第38回全国白つつじマラソン大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
6年ぶりの山形県遠征 3月までは名古屋に住んでいたので、移動となるとどうしても東よりも交通の利便性の良い西側に行く傾向があったが、4月からは単身赴任で千葉県市川市に住んでいるため、せっかくの機会と思ってこれまであまり足を運ばなかった北の方に出かけることを検討している。特にこれから暑くなってくる季節なので、涼しいところが気持ちがいい。時期的には少し早いが少々暑くなり出してきたので、今回は東北でも比較的東京から近い山形県に行くことにした。山形県に出かけるのは6年ぶり5回目。 前回は、国盗りのために今回と同じ山形県長井市を訪れている。その当時は、10月に開催される「長井マラソン」に出場するためであったが、今回は同じ長井市内でも5月に開催される「全国白つつじマラソン」。5月10日から5月31日にかけて行われている「白つつじまつり」中のイベントの一つのようだ。 さて、この長井市であるが、名古屋から出発したときは麻生内閣時代の「高速道路、どこまで乗っても1,000円(一部例外あり)」を利用して自動車で出かけたが、今回は往路は夜行バス、復路は山形新幹線と高速バスを乗り継いで帰ることにした。それほど急いでいる感じもなく山形県を往復できる首都圏は、さすがに東北に近いとあらためて感じた次第である。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 山形鉄道フラワー長井線 今回、東京から山形県長井市に至るまでの行程のうち、赤湯までは前出の東北急行バスにより、赤湯から先は山形鉄道フラワー長井線により現地まで何とか公共交通機関で到達することができる。 この山形鉄道であるが、有する路線は「赤湯〜荒砥(30.5km)」のフラワー長井線の一路線のみである。大正2年10月、赤湯〜梨郷(9.6km)が軽便鉄道として開業したのが始まり。大正12年4月に赤湯〜荒砥が全通している。その後、昭和63年10月にJR長井線が廃止となり山形鉄道に移管され現在に至っている。年間の乗客も山形鉄道に移管された頃は年間143万人程度であったが、現在は約半分ほどに低下している。 山形鉄道フラワー長井線の経営努力については、度々、テレビで取り上げられているのを目にすることがある。地方の第三セクターらしく涙ぐましい。この日も、最初に赤湯〜長井(620円)の乗車券を買おうと思ったが、赤湯駅で「土・休日フリーきっぷ(1,000円)は車内でお求めください」と貼り紙がある。単純に赤湯から長井まで往復するだけで、この切符を買った方が安くなる。おまけにこの切符は「大人1名につき小学生以下2名まで」この切符で乗車が可能ということになっている。自動車でお出かけするなら、山形鉄道に安く乗りましょうと誘っていることがよくわかる。これ以外にも、長井駅ではタオルの販売などなりふり構わず収入を上げる作戦に出ていることがよくわかる。
後半にタレる悪い癖 この大会は午前10時に10kmと5kmが同時にスタートするという大会だ。10kmのエントリーが344人、5kmのエントリーが186人で合計530人。私が主張する気持ちよくスタートができる適切な人数である。スタート時間をそれぞれ分けてもいいが、途中まで同じコースなのでこの程度の人数なら同時スタートでも確かに構わない。
スタート場所は長井市民文化会館前の国道287号線。3桁ではあるが国道なので、さすがに交通量が多い。スタートの直前まで自動車の通行をさせ、スタートの3分前にようやく交通規制を始める。そのため選手は歩道で待機。係員の合図と共に慌ただしく並ぶ。おそらく国道をスタート場所にしている関係で長時間の交通規制ができない−それが10kmと5kmを同時スタートにしている理由かもしれない。 スタート3分前にようやく並べるということで、、この日は整列する少し前までウインドスプリントなどの準備ができて私には好都合。それでも今回はキチンと最前列に整列できた。 10時ちょうど、ピストルの合図と共に国道287号線を南下する。最近は、50歳以上の選手ばかりのスタートに慣れてしまっていたのでゆっくりスタートをしていたが、この日は若い選手に混じってドーンとスタートを切る。 国道287号線を南下しさくら大橋の西側交差点を左折。最上川にかかるさくら大橋を渡る。この頃、私の前を走る選手の数は約20人。中学生くらいの選手もちらほら私の前を走っている。最初の1kmの看板が見えてきた。3分34秒。久しぶりだがまずまずの入り。本当はこの程度のタイムで最後までまとめたいところであるがなかなか体が言うことを聞いてくれない。 さくら大橋を渡り終えると、ここで10kmコースと5kmとコースが二手に分かれる。私の走っている5kmコースは、さくら大橋を渡ってすぐに左折する。ここで前を走る選手の数を数えるが11人。私は12番目を走っていることになる。今日の私のナンバーカードは「5606」番。プログラムには40歳以上の区分けしかなかったが、どうも40歳代が「5400番台」、50歳代が「5600番台」のようである(60歳以上は5800番台で別区分)。スタート時に最前列に並んでいたのでここまで確認済みであるが、私よりも前を走っている5600番台のいないはず。今日はここまで気持ちよく年代別の先頭を走らせてもらっている。
しかしながら、単身赴任生活になってから練習が単調になって、ハイペースで走る練習をほとんどしていないので、2kmを過ぎてからこのペースがきつく感じ出す。極端にペースを落としたわけではないが、この辺りから後ろから少しずつ抜いていく選手が増えだした。半分を少し過ぎたところで、とうとう5600番台の同年代の選手に抜かれる。大きくペースが違っているわけではないので、ここは付いていく。チャンスがあれば、最後のスプリント勝負に持ち込まなければいけない。 3kmの通過が11分35秒。この1kmが4分26秒。明らかにここまでペースが下がっているようには感じていない。おそらく距離表示の設置位置の間違いだろう(4kmの通過が14分57秒で、3〜4kmの1kmが3分22秒で急に1分もペースが上がっているので、距離表示の設置位置の誤りは明らか)。抜かれてからは、付いていかなければならないのでギリギリのところで走ることにする。 頭首工を超えて少し走ると、最上川に架かる長井橋が見えてきた。コースは最上川の右岸道路から長井橋を渡るコースに変わる。前を走る同年代の選手には、後ろにいることを悟られないように5mほど間隔を開けて走っているが、正直、こちらも一杯一杯。長井橋を渡り再度左折し、今度は最上川の左岸を走るコースに変わる。4km地点を14分57秒で通過。残り1kmではあるが、こちらはいよいよ余裕が無くなってきた。残り500mくらいだろうか、後ろから3人の選手がやって来て、一気に追い抜かれる。この頃から、前を走る同年代の選手との距離が少しずつ開きだした。それに追い打ちを掛けるようにこの3人が同年代の前を走る選手を追い抜いていく。刺激を受けた前を走る同年代の選手はペースを上げることとなり、私との差はさらに広がってしまった。万事休す。練習がキチンと出来ていないこともあり、今日も後半タレる悪い癖が出てしまった。 ゴールタイムは18分47秒。距離が合っているかどうかはわからないが、とりあえず18分台の後半。まずは18分台前半でコンスタントに走りながら、17分台を目指していくことが当面の目標になる。まだまだ復活は遠いと感じたレースだった。
赤湯温泉 今回の遠征では観光らしき観光はしていないのですが、唯一、観光としての目的地としていたのが赤湯温泉です。「何で赤湯?もしかしたら温泉の色が赤いの?鉄分が多くて錆の色だろうか?」と、勝手な思いを抱いて赤湯温泉に期待を掛けます。 赤湯温泉へは大会終了後、山形鉄道で長井から赤湯に戻り、駅前の食堂で昼食。その後、徒歩で赤湯温泉の温泉街に向かいました。 赤湯温泉街には、私のように日帰り入浴したい人のための施設がたくさんあります。特に公衆浴場は充実していて、「赤湯元湯」をはじめとして「ときわの湯」「烏帽子の湯」「あずま湯」の4つがあります。赤湯元湯は200円ですが、それ以外の3つの公衆浴場は100円で利用できます。このほかに、無料で利用できる「足湯」もあります。 当初は、この「赤湯元湯」に入浴しようと思って行ったのですが、ちょうど午後2時〜午後3時が点検清掃時間となっているため入浴ができません。到着したのが午後1時半ですので、入ってもすぐに追い出されてしまいます。そのため少々出費にはなりますが(といっても600円)、すぐそばの丹波館さんを利用することにしました。丹波館さんのキャッチフレーズは「大正ロマンの香る癒やしの宿」です。今回宿泊するわけではありませんが、それなりに温泉を楽しむのであれば老舗の宿の方がいいかもしれません。 日曜日の午後1時半過ぎに丹波館さんに行きましたが、この時間は旅館やホテルは閑散としている時間帯。入っても誰もいません。呼び出しをすると若い女の子が対応してくれて、おまけに大きな荷物も預かってくれました。感じが良いですね。そして600円を払って教えてもらった浴場に行くと、先客が2人ほど入浴中でした。思ったよりもやや小振りの浴槽でしたが、残念ながら温泉は無色透明です。 赤湯温泉旅館協同組合のホームページを見ると、「湯治湯として古い歴史を誇る赤湯温泉は、寛治7年(1093年)奥州統一を担った源義家が戦をしていた時、動向していた弟義綱に発見されたと伝えられる、開湯900年余年を経た歴史ある温泉です。以来、伊達領時代を経て上杉領となり、米沢藩時代には、殿様が入る箱湯として保護されるとともに、藩公認の遊興の場所として栄えました。」とあります。なぜ赤湯かについてはまったく触れられていません。そこでWikipediaで調べたところ「開湯は約900年前、源義家の弟、源義綱が発見したとされる。家臣達がこの温泉で傷を癒した際、傷から出た血でお湯が真っ赤になったことから、赤湯と呼ばれるようになった。」とあります。謎はここで解決。 温泉そのものは、特にすべすべ感があるわけでもなく、かといって塩気があるとかいうような特徴もなく、名前の割りには少々インパクトは少なかった。とはいえ、レース後に汗を流すには十分な施設。風呂上がりには無料で飲める冷たい水などが用意されており、老舗旅館の風情を味わうことができたという点では丹波館で良かったと感じました。 本日の戦利品
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