第3回いしのまき復興マラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
バス三昧 大会の前日の土曜日の夜、バスタ新宿から石巻へ夜行バスで移動。仙台で乗り換えることを覚悟していたが、直通便があることがわかり、非常に助かった。その到着した、石巻駅前から会場までシャトルバスの運行がある。協力金ということで往復分で500円を支払うが、安いモノだと思う。乗り換えの時間を利用して、JR石巻駅のNewDaysで朝食のおにぎりを購入。往路の移動は無駄が無い。 復路も会場から石巻駅前までシャトルバスで移動。ただし表彰式が長引いたこともあり、5分差で予定していた列車に乗ることが出来ず。次の列車が1時間待ち。よく見ると、石巻駅前から仙台駅前まで高速バスが出ている。JRが840円に対し、こちらは800円。電車の中でビールを飲んでいると変な目で見られるが、バスの中ならそんなこともあるまい。おまけに、電車よりも仙台へは早く着く。唯一乗る予定であった電車にも乗らず。そして仙台から東京へはJRバス等での利用を考えていたが、あいにくちょうどいい時間帯の便がない。いろいろ調べると「さくら高速」という格安バスの便が、そこそこ良い時間帯にあることがわかった。仙台から新宿まで3,700円。新幹線の3分の1。「時は金なり」の諺はゴミ箱に捨てて、本八幡〜新宿以外の行程を全てバス移動でまかなった。あらためてバス様々だと思った次第。
石ノ森章太郎と石巻市 前述のように、宮城県石巻市へは平成23年11月以来の訪問。今から5年半前は宮城県登米市で開催された第26回カッパハーフマラソンに出場する際、仙台からレンタカーで移動する際に石巻市にやって来たほか女川町、志津川町などの被災地にも来ている。5年半前は、被災から約8ヶ月、街のあちこちは無残な姿となった建物が放置され、瓦礫は道路そばに壁のように積み上げられていた。テレビを通じて見ていた画像が、今、目の前にある。教科書を通じて歴史を学んでも今ひとつピンとこないが、生まれてから毎日いろんな出来事がある。その積み重ねが歴史でありこちらは実感がある。それと同じで、テレビというワンクッションをおいて見るものと、直に見る違いというのは大きい。津波がとてつもない破壊力があるものであることを、まざまざと見せつけられた。家屋を失い、家族を亡くされた方は、想像を絶する心の傷を負ったに違いない。たまたま、この地に住んでいたか否かでこれだけの運命が左右されることを思うといたたまれない気持ちになる。 その石巻市であるが、5年半ぶりにやって来て瓦礫は片付けられ、街の中もある程度は整備され、更地のままのところはところどころで目につくものの、津波の傷跡は消えたかのように見える。しかしながら、今回の大会のコース沿いには、仮設住宅が団地のように多く並んでいる。資金も貯金もなく、ここから出て行くことができない人が相当多く残っているということだろう。まだまだ復興は道半ばと感じた瞬間だった。しかしいつまでも、地元の人たちも悲しんでばかりはいられないだろう。石巻には石ノ森章太郎萬画館という施設がある。 石ノ森章太郎は、宮城県でも登米市の出身。石巻市の出身ではない。石巻と石ノ森章太郎の繋がりは、この萬画館のホームページによると「宮城県登米市中田町出身の石ノ森先生と石巻とのつながりは、1995年7月に当時の石巻市長との対談から始まりました。話の中で、シャッター街となった石巻の中心市街地ににぎわいをもたらし、様々な情報を発信していく事を目的として、石ノ森先生とゆかりのある「中瀬」にマンガミュージアムを建設する話が持ち上がり、それをもとに石ノ森萬画館を建設する構想「マンガランド構想」が誕生しました。(※学生時代、石ノ森先生は現在萬画館が建つ宮城県石巻市中瀬地域にあった映画館「岡田劇場」に自転車で3時間ほどかけて映画を見に来ていたといわれます。)」とある。出身は登米市でも、自分を育ててくれた一部が石巻にあったと感じていたのであろう。おかげで、石巻には石ノ森章太郎にちなんだ、オブジェや絵があちこちに目に入る。大人でも子どもでも、意外と漫画から元気が貰えるものだ。仮面ライダーやサイボーグ009のような漫画は、この街にはうってつけだ。今回、駅前だけでも少し歩いてみたが、あちこちにこの街を元気づけるキャラクターが目に入る。簡単には復興はできないだろうが、こういうところからでも少しずつでも前向きになれそうな石ノ森章太郎の漫画は、石巻の街に相応しいと思う。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 レース この大会のメインはハーフマラソン。10時ちょうどにスタートする。その15分後に私の出場する5kmと10kmが同時スタートする。ハーフマラソンは、申告タイムごとにスタート位置を分けているが、5kmと10kmは早いもの順。このあたりが、歴史の浅い大会らしい。遅いランナーが前にいると危険なので、申告タイム順に改善を是非ともお願いしたいところである。 また5kmと10kmの同時スタートであるが、5kmのエントリーが220人、10kmが401人と決して少ない人数でもない。スタートの混雑を考えると、5分程度でも良いので分割すべきだろうと思う。
スタートして、しばらくは石巻専修大学を右手に見ながら走る。左手には北上川が流れているはずであるが、草に覆われた堤防で川は全く見えない。そういう意味では、少々、殺風景な感じが続くコースかもしれない。500mほどすると、私の前を走る選手たちの様子がわかってきた。10kmはナンバーカードの支給が2枚、それに対して5kmは1枚のため、背中にナンバーカードを付けている選手は10kmの選手。無いのは5kmの選手ということになる。前を走る選手の総数は、ざっと25人ほど。このうち10kmの選手は8人ほど、残りは5kmの選手だ。後ろから見ても、私と同年代の選手は、一人くらいのような感じがする。 1kmを過ぎたくらいから、後方から10kmの選手が抜きにかかりにくる。石巻専修大学の女子ランナーや10kmの49歳以下の選手らだ。私よりも若いが、こちも走る距離が半分の5km。そう簡単には抜かせはしない。 この人らと、バトルをしているうちに、5kmコースのの折り返し地点(スタートから約2.2km〜2.3km)が見えてきた。すれ違うランナーを数えると、私は15番目でのターンだった。今日は、入りが安全運転のため、後半でも勝負ができるようにペース配分をしている。
5kmコースの折り返し地点で、私のすぐ前をUターンしていったランナーが、唯一、同年代のランナーだった。この時点で、年代別で2番でターンということになる。ところが、その前を走るランナーの様子がおかしい。前半飛ばしすぎなのか、腹痛でも起きたのかはよくわからないが、ペースが鈍っているのは明らかだった。徐々に背中が近づいてくるのがわかる。おそらく、ゴール以前の早い段階で追いつくだろうと思っていたが、ハーフマラソンの19kmの標識(残り約2.1km、5kmでは2.9km地点)で追いつく。足を引きずっているようではないので、脚の故障では無いようであるが、ここは手加減をせずに一気に抜き去ることにする。その前には、男子49歳以下の選手が走っているが、ゴールまでに何とか追いつけないかと徐々に近づくものの、この選手にはギリギリ追いつくことはできなかったが、年代別ではトップでゴールすることができた。タイムは19分40秒。何とか18分程度までの状態に戻したいことを考えると、まだまだの感はあるが、自治体主催の大会では久し振りの優勝を味わうことができた。
本日の戦利品
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