第37回中日西濃駅伝競走大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
今から25年前の平成3年の第12回大会に参加したのがこの大会の初参加でした。それから25年。私にとってここ6年は連続出場で、今回で通算10回目の参加の記念の大会になりました。 今年は昨年と打って変わってスタート時間がなんと1時間半も早くなりました。大垣駅から会場の浅中公園陸上競技場へ行くシャトルバスの運行が午前8時までということなので、わが家の最寄り駅の地下鉄・自由ヶ丘駅の始発に乗ってもJR大垣駅には午前8時までには到着しません。いろいろ調べた結果、地下鉄・本山駅まで徒歩で移動し、午前5時41分の列車に乗ればJR大垣駅に午前8時前に辛うじて到着出来ることがわかりました。そのため、起床時間は何と4時半です。なが〜い、なが〜い一日でした。(ただし終わるのが早いというメリットもある) さて大会の方ですが、今回は2年前と同じかそれ以上の強風の吹き荒れる中での駅伝でした。私の担当は2年ぶり3回目の一般Bの第3区です。ここは第1区がやや出遅れた場合、第3区で張るとごぼう抜き区間になるという面白い区間で私は比較的好きな区間です。今回も、タスキをもらってから序盤はややもたついたものの、中盤からは女子選手を中心に今年もごぼう抜き区間となり楽しむことが出来ました。ただしタイムは一昨年に比べて約1分落ち。まだ少し残っているヘルニアの影響でしょうか。とはいえ、苦しみながらも強風という悪コンディションを楽しみながら走ることが出来ました。参加された選手のみなさんお疲れ様でした。
JR大垣駅に午前8時前に集合! 昨年までの11時スタート(一般A)が、今年は1時間30分繰り上がり9時30分スタートとなった。監督会議に参加していないのでそのあたりの説明があったかどうかは知らないが、午前中の早い時間の方が交通量が少なく、地元からの苦情対策には良いかもしれない。11月に開催している東濃駅伝が中津川駅前を午前9時30分にスタートするので、同じことが出来ない理由はないということかもしれない。 午前9時30分にスタートをするのは構わないが、そのためにJR大垣駅を出発するシャトルバスの最終便が午前8時となったのは非常にきつかった。少なくとも午前8時までにJR大垣駅に到着していなければ、メイン会場の浅中公園陸上競技場にたどり着けない。もちろんタクシー利用して浅中公園陸上競技場に向かう方法もあるが、無料のシャトルバスがあるのであるからそれを利用したいのはヤマヤマ。 午前8時までにJR大垣駅に到着しようとすると、逆算してわが家をいったい何時に出発すればいいのかがポイントになる。ネットで到着時刻から逆算して調べたところ、何と最寄りの自由ヶ丘駅の始発電車で間に合わないことがわかった。いやはや何とも困った・・・。大垣くらいで前泊するわけにも行かない。いろいろ検討し再度調べたところ、隣の本山駅であれば始発列車に乗れば間に合うことがわかった。とはいえ、わが家から2km以上離れた本山駅に午前5時30分には着いていないといけない。午前4時半起床、5時にわが家を出発というスケジュールで一日が始まったが、本当に長い一日だった。
強風吹き荒れる駅伝(前半) 例年の集合場所(競技場のスタンド下で第4コーナー近く)に集まってミーティング。「まるはちマスターズ」の分のパンフレット、ナンバーカード、タスキを内藤さんから預かり、それぞれメンバーに配布する。今年は一般Bの参加なので大きなトラブルさえなければタスキは最後まで繋がるはずだ。 浅中公園陸上競技場から各区間へ選手を輸送するバスの出発も早い。連年は浅中公園陸上競技場から遠い区間への出発は午前9時30分であったのであるが、今年は1時間30分繰り上げられて午前8時。大垣駅のシャトルバスの最終便が1時間繰り上げられたので、浅中公園陸上競技場での打ち合わせの時間が30分短くなった計算だ。いずれにせよ、早朝から例年以上に慌ただしいことは間違いない。 浅中公園陸上競技場では風はあまり感じなかったが、バスが道路を南下するにつれてバスの車窓から見える景色に変化が現れる。幟、旗、草、木の葉など風にたなびくものの動きがどんどん凄まじくなっていく。今年も一昨年並の強風になるのであろうか・・・。そんなことを考えながら40分弱で一般Bの第3区の中継地点に到着した。この区間は平成25年、平成26年と過去2回走っている区間であり、コースの特徴は比較的良く記憶している区間だ。
現地に到着してからは、さっそく片道約1kmほどの区間を軽く走りコースを思い出す。直近で2年前に走った区間のことなので、記憶に薄いことはなかった。ただし、その当時と同じくらい風は強い。青空は見えてはいるものの、今日は大変な日になるだろうという予感はあった。 この区間の先頭通過の予想は10時11分。全区間の海津市役所をスタートする女子の先頭の通過予定時間であることは間違いない。10時過ぎには、中継地点に行き待機する。この区間は、一般A(52チーム)、一般B(119チーム)、高校男子(23チーム)、女子(30チーム)の合計224チームが中継するので、中継地点には224人のランナーが待ち構えていることになる。駅伝としてはかなりの人数だ。 先頭は予想通り、海津市役所をスタートした女子チームで、中部大学第一高校が10時11分31秒で先頭通過。3秒遅れで愛知高校(女子)、さらに13秒遅れの10時11分47秒で県岐商OGチームが通過していく。この辺りは。例年のごとくだろう。 一般Bは、東レドリームランナーが先頭。10時12分52秒で最初にタスキリレー。その後、2位→館倶楽部、3位→庄内40’s−A、4位→中津川走友会の順で中継地点を通過していく。待機中はまだかまだかという心境で待つのであるが、あまり来ないと「前走者が棄権したのではないか」とか「何かトラブルがあったのか」と心配になる。 10時15分頃になると、次から次へと選手がやってきて、中継所は大混乱の状態になってきた。おそらく全中継所の中で一番混乱するのがここではないだろうか。凄まじく選手が入り乱れる状況がしばらくの間続く。ナンバーカードの番号が連呼されるが、完全には聞き取れない。中継ミスをなくすためには、やはり目視で前走者を確認するのがベストであると思う。 そして10時20分になろうかというところで、馴染みの赤いユニフォームが見えてきた。一般Bの2区を走ってきた直さん。先日の別大マラソンでは初のサブスリーを達成し勢いに乗っている。今日は、さらに追い風に乗って元気に走ってきた。顔も余裕がある走りになっている。(実際この日の直さんは区間30位。私が区間33位で、区間は違うものの私よりも貢献度は高かった) 「おつかれさま〜!」タスキを受け取ってガツーンと走り出す。今日は上手にペースメイクしていかないと終盤苦しむだろうと考え、オーバーペースにならないように気を配る。 あとでわかったのであるが、全体では65番目で中継(一般Bとしては36番目での中継。女子は29チーム全てが通過)していた。一般B第3区は、ごぼう抜き区間。先に中継した他のチームの先攻するランナーとの距離も小さく、ここからの巻き返しを図るには非常に面白い区間である。私がこの区間を希望するのもそういう理由がある。
強風吹き荒れる駅伝(後半) タスキを受けて早々に後続のナー2人に抜かれる。 昨年のこの大会の直後に椎間板ヘルニアにが発症。数ヶ月は走るどころか歩くのがやっとの生活。ある程度練習が出来るようになるまで半年くらいの期間を要したのであるが、ほぼ一年経過したこの日においても右脚のつま先付近に痺れが残り、地面を蹴る際の力がキチンと伝わっていない感じがする。椎間板ヘルニアになってからは特にトップスピードが出にくくなったような気がするので、駅伝においても序盤からハイペースで走ることが出来ない。そのため中継して早々に後続から抜かれるようなことが起きてしまう。 中継してから約100mは南東方向に走り、信号交差点を左折し東に向きを変え約1.1kmほど走る。ここまでは例年ほぼ同じように追い風になる、しかしながら、中継地点から約1.2kmほどでコースは北へ抜きを変えるが、ここからがこのコースの真骨頂、チョー向かい風になる。最初の1km少々を多少飛ばしても残りの7kmを上手に走らないとこの区間では上手に走ったことにはならない。 先ほど抜かれた選手のうちの一人については、北進区間に入ったところですぐさま抜き返す。 最初にこの区間を走ったときは、ここから前を走る選手を次々と抜き去り「これでもか!」と云わんばかりに順位を上げていった。最初に出場したときと比べても明らかにペースが遅く、ごぼう抜きではなかったが、今年はさらに一昨年よりも抜いていく選手の数が明らかに少ない。北風はどの選手にも同じように吹くはずであるが、私にだけ強く吹いているのではないかと錯覚してしまうくらい前に進まない。単に私が遅くなっただけで、風による条件はいうまでもなくみな同じ。抜いていく大半は女子の選手で、なかなか男子の選手は抜いていけなかった。
長良川の堤防道路に平行した道路から方向を西に変えると、中継地点の吉里小学校までは残り1km少々だ。すると後方から2人ほどの選手が追い抜いていく。このうちの一人の選手は明らかにペースが違うので付いていく気にもなれなかったが、もう一人の選手はここまで相当頑張ってきたのであろうか息づかいが荒いしペースも決して付いていけないほどのことはない。「少々小柄ではあるがちょうどいい。風よけにしよう」と考え抜かれてからは先に行かせる。 交差点を右折し吉里小学校が徐々に近づいてくるが、残り100〜200mくらいまでは風よけ。それ以降はスパートをして先着だけはしようと考えてタイミングを見はかる。中継地点が遠くからでも確認できるくらいの距離(200mくらいか?)で予定通りスパートし、辛うじてこの選手よりは先着してタスキを渡す。
「JAにしみの東八幡神社前」の中継地点から、「吉里小学校」の中継地点までの間に一般Bの選手を7人抜いたものの2人に抜かれ(差し引き5人抜き)と昨年に比べてマイナス1人、女子については11人で昨年に比べればマイナス4人。最初に出場した第34回大会(平成25年)の”ごぼう抜き人数”42人からすると半分以下のわずか16人という成果に終わってしまった。椎間板ヘルニアからの完全回復、年齢による衰え、参加ランナーのレベルアップなどいろんな要素があると思うけど、まだまだ頑張らなければと感じた次第。(反省!)
本日の戦利品
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