了したそうだ。大会開催日のわずか4日前のことだ。 事業着手が1993年度(平成5年度)なので工事に18年を要していることになる。ちなみにこの「別大国道」は1日平均7万台が利用しており、九州でも有数の通行量。別府と大分を結ぶ唯一の国道であり、災害時にここが寸断されると迂回路がほぼ無いに等しいため、住民にとっては過去から現在に至るまで重要な国道であることに変わりがない。もちろん、この道路が寸断されれば別大マラソンも開催できなくなるのでランナーにとっても重要な道路である。 私の場合平成8年から数えて13回目の出場となるので、この別大国道が毎年少しずつ改修されていることは走りながら感じていたが、今年でとうとう完成とは嬉しい限りだ。最後に残っていた場所が、高崎山区間ということなので、恐らくスタートしてから最初の1km前後のあたりだろう。わずかばかりに2車線のところが残っていた記憶がある。 さて、別府北浜から乗車したシャトルバスであるが10分ほどで「うみたまご」へ到着する。 私と一緒に走られるNさんは、いずれもカテゴリー2。更衣室は「おさる館3階」と「おさる館前広場の仮設テント」の2箇所が割り当てられているが、迷わず暖かい「おさる館3階」へ行く。まだ時間は少し早いせいか、おさる館3階の奥にある会議室は埋まっていない。適当な場所を見つけシートを広げてストレッチなどの出来る場所を確保する。 たまたま近くにいた東京都のO矢さんが私のことに気づき声を掛けてくれた。平成21年8月に山梨県富士吉田市で開催された「山日YSB富士吉田火祭りロードレース」で初めてお会いして以来、どこかの大会の会場でお会いすると、いつも声を掛けていただいているこのサイトの愛読者である。今回は少々故障しているようなことを言っておられたが、私よりも年上の方。上手に走られるだろう。お互いに健闘を祈りエールを送る。 さて、私にとっては2年ぶりの出場となるこの大会。フルマラソンは年末にも走っているので特段緊張することもないが、練習の仕上がり具合から、どうしても今日のタイムが読み切れない。ペース設定も悩む。ストレッチをしたりアップをしたりして、体の具合を確認するものの結局結論が出ることもなく、スタートラインに立つことになった。とりあえず今日は19分30秒/5kmのペースで行くことにする。
レース 正午ちょうどに号砲が鳴る。2,000人近いランナーが一斉に動き出す。 今回はスタートラインを超えるのに6秒を要した。3時間近い長丁場の中でのロスタイムとしてはわずかなものとして割り切りたいところであるが、スタートラインを超えても前が混雑していてなかなかスピードが上がらない。 最初の1kmを通過した時点では4分06秒。スタートのロスを差し引けばちょうど4分かかっていることになるのであるが、2kmの通過は7分34秒(この1kmは3分28秒)。距離表示が狂っていると疑いたくなるようなタイムであるが、実際にそうだったかもしれない。 それにしても今日は本当に風がない。 昨日は日が照っていたが、風のある天気だったが、今日は曇っているせいだろうかほとんど風がない。10回以上この大会で走っているが、これだけ風のないことは4〜5年に一度くらいのこと。曇っている分だけやや肌寒いが、言い訳できないコンディションであることには間違いない。 スタート前に疲労がうまく取れていないだけに、念入りにストレッチをしたのであるが、走り出しても体のキレはやはり回復されていなかった。自分でも感じたのであるが、動きがロボットのようにぎこちない。体がこわばっている証拠だ。そういう中で最初の5kmが19分06秒。スタートのロスタイムやスタート後の徐行運転を考慮すれば、実質18分台後半のペースだ。明らかにオーバーペース。疲労が回復していないだけに、体感が完全に狂っている。急激にペースを落とすわけにも行かないので、ここから徐々にペースを落としながら走ることにする。次の5km(5〜10km)はややペースを落とすことが出来たが、それでも19分22秒とまだ速めのペースのままだった。 12km付近では、大分県庁のUさんが手を振って応援してくれている。一瞬だけのすれ違いであるが、元気そうだ。今晩の懇親会のためにも完走しなければと思う。 その後の5kmごとのラップは、19分28秒(10〜15km)、19分46秒(15〜20km)とようやく、狙いのスピードに近づいてきた。ペースが落ちてきているので、抜いていくランナーはほとんどおらず抜かれる一方。無理してペースを維持しているわけでもないので気にせず走る。それにしても走りはじめの体の重さはいっこうに改善されず、むしろどんどんと疲労だけが蓄積されていくような感じがする。 中間点の通過が1時間22分05秒。とてもこのペースで走り2時間45分でゴールできるとは思えないが、奇跡を信じひたすら前を見つめて走る。 別大国道に別れを告げて大分市内の市街地に入ってからは、脚の重さはどんどんひどくなるばかりだった。20〜25kmでは早々と20分/5kmを超え20分10秒を要してしまった。とにかく今日の体調からすれば、歩かずにゴールしたら十分かもしれない。自分で自分を励ましながらレースを進める。 若い頃は感じなかったが、最近は走るスピードが落ちてきたせいか、マラソンを走っていても体が温まらない。特に今日のような日の照っていない曇りの天候の日には、走っていても体が冷えるばかりだ。アームウォーマーをしていても腕は冷えるし痺れてくるので、時々腕をだらりと下げたりしながら気分転換をする。おまけに今日は、時々小雨がわずかにぱらつく。これ以上寒くならないために、ゴールまで大雨が降らないことを祈るばかりだ。 25〜30kmでは20分35秒、30〜35kmではとうとう21分台/5kmにペースが落ちてきてしまった。とにかく今日は最後まで我慢のレースだ。どれだけペースが落ちても前を向いて走る。自分に言い聞かせてゴールを目指す。それにしても、この大会は沿道の応援がすごい!途中でリタイアしたくてもこの応援ではなかなかリタイアできないだろう。 40kmの通過が2時間42分19秒。ペースも相当落ちてきていることもあり、今日は2時間50分を切ることはほぼ絶望的だった。舞鶴橋にも多くの大分市民の人たちが応援してくれている。腕も脚も痺れているが、最後の1kmは体にムチを打ってペースを上げる。 競技場が見えてくると「あと400mの我慢!」と思い力を振り絞る。脚の感覚もかなり無くなっているが、とにかく脚を前に振りだす。ゴールでのデジタル時計の表示は2時間51分を超えていた。久しぶりに辛いフルマラソンだった。 事前の練習が出来ていないと辛くなるのがフルマラソン。逆に練習が十分出来ていれば、楽しめるのもまたフルマラソンだ。今回の自分はまさに前者。長いことやっていれば練習が出来ない時期もある。今年はこんな記録だったが、来年は十分に練習して臨みたいと思ったゴールの後の気持ちだった。
海門寺温泉
まずは温泉。 大会のプログラムの巻末に、別府市内の市営温泉(竹瓦温泉、不老泉、田の湯温泉、永石温泉、浜田温泉、海門寺温泉、脇浜温泉)の無料入浴券が付いているのでこれを利用する。昨年は不老泉、一昨年は竹瓦温泉を利用したので、今年はまた別の温泉を利用しようと考え、比較的アクセスのよい海門寺温泉を利用することにした。 前日、偶然ながら海門時温泉の前を通ることになったのであるが、竹瓦温泉や不老泉のような歴史的な建築物ではなく、近代的な銭湯だった。それもそのはず、何と2年ほど前に建て直してオープンしているとのこと。古いイメージの方が別府らしくていいのであるが、まあ、新しい温泉はそれはそれできれいでよかった。選手は無料であるが、大人の入浴料はわずか100円。もちろんアメニティーはありません。こんな料金で大丈夫だろうか?と思うけれど、そこは「市営温泉」。さすが別府です。来年はどこの温泉に行きましょうか? 懇親会 海門寺温泉の入浴もそこそこに、懇親会へと向かう。午後6時30分開始と約束をしている。 場所は別府市内の「ちくでん」さん。ふぐ専門店ではないが、とれもリーズナブルな料理屋である。 この「ちくでん」を訪れた回数は正確には数えていないものの、今回で5回目か6回目。 和え物、ふぐ刺し、ふぐちり、ふぐ雑炊で何とたったの3,500円。これはちくでんさんの中でも破格値のコースなのであるが、少々これではもの足らないので、唐揚げやひれ酒なども例年追加して注文している。 大分県庁のUさんもわれわれランナーもよく飲む人間ばかりなので、今回の一人あたりの出費は約6,000円。名古屋でこれだけ飲み食いすれば間違いなく15,000円は払っていることだろう。 今回の懇親会のメンバーは、私と走友のNさん、名古屋市役所走友会からはK井塚及びJョニー。そしてK井塚の中学・高校の同級生のS原さん。大分県庁からはUさんと、かつて高圧ガスの研修でご一緒させていただいた大分県庁のIさんの合計7名の大所帯。 初めて顔合わせをする方も多く、自己紹介をしたり、大会までの取り組みなどの情報交換をしながら過ごしました。特に初参加のJョニーとS原さんには、この「ちくでん」のふぐ料理を特に気に入ってもらえたようです。 来年以降もこの会が開催出来るように、しっかり練習して別府にやってきたいと思います。 お忙しい中、この会を準備していただいた大分県庁のUさん、またわざわざ大会後に足を運んでいただいた大分県庁のIさんありがとうございました。気が早いですが、来年もよろしくお願いいたします。
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