第27回はしかみつつじマラソン 参戦記

 2年ぶりの青森県の遠征です。
 前回は八戸市から北へ少し行ったところにある「おいらせ町」が目的地でしたが、今回は八戸市から東へ行ったところの階上町(はしかみちょう)がその会場になります。階上町は、人口が約13,000人の町です。工業都市・八戸にほど近いので、八戸市のベッドタウンのようです。
 今回の会場は、階上町の中でも階上岳に近い階上町立中央体育館です。町の中心からはやや離れているため、私のように自動車を使わないで会場に行くにはやや不便なところですが、大半の参加者は自動車で会場にやってくるようなので、あまり気にかけていないようです。

 大会前日は、三陸海岸で「やませ」が発生したので、やや冷涼な気候でしたが、大会当日は打って変わってやや暑いくらいのコンディションになってしまいました。涼を求めて北に移動したにも関わらず、やや予想が外れたような感じになってしまいました。

 レースの方ですが、参加者が少ないこともあり10kmと5kmが同時スタートと珍しいパターンです。前半は概ね平坦でしたが、途中からアップダウンに苦しめられ、下りも早く走れず、登りは腰が痛くなってくる有様で、わずか5kmですが結構苦しめられました。タイム的には相変わらずサッパリでしたが、今回は遠来賞で地元特産のいちご煮ををいただいたり、前日にはホタテづくし定食を、大会当日は会場でこれまた郷土料理の「せんべい汁」を3杯もいただき、どっぷり八戸地方に浸かってきました。天気もよく、いろんな意味で収穫のあったここ数日です。
 

●大会名 第27回はしかみつつじマラソン
●開催日 平成30年6月3日(日)
●コース
 /大会要項
 /プログラム
階上町立中央体育館発着(地図)(青森県三戸郡階上町) 

大会要項 

プログラム

コースマップ
コースガイドはこちら
いずれもクリックすると拡大します
●天 候 晴れ、23℃くらい
●参加賞 Tシャツ、かもめちくわ、水(ゴール後)、せんぺい汁、いちご煮2缶(遠来賞)
●結 果 20分48秒(5km 総合 第13位、50歳以上男子 第3位)
●表彰 賞状、メダル
●過去の戦績 初出場
●交通手段等
【6月1日(金)/1日目】
徒歩 マンション 21:44 本八幡駅 21:52
地下鉄 本八幡 21:58 新宿 22:38 都営新宿線
夜行バス バスタ新宿 22:55 盛岡駅西口 6:05 WILLER N4922便
6:10
【6月2日(土)/2日目】
徒歩 盛岡駅西口 6:15 開運の湯 6:40
【荷物預け/開運の湯】
【盛岡市内ランニング】
【開運の湯/入浴】
【すき家盛岡西店/朝食】
徒歩 すき家 9:50 盛岡駅 10:15
JR 盛岡 11:05 宮古 13:10 山田線・快速リアス
  三陸鉄道 宮古 13:16 久慈 14:54 北リアス線
JR 久慈 15:00 本八戸 16:41 八戸線・リゾートうみねこ
徒歩 本八戸駅 16:41 ホテル 17:00
【ホテルリバティ/泊】
【6月3日(日)/3日目】
徒歩 ホテル 7:30 バス停 7:35
南部バス 朔日町 7:49 登山口 8:24
徒歩 バス停 8:24 会場 8:25
【第27回はしかみつつじマラソン 5km 10:30スタート】
徒歩 会場 12:50 バス停 12:52  
南部バス 登山口 12:57 本八戸駅 13:48
13:52
徒歩 バス停 13:48 温泉 13:55
【八戸城下町温泉 花衣/入浴】
徒歩 温泉 14:30 本八戸駅 14:35
夜行バス 八戸駅 19:25 バスタ新宿 5:25 WILLER N5019便
【6月4日(月)/4日目】
地下鉄 新宿 5:37 本八幡 6:17 都営新宿線
徒歩 本八幡駅 6:17 マンション 6:27
※ 赤色の時刻は、実際に出発(到着)した時刻。青色の時刻は、出発(到着)予定時刻
●費用
参加料 2,500円  
地下鉄 432円 (小川町〜新宿/往復。本八幡〜小川町は定期券区間)
夜行バス 8,800円 (バスタ新宿〜盛岡駅西口)
8,300円 (本八戸〜バスタ新宿)
入浴料 518円 (開運の湯)
400円 (八戸城下町温泉 花衣)
JR 1,940円 (盛岡〜宮古)
1,140円 (久慈〜本八戸)
三陸鉄道 1,850円 (宮古〜久慈)
南部バス 500円 (朔日町→登山口)
500円 (登山口→本八戸駅)
宿泊料 4,200円 (ホテルリバティヒル) 
合 計 31,080円  
●種目、参加者数(申込人数) 及び 各部優勝者。5km 男子50歳以上は6位まで (★は加藤が参加した部門
【10km−10時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
49歳以下男子 50人 舘石 盛行 28 青森県八戸市 吉田産業 37’05”
50歳以上男子 52人 石岡 尊広 57 青森県青森市 青森市役所 39’40”
一般女子 15人 佐藤 祥子 28 青森県八戸市 なかざわスポーツクリニック 49’09”
【5km−10時30分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢 住所 所属 記録
34歳以下男子 13人 高山 哲 31 青森県八戸市 メディセオ 17’29”
35歳〜49歳男子 21人 松平 昇 36 青森県八戸市 ST六戸マラソン部 18’44”
★50歳以上男子 34人 上原子 憲樹 51 青森県七戸町 サテライト六戸 19’28”
堀内 裕 52 岩手県久慈市 にいや整骨院RC 20’11”
加藤 一郎 56 千葉県市川市 名古屋市役所走友会 20’48”
和田 忠 57 青森県おいらせ町 芋達走友会 21’20”
田守 重美 60 青森県おいらせ町 サテライト六戸 21’26”
吉村 智治 53 青森県三沢市   21’36”
一般女子・高校女子 13人 番沢 亜貴子 32 青森県八戸市   23’14”
【3km−10時00分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 年齢  住所 所属 記録
小学生男子 48人 欠端 陽向 10 岩手県二戸市 サンビレRC 11’17”
中学生男子 7人 欠端 陽翔 13 岩手県二戸市 福岡中学校 9’50”
小学生女子 36人 佐藤 后仁羽 10 青森県八戸市 日計小学校 12’00”
中学生女子 6人 岩崎 彩花 12 岩手県久慈市 久慈中学校 11’46”
一般女子・高校女子 17人 廣田 清香 38 青森県八戸市 青森陸協 11’48”
【2km−10時45分スタート】
区分 参加者数 優勝者氏名 住所 住所 所蔵 記録
フリー 43人 表彰なし
総合計 355人  

盛岡市内でランニング
 今回は旅費を節約するために大会の前々日の金曜日から夜行バスで移動をすることにした。夜行バスを利用するのは久し振り。安眠マスクや空気枕を忘れてしまったため、あまりバスの中では眠れなかった。バスは盛岡まできちんと定時で運行。このバスは盛岡を経由して八戸にも向かうが、なかなかやってくる機会のない三陸海岸に行きたかったので、今回夜行バスは盛岡までの乗車とした。

 また、盛岡から三陸海岸経由で八戸へ行く場合、一番接続がよいのが盛岡を11時過ぎに出発するJR山田線の宮古行きの列車。そのため盛岡で5時間近く時間があるので、とりあえず盛岡市内でランニングをすることにした。盛岡はこれまで何度かやってきているが、あまり観光をしたことのない都市のうちの一つだ。

 今回、盛岡駅から徒歩で15分ほどのところに早朝から営業をしている「開運の湯」という温泉を見つけた。事前に荷物を預かってもらう交渉をしておいたので、ここを起点に盛岡城址(公園)とそのそばを流れる中津川の河川敷を中心にランニング。中津川の畔は、ネットで調べた情報とやや違って草刈りがあまりされておらず、この時期としては走るのは少々辛かったというのが感想。 

今回はバスタ新宿から夜行バスで盛岡へ向かいます。夜行バスに乗る人でごった返していました。

バスタ新宿を22時55分に出発します。WILLERのこのバスは車内にトイレがないので、途中SAで何度かトイレ休憩をしていきます。

盛岡駅西口には、定刻より5分早い6時05分に到着。天気がよくて一安心。関東と違ってややひんやり。

まずは徒歩で盛南大橋を渡り、温泉に向かいます。天気がいいと気持ちがいいですね。

雫石川のそばにあるのが「開運の湯」。早朝6時30分から営業しているとのこと。まずはここで荷物を預かってもらうことにしました。ランニング後はここで入浴。

盛南大橋から遠くに岩手山(2,038m)が見えます。少し雲がかかっているので、シルエットはくっきり見えませんでした。

盛岡城址公園のそばに「宮沢賢治が使用した共同井戸」というのがありました。盛岡に下宿していたときに使用していたとか。

こちらは盛岡城址公園の地図。

とりあえず中に入ってみました。

石垣は残っていますが・・・。

上がっていったところかわったものがありました。南部利祥中尉銅像台座だそうです。南部家42代当主の南部利祥は日露戦争従軍。共に従軍していた皇族軍人竹田宮恒久王を守り戦死したという。銅像は、南部利祥に勲章が下賜されたことを顕彰することで建てられたが、昭和19年軍需資材として供出されたので、現在は台座しか残っていない。

盛岡城はどんなお城だったのでしょうか。
この日と翌日、ここ盛岡城址公園で「東北絆まつり」が開催されます。ここがちょうどメイン会場のようです。
みなさん早朝から忙しそうに準備をしていました。

盛岡城址公園のすぐ横には、中津川が流れています。ネットでランニングコースとして紹介されていたので、とりあえず地図を片手に走ってみました。

まずまずいい感じ

と思っていたら腰より高い草でコースが覆われたところもあり、ちょっと厳しいところもありました

ちょっといい感じの橋(上の橋)がありました。京都の雰囲気が出ていますね

盛岡→宮古→久慈→八戸と移動
 今回の楽しみの一つが、三陸海岸をぐるりと廻ること。
 盛岡から単純に北上して八戸に行く場合、IGRいわて銀河鉄道を利用することになる。宿泊先の最寄りの本八戸へは加えてJR八戸線を利用することになる。運賃は合計3,230円(113.4km)。乗り継ぎがスムースにいけば2時間強の所要時間。
 一方、盛岡→(JR山田線)→宮古→(三陸鉄道北リアス線)→久慈→(JR八戸線)→本八戸と普通は使わないルートで本八戸へ向かう場合、運賃は4,870円(232.5km)。最短の所要時間は、5時間36分。乗り換えが2回で各6分ずつなので、乗車時間としては5時間24分。三陸海岸を経由する必要がなければ、このルートは普通は使わないはずである。
 今回は、こういう機会がなければなかなかアクセスに難のある三陸海岸には来ることがないので、車窓からだけではあるが三陸海岸を楽しんできた。特に三陸鉄道は、トンネルの区間は多かったものの、教科書でしか勉強したことのなかった「やませ」を実際に見ることが出来た。偶然とはいえ、三陸海岸経由で行った甲斐があったと思う。以下に各の乗車区間についての感想をまとめた。

JR山田線
 まず最初に乗車したのはJR山田線。山田線は盛岡から宮古を経由して釜石まで157.5kmを結ぶJR東日本の路線であるが、このうち宮古・釜石間は2011年(平成23年)3月の東日本大震災以降不通になっている。現在営業しているのは盛岡・宮古間の102.1kmである。

 今回、移動に際してボトルネックになったのが、この盛岡・宮古間である。この区間を通しで運行する列車は一日わずかに4往復。盛岡側からの通しの最初の列車がこの日乗車した11時05分発の快速リアス。山田線にほぼ並行する国道106号線には、盛岡・宮古間を直通で走るバスがほぼ1時間に1本走っている。JRとしては極めて不利な状況にある。

 乗車率としては20〜30%程度であろうか、盛岡・宮古間を通しで乗車する乗客もいたが、私と同様、地元住民ではなく観光目的の年配の乗客のような感じ。宮古まで延々と山間(やまあい)の中を走る路線で似たような風景が続く。

盛岡駅。県庁所在地の駅らしく、明るく賑わっています。

みどりの窓口で盛岡→宮古→久慈→本八戸の通しの乗車券を買おうとしたところ「宮古から先は三陸鉄道で購入してください」とのこと。

宮古行きの「快速リアス」は2番線から11時05分の発車。宮古までの通しの列車は一日4本しかないので乗り遅れは許されません

こちらが2両編成の快速リアス。土曜日の昼前でしたが、乗車率は20〜30%程度。

見たとおり好きなところに座りたい放題。

最初はこんな感じの風景でしたが・・・

区界峠を越えてからは、国道106号線と閉井川にほぼ並行して走ります。

空気がきれいな感じでいいですね。

釣りをしている人とか見かけませんでした。禁漁なのか、そもそも人がいないのか・・・。BBQをしている人もいないですね。

JR山田線の茂市駅。2014年(平成26年)3月末までは岩泉線(茂市〜岩泉38.4km)がここから走っていたこともあり、茂市駅構内は、山田線の他の駅よりも広々としています。

13時10分。定刻に終点の宮古に到着。大半の乗客はこの駅で下車。一部の乗客は、私と同様に三陸鉄道に乗り換え。

せんとく(千徳)は宮古より一つ盛岡寄りの駅。そけい(磯鶏)は、宮古から釜石寄りの一つ先の駅。現在、宮古・釜石間は普通のため、磯鶏方面へ行く列車はありません。

改札口付近。時間があれば、少し街を歩いてみたかったです。

三陸鉄道への乗り換えは同じホームをどんどん先の方へ進んでいきます。「田老・久慈方面(三鉄のりば)↑」と書かれた方向です。

三陸鉄道北リアス線

ようやく三陸鉄道の乗り場が見えてきました。

三陸鉄道北リアス線の久慈行きの列車。駅員が「JRからの乗り換えのお客様ですか?乗車券をお見せください」といわれ、ここで乗車券が回収され「中で三陸鉄道の乗車券を購入してください」とのこと。この説明をしていた男性ですが、この列車の運転手でした。一人で何役もこなさないといけないんですね。

乗車券はこの窓口で購入すべきでしたが、先客がいたので隣の自販機で購入。

切符売り場の反対側は売店。少しでも売り上げにつなげようというものでしょうか。ただし店員さんはいません。出札窓口の女の子が売り子になるのでしょうか。

宮古から久慈方面へは午前6時から午後8時まで昼中の一部の時間帯を除き、1時間に1本の運転間隔。辛うじて乗る気分になるダイヤの感じ。

三陸鉄道では、JR区間(久慈〜本八戸)も含めて自販機で販売していました。盛岡駅との対応とは正反対?

さすがに1両編成ということもあって、ガラガラではありません。観光客もそれなりにいましたが、地元の高校生なども利用していました。

さすがに三セクらしく、広告がやたらとペタペタ。

 ウィキペディアによると、三陸鉄道・北リアス線の歴史は以下のように書かれている。
 三陸沿岸を結ぶ鉄道の構想は、1896年(明治29年)に白根専一逓信大臣に提出された「三陸鉄道株式会社創立申請書」に遡る
 これは1896年(明治29年)三陸地震の際、「陸の孤島」と評される急峻な地形が支援物資の輸送を阻んだことを踏まえ、その復興策として鉄道の建設が考えられたことによる。この構想は「三陸縦貫鉄道構想」となり、1928年(昭和3年)11月に仙台駅 - 石巻駅間(宮城電気鉄道、現仙石線)、1930年(昭和5年)3月には久慈駅 - 八戸駅(現本八戸駅)間(八戸線)が開通した。(中略)
 この「三陸縦貫鉄道構想」は第二次大戦後も継続され(中略)1962年(昭和37年)には宮古駅 - 久慈駅間(中略)が工事線に格上げされた。そして高度経済成長期には、日本国有鉄道(国鉄)線として(中略)、1972年(昭和47年)2月に宮古駅 - 田老駅間(宮古線)、(中略)1975年(昭和50年)7月に普代駅 - 久慈駅間(久慈線)が相次いで開業した。
 ここまでをまとめると、現在の三陸鉄道・北リアス線(宮古〜久慈)のうち、南側の宮古〜田老間が昭和47年最初に開業(当時は宮古線という呼称)、続いて北側の普代〜久慈間が3年後の昭和50年に開業(当時は久慈線という呼称)ということがわかる。順調に開業してきたように見えるがそう簡単ではなかった。

 しかし、三陸縦貫鉄道の完成を目前にして、国鉄の財政悪化により建設が凍結された。この時点での未開業区間は、吉浜駅 - 釜石駅間15.2kmと田老駅 - 普代駅間32.2kmの計2区間で、路盤は既に完成しており、レールの敷設もほぼ終了していた。追い討ちをかけるように、ようやく開通に至った盛線、宮古線、久慈線も、1981年(昭和56年)9月には国鉄再建法による第一次特定地方交通線に指定され、国鉄路線として廃止されることが決定された。これを受けて、岩手県と沿線市町村は、1981年(昭和56年)11月に第三セクター「三陸鉄道株式会社」を設立。社名は三陸縦貫鉄道、三陸観光鉄道などの案から岩手県知事が決めたという

 翌年1982年(昭和57年)から未開業区間の建設を進め、久慈線と宮古線、盛線の引き継ぎと同時に未開業区間を開通させて北リアス線および南リアス線の営業を開始し、地元の悲願であった三陸縦貫鉄道は1984年(昭和59年)4月に全通した。また、これは特定地方交通線を転換して開業した初めての第三セクター鉄道ともなった。

 開業初年度からの約10年間は黒字を計上し、三陸鉄道の成功はその後の第三セクター鉄道の誕生を強く後押しした。しかし、輸送人員は1992年(平成4年)から減少の一途をたどり、1994年(平成6年)からは赤字経営に転落、岩手県の運営助成基金に手をつけ始めた。このままでは運営資金が底をつくことから、2003年(平成15年)には経営改善計画を策定、合理化の徹底とともに観光客の誘致を図った

 さらに、現三陸鉄道・北リアス線の残りの田老〜普代間が1984年(昭和59年)年4月、国鉄・宮古線(宮古〜田老)、国鉄・久慈線(普代〜久慈)の三陸鉄道への転換と同時に開業し、三陸鉄道の北リアス線として全通したことになる。

 2011年(平成23年)の東北地方太平洋沖地震では、同時に発生した津波により、路線各所が大小の被害を受けた。中でも、島越駅付近では駅および近接する松前川橋梁・コイコロベ橋梁・ハイペ沢橋梁が流失し、陸中野田駅 - 野田玉川駅間では道床が流失している。しかしながら、三陸鉄道社長の決断により震災の5日後には一部区間で運転を開始、「震災復興列車」として3月末まで運賃無料で運行し、地元の足や復興への希望の象徴となった。(中略)

 路線の半分以上をトンネルとするなど明治三陸大津波での経験を踏まえたルート選定が幸いし、被害箇所は5箇所、延長にして5.8kmと局所的であった。そのため、復旧はルートの変更無く行われることとなった。2012年(平成24年)には前記の路盤流出により不通となっていた田野畑駅 - 陸中野田駅間が開通(中略)残る小本駅 - 田野畑駅間は2014年(平成26年)4月に復旧した

 平成23年3月の東日本大震災による被害も、明治三陸大津波の経験を踏まえたルート選定が幸いし、ルート変更をせず平成26年4月に北リアス線は復旧したとある。

 確かに宮古〜久慈の71kmの間に長さが1kmを超えるトンネルが、猿峠トンネル(2,870m)、一の渡トンネル(2,245m)、真崎トンネル(6,532m)、摂待トンネル(2,446m)、小本トンネル(5,174m)、切牛トンネル(1,824m)、羅賀トンネル(1,271m)、普代トンネル(4,700m)、第一白井トンネル(1,540m)と9つもある。その大半が宮古〜普代の北リアス線の南側に集中している。そのため、宮古から久慈に向かって最初のうちはトンネルだらけで、思った以上に海が見えないと感じる。

 普代から先は、阪急トラピックスの団体の観光客が乗ってきて、車内が急に賑やかになる。わざわざ観光バスから降りてきて、この列車に乗り換えるのであるから、何か観光スポットがあるのであろうと思っていたところ、先の運転手が列車の速度を緩めながら観光案内を始める。
 普代の一つ先「白井海岸」と「堀内(ほりない)」の間には「大沢橋梁」があり、ここからは海側と山側との両方を楽しむことが出来るという。山側には「堀内大橋」を下から見上げるスポットでもある。連続テレビ小説「あまちゃん」の舞台がこの三陸鉄道であるのは周知。主人公の祖母が東京へ旅立つ主人公を見送るシーンなどが撮影されたのがこの大沢橋梁である。

三陸鉄道北リアス線の「大沢橋梁」から見た海側の景色。ここでは列車を1分ほど?停車させ乗客に景色を観賞させるサービス。

山側には「堀内大橋」が架かる。雪が降った後の冬景色は、もっといいとのアナウンス。

 なお、この日は宮古〜久慈の各地で「やませ」が発生。昼間から気温がぐっと下がり、列車に乗っていても「やませ」の発生しているところでは、肌寒さを感じた。

この日は晴れの日のいい天気だったが、宮古から久慈に向かう途中で、度々「やませ」に遭遇。

この「やませ」は、農作物に被害をもたらすので厄介者である旨、小学校か中学校の社会科の授業で習ったが、現物を見たのはもちろん初めて。

こちらも「やませ」。

こちらも「やませ」です。

昼間から薄暗くなってしまいますね。霧の場合は普通は、昼になると晴れてきますが・・・。

また車内には、連続テレビ小説「あまちゃん」の撮影時の風景が何枚か紹介されていました。

三陸に来たなあと実感します。

こちらは「あまちゃん」で「北三陸駅」となった三陸鉄道の「久慈駅」。三陸鉄道北リアス線は、「あまちゃん」では北三陸鉄道リアス線と「北」の位置を変えて舞台の設定をしている。

久慈には定時の14時54分に到着。実は、10月に出張でやってくることになりました。

今回は、途中下車せずJR八戸線に乗り換えます。乗り換え時間はわずかに6分。

先ほどの阪急トラピックスの団体さんも一斉に下車。久慈駅の改札方面へ行ったので、ここから再び観光バスに乗るのでしょうか。

先ほどまで乗ってきた列車。わが長男・かずたかが小学生時代の愛読書の「かいけつゾロリ」の絵が車体に描かれていました。

JR八戸線
 久慈で三陸鉄道北リアス線からJR八戸線へ乗り換える。ここから先は再びJRとなる。
 この日乗車するのは、主に土日運行する「リゾートうみねこ」。平日も同じ時間帯に鈍行が走っているが、土日は観光客目当てで車両を変え、列車名を付けて運行しているようだ。
 「リゾートうみねこ」は3両編成。先頭車は指定席であるが、残りの2両は自由席。恐ろしく混むことはないだろうと思い指定席のチケットは取らなかったが、予想通り車内はガラガラ。夏休みのようなときにはチケットの確保は必須であるが、単なる土曜日程度であればこの程度かもしれない。 なお私が利用した2号車は、座席が畳のボックスシート。2人掛けで向かい合うような形になる。小さなテーブルもついているので、軽い飲食が出来ることも考慮している。

 この「リゾートうみねこ」であるが、2011年(平成23年)4月から八戸駅より八戸線・三陸鉄道北リアス線経由で宮古駅まで指定席連結のリゾート列車として運行され、さんりくトレイン宮古との接続により山田線経由で盛岡駅までを結ぶ周遊ルートを形成する予定であったが、震災発生に伴い、三陸鉄道の全線復旧までの間、暫定的に八戸線内のみで運行を開始した経緯があるようだ。

久慈駅では跨線橋を渡り、JR乗り場へ移動。ホームにある駅名標は、三陸鉄道とは異なったものである。

久慈駅のJRホームには、「リゾートうみねこ」が停車していた。3両編成のジョイフルトレインだ。久慈を15時ちょうどに出発し、終点の二つ手前の本八戸には16時41分の到着。

1両目は指定席であるが、2両目、3両目は自由席。乗車券だけで乗車が可能。私が利用した2両目は見ての通りガラガラ。

2両目はボックスシート。座席の角度が90°に近いので、長時間座っているとなかなか疲れる座席である。

 JR八戸線は、三陸鉄道北リアス線ほど内陸を走る区間は少なく、海沿いを走るので景色はよいはずであるが、久慈を過ぎても相変わらず「やませ」の影響で景色が霞んでいる。
 種市を過ぎたあたりから徐々に視界がよくなりだした。「やませ」から脱出したようだ。それに伴い車内の気温も少々上昇気味になってきた。JR八戸線には、階上(はしかみ)駅があるが、今日はこのまま八戸に向かう。階上町内は公共交通機関があまり発達していないこと、宿泊できる施設が見つからなかったこともあり、この日の宿泊場所を八戸にしたのであった。

 種差海岸駅付近からは、海岸に目をやるとウミネコの住処が目立つようになってくる。一昨年、八戸にやってきた際には「鮫駅」から徒歩で蕪島までウミネコを見に来た。今回は車窓からその景色を見ることになる。蕪島の頂上には火災で焼失した蕪島神社がある。2年前に来たときは、焼け落ちた残骸しかなかったが、この日車窓から見る限りでは再建中の神社の社殿が見える。
 「鮫駅」を過ぎると、乗客の数が急激に増える。八戸線の八戸・鮫間は、八戸線でも「うみねこレール八戸市内線」という愛称で運転本数も鮫以遠と比べるとずっと多い。3両編成の「リゾートうみねこ」も、私の下車する本八戸に近づくにすれて乗車率が急激に上がってきた。

 16時41分。2年ぶりに八戸の街にやってきた。明日、階上町にへ向かう路線バスのバス停の位置と宿泊施設のコストを勘案した結果、この日は八戸の中心街に宿泊することにした。
階上町の手前までは岩手県。このあたりもまだ、「やませ」が現れていました。
八戸線で青森県には行って最初の駅が「階上(はしかみ)」。明日の大会が開催される街の最寄り駅ですが、八戸市内からバスに乗った方が便利なので、この日は八戸にそのまま向かいます。

種差海岸駅を過ぎた頃からは、八戸らしい海岸線が現れました。

うみねこが好んで生息しそうな雰囲気です。

車内でアナウンスも入りましたが、右側にうみねこの生息地で有名な「蕪島(かぶしま)」が見えてきました。一昨年に一度訪れましたが、凄い数のうみねこが生息しています。

蕪島神社の社殿は、平成27年11月に火災で焼失してしまいました。一昨年訪れたときは焼失後しかありませんでしたが、現在は、車窓からも再建中であることがわかります。

16時41分。定刻に本八戸に到着。

リゾートうみねこの車体はブルーが栄えてきれいですね。

街の中心駅ですので、多くの乗客が下車しました。

本八戸駅の街の中心街方面の出口。ここから今日の宿泊先までは徒歩で15分ほど。バスでも行けますが天気がよいので歩いて行きます。

ホテルのチラシで、郷土料理が食べられると書いてあったので、利用してみました。お店の名前「さんりく」がいいですね。

店員さんの注文の聞き方がいいですね。最初に「お飲み物はいかがしましょうか」というので「はあ、じゃあ生ビール(中)」でと返してしまいました

こちらはホタテづくし定食(1,600円)。いちご煮定食も検討しましたが、まずは青森といえばホタテということで・・・。もちろんいうまでもなく美味しかったです。

コース紹介(コースガイド) →
 こちらを参照してください。

遠来賞
 大会当日であるが、会場の最寄りは「登山口」というバス停。調べたところ、岩手県を地場としている南部バスが運行していることがわかった。登山口というのは、階上岳(標高740m)の登山口を表しているようだ。
 なおこのバスは、八戸市内から階上町内を循環して八戸に戻ってくるルートになっている。いわゆる右回りと左回りのようなルートである。ホテルのそばに「朔日町(ついたちまち)」というバス停があり、そこを7時49分に出発し、会場最寄りの「登山口」には8時24分に到着するバスが一番都合がいい。受付時間が8時30分〜9時なので時間的にはちょうどいい。ただし、次のバスの出発は12時22分なので、乗り遅れたらアウトである。

朔日町バス停。「ついたちまち」と読みます。朔日町の表通りは八日町。八日町の「八」と朔日町の「一」を足すと「九」になります。「九」は易学上最高の数字らしいとのこと。八戸の城下町の表通りと裏通りの数字を足すと「九」になるように配置されているとのことです。

定刻の7時49分にバスは出発。八戸市内は、八戸市営バスが多く走っていますが、一部区間、南部バスも運行しています。

八戸市民病院やイオン田向店などを通っていた頃は、八戸の郊外の比較的人の多そうなところを走っていましたが、途中からはあまり人家のないようなところを走っていました。ほとんど乗降する人はいませんでした。

定刻の8時24分に「登山口」バス停に到着。登山口とは、階上岳(はしかみだけ)への登山口という意味のようです。私を含めて5〜6人が下車。

 バスは定時で運行し、登山口バス停では私を含めて5〜6人ほどが下車。出で立ちからして登山者ではなく明らかに大会に参加するランナーだ。大会要項には、バス停から徒歩1分とあったが、実際には2分ほど歩く。

 体育館内で受付を済ませ、コースの試走に出かけようと思っていたところ「ナンバーカード820番の加藤さん。いらっしゃいましたらアナウンス席までお越しください」と呼び出される。「なんぞや?」と思い、ステージ前のアナウンスをしていた女性のところに出向く。
 「加藤さんは、今大会では一番遠いところからいらっしゃったので、開会式のときに遠来賞を差し上げますので、その時間には開場で待機をお願いします」という。千葉県市川市からの参加で遠来賞とは・・・。時間は9時30分頃という。急いでコースの試走に出かけ、9時15分頃には体育館に戻ってきた。

 開会式では最年少の2歳、4歳の兄弟、また最高齢の男性、女性とあわせてご紹介いただいた。遠来賞はこれまでも何度かいただいたことはあるが、お金をかけてわざわざここまできてくれたことに対してお礼をするという意味では、決して悪いものではない。が、千葉県市川市程度で遠来賞というのは、少々気が引ける思いだった。

バス停のそばには会場の案内がありました。

バス停のそばには登山者が利用する「フォレストピア階上」があります。食事やお土産も買える施設です。

さすがに「登山口」というだけあって、案内は充実しています。

その名も「登山口食堂」。営業しているかどうかはわかりませんでしたが・・・。

中央体育館の表示。会場にたどり着きました。確かにバス停からは近いですね。

遠くにエア・アーチが見えます。スタート場所のようですね。

大会要項と同じものです。

受付場所は体育館内のようです。

この大会とあわせて、近くで「臥牛山まつり」が行われるので、その案内が入口のドアにペタペタ。

体育館の右奥のところが受付です。

左手には荷物預かり所もあります。貴重品も預かって欲しいですけどね。

開会式の様子。

地元の小学生くらいのチアダンスグループの演技の披露がありました。ちょっぴり緊張した感じでしたが、拍手喝采です。

この地方の大会ではお馴染みの「かもめちくわ」。ゴールしてからいただいた「せんべい汁」とあわせて、昼ご飯代わりにいただきました。

レース


10時ちょうどスタートの3km部門のスタート直前の様子
 レースは10時30分にスタートする。5km部門と10km部門が同時スタートという珍しいパターンだ。両部門併せても200人程度なので、確かに同時スタートでもおかしくはない。

 スタートして50m程度で、体育館出口の門を超え一般道に出たところで左折する。左側車線のみが交通規制の対象となっているが、しばらくすると20人程度が私の前にいることがわかる。最近は大会規模に関わらず、参加者全体の10%くらいの位置にいることが多い。ほどなくして再度左折し、農道のようなところに入っていく。関東から北上したので、涼しくなるだろうと思いきや、この日の青森県地方は予想外に暑い日となった。

 この日もスタート直後の勢いは1km程度で無くなり、相変わらず集団に置いていかれてしまう。1km地点(2kmコースの折り返し地点)の通過が3分48秒。さらに進んで1.5km地点(3kmコースの折り返し地点)の通過が5分30秒だった。ここまでは少し下り気味ではあるが、概ね平坦と行ってよいコースだ。1.5km地点を過ぎてすぐさま左折する。問題はここからの攻め方だ。

10時ちょうどに3km部門がスタート。

いい天気ですね。

体育館前にありました。

 左折したところでいよいよこのコースの本領が発揮されだした。まずは下り10%は軽く超えているだろうという下り坂がガーンと始まる。序盤なので脚にかかる負担はまだまだ少ないが、折り返してからはここを登ってこなければならない。下りきったところで一転して今度は登り。この登りも10%はあろうかというような急坂である。アップダウンの激しいコースは腰にぐっと負荷がかかる。
 このあたりでは前のグループに置いていかれ、後方からの突き上げからも少々離れていたので、単独走になっていた。

 2.5kmで折り返し地点を迎える。10kmコースの選手はそのまま直進するが、5kmコースはここでUターン。折り返しタイムは9分57秒。13番目でUターンする。前には同年代の選手が2人いたが、ちょっと追いつきそうも無い距離だった。
 Uターン後は、先ほど登ってきたところを下り、下ってきたところを登る。単純往復コースは、先が見えるのでアップダウンが多いほど精神的に堪える。

 本日のタイム(参考)
距離 SPLIT LAP
1km 3’48” 3’48”
1.5km 5’30” 1’42”
 2.5km 9’57” 4’27”
3.5km 14’33” 4’36”
4.0km 16’40” 2’07”
ゴール 20’48” 4’08”
 3.5km地点(3kmコースの折り返し地点)は14分33秒で通過。この1kmはアップダウンのせいか4分36秒も要している。この先は緩い登りではあるが、先ほどのアップダウンでスピードがガクンと落ちペースがなかなか上がってこない。
 右折しスタート後の2車線の道路に出ると、少しばかりであるが応援の人がいる。前を走るランナーとの距離はかなり開いている。後ろからの足音も聞こえないのでこのままゴールだろう。

 20分48秒。暑さとアップダウンの影響で、惨憺たるタイムになってしまった。このくらいのコースであっても、少なくとも19分程度で走らなければ話にはならない。ただ、練習ではこういうアップダウンのあるところを走る機会が少ないので、そういう意味では足腰を鍛えるにはいいコースだったと思う。

もうすぐゴールの階上町立中央体育館です。

体育館の敷地に入れば、残り50mほど。

ゴールする5km部門のランナー。

こちらは10km部門のトップでゴールした選手。

今年からナンバーカードにチップの装着が始まったそうです。ここでチップの回収をします。

ここでは飲み物をいただきます。その後、体育館の入口で記録証の発行を行っているので体育館に向かいます。

体育館内では「せんべい汁」が無料で配られています。私も3杯ほどいただきました。

表彰式が終わり、バスに乗るまで時間があったので、フォレストピア階上に寄っていきました。

ここでは軽食の他、お土産もいろいろと売っていました。階上産の「いちご煮缶詰」が1缶1,200円で販売されていました。遠来賞では、これが2缶。2,400円分ということでした。

帰りもここから乗車

私の他、数人が同じバスを利用し、八戸へ向かいました。

本八戸駅前で下車後、温泉で汗を流しました。

帰りは本八戸駅前からバスタ新宿まで再び夜行バス。

車内の前方は2人掛けのシート、後方の9席は3列独立シートです。

本日の戦利品

コースがハードなだけにタイムも悪いですが、もう少し上のタイムを狙いたいところです。本日いただいた賞状(左)とメダル。副賞はありません。

こちらは遠来賞ということで、いちご煮をいただきました。形状からすると缶のものが2つほど入っていました。次回の帰省のときに名古屋に持ち帰りたいと思います。

こちらは参加賞のTシャツ(左)と「かもめちくわ」(右)。八戸周辺のマラソン大会には、この「かもめちくわ」が参加賞になっていることが多いです。

ゴール後いただいた水(左)と八戸地方の郷土料理の「せんべい汁」。久し振りに食べましたが、具だくさんで食べ応えがあります。余っていたこともあり、合計3杯いただきました。

最後に完走証(左)とこの日使用したナンバーカード(右)。こちらもスポンサーが「かもめちくわ」ですね。