第27回はしかみつつじマラソン 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
盛岡市内でランニング 今回は旅費を節約するために大会の前々日の金曜日から夜行バスで移動をすることにした。夜行バスを利用するのは久し振り。安眠マスクや空気枕を忘れてしまったため、あまりバスの中では眠れなかった。バスは盛岡まできちんと定時で運行。このバスは盛岡を経由して八戸にも向かうが、なかなかやってくる機会のない三陸海岸に行きたかったので、今回夜行バスは盛岡までの乗車とした。 また、盛岡から三陸海岸経由で八戸へ行く場合、一番接続がよいのが盛岡を11時過ぎに出発するJR山田線の宮古行きの列車。そのため盛岡で5時間近く時間があるので、とりあえず盛岡市内でランニングをすることにした。盛岡はこれまで何度かやってきているが、あまり観光をしたことのない都市のうちの一つだ。 今回、盛岡駅から徒歩で15分ほどのところに早朝から営業をしている「開運の湯」という温泉を見つけた。事前に荷物を預かってもらう交渉をしておいたので、ここを起点に盛岡城址(公園)とそのそばを流れる中津川の河川敷を中心にランニング。中津川の畔は、ネットで調べた情報とやや違って草刈りがあまりされておらず、この時期としては走るのは少々辛かったというのが感想。
盛岡→宮古→久慈→八戸と移動 今回の楽しみの一つが、三陸海岸をぐるりと廻ること。 盛岡から単純に北上して八戸に行く場合、IGRいわて銀河鉄道を利用することになる。宿泊先の最寄りの本八戸へは加えてJR八戸線を利用することになる。運賃は合計3,230円(113.4km)。乗り継ぎがスムースにいけば2時間強の所要時間。 一方、盛岡→(JR山田線)→宮古→(三陸鉄道北リアス線)→久慈→(JR八戸線)→本八戸と普通は使わないルートで本八戸へ向かう場合、運賃は4,870円(232.5km)。最短の所要時間は、5時間36分。乗り換えが2回で各6分ずつなので、乗車時間としては5時間24分。三陸海岸を経由する必要がなければ、このルートは普通は使わないはずである。 今回は、こういう機会がなければなかなかアクセスに難のある三陸海岸には来ることがないので、車窓からだけではあるが三陸海岸を楽しんできた。特に三陸鉄道は、トンネルの区間は多かったものの、教科書でしか勉強したことのなかった「やませ」を実際に見ることが出来た。偶然とはいえ、三陸海岸経由で行った甲斐があったと思う。以下に各の乗車区間についての感想をまとめた。 JR山田線 まず最初に乗車したのはJR山田線。山田線は盛岡から宮古を経由して釜石まで157.5kmを結ぶJR東日本の路線であるが、このうち宮古・釜石間は2011年(平成23年)3月の東日本大震災以降不通になっている。現在営業しているのは盛岡・宮古間の102.1kmである。 今回、移動に際してボトルネックになったのが、この盛岡・宮古間である。この区間を通しで運行する列車は一日わずかに4往復。盛岡側からの通しの最初の列車がこの日乗車した11時05分発の快速リアス。山田線にほぼ並行する国道106号線には、盛岡・宮古間を直通で走るバスがほぼ1時間に1本走っている。JRとしては極めて不利な状況にある。 乗車率としては20〜30%程度であろうか、盛岡・宮古間を通しで乗車する乗客もいたが、私と同様、地元住民ではなく観光目的の年配の乗客のような感じ。宮古まで延々と山間(やまあい)の中を走る路線で似たような風景が続く。
三陸鉄道北リアス線
ウィキペディアによると、三陸鉄道・北リアス線の歴史は以下のように書かれている。
確かに宮古〜久慈の71kmの間に長さが1kmを超えるトンネルが、猿峠トンネル(2,870m)、一の渡トンネル(2,245m)、真崎トンネル(6,532m)、摂待トンネル(2,446m)、小本トンネル(5,174m)、切牛トンネル(1,824m)、羅賀トンネル(1,271m)、普代トンネル(4,700m)、第一白井トンネル(1,540m)と9つもある。その大半が宮古〜普代の北リアス線の南側に集中している。そのため、宮古から久慈に向かって最初のうちはトンネルだらけで、思った以上に海が見えないと感じる。 普代から先は、阪急トラピックスの団体の観光客が乗ってきて、車内が急に賑やかになる。わざわざ観光バスから降りてきて、この列車に乗り換えるのであるから、何か観光スポットがあるのであろうと思っていたところ、先の運転手が列車の速度を緩めながら観光案内を始める。 普代の一つ先「白井海岸」と「堀内(ほりない)」の間には「大沢橋梁」があり、ここからは海側と山側との両方を楽しむことが出来るという。山側には「堀内大橋」を下から見上げるスポットでもある。連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台がこの三陸鉄道であるのは周知。主人公の祖母が東京へ旅立つ主人公を見送るシーンなどが撮影されたのがこの大沢橋梁である。
なお、この日は宮古〜久慈の各地で「やませ」が発生。昼間から気温がぐっと下がり、列車に乗っていても「やませ」の発生しているところでは、肌寒さを感じた。
JR八戸線 久慈で三陸鉄道北リアス線からJR八戸線へ乗り換える。ここから先は再びJRとなる。 この日乗車するのは、主に土日運行する「リゾートうみねこ」。平日も同じ時間帯に鈍行が走っているが、土日は観光客目当てで車両を変え、列車名を付けて運行しているようだ。 「リゾートうみねこ」は3両編成。先頭車は指定席であるが、残りの2両は自由席。恐ろしく混むことはないだろうと思い指定席のチケットは取らなかったが、予想通り車内はガラガラ。夏休みのようなときにはチケットの確保は必須であるが、単なる土曜日程度であればこの程度かもしれない。 なお私が利用した2号車は、座席が畳のボックスシート。2人掛けで向かい合うような形になる。小さなテーブルもついているので、軽い飲食が出来ることも考慮している。 この「リゾートうみねこ」であるが、2011年(平成23年)4月から八戸駅より八戸線・三陸鉄道北リアス線経由で宮古駅まで指定席連結のリゾート列車として運行され、さんりくトレイン宮古との接続により山田線経由で盛岡駅までを結ぶ周遊ルートを形成する予定であったが、震災発生に伴い、三陸鉄道の全線復旧までの間、暫定的に八戸線内のみで運行を開始した経緯があるようだ。
JR八戸線は、三陸鉄道北リアス線ほど内陸を走る区間は少なく、海沿いを走るので景色はよいはずであるが、久慈を過ぎても相変わらず「やませ」の影響で景色が霞んでいる。 種市を過ぎたあたりから徐々に視界がよくなりだした。「やませ」から脱出したようだ。それに伴い車内の気温も少々上昇気味になってきた。JR八戸線には、階上(はしかみ)駅があるが、今日はこのまま八戸に向かう。階上町内は公共交通機関があまり発達していないこと、宿泊できる施設が見つからなかったこともあり、この日の宿泊場所を八戸にしたのであった。 種差海岸駅付近からは、海岸に目をやるとウミネコの住処が目立つようになってくる。一昨年、八戸にやってきた際には「鮫駅」から徒歩で蕪島までウミネコを見に来た。今回は車窓からその景色を見ることになる。蕪島の頂上には火災で焼失した蕪島神社がある。2年前に来たときは、焼け落ちた残骸しかなかったが、この日車窓から見る限りでは再建中の神社の社殿が見える。 「鮫駅」を過ぎると、乗客の数が急激に増える。八戸線の八戸・鮫間は、八戸線でも「うみねこレール八戸市内線」という愛称で運転本数も鮫以遠と比べるとずっと多い。3両編成の「リゾートうみねこ」も、私の下車する本八戸に近づくにすれて乗車率が急激に上がってきた。 16時41分。2年ぶりに八戸の街にやってきた。明日、階上町にへ向かう路線バスのバス停の位置と宿泊施設のコストを勘案した結果、この日は八戸の中心街に宿泊することにした。
コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 遠来賞 大会当日であるが、会場の最寄りは「登山口」というバス停。調べたところ、岩手県を地場としている南部バスが運行していることがわかった。登山口というのは、階上岳(標高740m)の登山口を表しているようだ。 なおこのバスは、八戸市内から階上町内を循環して八戸に戻ってくるルートになっている。いわゆる右回りと左回りのようなルートである。ホテルのそばに「朔日町(ついたちまち)」というバス停があり、そこを7時49分に出発し、会場最寄りの「登山口」には8時24分に到着するバスが一番都合がいい。受付時間が8時30分〜9時なので時間的にはちょうどいい。ただし、次のバスの出発は12時22分なので、乗り遅れたらアウトである。
バスは定時で運行し、登山口バス停では私を含めて5〜6人ほどが下車。出で立ちからして登山者ではなく明らかに大会に参加するランナーだ。大会要項には、バス停から徒歩1分とあったが、実際には2分ほど歩く。 体育館内で受付を済ませ、コースの試走に出かけようと思っていたところ「ナンバーカード820番の加藤さん。いらっしゃいましたらアナウンス席までお越しください」と呼び出される。「なんぞや?」と思い、ステージ前のアナウンスをしていた女性のところに出向く。 「加藤さんは、今大会では一番遠いところからいらっしゃったので、開会式のときに遠来賞を差し上げますので、その時間には開場で待機をお願いします」という。千葉県市川市からの参加で遠来賞とは・・・。時間は9時30分頃という。急いでコースの試走に出かけ、9時15分頃には体育館に戻ってきた。 開会式では最年少の2歳、4歳の兄弟、また最高齢の男性、女性とあわせてご紹介いただいた。遠来賞はこれまでも何度かいただいたことはあるが、お金をかけてわざわざここまできてくれたことに対してお礼をするという意味では、決して悪いものではない。が、千葉県市川市程度で遠来賞というのは、少々気が引ける思いだった。
レース
スタートして50m程度で、体育館出口の門を超え一般道に出たところで左折する。左側車線のみが交通規制の対象となっているが、しばらくすると20人程度が私の前にいることがわかる。最近は大会規模に関わらず、参加者全体の10%くらいの位置にいることが多い。ほどなくして再度左折し、農道のようなところに入っていく。関東から北上したので、涼しくなるだろうと思いきや、この日の青森県地方は予想外に暑い日となった。 この日もスタート直後の勢いは1km程度で無くなり、相変わらず集団に置いていかれてしまう。1km地点(2kmコースの折り返し地点)の通過が3分48秒。さらに進んで1.5km地点(3kmコースの折り返し地点)の通過が5分30秒だった。ここまでは少し下り気味ではあるが、概ね平坦と行ってよいコースだ。1.5km地点を過ぎてすぐさま左折する。問題はここからの攻め方だ。
左折したところでいよいよこのコースの本領が発揮されだした。まずは下り10%は軽く超えているだろうという下り坂がガーンと始まる。序盤なので脚にかかる負担はまだまだ少ないが、折り返してからはここを登ってこなければならない。下りきったところで一転して今度は登り。この登りも10%はあろうかというような急坂である。アップダウンの激しいコースは腰にぐっと負荷がかかる。 このあたりでは前のグループに置いていかれ、後方からの突き上げからも少々離れていたので、単独走になっていた。 2.5kmで折り返し地点を迎える。10kmコースの選手はそのまま直進するが、5kmコースはここでUターン。折り返しタイムは9分57秒。13番目でUターンする。前には同年代の選手が2人いたが、ちょっと追いつきそうも無い距離だった。 Uターン後は、先ほど登ってきたところを下り、下ってきたところを登る。単純往復コースは、先が見えるのでアップダウンが多いほど精神的に堪える。
右折しスタート後の2車線の道路に出ると、少しばかりであるが応援の人がいる。前を走るランナーとの距離はかなり開いている。後ろからの足音も聞こえないのでこのままゴールだろう。 20分48秒。暑さとアップダウンの影響で、惨憺たるタイムになってしまった。このくらいのコースであっても、少なくとも19分程度で走らなければ話にはならない。ただ、練習ではこういうアップダウンのあるところを走る機会が少ないので、そういう意味では足腰を鍛えるにはいいコースだったと思う。
本日の戦利品
|