第32回あのつ越年マラソン 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「あのつ」は「安濃津」のこと 大会名となっている「あのつ」。漢字で書くと「安濃津」と書く。 安濃津とは、伊勢国安濃郡(現在の三重県津市)に位置し、日本の古代から中世にかけて栄えた港湾とのこと。古代以来、日本の主要港である三津七湊の一つとして栄えた。また中国の歴史書には博多津(福岡県)、坊津(鹿児島県)とならんで日本三津(さんしん)に数えられていた。 安濃津は京に近く、平安時代から京の重要な外港・東国への玄関口として重要な位置を占め、琵琶湖畔の大津に対し、安濃津は単に港を表す普通名詞の「津」の名称で呼ばれた。また、伊勢神宮による御厨も営まれた。 以後主要港として繁栄を続けたが、明応7年(1498年)に発生した明応の大地震・津波で壊滅的な被害を受けて廃れたとされる。現在ではそのため「安濃津」の位置が不明であるが、贄崎(にえざき)灯台沖から阿漕塚辺りにあったのではないかといわれている。 今大会は、確かに津市で開催されているが、その場所は平成18年1月に津市に編入された旧安芸郡河芸町。「安濃津」も単に港を指す使い方ではなく、廃藩置県まで置かれていた「安濃津藩(単に津藩ともいう)」の「安濃津」を用いている感じである。 現在の地名を用いれば「みえ越年マラソン」でもいいのであるが、主催者が「三重県でも津市付近ですよ」ということにこだわりを持たせるためにあえて「あのつ越年マラソン」としたのではないだろうか。「安濃津」はなかなか読みづらいので、そこは「あのつ」と・・・。 コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 三重走友会主催の練習会的な雰囲気の大会
昔のライバルと久しぶりに一騎打ち 今朝は午前5時前に起床。雪の心配もあったので、会場までは公共交通機関で行くことにする。今月初めにも伊勢市に行く際に近鉄に乗った。そのときと同じ車窓が続くが、今回は木曽三川あたりからうっすら積もった雪化粧に変わる。四日市付近は伊吹おろしの通り道のために、この時期は雪が降りやすい場所になっている。名古屋で晴れていても四日市で雪というのも珍しくない。今回もそのパターンではあったものの、乗換駅の白子(鈴鹿市)に着く頃には、雪化粧は無くなっていた。 会場まで徒歩で移動し、時間もあまりないので急いでコースの下見をする。事前の情報では「平坦では無い」とあるので、下見が必須となる。また走友会さんの主催の大会なので、距離表示も無いだろうから、景色を覚え、おおよその距離感覚だけでも身につけておく必要がある。結果的に今回は僅差で勝利が出来たので、この下見が正解であったことは間違いない。 さて、レースの方は9時30分の10km部門のスタートに続き、9時40分に私の参加した5km部門がスタートする。この大会は、3種類のコースがあるがスタート場所がそれぞれのコースに応じて異なっている。10km部門は津市河芸中央公民館(旧河芸町民会館)前、5km部門は伊勢鉄道河芸駅から300mほど北東の道路上、3km部門は河芸体育館前となっている。 走友会さんの主催する大会なので、大音量のスピーカーの設置も無く、自己責任でスタート場所を調べ、自己責任でスタート時間までにスタート位置に向かうということになる。 一昨年のこの大会の出場者のランネットの書き込みを紹介する。「まず、大笑いしてスタートを切りました。スタート地点の招集がいきなり1分前から始まり、事前に集まっておくのは自己責任で当然のことなのですが、10秒前と言っているときにまだ30人以上スタート位置にたどり着かずあわてて走っていました。スタートしてからもまだ大勢の方がスタート地点に逆走していました。交通規制がないので事前にスタート地点に整列できないと言うのが原因でしょうが面白かったです。」というのがあった。こういうトラブルには巻き込まれないように、早めにスタート地点には行かねばならない。 9時40分に5km部門は一斉にスタート。とはいえ50人ほどしかランナーはいないので混み合うことも無い。しかしながら先頭グループは予想外に速かった。もう少しゆっくり走るだろうという私の期待を裏切り、思った以上に序盤から先行される。 ゴール地点の河芸第2グランドの前をいったん通り過ぎ、さらにその先を左折し、いよいよアップダウンの道路に入っていく。私の少し前には同年代の選手がいる。15年ほど前にトライアスロンでしのぎを削っていた岐阜県のIさんだ。当時は、私よりも強く手がつけられない存在だった。久々にこんな場所で会うがお互いに歳をとり、先頭グループにはついて行けない。 高校生くらいの子と合わせて3人で第6位グループを形成しながら、坂を登ったり下ったりしながらレースを進める。5km部門の前半は、著しい斜度も無いが、200m〜300mほど続く登りや下りが連続するコースで、ペースを一定に保つのが難しいコースである。主に高校生が引っ張るような形を取るが、時々ペースが落ちるので、私が前に出たりしながらペースを落とさないようにする。しかしこの高校生、前に出るのは良いが、前に出たとたんにペースを落とすので、目の前に障害物となって立ちふさがるような感じで非常に走りづらい。何度もこんなことが続くので、国道306号線に入ってからは道路の左側ではなく、歩道を走ったりしながら私の前を走らせないように工夫する。 彼は登り坂が弱いようで、何度か揺さぶっているうちに登り坂で離れ出していった。同様にIさんも登り坂になってからは、息づかいが聞こえなくなり後退をしていったようだった。とはいえ、実力のある選手なので、ゴールまで油断はならない。 田園風景からアパートや民家が増えてくる風景に変わりだし、ゴールが近づいたことを知らせてくれる。スタート直後に通った信号の無い交差点を左折する。ここからゴールまでは300〜400mほど。河芸中央公民館前の坂で少し上りになるが、先ほどまで後退していた高校生が息を吹き返し抜いていく。こちらはいっぱいいっぱいの状態なので無抵抗で先を譲ることになる。 ゴールタイムは17分53秒。褒められたタイムでは無いが、起伏のあるコースではまずまずか。そしてほどなくIさんがゴールをする。思ったほど離れておらず、ヒヤリとした。 ゴールしてから久しぶりに会うIさんと歓談する。もともと岐阜県在住の方であるが、現在は松阪市に単身赴任中。また月の半分くらいは福島県へ出張しているとか。練習どころではないとか。50歳にもなって悠々と練習している人はほとんどいない。また、最近はウルトラマラソンにも参戦しているとのこと。フルマラソンは人気大会が多く、すぐに定員が一杯になってしまうので、なかなか参加しづらいともぼやいていた。「練習は出来ないけど、モチベーションを持つためには、大会に出場しないと行けませんね」と。お互いに忙しい中で頑張っていることで、今日はエネルギーをいっぱいいただいた。Iさんは能力が非常に高い人なので、真剣に練習されたらひとたまりもありません。今日はたまたま勝たせてもらったと・・・。お互いこれからも頑張りましょう!
本日の戦利品
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