第9回小松健勝マラソン大会 参戦記 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石川県小松市まで足をのばしました。朝早くの出発の日帰り強行軍。車の走行距離も540km超。帰りの道路も大渋滞。連休ですからね。家族共々疲れた一日でした。
早出! 今日は、石川県小松市までの遠征。受付が8時〜8時50分と早いので、自宅を6時に出る。おそらくこれでもぎりぎりくらいになるだろうと予想はしていた。 コンビニで朝食を買い込んで、東名・名古屋ICから北陸道・小松ICまではもちろんノンストップ。何とか受付に間に合う。車内でゲームをしていた子どもたちも、長時間の乗車で車内で寝てしまっていた。 大会は・・・ 今大会は「連休中に1大会くらいは・・・」という位置づけで申し込んだ大会だ。もちろん初参加。地方の大会は、ゴミゴミしていなくて観光も兼ねられるので自分としては好きだ。 昨日の日曜日は、台風並みに発達した低気圧の影響で名古屋でも強風であった。今日は、昨日のような強風こそないが、名古屋より緯度が高いせいか若干風がある。朝は穏やかであっても、昼に近づくにつれて風が強くなる。なぜかは話をすると長くなるので省略するが、そういうものだと覚えていた方がいい。 今日のエントリーは5kmだ。短くて気楽でいい。しかし、このあととんでもないことが起こるとは想像もしなかった。 コースミス! 先ほど説明したように今大会は初参加だ。愛知県からの参加なので、当然こちらの選手のレベルは知らない。 受付でもらったプログラムから、ここ数年10km、5kmで交互に新保さんという方が優勝されているので当然ながらマークする。39歳以下の選手では西浦さんという人がここ2年ほど優勝している。しかしながら5kmの昨年の優勝タイムが16分44秒なので決して速いとは言えない。上手に走れば総合優勝も十分狙えると思ってスタートラインに立った。 もちろん初めてのコースなので、若干でも試走は必要だ。特に自分が先頭を走る場合にはコースを考えて走らなければならないからだ。 ウォーミングアップを兼ねて最初と最後の1.5km程度の部分を試走した。 今回のスタート位置はほぼ一番アウトコース。 これはスタート位置が陸上競技場の2コーナーと3コーナーとの中間のためスタートしてすぐに左へコースがカーブすることとなる。インコースに位置取ると一見、最短距離を走っているように見えるがこの位置は多くのランナーが狙う位置となるため、外側からかぶせられると抜け出せなくなるおそれがある。 私がマークしている新保さんは、インコースからのスタートだ。 なぜ私が新保さんのことを知ったかというと、ただの偶然である。スタート前、競技場内の更衣室兼トイレで「504」のナンバーカードをつけた人が偶然入ってきた。「504」は記憶していたので「このひとか・・・」と思ったからだ。 9時55分。青空にピストルの音が響き渡る。 今日は後半勝負と思いきや、陸上競技場を出て行く頃には10数人が集団になっていた。自分はその後方で様子見。39歳以下男子ばかりかなと思いきや、「504」の黄緑色のパンツの新保さんもそのグループの一番左側に位置している。 遅れて見失うのはマズイと思い彼の見える範囲で追走です。 ところが、何と、その集団がいきなりミスコースです。わたしも「あれ?」と思いましたが、さっき下見をしましたが初めてのコースであり、「??」と思いながらも付いていきます。 何の疑いもなくいきなり左に曲がったのは新保さんです(A級戦犯ですね、彼は・・・)。自信を持ってコースを間違えていましたね。他の選手もつられて曲がっていきました。 70〜80mほど走ったでしょうか。 遠く後方から「コースが違うぞ〜!」と大きな声が・・・。「やっぱりー!」すぐさまUターンです。 名古屋シティマラソンでも何年か前コースミスがありました。(私は応援でたまたま行っただけですが) このときは、陸協役員が間違えて誘導したもので、後ほど役員は処分されていました。「もう一度やり直せ!」と抗議した選手もかなりいましたが、もちろんやり直すわけはありません。 このことを知っていた私は、冷静にコースに戻りました。コースミスをしないでまっすぐ走っていった選手に混じって追撃開始です。 この地方の選手は、あまり速い選手もいないのか、1km地点でほぼ前を走っていた選手を全員とらえ抜き去りました。この時点で私より前を走っていた選手は1人だけです(39歳以下の選手で、2位になった選手)。ちなみに1kmの通過は3分28秒くらいです。 コースミスが往復で150m程度とすれば、本来なら3分フラットくらいの通過タイムになります。3分28秒でもかなりオーバーペースです。 1kmを過ぎて左折して多目的運動広場あたりで後方から1人の選手が抜いていきます。たぶん優勝した選手でしょう。彼もミスコースしたにもかかわらず余力はあります。ミスコースしなければ16分ちょうどくらいで走っていたでしょう。 向本折大橋から末広緑地に向かう道では北向きに替わり風が逆風になります。この辺りで前半のハイペースがたたりかなりへろへろです。 末広緑地の横に出た辺りで1人抜かれました。440番だったかな?小柄な人です(39歳以下で3位)。 さらに、末広緑地公園内でまた一人抜かれましたが、ただし彼とは、陸上競技場近くまで併走して帰ってきました。向かい風の中、お互いに息を切らして走ります。曲がり角で後方を確認しますが、白ナンバーカード(40歳以上男子)の選手はまったく視界にはありません。「新保さんあきらめたのかな?」と思っていました。 併走していた39歳以下の選手に最後はちぎられましたが、17分29秒でゴール。150m余分に走ったこと、向かい風でタイムが伸びなかったことなどありますが、お遊びレースですからね・・。「まあいいか」という心境でした。とりあえず、「父ちゃん、40歳以上では優勝だからね」と子どもたちに報告しました。 アフターレース その1「松井秀喜ベースボールミュージアム」 今回は、家族連れのためアフターレースも重要な要素だ。 小松市と隣接して能美市という街がある。 能美市とは「石川県南部の加賀地域に位置する市。メジャーリーグ・ニューヨーク・ヤンキースの松井秀喜の出身地として全国的に有名な根上町、九谷焼や古墳群で有名な寺井町、辰口温泉といしかわ動物園の所在地として知られる辰口町という能美郡にあった3町が合併して発足した。 新市名称をめぐって行われた住民アンケートでは「松井市」や「ゴジラ市」といった松井秀喜氏にあやかったものも上位にランクインしたが、最終的にはアンケート1位であった能美市に落ち着いた。(Wikipediaより引用)」である。 能美市一番の有名人は、やはりゴジラ松井だ。野球をほとんど見ないうちの子どもたちでも知っている。 ということで大会終了後、競技場そばの食堂で昼食を摂ったあと車で松井秀喜ベースボールミュージアムへ移動する。時間にして15分ほどの距離ですこぶる近い。 朝降りた北陸道・小松IC横を通り越して、しばらくうねった道を過ぎると閑散とした田畑の中にぽつんと洋風の洒落た建物が見えてくる。事前にインターネットで調べておいたのですぐにわかったが、松井秀喜の雰囲気とどうも合わない。このようなスタイルの建物は彼の趣味なのだろうか。 入場料は大人300円、小学生は100円。さっそく中に入る。 展示物は彼の子どもの頃から得たトロフィー、盾、カップなど恐ろしい数に上る。彼のエピソードなどを読んでも子どもの頃から非凡さが十分伺える。兄・かずたかは「小学校高学年でカレーライスを3杯、牛乳は水代わりに毎日2リットル飲んでいた」というところに興味を持ったようだ。「オラもできるぞ〜!」と言っていましたが・・・。 そして彼を全国区にしたのは、星陵高校・3年で出場した夏の甲子園。 2回戦、明徳義塾高校(高知)に5打席連続敬遠されたということだ。もちろんこの前代未聞の作戦の前に星陵高校は敗退したのだが・・・。 1時間程度で十分鑑賞できるところです。こちら方面に出かけたときには一度立ち寄るのも面白いかと思います。
アフターレース その2「福井県立恐竜博物館」 せっかくここまで来て、わずか1時間程度で見学できてしまう「松井秀喜ベースボールミュージアム」だけでは子どもたちもちょっとかわいそうだ。 再び北陸道・小松ICから高速にのり南下する。行き先は恐竜の化石が多く発掘されるという福井県勝山市にある「福井県立恐竜博物館」だ。 実はここに来るのは2回目だ。前回この地を訪れたのは、平成15年10月12日開催の「奥越マラソン勝山大会」のときだ。スタート・ゴールがこの場所だったのである。このときはひとりでやって来たので、いつかは子どもたちにこの”恐竜博物館”に連れてきてやりたいと思っていた。ついに現実となったのである。 松井秀喜ベースボールミュージアムから車で約1時間、北陸道・丸岡IC経由で到着。私にとっては懐かしい風景だ。あれから3年も経過したのか・・・。 恐竜に興味のある兄・かずたかにはたまらない施設だ。 今日まで開催の特別展もありこちらも見学する。特別展の出口において、特別展だけ見学した人だけの抽選会があった。年末の福引き大会の様相だ。八角形の木製の機械をくるりと回すと何と兄・かずたか「1等」を当ててしまったのだ!本人もびっくり!有名な人が作ったとかいうミニチュアのフィギュアをいただいた(一年分の運を使い果たした?)。 早いものであれこれ見ているうちにすぐに2時間ほどが経過してしまった。午後4時、恐竜博物館の外の遊具で遊ぶ子どもたちをさとして帰路についた。大会の距離はわずか5km、車の走行距離はなんと542kmであった(選手兼ドライバーは疲れる〜)。
番外編
火曜日(10月10日)に帰宅後、大会事務局の小松市体育協会から電話があった。事情聴取である。非常にふざけた話である。 この参戦記を読まれればわかると思うが、新保さんを含め私もミスコースしている。しかしながら、ミスコースをしたときには彼の方が前を走っているので、Uターンするまでの距離は彼の方が長いことになる。Uターン後は、私は彼よりも前を走ることになるので、彼が私より先にゴールするためには私を抜かなければならない。 すべては表彰式の表彰の通りだ。 そもそも私は、自分のゴール後、彼が3人ほどでゴールしているのを目撃している。それも私がゴールしてからかなり経ってからだ。表彰式の写真を見ればわかるが、3位の水野さんが私と身長が似ている。新保さんは彼(水野さん)を抜かしてゴールしたと思われるが、私をどうも3位の水野さんと勘違いしているようだ。 そもそも私は、ゴールしたときに着順札「1」を女子高校生らしき子から手渡しでもらっているし、競技場においてゴールする前に「愛知県からわざわざ参加の加藤さんゴールです。」とアナウンスを受けている。こういう人たちにも裏付けして事情聴取をすればいい。さらに4km辺りからゴール近くまで39歳以下男子の選手と併走して帰ってきている。彼にも「白ゼッケン」の人間と併走してきたか確認すればいい。 にもかかわらず、新保さんだけの主張を認め着順・記録を大会翌日、勝手にねつ造をし掲載しているので、私も大会事務局にことの顛末をメールで書いて送信した。 新保さんは地元・能美市の選手のようで、主管する小松市陸上競技協会も一方的に彼の主張を認めているようであるが当然のことながら、こちらの主張することに対しても裏付け捜査した上で決定すべきである。 人間誰にも勘違いはある。だから新保さんには怒りは覚えない。怒りの矛先は主管の小松陸上競技協会だ。なぜ彼だけの主張を裏付け無しに認めるのか。理解できない。 世の中曲がったことが多い時代だ。一生懸命働いても報われないことは多い。しかし、採点競技でもないランニングの世界で着順を替えるというのは、私の記憶の中にはない。あってはならないことだ。 この参戦記を作成中に、小松市役所のホームページで記録の修正(いや事実に戻すだけ)を、今か今かと待っていたが、平成18年10月12日(木)午後5時過ぎには正しくされていた。 大会事務局にも申し入れしておいたが、今後このようなトラブルを避けるためにも
市町村合併でマラソン大会が縮減する中、大会運営のまずさで大会の存続が危うくなくならないことを祈るばかりだ。先ほど、主催者である小松市体育協会からメールが届いたので事実について掲載しておきます。今後は、改善してよりよい大会にしてください。
|