第64回別府大分毎日マラソン大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
●費用
●上位成績
金曜日の夕方の名古屋(中部)→大分便が何と欠航! 昨年は所用があったため東京経由で大分入りしたが、このところの例年は名鉄BCから夜行バスで土曜日の朝に大分入りすることが多かった。この方法であれば土曜日に別府市内や大分市内で前泊するので、夜行バスによる睡眠不足はほぼ解消されるのであるが、年々この方法ですら体力的にきつくなってきたので、今年は決心して中部国際空港から空路大分入りすることに決めた。もちろん土曜日の午前便が欠航になると苦しいので、金曜日の午後便である。 大会の前々日の金曜日は、午後から休暇を取って出発の準備をしていた。飛行機は搭乗手続きに時間がかかるので、なるべく早く空港に行くようにしている。セントレア(中部国際空港)を18時15分に出発するのであるが、名鉄・中部国際空港駅に到着したのは16時36分であった。空港内の売店で大分の知人に渡す土産を購入して、ANAのカウンターには17時頃に着いた。
理由は、仙台空港での大雪で、仙台→名古屋(中部)の便が飛ばず、そのためその機体を使って名古屋(中部)→大分と運航するはずの便の機体と人員のやりくりがつかず、やむを得ず欠航となったとのこと。 名古屋駅に戻って小倉経由で、新幹線と日豊本線のソニックを利用して大分に向かうことも考えたが、費用が高くつきそうなので、ANAの振り替えがきく福岡便で一旦福岡に行って、福岡からは高速バスで大分に向かうことにした。福岡までなら運賃の追加なしでOKとのこと。福岡からのバスの運賃の出費は仕方がない。セントレアから、熊本便、宮崎便の振り替えも出来るということであったが、如何せん降りてから今日のうちに大分までたどり着くことは難しそうなので、迷うことなく福岡経由に変更した。
日曜日の夜に会う元大分県庁のUさんも、東京の会議の後「羽田からの大分便の最終は早いんだよ。だからよく福岡経由で帰るんだ」ということも覚えていたし、また現在ベトナムに赴任中の走友のNさんも福岡の実家から高速バスで大分に来られたりしていたので、福岡→大分・別府はバスもJRの特急もたくさん走っているのは知っていた。こういう情報がここで生きてくるとは思わなかった。
スカイマークの破綻 スカイマークは1月28日(水)、民事再生の申し立てを行い事実上経営破綻した。「ただし業務は継続する」と、ネットや新聞での情報で知っていたので「ホッ」としていた。 この「ホッとしていた」というのは、この別大マラソンの翌週末、国盗りをかけて沖縄へ遠征に行く。昨年10月は台風の影響で、出場予定の沖縄県の大会が中止となり、国盗りが門前払いになったので、そのリターンマッチという位置付けだ。 2月は台風も来る時期でもないのでスムースに沖縄入りが出来ると考えていたが、そこへスカイマークの経営破綻が発生。来週の沖縄への交通手段は往復ともスカイマークによる航空便だ。 民事再生法の適用を受けても、営業が継続されるというニュースの記事でホットしていたのも束の間、1月30日(金)の中日新聞の朝刊によると、名古屋・那覇と名古屋・札幌のスカイマーク便は、2月1日から1日2往復から1日1往復へ減便するとある。「ええ!それはヤバい!」。急いでスカイマークのサイトをみると、何と減便される名古屋・那覇便の2往復のうちの1往復は、いずれも私が利用しようとしていた便である。これでは沖縄に渡ることがそもそも出来ない。またも門前払いの刑だ。 朝から何度も便の変更の手続きをしようとスカイマークに電話をするものの、回線が混雑していて(みんなが一斉に電話しているの当前のことだろう。)とうとう一度も繋がることはなかった。ネットではこういう運休の場合の変更の手続きについて触れていないため、こちらもやむを得ず電話で問い合わせをしようとしたのであった。 結局、電話では手続きが前に進まなかったので、ちょうどセントレアから今回大分に向けて飛行機に乗るついでに、スカイマークのカウンターで手続きを使用と考え出向いた。ここではスムースに手続きは出来、往路は同日の早朝便へ振り替えが出来た。しかしながら復路については、希望便が満席のためキャンセルをすることにした。別の航空会社で変える手段を探さなければならなくなったのであった。 こんなことで、今日は朝から晩までバタバタの連続で、マラソンを走る前からぐったりしてしまった。 大会前日 前日・金曜日の大分入りが、予定よりも3時間近く遅くなってしまったので、大会前日の土曜日は少し朝寝坊をしてゆっくり過ごした。朝食も午前9時過ぎにホテルの食堂に出かけて摂ったが、かなり遅い時間になってしまった。 またコースの終盤をイメージして、NHK大分ビル付近の寿町1丁目交差点からゴールの大分市営陸上競技場までと、競技場のすぐそばの舞鶴川に架かる弁天大橋から新川までを試走した。この日は風が強く、大会当日がこんな風だと記録的には難しいものがあると感じた次第。気温は若干低くても風がないのに越したことはない。 午後からは受付のためにビーコンプラザへ出かける。ランナーの広場が始まってから数年が経過するが、このイベントも落ち着いてきた感じになってきた。初めて参加される方は、キョロキョロするかもしれないが、何度も来ているランナーとしては用事だけ済ませて、早く帰りたいところだろう。大分からだと早く行っても帰りのシャトルバスがなかなか来ずに待たされるので、今年は遅めに出かけて最小限の用事を済ませて帰ることにした。人気のブースの食べ物は無くなるが、やむを得ないだろう。
ウエアの選択が難しかった大会当日 この日の大分県中部の気象予報は「天候:晴れ、最高気温:7℃、風:3m/秒」であった。直近の天気予報の精度は高い。 若いうちはこの天気予報なら、ランシャツ、ランパンに加え手袋程度の出で立ちであっただろう。20年くらい前は、まだアームウォーマーが世の中に存在していなかったので、相当気温が下がってもTシャツにすることすらしなかったが、最近は走るスピードも遅くなりなかなか体も温まってこないので、厚着をすることが増えてきた。とはいえ、気温が急激に上昇すれば、厚着はむしろマイナス。発汗量が増えるため給水の回数が著しく増え、パフォーマンスが低下する。下はランパンにタイツという選択であったが、上は最後まで長袖シャツを着るかどうか迷った。 結局、上はランシャツ+アームウォーマーというようにしたのであるが、スタートの1時間くらい前まで迷いに迷った。この参戦記を書いている時点でもこの選択が正しかったかどうか自信が無いが、50過ぎのオッサンが走るとなると、この日の天候は悩ましい限りだった。
レース 今年のナンバーカードは994番。カテゴリー2ではあるが、極めて1000番に近い数字だ。 若いうちはタイムが伸びるにつれて若い数字になっていったが、最近は逆にどんどん大きくなっている。今回か来年のどちらかで、そこそこのタイムを出さなければ1000番を超えるのも確実であろう。そうは言っても優先的に出場出来るカテゴリー2の枠の中での出場はできる限り続けたい。60歳になるまでは何とかサブスリーは継続したいところである。 11時30分少し前に自衛隊のトラックに荷物を預けに行く。ギリギリ出来ている選手が多く、私が預けたときには〆切の11時30分を超えてしまった。その後、トイレに行ってから整列位置に移動する。11時45分くらいであったが、ほとんどの選手が集合していた。いよいよスタート時間が近づいてくる。 出場資格が2時間40分の時代、スタート前の緊張感は半端なく高かったが、最近は記録が伸びることも無く、どちらかと言えばマイペースの感じで走っているので、昔のような緊張感もない。走友会の若い連中も頑張っているので、こちらはのんびり走らせてもらっているという感じだ。
11時55分くらいになるとうみたまご前から、国道10号線へと移動させられる。いよいよ、16回目の別大マラソンのスタート時間が近づいてきた。今年は道路の中央よりからのスタートとなる。 12時ちょうど。号砲が鳴り響き隊列が動き出す。スタートラインを通過したのは、号砲から10秒後であったが、今年は比較的スムーズな感じだったように思える。昨年はアウトコース(歩道寄り)からのスタートであったが、インコース(道路中央線寄り)の方が混雑が少ないような感じがする。 後方からのスタート組で、インコースの中央分離帯のガードレール横のコンクリートの上を走っていく選手がいた。前が選手で詰まって走路が塞がれているのでやむなく走るのであろうが、アスファルト舗装と違い幅も狭く、転んだりすると道路を走っている選手を巻き込むので非常に危険だ。是非ともやめて欲しい。 さてレースに戻るが1kmの通過が4分13秒。スタートのロスが10秒なので、思ったよりもいいタイムで最初の1kmを入ることが出来た。決して無理して飛ばしているわけではない。2km、3kmと過ぎると別府の市街地に入る。別府北浜のトキハ前付近は、最高の人手であった。今年も別府市民の大きな声援がありがたい。 5km地点の富士観ホテルの前を通過する。20分24秒。今日は20分15秒/5kmで走っていく計画なので、スタートのロス分10秒を差し引けば、まさに計画通りのペースになっている。ただし一つ気になるのが、脚に思ったほど余裕が無いことだ。ドーンと重いわけではないが、余裕を持っているような感じが得られない。後半に橋が動いてくれることを期待して、ポジティブに走ることにする。 富士観ホテルを過ぎると6km地点に歩道橋がある。毎年、ここで大分県庁OBのUさんが応援してくれている。今年も事前に「いつもの歩道橋にいます」と連絡があったので、こちらも「4分/kmのペースで走っていきます」と連絡しておいた。計算上は24分前後でここを通過することになる。Uさんに顔を見てもらうために、この歩道橋の少し前から道路の歩道寄りを走っていく。今年もいましたUさん。軽く挨拶をして先へ進む。この後、9kmあたりで折り返すので、この歩道橋のあるところは折り返し後は12km地点になる。多くの市民の方は、この歩道橋を渡って道路の反対側に移動し、応援をするようである。 国道10号線が亀川バイパスに入った頃から、向かい風が少し強くなってきた。折り返しまで1kmもないので、折り返し後は追い風になることを期待して頑張る。 9kmの折り返しでは数えきれないほどの選手が、私の前を折り返していった。確かに亀川の折り返しを過ぎてから追い風に変わって走りやすくなった。今日は気温がやや低いものの、空気が乾燥しているせいか意外と喉が渇く。早めに給水してパフォーマンスの低下を防ぐことにする。
12kmで6km地点の歩道橋が再び現れる。毎年6kmで応援する大分県庁OBのUさんが歩道橋を渡って反対側の12kmに移動してくる。今年もシナリオ通りに反対側に移動し、応援をしていただいた。こちらも余裕があまりないので軽く手を上げて通過する。 再び別府北浜の市街地を通過するが、復路でも凄い人数の別府市民からの応援をいただいた。今日は少し寒いがいい天候だ。走っていても気持ちがいい。 15kmの東別府駅前を通過する。1時間01分13秒。この5kmは20分33秒なので、想定の範囲内だ。懇親会で教えていただいたのであるが、もう一人の大分県庁OBのIさんは、この東別府駅前で応援されていたとか。選手の数も昔に比べれば多くなったが、応援する人ははるかにそれよりも多いので、なかなか声をかけられないと気がつかないことが多い。 スタート地点のうみたまご前を再び通るが、既にかなりのものが片付けられて通常通りのうみたまごに戻っていた。うみたまごで約18km、まだこの先24kmと半分以上残っている。この先の別大国道はしばらく応援の少ない区間になる。また、道路も改修工事の際に勾配をつけたためこの先は少々走りにくくなっている。気分的に盛り上がりの欠けるのがこの区間で、この辺りから脱落していく選手もポツリポツリ現れるのがこのコースの特徴かもしれない。
20kmの仏崎の通過が1時間22分ちょうど。この5kmは20分47秒とジリジリタイムが落ちている。風は吹いてはいるが常時向かい風というわけでもなく、向きを変えて吹いている。走りに大きく影響をするほどの風ではないので、単純に自分のペースが下がっているだけのことだろう。タイムより体感を優先して走るべきなので、タイムを無理に維持するのはやめて後半に備えることにする。 その先の白木の中間点は、1時間26分36秒。2倍しても2時間53分12秒と、当初の目標の2時間52分台がこの時点で絶望的になった。こうなるとなるべく落ち込みを減らして、なるべくこのタイムに近づけて走ることが目標になる。 西大分からは再び市街地に入り応援が増えてくる。西生石(にしいくし)の交差点で斜め左に曲がり,弁天大橋方面に向きを変える。今日は気温が低い割に、給水を頻繁に取っていてもお腹が満たされない。体感的にはあまり給水は必要なさそうであるが、空気が乾燥しているのと思った以上に発汗しているのであろう。約2.5kmずつ、スポーツドリンクと水を繰り返し取っていったが、体からは「給水は不要」というサインは出ることは決してなかった。 ファミーリーレストランCOCO'S浜町店の前の25km地点は1時間42分55秒。この5kmは20分55秒と、とうとう21分を超えそうなところまでタイムが落ちてきた。この先、このコースの中では唯一のアップダウンと言っていいかもしれない「弁天大橋」越えが待っている。 橋の手前の給水所で給水を取り、ぐっと飲み干し橋越えをする。この橋を越えると右側にゴールの大分市営陸上競技場が見えてくる。調子が悪いと、このまま棄権したくなる誘惑が待っている。収容バスにも乗らずに戻れるメリットはあるが、誘惑に負けてはいけない。 弁天大橋を下って行くといよいよ産業道路に入っていく。新日鐵住金(株)大分製鐵所付近に来ると独特の臭いがする。愛知県にも新日鐵住金(株)名古屋製鐵所があるが、同じ高炉を持つ製鐵所であるので、同じような工程であるはず。臭いはコークスの臭いだろうか。毎年のことではあるが、ここを通ると懐かしく感じる。 その新日鐵住金・正門前での30kmの通過は2時間04分07秒。この5kmは21分12秒と、とうとう21分を超えてしまった。ただし、後方から抜いていく選手がほとんどいないので、ペースが落ちている感じはない。 亀川の折り返しから方向を変えることなく走ってきたが、「三海橋西交差点」で右折する。ここまで約22kmを曲がることなくほぼ直線で走ってきた。さらにその先の「三川交差点」再度右折する。先ほどまで走ってきた産業道路と比べると道路幅は狭くなるが、応援する人たちとの距離は短くなる。声援に応えてガンガン走りたいところであるが、例年のごとくペースが鈍ってきたことが自分でも手に取るようにわかる。ここまでがオーバーペースだったというよりも、明らかに練習不足で、脚が一杯一杯になってきたということだろう。 平和公園先を右折し、浜中交差点を左折し再び産業道路に出たところに25km地点がある。2時間26分20秒。この5kmは22分13秒と先ほどの25〜30kmの5kmに比べてさらに1分遅くなっている。何とか、ここらでペースの落ち込みを止めなければと思うが、なかなか体がいうことをきいてくれない。 再び大分市営陸上競技場の横を通過するが、ここでの声援が一番大きかった。残りは5km少々。棄権して陸上競技場に戻る誘惑を断ち切って弁天大橋を登る。ゴールがすぐそばにあるにもかかわらず、ぐるっと回って遠回りをするというのは精神的に辛い。 37kmを過ぎると「LAST 5km」の表示が現れる。ここからはカウントダウンしながら走ることが出来るので、ゴールタイムを計算しながら走る。今のままだと2時間58分台か?しかしながら浜町交差点を左折してからは明らかに景色の変化が遅くなった。体はカチンコチンのロボットのような動きだろうか。
競技場の最後の1周も端から見ればぎこちないロボットのような走りだっただろう。そしてゴール。タイムは2時間59分29秒。残り30秒。こんなタイムを狙っているわけではないがヒヤヒヤの思いだった。
ゴールには同じ走友会の内藤さんがいた。「加藤さん走りが固まっていましたよ」と。こっちはそれでも必死。後ろ向きでも何でも最後はゴールすればいい。さてその内藤さんは2時間40分切りを宣言していたが、あえなく撃沈した模様。この日の走友会のトップは若武者・伊藤さんで2回目のマラソンながら2時間33分17秒という好タイム。終盤には、金井塚さんを抜いてきたという。どこまで伸びていくのか底知れない楽しみがある。
さて再び私ごとであるが、練習不足で満足なタイムが出ないことは予想されたものの、終わってみれば何とかゴールにはたどり着くことが出来た。ここ数年はやっつけ仕事的な練習ばかりで系統立てた練習が出来ていない。反省することは山ほどあるが、来年も練習時間の確保との戦いが待っているような気がする。 恒例の懇親会
ただしこの日は2回目のマラソンで2時間33分台をたたき出した伊藤さんが初参加。また走友会の女性として初めて別大マラソンを走った前川さんも参加し、20代の若手+女性という新たな顔ぶれで楽しい懇親会となった。 また今大会では2時間33分17秒で伊藤さんが65位、2時間35分07秒で金井塚さんが90位と100位以内に2名が入り、私とは色の違うフィニッシャータオルをゲットしている。また、内藤さんはタイムには不満かもしれないが2時間49分19秒で別大ベスト。服部直さんは3時間07分01秒と自己ベストを更新し、徐々に私の背中が見える位置に近づいてきた。また、女性の前川さんは3時間9分35秒とセカンドベストを達成。Sマネージャーは、途中棄権したものの、昨年よりも距離を伸ばすなど収穫の多い大会だったと思います。
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