第22回国境マラソンin対馬 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福岡県は大雨特別警報 7月6日(金)、早朝マンションを出発する際は小雨。傘を指し、キャリーカートにはビニールのゴミ袋をかぶせて足早に京成八幡駅へ向かう。関東地方は6月29日(金)に梅雨明けしてからしばらく天気はよかったが、ここ数日は全国的なぐずついた天気にお付き合いしている感じだ。大会は明後日なので、天候が大きく変わる可能性はあるが、このままいけば天気予報(対馬地方 降水確率60%)により、雨となる可能性が高い。 今日、7月6日(金)の予定の概略は以下の通り。 成田を9時05分のpeach・MM523便で福岡へ移動。福岡には正午前に着くが、到着後は博多港へ移動。博多港には「波葉の湯」という温泉がある。過去に二度ほど利用したことがあるが、時間を潰すにはちょうどいい場所だ。ここに荷物を預け周辺で軽く練習。練習後は、博多港を22時30分に出発する比田勝行きのフェリーに乗るまでは、この「波葉の湯」で過ごすというスケジュール。予定通りに進めば、比田勝には7月7日(土)午前4時20分に到着。36年ぶりに対馬に上陸すrることになる。
成田から福岡に到着するまでは予定通りであったが、福岡の天候は思いがけなく悪かった。そもそも飛行機が到着する前に北か南かのいずれかから福岡空港へ着陸するが、この日は着陸する寸前まで雲の中を飛んでいたので、飛行機が北からか南からかのどちらかから着陸するかも確認できないほどの悪天候だった。福岡空港では、いわゆる土砂降りの天候。早速気象庁のレーダー降水ナウキャストで調べてみると、福岡県の西部を中心に雨の降り方が赤や紫で示されている。少ない場合は白や水色。さらに強くなると青から紺色。さらに強い場合は赤や紫で示されている。まさに最高ランクの降り方で、フェリーに乗る前に軽く練習するどころではなくなった。すぐに止みそうもないので昼食を兼ねてしばらく福岡空港で様子を見ていたが一向に収まる様子がない。それどころか、福岡県には大雨特別警報が出る有様。地下鉄に乗り入れする筑肥線も一部で運転見合わせ。交通網はあちこちでマヒしている感じだった。 さすがに午後2時頃になると、空港で過ごすのも苦痛になってきたので、とりあえず博多港まで移動することにする。ここでフェリーの出港の様子を確認しつつ、時間を潰すことにした。 バスで博多港に行ったのち、九州郵船のフェリー乗り場で運行状況を確認する。すると「今晩の比田勝行きは、現在運行について未定となっています。午後5時過ぎに発表があるようです」と告げられる。対馬に渡る方法はもう一つ博多→厳原という航路がある。こちらは、日付が変わった0時過ぎに出港。厳原には早朝到着するが、こちらも欠航となればこの日に対馬に向かうことは出来ず、福岡に足止めを食うことになる。となると福岡で予定外の1泊を余儀なくされる。
午後5時過ぎに運行状況のサイトを確認すると「悪天候のため欠航」の文字が目に入ってくる。ある程度は覚悟していたが、いざ欠航となると次の手段を考えなければならない。再び九州郵船の窓口に出かけ、係の女の子に「比田勝行きは欠航だけど、0時05分の厳原行きの運行予定はどうですか?」と尋ねると、「比田勝はさっき連絡があったばかりだけど、厳原は今のところ変更なしですよ。最終的には午後9時頃に決まると思います」と教えてくれた。こちらも欠航になれば、完全に福岡で足止めということになる。あれこれ考えても仕方がないので、とりあえず波葉の湯へ入り過ごすことにする。 さっそく着替えて湯船につかる。露天風呂にはテレビがあって、今日の天候や各地の被害の状況を延々と放送している。なるほど福岡もひどいが各地も結構ひどいことになっていることを知る。成田から福岡へすんなり入れたのが奇跡だったかもしれない。雨もひどいが海上も決して凪ではないかもしれないとテレビを見ながら感じる。ただしフェリーの運行状況が気になって落ち着かないので、テレビをぼーっと見ることは出来なかった。30分ほどで風呂からあがり夕食を取ったり、休憩室でゴロゴロしたりして過ごし運命の時間を待つ。 そして午後9時半過ぎにネットで確認すると厳原行きについては、相変わらず「変更なし」だった。何とか厳原経由ではあるが、対馬に渡れそうだとようやく安堵する。 午後11時頃に波葉の湯を出た頃には、ほとんど雨は止んでいた。徒歩で1分ほどの九州郵船の乗船場に行くと比田勝行きフェリーの欠航の案内が出ている。2階に行くと思った以上に乗船待ちの人がいる。五島列島方面と対馬方面の両方の乗客が混在しているからだろう。乗船券も無事購入し、対馬へ渡るルートは変わったもののあとは出港するのを待つだけとなった。
36年ぶりに対馬へ上陸 博多港から乗った厳原行きのフェリーは、思った以上に揺れた。学生時代、実習で何度か航海を経験していたが、その中でも今回は結構揺れた部類に入ると感じた。 船の揺れは大きく分けると2つに分類される。一つは「ローリング」。進行方向に対して船体が左右交互に長周期で揺れることを指す。船はもともとプカプカ浮いている乗り物で、右に傾こうが左に傾こうが重心が低ければ、いずれは元の位置に復元する。ローリングは船につきものであり、ローリングの繰り返しで船酔いをするとなれば、船には相当弱い方になる。 もう一つの揺れは「ピッチング」。進行方向に対して船首及び船尾が上下に交互に揺れることを指す。簡単に言えば波に乗って船が上下動をさせられるというもの。波高が高くなればピッチングの幅も大きくなる。こればかりは、船の構造を変えて収まるようなものではない。多少のことでは船酔いしない人でも、このピッチングが粗糖長く続くと、大抵の人はまいってしまう。 今回、博多を出港してしばらくと、厳原に入港する前のみピッチングはなかったが、それ以外は思いがけずこのピッチングが続く。ジェットコースターで上下動をする感じに加え、時折、波間をジャンプしているのか、船体がドスンと音を立てて水上に落ちる。その衝撃もなかなかで、夜中に何度も目が覚める。
午前4時半過ぎ、ほぼ定刻にフェリーは厳原港に着岸する。就寝時間は5時間に満たず眠い。船内に放送が入って、午前7時までは船内で仮眠が出来るとのこと。7時03分に桟橋から比田勝行きのバスが出るので2時間ほど船内で眠れるのはありがたい。大半の乗船客はすぐに降りていったが、2等室では10人くらいが残って仮眠をしていた。 午前6時50分頃に下船。厳原の地に足を踏み入れたのは36年ぶり。大学1年生の昭和57年11月の乗船実習で対馬に来て以来だ。 そのときはこの厳原で1泊したが、厳原海上保安部は「韓国との国境警備がこの厳原海上保安部の主たる業務である」旨の説明を受けたこと、翌日の夕方出港し比田勝の方をぐるっと回って航行していると韓国のテレビ放送が船内で映ったり、また夜中に日本の領海内で違法操業している韓国漁船を拿捕し、厳原海上保安部の巡視艇に引き渡したりと36年前の対馬寄港の際はいろいろな出来事があったことを昨日のことのように覚えている。あれから36年。 マラソン大会とはいえ再び対馬にやってきたが、再び対馬にやってくるのにこれほどの時が経過するとは思わなかった。 さて話を戻す。 バス停でバスを待っていると、5分ほどで比田勝行きのバスがやってきた。桟橋バス停は始発。ここからの乗客は10人ほど。数人くらいが明日の大会に参加するような感じ。残りは対馬の島民のようだ。途中、宿直明けのような自衛隊員が乗り込んできたが、数分経つと下車していく。途中から乗ってくる乗客は少なかったが、大半が15分以内に下車していった。 バスは、南から北へ対馬を縦断する。厳原の市街地を過ぎてもホームセンターやドラッグストアーなどがバスの車窓から眺めることが出来たが、対馬空港を経由してからは民家はほとんど見られなくなった、明らかに対馬は南側に人間が集まり中北部には少ないことがわかった。 途中「仁位」というバス停で停車した際に運転手が降りていく。バス停の向こうには「対馬交通株式会社 豊玉営業所」の文字の書かれた古びた建物がある。厳原港の桟橋を出発してから1時間と10分ほど経過。営業所なのでここで運転手が交代するのかと思いきや、しばらくすると運転手が戻ってきて「トイレとかいいですか?」と乗客に向かっている。どうやら、ここが運転手や乗客の休憩場所になっているようだ。通常は、出発時間の案内をして休憩させるのが一般的であるが、さすがに離島のローカルバス。都会並みのことは期待してはいけないのであろう。私もトイレを済ませ再びバスに乗車。5分ほど停車した後、再びバスは出発した。 通学の高校生が、先ほどの「仁位」で降りた後、2人ほどが乗ってきたが、比田勝の待ちに近づくにつれて少しずつであるが乗客が下車していく。終点の比田勝港国際ーミナルまで乗車したのは、私ともう一人の乗客だけだった。
バス停の目の前には、町の雰囲気とあまりにもマッチングしない比田勝港国際ターミナルがそびえる。出来てからまだ新しく、ピカピカの雰囲気が風景に馴染んでいない。せっかくなので入ってみるが、14時頃に韓国からジェットフォイルがやってくるとある。今日の入港はその1隻のみの模様。乗船待ちの乗客などいるはずもなくがらんとしている。離島の振興対策で補助金をふんだんに使って建てたのだろうか。 道路を挟んですぐ向かいがつしまプラザホテル。今日の宿泊先だ。宿泊するまでには時間があるが、とりあえず荷物を預かってもらって試走に向かう。コース上には距離表示の看板も設置されていたので、迷子になることもなくゆっくり走って昼頃に戻ってきた。オホーツク海高気圧が張り出しているせいか、気温も20℃くらいですこぶる快適だった。つしまプラザホテルの2階は食堂になっているので昼ご飯もここで注文。部屋の掃除も終わっているというので食後に入室させてもらう。昨晩のフェリーでかなり寝不足だったので、ごろんとしてしまったところ、目が覚めたときには夕方になっていた。 コース紹介(コースガイド) → こちらを参照してください。 レース前 大会前日、以外にもこのホテルで夕食を頼んでいたのは、自分ともう一人熊本市から来た年配のオッちゃんだけのようだった。この大会にはすでに7回ほど来ているとか。例年は30℃を超える天候なのに、明日は20℃にいくかいかないかで、過ごしやすい天候になるのは珍しいという。確かに大会のホームページは、暑い中を給水の受け渡したり、水を浸したスポンジを扱っている様子が写っている。この時期の大会なので、北海道でもない限り涼しくなることはないだろうと覚悟してきただけに、少々拍子抜けの感はある。が、涼しいのは何より。歳をとってきたこともあり、暑い寒いの気候の変動にだんだん付いていくことが出来なくなってきた。 午前7時に頼んだ朝食の時も、このオッちゃんがいる。「曇っていて涼しくていいですよ」という。確かにそうだ。話し好きのオッちゃんだが、大会前にお話に付き合うと集中力がなくなるので、適当に切り上げて宿泊費を精算し、比田勝港国際ターミナルに向かう。
バスは数台停まっていたが、人数の多いバスに乗り込む。この付近に他に宿泊場所があるのかどうかわからないが、10人ほどが先に乗車していた。ほどなくバスは出発する。今日のコースを逆走するような感じで6分ほどして会場に到着する。曇りの天気であったが、会場に到着すると小雨に変わっていた。この大会のメイン会場は、三宇田海水浴場そばの空地。体育館のような雨をしのぐ施設がない。受付を終えて過ごせそうな処を探すと、渚の湯のそばの更衣室のテントがある。ここなら雨が横から入り込むこともなく良さそうだった。
レース 9時30分のハーフマラソンを見送ってから最終の準備に入る。昨日コースの試走をしたが、10kmコースのポイントは最初の登りと7kmを過ぎてからの登りとなる。スタート直後の登りは「えっ!」となるが、距離も短くここは軽く流す感じで走る。その後、2回ほど軽くアップダウンがあり、2kmあたりからダラダラ登りが始まる。ただしこの登りは1kmと続かず、前半の一つのヤマ場になるかもしれない。3kmのかなり手前から下り坂に入り4kmから折り返しを挟んで7km過ぎまではほぼ平坦となる。ここで息を整え、7kmを過ぎてからダラダラ続く登り坂に備える。9km前後が最高点になるが、残り500m位からは下りが始まる。ゴールに近づくにつれて下りが急になるという珍しいコースであるが、10kmの中にもいろいろと坂がある珍しいというか面白いコースだ。
9時50分、先ほどのハーフマラソンと比べると人数は少ないが、一斉にスタートを切る。前の方は、それなりに走る気満々なので、あっという間に数人に置いていかれる。スタート直後の急坂もなんのそのという感じだ。こちらはここでオーバーペースにならないように走るが、坂トレーニングが出来ていないので少々辛い。1kmまでの間に2回ほど峠を越えていくが、このあたりで選手の出入りがなくなってきた。ざっと見た感じ15番目位を走っている。 この後、2kmまでにもう一山超えていくが、ここでは出入りはなく、2kmを過ぎてからの登りで後続の選手に追いつかれる。後続から3〜4人ほどやってきたが、そのうち2人は女性ランナーだ。序盤の入りは抑え加減で入り、イーブンペースで走っているのであろう。一人はペースが違いついて行けないが、もう一人はついて行けそうで徐々に離されていってしまった。 3km手前から下り坂に入るが、3人には置いていかれ、一人だけはやや離した感じとなる。
このあたりでようやくペースが落ち着いてきたが、気がつくと5km過ぎの折り返しが近づいてきた。反対からは既に折り返してきた選手が次々と現れる。先頭はダントツであったが、その後はポツリポツリという感じで選手が現れる。数を数えてみたが、ちょうど20番目で折り返すことになった。また、ナンバーカードから同年代の選手を探したが、この日は私の前には同年代の選手がいないようであった。折り返して後方を確認しても同年代の選手とはかなりの差があることがわかった。今日は久し振りのチャンスかもしれない。 6km付近で再びつしまプラザホテルが現れるが、先ほどの3人のおばちゃんたちは、今度もにこやかに応援をしてくれた。再び手を振って答える。 6.5kmほどで右折し、海岸線を右手に見ながら7km地点を迎える。この先は、このコースの最大の難所の1km以上に渡る登り坂が始まる。2km過ぎに抜かれた女性ランナーは、抜き返すことは出来ないが、まだ何とか見える位置にいる。何とか最後のこの坂で、追いつけないかと考えていた。しかしながら、登り坂は結構腰に負担がかかり、ぐっと疲労感が大きくなる。追いつくどころか、徐々に離されていってしまう有様だった。後続からの追い上げもなく、4km過ぎからゴールまではほぼ単独走になってしまった。9.5km過ぎからは下り坂がどんどんきつくなり、スピードがどんどん付いた状態でゴール。タイムこそ冴えないものであったが、久し振りの年代別優勝を勝ち取ることが出来た。
本日の戦利品
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