第10回記念大会とかしきマラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
移動に冷や汗 今回、名古屋(中部)〜那覇の往復で利用予定のスカイマークが1月28日に民事再生の申し立てを行い経営破綻している。2月1日から名古屋(中部)〜那覇の2往復を1往復に減便するという。減便対象の便は、往路復路共に私が予定していた便だ。業務を継続するといいながら、いきなりそのあおりを受けることとなった。1月29日に減便の発表なので、予定を変更するのはなかなか大変だった。 往路は2月6日(金)夕方の便から午前便へ。こちらは空席があったので何とかなった。 復路は2月9日(月)の早朝便から2月8日(日)の午後便へ変更しようとしたがあいにく満席で復路はやむなくキャンセルし払い戻しをした。仕事が忙しくなってきているので、何とか2月8日(日)中に帰宅しようと考えJAL、ANAの那覇→名古屋(中部)の午後便を探すもののいずれも満席。おまけに料金は3万円以上する。LCC(格安航空)を探したところ、那覇→大阪(関西)のピーチ航空便に空きがあり、また料金も1万6,000円程度なので、時間は少々かかるが関西国際空港経由で帰宅することにした。沖縄だけは往路復路とも飛行機を使わなければ何ともならないので、急な変更により座席を確保するのは大変だった。 また、復路に渡嘉敷島を出航するのも冷や汗だった。 大会当日は、那覇市内の泊港から渡嘉敷島へ高速船マリンライナーでスムースに移動したが、この日の夕方から天候が徐々に怪しくなり、後夜祭において「明日のマリンライナーの運航は、天候によっては欠航になる場合があります。明日の午前7時過ぎに有線放送で連絡します。また、欠航になった場合には、午後0時に渡嘉敷→那覇のフェリーの臨時便を出します。」という。 高速船は波が高くなると、航行に支障がでるのか運休になるが、フェリーは多少のことなら大丈夫のようだ。とはいえ、渡嘉敷→那覇へはフェリーで通常70分。正午出発なら那覇・泊港への到着は順調で13時10分。さらに、徒歩でモノレール美栄橋駅へ移動。美栄橋からモノレールで那覇空港へは15分ほどかかる。さらにLCCターミナルへ移動・・・。ピーチ航空の那覇出発が13時45分なので搭乗は絶望的となる。 幸い、朝の有線放送で「本日の渡嘉敷港出発のマリンライナーは、1便が10時ちょうど、2便が11時に繰り上げ運航。17時の便は欠航となりますので、17時の便に予定の方は11時の便に乗船するようお願いします。また、15時30分のフェリーは、13時ちょうどに繰り上げ運航し15時30分の便は欠航となりますので、あらかじめご了承ください」と。 島内の住民への周知をこういう形で随時行っているのであろう。生活の中で、この放送が非常に重要な役割を担っているのがわかる。 結果的に予定の便は通常運航であったが、欠航にならないかと本当にヒヤヒヤした。昨年の10月の伊平屋ムーンライトマラソンが台風の影響で中止になったが、沖縄への移動があらためて綱渡りであるということが今回も浮き彫りとなった。
渡嘉敷島 渡嘉敷島について少し紹介しておく。
慶良間諸島のうち、渡嘉敷島、前島(前島、ハテ島、ナガンヌ島)、黒島、儀志布島、城島が渡嘉敷村にあたるが、渡嘉敷島と前島以外は無人島。渡嘉敷村の人口は730人。 渡嘉敷村は昭和53年に「沖縄海岸国定公園」に編集されている。平成17年には島の周辺海域はサンゴ礁が発達し、魚類が豊富に生息しているとして「ラムサール条約の湿地海域」に指定されている。さらに平成26年には世界有数の透明度を誇り、高密度に生息する約250種の多様なサンゴやザトウクジラの繁殖地であることなどから「慶良間諸島国立公園」に指定されている。 渡嘉敷島への渡航は渡嘉敷村営船が運航されている。那覇・泊港から高速船が1日2往復、フェリーが1往復運航されている。船はいずれも渡嘉敷港に入港する。 渡嘉敷島の集落は、港、役場など島の中心である「渡嘉敷」、ビーチの美しい「阿波連」「渡嘉志久」の3つ。特に阿波連ビーチは美しく海の透明度が50〜60mに及ぶなど世界でも屈指のビーチだ。海水浴、シュノーケリング、ダイビングなどが楽しめる。那覇からも日帰りが可能。
島の主な産業は観光。全産業の従事者の80%以上を占めている。また島の周辺は好漁場で、一本釣りやはえ縄によるマグロやカツオ漁が行われている。マグロジャーキーは、島の主要なお土産の一つ。また、前述のように冬になるとザトウクジラが繁殖のためにアリューシャン列島から南下し、温暖なこの海域にやってくる。特に渡嘉敷島周辺ではホエールウォッチングが楽しめることでも有名。
コース試走 渡嘉敷島へ渡る公共交通機関としては、前述の通り、那覇・泊港からの高速船・マリンライナーからフェリー・とかしきのいずれかだ。そのため、今大会の選手受付の場所は、渡嘉敷港の乗船場となっている。まことに島外からやってくるランナーにとってわかりやすく設定されている。 受付でナンバーカードを受け取った後、宿泊先のワゴン車やマイクロバスなどで宿泊先に移動していった選手が多かったように感じた。私の場合、コースの下見と試走がしたかったので、ナンバーカードをランシャツに付けてから試走に出かけることにした。渡嘉敷小中学校の体育館において荷物預かりがあったので、こちらで荷物を預かってもらった。 googleのストリートビューであらかたコースを見ていたが、走ってみると写真とは違い微妙な起伏がよくわかる。もう一つの違いとしては、コース上に距離表示やカラーコーン、またスタート場所付近には大きなドーム上のアーチ、そして道路の両側にはプランターの鉢植え。島を上げての大会であることを誇らしげにしている感じだ。道路にはゴミも落ちていなく、おそらくこの日のために一生懸命に清掃したのであろう。昼に近くなり気温がやや上昇してきたものの、予定通り大会が開催されそうだ。今回で国盗りを完結するためにも、予定通りに大会が開催されるのはありがたかった。
5kmと10kmを選択した理由 この大会の一番人気はハーフマラソン。539人がエントリー。全参加者が969人なので55%がハーフマラソンにエントリーしたことになる。 今回はこのハーフマラソンの出場も考えたが、ハーフマラソンのコースは高低差が180mあり、フルマラソン(別大マラソン)からわずか6日後にこのコースでは脚にかかる負担が大きく、国盗りにかかる失敗をこれ以上増やしたくなかったため、ハーフマラソンのエントリーは諦めた。 となると出場種目をどうするか・・・。10kmにすべきか5kmにすべきか・・・。いろいろ悩んだ末に、両方に出場することにした。5kmのスタートは13時30分。10kmのスタートは13時50分。5kmのコースが概ね平坦で、かつ、距離が正確であれば、フツーに走れば何とかスタート時間に間に合う。2種目の出場が可能かどうか、念のために大会事務局にも問い合わせたが「OK」とのこと。ただし、「ゴール場所とスタート場所は100mほど離れているので、その距離も考慮してください」との返事があった。47都道府県の最後を締めくくる国盗り。スリリングな感じがあって面白そうだ。そういう遊び心もあって、今回は2種目のエントリーとした。 ハーフマラソンは13時ちょうどのスタート。今回は女優の知花くららさんがスターターを務める。さすが沖縄出身だけあって、地元の人気は高い。スタートのピストルを撃った後は、くららさんにハイタッチを求める選手がたくさんいた。後方の選手は完全にエンジョイ派。沖縄らしい風景だ。
コース紹介(コースガイド)→こちらを参照してください。 まずは5km 13時25分頃にスタート場所に移動。先ほどのハーフマラソンと違って、5kmのエントリーは少ない。とはいえ、先ほどのハーフマラソンと同様に沖縄工業高校の生徒が並んでいる。沖縄県立沖縄工業高校は、平成26年度の全国高校駅伝に男子の沖縄県代表として10年ぶり8回目の出場を果たしている沖縄県では駅伝の強豪校だ(ただし、昨年12月の都大路では、58チーム中最下位だった)。レースを主導していくのはおそらく彼らだろうというのは容易に想像出来る。 13時30分にピストルの合図でスタート。スターターは知花くららさんではなかったがレースには関係ない。予想通り沖縄工業高校の生徒が3人と一般参加の選手一人、そして私と5人ほどが前に出てグループを作る。沖縄工業高校の生徒は話しながら走っている。さすがに余裕がある、というか私が彼らと同じペースで走っているので、彼らが相当ゆったりと走っていると言うことだ。 5kmのコースは、スタート後一旦北上し、沖縄電力の発電所らしき施設の前を通って、渡嘉敷港の岸壁をなぞるようにして走るコースだ。高校生だけで先頭グループを作る当てが外れたのか、途中から彼らはペースアップを始める。しかし、なぜか3人のうちの一人の高校生は、私と併走する形で走っている。最初の1km(の表示のあるところ)が2分48秒。この距離表示がハーフマラソンの距離表示であり、5km部門はハーフマラソンのコースの一部をショートカットしているのでこんなタイムになってしまった。 その後、一旦スタート地点の渡嘉敷小中学校前のアーチをくぐり、その先を右折し渡嘉敷の集落の間を走る。この右折してから渡嘉敷村役場前まで一方通行の道路を走る。渡嘉敷島には2日間滞在したが、渡嘉敷小中学校付近から渡嘉敷村役場前が一方通行になっているのを発見した。島の中の一番の集落であり、道が狭いので一方通行にしたのであろう。この辺りは応援も多いので励みになる。 さてレースの方であるが、3人の先頭グループとはどんどん距離に差が出来、相変わらずもう一人の高校生が私に付き添うような形で走っている。しかし、集落が終わり、コースがゆっくり登りだしたところから高校生は私から離れてペースを上げだした。前を走る2人の同じ学校の生徒に追いつくかどうかを試しているのであろうか。結果的には、置いて行かれるような形となって、ここから先は単独走になってしまった。 貯水場のようなところを左手に見て5kmコースは折り返す。 残り1kmのところで14分33秒。予定では14分ちょうどくらいで戻ってくるつもりだった。着替えをして次の10kmに備える時間が短くなっていくので、ここからペースを上げる。 再び渡嘉敷の集落付近では、応援の声が大きくなって走る気が出てくる。道路が狭いというのは、応援する人との距離が近くて良い。 最後は渡嘉敷小中学校の正門から入り、渡嘉敷幼稚園と小中学校の校舎の間を走り抜け、グランドを反時計回りに走ってゴール。18分04秒。最後の1kmはペースを上げたせいか、何とか次の10kmまで2分ほどの時間が出来た。 2種目優勝で完結 ゴールをすると係の女性が完走メダルを首にかけようとするが、取り外す時間がもったいないので手でもらう。ナンバーカードのチップだけは返さなければならないので、袋を破って外してもらった。完走証の交付など後回し、給水所でコップ1杯だけスポーツドリンクをもらい、急いで体育館横の荷物を置いておいた場所に移動する。今着ていたランシャツを脱ぎ、10kmのナンバーカードの付いたランシャツに着替える。急いでスタート地点に行って前の方に並ばせてもらう。「10kmのスタートの1分前です」とアナウンスが・・。ゴールしてからバタバタといろんなことをしたが、思ったよりも時間に余裕が出来た。もう一度ストレッチや軽い体操をして備える。 13時50分、2種目目の10kmがピストルの合図と共に始まった。 10kmのコースはハーフマラソンや5kmと違い、渡嘉敷港付近を走らず、いきなり渡嘉敷裏役場の方へ走り出すコースだ。そのため、スタート場所は同じであるが、走る向きが逆になっている。 スタート後は、先ほどの5kmと同様、沖縄工業の生徒が前を走る。学校の意向か選手の意向かはわからないが、ハーフマラソン、10km、5kmと数人ずつ分散してエントリーしている。10kmは先ほどの5kmと少々違ってこの高校生の他に一般のランナーも数人が私の前を走っている。ナンバーカードが一枚でかつ、年齢ごとにナンバーカードを分けていないので、私と同年代の選手がいるのかどうかは全くわからない。 さすがにインターバル走のような感じでの2種目目なので、序盤はまだ息も整わず、また脚の張りがやや残った感じなので序盤はゆったりと走る。先ほどの5kmの折り返しを過ぎると、登り坂が急にきつくなってきた。この先は試走をしていないので、イメージだけでレースを進めていく。この先折り返しの阿波連の集落までは山道になるので集落はないはずであるが、道路の途中になぜか別荘のような家があり、私設エイドが設置されていたのでしっかり利用させていただいた。 とにかくこの往路の登りが、今日の走った中では一番きつかったが、ほぼ登り切ったところから右手に広がる東シナ海はきれいだった。ビーチも遠目に見えたが、そこは渡嘉志久ビーチで阿波連ビーチと同じく透明度の高いビーチだった。
ここまで登ってきた道は、登り切ったところからはしばらく平坦なところが続き、あるところからは一気に下り出すというものだった。下りだしてからはコースは右へ左へとカーブが続く。ハーフマラソンの上位の選手たちともこの辺りで次々とすれ違う。 そうこうしているうちに眼下に集落が見えだしてきた。この集落は10kmコースの折り返しのある阿波連の集落であり、この日の宿泊先のホテルサンフラワーもこの阿波連にある。下りきったところの集落に住む人々が、自分の家の前で応援を繰り広げる。おじいちゃんおばあちゃんが圧倒的に多いが、沖縄ではこれまでもよく見かけた風景だった。
阿波連の集落のちょうど真ん中あたりだろうか、左折すると宿泊先のホテルサンフラワーがあった。阿波連小学校のの横を通り抜けると折り返し地点があったが、ここでは7番目に折り返す。
再び、阿波連の人々の声援を受けて今度は先ほどやってきた道を登っていく。ようやく脚の動きも良くなりだし、今度は比較的ピッチもまずまずの感じで登り出せた。この復路の登り坂で一人の選手を抜いて順位を6位に上げる。アドレナリンの分泌がいいのか後半はテンションが高く、登り切った後の切り替えも上手くいき下り坂も軽快な感じで下って行った。
記録証を発行してもらいに行ったが、そこにはタイムと総合順位の記載しかないため年代別の優勝が出来たかどうかはその時点ではわからなかった。 午後3時過ぎから男女とも総合3位までの表彰が始まった。表彰式はわりとこぢんまりとしたものであった。年代別の表彰については放送が聞き取れなかったが、その時点では後ほど発表のようで結局、午後4時半過ぎにホワイトボードに係員の手書きで発表された。ここで2種目の優勝が確定した。年代別表彰については、特に表彰式はなく、大会本部に賞状とメダルをもらいに行くという地味なものだった。「最後くらいは盛大に・・・」と思いはするものの、とはいえこの大会を私物化にするわけにはいかないので、そのあたりはぐっと堪え普通にお礼だけ述べた。係の女の子は、私が2種目優勝していることを不思議にも思わず、淡々と賞状とメダルを渡すだけだった。地味な終わり方だったかもしれないが、特別待遇を好まない私にとってはちょうど良かったかもしれない。
ふれあいパーティー〜渡嘉敷島のみなさんお世話になりました ふれあいパーティー(後夜祭)は、まだ太陽が沈まぬうちに始まった。日本最西端の沖縄県とは言え2月の夕暮れは決して遅くはない。しかしながら昼中は走っていると少々暑く感じたが、夕方になってくると、本州同様寒くなってきた。名古屋の11月の上旬から中旬くらいの気候だろうか。 ふれあいパーティーは、大会長の歓迎の挨拶の後、「ハワイアンフラ(フラダンス)」から始まった。一昨年参加した日本最西端の「与那国島一周マラソン」の後夜祭でも確かフラダンスがあったはずだ。沖縄県においては、マラソン大会の後夜祭にはフラダンスが定番?なのか、この大会でもフラダンスが披露された。
ハワイアンフラの後のアトラクションとしては、慶良間太鼓同志会による太鼓の演奏、遠来賞、最高齢者賞、、ハーフマラソン渡嘉敷島ナンバーワン表彰などの特別表彰、渡嘉敷節の披露などが行われ、ふれあいパーティーは徐々に盛り上がっていった。 一昨年参加した「与那国島一周マラソン」の後夜祭でも似たような感じのことが次々と行われていった。子どもたちの演舞などところどころで「一体何で後夜祭でこんなことするの?」となかなか意味が理解出来ないアトラクションもいくつかあったが、与那国島一周マラソンで仲良くなった石垣島からやってきた女の子たちが「与那国島の人たちは、いろんなことを練習しても披露する場がないから、こういう機会に披露しているんですよ。」と説明してくれた。なるほど小学校や中学校の劇や合唱の発表会と同じと思えば妙にうなずける。島外からの参加者への歓迎のアトラクションと、自らの成果を発表するという2つのことが同時に達成出来るまさに「一石二鳥」の場。沖縄のマラソン大会における後夜祭というのはそういうものであるということをその時初めて知った。 ふれあいパーティーが中盤にさしかかった頃に、抽選会が行われた。 あらかじめ抽選箱に入れておいた自分の抽選券の半券が、今からこの場で引かれていく。1等は液晶テレビかプラズマテレビか忘れたが、そんな大きなものは当たっても持ち帰れないので、「渡嘉敷島の特産品の一つでも当たればいいなあ」と思っていた。抽選会が進むにつれて、だんだん賞品が減り、遂に1等のテレビの抽選も外れた。 「まあ、抽選だから・・・」と思っていたときに、ステージの方で「まだ賞品あるの?」とMCがアナウンス。誰かが何やら袋を持ってステージへ走っていく。MCが「なんとこれはマグロジャーキーです。中味は1kg!」参加賞にもマグロジャーキーが入っていたが、渡嘉敷港の待合室の土産物売り場で見たが、50gのものが300円で売られていた。ということは・・・。 MCが「本当に最後の抽選です。当選の人の番号は・・・904番です。904番の人いますか〜!」と。ハズレ続けていた私であるが、手元の札を見ると「904」と書いてある。「お、お、オレが当たった?」もう一度見直すが、確かに「904」という半券が手元にある。早く行かないと権利がなくなってしまうので、急いで両手を振ってステージに向かう。 いやはや、最後の最後の抽選で当たるというのは想定外だった。ホンネからいえば、当たれば儲けもの。当たらなくても仕方がないくらいの意識だったのであるが、いざ当たってみると嬉しかった。 ステージに行けば、「まずは、上がってください。」とMC。証拠の半券を出すと「確かに904番です」とMC。「今日は今日は何キロを走られましたか?」と聞かれたので、私は「5kmと10kmと2種目です」と。「え〜、2種目ですか?これは伝説ですね!」と。 『実は今日は国盗りのためにこの島にやってきて、2種目で年代別優勝して47都道府県の全ての大会での優勝で、国盗りが完結しました。非常に思い出深い大会になりまして、また、おまけに最後の最後に抽選会で当選して生涯忘れない大会になりました。』と、喉元まで出かけていたが、、大会を私物化しないようにぐっと飲み込んだ。5kmと10kmと2種目走っただけで「伝説ですね!」といわれれば、それ以上いう必要もないと感じたのであった。 ビール、泡盛と飲んで徐々に酔いが回ってきた。時間も午後7時を過ぎている。 そろそろ宿泊先の「サンフラワー」さんも迎えに来ているかもしれないので、ふれあいパーティーの途中であったが会場を後にして、渡嘉敷港の乗船待合室に向かう。各宿泊先の出迎えは、この乗船待合室前の駐車場で行われる。サンフラワーさんのワゴンが見当たらないので、電話をしたところ1回目の客を乗せてホテルで下ろし、2回目の客であるわれわれを乗せるためにこちらに向かっているという。ホテルサンフラワーは10kmコースの折り返し地点付近にあるので、渡嘉敷港とホテルとの間を往復すると単純に10kmの距離となる。今日は一体何往復したのであろうか。 一部の客がふれあいパーティーの最後までいたようなので、その客が来るまでサンフラワーのワゴンで待機し、集まったところで出発した。昼中10kmを走ったところをワゴンはどんどん走っていく。山道をくねくね登っていくが、昼中はしっかり景色が見えたものの、夜になると街路灯もなく真っ暗だった。 車中で、サンフラワーの主の関根さんが運転しがてら「今日は子どもが3kmに出場するというので送りがてら見ていたが、5kmの人かな、ゴールしたら急いで水を飲んで、そのままスタート地点に走っていった人がいたけどもしかしたらあのまま10kmを走りにいったのだろうか?」という。 「あっ、それオレです。」と私。関根さんに目撃されていたのだった。同じ車の人からは「ハーフマラソンに出ればいいのに」とか「そんなこと出来るんだ」とか、いろいろ意見があったが、国盗りの話をすると面倒なので「なかなかいい大会ですね」と話を濁しておいた。
サンフラワーの主の関根さんは、埼玉県から渡嘉敷島に移り住んだ人だという。子どもさんは3人ほどいるが一番下の娘さんを出産した際に奥さんが亡くなられたとサンフラワーのサイトに書かれている。その一番下の娘さんも4歳となり、上の二人の兄弟とも遊ぶことが出来るようになり、関根さんの手から少しずつ離れていくようになったという。宿泊する日の夜、その娘さんもひょっこり現れたが、かわいくてわが家に連れて帰りたいほどだった。 渡嘉敷島の保育園は大会のメイン会場の渡嘉敷小中学校に隣接する渡嘉敷保育園だけなので、朝スクールバスが迎えに来て連れて行かれるという。小学校は、このホテルのすぐそばにある阿波連小学校に通う。全校生徒は20人。小さいだけあって、オリジナルの行事がたくさんあって小回りがきくという。そして中学校は渡嘉敷中学校だけなので、こちらもスクールバスで阿波連からの通学となるそうだ。海がきれいであり自然豊かなこの島で少人数の教育を受けられるので、子どもたちはのびのびと育っているだろう。 ただし阿波連の主要なお客さんであるダイビング客がかなり減っているので、このホテルもなかなか満室になることはないそうだ。年齢は聞かなかったが、私と歳が近そうな関根さんには頑張って欲しいとエールを送りたい。 そして大会翌日、早朝8時前の島内の有線放送で、午前10時の高速船は予定通り運航する旨の放送が流れた。短い時間であったが阿波連を後にして渡嘉敷港へ向かう。 今度は明るい時間帯なので、関根さんの運転するサンフラワーのワゴンは昨日の10kmコースをそのまま渡嘉敷へ向かう。車には宿泊客の他に、関根さんが飼っているプードル?も乗ってきた。クロちゃんというそうだが、山道を右へ左へと走るところを上手にバランスを取りながら車内で立っていた。宿泊客を見送るときは、いつもこんな感じであろうか。山道でも酔うこともなく、車中の旅を楽しんでいるようにも見える。 渡嘉敷港への道中で私が車窓から写真撮影をしていると、関根さんは気を利かせて途中で車を止めてくれた。昨日同様、コースの頂上付近からみた渡嘉志久ビーチはきれいだった。時間があれば、自ら島内をレンタカーなどで廻って巡りたかったくらいであったが、立て込んでいる仕事を進めなければならないので、今日のうちに名古屋まで戻らなければならない。 ホテルサンフラワーのワゴンは10分ほどで渡嘉敷港に到着した。道中、信号が全然無く、また道路も渋滞することも無いため。阿波連と渡嘉敷との時間は読めるのだろう。 短い間であったが、サンフラワーの関根さんにはお世話になったし、ここでは書き切れないが大会事務局、住民のみなさん、係のみなさんにもお世話になった。最後の国盗りの地となったこの島のことは忘れられないだろう。 また、10時に出港する高速船の船内から岸壁を見たが、凄い人の数の見送りだった。到着したときもそうであったが、見送りもこの島の人のできる最高のもてなしだったと思う。ありがとう渡嘉敷島!ありがとう"とかしきマラソン!” 番外編 この大会に参加された方で、この大会をどんな風に感じているかいろいろ調べたところ、ある方のブログに以下のように書かれていたので紹介いたします。恥ずかしいやら嬉しいやら。
本日の戦利品
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