第29回佐久鯉マラソン大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ビジネスホテル佐久イン清水屋旅館 私のサイトの平成28年5月3日(火・祝)付けニュース「ゴールデンウィーク(前半)」でも取り上げたが、前日出発して車中泊するのか、それとも夜中に出発して当日の朝会場入りするのかも、大会開催日の一週間ほど前まで決めかねていた。 ところが4月から就職した会社の福利厚生で、一泊2食で5,000円の補助が支給されることがわかったため、急遽、宿泊施設を探し前泊することにした。とはいえGW中ということもあり、ネットで検索したリーズナブルな施設は満室ばかり。残っているのは一泊で4万円以上もする高額な宿泊施設ばかりでおまけに会場からも近くはない。最後は「ネット予約が出来ないようなところであれば空いているはずだ」と考え、電話をかけたのがこの「ビジネスホテル佐久イン清水屋旅館」だ。JR小海線の中込駅のすぐそばにある。自動車でなくても鉄道でも行くことが可能であるし、自動車で会場まで10分程度と近いことが決め手だった。 「部屋にはトイレも風呂も無いですがいいですか?」と電話の主。「ハイ、構いません」と私。確かに今時のビジネスホテルト比べれば施設面では劣っているかもしれないが、GWの期間中泊めてもらえるだけでもありがたい。すぐさまOKの返事をしたが、一軒目で予約が出来るとは思っていなかったのでありがたかった。インターネットなるものが無かった時代は、宿泊ガイドブックなるものを購入したり、時刻表の巻末のページを見て安そうなところから1軒ずつ電話をかけて予約をして行ったものであるが、久しぶりに電話予約をした。 部屋の広さは4畳半ほどだろうか。ベッドが部屋のかなりのウエイトを占めていて、残りは小さなテーブルと椅子だけ。テレビの備え付けはあるものの、部屋には冷蔵庫は無い。最近付けたばかりの感じの無線LANはある。トイレは1フロアに一か所。シャワー付きなので快適だし、3階には大理石風呂という浴槽の広さが3〜4畳程度の共同浴場がある。狭い部屋のユニットバスより足を伸ばせるだけ私はいいと思う。ただし部屋の防音は少々気になるところ、廊下の話し声も聞こえてくる。素泊まりなら3,800円。今回は一泊2食で5,600円で宿泊したが、私的には合格点の施設だと思うし、とにかくGWに泊めてもらえただけでもありがたかった。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 スローな展開だったが・・・ 2kmコースは7区分のウエーブスタート。ファミリーの部に加え、小学校4年生以上の一つの学年を男女ごとに分けてスタートしているので、人数が少ない割りには進行に時間がかかっている。陸協の役員さんらしき人が多く係わっている感じなので、トラックにおける種目ごとのスタートを真似しているような感じだ。あらかじめスタート時間はわかってはいたものの、受付時間の〆切が8時15分と早かった割りにはスタートまでの時間が長すぎる。5kmは11時ちょうどにスタートなのでさらに遅い。
10時40分。ようやく自分のスタートする時間となった。3kmは50歳以上男女と中学生女子のみのスタートとなる。若年層は中学生女子ということで、どういう展開になるのかが読みにくかった。なぜか少々緊張する中でピストルの合図と共に選手はスタートしていく。スタート場所のコース幅が広いのは、大正村クロスカントリー(岐阜県恵那市)以来のことである。
この日の戦術は、終わってみれば反省すべきとても消極的なものであった。前を走る選手がいれば、その後ろに付いていき、頃合いを見計らって前に出るというもの。レース展開が早くても遅くてもあまり関係はないものの、主体性に欠ける内容だった。 10年くらいまでであれば、人の顔色をうかがうことも無くピストルの合図と共に勢いよく飛び出していったものであるが、肉体的にスタートしてからすぐさまトップギアに入れることが厳しくなってきたこと、椎間板ヘルニアから完全に回復していないこと−等もあり、最初から飛ばしていくというレースはこのところご縁がない。 この日は序盤から異常なくらいのスローペースとなった。どうみてもハーフマラソンくらいのペースで3kmのレースが始まっている。多目的広場を出て公園内を1周している間は、明らかに4分/km程度のペース。先頭の後ろで待機するものの、前を走る選手は60歳を過ぎているような感じの2人だった。さすがにペースが遅いことに痺れを切らした選手が数人、公園内の1周目を終えて前に出る。とはいえ極端にペースが上がった雰囲気はない。 公園内の2周目に入り、先頭集団は一人の女子中学生と4人のオジさんの合計5人となった。女子中学生と第2集団の女子中学生との間は少し離れているので、やや安泰と感じたのであろうか女子中学生もペースを上げる雰囲気はない。私を含めて4人のオジさんたちは相変わらずお互いにけん制しあっている。レースが動き出したのは、この5人の集団が公園内の2周の周回を終えて一般公道に出てからだった。
一般公道に出てから女子中学生のペースが少し上がったため、それに合わせるようにして私もペースを上げる。オジさんたち4人のうち1人が脱落し始めて、残りは女子中学生1人+50歳以上のオジさん3人となった。ペースは手加減されることなくどんどん上がっていく。駒場公園からこのコースの唯一の折り返し地点に向かっては緩い登り坂になっているが、この遅いペースにもかかわらず私も少しずつ遅れ始める。ゴール前のスプリント勝負を目論んでいた私にとっては自分自身が誤算であった。 先頭グループは女子中学生と50歳以上のオジさん2人となった。本来であれば、まだまだ付いていってゴール前まで我慢するタイミングである。しかしなぜかわからないが、この日は足が動かず前の3人とはどんどん差が開いていった。ペースが遅すぎて”足が余った”のだろうか。”足が余った”というのは、ゆっくりペースだからといって自分のちょうどいいペースからすれば遅すぎて、かえってペースが合わずに疲れてしまうという現象だ。マラソンなどで、ゴール後に敗因を語る選手も決して珍しくない。
いずれにしても自分のイメージと走りが分離してしまい。前の3人とは距離が開く一方になってしまった。ゴールは11分11秒。公認コースではないが、折り返し地点まで設けて距離を調整しているので、距離そのものは正しいだろう。わずか3kmで11分越えは初めて。もちろん駆け引きの結果でタイム狙いで走ったわけではないのでタイムにこだわる必要はないだろうが、負けると無残なタイムだけが残ってしまったような気がする。
本日の戦利品
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