第35回中日西濃駅伝競走大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今年の西濃駅伝は、昨年に比べればやや暖かったものの、伊吹山からの北風が凄まじく吹き荒れ、ここ数年では最高の強風でした(大垣での気象観測では、10〜13時くらいまでの風速は7m/s)。これだけの強風下でのレースは珍しく選手を苦しめたものの、考えようによってはいろんなコンディションにおけるレース経験経験値を高めるための良い機会だったとも言えます。 今年は、主催者から参加チームの制限が設けられたこともあって、一般A、一般Bのエントリーは辛うじて間に合ったものの、女子チームをエントリーしようとしたところ、定員に先に達してしまい、残念ながら出場が出来ませんでした。来年は余裕を持って早めにエントリーをしなければならないという教訓が出来ました。 さて大会ですが、例年通り一般Aに「まるはちヤング」、一般Bに「まるはちマスターズ」を投入しましたが、よくよくメンバーを見ると「ヤング」に「マスターズ」メンバーが、「マスターズ」に「ヤング」のメンバーが入り込み、けが人が続出したこともあり、名前と実態がやや離れた面白い構成になってしまいました。そのせいもあり、「まるはちマスターズ」は一般Bで初の一桁入りとなりました。来年以降は、もう少し西濃駅伝に力を入れて、入賞の常連を目指していければ良いかなと思います。 アフターレースですが、岐阜駅地下街の工事の影響で打ち上げ場所を変えましたが、今年はインド料理屋という珍しい会場で滅多に食べられないものを食べることが出来てなかなかよかったと思いました。また女子メンバーが応援に来てくれたこともあり、打ち上げは例年通り賑やかなものとなりました。みなさんお疲れ様でした。来年もよろしくお願いいたします。
参加チーム数の制限 ネットの大会要項をみると、今年から各部門に参加チームの制限を加えたことがわかる。一般Aが50チーム(昨年実績40チーム)、一般Bが120チーム(同実績170チーム)、高校男子が30チーム(同実績21チーム)、女子が30チーム(同実績27チーム)という次第。一般Bだけ50チームも減らされていることになる。これについて、主催者の担当者日記に次のように説明されている。
合計の募集チーム数でいえば230チーム。つまり同時に公道を走っている選手はわずか230人ということ。混雑緩和といっても、マラソン大会ではこのくらいの人数はまさしく少人数だ。決して混雑しているとは言いがたいと思う。 ただ、確かに各区間へバスを使った選手の輸送は大変である。一番大きな問題はバスに係る交通費の出費か?それとも、各区間での計測トラブル回避か? 交通費の削減を狙うのであれば、東濃駅伝が中央本線沿いに中継地点を設けているように、この大会も近鉄養老線に並行してコース設定をし、中継点を近鉄養老線の駅のそばに設けるというのもよいのではないか。こうすれば選手の移動については選手側の負担となり、主催者側の負担は低減できる。お金の問題で、選手の枠を小さくするというのは、マラソンブームに水を差す行為になりかねないと思う。主催者に是非とも検討して欲しいことと感じる次第である。 ひどい筋肉痛からの参戦 金曜日は前週に続き、名古屋で降雪があった。午前中も雪は降り続き、昼休みに名城公園に行こうにも、走れる状態の路面ではなかった。少し刺激のある練習をしたかったが、この路面では諦めざるを得なかった。かわりに、職場近くの自治センターというビル(地上12階、地下3階)の階段を利用して階段トレーニングを久しぶりに行うことにした。久しぶりの階段トレーニングで、30分ほどで1階から12階までを10往復をすることができた。ペース的にはさほど速くはなかったものの、これが大失敗だった。 翌日の土曜日に起きると、両足のふくらはぎに異常な脚の張りがあった。さらに筋肉痛・・・。さじ加減の失敗だった。このままでは日曜日の駅伝に明らかに支障があるほどのものだった。土曜日の午後からはマッサージの予約をしていたので、ここでいつも以上に時間をかけてほぐしてもらった他、風呂でも長時間をかけてセルフで揉みほぐした。最後は、置き鍼やファイティンテープにお願いすることとなる。「お前何年この競技やってるんだ!」と怒られそうな直前の練習だったが、当日の朝にはかなり脚の張りは低減してきた。やれやれ・・・。
昨年に引き続き、今年も一般Bの第3区 今年の担当区間は昨年と同じ一般Bの3区。JAにしみ海津の東・八幡神社〜吉里小学校前までの8.0kmである。西濃駅伝のどの区間においてもコースは概ね平坦であるが、この一般Bの3区のコースは他の区間以上に平坦なコースであるといえる。 一般B第3区のコースは、スタートをしてすぐに交差点を左折し東進。突きあたりをさらに左折するコースとなる。左折してからは、今日のような気象コンディションとなると、延々向かい風と対峙することになる。わずかな追い風区間と7割〜8割の向かい風区間との融合した気持ちの切り替えが要求される区間といってもいいだろう。これがコースの特徴とも言える。 もう一つこの区間の特徴としては、距離の長い割りに市街地がほとんど見られない。田畑の中を走っている時間が長いので、コースを覚えにくいということもある。 自分の走力と今回のメンバーの走力を考慮すれば、一般Bの1区か3区を走るのが適切であると思われるが、昨年走ってコース終盤の走りが今ひとつだったので、今年も3区を志願した次第である。
最初の1kmのみ追い風。残りは向かい風 昨年同様、浅中公園陸上競技場を午前9時30分過ぎにシャトルバスが出発。30分ほど揺られると一般B・第3区の待機場所であるJAにしみの海津に到着する。浅中公園陸上競技場から最も遠い中継地点がここになる。30分というとそれなりの時間があるので、車中では比較的のんびりすることが出来る。 このバスの乗車が第1点呼となるので、同じチームで同じく区間を走る選手がいても、指定されたバスに乗らなければならないため、乗車するバスは別々になることが多い。そのため、今回同じ区間を走る走友会のK保さんとは、現地で再度落ち合うことになった。 現地に着いてからは、中継地点の場所やコースの説明を兼ねてK保さんと現地でジョグをする。昨年と同じく間を走るので案内役は私だ。 この日は試走を兼ねたジョグをしていても、恐ろしいばかりの強風が吹き荒れていた。 もともとこの西濃駅伝のコースは、その大半を人家の少ないところで占めているので、風が弱くなるというのはそもそも期待が出来ない。「風が吹のが当たり前のくコースである」と構えて出かけた方がいいだろう。 ジョグから待機場所のJAにしみの海津へ戻ろうとしているところに、走友会のS藤マネージャーが現れた。S藤マネージャーはスペア(補欠)のために選手として走る必要がなくなったので、浅中公園陸上競技場から一般Aの第1区〜第3区を走り、ちょうど第4区を走り始めたところだった。ここまでで18kmくらいの距離を走ってきている。あとから「北上しようとしたところ風が強くてそのまま、来たコースを引き返した」と聞かされたが、単純に倍にしても36km以上の距離。今日走った度の選手よりも距離だけは一番長い。気持ちよく打ち上げが楽しめただろう。 11時25分になると荷物バスは時間通りに出発してしまった。このバスは次の中継地点まで、われわれの荷物を運んでくれる。これからタスキを中継するまでの約20分間は、走る格好のまま薄着で待機することになる。今日は風が強いので、上はランシャツの下に長袖シャツを着る。下はランパンにタイツ。結果的にこれは正解だった。もう若くはないので、寒さを堪えるのが非常に辛い。
11時35分を過ぎると、中継地点はにわかに賑やかになってきた。もうすぐ先頭のランナーがやってくるので騒がしくなってきた。 「一般A」及び「高校男子」の部門は11時ちょうどに浅中公園陸上競技場をスタート。「一般B」は11時05分に輪之内町役場前をスタート。そして「女子」部門は海津市役所海津庁舎を11時30分にスタートしている。 例年であれば、間違いなく海津市役所海津庁舎をスタートした「女子」部門が先頭でやってくるはずである。実際に今年も先頭でやってきたのは「女子」部門の愛知高校だった。 11時42分ちょうどで愛知高校(女子)はタスキを繋いでいったが、その後を愛工大名電高校と、一般Bの「庄内40’sチームA」が先頭からわずかに6秒遅れでタスキを繋いでいった。予想外に早い一般Bの通過で驚きだった。「庄内40’sチームA」は、今年は一般Bで優勝を狙っているだけのことはあり、凄まじいスピードで第3中継所を通過していった。先頭を走っていた愛知高校(女子)を捉えるまでの時間は、ほんのわずかであった。 中継地点では、女子チームがどんどんやってくるが、一般Bのチームはパラパラとやっては来るものの、どーんとまとめてやってくる雰囲気はない。先頭の愛知高校(女子)がタスキ渡しをしてから遅れること5分13秒。11時47分13秒で、一般B・2区の走友会のNさんからタスキをもらう。久しぶりにNさんの必死の形相を見た。なかなかいい顔つきだった。 一般Bの1区・2区は向かい風+昨年よりも走力のある選手が走ったこともあり、中継地点でのタスキ渡しは昨年よりも1分30秒ほど早かった。さー、ここからが自分の出番。ここから先は前を走る選手を追い抜きながら順位を上げていかなければならない。 序盤は、女子選手をどんどん抜きながら前を目指していく。その中に一般Bの男子選手がちらほら走っている。一般Bの第3区は、ごぼう抜きを楽しめる区間である。 中継地点でタスキをもらった時点で、一般Bのランナーは26人、女子部門の23人が私の前を走る。一人ずつを抜きながらリズムを掴んで前を目指していくことになる。中継地点から1.3km程度は追い風で走りやすかったものの、左折してからはコースは一転して北上することになるので、強い向かい風になる。向かい風になれていない選手が多いのか、結構苦労して走っている選手が多いように感じた。 コツコツと1人ずつランナーを抜いて前を目指したが、終盤の残り3kmほどで、初めて後続のランナーに追いつき追い抜かれる。ナンバーカードが「150」のチームだったが、抜いていく割にはあまり余裕が無さそうだったので、彼を風よけにしながら走ることにした。たった一人でも風よけがいると多少は楽に走れる。疲労が蓄積してきたので、体力を温存するのにちょうどよかった。その後、前を走るナンバーカード「196」のチームの選手をいったん抜いたものの、残り2kmはこの選手を含めた3人で前を目指すことになった。もちろん風よけを使いながら、私はスパートのタイミングを見計らっていた。 中継地点の吉里小学校の約1kmほど前で、風よけに使っていたナンバーカード「150」の選手のペースが明らかに落ちてきたので、ここから一気にペースを上げることにした。昨年、同じく間を走っているので、ラストスパートのタイミングとしてはどんぴしゃだった。 向かい風が強くなる最後の1kmでペースを一気に上げることに成功し、中継地点では、ナンバーカード「196」の選手には14秒、ナンバーカード「150」の選手には37秒の差をつけて、走友会のI神さんにタスキを繋ぐことが出来た。この区間で女子選手を15人、一般Bの選手を6人抜くことが出来た。また、一般Bの通過順位も16位→10位とまずまずの位置に押し上げることが出来た。 ただし、この日の強烈な向かい風のために、区間タイムは31分25秒(区間7位)と昨年の28分45秒(区間6位)から2分40秒も落とすことになった。やはりそれだけこの日は風が強かったということだった。
中継後は戻りながらの応援 中継後は、バスの車中に荷物を急いで取りに行き着替え、同じチームで一般Aを走るK保さんを待つ。彼が中継所にやってきたのは、私が到着してから約17分後。先頭が通過してから約23分後。もちろん繰り上げスタートにはならなかったが、今年もこの第4中継所で繰り上げとなったチームがたくさん発生していた。 繰り上げとなったチームの出発を見送って、ここからゴールの浅中公園陸上競技場へ走って向かう。今年は、同じ区間を走ったK保さんも同走する。 最後尾には白バイもいて、自分が主催者の最後尾車のような感覚だった。レースはレースで楽しいが、このようにランナーや景色をゆっくり見ながら走るのもなかなか楽しい。 沿道での走路員さんたちにもお礼を言いながらゴール地点に戻っていったが、所要時間は約80分だった。 ゴールの浅中公園陸上競技場には、今日走った走友会のメンバーの大半が戻ってきていた。順位はわからないが、今回は一般Bで一桁に入っていそうだということだった。 また今回はエントリー漏れで走ることが出来なかったY田さん(女性)に、「あんたら何それ!すごいヘアスタイルや−!ガハハハ!」と思いっきり笑われた。すごい強風下で3区の約30分+中継地点〜ゴールまでの約80分の合計約2時間、向かい風の中で走ってきたので強烈なオールバックとなってしまった。確かに凄いヘアスタイルになってしまったので、参考までに写真を掲載しておく。 懇親会 JR岐阜駅地下の商業施設「アスティ岐阜」が、平成26年1月15日〜4月下旬の間リニューアル工事のためにお休み。そのため、このアスティ岐阜に入っていた「劉家 西安刀削麺 アスティ岐阜店」がお休みのため、今年はI神さんが別のお店を探してきてくれました。
シャンティというスパイス料理屋さんです。貸し切りのために、閉店している時間帯でしたが、オープンしていただきました。料理は竹中平蔵に似たマスター?がせっせと運んでくれました。ちょっと変わった嗜好で、自分からは率先していくようなお店ではなかったので、少し変わったものを食べられたのがよかったですね。来年はどこにしましょうか。一年先が待ち遠しいですね。
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