第62回中山道東濃駅伝競走大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
7回目の東濃駅伝です。 7区間のこの大会を今年で完結出来るように今回は5区、または体調が万全でないので最短の4区のどちらかでお願いしていましたが、結局のところ5区に配置されました。今回でこの大会もグランドスラム達成です。 さて大会ですが、スタートの中津川では小雨の中のスタートだったようですが、私が担当した5区ではすっかり雨も止んでいました。またここ数年の中では一番気温が高かった日となりました。 5区での先頭通過予想が10時55分でしたが、TPAC-Aと守山35普連Aが10時57分にほぼ同時に5区の中継地点を通過。その後2分近くの間が開いて岐阜経済大学Aがタスキを繋いでいきます。一般Aで出場の名古屋市役所チームは11時06分になる少し前に辛うじてタスキを繋いでいきましたが、”まるはちマスターズ”は残念ながらタスキが繋がらず、11時08分に繰り上げスタートとなってしまいました。5区での繰り上げスタートなったチームは一般Aが14チーム(全45チーム)、一般Bも14チーム(全15チーム)、高校男子が3チーム(全9チーム)で合計31チーム(全69チーム)です。残念ながら駅伝の醍醐味であるタスキ渡しが出来ずに5区を走ることになってしまいました。 加齢のこともありますが、2月に椎間板ヘルニアになってから以前の走力にまで回復しておらず、この日も苦しい走りでした。約30名の一斉スタートからほどなく集団から遅れだし、中盤から後半にかけては突っ込んでタレてきた選手を一人ずつ拾って走る消極的な展開でした。6区の中継点では当然のことながらタスキが繋がらず、結果的には6.9kmのマラソン大会となってしまいました。 大会終了後は、多治見市内で打ち上げを開催。個人的には反省することばかりでしたが、若い走友会のメンバーに混じっていろいろと語ることが出来たのは楽しかったです。参加されたみなさんお疲れ様でした。ありがとございました。
JRのさわやかウォーキング この大会の当日の天候は曇りのち晴れ。一週間前の週間予報では雨予想であったが、何とか予想を覆して天気は回復していった。しかしながら11月中旬にも係わらずこの日は暖かった。この大会には3年連続7回目の出場となるが、最近ではこのような暖かい気象コンディションは記憶にない。 。 今回の担当区間は第5区。毎年走る区間を変えてもらって楽しんでいたが、今回でちょうど一巡。完走?すればグランドスラム達成となる。走友会でもこのグランドスラムを達成している会員は何人かいるが、やってみると以外と面白い。 第5区の中継地点はJR釜戸駅から徒歩で3分ほどのところ。ここでの先頭通過予定は10時55分。第一点呼はその30分前なので10時25分。ウォーミングアップも考慮して時間を逆算すれば、9時過ぎに釜戸に到着していれば十分である。今回大曽根から乗車した電車は大曽根を8時29分に出発する中津川行き快速。一昨年1区を走ったときは、JR中津川駅前を9時30分にスタートするので、中津川には午前8時過ぎにやってきた。大曽根から乗った電車は6時47分。1時間15分ほど電車で揺られてきたことになる。 既にお気づきかと思うが、この駅伝は中津川から多治見に向かって主に旧中山道を走ってくるので、第1区の選手ほどスタート時間が早く、かつ、名古屋から見れば遠くまで行かなければならないので、家を出発する時間が非常に早くなるという特徴がある。 今年は5区なので後半の区間ではあるが、大曽根から乗った電車はほぼ満員だった。というのも毎年東濃駅伝の開催日とJR主催の「さわやかウォーキング」の開催日がバッティングするため、名古屋から東濃方面にハイキングにやってくる人が同じ電車に乗り合わせることになる。日曜日の午前のこの時間の列車が異常な混み具合となるのは、この方面の2つの行事が重なること以外に理由はないだろう。
中継前(一斉スタート前?) 今年は一般Aで「名古屋市役所走友会」、一般Bで「まるはちマスターズ」の2チームを編成した。名前の通り、私は「まるはちマスターズ」の方に入れてもらっている。 今年から一般Aと一般Bの分け方が厳格化された。西濃駅伝に倣ったのであろうが、参加チーム数が東濃駅伝の方が少ないため、不正をするとすぐにばれてしまう。ちなみに一般Bの要件は次の通り。
一般Aで走友会の5区を担当するのはJ選手。今年の春に娘が生まれたばかりの一児のパパになる。私よりも一回り以上若いが、さすがに最近は練習不足らしい。 中継地点付近に陣取り、ナンバーカードの取り付け、ストレッチ、ウォーミングアップ、トイレなどを済ませているとあっという間に1時間くらいが経過する。10時25分の第1コール(先頭通過予定の30分前)はJ選手にお願いする。 10時45分の最終点呼(先頭通過予定の10分前)は各自で行わなければならないが、荷物を預けるタイムリミットと重なり、意外と忙しく時間が経過していく。
グランドスラムへ 荷物を預けてからは、身ぐるみ剥がされた状態となるので、寒い日にはこの待ち時間が非常に長く感じる。荷物を預けたのが10時40分。先頭通過予定が10時55分なので、先頭のチームでも約15分間は寒い思いをする。繰り上げスタートは先頭通過後約10分なので、最長で25分は寒い思いをしながら待たなければならない。 しかしこの日は珍しく暖かい日だった。 太陽は顔を出さないものの、雨は上がっている。風もほとんど吹いていないコンディション。気温はランシャツランパンになっても寒く感じないのでやや高めといってもいいだろう。先頭通過の5分ほど前から関係車両などが通過していきだすので待機する選手もそわそわし出す。しかしこの日の先頭は10時55分になっても現れなかった。10時55分という設定は、過去最高のペースを参考にしていることだろう。
この日の中継地点に最初に現れたのは、TPAC−Aと守山35普連Aの2チームだ。ここまで4区間28.2kmを走ってきて、先頭がほぼ同時に中継していくことは非常に珍しい。3位の岐阜経済大学Aが中継したのは、これら2チームが通過後2分近くが経過したあとだった。以降は、ポツリポツリと中継地点に現れるチームが増えてくる。 名古屋市役所走友会チームの4区はN選手。先月肉離れをしていているのでキチンと走れるかどうかが微妙な感じ。1区のH選手(この日は区間3位だった!)が快走しても、貯金をどれだけ保てるかが今日のポイントだった。なかなか現れないので、私もJ選手もタスキリレーは難しいだろうと感じていた。中継地点で繰り上げ用のタスキが配り始められた頃だった。「J−!」と叫ぶN選手の声。N選手には失礼であるが、脚の調子が万全でないためタスキは繋がらないだろうと予想していたが、先頭通過後8分46秒でタスキーをリレーする。J選手が若干もたついたが、ロスタイムはせいぜい1秒か2秒だろう。N選手は区間21位。この区間では一般Aの選手を一人抜いて順位を一つあげる活躍だった。脚の状態が悪いにも係わらず、予想外の活躍だったといっていいだろう。
J選手が中継してからいよいよ繰り上げスタートの時間が近づいてきた。とはいえ、選手があまり途切れずに走っていくので、繰り上げスタートのために選手を横に並ばせづらい。そのせいで、先頭通過後10分経過しても、繰り上げスタートせずに運良く通過できたチームが数チームあった。 一般Aでは29位〜31位で通過したにっとTFC、大同特殊鋼、TEAM KAKERUの3チーム、高校男子では5位、6位で通過した愛工大名電高校A及びBの2チームだ。こればかりは運がよかったと言えるだろう。 そして、TEAM KAKERUが通過したあと、すぐに並ばせられ一斉スタートする。繰り上げスタートになったのは、わが「まるはちマスターズ」を含む31チーム。全参加チームが69なので約半分ということになる。もう少し時間を緩められないかと思う次第。 繰り上げスタートしてからは、あっという間に集団から離され始めた。後ろを振り向いていないので私の後ろに何人の選手がいたかは不明であったが、少なくとも繰り上げスタートとなったあとに発生した先頭集団の塊からは完全に置いていかれた。スタートしてから「ポーン」と体が動かなくなることが増えたため、最近はイーブンで走ることが増えてきている。この日も何とかイーブンペースで走り、中盤から後半にかけて前を走る選手を一人ずつ抜いていくことを目標にする。消極的な戦法であるが、今の実力を考えると最善の方法だと思う。 白狐温泉を過ぎたところの坂を越えてからポツリポツリと前を走る選手を捉えだした。4人ほどは抜いていっただろうか、さすがに2分以上前にスタートしたJ選手は影も形も見えなかったが、前を走る選手を抜いていくのは楽しい。 国道19号線のアンダーパスを越えていくと最後の登り坂となる。このコースは下見を含めて何度か走っているが、レースペースで走るのは大会くらいなので思った以上に急に感じる。とはいえ、コースの下見をしている強みがあるので、遅いながらもペース配分にはぬかりない。 5区の最後の楽しみが、この土岐川に架かる橋を越えてループしながら中継地点へ走ること。最初にこの大会に参加したときの担当が6区だったので、「面白いところだなあ」と感じたのが今から7年前。歳月が経つのは早いもので、ようやく5区を走ることが出来た。 6区の中継地点に到着したときには、6区の担当のS選手は既に出走済み。タスキをもらわず、またタスキを渡すこともなく、グランドスラム(全7区間を走り切ること)は終わった。 中継地点には、先に到着したJ選手が待ったいてくれた。J選手もタスキ渡しが出来ずに中継地点にたどり着いたとのこと。「5区→6区」で名古屋市役所走友会もとうとうタスキが途絶えてしまった。各自がこの大会にあわせて練習してきたわけではないであろうが、タスキが切れるとなるとやはりがっかりはする。マラソン疲れ、故障者、練習不足・・・走れない理由はいろいろあるかもしれないが、また来年以降、タスキが繋げることを夢に見て楽しみたいと思う。 今回参加されたみなさん、お疲れ様でした。また、応援写真撮影に協力していただいた、八重樫さん、佐藤さんもありがとうございました。来年こそはタスキが繋げられるように頑張りましょう! ダイジェスト 本日の戦利品
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