第33回防府読売マラソン 惨敗記 | ||
平成14年最後のロードレースのフルマラソン。やはり準備不足で惨敗でした。また、過密スケジュールを見直し、十分時間をかけてフルマラソンには取り組むべきだと思いました。 ●大会名 第33回防府読売マラソン ●開催日 平成14年12月15日(日) ●コース 防府市陸上競技場発着、防府市内循環コース(山口県防府市) ●天 候 晴れ、気温14℃、風・・・南南東1.4m(スタート時、主催者発表) ●参加料 3000円(高校生1500円) ●参加賞 Tシャツ、三田尻の塩(地元特産品)、ハッカ、剥き栗 ●種目及び参加者(申込人数) 42.195km ★・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 584名 10km 高校の部・・・・・・・・・・・・・・・・・ 82名 一般の部・・・・・・・・・・・・・・・・・ 109名 壮年の部(40歳以上)・・・・・・ 75名 女子の部(高校生以上)・・・・・ 39名 (★は、加藤が参加した部門) ●参加資格 (1)日本陸連登記・登録者 (2)「42.195kmの部」は過去2年以内に次の公認記録を有すること。 マラソン・・・・・・・・・・3時間00分以内 30km ・・・・・・・・・・1時間57分以内 ハーフマラソン・・・・1時間17分以内 20km ・・・・・・・・・・1時間13分以内 ●スタート マラソン・・・・・・・・・・・・・・12時02分 10km(一般・高校)・・・・12時12分 10km(壮年・女子)・・・・12時17分 ●結 果(フル) 1 ヌグセ (エチオピア) 2゜08’16”=大会新 2 大崎悟史 (NTT西日本大阪) 2゜09’38” 3 櫛部静二 (愛三工業) 2゜11’12” 4 アルマイヨ (エチオピア) 2゜12’07” 5 沢柳厚志 (愛三工業) 2゜12’10” 6 稲垣孝一 (新日鐵大分) 2゜14’22” 7 梅木蔵雄 (中国電力) 2゜14’50” 8 ドブリンスキー(ポーランド) 2゜15’35” 9 山本 章 (協和発酵宇部) 2゜15’59” 10 佐藤浩紀 (カネボウ) 2゜17’06” ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ? 加藤一郎 (愛知県庁クラブ) 2゜54’43”=手元計時 ●過去の参加記録 第27回(H08.12.15) 42.195km 2゜33’49”( 45位) 第29回(H10.12.13) 42.195km 2゜37’56”(109位) 第31回(H12.12.17) 42.195km 2゜46’44”(230位) ●参考(自己ベスト) 第49回別府大分毎日マラソン(H12.2.6) 42.195km 2゜30’46”( 61位) ■■■ 防府に出かける理由 ■■■ たまたまであるが、この大会は隔年の参加である。 過去6回出場している別大マラソンを除けば、今回で4回目の参加は、日比野賞中日マラソン(豊橋ー新城)に並ぶ多さである。 わざわざ、山口県までなぜ出かけるかといえば、コースの平坦さ、12月という安定した気候、そして自分とレベルの同じような人間が多く参加しているために走りやすく、記録狙いにはもってこいの大会である。 名古屋ではテレビ放送がないので一般市民にはほとんど知られていない大会であるが、大阪以西の西日本では、テレビで生中継するため、お昼時、お茶の間を賑わす大会として知られている。 その証拠に、国内外から招待選手17名を集め大会を運営している。今回は気象条件も良く、2時間8分台の大会新記録が出た。 ■■■ 大会前日 ■■■ 大会前日の朝、夜行列車に乗って防府入りした。駅構内の立ち食いうどんを食べる。 「明日出るの?頑張ってね!」いきなりうどん屋おばちゃんに激励された。 防府という歴史はあるが小さな街のビッグイベント。町の人の関心は高い。 駅そばのビジネスホテルに荷物を預け、一旦競技場に向かう。バスの本数が少ないので駅到着時に先に調べておいた。当然帰りのバスも本数が少なく、バス停に着くなりすぐに調べる。 競技場までバス停から徒歩で7分くらい。看板屋が看板を取り付けていた。競技場で着替え少しジョグする。 毎回のように、コースを逆走し終盤をイメージして走る。6年前に初参加した時を除き、終盤はへろへろ。参加する回を追うごとに記録が悪くなって行くのが気になる。今回はそのイメージを払拭したいところだ。 駅に戻って昼食を取る。駅前にサティが数年前に出来たのでありがたい。最初に来た頃は「ニチイ」だった。サティといえば例の「マイカル」系で、防府のサティは何とか整理されずに残っている。頑張れサティ! 開会式まで2時間くらいあるのでホテルで休憩することにする。ホテルへ行くと、朝預けた荷物は部屋へ運んでくれたと。小さなホテルであるが案外小回りがききそうだ。一泊朝食付きで約5600円。本当に地方のホテルは安くて助かる。 夜行に乗って寝たような寝てないような気分だったので、ホテルで少し寝た。昼寝は気持ちがいい。気がつくと2時20分。開会式が2時30分なので少し急ぐ。 開会式は防府市の「アスピラート」というところ。正式には「防府市地域交流センター」というそうだが いわゆる市民会館のようなところだ。6年前は無かった建物で、比較的新しくきれいである。 3階に行くと開会式は既に始まっていた。 開会式はどうでも良かった。が、司会者が「今日は10月のシカゴマラソンで日本最高記録を出した地元カネボウの高岡選手から、後ほど激励の言葉をいただきます」という言葉で目が覚めた。 別にミーハーではないが、話題の人「高岡」は見たい。挨拶や招待選手の紹介などが終わると最後に高岡が登場した。 実物を見るのは初めてである。テレビで見ていても背が高いが、ステージに立ってもその背の大きさはよく目立つ185cmあろうか。走りは素晴らしいが、話はカチンコチンで、こちらから見てもとても緊張しているのがよく分かった。この妙なアンバランスに親しみがわく。 30分ほどで開会式は終了。ナンバーカードをもらい下見バスへ直行。4回目で前回とコースは全く同じであるが、コースの下見はしておくべきだ。しかし今回に限ってはやめておいても良かったかもしれない。 これは後ほど説明する。 下見バスでは、防府市の陸協の役員さんが説明をしてくれた。さすが地元の人で1kmごとのポイントをすべて把握している。 途中の休憩の時に、 役員:「よく見かけますが毎年来られてますね。」 と役員さんに声をかけられた。 加藤:「毎年ではないけれど、まあ・・・」 と返事をしておいた。2年に1回しか来ない。乙姫様と彦星より会う回数が少ないのに、良く覚えてくれているものだなと感心する。顔は忘れていたがこの話の仕方は、以前の下見バスに乗ったときの人と同じようだったと思い出した。 下見が終わりコンビニに寄り買い物をしてホテルへ戻る。 夕食まで少し時間がある。おやつ替わりにパンを食べる。水曜日に風邪を引いて食欲が今ひとつだ。 ベッドで横になっているうちに寝てしまった。起きるともう夜の8時前だった。今更夕食を食べるわけにいかない。腹もたいして空いていないし。ここは一つ腹をくくって睡眠を確保する作戦に出た。明日の朝食でエネルギーを確保しよう。スペシャル・ドリンクを作って10時に寝る。(これがまずかったかなぁ〜) その2は、明日配信します。
昨日は休暇を取りました。金土日月の4連休です。 とはいえそうヒマでもなく、 (1)来年3月くらいまでのロードレースの 申し込みをする(家族分もあるので結構これが大変!) (2)先週の防府の記録を整理 (3)保育園の学芸会の写真(デジカメ)の整理 (4)風邪の影響でちょっと蓄膿ぽくなっているので耳鼻咽喉科に行く (5)来年5月「高圧ガスの国家試験」を受ける準備 まあホント、次から次へとやることがあります。 今週は毎日6km程度のジョグしかしていません。来月中旬の「にしはるチャレンジマラソン」までちょっと間があるので、今はちょうど骨休め期間です。 ■■■ 大会当日 ■■■ 午前7時起床。 南向きの部屋だったことと、スタートが正午ということから、起床で焦る必要もないので目覚ましはセットしなかった。 散歩がてらに外出する。近くのコンビニで、おにぎりとウィダーインゼリーを購入。これは、朝食〜スタート1時間前までに段階的に炭水化物を摂取するためだ。 ホテルに戻り8時30分朝食。9時過ぎに出発する。 ちょうどチェックアウトが同じ人がいたので駅へ一緒に向かう。話をしたところ2回目の参加で2時間50分が目標とのこと。天気も良く風もなさそうなのでお互い頑張りましょうとエールを送る。 防府駅のみなと口(南口)には、臨時バスが待機していた。 県外からの参加者も多く、防府駅〜陸上競技場までバスで約15分。車以外は競技場への交通手段がないので主催者の計らいである。ただし運賃は270円。 競技場には9時30分過ぎに到着。これまで過去4回の中で一番早く到着した。 まずはスペシャルドリンクを指定の箱に入れる。毎回思うのだが、みんな色や大きさがすごい!自分は、小さなペットボトルに割り箸を半分に割ってその先に小さな旗を立てているだけである。当然目立たない・・・。 中身は6km〜36kmまでの7本は、アクエリアスを2倍に希釈したもの。41kmはおなじみガス抜きコーラだ。 ただし各ボトルには走りながらとれるようにひもをつけておいた。 競技場の4コーナー付近に仮設のテントがあり、更衣室として開放している。来た時間も早かったせいか、比較的人も少ないのでここに陣取る。 水曜日くらいから、とうとう風邪を引いてしまった。食欲が今ひとつ。それと直前の一週間でバタバタしていて、思い切って練習量を半分に落とす調整が十分に出来なかった。疲労回復が十分出来ていないのがわかる。 しばらくイメトレで今日の作戦を再確認する。 今日の作戦はこうだ。10kmのロードレースから割り出した5kmのペースは18分。もちろんこれで通せれば2時間32分台でゴールできる。しかし、準備期間が短く後半ペースダウンをする可能性が高いのでトータルで2時間35分程度が目標。 最初の5kmはやや早くなるので17分30秒〜45秒でもOKとする。30kmまで頑張れればあとは粘るだけ粘る! 11時頃から、道路を渡りスポーツセンターのグランドでアップする。こちらも人数が少なく集中するのにはいい。トイレも空いている。 1kmの通過点の場所確認も再度行った。 1kmの通過タイムは今日のレースペースを左右するので見逃せない。ここを3分30秒で通過すれば5kmは17分30秒。3分35秒なら5kmは17分55秒となる。3分30秒くらいで走る選手はマラソン慣れしているので、1kmでタイムをチェックしてあとはその集団の中に身を置けばよい。 ペースが上下することは少ない。 競技場に戻り、汗を拭きウェアも着替える。 再度トイレに行くと西澤さん(安城スポーツマンクラブ)にあう。2年前のこの大会で2時間30分を切ってここ2年くらい2時間30分くらいで安定して走っている。「今日も潰れる覚悟で行きますよ!」と。今日の自分はとてもそんな気になれない。練習量も豊富な西澤さんらしい。 そして、トイレの前では山田さん(山口県庁)に会う。 6年前ある研修で東京・東村山市で一週間寝食や練習まで共にした人で、明るくて背も高くカッコいい人。自己ベストも2時間27分台で、マラソンに関するキャリアとしては非常に豊富だ。わたしの参戦記の愛読者の一人である。体調を崩していたので今回は不参加と思いきやしっかりジャージを着ている。 加藤:「山田さん出るんですか?」 山田:「申し込みしたのが体調悪くなる前だったから・・・。」 加藤:「今日はどれくらいで走られるんですか?」 山田:「(5km)18分30秒〜19分で来年の (防府の参加)資格が取れるくらいで・・・。」 そうか、山田さんが18分の後半で走るなら今日は先着できるかな?こう思うところがトロイ!後述するが、試合中に山田さんの走りに思わず唸ってしまったのであった(さすがです山田さん)。 ■■■ いよいよ スタート ■■■ 10分前になった。もうそろそろ並ばなくては。 今回ナンバーカードが「276」なので約500人いる中でもポジションとしては中位よりやや前だ。しかしトラックはもういっぱいで並ぶところがないのでトラック脇の砂場近くに立つ。スタート直後、押し合いで倒れるのが最も危険である。 スタート場所で山田さんに再び会う。靴ひもを締め直している。口数も少ない。気合いが高そうだ。 12時02分。号砲一発! ややトラックを大回りしながらトラックを約1周し競技場から出る。1kmの通過が3分28秒。やや早めだが、まずまず予定通りだ。少し前に宮地くん(愛知県:ネバーギブアップ)がいる。彼もことマラソンになるとその強さが目立つ。最近はあまり見かけなかったが久々のようだ。周りはともかく「自分のペースを守るんだ」と言い聞かせる。 「日本たばこ産業・防府工場前」交差点を左折し北上。周回コースにはいる。このあたりはまだ応援が多いところだ。このあたりから一部の選手が前の集団に行ったりし始める。2kmの通過タイムが遅いと判断したのだろう。 5km−17分36秒。自分の予定の中ではやや早めだ。この後、左折を2度繰り返し再び競技場のそばを通る。9km地点がその交差点だ。 10km−35分38秒(18分02秒/5km)。予定通り。さすがにマラソン慣れしている集団。ペースの変動が少なくてラクである。 このあたりからロングのトライアスロンでおなじみの河村政勝さん(出光興産・徳山)が集団の前に出る。自分もアイアンマン・ハワイを目指していた頃は、「びわこ」でいつもお会いした。フルタイムワーカーであり、優秀なエイジグルーパーだ。 三田尻の陸橋がやや登り。道路の最短コースを走る。ここから、山陽本線のガードを越えるところまで緩く登っているので、ペースダウンに注意する。ガードを越え左折をすると 旧国道2号に出る。一番応援のにぎやかなところだ。 15km−53分41秒(18分03秒/5km)。ペースだけは問題ない。あとは足がどこまで持ってくれるかだ。 山陽本線を今度は陸橋で越える。往路の登りの方が、復路より急だ。ここで後ろから集団がわーっと迫ってきた。 自分のいた集団と合体し大集団になる。ここから22kmの折り返しまで一気に南下する。左には航空自衛隊の防府基地が目に入ってくる。しかし、いわゆる田園風景でやや退屈で、毎回そうであるがこのあたりに来るとなぜか緊張感が切れてくる。応援の人が少なくなるせい? ふくらんだ集団で走っているとスタートの時に隣にいた山田さんがひょっこり現れる。「やっぱ、山田さん余裕あるなー」と妙に感心してしまう。しかしながら山田さんが現れた頃から急激に右の臀部が痛み出した。そして体が固まりだした。 「もうきてしまった・・・。」ここであらためて悟った。やはり準備期間が短かった。 20km−1時間11分45秒(18分04秒/5km)集団から置いて行かれだした。これでは2年前と同じだ。 ハーフ通過−1時間15分52秒 息は全然苦しくないのだが体が特に下半身が硬直してくる。こうなるとあとは長い。途中で収容されてバスに乗っても良かったが、止め癖がつくので、途中で歩かないことを誓いながらとぼとぼと走る。いや、40km過ぎではジョギングしている応援団より遅いほどだ。 このころZ間さん(名古屋弁護士会)にも抜かれてしまった。まあとりあえず3時間だけは切れそうだから何とか歯を食いしばって走る(本当に走っているとは思えないスピードです)。いったい何人に抜かれたことだろう。抜かれれば抜かれるほど魂を吸い取られていくような感じだった。 ゴール・・・2時間54分42秒 ■■■ 大反省!!! ■■■ 5km 17分36秒(17分36秒) 10km 35分38秒(18分02秒) 15km 53分41秒(18分03秒) 20km 1時間11分45秒(18分04秒) (中間点−1時間15分52秒) 25km 1時間30分54秒(19分09秒) 30km 1時間52分41秒(21分47秒) 35km 2時間17分22秒(24分41秒) 40km 2時間43分33秒(26分11秒) ゴール 2時間54分42秒 やはりいろんな意味で準備期間が短かった。これが敗因である(あろう)。 (1)マラソンに対する練習期間 通常3ヶ月。余裕を持ってやれば4ヶ月である。つまり、まだ秋も訪れていない頃から走り込みを開始しなければならない。 10月上旬までトライアスロンに出て、わずかな休養後、ロードレースを転戦しながらマラソン練習。やはり42.195kmを走るには、基礎的な体作りが出来ていなかったようだ。 (2)紐の縛る強さ シューズの選択も迷った。今回はミズノの220g程度のシューズを使用。 本格的に記録を狙うときは10kmのロードレースと同じ160g程度の超軽量シューズを使用するのだが、安全を見込んでクッション性の高いシューズを使用した。 シューズ自体は悪くなかったのだが、右足がシューズの中で少し動き回ったようで、15kmくらいからマメが出来てしまった。このマメもゴールしたときには潰れていたが、長丁場のレースでマメが出来ないように紐の縛る強さを十分に確認しないまま大会に臨んでしまった。 (3)疲労回復 (1)の内容とリンクするのであるが、疲労が十分回復しないまま次のステップに進んでしまった。メニューはこなせるが身に付いていない消化作業だけ。練習と休養のメリハリが必要である。 みなさんもこういうパターンで練習すると失敗するという見本です。くれぐれもまねをしないでください。 |