第21回日本最西端与那国島一周マラソン大会 参戦記

 1年ぶりの沖縄遠征です。
 今回の沖縄遠征は、最後に残った国盗りのための沖縄遠征と、一度行ってみたかった大会の一つ「日本最西端大会」である「日本最西端与那国島一周マラソン」に出場するためのものです。最北端の北海道・稚内に出かけたのが2ヶ月前で、わずか2ヶ月で最北端の地から、最西端の地への大会の出場となります。
 
 沖縄の離島の中でも与那国島は、石垣島や宮古島などのようなリゾート地ではないため、大型の商業施設の投入もなく、島全体としては自然が多く残されているという感じです。島の人も素朴な感じの人が多かったですね。
 さて、大会の方ですが、大会当日の気温が28℃近くまで上昇し、この暑さに自滅してしまいました。ここ一ヶ月くらいの名古屋は気温がぐんぐん低下し、スピードに乗った練習が出来るようになったため、終わってみれば序盤からオーバーペースでした。14kmほどで脱水症状になってしまいました。症状としては腕が痺れ、平衡感覚がややおかしくなり体が動かなくなってきてしまったので、ここからしばらくは歩き、約2.5kmほどで現れる給水所で大量に給水しながら体の回復を待ちました。40分ほどはまともに走れずに20km地点くらいからは少し回復してきたので、このあたりからは再び走り出しました。与那国島の人の応援で何とか完走?が出来、総合29位、年代別では第6位でのゴールでした。今回は誰かに負けたというよりは、暑さによって自分自身の冷静さを失ったレースで、久しぶりに多くの反省を残したレースとなってしまいました。

 これで沖縄県の国盗りは2連敗。今シーズン中は、沖縄へ渡る予定も無いので、沖縄の国盗りは次年度に持ち越しの予定です。最後に、2泊お世話になった民宿さきはら荘のみなさんお世話になりました。石垣島から参加の看護師の増川さん、酒井さん、お世話になりました。大変楽しい3日間でした。ありがとうございました。
 

●大会名 第21回日本最西端与那国島一周マラソン大会
●開催日 平成25年11月9日(土)
●コース
 /大会要項
 /プログラム
与那国中学校グランド発着(地図)(沖縄県八重山郡与那国町) 

大会要項

プログラム

コースマップ
コースガイドはこちら
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●天 候 晴れ、気温℃くらい
●参加賞 Tシャツ、泡盛、長命草(ドリンク)、天ぷら(引換券)、そば+おにぎり+たくわん(引換券)、飲み物(ビール2本又はジュース2本)(引換券)、さしみ(引換券)
●結 果 2時間23分06秒(25km:50歳以上男子 第6位、総合第29位)
●表彰 なし
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
【11月7日(木)/1日目】
徒歩 自宅 11:43 自由ヶ丘駅 11:55
地下鉄 自由ヶ丘 11:57 金山 12:22 (名城線)
名鉄 金山 12:35 中部国際空港 13:06
飛行機 名古屋(中部) 14:17 那覇 16:40 (ANA307)
( 14:20 ) ( 16:50 )
飛行機 那覇 19:21 石垣 20:21 (SKY569)
19:20 20:25
路線バス 石垣空港 20:46 石垣BT 21:23
20:45 21:25
徒歩 石垣BT 21:23 ゲストハウス 21:28
【ゲストハウス えみっくす石垣島/泊】
【11月8日(金)/2日目】
【石垣島内JOG/8:00〜9:00】
徒歩 ゲストハウス 10:40 石垣BT 10:45
路線バス 石垣BT 10:50 石垣空港 11:30
飛行機 石垣 13:27 与那国 14:03 (JTA3961:臨時便)
13:30 14:00
民宿送迎 与那国空港 14:15 民宿 14:25
【レンタカーでコース下見/15:30〜1730】
【与那国島 民宿さきはら/泊】
【11月9日(土)/3日目】
【第21回日本最西端与那国島一周マラソン大会 25km 13時00分スタート】
 【11月10日(日)/4日目】
民宿送迎 民宿 10:10 与那国空港 10:15
飛行機 与那国 11:21 石垣 11:49 (JTA3962:臨時便)
11:10 11:40
飛行機 石垣 15:25 那覇 16:23 (SKY564)
16:20
飛行機 那覇 19:56 名古屋(中部) 21:55 (SKY558)
19:55 21:50
名鉄 中部国際空港 22:17 金山 22:51
22:49
地下鉄 金山 22:57 自由ヶ丘 23:22 (名城線)
徒歩 自由ヶ丘駅 23:22 自宅 23:34
※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
参加料 4,000円  
地下鉄 520円 (自由ヶ丘〜金山/往復)
名鉄 1,580円 (金山〜中部国際空港/往復)
飛行機 9,900円 (名古屋(中部)→那覇/ANA)
13,800円 (那覇→名古屋(中部)/スカイマーク)
7,800円 (那覇〜石垣/往復/スカイマーク)
15,800円 (石垣〜与那国/往復/JTA)
路線バス 1,040円 (石垣空港〜石垣BT/往復)
宿泊 2,500円 (ゲストハウスえみっくす石垣島)
9,700円 (民宿さきはら/一泊二食5,500円、一泊一食4,200円)
レンタカー 3,000円 (与那国ホンダ/軽自動車:3時間)
ガソリン 450円 (走行距離28km、給油2.52リットル、179円/リットル)
洗濯 100円 (えみっくす石垣島)
荷物超過料金 1,000円 (手荷物預かり15kg超。石垣〜那覇、那覇〜名古屋(中部)各500円)
合 計 71,190円  
●種目、参加者数(申込人数) 及び 各部優勝者
【25km−13時00分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 住所 所属 記録
男子の部 188人 村松 稔 与那国町   1゜35’50”
男子40歳代  
男子50歳代
男子60歳代
男子70歳以上
女子の部 57人 網蔵久美子 東京都   2゜06`03”
女子30歳代
女子40歳代
女子50歳代
女子60歳以上
【10km−13時30分】
区分 参加者数 優勝者氏名 住所(学校・学年)  所属 記録
男子 172人 長尾 蓮 宜野湾市   34’22”
女子 104人 砂川 夏澄 石垣市   47’27”
総合計 521  

飛行機2回乗り換え与那国へ
 北海道や沖縄は日本国内では有数の観光地。飛行機各社共にドル箱路線のために多くの便を日本国内の各空港から北海道は新千歳空港へ、沖縄は那覇空港に向けて飛ばしている。名古屋(中部)から那覇までも、ANA、JAL、スカイマークが一日に何便も飛ばしているので、お金の心配さえしなければ比較的気楽に行くことが出来る。

 しかしながら、沖縄の離島に行くとなると事情は一気に変わってくる。
 石垣島や宮古島のようなメジャーな離島には那覇からの乗り継ぎ便が多く飛んでいるが、今回の目的地である与那国島へは那覇からの定期便は、わずかに1日1便。それも早朝10時前に那覇空港を飛び立つので、名古屋から与那国島へは一日で移動することが出来ない。
 運賃、宿泊費から総合的に判断して、今回は石垣島で一泊することにした。名古屋から与那国へは@名古屋(中部)→那覇、A那覇→石垣、B石垣→与那国と日本国内であるにもかかわらず、飛行機を3本乗り継がないと到着できない。

 与那国島というのは、名古屋から移動するには時間もお金もかかる日本最西端の日本領土。行くにも手間暇かかる最果ての地であるが、手間暇かかればかかるほど行ってみたくなってしまう。昔から行ってみたかったこの日本最西端の地に、ようやく念願かなって足を踏み入れることになった。

名古屋(中部)→那覇はANA便

那覇→石垣の往復と那覇→名古屋(中部)はスカイマーク便を利用。

石垣→与那国の往復はJTAの臨時便。RAC(琉球エアコミュータ)は39席しかないので、席が取れませんでした。

与那国空港の定期便は、那覇便1往復、石垣便3往復。ちっちゃな空港でした。

与那国島
 石垣島、西表島などを有する八重山諸島がある。八重山諸島は日本の最西端に位置しているが、その八重山諸島の中でも最西端にいちするのが与那国島。つまり与那国島は、日本では最西端に位置する島であり大切な領土ということになる。
 面積は、石垣島約289km、西表島223kmと比べ与那国島は約29kmとぐっと小さな島である。大会名にもあるように、一周しても25km程度の小さな島である。
 名古屋〜那覇が直線距離で約1,300km、那覇〜石垣が約410km、石垣〜与那国が127kmという位置関係であるが、与那国〜台湾が約110kmと極めて台湾に近い位置関係となっている。

 与那国島の歴史の概略は以下の通り。
 1522年に琉球王朝の支配下に組み入れられるまでは、女首長サンアイ・イソバ(実在不明)や鬼虎(実在不明)の下で独立国。
 1611年に、薩摩藩役人毛利内膳正元親が来島し、与那国島の測量を行い初めて検地帳を作製。1879年(明治12年)の琉球処分と共に日本に帰属する。台湾が日本領になった時代は、台湾住民との間で砂糖や米の密取引が行われるようになり、人口は2万人まで増加している。
 1908年(明治41年)島嶼町村制で間切制が廃止され、石垣間切・大浜間切・宮良間切の3間切が与那国島とともに八重山村となる。1914年(大正3年)八重山村が分村し、与那国村となる。
 1945年(昭和20年)に米軍の軍政下に置かれ、台湾が日本から分離したため、密取引は行われなくなり人口も急減。1948年(昭和23年)に町へ昇格し与那国町となる。1952年(昭和27年)のサンフランシスコ平和条約で米国統治。1972年(昭和47年)に日本へ返還されて現在に至っている。

 そして現在の人口は、わずかに1,558人(H25.9末現在。与那国町サイトより)。国境の島なので、周辺地域の有事に巻き込まれる可能性があるので、自衛隊の常駐についてのここ数年、議論にあがることが多い。2013年8月の選挙では自衛隊誘致をする現町長が、47票差で破り三選を果たしている。島の経済の活性化の狙いもあるだろうが、日本の大切な領土を守るためには、自衛隊の常駐もやむを得ないかもしれない。ここまではネットで調べた情報。

与那国島で2泊し、お世話になった民宿・さきはら荘。大会会場にも近くアクセスも楽でした。

さきはら荘の食堂。20人近くが一度に食事できます。

私の泊まった部屋。テレビ、エアコンもあり快適でした。

さきはら荘のおかみさん。優しい感じの方でした。

1日目の夜の食事。家庭的な感じで大変美味しくいただきました。

こちらは2日目の朝食。朝からひじきや豆の入った味ご飯です。こちらも美味しくいただきました。

こちらはさきはら荘の近くのふくやまスーパー。島内にはコンビニがないので生活必需品はここで購入することになります。

でかいシーサー発見!

ここは与那国島の東端の東崎(あがりさき)。

与那国馬や牛が放し飼いになっていました。芝の上の塊は馬の糞。

与那国島の南部の比川浜。ドクター・コトー診療所のロケ地のすぐ近くにあります。きれいですね。

こちらはドクターコトー診療所のロケ地。この先は有料となるので、遠方から撮影のみ。

日本最西端の碑。与那国島の西端の西崎(いりさき)にあります。

2ヶ月前の最北端・北海道宗谷岬に続き、最西端の与那国島西崎にやってきました。

これが最西端の西崎灯台

台湾方面を臨みましたが、曇っていて何も見えませんでした。ここから約110km先だそうです。

台湾との位置関係。西崎の展望台に地図があります。尖閣諸島よりも西に位置しているのがよくわかります。

島内をバスが走っているようです。本土で見られるようなバス停ではありませんね。

8月の町長選挙では、自衛隊の誘致が大きな争点となった。島内には賛成、反対の両方の垂れ幕などがあった。勝ったのは誘致派の現職町長であったが、反対派との票差はほんのわずかだった。

暑さとの戦い
 大会前日の金曜日の午後2時過ぎに与那国島に入る。前日は石垣島で一泊しているが石垣島との気温差はあまり感じられないが、11月上旬の名古屋とは昼中で10℃程度の気温差があった。レンタカーを借りて、コースの下見をしたときは、雨が降ったりやんだりとめまぐるしく天気が変わったが、こんな感じであればむしろ走りやすいと感じていた。
 ところが大会当日の午後1時過ぎには気温が28℃近くまで上昇する。夕方からのパーティーに合わせてこの時間のスタートであろうが、一日のうち一番暑い時間帯のスタートはかなり堪えた。

 午後1時、自衛隊の誘致で全国的に有名となった外間与那国町長のピストルの合図でスタートをする。10km部門の名簿に町長の「84 外間守吉」の名前が載っていたが、ピストルを撃ってから10kmのスタート地点西崎まで移動し、そこから自ら10kmを走ったのだろうか。
 昨日コースの下見をしたが、スタートしてから3kmくらいまでは登りが続く。ペースを刻みにくい設定で、自分としてはあまり好きな感じではない。スタート直後から2人のランナーが前を走り、その後の3,4番手で走る。黄色のユニフォームを着たランナーと併走であるが、昨日から同宿のランナーのようだ。2kmを過ぎてからペースがやや速く合わないのでこちらのペースを落とす。風力発電が見えてきたが、このあたりが5km付近までのピークとなる。