第51回別府大分毎日マラソン 参戦記
その1
一部の方からは、既にテレビで「加藤を見た」と反響がありました。つきましては、4日遅れのレポートをします。

●●● 2月1日(金) ●●●
 いよいよ今日は出発日。
 今年は往復夜行(寝台特急「富士」大分行き)で乗り換えの手間を極力省くことにした。九州往復割引もあり約3万円で行ける。飛行機の超割などと比べれば割高かもしれないが、空港までの運賃、また空港から目的地までのアクセス料を考えるトントンくらいだと思う。

 さて、本来なら仕事もそこそこに出発すべき心境なのであるが、今日は出発までに2大イベントがある。

その1
 昨年11月に受験した高圧ガス製造保安責任者試験の合格発表の日である。合格者は、高圧ガス保安協会のHPでも掲載されるので、10時頃除いてみる。大阪府・受験番号「1550002」が見つかった。ヨシヨシ!!これで昨年合格した「第一種冷凍機械」に続き「甲種機械」も合格。

その2
 昨年12月に土地を購入したのに続き、ハウスメーカも決定した。
2月の中旬が最終打ち合わせ。土日留守にするので、急遽今日の午後にハウジングセンターで打ち合わせをした。午後2時から午後7時前まで5時間近い打ち合わせでへとへと。「富士」の名古屋出発は21時34分。あ〜風呂も入れない・・・。

●●● 2月2日(土)●●●
 久しぶりの夜行だった。
 下関の前で目が覚める。寝たような寝ていないようなウトウトした気分。昨日夜、名駅のキオスクで買っておいたパンとジュースを食べる。「ランナーズ」をしばらく読んでいたが眠くなったのでまた眠る。
レールの継ぎ目の音と10分おきに聞こえてくる車掌の駅のアナウンスでなかなか眠れない。

 9時34分別府に到着。終点大分まで乗ってもよかったが、別府から大分までバスでコースの下見を兼ねて移動することにした。
 駅から歩いて5分くらいで別大国道に出る。
 9時53分の大分行きの路線バスで大分へ向かう。大分バスのHPで時間を調べておいたので乗り継ぎのタイムロスは少ない。
 バスはガラガラであった。自分のように別府から大分まで乗り通す乗客は少ないはずだ。
30km地点の海岸。35km地点の白木歩道橋を過ぎる。37kmくらいから海岸線に分かれ大分の市街地に入る。マラソンコースは更に直進するが、バスは斜め左へと曲がっていった。一番精神的につらいところを今回も下見しておいたが、結果的には役に立たなかったことになる。

 「荷揚町」のバス停で降りる。ここは今年も宿泊する「法華クラブ・大分」のすぐそばのバス停だ。
 一旦ホテルに荷物を預け大分市営陸上競技場に向かう。このころになると雨がパラついてきた。

 陸上競技場の更衣室で着替える。同じように練習している人が数人いた。九州の地元の実業団選手が多かったようである。
 トラックのスタート位置を確認したあとコースへ出る。1km、2km、3km地点の確認をしてから競技場に戻る。5〜6km走った。体も軽く、体調も良さそう。しかしこういうときはタイムが出ないことが多い。過去の経験からもわかっているがどういうペースで走るか悩ましい体調だ。

 自分の経験上タイムがそこそこ出ているときは、最初体が重くて走り出すとだんだんからだが軽くなってくる。25kmくらいで絶好調となるが30kmくらいから辛くなりだして、あとは粘りでゴールまで持たせるというパターンだ。
 それにしても、小雨は降っているけれどそれほど寒くもなく、なおかつ風がないのがいい。今日がマラソン当日だったらという天候だ。

 大分駅で昼食をとってから別府へ向かう。2時から別府の「ビーコンプラザ」で開会式がある。
「ビーコンプラザ」は、「九州サミット」でも使われた会議場で大きさはそれほど大きくない。
 「ペン差しにペンをたてている」という形容くらいしか思いつかないが、「別府一」奇抜な建物だと思う。
遠くからでもその所在が確認できるメリットはあるが、何となく温泉地別府の風景にはそぐわないと思う。

 別府自衛隊の音楽隊の生演奏で開会式が始まる。
 毎年のことだが厳かな雰囲気だ。主催者の大分市長、別府市長の挨拶のほか、来賓の平松・大分県知事らの挨拶があった。さすがに6回目となるとこの3人の顔だけはよく覚えている。
 代理も出さずに知事自らわざわざ出席してくれることから、この大会の力の入れようがよくわかる。
 開会式の類はあまり好きではないけれど、この大会の開会式は静かで、なおかつ挨拶する人のほとんどが挨拶文を見ないで自分で話をされるのがいい。大分県知事と別府市長はまさにそうであった。
 そして海外招待選手、国内招待選手の紹介があった。前世界記録保持者のダコスタ、日本でもおなじみのゲルト・タイスら2時間ひと桁の選手ばかり。
 対する日本は、シドニー五輪出場で前日本記録保持者の犬伏が欠場したこともあり目立った選手もいない。アトランタ五輪出場の実井もピークを過ぎた選手。島崎も学生時代での印象が大きくヤクルトでの実績は目立たない。

 開会式は約30分で終わり、ナンバーカードをもらいビーコンプラザをあとにする・・・。
その2
●●● 2月2日(土) ●●●

 午前中に下見や練習をしたおかげで、夕方は今回余裕があった。でも明日の準備をしなければならないので、早めに帰らなければならない。が、少し時間があったので大分市内の本屋さんで時間をつぶす。
4時過ぎにホテルに戻りチェックインをする。

 法華クラブ大分は、古いホテルではあるが
(1)朝食がバイキングでマラソンランナーには嬉しい。
(2)ホテルでJAF割引が聞くので宿泊料が安くなる。
(3)大分市営陸上競技場まで比較的近い(2kmくらい。バスで5分程度)
(4)近くにコンビニが2件ありちょっとした買い物に便利
などメリットが多いの気に入っているホテルである。
 ちなみにシングル1泊朝食付きで5,713円(税込み)。主催者が斡旋するホテルより絶対安い!機会があれば是非ご利用を・・・。

 部屋で、開会式のときにもらったものを開封する。
 プログラムの他、ナンバーカード(ゼッケンのこと)3枚、安全ピン12本、チャンピオンチップ1組、スペシャルドリンクに貼付するシール、それからスペシャルドリンクに何を入れたか申告する紙が入っていた。
 まずナンバーカードをユニフォームの前後につける。そしてチャンピオンチップをシューズに。これが毎度のことながら面倒くさい。つけるのはともかくレース後にすぐ回収されるのでゴール直後は何とかならないかと思う。

 それからスペシャルドリンクの調合作業にはいる。
 ここ数年、別大では、水の他にバーム・ウォーターが給水所においてある。最初出た頃(第45回大会)は、バームもまだメジャーなドリンクでなかったのでわざわざ持参していったが、今回は「アミノバイタル」と
「アクエリアスの2倍希釈」を交互に置くことにした。最後の41kmは、いつもの「ガス抜きコーラ」とした。

 暗くなったので夕食に出かける。雨は止んでいた。

 毎年、夕食を採る店屋を替えている。
 今年はホテルのそばの「八坂ラーメン」という店屋にした。店内に客はいない。まず生ビールと餃子を注文する。すると店員さんが「サービスセットにしましょうか?」と聞いてくる。壁を見ると「サービスセット(生ビール、ラーメン、餃子)1,000円」とあった。
 でも「チャーハンが食べたいんですよ。」と言って丁重にお断りした。しばらくして生ビールが出てくる。ジョッキもしっかり冷えていてうまい!餃子もまずまずだった。前日の食事はいろいろ言われるが自分はチャーハンなどをとることが多い。
 焼き肉やステーキなど胃にもたれるものは避けた方がいいが、そうでなければたいていのものはOKだと思う。チャーハンもスパイスが効いてうまかった。

 明日は正午スタート。体調もさることながら天候も気になる。
 雨上がりは風が強くなる。別大はシーサイドコースなので風は大敵である。
 ホテルでランナーズを少し読んだ。やはり明日のことは気になる。が、練習が十分消化できて臨んだときのような緊張感があまりない。いろいろ考えることがあってなかなか眠ることができないときのほうが
だいたいタイムがいい。
 今回は知らぬ間に眠りにつくことができてしまった。
その3
●●● 2月3日(日) ●●●

 午前6時に目が覚める。
 九州だけあって、夜明けが少し遅い。ホテルの目の前にある「クボタ不動産」のネオンがまぶしいので
寝る前にカーテンを閉めておいたが、朝起きたときにはネオンは消えていた。
 窓から外を見る。まだ薄暗いのでよくはわからないが、風はそれほど吹いていないようだ。

 12時スタートなので朝食は9時近くにとることにする。10時までにスペシャルドリンクを出さなければ行けないので「大分合同新聞社前」のバス停を9時34分発「大洲運動公園」行きの路線バスに乗らないと間に合わない。

 NHKのテレビで天気予報を見る。
 天気は曇りのち晴れ。最高気温の予想は11℃。海上の波の高さは2mくらい。思ったほど悪い天候ではなさそうでホッとする。

 しばらくくつろいでから8時50分頃ホテルの屋上のレストランに行く。
 毎年、この別大に参加するランナーが数人宿泊しているが、今日はそれらしき人は見あたらなかった。
昨年は50回記念大会で参加資格が緩くなったせいで600人以上の参加があったが、今年は例年通りに戻ったせいだろうか。(プログラム上では招待12人、一般参加265人)

 朝食のバイキングはホントに嬉しい。
 これが旅館だとあまりおかわりができないときもあるし、おかずも出てきたものを仕方なしに食べなければいけない。トレーを左手に持って野菜サラダ、イモの煮転がし、湯豆腐、みそ汁、ご飯、卵焼き、のりなどをのせていく。例年にはなかった「とろろいも」があった。とろろいもは、胃の消化を助ける働きがあるそうだ。どろっとしてうまかったので結局二杯食べた。

 とろろいもは平松・大分県知事の進める「一村一品運動」の産物である。
 「一村一品運動」とは、以前テレビで紹介されていたが、「大分県のどんな小さな村でもその村を代表する特産品を必ず一つ作ってその村を全国にアピールして下さい。」という主旨の運動だそうだ。これらの村の産物を東京の築地市場に出荷して、知名度を上げブランド化するのがどうもねらいのようである。過疎の村も生き残っていくための知事さんのアイデアだろう。

 あまり遅くなってもいけないので9時10分くらいに食事を終えて部屋に戻る。9時20分にチェックアウトした。

 バスまでにちょっと時間があったのでコンビニでバナナを買っていく。
 バス停でバスを待っていると定刻通りにバスがやってきた。ランナーたちが7,8人既に乗っている。見たこともある人たちもいた。バスは立っている人はいないが、空いている席もわずかなくらいで満席に近い。バスはマラソンコースの39.8km地点からゴールまでを走っていく。今日は無事に帰ってこれるのだろうか、不安だけがよぎる。

 バスは舞鶴橋を越え左折して競技場に向かう。

 競技場は既に報道人やら大会関係者でごった返していた。いつもの1階の更衣室へ向かう。
 昨年が50回記念大会で600人以上の選手がごった返していたことを思うと閑散としているとしか言いようがない。

 しかし今まで出たメジャーな大会で一番参加者が少なかったのは、確か熊日30キロで80人いなかった思う。唐津の10マイルも同じくらい。招待選手以外は更衣室は一部屋しか用意されていなかった。

 更衣室に荷物をおいてから、スペシャルを預けに行く。 女子高校生らが先生らしき人に指示に従って、6kmから順番に入れていく。

 まだ10時前でスタートまで時間がある。
 1時間くらい前にアップをするのでしばらくはすることがない。

 しかし、ここまでに体調に異変があった。
 さっき乗ってきたバスを降りたときに荷物を肩に掛けたせいか、背中に違和感を感じた。背中と腰は自分のウィークポイントでもあるところで疲労が蓄積すると背中の「筋違い」を起こしやすいところ・・・。
 前屈などをするがとりあえず問題なさそうだった。しばらくコースマップなどを見てイメージトレーニングをする。この間バナナを1本食べた。

 午前11時。1コーナーの向こうでコールがある。
 ナンバーカードの付いたユニフォームとチャンピオンチップのついたシューズを持っていってチェックを受ける。このころからウォーミングアップをする選手が増えた。更衣室に戻り、ユニフォームとシューズをおいてアップをすることにした。

 いい天気だ。ちょっと暖かいくらいだ。風は少しある。
 背中が気になるが軽くジョグする。するとどうしたことだろう!本当に軽く走るのであるが苦しくて息ができない!10mも走れない!
 「う〜ん、まいったなぁ」と内心思った。ナンバーカードのチェックを受けてスタートもできずにすごすごと帰らなければいけないのか?しばらく歩きながら側屈や前屈、手で背中をほぐしたりするが効果がない。一旦更衣室に戻る。

 背中の筋が痛いところは、昨日の夜、シールでかぶれないようにと鍼を取ったあたりだ。バックの中にあと数本あったので服を脱いで張った。そして愛用のファイティン・イン・クリームをたっぷり塗った。これでダメならどうしようもない。再びトラックに出る。

 再度ストレッチをしたりしてジョグをする。すると痛みは完全でないにしてもかなり弱くなってきた。息もできる。やっとスタートラインにたてるメドがたった。
 今まで自覚症状がなかったのであるが、かなり背中に疲労が蓄積していたに違いない。数日前にマッサージを受けてきたが、やはり完全に取るのは難しいのだろう。

 こうしたトラブルがあって、再度アップをしに行ったが、アップしている人はほとんどトラックから消えていた。控部屋に戻るとみんなの緊張感が高まっていた。

 11時50分。最後にもう一度トイレに行く。

 11時55分。スタート位置に行く。最終点呼があわただしい。
 すぐ目の前で、実井謙二郎(日清食品)がジェンガ(ヤクルト)となにやら話をしている。実井謙二郎に会うのは今回が2回目で、アトランタ五輪の選考会レースで東京国際を走る二週間前に調整で「豊橋10マイルロードレース」を走りに来たとき以来だ。小柄でひょろっとしている。

 さて、今回の自分のナンバーカードは「157」。前から4列目のアウトコースでテレビにも映りやすいところ。

 「1〜6」が海外招待。「21〜26」が国内招待。「101〜365」までが一般参加選手で、この番号は持ちタイム順。今のまさにスタート直前の体調からすれば、この番号は正直いってかなり荷が重かった。2年前の「2時間30分46秒」の持ちタイムだからだ。

 「スタート1分前!」のコールで緊張感が更に高まった。なるようになれ!という心境だった。
その4
●●● 2月3日(日) ●●●
 「10秒前、位置について〜!」
 緊張感が最高になる。一瞬静けさが漂う。

 「PAN!」

 ピストルの軽い音が響き渡る。スタート直後、早速うしろで誰か転倒したようだった。
 競技場を半周するとホームストレートにはいる。
 別府自衛隊の生バンドが昨日と同じように演奏を繰り返す。今年で6回目であるが、この瞬間がこの大会に出たランナーの花であると思う。更に競技場を一周、合計約一周半してから一般道へ出る。

 しばらくして「1km」のプラカードを持った係りの子がいた。タイムをチェックする。3分25秒。まずまず予定通り。
 今日は5kmを18分で走る予定なので、1kmあたり3分36秒となる。スタート直後は、やや早くなるのでまあヨシとしてこのペースを守ることにした。
 左手に新日鐵・大分製鉄所を見ながら一旦東へ向かう。最初の折り返しまでは、やや単調な道であるが、まっすぐで走りやすい。風を感じないのできっと追い風だと思う。

 2kmを過ぎる。6分55秒。1km3分30秒のペース。3kmも10分25秒。3分30秒のペースが定着してきた。このあたりで集団が形成された。今日はこの集団で中盤までレースを進めることになるだろうと感じた。

 スタート前の背中の痛みもなくなり、「ひょっとしたら今日はいけるかも!?」とも思った。現実はそれほど甘くはなかった。

 最初の折り返しを過ぎるとすぐに5kmがやってくる。
 チャンピオンチップがゴムマットの上と通るたびにピピッ!と音が鳴る。時計を見ると17分25秒。まずまず予定通り。しかし、コースが西向きになるので、風向きは向かい風となった。

 臨海道路にも別れを告げ左折そして右折すると舞鶴橋へ向かう道路に出る。このあたりから15kmくらいまでが一番声援の多いところだ。
 大分川にかかる舞鶴橋が見える。橋の中央が10km地点だ。舞鶴橋に上がった。すごい横風だ。とにかく風下になるように隠れて走る。
 35分22秒。この間の5kmが17分56秒に落ちる。ちょっとシンドイなぁと感じる。大分県庁、大分市役所の前を抜けると大分の中心街だ。朝出てきたホテル「法華クラブ・大分」も右に見える。

 このころ10人くらいの集団で走っていたが、とにかく前に出る余裕など全くない。いかに風よけを作って走るか、前半を以下に温存するかじっと我慢していた。

 中春日の交差点にかかる。ここは毎年楽しみのポイントだ。
 5年前東京の「高圧ガス研修」で一緒だった大分県庁の入江さんが応援してくれているところだ。自宅が近いのだろう。
 今年もいた。「かとーさーん!」声をかけてくれた。
 こういう遠くまで来て名前で応援してもらえるとありがたい。が、残念ながら今年は笑顔で答える余裕は全くなかった。

 西大分駅前を過ぎるといよいよ別大の顔でもある別府湾に出る。
 これまで5回はそれほど風がなく、このシーサイドコースも気持ちよく走れたが、今年は辛かった。ほどなく15km地点となる。53分51秒。5kmのラップが18分29秒まで落ちていた。今日はこのペースを維持していかなければいけない。

 16kmでスペシャルを取る。今日初めてのスペシャルだ。
 250ml缶のアミノバイタルをそのまま移し替えたものだったので口の中で甘さが広がる。薄めておくべきだったと反省する。

 シーサイドコースの風はますます強くなってきた。
このころになるとスタート直後には感じなかった背中に、少しずつ痛みが走るようになってきた。「何とか最後まで、いや30kmまででも持ってくれ」と思った。

 10人くらいの集団は、ペースの変動が激しい。
 集団の一番最後につけていたので風よけを選ぶにはいい場所であったが、列が縦長になるとあまり意味を持たなくなる。

 17kmを過ぎた頃であろうか、どういう訳か風が止んだ。
 コースはおおむね西へ向かっているのに・・・。するとどうだろう「イケイケ」とばかりに集団のペースが上がった。「ちょっとペースをあげるのはまだ早いのでは・・・。」と思った頃には集団との間隔が20mほどあいてしまった。その直後また向かい風になる。

 さっきの無風は何だったんだ?このままではこの向かい風の中を一人で走らなければいけない。
 すぐ後方に集団はないはずだ。

 この「20m」の間を詰める作業を開始した。向かい風のためになかなか差が縮まらない。
 ようやく集団に追いついた。すでに18km地点を越えていた。ここでかなりの体力を使ってしまった。腰のあたりに張りを感じる。背中も痛みが強くなってきた。

 19kmのプラカードが見えた。「まだ19kmか〜。半分も来ていないなぁ」こう思った瞬間に力が抜けた。せっかく追いついた集団との間が見る見るうちに開く。

 高崎山を過ぎ20km地点が見える。1時間12分42秒。かろうじて5km−18分ペースだが一度抜けた力はもう戻らなかった。

 東別府駅前の中間地点で1時間17分14秒。
 20kmから21.0975kmわずか1.1kmに4分32秒も要している。

 別府市内に入り再び観客が増えてきた。
 自分はジョギングペースとなり後方からの集団に次々と抜かれていく。あまりの遅さに沿道からナンバーカードと名前を比べて「かとーさーん、がんばってー」といってくれるおばちゃんもいた。
 申し訳ないけれど今日の自分は糸の切れたタコだった。別府の町の景色をゆっくり見るのは6回目の参加で初めてだった。

 第2折り返し前の25km地点が見える。
 50mくらい前のランナーたちが左側にコースアウトしていく。1時間33分の関門だった。ほっとした。今日はもう走る気力は全くなかった。さっさと収容バスに乗る。すでに5、6人乗っていた。
 収容バスに乗るのは最初に出た45回大会以来2回目だった。

 毛布をもらい、しばらくボーっとする。
 バスの車内ではテレビで大会が中継されていた。しばらくしてもまだ選手が乗ってくる。30人ほど乗ったのだろう。同じリタイヤした仲間が多くいるとほっとする。
 これが自分一人だときっととても情けなく感じるのだろうが、そういう感じもしなかった。ナンバーカードを見るといろんな人がいた。自分より数字の大きい人(持ちタイムが遅い人)が多いのだが、自分より持ちタイムのいい人も二人ほどいた。

 しばらくすると係りの人がナンバーカードを確認し、全員にチャンピオンチップを戻すように指示を出した。
 バスはゆっくり動き出した。バスの中は暖かった。

 収容された選手たちはみな無言であった。次のレースに向けてリベンジを誓っているのだろうか。

 今日の自分は25kmで終わった。別にくよくよする気もないが悔しさもない。
 こういう体調では仕方がないかなぁというのが、そのときのいつわざる心境だった。

●●● 今日の思い(別大が終わって翌週) ●●●
 昨日、東京国際があった。別大と違って寒い天候だったようだ。

 オリンピックイヤー、世界選手権イヤーの狭間とはいえ、日本人選手の成績は惨憺たるものだったと思う。
 その中で年末の福岡7位に続き東京で5位(日本人1位)になった「富山・八番麺屋の間野」さんの走りは印象的だった。

 実業団のYKKを退職して、ラーメン屋の店員として働きながら自分一人で練習しているらしい。
 練習環境、練習パートナーに恵まれている実業団選手と比べるとスピードとかキレは劣るものの、粘りだけは強いものがあるという印象を受けた。
 それは、きっと自分を自分で瀬戸際に追い込むことによって自分を奮い立たせる、火事場の馬鹿力を作るとでもいうのであろうか。だからこういう粘りが出てくるのだと思う。自分も一人で練習することが多いのでいろんな意味で目標にしたいと思った。

 さて今度の5月で40歳になる。
 当たり前だけど練習をやりまくっても疲れが残らないというトシでもなくなった。疲れは出るしイメージ通りの走りができないことが増えている。でも全く走れなくなっているわけでもないし、大会を絞っていけばそこそこ走れる。晩年の谷口(旭化成)のように走る自信はある。

 最初にこの大会に出た頃は、自分の中の「通過点」という位置づけも、回数を重ねるたびに何度ここに来られるのだろうかという思いに変わってきた。
 名古屋弁護士会のZ間さんは40歳から10回来た。今思うと立派なものだと思う。

 昨年・今年のマラソンで2時間40分を切るタイムをまだ出していない。来年の別大に出る資格は今のところない。

 今月末には、危険物の国家試験も終わる。6月には新居が完成する。5月末には最後の高圧ガスの国家試験・検定「甲種化学」も終了する。来年の冬のマラソンに対する足かせはない。もう一度自分を追い込んで、12月の防府でもう一花咲かせようと思う。

 また大会会場であったり沿道で見かけたら応援よろしくお願いいたします。