第30回日本大正村クロスカントリー 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照して下さい。 中盤はややあきらめであったが・・・ この大会のウリは何といっても横に広がるスタートライン。恵那南高校のグランドに扇形にスタートラインの白線が引かれている。かつて出場したときは、「選手みんなが最前列」といったところで選手同士の間隔も空いていたが、今年の大会ではこの大会のウリであるこの”粋な計らい”でも選手全員が最前列とならず適度な混み具合に変わっていた。それだけマラソンブームになって参加者が増えたと言うことであり、いいことだと思う。 さて、6年ぶりの出場となった今回であるが、体調云々言う以前に練習がサッパリ出来ていない。練習をしないで大会に出るだけではつまらないので、時間の許す限りは練習をし、それなりの備えをしてから大会に臨むことにしている。どのくらいの練習量かと言っても、読者のみなさんからすると怒られるような練習量であるが、今回は自分でもかなり少ない部類に入る程度だ。別大マラソンが終わってから、まとめて20km以上走った日は数えるほど、今回のような起伏のある場所に対しての坂対策はほぼ「0」。今日はどれだけの苦しみが待っているのか・・・。
ウォーミングアップに行こうとしたところ、ちょうど走友のO形さんに会う。先月は別大で一緒に参加している。そのときに、この大会に出場すると行っていた。一ヶ月ぶりの再開である。 O形さんもかつてこの大会に参加しているが、「コースをすっかり忘れてしまった」という。「ならば、少しコースを走りましょう」と私。一緒にJOGしてコースの下見に出かけた。 コース序盤は、恵那南高校から南へ緩く下り、左折を2回ほど繰り返してからは、一転して緩く登ってくる。この辺りまでは序の口で、コース全体としてはたいした起伏ではない。明智光秀の供養塔がある龍護寺手前からアップダウンが始まり、ゴール手前約1kmくらいまではこんな調子で起伏が続く(6マイルコース)。この大会に向けて備えの少ない選手は、前半の平坦さに勢いづけて飛ばさないことだ。「勝負は終盤」とどんと構えて臨む方がいい。
10時30分に10マイルの部門が一斉スタートする。以前はこれほどの参加者はいなかったと思うが、6年ぶりにやってきて非常に賑やかになったと感じる。 15分後に私の出場する6マイルがスタートした。10マイルほどではないが、以前と比べると出場者は格段に増えている。恵那南高校のグランドから道路へ出るところで、予想はしていたが少々渋滞した。先頭で道路へ出て行ったわけではないが、少なく見積もっても私の前には20人以上の選手がいた。もしかしたら30人くらいいたかもしれない。 大正村の古い町並みを緩く下る。スピードが出てしまうのでペースアップしたいところをぐっと堪える。 スタート直後から先頭グループが見える間に、私の前を走る同年代の選手を急いで探す。近くは見えにくくなったものの遠くはまだこの歳でも比較的よく見える。こういうときには視力良いことが役に立つ。ただし、この大会も支給されるナンバーカードは1枚。体の前面のみでで背中にはナンバーカードを付けていないので、後ろから見ても同年代の選手かどうかの識別できない。主立った選手は、走り方の特徴やユニフォームでで判断できるが、情報の無い選手は髪の毛の色、量などで年齢を推測せざるを得ない。 ざっと見る限りは、私の前に同年代の選手は走っている様子はなかったものの、序盤から中盤にかけて私の前後を走る黄色の長袖シャツを着た選手が一人いた。もしかしたら、同年代かと思い注意だけはしていた。 県道33号線に戻ってきてからは、再度登り坂に転じる。3kmを過ぎ「←団子杉」と書かれた県道33号線からの分岐点を過ぎても登り坂は続く。6マイルのコースの中で一番きついところであろう。さすがに練習不足の私には堪えた。まだ、コースの半分にも来ていないので、少しずつ抜かれながらもペースアップを出来る余裕は無い。差を広げられないように見える範囲で前出の黄色シャツの選手を何とか追いかけていく。 4kmを半ば過ぎてからは下り基調となってきた。私の見える範囲で私の前を走る選手のポジションはあまり変わらず、後方から抜かれることもなければ、前から落ちてくる選手もいなかった。 また15分前にスタートした10マイルの選手の後方の選手にこの辺りで追いついたものの、それほどの数ではなかったので、追い越すための苦労はなかった。 5kmを半ば過ぎたところで、10マイルと6マイルの分岐点にさしかかる。10マイルの選手は左へ、6マイルの選手は右へ曲がる。右に曲がったあとは、再び県道33号線にコースは戻る。下り勾配は少し緩くなったものの、県道でも少しばかり下り坂は続いた。
7kmを過ぎても登り坂は続いたが、坂の頂上付近でとうとう追いつくことが出来た。思ったよりも早く追いついた。 しばらくすぐ後方で走りを眺めさせてもらったが、鋭いラストスパートを持っているような走りではなさそうだった。最悪ラストの100〜200mで勝負をかけても良さそうだ。 8km地点でも併走していたものの、残り1km地点では前に出るつもりはなかったが、押し出されるように私の方が前に出ることになった。思った以上に、彼には脚が残っていなかったということだろう。 県道33号線を右折したあと、ゴールまでは左へ3回、右に2回曲がるという変化の多いところになる。ここからは、2マイルを走る選手と合流するので走りにくくなる。また、後方との差の確認がしづらくなる。 こちらとしては特別ペースを上げたわけではないが、恵那南高校付近の曲がり角で後方を見たところ、差は20m以上開いていた。とはいえ、最後に刺されて負けるのはかなわないので、最後の100mだけはペースを上げる。
35分46秒でゴール。以前とコースが少々変わったこともあり、このタイムが良いのか悪いのかは見当がつかなかった。 記録証発行所で、プリントされた記録証をおそるおそる見る。そこには「種目順位」として「1位」と書かれていた。タイムがどうあれ、今日の最低の準備で年代別で優勝できたのは一つの収穫だった。もちろん練習をサボっても大丈夫という意味ではないが、走り方のパターンの一つとして今回の戦略がまずまず良かったと言うこと。相手に恵まれたと言うことも忘れてはならない。次回はもっときちんと練習していらぬ心配をせずに戦わなければならない。 本日の戦利品
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