第5回塩尻ぶどうの郷ロードレース 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
郷原宿 この大会の10kmコースでは、7km過ぎの原新田交差点から9km過ぎの交差点までの約2kmにおいて、「郷原宿」の町並みを走る。 この郷原宿とは、慶長19年(1614)、松本城主・小笠原秀政が、善光寺街道を整備して設定した宿の一つのこと。設定にあたっては中山道洗場宿から松本へ通ずる道を新設し、奈良井川東岸にあった上野の人々を道路沿いに移して宿場を形成したもので、街道は直線的で、桝形や鍵の手などの曲折はないのが特徴である。
それでも中山道三宿の天保14年(1843)の家数は塩尻宿166軒、洗場宿163軒、本山宿117軒であり、これらと比べると総家数はるかに少ない。これは中山道が五街道の一つであって公儀の通行が多く、主要街道としての宿場の構成を備えていたからであり、郷原宿は地方の脇街道の宿場であったためという違いである。 またこの郷原宿のある善光寺街道は、公用旅行者や大名の通行が少なかったので、本陣をはじめ旅篭や茶店も旅行者の休泊だけではやっていけないので、多くの家が農業を兼ねて暮らしていたという。しかし山間で耕地が少ない土地柄のため、出稼ぎ・藁細工・駄賃稼ぎなどによって現金収入を得ていたようだ。 現在でもこの郷原宿の町並みは残るが、馬籠宿や妻籠宿のような観光的に色合いが強く出されておらず、自動車で走ってしまうとやや古ぼけた町並みが続く程度の印象しかないので、歩いて散策する方がこの町並みを楽しめるかもしれない。
コース紹介(コースガイド)→ こちらを参照してください。 ペース上がらず終始苦戦!
さて、今日のエントリーは10km。10kmのロードレースは7月の青森の遠征でも走る予定であったが、義母が亡くなったため遠征は中止。10kmを走るのは約4ヶ月ぶりとなる。うまく走りきれるかどうか、不安はつきまとう。
さて、今日のコースを簡単に紹介する。 松本歯科大学の全天候型陸上競技場を出発し、2km強南下する。奈良井川手前を右折し4km強北上するがこの間は、やや下り勾配となる。7km過ぎからは再度南下し、郷原宿の町並みの中を走り抜けゴール松本歯科大学の陸上競技場を目指すが、ここはやや上り勾配となっている。急な登り坂下り坂は、このコース内では見られないが、7km〜9kmくらいの間は徐々に登っているので気がつかないとペースがどんどん落ちてしまうというコース。全体的に見れば、平坦に近いコースと言えるだろう。 さて、本日10kmにエントリーしているのは1,141名。陸上競技場からのスタートとしては、少々多すぎる人数だ。スタート前に集合場所で待機しなければならないことになっているが、申告タイム順ではなく整列順としている。整列順は、必ずしも前に並んだ選手がスタートと同時にスタートダッシュをすることがなく、後方の選手に押されて事故となることが多いので、最近は申告タイム順に整列している大会の方が圧倒的に多い。競技中の事故防止という観点からは、間違いなくこの方が良い。来年以降、この大会も是非とも改善して欲しいところである。
10km部門のスタート場所は第1コーナー。ここから第4コーナーに向かって走り出すことになる。簡単にいえば、陸上競技場のゴール地点から、100m走のスタート地点に向かって逆走するということになる。 10時30分ちょうどに号砲。今日は何とか前から3列目に場所を確保。ロスタイムの少ない位置で走り出すことができた。
ぶどう畑を左に見ながら1km地点を通過する。3分25秒。最初の入りを3分40秒程度にする予定であったが、予定よりもかなり早い入りとなった。しかしながら、先頭は私の100m以上前を走っている。先頭は3分ちょうどに近いタイムで通過しているようだ。かなりハイペースで走っている。今の私では到底付いていくことの出来ない速さである。 2kmも7分02秒で通過し、この後のコースは奈良井川に沿った道路を北上していく。 奈良井川は南から北へ流れる。つまり南側の方が標高が高いということ。奈良井川は信濃川水系の河川。分水嶺を超えているので、この川の水は日本海に流れていくことになる。つまりコースも北へ行くほど低くなっている。前半が下り基調なので、「脚が出来ている?」と錯覚してしまいそうであるが、軽快であると言うにはほど遠い状態だった。 2kmを過ぎてからは、ペースが落ちたせいで後方から徐々に若年層の選手に抜かれる。今日は、ゴールまで大幅なペースダウンをしないように走りきることが目的なので、焦って付いていくことはしない。 5kmを18分11秒で通過。 もう少し早く走れるかと思っていたが、18分を超えるペースになってしまった。今日はとにかく我慢の一言。 6kmを過ぎた頃からは抜かれる選手も無く、2〜3人の選手とほぼ同じようなペースになってきた。後半は彼らに付いていきながらペースを維持できればいいだろうと考え走っていた。
しかしながらここから2kmほどは登り基調となる。ペースを落とさないようにピッチに意識をしてここを走りきらなければならない。 先ほどまで一緒に走っていた選手のうち一人とは、少々距離が離れてしまった。もう一人の選手はストライドが大きい感じで、後方で足音が聞こえる。8kmを過ぎると、前を走る選手はペースダウン。徐々に近づいてくる。また、後方の選手の足音は徐々に小さくなってきた。前を走る選手は、私よりも若い選手。後方の選手は、チラ見もしていないので年代もわからないが、走り方からすればおそらくこの選手も私よりも若いだろう。同年代の選手とはどのくらい離れているだろうか? 9kmを過ぎ松本歯科大学の名前の入った時計のある交差点を左折する。残りは700mほどだろうか。ここからはようやくフラットになる。すると後方から「ウォー!」という声が二度、三度とする。私に抜かれたせいか、気合いを入れているようだった。残り300mほどで二人のランナーに抜かれるが、うち一人は先ほど抜いたばかりのランナーだった。今日はあまり余力が無いので、無理に付いていくのは止める。 競技場に入って残り150mほど。後方からまた一人のランナーが近づいてくる。さすがにここまで来て抜かれるのは勘弁して欲しかった。最後の100mはとにかく逃げまくりゴールに向かう。最後の100mでは、後方のランナーに抜かれることなく何とかゴールをすることが出来た。ゴールタイムは37分31秒。練習不足であることは認めるが、タイム的には36分の後半くらいでゴールを目指していただけに、思った以上に走れなかった。ただし有力な選手の出場が無かったおかげで、何とかこの劣悪なタイムでも年代別の優勝が出来た。ちょっと恥ずかしかったですけど・・・。
本日の戦利品
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