第4回あだち五色桜マラソン 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 会場まで(舎人ライナー) 単身赴任で千葉県市川市に住んでこの日で3日目。早く慣れることを目的に3月中から毎週末は市川市でなるべく過ごすようにはしたものの、地理の不慣れは急には解消しない。この日も会場までの行き方についていろいろと調べたところ、本八幡からはJRでも都営新宿線でもなく京成で出かけるとアクセスがよいことがわかった。 行き方は非常にシンプルで、京成八幡から日暮里まで乗車、日暮里で乗り換えその先は舎人ライナーで足立小台に向かうというルート。この舎人ライナーというのが何ものかは不思議であったが、乗ってみると運転手がいない5両編成の小さな車両。どこかで同じものがあったと考えたが、大阪南港に向かうときに乗車したニュートラムと同じではないか。線路は無く、ゴムタイヤで走る乗り物。 職場の鉄道の詳しい人に聞いたところ、「アレね雪が降ると弱いんですよ。高架で雪をかいても捨てるところが無いので、すぐに運休する。それから需要見込みが甘かったので、凄い乗車率。ホームが5両編成で作られているので、車両を長くするわけにもいかないので、運行間隔を短くするしかないんです。」と。いやはや何とも愛知県では考えられない話。愛知万博の時に作ったリニモ(藤ヶ丘〜八草)という新交通システムがあるが、こちらは乗客の見込みが逆の意味で甘く、採算性が合わずに苦しんでいる。かつて愛知県小牧市にピーチライナーという新交通システムがあったが、こちらは完全に破綻し廃止。残骸だけが放置されている状況だ。さすがは東京。人がいるところに鉄道を作るのか、鉄道を作ると、そこに人が集まって来るのかはわからないが、何とも羨ましい限りの話ではないか。
レース 前日の天気予報は「くもり」。夕方から雨が降るだろうとの予報が見事に外れ、この日は朝から小雨模様だった。大会会場には、なるべくスタートの2時間前に行くようにはしている。ただしこの日は会場が午前8時会場というなので、スタート時間が9時20分にもかかわらずやむを得ず会場に行ったのはやや遅めの時間であった。 この日のスタートは5kmと10kmと同時スタート。田舎の小規模な大会ならいざ知らず、東京都内の大会でまさかの同時スタート?今回が第4回目の大会であり、過去3回の参加者人数から予測して、5kmと10kmと同時スタートになったかもしれない。なるほど、確かに5kmと10kmと合わせた参加者であるが、ざっと見たところ500人程度。この人数ならば同時スタートでもおかしくない人数である。
9時20分にピストルの合図と共にスタート。私は今回も遠慮なく最前列に並ばせてもらう。 この大会はNPO法人の主催の大会ではあるが、意外(といっては失礼であるが)にも関係している人は豪華メンバーだ。レースディレクターは比嘉正樹さん。沖縄県出身の実業団選手(山梨学院大学→資生堂)だ。この他、スタート地点を仕切っていたのは西田隆維さん(駒澤大→SB食品→JALグランドサービス)。こちらは私も出場した第50回別府大分毎日マラソンで優勝(2時間08分45秒)している。その他、資生堂ランニングクラブからは、竹中理沙、 会津容子、 須永千尋、 奥野 有紀子、 山本亜利沙の5人が、また、聞き慣れないかもしれないが都内、埼玉県、千葉県に34店舗を持つ総合スーパーのサンベルクス(東京都足立区を本社)からは、ダンカン・モゼ(拓殖大学出身)をはじめ数人が参加している。大会要項には、比嘉正樹さんの名前はあるものの、それ以外の選手の名前は見当たらない。 比嘉正樹さんのコネクションで呼んできたかどうかはわからないが、蓋を開けてみるとなかなかの陣容である。サンベルクスを知らない方もいるかと思うので少し紹介するが、ニューイヤー駅伝には2016年1月に初出場を果たしている。日清食品から移籍してきた北村聡(現在は退社)、メクボ・モグスらが在籍しているといえばわかりやすいだろう。 その5km、10kmにはダンカン・モゼがゲストとして走った。本気ではなかろうが、スタートしてもちろん先頭。折り返しを過ぎてからはダントツで先頭を走っている。 かく言う私であるが、この日も走ってみないとわからない状態なので、スタート直後はゆったりと入る。私の前には20人ほどの選手が走っている。5km、10kmと同時スタートであるが、人数からするとファンラン派が多いような感じのようだ。 前半はゆったり入ったこともあり、抜く選手も抜かれる選手もほとんどいなかった。折り返し地点を17番目でUターンする。この後、後ろからあおる(と私が勝手に思っている)選手もいたが、前半を自重しただけにこの日は余裕が残っている。距離表示がないが、前後半ではあまりペースが落ちてはいなかったと思う。折り返し後には、徐々に前を走るランナーを拾う形で少し術順位を上げていく。抜き去る際にはナンバーカードをチラリと見るが、いずれも5kmのランナーだったような気がする。
堤防道路から坂を下ったところに4km地点の表示がある。ここの通過は14分49秒。コース上初めての距離表示だ。残り1km。 首都高速中央環状線、江北橋と続けざまに橋の下をくぐると、会場のカラフルなテントが徐々に大きく見えてくる。もう一人ランナーの背中が大きく見えてきたので、ゴールまでに頑張ってもう一人抜くことにする。Uターンしてゴールに向かう前に何とか抜き去りゴール。ざっと数えた感じでは13番目にゴールしたのであった。ゴールタイムは18分50秒。最後の1kmに4分1秒もかかっていることになるので、距離にやや疑義あり?
選手名簿もなければ、ナンバーカードの識別も出来ない。年代別どころか総合の順位すらわからないゴールだった。記録証発行所において一緒に走った選手が「最後はもうペースを上げる余裕がありませんでした」と。記録証発行所において発行された記録証には「50歳以上 第2位」という印字。私よりも前にもう一人誰か同年代の人が走っていたことになる。 あてで結果がわかったのであるが、タイム差は「20秒」。後から言っても仕方がないが、もう少し積極的に走っても良かったかもしれない。少々反省の残ったところである。
本日の戦利品
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