第29回天竜峡温泉健康マラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
19年ぶりの出場 前回、この大会に出場したのが平成7年。まだ、わが家の二人の子どもが生まれる前、つまり今から19年前となる。この天竜峡という場所は長野県飯田市内になるので、わが家から高速道路を利用すれば1時間半ほどで到着できるので、名古屋からさほど遠いところではないが、いろんな大会に出場したいという思いが先行し、19年もの間ご無沙汰したことになる。ちょっと長すぎたか・・・。 さすがに19年も前となると当時の記憶はかなり曖昧で、ゴールは現在と違う場所だったような気もする。ただし、スタート場所が今回と変わらず姑射橋であったことはよく覚えている。姑射橋から天竜峡の川下りも船も出発する場所であることもあり、今も昔も変わらず天竜峡のくシンボル的な存在感がある。 JR天竜峡駅から見て姑射橋を渡ったところに10kmのスタート場所、姑射橋の手前に5kmのスタート場所があるが、こちらは当時と同じ位置。19年前は、この2部門が同時にスタートするというものであったが、さすがに5kmの先頭がスタート直後に10km部門の後尾にすぐ追いついてしまい、選手から不評だったせいか改善されたようだ。
コース紹介(コースガイド) → 10kmはこちら、5kmはこちらを参照してください。 スピードが乗らず苦戦 名古屋を早朝に出て、コースの下見をし、指定駐車場からシャトルバスに乗り換え会場には午前8時前に到着した。明らかに名古屋よりも気温が低い。体感的には3℃くらいは違うだろか4月の中旬とはいいながらも、北上していくとまだまだ寒いのを実感する。 大会会場は賑わっていたが、10km部門と5km部門にエントリーした選手は600人強。大会規模としては小さい規模である。今回は一般道を利用してこの飯田にやってきたが、中央自動車道の飯田山本ICからもさほど遠くないのでアクセスは悪くない。にもかかわらずこのエントリー数というのは、主催者側があまり大会をアナウンスしていないせいだろうか。それとも小さな子どもと参加できるジョギングや3km程度の部門がないせいだろうか。 確かに一番短い距離が5kmとなると小学生や中学生には辛い限りだ。参加者を増やす努力をする気があるのならば、地元の小中学生が参加しやすい1〜3kmくらいの部門を作るべきだろう。 マラソン大会の会場は、「飯田春の観光祭り」の会場でもある。屋台の店も多く立ち並び、小中学生にとっては嬉しい限りであろうが、マラソンのあとに楽しめるように主催者も考えた方がいいような気がする。
スタート時間の午前10時に近づいても相変わらず肌寒い。スタートまでかなり時間があるにもかかわらず、会場においては選手のスタート場所への移動を促すアナウンスが早々と流れる。スタート位置からすると、会場から奥まったスタート位置である5km部門の選手の方が早く整列しないといけない。しかしながらスタート時間は5kmの方が遅い。つまり、5km部門の方が待ち時間が長いということだ。2月の犬山国際友好シティマラソンで待ち時間の寒さに懲りているので、今回は耐寒対策を講じて並ぶことにした。 それにしても370人程度のエントリーの種目でも、スタート場所は結構混んでいた。小学生の子どもが最前列に何人か並んでいる。事故がなければいいが・・・。 10秒前からカウントダウンが始まり、子どもたちはややフライング気味にスタートしていった。2車線の道路をフルに使っても、スタート直後は混乱する。前から2列目に並んではいたが、今回はスムースな感じではスタートできなかった。姑射橋では前がつっかえて走りづらいのでやむなく姑射橋の歩道を走り前の選手を追い抜いていく。約500m先の信号の無い交差点までは登り一辺倒。ここをゆったりと走り後半に備えるつもりであったが、思った以上に脚を使ってしまった。 信号交差点を左折するとコースは平坦となり、やがて下り坂になっていく。5kmは最初の約500mだけが登りなので、比較的攻めやすいコースでもある。しかしながら、自分の体感とはやや違う脚の重さに下りになってもペースは上がらず、後方から少しずつ若い選手たちに抜かれてしまった。少し前には中学生らしき女子の選手もいるが、追いつきそうでこれがまた追いつかない。距離表示の看板が無いのでペースがよくわからないが、脚の動きからしてよい感じはない。
この天竜峡桜街道に入ってからは、前を走る中学生らしき女子の選手との距離はさらに離れ出し、今日も後半がずるずるとペースが落ちていくのがわかる。歳を重ねるとハイペースで走るのがだんだん辛くなる。 指定駐車場を過ぎて、コースは畑の中を左、右、右、左と小刻みに右左折を繰り返す。距離調整の関係だろうか。5kmコースでは唯一の給水所もこの畑の中にあるがパスして走る。最後に左折するところ角に「残り1km」の看板が立っていた。全体では10番くらいの位置だったが、前を走る選手との差は大きく開いていた。 残り500m付近で後続からやってきた中学生の男子選手に抜かれ、さらに残り200mくらいで同年代らしき選手に追いつかれる。横に並んだときにナンバーカードの数字の「1」がちらりと見える。「1000番台」は40歳代、「1100番台」は50歳代であるが、そのどちらであるかは見えない。2週間前の四日市シティロードレース大会のようにラストでの競り負けはかなわないので、残り100mほどからペースを上げて逃げ切ることにした。今回に限っていえば正しい判断だった。 後ろに目が無いので、同走の人がどんな感じだったかはわからないが、ゴールでは間違いなく先着できた。タイム差は僅かに2秒。今回は辛くも逃げ切ったレースであったが、今回も冷や汗をかきっぱなしであった。 本日の戦利品
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