第25回上里町乾武マラソン大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース一部紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 送別会疲れ?引越疲れ? 東京で引越のついでとして大会日程を入れたのであるが、このうち一つか二つくらいは長男・かずたかの下宿探しと引越手伝で1日くらい潰れる覚悟でいたのであるが、運良く?土日にかかることが避けられたため、今回出場することにした。名古屋の自宅を出発したのは大会前日の土曜日の午後10時半。夜行バスのチケットが確保できたので、名古屋から東京までは夜行バスで移動した。
先週一週間は非常に体が重く、ジョグのペースも10kmあたりで数分ほど遅い。体全体がパリパリというか、あちこちが張った感じがする。距離は短いものの3週連続で出場しているせいか、それとも送別会疲れか、はたまた引越疲れか、これらの複合的なことによる疲労なのかはわからないが、万全という体調からはほど遠かった。今回に限って言えば、無理して出場しなくても良かったかもしれない。 駅前からもてなしの始まり 東京駅を6時20分に出発した列車は、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、行田、熊谷、篭原と停車していく。篭原では前の5両が切り離され10両編成となる。深谷、岡部、本庄、そして午前8時ちょうどに神保原にようやく到着した。この次の「新町」からは群馬県になるので、埼玉県におけるJRの最北端の駅かもしれない。 先々週のようなマラソン列車ではないので、神保原で下車する選手の数は決して多くない。にも係わらず、駅前では上里町の町民だろう。多くの人が旗を持って出迎えてくれた。 上里町は、人口約3万1千人の小さな町。今回走ってわかったのであるが、畑が多い感じの町だ。上里町のホームページを見ても主要産業などにつては触れていないので、どんな町かはわからないが、ランナーを温かく出迎えてくれるという意味では、「もてなしの町」のようだ。
レース 神保原駅から徒歩で会場の神保原小学校に向かい、受付、コース試走を行いスタートに備える。会場に到着したのが、スタートの約1時間半ほど前なので、自分の中ではスタートまでの準備時間が短い方に分類される。更衣室の体育館もほぼ満員状態で、落ち着いてストレッチをすることも出来ない。天候も何とか曇りで雨が降らなかったので、校庭の片隅にブルーシートを敷いてそこを拠点とした。 今回の10kmレースにエントリーしているのは約400人。決して多い数ではないが、少なくもないので早めにスタート地点に行って最前列の場所を確保する。今のスピードであれば、そこまでして前に並ぶほどではないが、気持ちの問題としては前の方がいい。
スターターの立ち位置の少し後ろで、大声で選手の方に向かって話をする人がいる。「選手のみなさん、今日はしっかりと走ってくださ〜い。」言っていることはたわいも無いことであるが、気勢を高めるためにいろいろと大きな声を出している。もちろん観客のうちの一人だ。良く考えると、神保原駅前にも同じような人がいたけれど、もしかしたら同一人物かもしれない。(たぶん町長ではないと思うが・・・) そのうち「名古屋市役所の人。遠くからありがとうございます〜!」と最前列に並んでいる私が餌食となった。まわりから「そんなに遠くから来ているのか」という感じのどよめきが上がったので、ついでに両手を挙げて声援に応える。廻りからは一斉に拍手が上がった。注目されるのは悪くはない。ユニフォームにわかりやすい地名が入っている特典でもある。 彼のこの一声でスタート前にも係わらず、まわりの人の緊張がほぐれたのではないだろうか。もしかしたら、地元では有名な冷やかしのオジさんかもしれない。 9時55分。町長のピストルの合図でレースが始まった。 スタートして150mほどで小さな川に係る橋を越えていく。ざっと見た感じで目の前には30人ほどの選手が走っているが、相変わらず最初からスピードに乗れない状態が続いているということだろうか。コースは直線上に走り、左右には畑が現れてくる田園風景。1km地点のラップを測ろうと思ったのであるが、見逃したのかそれともなかったのかはわからないが、1kmのラップは取ることが出来なかった。その後住宅の合間を縫うように走り、コースは直角に曲がるなどしながら利根川の方に向かう。2kmの通過が7分23秒。平均すれば、1kmあたり3分41〜42秒のペースであるが、如何せん体が重く感じる。 2kmを過ぎた頃から、堤防道路にコースは変わり、左右に菜の花を見ながら走ることになる。気分的にはいいが、相変わらず走っていてペースが上がらない。それどころか、少しずつ後続の選手にも抜かれだした。3kmの通過が11分19秒。この1kmは何と3分56秒。すでに4分/kmに近いタイムまで落ちてきている。その後堤防道路から降りて、距離稼ぎにコースは河川敷の公園をぐるりとまわり再び堤防道路へと駆け上がっていく。今日は体が重いこともあり、このわずかな登り坂が堪える。4kmの通過は14分57秒。この1kmは3分38秒と急にペースが上がったことになっているが、もしかしたらこの区間の距離がやや短いかもしれない。 4km過ぎには給水所があったが、2回とも給水を取れずに落としてしまった。給水は、割りと上手に取る方かと思っているが、一つの給水所で2回とも落としてしまうのは記憶にはない。 5km地点の通過は18分56秒。この1kmも3分59秒とさえない。この辺りから単独走になってしまい後半戦に突入する。 今日も相変わらずナンバカードの支給が一枚のため、後方から抜いていく選手の年代があまりわからなかった。今日はスタートから一体全体どのあたりを走っているのかが、皆目見当が付かなかった。 6kmを22分53秒、7kmを26分49秒で通過。このあたりは割りと狭いところをジグザグ走るような感じだった。
その後、コースを左折し畑の多いところに入っていくと、右脚のハムストリングス付近が痙攣してきた。10kmのロードレースで脚が痙攣を起こしたことは、もちろん過去に一度もない。自分自身も「えっ?」という出来事であった。この後この痙攣がひどくならないようにするため、やむを得ずペースを落とす。9kmの通過が34分49秒と、この1kmはとうとう4分/kmを超えるペースとなってしまった。再びペースを上げたのは、ハーフマラソンと10kmとコースが別れる地点で、ゴールまで残り約300〜400mのところから。最後は予想もしない展開となってしまったが、何とかゴールまでたどり着いた。タイムは38分38秒。 体調が悪いことを差し引いても、ちょっとかかりすぎの感はある。ヘルニアの影響か、ゴール後は右脚の足首の動きがすこぶる悪かった。そして記録証発行所で記録証を発行してもらうが、そこには「9位」とある。今回は完全に入賞圏外。自分の体調もさることながら、このタイムでこの順位というのはこの大会のレベルの高さをうかがえることかと思う。体調が万全の状態に戻して、再びリベンジしたい大会となったのであった。
本日の戦利品
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