第62回ぎふ新春マラソン 参戦記
 18年前に初めて出場した第44回大会(平成7年)で、カミさんが第1部(30歳以上女子)で優勝!いきなり大きなトロフィーを貸与されました。ちょっと変わった雰囲気でしたが、当時一年間、我が家の玄関に飾っておきました。来る人来る人が珍しそうに見ていきました。

 第44回大会の時ですが、私は前日に安城で10kmを32分53秒で走り、2日続けての連戦のため精細を欠き第6部(一般男子)で12位と撃沈。翌年の第45回大会は万全の体制で臨んだものの、7位の入賞止まり。第6部では何度出ても優勝は難しいと悟り、「50歳になったら第2部(50歳以上男子)で優勝して、あのトロフィーを持ち帰るぞ!」と誓ったのです。最初に出場してから18年。とうとう今年50歳となり、ようやく18年前の想いを実現するチャンスが到来しました。

 最近は2月の別大マラソン向けの練習のため、スピードを出す機会が少々減っていて勝てるかどうか心配でしたが、終わってみれば2部(50歳以上男子)の選手では唯一の9分台の記録で優勝!18年前の想いを実現することが出来て、今日は非常に満足しています。大きな夢ではないですが、小さな想いでも実現するというのは嬉しいですね。
 

●大会名   第62回ぎふ新春マラソン
●開催日 平成25年1月6日(日)
●コース
 /大会要項

 /プログラム
岐阜メモリアルセンター長良川陸上競技場発着(岐阜県岐阜市) →詳細地図

大会要項

プログラム

コースマップ

コースガイドはこちら
それぞれクリックすると拡大します
●天 候 晴れ、4℃くらい
●参加賞 水(クリスタルガイザー1リットル/ペットボトル)
●結 果 9分58秒 (3km :総合第5位、男子50歳以上  第1位)
●表 彰 賞状、トロフィー(トロフィーは持ち回りのため後日レプリカと交換)
●過去の戦績
第45回   H8.1.4   5.6km   17分36秒   総合第 7位   (33歳)
第44回   H7.1.4   5.6km   17分54秒   総合第12位   (32歳)
●交通手段等 【往路】
自宅6:53〜(一般道/国道22号線/国道156号線/一般道)〜会場駐車場7:59
【復路】
会場12:00〜(一般道/国道156号線/国道22号線/一般道)〜(昼食)〜(いちのみやタワーパークマラソンコース下見&試走)〜(一般道/国道22号線/一般道)〜自宅17:12
●費用
 
参加料 0円  
駐車場 400円  (岐阜メモリアルセンター)
燃料 1,274円  (90.1km)/(9.9km/リットル)×140(円/リットル)
合 計 1,674円  
●種目、参加者(申込人数、★は加藤が参加した部門)及び各部門の優勝者(10km 50歳以上男子は3位まで)
【5.5km 10時00分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 記録
6部 高校・大学・一般男子 384人 渡邉 祐二 17’07”
【3.0km】
5部 中学生男子   10時15分スタート
3部 中学生女子   10時17分スタート
4部 高校・大学・一般女子   10時18分スタート
1部 30歳以上女子   10時19分スタート
2部 50歳以上男子   10時20分スタート
区分 参加者数 優勝者氏名 記録
1部 30歳以上女子 118人 山田 わか奈 11’57”
★2部 50歳以上男子 98人 加藤 一郎 9’58”
豊田 栄二 10’13”
土岡 直樹 10’28”
3部 中学生女子 141人 小林 美佳 10’57”
4部 高校・大学・一般女子 86人 鈴木 沙季 9’45”
5部 中学生男子 112人 木村  駿 9’46”
【1.1km 10時50分】
区分 参加者数 優勝者名 記録
親子ジョギング 424人 表彰なし
【0.4km 10時55分】
区分 参加者数 優勝者名 記録
車椅子 16人 表彰なし
総合計 1,379人  

伝統の「ぎふ新春マラソン」
 ぎふ新春マラソンは、今回で62回を数える老舗のマラソン大会。主催は岐阜市ほか。
 この大会の始まりについて、主催者の岐阜市のサイトを見るとこのように書かれている。
 ブラジル・サンパウロ市で行われる大晦日の夜から元旦にかけて市内を走るサンシルベストレ大会(世界で活躍した有名選手を招待している国際大会)というマラソン競技がある。
 昭和26年6月、サンパウロ市の体育局に招聘され、同地に渡ったヘルシンキオリンピック棒高跳び選手の澤田文吉氏の提唱により、この年から岐阜市で国内シティーマラソンの先駆けともいわれる日本版「越年マラソン」が始まった。諸般の事情により、コースも市内の目抜き通り、県営グランド周辺道路、金華橋通り、現在は、岐阜メモリアルセンター長良川競技場とその周辺道路と場所をかえ継続的に開催してきた。第48回大会(平成10年度)からは従来の1部から6部までのほかに、車椅子の部と親子ジョギングの部を新設し、小学生から高齢者までが気軽に参加できる大会として市民に親しまれている。
 距離は短いものの、岐阜市の伝統行事になっているようだ。

 それにしても今時、在住、在勤者のみを対象にした大会ならいざ知らず、参加者に制限を設けないで参加料を無料で継続している大会は珍しい。主催者の岐阜市役所は本当に太っ腹だと思う。

18年前の想い
 この大会に最初に出場したのは今から18年前の第44回大会。妻・ゆきこが「無料で参加できる大会があるよ」とランナーズ誌で探してきたもの。当時は大会の開催が1月4日だったので、仕事始めもそこそこに大会に向かったものである。
 世間で仕事始めの日もフルタイムで働くようになったことが一般化した頃から、開催日も1月4日から1月の第1日曜日に変更され、今日に至っている。
受付は岐阜メモリアルセンター長良川陸上競技場の2階のデッキ。といってもナンバーカードは事前に配布されているので、プログラムを貰うだけ。

岐阜県ナンバーワンの陸上競技場です。県内の選手の活躍がプレートに記されています。

スタンドに陣取る選手も多かったですね。

 当時のこの大会の5.6km部門(現在の5.5km部門)は高校生も参加するのでハイレベルである。年代別表彰もなく、この部門で入賞は出来ても優勝するのは至難の業ともいえる。
 しかしながら第44回大会では、カミさんが3km30歳以上女子の部(第1部)で何と優勝!そして大きなトロフィーが我が家にやってきた。
 このトロフィーは、先に説明したサンシルベストレ大会の主催者のスポーツ新聞ガゼッタ社から昭和27年に贈られてきた高さ60cmのブロンズ像を複製したもの。第1部〜第6部の各部の優勝者には、この立派なトロフィーが一年間持ち回りで貸与されている。

各部の優勝者にはブロンズ像のトロフィーが、準優勝者にはカップが貸与される。

 走る距離は短いものの、今年で第62回を数えるこの大会。こういうところでは伝統的にこのシステムを守り続けているようだ。

 今年エントリーしたのは単純に「50歳になったらあのトロフィーを貰うためにエントリーするぞ!」という当時の思いをそのまま行動に移しただけだったもの。早いものであれから18年も経ってしまったのだった。

第1部のトロフィー

今から18年前の第44回大会の優勝者のカミさんの名前のタグがまだ付いていた。

コース紹介(コースガイド) →
こちらを参照して下さい。

レース

10時ちょうどにスタートする6部(5.5km/一般男子)の選手たち
 今日のレースは3kmと距離が短いので、序盤から飛ばす作戦だ(別に作戦でもない?)。
 3kmコースは、10時15分に5部(中学生男子)、10時17分に3部(中学生女子)、10時18分に4部(高校・大学・一般女子)、10時19分に1部(30歳以上女子)、そして私の出場する2部(50歳以上男子)は最終の10時20分にスタートする。

 3kmコースのスタート場所は正面スタンド前。おかげでスタートの直前まで競技場のスタンド下でウォーミングアップをして、トイレを済ませてスタートラインに並ぶことが出来るというベストポジションだ。スタートの約1分前に急いで並ぶが、今日のスタート位置は最前列の最右翼。遅くにいってこの位置とは非常にありがたい。

 10時20分にピストルが鳴り、一斉にスタートする。大きな混乱もなく100人近い集団から集団からストレス無く抜け出すことができた。
 スタートをして集団からスルスルっと抜け出したのは、私を含めて3人。しばらく後方で見ていたが、思ったほどこの2人がハイペースとならなかったので、競技場を出て行くところで一人、1分前にスタートした1部の女子選手が前に詰まって走りづらくなっているところでもう一人抜き、公道に出たところで先頭に立つ。
 そのままの勢いで気持ちよく走りたいものの、2部(50歳以上男子)は3kmコースの中で最終スタート。他の部の選手がすでに前を走っているので非常に走りづらい。1分前にスタートをした1部の選手はおろか、その前の4部や3部の選手も次々と壁のように前に立ちはだかり蛇行しながら抜いていく。

 公道においては走れるコースは交通規制をしている1車線のみ。所々で、コースを区切っているカラーコーンをはみ出しながら、壁のように塞がっている先行スタートした他部門の選手を追い抜いていく。
 今回、公道を走っている間はほとんどこの追い抜き作業ばかりで、蛇行あり、ペースの変動ありとペースが安定せず、走りづらくて仕方がなかった。

 途中から後方を走る選手の足音が聞こえなくなってきたものの、コースは折り返しがなくワンウエイなので後方を走る選手との距離の確認が出来ない。
 後方を唯一ちらりと確認できるのが公道から再び競技場外の取り付け道路に入った約2.5km地点で直角に左折するところしかない。
 今回ここで初めて後方確認したのであるが、ピンクのナンバーカードの同年代の選手は視界の中では確認できなかった。3kmで視野に入らないというのはある意味大差ということ。こうなればあとは逃げるだけ。

 終盤、ペースが少々鈍った感じはしたものの、競技場に入ると係員が「2部の選手が戻ってきたぞ〜!」と叫んでいます。そのまま第4ゲートから直線を駆け抜けゴール!
 タイムは9分58秒。距離の正確さはわからないが、2部(50歳以上男子)では唯一の9分台でゴールし年代別で優勝を飾ることができた。
 プログラムに記載された第50回大会以降の記録を見ると、2部(50歳以上男子)の記録は第58回大会の柏原敏郎さんの9分51秒に次ぐ好記録だった。今回はタイム的にもまずまずだったかもしれない。

 こうして18年前にあのトロフィーを持ち帰るための優勝がの想いが、本日このように実現できたであった。

電光掲示板をよく見ると・・・

各部の優勝者と準優勝者の名前が電光掲示されていました。

本日の戦利品

18年ぶりにこのトロフィーが我が家にやってきました。

一年間は貸してもらえるので、早速玄関に飾りました。今回優勝の名前入りのタグも見えますね〜♪

お祝いということで、ステーキをおごらされました。トホホ・・・

年末の平成25年12月21日にレプリカが送られてきました。

1年間わが家の玄関を飾ったトロフィーを、第63回大会までに返還しなければなりません。