第61回中山道東濃駅伝競走大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6回目の東濃駅伝です。 7区間のこの大会を全て走るために、今回は2区または5区をお願いしました。結局は2区になりましたが、2区はなかなか面白い区間です。 東濃駅伝のこの時期になると急激に冷え込み、この日の中津川の最低気温は1.5℃、恵那の最低気温に至っては0.6℃です。名古屋の最低気温も4.6℃と冷え込んでいましたが、東濃の地は名古屋に比べると寒い地域であることがわかります。ちなみに中継地点の美乃坂本駅付近から見た恵那山は、冠雪がありました。これだけでも寒いことがわかります。 さて、駅伝の方ですが、朝、内藤さんが電車に乗り遅れて、ナンバーカードの受け渡しに冷や汗が出ましたが、何とか無事に中継所を出ることが出来ました。 中継したのが、午前10時を上回っていたこともあり、前を追いかけるだけの展開になりました。走っている選手の数もまばらであったこともあり、一人抜いてもその先になかなか選手が見えません。久しぶりにこういう展開となったので、ペースを作るのに苦労しました。中継地点のJAみの恵那支店が見えたときには、前に二人ほどのランナーが見えましたがこちらは追いつけず。タスキを渡そうとしたところ、繰り上げスタートで3区の木崎さんは既に出発してしまいました。今回は駅伝の醍醐味を半分しか味わうことが出来ず少々残念でした。 とはいえ、終わってからの打ち上げは、男ばかりの珍しいものでしたが、女性がいないから言える話もあり、なかなか面白い打ち上げでありました。昼間から山ほど飲んで楽しい一日でした。
冷え込む東濃地方 今年の担当は2区。1区からの中継地点は、JR美乃坂本駅前になる。 昨年は1区を担当したので、スタート地点の中津川まで8時頃までには行かなければならなかったため、自宅を出発したのが6時10分であったが、今年の中継点は一つ名古屋よりになるため、自宅出発は6時52分と昨年に比べれば40分も遅くなった。 この駅伝の特徴としては、区間が前になればなるほどスタート時間が早くなることに加え、名古屋からの移動距離が長くなるため自宅を出発する時間が早くなるということがある。 同じ2区を走る内藤さんが、稲沢駅の窓口で「青空フリーパス」を購入するのに手間取り、列車を1本乗り遅れたと連絡があった。2区中継点最寄りの駅・美乃坂本には9時ちょうどに到着するとのこと。第1点呼には間に合うものの、私のナンバーカードは、まだ彼の手元にある。彼も落ち着かないだろうが、私も必要なものが揃っていないという意味では少々気分的に落ち着かない。 7時26分、大曽根に到着したJR・中津川行き快速列車はそこそこ混雑していた。大曽根では何とか座れたものの、多治見では満席となり、ざっと見た感じでは2割くらいの乗客は立っている。 JR美乃坂本駅で降りる選手は多かったが、中継地点付近にはすでにブルーシートなどを広げて陣取っている選手たちも多い。電車での移動でないチームの選手もいるようだった。 それにしても寒い。名古屋に比べれば明らかに気温が低く、気温だけなら明らかに冬だった。ウォーミングアップして気がついたのであるが、遠くに見える恵那山(2,191m)もうっすらと冠雪している。コースは恵那山の南側に位置するため、恵那山から吹き下ろす風にさらされるわけではないものの、中津川や恵那は恵那山に近いエリアなのでそれなりに寒くなるはずだ。前半区間を走る場合は、冬の装いの方が望ましいだろう。
初2区。ただしタスキが繋がらず・・・。 先頭通過予定の30分前に第1点呼(コール)。プログラムでは9時53分となっているので、9時23分頃が第1コールのはずであったが、主催者側からは「少し早いですが点呼を始めます」とアナウンスが入る。時間は9時19分。想定内の範囲だ。 荷物車の出発時間については放送がなかったのでゆっくり構えていたが、9時40分頃に荷物を載せたワゴン車が出発しそうになったので慌てて荷物を載せてもらう。これで完全に「身」一つになった。後は中津川駅前からやってくる直さんのタスキを待つばかりとなった。
9時53分になるかならないかで、トップが通過していく。胸には「みずなみ」と平仮名で書かれている。内藤さんが「浜野さんですよ」という。元トヨタ自動車の浜野健だ。確か現在は中京学院大学の女子陸上競技部の監督をしているはず。年齢も40歳くらいだろう。それにしても年齢を全く感じさせない速さだ。弱い実業団ならまだまだ十分レギュラーで走れる感じがする。 1区は全7区間の中では4番目に長い区間であるが、レースの序盤の主導権を握りたいチームは準エース級を投入するし、また弱小チームは前半に貯金をし後半繰り上げスタートにならないようにやはりエース級を持ってくる。そのため1区は全体のペースが速いという特徴がある。
今回、一般Aが38チーム、一般Bが32チーム(オープン参加を含む。)、高校男子が8チームの参加なので、合計78人がこの中継所を通過していくことになる。 一般Aの前の方を走るチームと高校男子はさすがにペースが速いものの、一般Bとなると24分台までで僅か4チームの通過。25分台でも7チームの通過だ。26分前後くらいが通過選手の一番ピークだったかと思う。 わが名古屋市役所走友会AチームのTOMOが中継所にやってきたのは27分ちょうどだった。ここでTOMOから内藤さんへタスキリレーが完了。コンスタントに走るTOMOであるが、さすがに1区は速い連中が多く、その中では中位以下に位置するため表情は険しかった。 選手がポツリポツリと少なくなってきた頃に、遠くに赤いユニフォームが見えてきた。進境著しい直さんだ。今年50歳になったばかりながらも、このところフルマラソンのタイムを縮め続けている。しかしながら1区のスピードレースは厳しく、前を走る「三峰 可児クラブ」とは僅差ながらも少し後ろを走っている。30分42秒で中継が完了した。お疲れ様!これで名古屋市役所走友会の2チームのタスキ渡しが完了した。 タスキ渡しのボリュームゾーンは過ぎているため私の前後を走るランナーは少ないが、ここから前を走るランナーを一人ずつコツコツ抜いて、順位を上げていくしかない。 坂本小学校付近で、一つ前の「三峰 可児クラブ」の選手を早々に抜く。この選手を抜いてしばらくは前を走る選手は見えなかったが、茄子川の集落付近で一人見えてきた。差は徐々に縮まっていく。この選手を一つ目の峠付近で付近で抜いていく。「庄内RTc」のNさんだった。 二つ目の峠を越えて信号に向かっていったところで、再び1人の選手が見えてきた。2区の最大の難所であり、かつ、最後の難所の甚平坂付近でこの選手を抜く。これで3人。ポツリポツリとしか選手がいないので抜いていこうにも時間がかかる。この選手を抜いたところで、沿道で応援する人はポツリポツリいるものの、その先にはまた選手は誰も見えなくなった。自分のペースは決して快調とは言えないが、とにかく前を走る選手を一人でも多く抜いて中継点でタスキを繋ごうと思いながら前を見据えて走る。 甚平坂を超えてからは2区のコースは下り一辺倒となる。中央自動車道、明知鉄道を越え右折し、旧中山道の大井の宿場に入ると、地元の人と観光客らしき人が混じっての応援を受ける。この辺りで少し前に2人のランナーが見えてきた。阿木川にかかる大井橋を越えた商店街付近でまとめてこの2人を抜く。これで抜いたランナーは5人。しかしながら、また前方に見えるランナーはいなくなった。中継所までの距離はどんどん短くなる。商店街を抜けて左折すればもうすぐ中継点となる。何とかもう一人か二人くらい抜いて順位を上げていきたと思ったところ、遠くに二人ほどのランナーが見えた。一人は中継点にかなり近いので無理だったが、もう一人のランナーに少しずつ近づいている。何とかこのランナーは抜きたかったが、とうとう中継点までには追いつかなかった。前のランナーとのタイム差は9秒で中継点へ。 残念ながら私が中継点に到着したときには、待ち受けるランナーは誰もいなかった。「もしや繰り上げ?」。選手の呼び出しもせずに、あたりが静まりかえっているので、この中継所で繰り上げスタートをしたことが容易にわかった。2区→3区のタスキ渡しが出来ず、ここでこの日の駅伝はあっけなく終わってしまった。 先着した内藤さんの話によると、私の2つ前のランナーまでは何とかタスキを繋げたようであった。後日、記録を見ると繰り上げスタートを免れるためにはタイムとしては34秒足らなかったことがわかった。 今日の私の区間タイムが23分17秒。目標タイムが22分30秒だったので、目標通りに走ればタスキは何とか繋がったことになる。終わってからあれこれ言っても仕方がないが、もう少し頑張ることが出来なかったかと思うと残念であった。駅伝は、タスキを繋ぐことに意義があるが、自分のところでタスキが切れるという嫌な思いを久しぶりに味わった。 応援 着替えた後、先に到着した内藤さんとJR恵那駅に向かう。この後は恒例の応援ツアーだ。あらかじめ調べておいた列車でまずは瑞浪へ向かう。JR瑞浪駅前を走る6区の選手の応援をするためだ。 瑞浪駅では、応援にまわっていた佐藤さんや八重樫さんと合流する。何とか先頭が通過する前に瑞浪駅前に到着することができた。 6区を先頭でやってきたのは岐阜経済大学Aチーム。2年前に揖斐祐治(土岐商→駒大→SB食品)が同大学の駅伝部の監督に就任してから強くなっている。昨年はとうとう全日本大学駅伝にまで出場するところまでに成長しているが、今回は地元の駅伝で念願の初優勝を狙える位置で走っていた。 この男子の6区は、女子の第1区のスタートを兼ねている。岐阜経済大学Aが、5区→6区の中継をしたのが11時15分過ぎ。女子のスタートが11時20分ということもあり、男子のチームが何チームか通過してから女子選手が大量にやってくる。名古屋市役所Aはタスキが上手く繋がっただろうか心配になる。 女子の選手がいなくなったころに、大量の男子の選手が走ってくる。6区の繰り上げスタートした選手たちだろう。タスキの色が緑色で、1区の中津川から走ってきたランナーが付けていたタスキと同色のため区別が付かない。しかしながら雰囲気的に繰り上げスタートのようだった。 この繰り上げスタートしたであろう6人のグループの中に、長身のSHOがいた。まだまだ若く伸び盛り。繰り上げスタートになってしまったが、この区間では上位で走って帰ってくるだろう。やや遅れて石神さんがやってくる。40歳代も中盤になってきたが、全盛期はなかなかの走りだった。今日もきちんと走ってくれることを期待する。
6区の応援が終わると急いで瑞浪駅へ戻る。この後列車に乗って「土岐市」で下車しての応援でも良かった、最終7区の選手を見るために一気に多治見へ向かう。車内には、4区を走った”昌”らのメンバーも乗車している。車内での情報だと、名古屋市役所Aは4区→5区でタスキが繋がらなかったという。Aチーム、Bチームともに今年はタスキが繋がらなかったことがこれで明らかになった。 列車は11時59分に多治見に到着。ホームには大量の選手が降りてくる。 多治見駅からまずは「ながせ通り」に向かう。最終7区を観戦するには一番いい場所だ。
瑞浪から多治見へ直行したこともあり、先頭通過からの様子を見ることが出来た。 第7区での先頭は三菱自動車岡崎。第6区では岐阜経済大学Aが先行していたが、この後に逆転があったようだ。続いて名古屋大学A。岐阜経済大学Aは第3位に転落していた。 12時15分を過ぎると通過するチーム数が増えてくる。 A、B両チームとも第6区では繰り上げスタートになってしまったが、その中で最初にAチームの中島さん、そしてしばらくするとBチームのFさんがやってくる。最終7区は多治見市の市街地を走るので声援が多く、違う意味で気が抜けない区間かもしれない。ゴールの瞬間は見ることは出来なかったが、AチームもBチームも無事にゴールをすることが出来た。 駅伝において上位を狙って走っていくのも楽しいが、この大会は自分が走るほかに、仲間の応援が出来るという意味で2倍楽しめる。そういう意味では今年も順位に関係なく、この駅伝を楽しめたのではないかと思う。
今日の戦利品
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