第10回記念大会とかしきマラソン 参戦記

 結論から言いますと、47都道府県の国盗りを達成しました!46番目の徳島県の国盗りが平成25年3月でしたので、最後の沖縄県には約2年の期間を要したことになります。

 沖縄県の国盗りは、平成24年11月の尚巴志ハーフマラソンで残り数キロで逆転負け、平成25年11月の与那国島一周マラソンは脱水症状で撃沈、平成26年10月の伊平屋ムーンライトマラソンは台風で大会中止と、沖縄県の国盗りは想像以上に手こずることになりました。今回も天候のことが心配で、まずは渡嘉敷島にたどり着けるかどうかで勝負は半分決まるだろうと思っていました。(大会翌日の「渡嘉敷島→那覇」のマリンライナー(高速船)は、夕方の17:00の便が天候不良のためで12:00出発に繰り上げ運航。1「渡嘉敷島→那覇」のフェリーも15:30の便が同様に13:00出発に繰り上げとなっている)

 大会当日は、前日とはうって変わってやや気温の高い天候でした。
 最初の5kmは13時30分スタートです。スタートから沖縄工の高校生が3人と一般参加のランナーが一人、その後に私という感じで走っていました。途中から集団が3人+2人に分かれますが、最後までマイペースを崩さず18分04秒でゴール。この時点で、総合順位は5位ですが、年代別の順位は不明です。

 ゴールで完走メダルをいただき、胸のチップを外してもらいましたが、完走証も発行してもらわずにスポーツドリンクを1杯だけいただき、あらかじめ用意しておいた2枚目のシャツに着替えてスタートラインに向かいます。

 10kmのスタートは13時50分。スタート場所には1分30秒くらい前に到着しました。そして2種目目のスタートです。今度も数人の沖縄工の高校生が先頭を引いていきます。私は、脚の回復を待つ感じで緩やかにスタートします。5kmコースは概ね平坦でしたが、10kmは阿波連へ行くためにひと山超えていきます。ここがなかなか大変な急坂でさすがに2種目目となると少々心が折れそうになりました。折り返してからはようやく脚が元気になってきたので、往路で苦しんだ峠越えも復路では気分的にスイスイという感じで登ることが出来ました。2人ほど抜いてゴール。タイムは41分48秒。今度は総合順位では6位です。

 年代別の順位の発表まで少し時間がありましたが、午後4時半過ぎに2種目とも1位であることがボード上に発表されました。構想から約10年の歳月が流れましたが、これで47都道府県全てにおいて「年代別優勝を含む優勝を1回以上」達成することが出来ました。長期的な目標でしたが、これほど時間がかかるとは想像していませんでしたが、この「国盗り」が達成出来てホットしているところであります。
 卓越した走力があるわけではありませんが、大会の開催時期を選んだり、交通手段を選んだりしながらの積み重ねで楽しい10年でありました。ところどころで同伴していただいた走友のNさんには何度も激励していただきました。また、励ましをいただいた走友会の面々にも感謝しております。そして子どもたちが中学生になってからは、大半の大会が単独遠征になってしまいましたが、個人の道楽に呆れながらも送り出してくれた家族に感謝しています。
 

●大会名 第10回記念大会とかしきマラソン
●開催日 平成27年2月7日(土)
●コース
 /大会要項
 /プログラム
臨港道路発渡嘉敷小中学校着(沖縄県島尻郡渡嘉敷村)(地図) 

大会要項

プログラム


コースマップ
いずれもクリックすると拡大します
●天 候 晴れ、18℃くらい
●参加賞 Tシャツ、マグロジャーキー2袋、ゼリー(島育ち)、完走メダル、完走証、記録証、飲み物引換券(ビールまたはジュース)、500円分の食券
●結 果 10km 41分48秒(総合 第6位、50歳代男子 第1位)
 5km 18分04秒(総合 第5位、50歳代男子 第1位)
●表彰 賞状×2枚、メダル×2個、マグロジャーキー1kg(抽選会で大当たり!)
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
【2月6日(金)/1日目】
徒歩 自宅 6:39 自由ヶ丘駅 6:52
地下鉄 自由ヶ丘 6:53 金山 7:19 (名城線)
名鉄 金山 7:25 中部国際空港 7:58
飛行機 名古屋(中部) 9:52 那覇 12:22 SKY551便
9:40 12:10
モノレール 那覇空港 15:00 見栄橋 15:14
徒歩 見栄橋駅 15:14 ホテル 15:32
【沖縄オリエンタルホテル/泊】
【2月7日(土)/2日目】
徒歩 ホテル 8:28 泊港 8:32
高速船 泊港 9:00 渡嘉敷港 9:42 マリンライナー
( 9:35 )
【第10回とかしきマラソン】
【 5km 13:30スタート】
【10km 13:50スタート】
送迎車 会場 19:50 ホテル 20:10
【ホテルサンフラワー/泊】
  【2月8日(日)/3日目】
送迎車 ホテル 9:10 泊港 9:20
高速船 渡嘉敷港 10:00 泊港 10:40 マリンライナー
( 10:35 )
徒歩 泊港 10:40 泊港ターミナル 10:45
  【昼食】 
徒歩 泊港ターミナル 11:23 美栄橋駅 11:41
モノレール 美栄橋 11:43 那覇空港 11:57
バス 国内線ターミナル 12:18 LCCターミナル 12:25 LCCシャトルバス
飛行機 那覇 13:45 大阪(関西) 15:45 MM214便
15:40
連絡バス 第2ターミナル 16:02 第1ターミナル 16:08 空港内連絡バス
JR 関西空港 16:16 新大阪 17:07 はるか26号
新幹線 新大阪 17:20 名古屋 18:11 のぞみ40号
地下鉄 名古屋 18:19 本山 18:34 (東山線)
本山 18:38 自由ヶ丘 18:40 (名城線)
徒歩 自由ヶ丘駅 18:40 自宅 18:50
※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
参加料 8,000円 (4,000円×2種目分)
地下鉄 540円 (自由ヶ丘〜金山/名古屋〜自由ヶ丘)
名鉄 1,170円 (金山〜中部国際空港/乗車券+ミューチケット)
モノレール 600円 (那覇空港〜美栄橋/往復)
飛行機 12,000円 (名古屋(中部)〜那覇/スカイマーク)
16,230円 (那覇〜大阪(関西)/ピーチ航空)
高速船 4,840円 (マリンライナー/往復割引。ただし協力税100円含む。)
JR 7,610円 (関西空港→新大阪→名古屋/乗車券+自由席特急券)
宿泊料 3,500円 (沖縄オリエンタルホテル/一泊朝食付き/楽天ポイント100点使用)
7,180円 (ホテルサンフラワー/一泊朝食付き)
合 計 61,670円  
●種目、参加者数(申込人数) 及び 各部優勝者。 (★は加藤が参加した部門
【ハーフマラソン−13時00分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 出身 記録
男子総合 391名 喜友名 俊二 32 うるま市 1゜18’02”
男子高校生〜29歳 (145名) 金城 泰生 18 那覇市 1゜23’58”
男子30歳代  (122名) 仲嶺 和樹 30 沖縄市 1゜24’50”
男子40歳代 (91名) 島田 馨 44 福岡県 1゜32’13”
男子50歳代 (74名) 福田 善憲 50 浦添市 1゜31’16”
男子60歳代 (48名) 目黒 淳美 66 那覇市 1゜40’47”
男子70歳代 (11名) 玉寄 兼勝 70 浦添市 1゜56’50”
男子80歳代 (0名) 該当なし
女子総合 148名 村田 夏希 32 浦添市 1゜27’01”
女子高校生〜29歳 (37名) 前田 晴香 27 愛知県 1゜53’11”
女子30歳代 (42名) 伊藤 千裕 34 那覇市 2゜05’31”
女子40歳代 (34名) 石津 尚子 43 東京都 1゜55’01”
女子50歳代 (20名) 林 美恵子 52 神奈川県 1゜44’55”
女子60歳代 (14名) 立津 ヒロ子 60 浦添市 2゜31’24”
女子70歳代 (1名) 東島 玲子 74 福岡県 2゜44’04”
女子80歳代 (0名) 該当なし
【10km−13時50分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 出身 記録
男子総合 97名 安慶田 佑 18 那覇市 38’43”
男子高校生〜29歳 (14名) 岡 恵登 24 埼玉県 42’32”
男子30歳代 (19名) 照屋 翔 30 糸満市 39’29”
男子40歳代 (25名) 青柳 保伸 46 茨城県 42’33”
★男子50歳代 (18名) 加藤 一郎 52 愛知県 41’48”
男子60歳代 (14名) 金城 淳夫 60 渡嘉敷村 51’57”
男子70歳代 (6名) 本村 信夫 71 浦添市 1゜03’35”
男子80歳代 (1名) 高橋 常秋 80 北海道 1゜02’35”
女子総合 72名 嶋田 いき 26 宜野湾市 42’48”
女子高校生〜29歳 (15名) 川上 芙美 29 恩納村 58’07”
女子30歳代 (21名) 大津 道子 34 東京都 57’07”
女子40歳代 (20名) 山本 敬子 42 神奈川県 1゜07’26”
女子50歳代 (15名) 小林 玲子 53 那覇市 51’18”
女子60歳代 (1名) 山部 弘美 67 徳島県 1゜31’58”
女子70歳代 (0名) 該当なし
女子80歳代 (0名) 該当なし
【5km−13時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 出身 記録
男子総合 57名 大城 義巳 16 那覇市 16’50”
男子中学生 (3名) 該当なし
男子高校生〜29歳 (4名) 大石 大輔 17 那覇市 17’24”
男子30歳代 (4名) 川鍋 直 30 福岡県 24’04”
男子40歳代 (11名) 幸地 健二 41 東京都 28’55”
★男子50歳代 (21名) 加藤 一郎 52 愛知県 18’00”
男子60歳代 (9名) 多和田 真正 67 宜野湾市 24’01”
男子70歳代 (2名) 新里 武光 79 渡嘉敷村 35’43”
男子80歳代 (2名) 門脇 精 82 兵庫県 36’25”
男子90歳代 (1名) 表彰は男子80歳代と合わせて
女子総合 34名 岡田 明莉 25 東京都 27’44”
女子中学生 (1名) 表彰なし
女子高校生〜29歳 (10名) 糸嶺 朋華 16 南風原町 30’04”
女子30歳代 (7名) 工藤 奈々 38 那覇市 31’04”
女子40歳代 (7名) 内藤 彩子 44 宜野湾市 36’54”
女子50歳代 (5名) 藪内 りゅう子 50 東京都 31’15”
女子60歳代 (3名) 齋藤 八重子 60 兵庫県 35’08”
女子70歳代 (1名) 西原 八重子 76 熊本県 31’17”
女子80歳代 (0名) 該当なし
5km招待ゲスト 2名 表彰なし
【3km−13時20分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 出身 誤差タイム
トリムの部男子 87名 仲宗根 盛太  13 浦添市 1”
トリムの部女子 81名
総合計 969人  

移動に冷や汗
 今回、名古屋(中部)〜那覇の往復で利用予定のスカイマークが1月28日に民事再生の申し立てを行い経営破綻している。2月1日から名古屋(中部)〜那覇の2往復を1往復に減便するという。減便対象の便は、往路復路共に私が予定していた便だ。業務を継続するといいながら、いきなりそのあおりを受けることとなった。1月29日に減便の発表なので、予定を変更するのはなかなか大変だった。
 往路は2月6日(金)夕方の便から午前便へ。こちらは空席があったので何とかなった。
 復路は2月9日(月)の早朝便から2月8日(日)の午後便へ変更しようとしたがあいにく満席で復路はやむなくキャンセルし払い戻しをした。仕事が忙しくなってきているので、何とか2月8日(日)中に帰宅しようと考えJAL、ANAの那覇→名古屋(中部)の午後便を探すもののいずれも満席。おまけに料金は3万円以上する。LCC(格安航空)を探したところ、那覇→大阪(関西)のピーチ航空便に空きがあり、また料金も1万6,000円程度なので、時間は少々かかるが関西国際空港経由で帰宅することにした。沖縄だけは往路復路とも飛行機を使わなければ何ともならないので、急な変更により座席を確保するのは大変だった。

 また、復路に渡嘉敷島を出航するのも冷や汗だった。
 大会当日は、那覇市内の泊港から渡嘉敷島へ高速船マリンライナーでスムースに移動したが、この日の夕方から天候が徐々に怪しくなり、後夜祭において「明日のマリンライナーの運航は、天候によっては欠航になる場合があります。明日の午前7時過ぎに有線放送で連絡します。また、欠航になった場合には、午後0時に渡嘉敷→那覇のフェリーの臨時便を出します。」という。
 高速船は波が高くなると、航行に支障がでるのか運休になるが、フェリーは多少のことなら大丈夫のようだ。とはいえ、渡嘉敷→那覇へはフェリーで通常70分。正午出発なら那覇・泊港への到着は順調で13時10分。さらに、徒歩でモノレール美栄橋駅へ移動。美栄橋からモノレールで那覇空港へは15分ほどかかる。さらにLCCターミナルへ移動・・・。ピーチ航空の那覇出発が13時45分なので搭乗は絶望的となる。
 幸い、朝の有線放送で「本日の渡嘉敷港出発のマリンライナーは、1便が10時ちょうど、2便が11時に繰り上げ運航。17時の便は欠航となりますので、17時の便に予定の方は11時の便に乗船するようお願いします。また、15時30分のフェリーは、13時ちょうどに繰り上げ運航し15時30分の便は欠航となりますので、あらかじめご了承ください」と。
 島内の住民への周知をこういう形で随時行っているのであろう。生活の中で、この放送が非常に重要な役割を担っているのがわかる。

 結果的に予定の便は通常運航であったが、欠航にならないかと本当にヒヤヒヤした。昨年の10月の伊平屋ムーンライトマラソンが台風の影響で中止になったが、沖縄への移動があらためて綱渡りであるということが今回も浮き彫りとなった。

往路は午前便のスカイマークで中部国際空港から那覇へ。1日1便となるとカウンターも寂しい限りだ。

出発する2月6日(金)の午前9時30分頃から11時37分までシステム障害が発生し、予約やチェックインが出来なくなった。そのため、9時40分発の便も出発が12分遅れた。写真はチェックイン出来なくなって並ぶ乗客。

那覇空港からはモノレールで移動。2両編成でかわいいですね。

金曜日は移動のみで、この日は泊港近くの沖縄オリエンタルホテルに宿泊。少々古いビジネスホテルだが、朝食付きで3,500円はリーズナブル。

那覇・泊港から渡嘉敷島へは高速船・マリンライナーで移動。1日2便で約35分で到着する。渡嘉敷島からの帰りは、欠航の可能性もあったが何とか運航してもらえた。

渡嘉敷島の島民さんたちは、暖かく出迎えてくれた。他に太鼓の演奏お出迎えもありました。

今回、2月8日(日)に中部国際空港行きの席が確保出来なかったので、ピーチ航空を利用して関西国際空港経由で帰ることにしました。那覇空港でのピーチ航空のカウンターはLCCターミナルという貨物便のターミナルにあり、LCCターミナル行きのシャトルバスで国内線ターミナルからの移動でした。移動時間約8分。

出発ロビー、小さな保安検査場を通り抜け、その先は飛行機まで徒歩移動です。さすがにLCCだけあってコストダウンは徹底していますね。

関西国際空港での到着が遅れたこと、また、関西国際空港でも第2ターミナルから第1ターミナルへ連絡バスで移動のため、JRの駅で切符を買う時間がなくなり、やむを得ず改札口で乗車証明書をもらい乗車しました。当初予定の「はるか26号」には何とか間に合いました。

はるか26号の車内で、乗車券・特急券を購入。こういう買い方をしたのは久しぶりです。

関西空港→新大阪は「はるか26号」で。

新大阪→名古屋は、「のぞみ40号」で移動です。当初予定より、旅費が相当高くつくことになってしまいました。

渡嘉敷島
 渡嘉敷島について少し紹介しておく。

渡嘉敷島へ移動する高速船マリンライナーの座席ポケットに入っていました。
 渡嘉敷島は、那覇の西方約30kmに位置する慶良間諸島の中の最大の島。面積は15.31(km)。ちなみに私の住んでいる千種区が18.23(km)なので、千種区より少し狭い。名古屋市では瑞穂区が11.23(km)、中村区が16.31(km)なのでこの中間にあたる。
 慶良間諸島のうち、渡嘉敷島、前島(前島、ハテ島、ナガンヌ島)、黒島、儀志布島、城島が渡嘉敷村にあたるが、渡嘉敷島と前島以外は無人島。渡嘉敷村の人口は730人。

 渡嘉敷村は昭和53年に「沖縄海岸国定公園」に編集されている。平成17年には島の周辺海域はサンゴ礁が発達し、魚類が豊富に生息しているとして「ラムサール条約の湿地海域」に指定されている。さらに平成26年には世界有数の透明度を誇り、高密度に生息する約250種の多様なサンゴやザトウクジラの繁殖地であることなどから「慶良間諸島国立公園」に指定されている。

 渡嘉敷島への渡航は渡嘉敷村営船が運航されている。那覇・泊港から高速船が1日2往復、フェリーが1往復運航されている。船はいずれも渡嘉敷港に入港する。

 渡嘉敷島の集落は、港、役場など島の中心である「渡嘉敷」、ビーチの美しい「阿波連」「渡嘉志久」の3つ。特に阿波連ビーチは美しく海の透明度が50〜60mに及ぶなど世界でも屈指のビーチだ。海水浴、シュノーケリング、ダイビングなどが楽しめる。那覇からも日帰りが可能。

ここが透明度50〜60mを誇る阿波連ビーチ。大会翌日ここで泳いでいる人がいました。ビックリ!

ダイビングやシュノーケリングが楽しめるというのもうなづけます。

 島の主な産業は観光。全産業の従事者の80%以上を占めている。また島の周辺は好漁場で、一本釣りやはえ縄によるマグロやカツオ漁が行われている。マグロジャーキーは、島の主要なお土産の一つ。また、前述のように冬になるとザトウクジラが繁殖のためにアリューシャン列島から南下し、温暖なこの海域にやってくる。特に渡嘉敷島周辺ではホエールウォッチングが楽しめることでも有名。

フェリー乗場の売店で見つけました。のつまみにはもってこいです!

コース試走
 渡嘉敷島へ渡る公共交通機関としては、前述の通り、那覇・泊港からの高速船・マリンライナーからフェリー・とかしきのいずれかだ。そのため、今大会の選手受付の場所は、渡嘉敷港の乗船場となっている。まことに島外からやってくるランナーにとってわかりやすく設定されている。
 受付でナンバーカードを受け取った後、宿泊先のワゴン車やマイクロバスなどで宿泊先に移動していった選手が多かったように感じた。私の場合、コースの下見と試走がしたかったので、ナンバーカードをランシャツに付けてから試走に出かけることにした。渡嘉敷小中学校の体育館において荷物預かりがあったので、こちらで荷物を預かってもらった。

 googleのストリートビューであらかたコースを見ていたが、走ってみると写真とは違い微妙な起伏がよくわかる。もう一つの違いとしては、コース上に距離表示やカラーコーン、またスタート場所付近には大きなドーム上のアーチ、そして道路の両側にはプランターの鉢植え。島を上げての大会であることを誇らしげにしている感じだ。道路にはゴミも落ちていなく、おそらくこの日のために一生懸命に清掃したのであろう。昼に近くなり気温がやや上昇してきたものの、予定通り大会が開催されそうだ。今回で国盗りを完結するためにも、予定通りに大会が開催されるのはありがたかった。

渡嘉敷港に到着。いよいよ国盗りの戦いの場に到着。

実行委員さんの横断幕。welcomeが嬉しいですね。

こちらは出迎えの太鼓演奏。お出迎えありがとうございました。

こちらは大会実行委員の幹部でしょうか。

渡嘉敷港の乗船待合室が、受付会場です。到着したばかりの選手が慌ただしく受付をします。

こちらは国立沖縄青少年交流の家のでお風呂・シャワーのサービスの受付。会場から施設までマイクロバスでの送迎と無料での利用が出来るそうです。ここで先着順に受付。

左のマイクロバスの運行時刻表。14時25分から16時25分まで20分間隔です。また島内を走る無料のシャトルバスの時刻表は右側。

参加賞の一つの食券(500円分)と飲み物券。そしてお楽しみ抽選券。最後の最後に抽選会で当選しました!賞品は本日の戦利品を参照。

ここがスタート場所。港と渡嘉敷小中学校の間の道路です。

5kmと10kmを選択した理由
 この大会の一番人気はハーフマラソン。539人がエントリー。全参加者が969人なので55%がハーフマラソンにエントリーしたことになる。
 今回はこのハーフマラソンの出場も考えたが、ハーフマラソンのコースは高低差が180mあり、フルマラソン(別大マラソン)からわずか6日後にこのコースでは脚にかかる負担が大きく、国盗りにかかる失敗をこれ以上増やしたくなかったため、ハーフマラソンのエントリーは諦めた。
 となると出場種目をどうするか・・・。10kmにすべきか5kmにすべきか・・・。いろいろ悩んだ末に、両方に出場することにした。5kmのスタートは13時30分。10kmのスタートは13時50分。5kmのコースが概ね平坦で、かつ、距離が正確であれば、フツーに走れば何とかスタート時間に間に合う。2種目の出場が可能かどうか、念のために大会事務局にも問い合わせたが「OK」とのこと。ただし、「ゴール場所とスタート場所は100mほど離れているので、その距離も考慮してください」との返事があった。47都道府県の最後を締めくくる国盗り。スリリングな感じがあって面白そうだ。そういう遊び心もあって、今回は2種目のエントリーとした。

 ハーフマラソンは13時ちょうどのスタート。今回は女優の知花くららさんがスターターを務める。さすが沖縄出身だけあって、地元の人気は高い。スタートのピストルを撃った後は、くららさんにハイタッチを求める選手がたくさんいた。後方の選手は完全にエンジョイ派。沖縄らしい風景だ。

ハーフマラソンのスタート地点に集合する選手たち

先導は白バイ

13時ちょうどにスタート!

スターターは知花くららさん。沖縄では人気があります。

後方の選手はのんびりとスタート

コース紹介(コースガイド)→
こちらを参照してください。

まずは5km
 13時25分頃にスタート場所に移動。先ほどのハーフマラソンと違って、5kmのエントリーは少ない。とはいえ、先ほどのハーフマラソンと同様に沖縄工業高校の生徒が並んでいる。沖縄県立沖縄工業高校は、平成26年度の全国高校駅伝に男子の沖縄県代表として10年ぶり8回目の出場を果たしている沖縄県では駅伝の強豪校だ(ただし、昨年12月の都大路では、58チーム中最下位だった)。レースを主導していくのはおそらく彼らだろうというのは容易に想像出来る。

 13時30分にピストルの合図でスタート。スターターは知花くららさんではなかったがレースには関係ない。予想通り沖縄工業高校の生徒が3人と一般参加の選手一人、そして私と5人ほどが前に出てグループを作る。沖縄工業高校の生徒は話しながら走っている。さすがに余裕がある、というか私が彼らと同じペースで走っているので、彼らが相当ゆったりと走っていると言うことだ。

 5kmのコースは、スタート後一旦北上し、沖縄電力の発電所らしき施設の前を通って、渡嘉敷港の岸壁をなぞるようにして走るコースだ。高校生だけで先頭グループを作る当てが外れたのか、途中から彼らはペースアップを始める。しかし、なぜか3人のうちの一人の高校生は、私と併走する形で走っている。最初の1km(の表示のあるところ)が2分48秒。この距離表示がハーフマラソンの距離表示であり、5km部門はハーフマラソンのコースの一部をショートカットしているのでこんなタイムになってしまった。

 その後、一旦スタート地点の渡嘉敷小中学校前のアーチをくぐり、その先を右折し渡嘉敷の集落の間を走る。この右折してから渡嘉敷村役場前まで一方通行の道路を走る。渡嘉敷島には2日間滞在したが、渡嘉敷小中学校付近から渡嘉敷村役場前が一方通行になっているのを発見した。島の中の一番の集落であり、道が狭いので一方通行にしたのであろう。この辺りは応援も多いので励みになる。
 さてレースの方であるが、3人の先頭グループとはどんどん距離に差が出来、相変わらずもう一人の高校生が私に付き添うような形で走っている。しかし、集落が終わり、コースがゆっくり登りだしたところから高校生は私から離れてペースを上げだした。前を走る2人の同じ学校の生徒に追いつくかどうかを試しているのであろうか。結果的には、置いて行かれるような形となって、ここから先は単独走になってしまった。

 貯水場のようなところを左手に見て5kmコースは折り返す。
 残り1kmのところで14分33秒。予定では14分ちょうどくらいで戻ってくるつもりだった。着替えをして次の10kmに備える時間が短くなっていくので、ここからペースを上げる。
 再び渡嘉敷の集落付近では、応援の声が大きくなって走る気が出てくる。道路が狭いというのは、応援する人との距離が近くて良い。

 最後は渡嘉敷小中学校の正門から入り、渡嘉敷幼稚園と小中学校の校舎の間を走り抜け、グランドを反時計回りに走ってゴール。18分04秒。最後の1kmはペースを上げたせいか、何とか次の10kmまで2分ほどの時間が出来た。

2種目優勝で完結
 ゴールをすると係の女性が完走メダルを首にかけようとするが、取り外す時間がもったいないので手でもらう。ナンバーカードのチップだけは返さなければならないので、袋を破って外してもらった。完走証の交付など後回し、給水所でコップ1杯だけスポーツドリンクをもらい、急いで体育館横の荷物を置いておいた場所に移動する。今着ていたランシャツを脱ぎ、10kmのナンバーカードの付いたランシャツに着替える。急いでスタート地点に行って前の方に並ばせてもらう。「10kmのスタートの1分前です」とアナウンスが・・。ゴールしてからバタバタといろんなことをしたが、思ったよりも時間に余裕が出来た。もう一度ストレッチや軽い体操をして備える。

 13時50分、2種目目の10kmがピストルの合図と共に始まった。
 10kmのコースはハーフマラソンや5kmと違い、渡嘉敷港付近を走らず、いきなり渡嘉敷裏役場の方へ走り出すコースだ。そのため、スタート場所は同じであるが、走る向きが逆になっている。

 スタート後は、先ほどの5kmと同様、沖縄工業の生徒が前を走る。学校の意向か選手の意向かはわからないが、ハーフマラソン、10km、5kmと数人ずつ分散してエントリーしている。10kmは先ほどの5kmと少々違ってこの高校生の他に一般のランナーも数人が私の前を走っている。ナンバーカードが一枚でかつ、年齢ごとにナンバーカードを分けていないので、私と同年代の選手がいるのかどうかは全くわからない。

 さすがにインターバル走のような感じでの2種目目なので、序盤はまだ息も整わず、また脚の張りがやや残った感じなので序盤はゆったりと走る。先ほどの5kmの折り返しを過ぎると、登り坂が急にきつくなってきた。この先は試走をしていないので、イメージだけでレースを進めていく。この先折り返しの阿波連の集落までは山道になるので集落はないはずであるが、道路の途中になぜか別荘のような家があり、私設エイドが設置されていたのでしっかり利用させていただいた。
 とにかくこの往路の登りが、今日の走った中では一番きつかったが、ほぼ登り切ったところから右手に広がる東シナ海はきれいだった。ビーチも遠目に見えたが、そこは渡嘉志久ビーチで阿波連ビーチと同じく透明度の高いビーチだった。

コースの途中で見えてくる渡嘉志久ビーチ。阿波連よりも小さな集落ではあるが、渡嘉敷島においては、阿波連と並ぶ2大ビーチ。

 ここまで登ってきた道は、登り切ったところからはしばらく平坦なところが続き、あるところからは一気に下り出すというものだった。下りだしてからはコースは右へ左へとカーブが続く。ハーフマラソンの上位の選手たちともこの辺りで次々とすれ違う。

 そうこうしているうちに眼下に集落が見えだしてきた。この集落は10kmコースの折り返しのある阿波連の集落であり、この日の宿泊先のホテルサンフラワーもこの阿波連にある。下りきったところの集落に住む人々が、自分の家の前で応援を繰り広げる。おじいちゃんおばあちゃんが圧倒的に多いが、沖縄ではこれまでもよく見かけた風景だった。

阿波連の集落。ダイバー目当ての民宿やペンションが多く見られる。この時期は閑散としているが、夏場は海を楽しむスポットであることは間違いない。

 阿波連の集落のちょうど真ん中あたりだろうか、左折すると宿泊先のホテルサンフラワーがあった。阿波連小学校のの横を通り抜けると折り返し地点があったが、ここでは7番目に折り返す。

01 10kmコースは坂を下りきった後、集落に入る。
02 阿波連ビーチが向こうに見えてくるが、その手前の四つ辻を左へ曲がる。

03 曲がったところは少し道が狭くなるが・・・

04 宿泊先のホテルサンフラワーの前を通る。

05 阿波連小学校の前を通り・・・

06 その先を少し行ったところに10kmの折り返し地点がある。

07 阿波連小学校前が10kmコースの中間点となる。

08 再びホテルサンフラワーの前を通り・・・

09 先ほど(写真02)の四つ辻を曲がり・・・

10 先ほど下ってきた坂を再び登り、渡嘉敷の集落に向かう

 再び、阿波連の人々の声援を受けて今度は先ほどやってきた道を登っていく。ようやく脚の動きも良くなりだし、今度は比較的ピッチもまずまずの感じで登り出せた。この復路の登り坂で一人の選手を抜いて順位を6位に上げる。アドレナリンの分泌がいいのか後半はテンションが高く、登り切った後の切り替えも上手くいき下り坂も軽快な感じで下って行った。


阿波連から渡嘉敷の街までは、このような山越えの道が続く。
 渡嘉敷の集落からは再び多くの島民の応援が始まり、二度目の渡嘉敷小中学校の門をくぐった。先ほどの5kmと同じようにグランドを一周してゴール!タイムは41分48秒。高低差が100mほどあるコースであり、5kmを1本走った直後なのでタイム的には満足出来ないが、予定通り2種目を消化出来た。
 記録証を発行してもらいに行ったが、そこにはタイムと総合順位の記載しかないため年代別の優勝が出来たかどうかはその時点ではわからなかった。

 午後3時過ぎから男女とも総合3位までの表彰が始まった。表彰式はわりとこぢんまりとしたものであった。年代別の表彰については放送が聞き取れなかったが、その時点では後ほど発表のようで結局、午後4時半過ぎにホワイトボードに係員の手書きで発表された。ここで2種目の優勝が確定した。年代別表彰については、特に表彰式はなく、大会本部に賞状とメダルをもらいに行くという地味なものだった。「最後くらいは盛大に・・・」と思いはするものの、とはいえこの大会を私物化にするわけにはいかないので、そのあたりはぐっと堪え普通にお礼だけ述べた。係の女の子は、私が2種目優勝していることを不思議にも思わず、淡々と賞状とメダルを渡すだけだった。地味な終わり方だったかもしれないが、特別待遇を好まない私にとってはちょうど良かったかもしれない。

渡嘉敷小中学校の体育館横からグランドへ。

こんな感じで花道が用意されています。
もうすぐゴールです
続々とランナーがゴールしていきます。
 ゴールすると一人ずつ完走メダルをかけてもらえます。
ゴールそばには給水所があります。この日は気温が少々高く、給水所は賑わっていました。

体育館の荷物預かり所。島外からの参加者には大助かりです。

こちらはマッサージ。ハーフマラソンの参加者のみが対象です。
こちらはホワイトボードに書かれた総合3位までの選手と各年代別の優勝者。5kmを走ってから10kmを走って、そして年代別ながらも2種目優勝した変人は初めてだったかもしれない。それなりの走力があれば出来ないことはないだろうが、あえて実践するとなると面倒くさくてやらないだろう。とかしきマラソンの伝説になったりして・・・。 

夕方になるにつれて天候は曇りがちになってきましたが、雨も降らずに渡嘉敷小中学校のグランドに陣取る選手やその家族がたくさんいました。一日がかりで大会を、そして会場を楽しむという意味ではいい風景ですね。愛知県ではなかなか見られない光景です。

ふれあいパーティー〜渡嘉敷島のみなさんお世話になりました
 ふれあいパーティー(後夜祭)は、まだ太陽が沈まぬうちに始まった。日本最西端の沖縄県とは言え2月の夕暮れは決して遅くはない。しかしながら昼中は走っていると少々暑く感じたが、夕方になってくると、本州同様寒くなってきた。名古屋の11月の上旬から中旬くらいの気候だろうか。

 ふれあいパーティーは、大会長の歓迎の挨拶の後、「ハワイアンフラ(フラダンス)」から始まった。一昨年参加した日本最西端の「与那国島一周マラソン」の後夜祭でも確かフラダンスがあったはずだ。沖縄県においては、マラソン大会の後夜祭にはフラダンスが定番?なのか、この大会でもフラダンスが披露された。

会場内には多くの飲食物を扱うブースが立ち並んだ。参加賞の中には、500円分の飲食物の引き替えが出来ることもあって、人気のブースには多くの参加者が並んだ。

人口730人の島で、これだけ賑やかに出店が出せるとは・・・。沖縄本島からのお手伝いもあるのでしょうか。

「マグロ」という文字がやたらと目立ちます。

どれをとっても美味しそうです。たまらないなあ・・・。

飲み物券が2枚あったので、飲み物を2本選びました。もちろんそれは・・・。

「ガーリック風味・島魚のホイル焼き」思わず食欲をそそります。

思わず買ってしまいました。もちろん飲み物は先ほど引き替えたオリオンビールです。

やきとりも美味しそうだし・・・

「海人そば」というネーミングにも惹かれ思わず買ってしまいました。

いやはや、ご当地グルメがこんなに簡単に楽しめるとは!サイコー!

後夜祭の泡盛は、フリードリンクで何杯でもOKです。

いやー!今日は最高です!止まりません!

カニ大好きです!「アサヒガニ」というのは初めて。好奇心たっぷり!

やっぱり買っちゃいました。身は少なかったですが、まずまずのお味です。

いくら沖縄とは言え、踊っている方は少々寒かったかもしれません。

走り終えた人々とその家族、仲間、大会のスタッフなど、凄い人だかりでした。パーティは楽しいですね。

渡嘉敷村民ナンバーワン表彰もあります。いつの間にか、あたりはすっかり暗くなりました。

慶良間太鼓同志会さんによる太鼓の演奏

渡嘉敷節

 ハワイアンフラの後のアトラクションとしては、慶良間太鼓同志会による太鼓の演奏、遠来賞、最高齢者賞、、ハーフマラソン渡嘉敷島ナンバーワン表彰などの特別表彰、渡嘉敷節の披露などが行われ、ふれあいパーティーは徐々に盛り上がっていった。

 一昨年参加した「与那国島一周マラソン」の後夜祭でも似たような感じのことが次々と行われていった。子どもたちの演舞などところどころで「一体何で後夜祭でこんなことするの?」となかなか意味が理解出来ないアトラクションもいくつかあったが、与那国島一周マラソンで仲良くなった石垣島からやってきた女の子たちが「与那国島の人たちは、いろんなことを練習しても披露する場がないから、こういう機会に披露しているんですよ。」と説明してくれた。なるほど小学校や中学校の劇や合唱の発表会と同じと思えば妙にうなずける。島外からの参加者への歓迎のアトラクションと、自らの成果を発表するという2つのことが同時に達成出来るまさに「一石二鳥」の場。沖縄のマラソン大会における後夜祭というのはそういうものであるということをその時初めて知った。

 ふれあいパーティーが中盤にさしかかった頃に、抽選会が行われた。
 あらかじめ抽選箱に入れておいた自分の抽選券の半券が、今からこの場で引かれていく。1等は液晶テレビかプラズマテレビか忘れたが、そんな大きなものは当たっても持ち帰れないので、「渡嘉敷島の特産品の一つでも当たればいいなあ」と思っていた。抽選会が進むにつれて、だんだん賞品が減り、遂に1等のテレビの抽選も外れた。
 「まあ、抽選だから・・・」と思っていたときに、ステージの方で「まだ賞品あるの?」とMCがアナウンス。誰かが何やら袋を持ってステージへ走っていく。MCが「なんとこれはマグロジャーキーです。中味は1kg!」参加賞にもマグロジャーキーが入っていたが、渡嘉敷港の待合室の土産物売り場で見たが、50gのものが300円で売られていた。ということは・・・。

 MCが「本当に最後の抽選です。当選の人の番号は・・・904番です。904番の人いますか〜!」と。ハズレ続けていた私であるが、手元の札を見ると「904」と書いてある。「お、お、オレが当たった?」もう一度見直すが、確かに「904」という半券が手元にある。早く行かないと権利がなくなってしまうので、急いで両手を振ってステージに向かう。
 いやはや、最後の最後の抽選で当たるというのは想定外だった。ホンネからいえば、当たれば儲けもの。当たらなくても仕方がないくらいの意識だったのであるが、いざ当たってみると嬉しかった。

 ステージに行けば、「まずは、上がってください。」とMC。証拠の半券を出すと「確かに904番です」とMC。「今日は今日は何キロを走られましたか?」と聞かれたので、私は「5kmと10kmと2種目です」と。「え〜、2種目ですか?これは伝説ですね!」と。
 『実は今日は国盗りのためにこの島にやってきて、2種目で年代別優勝して47都道府県の全ての大会での優勝で、国盗りが完結しました。非常に思い出深い大会になりまして、また、おまけに最後の最後に抽選会で当選して生涯忘れない大会になりました。』と、喉元まで出かけていたが、、大会を私物化しないようにぐっと飲み込んだ。5kmと10kmと2種目走っただけで「伝説ですね!」といわれれば、それ以上いう必要もないと感じたのであった。

 ビール、泡盛と飲んで徐々に酔いが回ってきた。時間も午後7時を過ぎている。
 そろそろ宿泊先の「サンフラワー」さんも迎えに来ているかもしれないので、ふれあいパーティーの途中であったが会場を後にして、渡嘉敷港の乗船待合室に向かう。各宿泊先の出迎えは、この乗船待合室前の駐車場で行われる。サンフラワーさんのワゴンが見当たらないので、電話をしたところ1回目の客を乗せてホテルで下ろし、2回目の客であるわれわれを乗せるためにこちらに向かっているという。ホテルサンフラワーは10kmコースの折り返し地点付近にあるので、渡嘉敷港とホテルとの間を往復すると単純に10kmの距離となる。今日は一体何往復したのであろうか。

 一部の客がふれあいパーティーの最後までいたようなので、その客が来るまでサンフラワーのワゴンで待機し、集まったところで出発した。昼中10kmを走ったところをワゴンはどんどん走っていく。山道をくねくね登っていくが、昼中はしっかり景色が見えたものの、夜になると街路灯もなく真っ暗だった。
 車中で、サンフラワーの主の関根さんが運転しがてら「今日は子どもが3kmに出場するというので送りがてら見ていたが、5kmの人かな、ゴールしたら急いで水を飲んで、そのままスタート地点に走っていった人がいたけどもしかしたらあのまま10kmを走りにいったのだろうか?」という。
 「あっ、それオレです。」と私。関根さんに目撃されていたのだった。同じ車の人からは「ハーフマラソンに出ればいいのに」とか「そんなこと出来るんだ」とか、いろいろ意見があったが、国盗りの話をすると面倒なので「なかなかいい大会ですね」と話を濁しておいた。

ホテルサンフラワーの客室。シングルにもかかわらず、ツインの部屋を用意してもらいました。

サンフラワーの朝食

翌朝、渡嘉敷港まで送っていただきました。

こちらは渡嘉敷港の乗船待合室前で荷物を下ろすところ。2日間ありがとうございました。

 サンフラワーの主の関根さんは、埼玉県から渡嘉敷島に移り住んだ人だという。子どもさんは3人ほどいるが一番下の娘さんを出産した際に奥さんが亡くなられたとサンフラワーのサイトに書かれている。その一番下の娘さんも4歳となり、上の二人の兄弟とも遊ぶことが出来るようになり、関根さんの手から少しずつ離れていくようになったという。宿泊する日の夜、その娘さんもひょっこり現れたが、かわいくてわが家に連れて帰りたいほどだった。

 渡嘉敷島の保育園は大会のメイン会場の渡嘉敷小中学校に隣接する渡嘉敷保育園だけなので、朝スクールバスが迎えに来て連れて行かれるという。小学校は、このホテルのすぐそばにある阿波連小学校に通う。全校生徒は20人。小さいだけあって、オリジナルの行事がたくさんあって小回りがきくという。そして中学校は渡嘉敷中学校だけなので、こちらもスクールバスで阿波連からの通学となるそうだ。海がきれいであり自然豊かなこの島で少人数の教育を受けられるので、子どもたちはのびのびと育っているだろう。
 ただし阿波連の主要なお客さんであるダイビング客がかなり減っているので、このホテルもなかなか満室になることはないそうだ。年齢は聞かなかったが、私と歳が近そうな関根さんには頑張って欲しいとエールを送りたい。

 そして大会翌日、早朝8時前の島内の有線放送で、午前10時の高速船は予定通り運航する旨の放送が流れた。短い時間であったが阿波連を後にして渡嘉敷港へ向かう。
 今度は明るい時間帯なので、関根さんの運転するサンフラワーのワゴンは昨日の10kmコースをそのまま渡嘉敷へ向かう。車には宿泊客の他に、関根さんが飼っているプードル?も乗ってきた。クロちゃんというそうだが、山道を右へ左へと走るところを上手にバランスを取りながら車内で立っていた。宿泊客を見送るときは、いつもこんな感じであろうか。山道でも酔うこともなく、車中の旅を楽しんでいるようにも見える。
 渡嘉敷港への道中で私が車窓から写真撮影をしていると、関根さんは気を利かせて途中で車を止めてくれた。昨日同様、コースの頂上付近からみた渡嘉志久ビーチはきれいだった。時間があれば、自ら島内をレンタカーなどで廻って巡りたかったくらいであったが、立て込んでいる仕事を進めなければならないので、今日のうちに名古屋まで戻らなければならない。

 ホテルサンフラワーのワゴンは10分ほどで渡嘉敷港に到着した。道中、信号が全然無く、また道路も渋滞することも無いため。阿波連と渡嘉敷との時間は読めるのだろう。
 短い間であったが、サンフラワーの関根さんにはお世話になったし、ここでは書き切れないが大会事務局、住民のみなさん、係のみなさんにもお世話になった。最後の国盗りの地となったこの島のことは忘れられないだろう。
 また、10時に出港する高速船の船内から岸壁を見たが、凄い人の数の見送りだった。到着したときもそうであったが、見送りもこの島の人のできる最高のもてなしだったと思う。ありがとう渡嘉敷島!ありがとう"とかしきマラソン!”

番外編
 この大会に参加された方で、この大会をどんな風に感じているかいろいろ調べたところ、ある方のブログに以下のように書かれていたので紹介いたします。恥ずかしいやら嬉しいやら。
(前略)
とかしきマラソン大会。日差しの中830人が完走と新聞に出てました。
新聞みたら、完走者の名前が載ってました。わたしの名前も完走したから載ってました。

ところで、新聞観てちょっとびっくりしたのですが、5キロで完走された、愛知県の50代のある男性は、男子総合5位で完走。10キロでも男子総合6位に入っていたのです。

5kmのスタート時間が13時30分から。10kmのスタート時間が13時50分から。つまりその愛知県から来られた50代のその男性は5キロを走り終わった後、ほとんど休まずに、10kmも走った事になります。そんな事出来る人いるんだ?って同じ名前で載っていたからヤッパ同じ人ですよね?年齢まで同じだった。もしもそれが事実なら、スゴスギル (・・;)しかもその方は50代。マラソンに、男も女も、年齢とかもあまり関係ないのかな?努力すれば50代でも頑張れるのかな?

わたしも50代だけど、頑張ろうと思いました。
(後略)

本日の戦利品


表彰式の担当の女の子に写真撮影をお願いいたしました。

最上段が左が10km男子50歳代、右が5km男子50歳代のそれぞれ第1位の表彰状。中段左側の二つの赤いものは、優勝メダルです。優勝メダルの下は、後夜祭で配布されていた記録表。その右側のものは、後夜祭の抽選の最後の賞品で大当たりしたマグロジャーキー約1kg。港の売店で300gで1,300円で販売されていたので、約1kgなら5,000円ほどの価格でしょうか!

優勝メダルの裏と表。琉球ガラスで作られているようです。

こちらは参加賞。2種目に出場したので、全て2倍の数です。一番左側がTシャツ(黒色)。中央上の4つはマグロジャーキー30g×4つ(一つ300円で売っていました)。その下がナンバーカード。ナンバーカードの右側が島育ちゼリー、ナンバーカードの下の紫色のものは完走メダル。一番右のものは完走証です。

Tシャツ(表)
 
Tシャツ(裏)。大会当日、このTシャツを着て走っている人をたくさん見かけました。
 
こちらは完走後にもらえるメダル。渡嘉敷島の宿泊先の「ホテルサンフラワー」の小学生の子どもさんも、この完走メダルが欲しいが為に3km部門に出場していたとか・・・。