第62回別府大分毎日マラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●費用
●上位成績
大会前日(大分市内) 14回目の別大マラソンに向けて、今回は名古屋から金曜日の夜に夜行バスで出発する。今回は2歳年上のOさんとも往復ともに夜行バスを利用しての大分入りだ。夜行バスで移動中に雨に降られたが、大分に到着したときには既に雨は上がっていた。 午前7時過ぎに夜行バスは大分駅前に到着する。 大分駅前をプラプラし、Oさんと一緒に朝食がとれそうな店を探し、昭和通り交差点方面に行ったところ24時間営業をしている吉野屋で朝食を摂る。夜行バスは安上がりな反面、早朝に到着するので大会前日の過ごし方が難しい。 また現地で落ち合う約束していた走友のNさんは実家の福岡で前泊し、福岡から大分へ高速バスでやってきた。大分(トキハ前)で9時半過ぎに合流する。先月の「いちのみやタワーパークマラソン」以来の再会となる。
この日の大分市の最高気温は18℃と春のような陽気だった。ゆっくり走っていてもウィンドブレーカを着ているだけで汗がどどっと出てくる。 今回で14回目の別大マラソンとなるが、何度来てもこの大会を走れるという誇りがある。 平成8年に初めて出場したときは、参加者が300人程度の時代。大会前日に大分市内にやってきても、選手らしき人はちらほらだったのであるが、いまやその10倍もの選手がエントリーする時代になってしまった。大分市内でも、別府市内でも大会前日となると多くのランナーと出会うようになった。今から16年前には想像すら出来なかったことだ。 「前日の練習はコースの下見を兼ねて軽めにしましょうと」Nさんと打ち合わせ、とりあえずホテルから大分市営陸上競技場へ向かう。 ホテルからの道のりは、まずは北上し昭和通り交差点へ。国道197号線に出てからは別大マラソンの終盤のコースにあたるのでそのままコースを走ることになる。何度出場しても終盤は苦しいことには変わりがないが、前日だけは快走するイメージでジョグする。 舞鶴橋を渡り、ゴールの大分市営陸上競技場にやってきた。報道機関が明日の打ち合わせをしているようであるが、選手はほとんどここにはいない。私は、テンションを高めるために大会前日にはここに必ずやってくることにしている。 ゴールゲート前で写真撮影をしようとしたところ、今年は報道機関から立ち入らないように言われてしまった。仕方ないので競技場の第4コーナー付近で写真を撮って、競技場をあとにする。 陸上競技場からホテルまでは、コースの36km過ぎ以降をイメージして走る。弁天大橋のアップダウン、浜町交差点を左折、NHK大分放送局のある寿町1丁目交差点を左折し再び国道197号線を東進し再び昭和通り交差点を経由しホテルへ戻ってきた。距離にして約7kmほど。テンションを高めるには十分な練習だった。
再開発中の大分駅前 練習を終えてからはNさんと大分駅に向かい構内の店舗で食事をとることにする。 ところが大分駅方面を見ると、今まで見慣れた大分駅が今年はすっかり様変わりしていた。ここ一年くらいでJR大分駅の高架工事が終了し、大分駅が南北にスルーできるようになっていたのだった。 どこの街でもそうであるが、駅の出口のどちらか片一方が賑や(表口)かで、その反対の出口側(裏口)があまり賑やかでないことが多い。 こと大分駅に限っていえば北側が表口で、南口は裏口の様相を呈している。JR大分駅の高架工事は、鉄道によって街が分断されたのを解消しようという発想だろう。 高架工事によって、JR大分駅の位置が少し南側にずれたようなので、今まで駅舎のあったところはがらんとしている。どうも再開発で、近い将来ここに駅ビルが建つ計画があるという。 別大国道の3車線化は昨年終了したため、コースには変化はなくなったが、今度は大分駅前の再開発と、毎年大分にやってくると何らかの違いが楽しめる。これも何度も来ているから楽しめることであろう。 話を戻す。 高架工事が終わり、元々の駅舎がなくなったせいで駅前ががらんとしている。そのせいで、今まであまり目立たなかった「大友宗麟(おおともそうりん:1530−1587)」の像が非常に目立つようになった。 大友宗麟とは、本名を大友義鎮といい、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将だ。大分県の古い地名「豊後の国」の戦国大名であり、九州北部の六か国を支配したことで有名だ。 また大友宗麟はキリシタン大名としても有名で、洗礼名をドン・フランシスコという。1551年にフランシスコ・ザビエルを招いて宣教活動をさせたこともあり、大分ではキリスト教信仰が盛んなようである。 私の長男・かずたかの好きなお菓子で、大分銘菓となっている「ざびえる」は、このフランシスコ・ザビエルにちなんで作られたものであることは言うまでもないだろう。 とり天 大分にやってくると必ず食べるものが「とり天」だ。 全国的には鶏肉は、焼き鳥か唐揚げなどで食することが多いが、大分ではこの鶏肉を天ぷらにした「とり天」文化だ。 とり天の発祥は、別府市内にあるレストラン「東洋軒」であるそうであるが、別府市内に限らず大分市内でも十分に食べることが出来る。
以前は改札口の前に「豊後茶屋」という店があったが、どうも大分駅が様変わりして撤退し、代わりにこの「驛停」が入ったようだ。 郷土料理が食べられるということもあってか、店の前では順番待ちの客が数人並んでいたものの、それほど待つこともなく店に入ることが出来た。注文も店外で待っている間に先に取っていたので、席に案内されるとほどなく注文した料理が出てくる。私は、豊後定食(とり天+だんご汁)を頼んだのであるが、一年ぶりに食べるとり天は最高だった。 唐揚げは油っこく、あまり好きではないので滅多に食べないが、このとり天はさっぱりしていて、天ぷらしょう油にゆずなどの酸味を少し効かせて食べる味が最高である。こういう食べ方ならば、どれだけでも食べられそうな気がするくらい美味い大分県を代表する料理だろう。 この日の夕食も、Nさんととり天を再び食べようと大分市内を歩き、わずか650円で定食を食べることが出来た。なんといっても大分は「とり天」。思い出すだけでも、思わず涎が出てきてしまう。
大会前日(別府市内)
昨年までのことは記憶にないが、今年の大会要項等では大分駅前からも受付会場のビーコンプラザまでの直行バスが運行されるとあるのでこれを利用する。 13時30分から30分間隔とあるので、最初の便に乗ろうと案内書を片手に大分駅前で乗り場を探す。13時過ぎに行ったところバスは既に停まっていたが、選手らしき人はちらほら。Nさんと車内で雑談をしているとOさんが現れ再び3人となり一緒に受付会場へ向かう。バスは30分ほどで受付会場のビーコンプラザに到着した。 今回で14回目の出場となるので、このビーコンプラザにやってくるのも14回目となる。 今年はカテゴリー3の先着枠が撤廃されたこともあり、エントリー数はついに3,000人を突破。まさに市民マラソンとなった。 最初に出場した平成8年当時は、参加資格もフルマラソンで2時間40分以内ということもあり、エントリーした選手も300人程度だったと記憶しているが、大会前日は受付と開会式のみだった。開会式には、当時の大分県知事の平松氏のほか大分市長、別府市長らが臨席し挨拶。また、招待選手の紹介もステージで行われていた。別府自衛隊の音楽演奏が、ホールに響き厳かな雰囲気を醸しだし、大会の格調を高めていたことは昨日のことのように思い出す。 現在は、この大会も市民化に舵を切ったおかげで、いまだに私のような持ちタイムでも出場できるのであるから感謝しなければならないと思う。
受付後は、ランナーの広場に移動し、出店ブースを覗いたり、受付時にいただいた金券(250円×2枚)を使用しブースで買い物をする。昨年と比べ大きな変化は無いようだ。 500円分の金券を使用して「牛すじの煮込み」と「杵つきあんこ餅」を購入。先ほど昼ご飯を食べたばかりなので、この時間帯にここでヘビーな食事をすることも無いだろう。「杵つきあんこ餅」は、明日のスタート前に食べるのに好都合と思い購入した。
エレベーターで最上階まで上がっていって見たが、グローバルタワーから見る別府市内の風景は素晴らしいものだった。特に私が感動したのが、別府市内から大分市内へ向かう国道10号線の様子だ。 国道10号線は別府湾の海岸線に寄り添うように敷かれているが、走っている間はあまりうねうねした感じがなかったものの、タワーから見ると江戸時代の俯瞰図のようにくにゃくにゃと曲がっているのがはっきり見えた。まさに鳥になったような気分である。入館料もわずか300円。別府に何度も来るのであれば、来たら一度くらいは登ってみてもいいところだと思う。 そうそう別府にはもう一つのタワー「別府タワー」がある。 この別府タワー、別府の繁華街・北浜にどーんとそびえ立ち、別府の風景に溶け込んでいる。この別府タワーのすぐ脇を別大マラソン、路線バス、自動車などで何度となく通っているものの、外から眺めるだけで一度も登ったことがない。由緒あるタワーのようなので、今度は別府タワーに登ってみようかと思った次第である。
大会当日 この参戦記であるが、ここから先は走ってから一年ほど経過している中で書いているので、かなりのことを忘れてしまっている。以下は、要点だけかいつまんで書くこととする。 この日の朝は、コモドホテルで朝食を摂った。バイキング形式なのでかなりたくさん食べた。ゴールしても空腹感がなかったので、朝食としては十分すぎるほどとったと思う。同伴したNさんを少々待たせてしまい申し訳なかった。 大分駅前から会場までは、シャトルバスが運行している。昨年までは、別府で宿泊していたので、別府北浜からの出発であるが、今回は大分駅前からの出発である。9時頃にバス乗り場に行ったが、恐ろしいくらいの列が出来ていた。しかしながら、前日のビーコンプラザへの受付でのシャトルバスとは違い、次から次へと選手をさばいていくので、それほど待つこともなく会場へ向かった。
今年のカテゴリー2の待機場所は、お猿館の前のテント。以前は、お猿館の中であったが、人数が増えすぎたこともあり、お猿館から追い出された格好になっている。この日のスタート時の気温は約11℃。テントの中は意外に温かく過ごしやすかった。同伴のNさん、Oさんともウォーミングアップは別々。各々の調整法があるので一緒にやらない方がいいし、気を遣わなくていい。
11時過ぎに自衛隊のトラックに荷物を預け、いよいよ準備も最終段階に入った。 11時35分過ぎにラインナップのためにコール場所へ向かう。14回目の今回は、一体どのくらいで走りきれるのであろうか・・・。
レース 12時ちょうどに号砲が鳴り響く。今回のナンバーカードは878番。スタート場所までは、ざっと見た感じでも20mほどある。スタートの号砲があっても、2秒ほどは足踏み状態で、スタートラインを通過したのは5秒ほどしてからだった。大規模マラソンに慣れている人たちは、このロスタイムも十分考慮して走るようであるが、私の場合はあまり経験がないので、どうしてもこのロスタイムを取り返そうとしたくなってしまう。 スタート後は別大国道こと国道10号線を別府市内に向かって走る。長年の道路拡張工事を終えて、現在は片側3車線ずつで非常に広くなり、3,000人ものランナーも余裕で走ることが出来る。 この日はスタートしてからは少々向かい風で、風が冷たく感じた。「ランシャツの下に長袖シャツでも着てこれば良かった」と少々後悔したが、その後悔も約9km地点にある「折亀川バイパスり返し」を過ぎてからは無駄な後悔になってしまった。折り返したとたんに風は追い風になってしまい、寒いどころかむしろ暑く感じるような始末である。つけていたアームウォーマーも不要なくらいの感じであった。
最初の5kmを19分12秒とやや突っ込みすぎた感じで入ってしまったが、19分台は次の5〜10kmまでで、10km以降は5km辺り20分台のペースに落ち着いてきた。 どのランナーもそうであるが、20〜25kmkmくらいまでは楽に走る。実際に私の場合もそうであったが、30kmくらいからは地力の差が出てくる。このコースでは、大分川にかかる弁天大橋を越え、ゴールの大分市営陸上競技場が右に見えてくる辺りまでは気持ちよく走っているのであるが、30km過ぎの新日鉄正門前付近から体が「??」と微妙に変化し出す。約9km地点の亀川バイパスの折り返しから、20km以上交差点を右折も左折もせずに走り続けるので、レースの終盤に右へ左へと交差点を曲がるのは、体の向きを大きく変えるので結構苦痛であった。 25〜30kmの5kmで遂に21分台に突入。30〜35kmも何とか21分台で粘るものの、35〜40kmではとうとう22分台にペースががくりと落ちてしまう。景色の流れも非常にゆったりしたものになっているし、体もカチンコチンに固まってきた。毎度のことであるが、ここから先は競技場へたどり着くだけという感じだ。沿道で応援する人たちの声援もしっかり聞こえるほどにペースが落ち込んできた。場所としては浜町交差点を左折し、大分の市街地に入ってきた頃だ。 NHK大分放送局の立派なビルが見えてくる。寿町1丁目交差点を左折すると国道197号線に入る。ここから先は昔ながらのコースに戻る。何度も走り慣れたところであるが、ゴールまでの残り2kmほどの道のりは相変わらず長い。 大分川にかかる舞鶴橋を越え左折してからは残り1km。気持ちだけはペースアップするが、体はなかなか反応してこない。後半、かなりガタガタになってきたので2時間50分はおろか、2時間55分を超えそうなペースになってきた。体は、ロボットのようにカチンコチン。筋肉に弾力性が無くなっているのだろう。 大分市営陸上競技場の最後の一周も長かった。2時間55分52秒。14回目の別大マラソンは、あえぎあえぎのゴールだった。目標の2時間50分切りどころが、サブスリーも怪しくなるようなタイムだった。とりあえず来年以降の参加資格は確保できたが、来年はもう少しきちんと走らなければと反省の多い大会だった。
アフターレース レース後は再び別府市内に移動。入浴後には懇親会が待ち構えている。 毎年大分県庁の知人にお願いして、別府市内で行っている。今年は、同伴のOさんとNさんと私の3人。大分県庁側からは、UさんとIさんの二人の合計5人。 すでに5回以上はやってきている別府市内の「ちくでん」は、みんなのお気に入り。ふぐ料理が非常に安く食べられ、また会場も気を遣う感じで無いのが非常に良い。
大分県庁のIさんは、来年3月で退職だそうだ。「来年は、みんなでIさんの退職祝いをしよう!」ということで盛り上がり、今年も無事に別大マラソンの全てのプログラムが終了した。Oさん、Iさん応援もさることながら、会のセットまで大変お世話になりました。来年もまたやってきます! |