第28回龍神温泉木の郷マラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
高野龍神スカイライン 今回の大会会場は、和歌山県田辺市龍神村。平成17年に市町村合併で田辺市を名乗るようになったものの、かつては日高郡龍神村だったところ。紀伊山地の真ん中にあることは間違いない。阪和道経由で海岸線から北上する方法もあったが、距離を走る割りには時間短縮にあまり繋がらないことがわかった。今回は、名阪国道を針ICで下車(帰りは天理ICから乗車)し、高野龍神スカイラインを通って会場に向かうことにした。 この「高野龍神スカイライン」であるが、昭和55年に和歌山県道路公社が管理する延長42.7km有料道路として開通している。平成15年に無料開放されて、現在は国道371号となっている(無料開放する前の通行料金は、普通車で2,090円)。 「高野龍神スカイライン」は高野山から護摩壇山を経て龍神温泉に至るのであるが、和歌山県と奈良県の県境の1,000m級の尾根に沿って延びているので景色はすこぶる良い。愛知県にも似たような道路として「茶臼山高原道路」というのがあるが、高野龍神スカイラインは距離も概ね3倍あり、なかなか走り甲斐のある道路であると感じた。 ただし今回通行した際には、道路脇にところどころ雪が残っている。今年は青森県よりも先に冠雪が観測されたという和歌山県であるが、まさしくその場所はこの辺りであったことだろう。 しかしながら例年は、どうもこんなに雪が少なくないようである。確かにこの日もチェーン規制が出ていたが、実際にはチェーンなど全く使うこと無く走行できたのであるが、例年であれば、とてもではないがこの道は通行できなかっただろうし、阪和道経由で来るしか方法が無かったのであろう。結果としては、自分の無知に今回は救われただけ。怖いもの知らずと言うべきか・・・。
日本三美人の湯「龍神温泉」 今大会のメイン会場は、龍神温泉の中にある「季楽里龍神」。平成16年4月にオープンしているので龍神温泉の中では、新しい宿泊施設である。 龍神温泉は役小角(えんのおづの/飛鳥時代から奈良時代の呪術者)が発見した後、難陀竜王のお告げによって、今から約1,300年前に弘法大師が開湯したといわれている温泉だ。 江戸時代には紀伊国を統治した紀州藩とも関わりが深く、藩主が湯治を行うために、初代藩主徳川頼宣が上御殿・下御殿を作らせた。ただし、藩主の湯治は実現せず建物は村民に与えられ、上御殿、下御殿はそれぞれ旅館となり現在に至っている。 この龍神温泉であるが、群馬県の川中温泉、島根県の湯の川温泉と合わせ、日本三美人の湯のひとつと呼ばれている。 泉質はナトリウム炭酸水素塩泉でラジウム含有量が多い。体についた余分な皮脂を落とし、お肌がすべすべになることから、そう呼ばれているのであろう。 大会前日には「龍神温泉・元湯」に、また大会当日は「季楽里龍神」で入浴したが、確かに泉質としてはすべすべして気持ちがよかった。 なお、今年の11月15日には第58回関西実業団駅伝競走大会(龍神行政局〜大熊〜福井北野〜上湯ノ又〜龍神体育館:7区間、80.45km)がこの地で開催されている。いわゆる関西地区のニューイヤー駅伝出場をかけての予選会だ。本年は、1位大塚製薬、2位SGホールディングスグループ、3位NTT西日本、4位住友電工、5位大阪ガス、6位大阪府警の順となっている。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 復調の兆し? 10時ちょうどのハーフマラソンを皮切りに、10km、3kmとスタートし、私のスタートする5km部門は一番最後の10時35分スタートだ。 今回のこの大会のエントリー人数は、4部門で合計570人。ロケーションの良さ、参加賞などを考えれば個人的には都市型マラソンよりもオススメの大会であると思うのであるが、如何せん交通アクセスに難があるのでどうしても人が集まりにくいかもしれない。 5km部門のエントリーは91人。スタート間際までアップを繰り返ししてスタート場所までいっても混雑すること無くスムースにスタートが切れるのが嬉しい。スタート場所の道幅にも寄るが、気持ちよく混雑も少なくスタートが出来るのは500人程度までではないかと思っている。
スタートして約1km程度であろうか、皆瀬橋を渡り少しアップダウンが始まった頃から、この同年代のランナーとのペースが合わなくなってきた。いわゆる足が詰まるという状態。皆瀬神社を通過し、再び国道371号線に戻る前あたりからこのランナーの前に出て走ることにする。後方から追い上げてきた若のランナー手と一緒に前を走るランナーを追いかけることになった。 日高川を右手に見ながら折り返し地点を目指すが、少しずつ前を走るランナーとの距離が縮まりだし、3kmほどでとうとう追いついた。このランナーが3番目を走っていたので、3位グループを走るランナーが3人ということになる。追いつかれた方のランナーはナンバーカードからして40歳代。私がペースを上げると彼もペースを上げて走る。余裕があるのか無いのか掴みきれない感じ。 3人で折り返し地点をUターンする。この時後方を確認するが、同年代のランナーとは5秒以上離れてすれ違う。2倍すれば10秒程度40mほどは差が付いたことになる。
折り返してからも微妙にアップダウンがあるが、併走していた40代のランナーは少しずつペースを上げ出した。若手ランナーも付いていくが、私の場合はこの辺りで一杯一杯の感じになってしまった。徐々に二人との差が広がりだし、縮まることは無かった。 「龍の里橋」をわたりゴールが見えてきたが、その前の時計が18分50秒を過ぎているのが見える。何とか19分を切ろうとしてペースを上げる。ゴールしてストップウォッチを押すと19分を僅かに切って18分59秒台だった。しかしながらこういう場合、秒以下のタイムは切り上げることになっている。記録証をもらうとそこの印字は予想通り「19分00秒」だった。
2月に椎間板ヘルになって、徐々にではあるが発症前の状態に近づいている感じはする。ただし足のつま先(右脚の親指、人差し指、母指球あたり)には痺れが残っており、蹴るときの感覚があまり無い。また力も入りづらい。コースも違うので比較は出来ないが、10月の「おこっぺ牛乳の里マラソン大会」の時から比べれば、5kmで40秒ほどは速くなっている。次回は、何とか18分台まで戻してさらなる回復の状態を確認したいと考えている。 本日の戦利品
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