第29回日本最北端平和マラソン大会 参戦記

 1年ぶりの北海道です。
 今回の北海道遠征は、国盗りのために我慢していた「行ってみたかった大会」の一つ「日本最北端平和マラソン大会」に出場するためのものです。国盗りに引き続き、日本の東西南北を攻めるために日本の最北端にやってきたのです。
 稚内へは、中部国際空港から千歳へのフライトに引き続き、札幌からは稚内へ夜行バス。道内は広いので、札幌から稚内へも夜行バスが出ています。名古屋から東京へ行くほどの距離があるので夜行バスが重宝されるのでしょうね。
 
 稚内(宗谷岬など)は日本の最北端ではあるため、夏休みが終わったこの時期でも日本最北端を目指す若者のオートバイや自転車がまだまだ走っているのを目にしました。若いっていうのはいいですねー。

 
 さて、肝心の大会の方ですが、参加者の約3分の1が中学生。小学生を合わせると8割以上が小中学生で、競技部門の大人の参加は全体の1割程度。子どもたちの運動会に大人が参加させてもらっているというような感じでした。

 10時に最長の8km部門のスタート。私の参加した2km部門は10時20分のスタートで小学5・6年と同時スタートです。最初の150mくらいは併走する子もいましたが、それ以降は独走。ただし2kmを走る練習をしていなかったので、後半はガタガタでしたが何とか日本最北端の大会を優勝で飾ることが出来ました。
 

●大会名 第29回日本最北端平和マラソン大会
●開催日 平成25年9月8日(日)
●コース
 /大会要項
 /プログラム
稚内市役所前発〜稚内中学校グランド着(地図)(北海道稚内市) 

大会要項

プログラム

コースマップ
2kmコース ゴール付近
5kmコース ゴール付近
8kmコース ゴール付近
コースガイドはこちら
いずれもクリックすると拡大します
●天 候 晴れ、気温20℃くらい
●参加賞 タオル、南アルプスの天然水(ペットボトル/ゴール後)
●結 果 7分03秒(2km:50歳以上男子 第1位、総合第1位)
●表彰 賞状、メダル
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
【9月6日(金)/1日目】
徒歩 自宅 14:14 自由ヶ丘駅 14:24
地下鉄 自由ヶ丘 14:27 金山 14:52 (名城線)
名鉄 金山 15:05 中部国際空港 15:36
飛行機 名古屋(中部) 17:21 札幌(千歳) 18:56 (ジェットスターGK417)
( 17:20 ) ( 19:05 )
【空港内で夕食】
JR 千歳空港 20:04 札幌 20:40 (快速エアポートライナー)
徒歩 札幌駅 20:40 札幌(大通りBC) 21:06
夜行バス 札幌(大通りBC) 23:00 稚内BT 5:30 (わっかない号)
【9月7日(土)/2日目】
定期観光バス 稚内BT 8:00 稚内BT 11:45 (稚内Aコース)
【コース試走】
【稚内サンホテル/泊】
【9月8日(日)/3日目】
徒歩 ホテル 8:04 会場 8:07
【受付/8:00〜9:00】
徒歩 会場 8:08 ホテル 8:11
【ホテル チェックアウト】
徒歩 ホテル 8:45 会場 8:48
【第29回日本最北端平和マラソン 2km 10時20分スタート】
ジョグ 2kmゴール地点 10:30 表彰式会場 11:06
主催者バス 表彰式会場 12:50 港1 13:12
徒歩 港1バス停 13:12 温泉 13:13
【副港市場で買い物/稚内天然温泉港のゆ 入浴】
徒歩 温泉 21:50 稚内BT 22:05
夜行バス 稚内BT 23:00 札幌駅前 5:21 (わっかない号)
( 5:30 )
 【9月9日(月)/4日目】
JR 札幌 6:00 千歳空港 6:48
飛行機 札幌(千歳) 8:35 名古屋(中部) 10:22 (ジェットスターGK410)
( 8:40 ) ( 10:30 )
名鉄 中部国際空港 10:52 金山 11:35
地下鉄 金山 11:45 自由ヶ丘 12:10 (名城線)
徒歩 自由ヶ丘駅 12:10 自宅 12:22
※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
参加料 1,000円  
地下鉄 520円 (自由ヶ丘〜金山/往復)
名鉄 1,580円 (金山〜中部国際空港/往復)
夜行バス  11,000円 (宗谷バス:札幌〜稚内/往復割引)
JR  2,080円 (千歳空港〜札幌/往復)
飛行機 14,580円 (ジェットスター:名古屋(中部)〜札幌(千歳)/往復
定期観光バス 3,300円 (宗谷バス:稚内Aコース)
水族館入館料 350円 (稚内市立寒流水族館/入場割引)
アザラシ餌 200円 (稚内市立寒流水族館にて)
宿泊料 4,887円 (稚内サンホテル/一泊朝食付き)
入浴料 500円 (天然温泉港のゆ/ジャグジー故障のため割引)
合 計 39,997円  
●種目、参加者数(申込人数) 及び 各部優勝者。2km 男子50歳以上は3位まで (★は加藤が参加した部門
【8km−9時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 記録
一般男子(39歳以下) 24人 清水 貫太 17 名寄市 28’30”
一般女子(39歳以上) 5人 土橋 阿加里 24 稚内市 34’09”
一般男子(40歳以下) 26人 柏葉 公徳 44 枝幸町 29’21”
一般女子(40歳以上) 7人 佐藤 めぐみ 42 稚内市 40’23”
【5km−10時05分〜10時15分で5分ごとに3ウェーブのスタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所(学校・学年) 記録
小学男子(5・6年) 57人 宮竹 南央哉   八木崎小・5 21’03”
小学女子(5・6年) 43人 宮崎 純奈   港小・6 22’24”
中学男子 217 加藤 将佳   中川中・2 20’29”
中学女子 200人 宮崎 栞奈   南中・2 22’00”
一般男子 28人 佐々木 陽平 36 稚内市 20’22”
一般女子 25人 湯田 登志子 59 礼文町 24’16”
【2km−10時20分〜10時35分で5分ごとに4ウェーブのスタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所(学校・学年) 記録
小学男子(1・2年) 101人 西岡 栞太   潮見小・2 9’19”
小学女子(1・2年) 62人 熊谷 愛唯   東小・2 9’20”
小学男子(3・4年) 94人 山本 隼   東小・3 8’42”
小学女子(3・4年) 87人 泉 桃果   沓形小・3 9’01”
小学男子(5・6年) 55人 後藤 爽生   大有小・5 7’19”
小学女子(5・6年) 58人 前田 姫愛   南小・5 8’21”
★一般男子(50歳以上) 4人 加藤 一郎 51 愛知県 7’03”
中山 繁 62 美深町 7’34”
長谷 悟 58 室蘭市 8’04”
一般女子(50歳以上) 2人 中山 とし子 60 美深町 9’32”
親子・ペア 90組 着順の表彰なし
総合計 1,275  

ジェットスター

 今回セントレア(中部国際空港)から札幌(千歳)まで、ジェットスターを初めて利用した。3ヶ月前の予約で名古屋(中部)・札幌(千歳)の往復が、わずかに15,000円弱。片道7,500円を切っている。名古屋→東京を新幹線で利用すれば約10,000円。名古屋から東京に行って帰ってくるよりもはるかに安いことになる。典型的な価格破壊であるが、適正料金というものが何だかわからなくなったような気がする。

 予約時点では「3E」という席が割り当てられていたが、チェックインカウンターで「非常口の方が広いので13Eに変更しましょうか?」というので「それならば」ということで席を替えてもらった。非常口付近の席は広いので、ジェットスターに乗るのであればここはオススメ。明らかに他の席に比べると前席との間隔が広い。今回の運行は名古屋(中部)17:20→札幌(千歳)19:05と1時間45分であるが、機長からのアナウンスでは「フライト時間は1時間20分。新千歳空港には、18時50分頃に到着予定」とのこと(実際には18時56分)。快適なフライトであった。

 また、ご期待の客室乗務員(キャビンアテンダント)であるが、こちらは昨年利用したスカイマーク同様に軽装。上着なしの上半身は黒いTシャツ。襟元と袖に細いオレンジ色のラインが入っている。ジェットスターのカラーをイメージしている。下は、黒のロングスカートに黒のストッキング、そしてハイヒール。このあたりは、他の航空会社と同様であろうか。短いフライトなので、客室乗務員の服装などそもそも気にならないし、格安航空はどこもこんな感じになってきているので、昔ながらの「スチュワーデス」という服装は、これからどんどん無くなっていくことだろう。

中部国際空港のチェックインカウンター。スカイマークと同様、後発のため空港内では隅の方に位置している。

この日乗った機材はエアバスA320。席はレザーシートであるが、前後間隔、左右間隔共に狭い。

札幌→稚内は夜行バス
 今回は夕暮れ時に北海道入り。こういう遅い時間に北海道にやってくるのは初めてである。しかしながら今回の目的地・稚内はここからまだ300km以上ある。ここ(新千歳空港)からの移動は、JRで札幌まで出て、さらに宗谷バスの夜行便で稚内に行くという方法だ。
 新千歳空港からさらに稚内へ飛行機で移動する方法もあるが一日わずか2便。おまけに最終が15時50分と早すぎる。
 JR宗谷本線経由では、札幌から特急が3便あるが、ご存じの通りJR北海道の車輌トラブルで、うち1便が運休中。
 公共交通機関の残り最後の移動手段が路線バス。宗谷バス銀嶺バスが共同運行して札幌・稚内間を一日6便走らせている。このうち1便は夜行便。夜行バスに乗っても同一県内で下車するのは、この北海道くらいのことであろう。運賃も往復で11,000円。ジェットスターの運賃ことを思えば割高かもしれないが、このくらいが適正な運賃ではないかと思う。

 この日は金曜日の夜ということもあって、2両で運行したがほぼ満席の状態であった。全席予約制ではあるが、席は自由席という不思議な夜行バスだった。

JR札幌駅から大通バスセンターまで1km強を徒歩で移動しました。途中には時計台がありました。札幌の象徴である時計台を見たのは何年ぶりでしょうか。

こちらは「さっぽろテレビ塔」。昭和32年に竣工した高さ147.2mの電波塔だ。ちなみに名古屋テレビ塔が昭和29年竣工で高さが180m。大通りにあるという点では名古屋と似ている。

こちらは宗谷バスの大通バスセンター。さっぽろテレビ塔のすぐ近くにある。稚内行きの他、銀嶺バスの根室行きなどもここから出発する。

午前5時過ぎに稚内駅前に到着。気温も14℃ほどで肌寒いを通り越して寒かった。

稚内市
 あえて説明をするまでもないが、稚内市は日本最北端の「市」である。人口約37,000人。
 この地名の「わっかない」は、アイヌ語で「冷たい飲み水の沢」を意味する「ヤム・ワッカ・ナイ」に由来しているらしい。以下は、稚内市のサイトから引用。
 江戸時代の貞享2年(1685)に松前藩が、宗谷に藩主直轄の宗谷場所を開設したのが始まりで、以来、アイヌの人々との交易の場として、また北方警備の要所として栄えてきました。
 そして、明治12年(1879)宗谷村に戸長役場がおかれた年を市の開基としています。
日露戦争後の明治38年(1905)南樺太が日本の領土となり、大正12年(1923) 稚内〜樺太間に定期航路が開設されてからは、交通運輸の基地として発展を続け、昭和24年には北海道で14番目となる市制が施行されました。
 戦後は、『水産』を中心に、『酪農』『観光』を三本柱として飛躍を続け、北海道北部の中核都市という機能も果たしています。
 昭和62年には、ジェット機による東京直行便が就航したのを始め、現在は大阪・名古屋直行便(←現在は無くなっている)も就航。平成7年からは、サハリンとの定期航路が復活。「日ロ友好最先端都市」としてサハリン州との交流もさかんに行われています。
 現在稚内市は、市民と協働による魅力と活力にあふれたまちづくりを進めています。

稚内観光
 早朝稚内に到着してからのスケジュールについては、いくつかのルートや手段を出発前に検討したが、今回は宗谷バスが運行する定期観光バス・稚内A(3時間45分コース)を利用することにした。
 レンタカーを借りて稚内周辺を廻るという手もあったが、定期観光バスが3,300円とレンタカーよりも安く、ガイド付き、運転しなくても目的地に運んでもらえるという利便性を買ったのであった。
 旅行会社の主催する募集型の観光バスは主婦が多、く車内でガイドが肝心なことを説明しているにも関わらず、ペチャクチャ喋り続けるのがうるさく興ざめするので好きではなかったが、今回のように旅行者を対象にした定期観光バスは、利用する人が主婦の団体ではなく、旅行を純粋に楽しみたいという人の集まりなので、車内は静かで(今回は土曜日の午前中にも関わらず、わずかに9人)ガイドさんの説明もキチンと聞けてよかった。キチンと聞くことが出来たのは、私が最前列に座っていたことにあるかもしれない。

 結論から言うと、この定期観光バスの利用は思いのほか良かった。何が良かったかというと、観光ルートがコンパクトにまとめられていたこと。稚内というのはどんな街?ということが手に取るようにわかったことだ。もちろん、観光という意味では表向きの部分が多いであろうが、見えない部分はついては日曜日の大会などで味わえばいいことだ。

奧がJR稚内駅。ご存じ日本の最北端の駅。現在の駅舎は平成23年4月に開業したもの。手前は、旧駅舎の日本最北端線路地点で、稚内市がJR北海道より寄贈を受け、当時の記憶を継承するモニュメントとして、旧駅舎時代に最北端であった元の位置へ平成24年3月に復元されている

こちらは現在の日本最北端の線路を示す看板。ガラス越しに見ることが出来る。

早朝の稚内駅には、遠征に出かける市内の中学生の姿の他、自転車を列車に乗せて移動する大学生らしき人の姿が見える。

こういうものも駅で販売しています。1セット320円。もちろんホームにも入ることが出来ます。

こちらは北防波堤ドーム。JR稚内駅から徒歩で数分ほどのところにある。稚内港の防波堤としての役割および、桟橋から駅までの乗り換え通路を兼用するため、昭和6年から5年の歳月をかけて建設された。高さ約14メートル、長さ427メートル、古代ギリシア建築を彷彿とさせる70本の柱列群は、現在でも斬新なもの。現在のものは昭和56年に全面改修されたもの。

このドームの下には、いくつかのテントがありました。自転車やオートバイで旅行している人たちが野宿をするために、ここにテントを張ったものと思われる。少なくとも雨は避けることが出来るので、格好の野宿の場所に違いない。

こちらは北防波堤ドームのすぐそばにある稚泊航路の記念碑。「泊」はサハリンが日本領時代の大泊(現コルサコフ)のこと。大正12年(1923年)から昭和20年(1945年)まで22年間、鉄道連絡線である航路が存在していた。

昭和2年に製造されたC55の主動輪。昭和20年までは、稚泊航路の接続列車を、戦後は急行利尻の牽引をしていた。
稚内市内にはロシア語の表記が目立ちます。商店街の商店名(左上)や道路の標識(右上)も日本語、英語の他にロシア語も併記されています。

大会前日は、宗谷バスの定期観光バス(稚内Aコース)を利用して稚内観光をしました。この日の乗客は私を含めて9人で、適度な混み具合でした。午前便の料金は3,300円(午後便は3,600円)です。

稚内公園にそびえる「氷雪の門」。かつて日本領土であった樺太で亡くなった日本人の慰霊碑として1963年に建てられた。両側に高さ8mの門(望郷の門)があり、中央に2.4mの女性の像があり、この像の顔は戦争で受けた苦しみを、手のひらを見せているのは樺太も家族も失ったことを、足はその悲しみや苦しさから早く立ち上がることを表しているとされています。

この日は天候がよく、サハリン(樺太)はもちろんのこと、滅多に見られないというモネロン(海馬)島も肉眼で見ることが出来ました(上記写真の矢印と矢印の間の島)。1983年の大韓航空機事件で墜落したのは、このモネロン島の沖ではないかとされています。

上記写真を拡大するとこんな感じです(黒ずんでいるのはカメラのレンズの汚れ)。うっすらと島影が見えます。サハリンから南西に約50kmのところにある周囲が約20kmの小さな島です。現在は無人島であるとのこと。

こちらは「九人の乙女の碑」。
終戦時、樺太の真岡(現・ホルムスク)郵便局で通信業務を死守しようとした9人の女性の慰霊碑。昭和20年8月、北緯50度でソ連と国境を接していた樺太で、ソ連軍が国境を破り、島民が緊急疎開を始めている中、真岡郵便局の電話交換手は、「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら・・・」と言葉を残し、自決したというもの。終戦5日後の8月20日のことだったそうです。

昭和43年に、稚内公園に行幸啓された天皇皇后陛下は、九人の乙女の悲話をお聞きになり、冥福をお祈りされました。この碑は、後日この時の感銘を詠まれた以下の御製・御歌が刻まれています。
御製(天皇)
樺太に命を捨てし たおやめの 心思えば胸 せまりくる
御歌(皇后)
樺太につゆと消えたる おとめらの みたまやすかれと ただいのりぬる

「南極観測樺太犬訓練記念碑」
昭和31年、日本が初めて南極観測に参加するときに、40頭ほどの樺太犬が集められ、ここ稚内で8ヶ月にわたり犬ぞりの訓練が行われています。
交替の第二次南極越冬隊が上陸できずに、15頭の犬が無人の南極大陸に取り残され、1年後に、あのタロとジロの兄弟犬が奇跡的に生き延びていた。ここ稚内公園が犬ぞりの訓練地であったことを記念し、樺太犬の功績讃えたものです。

「測量の碑」
東京へは南へ1,090km、サハリンの最南端クリオン岬まではわずかに62kmです。

「樺太犬供養塔」
南極大陸で命を落とした15頭の犬ぞり隊の慰霊碑。昭和36年に建立。

こちらは3時間ほどのお付き合いでしたが、担当をされた宗谷バスのガイドさん。まだ、若そうでしたがガイドぶりはしっかりしていました。

 観光をして感じたことを簡単にまとめると、稚内は2つの姿があると思う。
 一つは日本の最北端の街。ここを目指してやってくる若者は多い。日本の隅から隅までをこの眼で見てみたいという心理で、私も若いときからそう思ってはいたものの、実際にやってくるのに生まれてから半世紀を要してしまった。今回、土日の2日間でも自転車やオートバイで走り回っている若者を多く見かけた。日本の最北端という象徴であり、あこがれのの場所でもある。これが、稚内の一つの姿。

 もう一つは国境を接しているということ。これは、国境から大きく離れている名古屋では全く感じられないし、感じて行動を取る人もいない。
 戦前はサハリン(樺太)も日本の領土であったため、この稚内からサハリンへ渡る稚泊航路があった。「稚」は稚内、「泊」はサハリンの街・大泊(現コルサコフ)のことだ。鉄道連絡線で167kmの航路を約9時間で結んでいた。航路としては、大正12年から昭和20年までの22年間で相当多くの人を運んでいた。
 この航路に乗り換えのため、日本海から吹き荒れる風雪を避けるために建築されたのが「北防波堤ドーム」だ。現在のものは、昭和56年に全面改修されたものであるが、当時のことを思い起こすには十分な歴史的建造物である。
 しかしながら、現在ではサハリンはロシア領のため、ここ稚内が日本の最北端の地となっている。見方を替えれば、国境警備の最前となるわけだ。

 ノシャップ岬のそばには、陸上自衛隊、航空自衛隊、海上自衛隊のレーダー基地もある。1983年に発生した大韓航空機事件の舞台が、稚内から北北西方向に向かって約90〜100kmに位置するモネロン(海馬)島付近といわれているが、国境に近い稚内においては、さぞかし大きな衝撃だったことは容易に想像できる。
 今回出場した「日本最北端平和マラソン」も、この大韓航空機事件の翌年から開催され、慰霊と平和を目的に今年で29回目を数えることとなった。
 現在では、ロシアから旅行に訪れるロシア人も多く、道路案内など日本語、英語の他にロシア語の表記も目立つ。冷戦状態でなくなったとはいえ、やはり国境を接している街、名古屋では感じられない緊張感が街には漂っていることがうかがえた。

宗谷岬と並んで稚内にあるもう一つの岬がこのノシャップ岬。漢字で書くと「野寒布岬」だそうです。ちなみにノサップ岬は根室市にある岬で、納沙布岬と書きます。

この日は天気が良く、利尻島の最高峰・利尻富士こと利尻山(1,721m)もこのノシャップ岬からしっかりと見ることが出来ました。日頃の行いが良いせいですかね〜。

ノシャップ岬には、日本最北端の水族館「稚内市ノシャップ寒流水族館」があります。定期観光バスの券を入口で見せると、入館料が400円→350円になるとバスガイドさんが言うので、せっかくですので入ってきました。

ここではアザラシとペンギンのショーも見ることが出来るそうです(10:30と14:30の2回)。

宗谷岬へ行く途中の、宗谷丘陵は宗谷岬の南に広がる標高20〜400mのなだらかな丘陵地です。2万年前の氷河期に形成されたもので、北海道遺産に指定されています。この宗谷丘陵は普段から風が強いところで、57基の風力発電装置(宗谷岬ウインドファーム)があります。

「祈りの塔」(宗谷岬公園)
1983年9月1日に起きた大韓航空機撃墜事件で乗員乗客合わせて269名が亡くなっている(うち日本人28名)。遭難現場がサハリン沖であったことから、現場に一番近い稚内が調査や報道の前線基地となっていた。慰霊と平和の願いを込めて事件から2年後に建立されている。

宗谷岬公園の展望台から宗谷岬を見たところ

宗谷岬のほど近くに間宮林蔵の立像があります。樺太と大陸の間に海峡を確認し、幕府に樺太が島であることを伝えた。その海峡を間宮海峡といいますね。生誕200年の1980年に建立。

ご存じ「日本最北端の地の碑」です。ガイドさんに撮影をお願いしました。三角錐の形は北極星の五角形のイメージのうちの一つの角を表し、中心のNの文字は「北」を表しているそうです。

この碑は人気スポットだけに、観光客は交替で写真撮影をしています。

宗谷岬からサハリン(樺太)のクリオン岬までわずかに43km。フルマラソンの距離とほぼ同じですね。クリオン岬の北西にあるモネロン島沖は、大韓航空機が撃墜された場所といわれている。

宗谷岬のすぐそばにある日本最北端の土産物屋です。「北緯45度31分14秒」と書かれています。平成25年9月7日(土)10時45分に訪れましたが、気温は16.6℃と表示されています。

また、左の店の中では、日本最北端到達証明書を日時入りで100円で販売しています。

宗谷岬のそばに日本最北端のガソリンスタンドがありました。出光さんの販売店・安田石油店です。

宗谷岬は観光地ですので、一般車以外に観光バスも多いですね。

今回の遠征中にいくつか北海道らしさのある食事をしました。こちらは稚内駅そのばの北市場の2階の「夢広場」でいただいた「海鮮ドンブリ定食(1,575円)」


こちらは稚内駅と併設している「キタカラ」という商業施設内にある食事処・ふじ田で食べた「稚内丼(950円)」。ホタテ・タコ入りです。

こちらはスーパー銭湯「港のゆ」の中で食べた「底曳きラーメン(500円)」。ちょっとわかりにくいですが、中央にホタテが入っています。塩ラーメンです。

日本最北端平和マラソン大会

 先ほども述べたが、まずは稚内市のサイトからの引用。
 稚内市では、昭和56年「スポーツ都市」を宣言するとともに、子どもたちが皆健やかに育ち、争いごとのない平和な家庭、地域を築こうということから、昭和61年「子育て平和都市」を宣言。9月1日を「平和の日」と定め、1983年の大韓航空機事件による犠牲者の霊を慰めるとともに、平和の尊さをかみしめ、世界の恒久平和を願い、これらを広く周知し、併せて市民の体位向上とスポーツの普及振興を目的として開催しています。
 この大韓航空機事件とは、1983年9月1日に大韓航空のボーイング747が、ソビエト連邦の領空を侵犯したために、ソ連防空軍の戦闘機により撃墜された事件で、乗員乗客合わせて269人全員が死亡したというものである。日本人も28名がこの旅客機に搭乗していた。
 9月1日というと1923年(大正12年)9月1日に発生した大正関東地震による地震災害である関東大震災が有名であるが、この地方では大韓航空機事件の方が関心が大きい。

 大会そのものは、参加者が1,200人ほどの小さな大会。また、参加者の大半が稚内市民をはじめとする宗谷地方の人たちで、私のように本州からわざわざ訪れる人は、名簿を見る限りはほとんどいなかった。
 出店も無ければ、ゲストランナーもいない地味な大会で、現在のマラソンブームからすればおそらく不人気大会に属するような大会になるかもしれないが、もともと前述のような主旨で大会を開催しているので、あえて派手にしようとするような気もなさそうだ。単なる町おこしではなく、このようなポリシーを持って運営している大会があってもいいと思う。

コース紹介(コースガイド)→
 こちらを参照してください。

あっという間の2km
 今回参加した「日本最北端平和マラソン大会」は、国盗り目的ではないので最長の8kmを走ってもよかったが、年代別表彰の区分がある方があとあと形に残る可能性が高いので、50歳以上の区分がある2kmに出場することにした。
 「北海道の最北端までやってきて、たった2km?」と思われるかもしれないが、オリンピックや世界選手権で100m走るために遠征する選手だっている。試合のグレードは違うものの、価値観を単純に距離で決める必要はないと思う。
 とはいえ、せっかく年代別(50歳以上)の表彰区分のある2kmを選択したのだから、まずは優勝を目指さなければならない。


メイン会場は稚内市役所

前日はひっそりしていたものの、この日は市役所前に1,000人以上の選手が集まってきた。

受付は市役所の庁舎内

中央はメインステージ。左右には平和の祈りを込めた千羽鶴も飾ってありました。

子育て平和都市宣言もしています。そのせいか、この大会の参加者は小中学生が大半です。教育の一環ということでしょうか。

開会式において聖火の点火がありました。毎年のようですが、この瞬間だけは歓声が上がっていました。

開会式中は、この聖火が燃えていました。

選手宣誓は小学生2人です。

 今大会のコースの特徴は、2km、5km、8km共にワンウエイの本当に平坦なコース。スタート場所は稚内市役所前で共通であるが、ゴール場所がそれぞれ違う。
 2km、5kmの選手で入賞者はゴール後にバスで8kmのゴール地点の稚内市体育館まで移動するというもの。なお、入賞者以外の選手も同様にバスで市役所方面へバスで送ってもらえる。何とも手間暇のかかる運営だと思っていたが、これには理由がありそうだ。

 スタート場所から旧営林署前までは、公道を走らせてもらえるものの、それ以降は選手は歩道を走ることになる。これは、このコースが生活道路 兼 観光道路であるがために、公道を全面的に閉鎖できないという理由だろう。往復コースにすればどうしても車道を走るので、完全に道路を閉鎖しなければならない。住民の反対か、稚内警察の指導かはわからないが、人口が少なく交通量が決して多くない割に交通事情は厳しいものがあった。

 最近では珍しくなくなってきた自動計測システム(いわゆるチップでの計測)は、この大会では導入されていない。昔ながらのストップウォッチでタイムを計測。別の人がゴールするランナーの番号を記載していくという方法だ。この方法を採用する場合には、ゴールで大量のランナーが入ってくると順位計測が困難になるので、ゴールではあらかじめ年代や学年などでゴールを細かく分けているのがこの大会の特徴である。人海戦術的に人を多く投入して、経費を節減しようという狙いだろう。


8km部門のスタート。一般のみでエントリーは62人とこぢんまり。

 さてレースの方であるが、10時スタートの8km部門(1ウエーブ)を皮切りに、5km部門で3ウエーブ、2km部門で4ウエーブのスタートとなっている。それぞれ5分ごとにスタート。私は2km部門の第1ウエーブで10時20分にスタートする。私のウエーブは一般男女(6人)と小学男女5・6年(113人)が一緒にスタートする。小学校の運動会に大人が紛れ込んだような感じだ。

 10時20分にピストルの合図と同時に一番右端からスタートダッシュする。今日走るのはわずかに2km。スタートの出遅れが命取りになるので猛然と走っていく。150mほど付いてくる小学生がいたものの、その後はゴールまで独走を貫いた。
 1kmほど走ると5分ほど前にスタートした同じ小学5・6年5km部門の後方に位置するのランナーが目に入り出す。お構いなしに、どんどん抜いていく。しかしながら2kmを全力で走る練習を最近はしていなかったので、1kmを過ぎたところでがくんとペースが落ちていくのがわかった。とはいえ、このまま走り続けるしかない。後半は体が動かずに本当に苦しかった。わずか2kmほどであったが、ゴールの稚内中学校が見えてきた時はホッとした。

 タイムは7分03秒。名古屋から1,000km以上も離れた街でのレースは、わずかに7分で終わった。毎回のことであるが景色を見ながらのんびり走るのが目的ではないので、わずか7分でも十分に楽しめたと感じている。

こちらは5km・中学女子及び一般女子のスタート。かなり人数が多くなりました。

道路を左折すると2kmゴールの稚内中学校グランドです。

もうすぐですよ〜!

ゴール後にはペットボトルの水が支給されます。

2kmではもの足らないので、ゴール後に8kmコースを走りました。自衛隊の基地前では、自衛官も応援しています。

ノシャップ岬にある稚内灯台(赤と白のシマシマ)が見えてきます。コースはこのあたりから左へカーブ。

自衛隊の基地内にあるレーダー施設でしょう。コースからもよく見えます。

交通規制の関係で歩道を走っています。当日は天気も良く、また名古屋と比べてもずっと涼しく、快適な大会でした。

スタート前に預けた荷物を載せた荷物バスの到着が遅く、着替えに待たされました。選手より先に出発してどこで油を売っていたのでしょうか?

レース後の表彰式。8kmのゴール地点のそばの稚内市体育館で行われました。

本日の戦利品


本日の戦利品は、賞状とメダル。副賞はありませんでした。参加料が今時珍しい1,000円ですので・・・。