第31回北なごや新春チャレンジマラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
10年ぶりの出場 冒頭にも説明したが平成19年1月の第23回大会から、現名称の「北なごや新春チャレンジマラソン」となっている。それまでは旧町名を冠にした「にしはる新春チャレンジマラソン」と言っていた。この大会の存在を知ったのは、15年以上前に通っていたスポーツクラブの会員からその存在を知ったのが最初だった。 当時、10kmを走っても私よりも3分以上も遅いその知人が「オレでも入賞出来る」とか「大会ぷりグラムに、優勝入賞予想がされている」などの情報をもらい「加藤さんなら優勝出来るよ」と言われ出場したのが17年前の第14回大会だった。 残念ながら優勝は出来なかったが、何とか2位に食い込むことが出来た。それ以降第21回大会までに合計で5回出場している。わが家から比較的近くアクセスが良いというのもこの大会に比較的多く出場してきた理由だろう。 10年ぶりに今回出場したのであるが、まるで時間が止まっているように、会場、コース、運営方法などが当時と全く同じような感じであった。10年前と違っていたのは、中日ドラゴンズの招待選手がいなかったこと(成績がBクラスでは呼びづらいのか?)。参加者が異常に増えていたこと。2月1日に知事選があるためか、現職の大村知事が会場で挨拶とスターターをしたことくらいだろうか。 あえてもう一つ加えれば、自分の走るスピードが遅くなって景色の移りかわりが遅くなったことだろうか。そうであっても10年前とあまり変わりばえしない光景にはホットする。自分が歳をとったことが気にならないという意味で・・・。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照して下さい。 スタート前 10年前ともう1点変わったことがある。それは、表彰の区分として男子は「50歳代」「60歳以上」、女子は「50歳以上」が設けられたことがある。いつから変更になったかはわからないが、当時と違って参加者が増え、また社会が高齢化になった配慮だろうか。今回久しぶりに出場したのも、この年代別の区分が出来たことが大きい。 しかしながら、この年代の区分を狙って新たに強者がやってくる。名簿を見ても、わざわざ県外から優勝を狙うためにやってきている選手も明らかだった。(私も県外に行くとそう言われているかもしれないが・・・) 10km部門のスタートは10時05分。5km部門のスタートが10時ちょうどなので、その僅か5分後である。10km部門のエントリー者は1,629人。片側一車線、両側合わせて2車線の道路をスタート場所にしているが、スタート場所が狭く前列の取り合いになるのは必至だった。 とはいえ、この人数ではスタートの出遅れは致命的になるので、寒いながらも9時40分過ぎには集合場所へ行く。まだしっかりと列が形成されていないので、一番前に並ばせてもらった。10時に5km部門がスタートして10km部門の隊列が前方へ移動していくが、このタイミングでく割り込みで前列へ来る選手が次から次へと現れる。高校生の割り込みが特に目立つが、一般の大人のランナーも割り込んでくる。 この割り込みについては賛否両論あるが、走力の高い選手は前へ、走力のない選手は後方へ並ぶことを勧める。割り込みをしなければ誰でも前方に並べば許容されるかと言えばそうでもない。明らかに「私今日が初マラソンです」と言うランナーが、最前列に並ぶこともある。一番困るのはこういうランナー。スタートしてもノロノロ走るだけで障害物以外の何ものでも無くなってしまう。また、後ろから突き飛ばされる可能性もあり大変危険だ。走力のあるランナーが割り込んで前方に並ぶのはマナー的には良くないものの、レースの運営上はあまり支障が無いといっていい。 これらの問題を解決する方法としては
いずれも既に実施されていることで、あらためて紹介するまでもない。大型マラソンになれば、上記の(1)または(2)のいずれかは実施されているはずだ。この大会ももうそろそろ上記の(1)(2)のいずれかを導入する時期にさしかかっているだろう。 大苦戦のレース 高校生の割り込みがあったもののスタートは2列目からだった。大村愛知県知事のピストルの合図でスタートを切る。ちょうど前にいた選手がもたつき、スタート後しばらくブロックされたような形となったが比較的ストレスの少ないスタートだった。 しかしながら年々落ちていく走力のために、この日もスタートしてから多くの選手が視界に入ってくる。ざっと20人くらいはいただろう。あまり長いスタートダッシュは後半に差し障りが出るのでほどほどにして走る。 1km近く直線が続くが突きあたりを右折すると、ほどなく1km地点が現れる。1kmの通過は3分28秒。全盛期と比べれば無残なタイムであるが、今の自分としてはまずまずくらいのタイムだ。これ以降はコースは平坦であるものの、右折左折をめまぐるしく繰り返し国道22号線と県道57号線の挟まれた田園地帯を走ることになる。 名簿で確認していた同年代の奈良県のNさんは、500mほどですーっと前に行ってしまった。今年50歳になったばかりで精力的に遠征をしているようだ。10kmを走っても1分くらいは違うので、今日は無理して追いかけることはしなかった。 2kmを7分05秒、3kmを10分39秒、4kmを14分21秒で通過する。ここから5km手前の折り返しまで1km近く直線が続く。ここまで特に飛ばしてきたわけではないが、マラソン向け練習を優先しスピード練習をほとんどしていないためスピードを維持するのが少々しんどくなってきた。 折り返し地点まで、かなり距離があるところで先頭のランナー3人とすれ違う。その後はポツリポツリとすれ違い、私は21番目でUターンしていった。私と同年代のランナーも既に2人先を走っており、少々間隔が開いていたので残りの5km強で追いつくのは難しい感じだった。 むしろ後方から同年代のランナーが意外と近くまで迫ってきており、今のポジションを最後まで維持出来るかもあやしかった。
ここから6km地点くらいまでにさらに数人に抜かれ、総合順位もどんどん下がってきた。この日の中で一番辛かったのはこの辺りだった。 7km地点を過ぎると、目印のフジパン・西春工場が現れる。残りは3km弱。足どりは重いものの、残った距離が少なくなってきたのでペースを上げることにした。併走していたランナーを振り切るという意味合いもあった。8kmくらいになると先ほど抜かれた女性ランナーなどの集団が近づいてきた。集団のペースが下がったのではなく、私のペースが上がったため集団が近づいてきたのであった。 9km手前で一気にこれらの3人を抜き返す。さらに少し前に同年代のランナーが視界に入ってきた。「ゴールまでには追いつきそうだ」と思っていたが、西春高校を少し過ぎたくらいで追いついた。息づかいが荒く、一杯一杯で走っているのがわかる。ここで一気に抜き去りペースを上げる。ここから先は、ランナーとの距離が離れすぎていたため、ゴールまでに追いつくランナーはいなかった。ゴールタイムは36分33秒。先月の東海シティマラソンに比べて10秒タイムは縮まった。マラソン練習の最中ではあるが、平坦なコース、微風という条件の中で、せめて36分台の前半で走りたかったと感じた次第である。
本日の戦利品
|