第8回塩嶺王城パークライン10マイルマラソン大会 参戦記 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マラソン大会のついでに旅行に出かけたのか、旅行のついでにマラソンに出かけたのか?しかしながらコースは今回もタフでした。グロッキー!
家族旅行を兼ねて・・・ 5月27日(土)に子どもたちの通っている小学校で運動会を開催するかわりに、5月29日(月)を代休にするという措置がありました。 せっかくなので月曜休みを利用して日・月の1泊2日の小旅行に出かけることを企画しました。1泊2日でなおかつマラソン大会にも参加できるという条件で選んだのが今回の大会です。 マラソン大会が決まったので、その後の旅行先も順番に決まりました。 5月28日(日)は、他にも「南木曽町・妻籠健康マラソン大会」という選択肢もありましたが、昨年、妻ゆきこが参加しているので、新鮮さを求め長野県岡谷市まで足を伸ばしました。スタートが10時のため逆算すると家を出るのが6時。5時30分起床で子どもたちはちょっぴり早起きをしました。
招待選手は磯松大輔さん 会場に着いたのはほぼ9時。参加承認のハガキには、「会場の駐車場には9時までに自動車を入れてください」と・・・。あわてて受付をするものの、開会式はちょうど始まっていた。 地元の有力者の紹介や挨拶が遠くに聞こえていたが、ちょうど会場に着く頃に招待選手の紹介が始まった。 なんと今大会の招待選手は、磯松大輔さん(法政大→コニカミノルタ)である。「磯松大輔」といえば小柄ながらニューイヤー駅伝常勝チーム”コニカミノルタ”の主将だ。松宮兄弟、ムツリなど磯松大輔よりもずっと強い選手がいるにもかかわらず魅力的な男である。 大学は、箱根の常連校ではあるが、さほど強くはなかった法政大学で主将を務めている。コニカミノルタにおいても2年目から主将をしているそうだ。現在32歳。 ニューイヤー駅伝で「常勝」チームとなったコニカミノルタにおいて、いまだレギュラーのポジションを確保していることを考えれば素晴らしい頑張りだ。記録を残した男というよりも記憶に残る男であることは間違いない。(さらに「磯松大輔」を詳しく知りたい方はココをクリック!) 体調最悪、年代別優勝はただメンバーに恵まれただけ
コースを約1kmほどジョグをしてウォーム・アップをする。 時間の関係でコースの下見はできない。大会要項にある高低差マップを信用してレースをするしかない。登山マラソンほどではないが、標高差が300mほどあるので後半は辛くなりそうだ。 午前10時、岡谷市長のピストルの合図でレースが始まった。 最初の約1kmは上り坂だ。ここで3人の選手が団子状態から抜け出して前へ飛び出る。その後少し距離を置いて2人。そして私という順番だ。従って私は4位グループに位置する。 ところが1kmを過ぎて下り始めると、徐々にその2人と離れ始める。そうこうしているうちに、後ろから招待選手の”磯松大輔”さんがやって来た。スタート前のアナウンスでは、「磯松さんは競わずに、ゆっくり走りますよ〜」といっていたが、100%とはいわないにしても60%くらいの力で走っている。ジョギングとは決して言えない。 磯松さんに抜かれ総合で4位グループから総合7位に落ちてしまったが、その後下りが続く間は、後ろからあの磯松さんの走りを見ながら走らせてもらった。小柄ながらもストライドは大きい。また、これといったクセもないいい走りだ。 この状態がしばらく続いたが、7km付近で再び彼を抜いて総合で6位につける。彼はペース走をしているような走りだ。
往復コースではないが、概ね8kmが中間地点となる。前半は抑えたつもりであったが、意外にも脚を使ってしまっている。登り出すと再び磯松さんに抜かれる。他に30歳代の選手にも抜かれ総合8位。 さほど緩くもきつくもない上り勾配の坂が続く。前半の影響か脚が進まない。磯松さんの背中がどんどん小さくなっていく。 12km地点からは、かなり急坂が始まる。 12km地点の少し前に20歳代の選手に1人抜かれたのでこの時点で総合9位。これ以上もう抜かれてはいけない。走りながら「この坂はどこまで続くのだろうか・・・。」と不安になる。 ところが、12km過ぎから始まったこの坂を登り切ると、一転して下り坂になった。その勾配は”緩やかに続く”といった感じだ。先ほどの抜かれた20代の選手との差はあまり縮まらない。 ゴールの約1kmほど手前であろうか、歴代優勝者で今回の招待選手になった選手を一人抜く。体調が悪いのだろうか?これで総合8位へ。前走者との距離は変わらずそのままゴールした。気温はさほど高いとは感じなかったが、体調が不十分でゴール時は疲労困憊だった。 今日とは条件は違うかもしれないが、昨年同年代で優勝した方は56分台。その方が今年参加されていたら完敗である。今回は年代別で優勝したもののすっきりしない感じで終わったレースだった。 新聞社の取材がありました 大会で入賞したときに、新聞紙上に名前が活字で掲載されるのは珍しくないが、コメントや顔写真が掲載されることはあまりない。今回、地元の「岡谷市民新聞社」から取材を受けました。一週間後くらいに顔写真とコメントが記事として載るそうです。長野方面へおこしの場合は、是非購読して一読を!
|